Neetel Inside 文芸新都
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剣と槍。抱くは大志
第十六章 五年

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 コモンを手に入れてから二年。メッサーナは次の戦の為、国力を蓄えていた。季節は夏を迎えようとしている。
 ロアーヌとレンが、互いに武器を構え、睨み合っていた。剣と槍である。互いに口は利かず、身体もほとんど微動だにしていない。気と気のぶつかり合いなのだ。そのせいか、場の空気は異常な程に重苦しい。
 剣と剣での勝負では、レンはすぐに膝を折った。武器を交えることなく、気と気のぶつかり合いで、レンはロアーヌに打ちのめされたのだ。そのレンが、武器を剣から槍に変えただけで、気を大きく膨れ上がらせた。
 私の近接武器の腕前は、せいぜい並の上と言った所だ。そして、レンのそれは、すでに私を超えている。ただ、まだ身体が技量に追い付いていない。十二歳の身体では、出来る事がどうしても限られてしまうのだ。
 気が、立ち昇っていた。近接武器の立ち合いは、弓とは違った緊迫感がある。気が近い。相手が近い。これは読み取らなければならない情報が増えるだけでなく、相手に読ませなければならない情報も増えるという事だ。ただ、弓の場合はこれらよりも集中力がモノを言う所がある。
 レンの槍の穂先が、ピクリと動いていた。一方のロアーヌは、微動だにしていない。隙であって、隙でない。ならば、真の隙はどこにあるのか。レンは、それを懸命に読み取ろうとしているのだろう。それでいて、ロアーヌに隙を見せていない。以前は、この段階でロアーヌに打ち据えられていた。構えに隙が見えたら、ロアーヌは容赦なく打ち込んでいたのだ。だが、今はそれが無い。鍛練を積む内に、その隙は無くなったという事だろう。
 レンの額にはびっしりと汗の粒が浮かんでいた。ただ、まだ呼吸は乱れていない。ロアーヌの額にも、僅かに汗が浮き出始めている。
 目が離せなかった。瞬きすらも許されない。それだけの緊迫感が、二人の間にはある。レンはシグナスの息子だ。シグナスは天下最強の槍使いだった。もし、レンがシグナスであったなら、どうなるのか。それを連想させるだけの凄みを、レンはすでに持っている。
 レンが口を僅かに開けた。息が苦しくなったのだろう。当事者でない私ですら、すでに喘いでいる。ロアーヌだけが、微動だにしていない。ただ、額の汗は顎へと流れ落ち、地へと滴っていた。
 気がさらに高まる。熱気で、視界が揺れた。レンが肩で息をしている。暑い。いや、熱い。そう思った。
 次の瞬間、レンが崩れ落ちた。それは力無く地面に倒れ込んだと言った感じで、倒れてからはピクリとも動かなかった。おそらく、気を失ったのだろう。
「水」
 ロアーヌが僅かに息を乱しつつ言った。ランドが水の入った桶をロアーヌに手渡す。そのまま無言で、ロアーヌはレンの頭に水をぶっかけた。
 ハッとしたように、レンが飛び起きる。即座に武器を構え直すも、気絶していた事が分かったのか、レンはうなだれた。
「よくやった、とは言わん。だが、剣よりはいくらかマシだ」
 額の汗を拭いながら、ロアーヌが言った。
「レン、凄かったぞ。もう私など、お前の足元にも及ばないと思う」
 クリスが手拭いを渡しながら、優しく声をかけた。
「兄上、俺は父上に勝ちたい」
「まだお前は十二歳だ。そう焦るな」
「十二歳でも、気でなら勝ち目はあると思う。その気でも、俺はまだ父上に勝てない。剣も槍も、まだ」
 レンは強さに対して異常なまでに貪欲だった。ロアーヌの剣の腕は天下一である。そのロアーヌを超える事を、レンは第一の目標としているのだ。槍の他にも剣の鍛練もやっていて、これはまだ始めたばかりだという。あとは弓だが、こちらの才能は無いようだった。修練を重ねれば、また変わるのだろうが、レンの興味は剣と槍である。
「レン、少しの間、休んでいろ。お前は気を張り過ぎだ」
「はい、父上」
 ロアーヌにそう命じられて、レンは素直に言う事を聞いた。クリスが肩を貸して、共に調練場を出て行く。
「正直な所、レンはどうなのだ、ロアーヌ?」
 二人の背中を見ながら、私は静かに言った。
「非凡だ」
 ロアーヌは短くそれだけを言った。腹の内には多くの言葉を持っているのだろうが、相変わらずそれを喋ろうとはしない。
「やはり、シグナスの息子か。良い武人に育つであろうな。馬術に対しても素質を感じた」
 馬と心を通じ合わせる。レンには、そういう所があった。これは馬に乗るにあたって、かなり重要な事だ。乗り手の意志が、馬に伝わる。これが出来るかどうかで、馬術は大きく変わる事になる。
「レンは戦に出たがっている」
 不意にロアーヌが言った。
「シグナスのように戦う。そして、国を倒そうとしている。だが、それだけだ。上手く言えないが、ただそれだけの為に、レンは戦に出たがっている」
 ロアーヌの言おうとしている事が、私には何となく分かった。レンは、善悪をよく理解していない。シグナスが倒そうとしていたから、ロアーヌが戦っているから、そういった単純な理由で、レンは武器を握っている。つまり、戦う意志のバックボーンが弱い。言い換えれば、大志がない。これはいざという時に弱点になりかねないだろう。戦う意味。今のレンには、それが欠如している。
「強さで言えば、レンはもう戦に出ても良いレベルだ。あとは、身体が大きくなるのを待てば良い。だが、今のままなら、レンは」
 戦には出せない。いや、出さない方が良い。ロアーヌは、そこまでは言わなかった。
 戦う意味。それは、人それぞれ持ち合わせているものだ。私は、高祖父の血を絶たれそうになった。国は、高祖父を冒涜したのだ。だから、戦うと決めた。ロアーヌは、シグナスは、何故、国と戦うのか。そして、レンは国と戦う意味を見出せるのか。
 大志は、人それぞれにある。私は、そう思った。

     

 三人で都を巡回していた。これは別に必要な事ではない。都は、元から治安は良いのだ。ただ、民の顔が見たくなったのである。
 供にはエルマンとブラウを連れていた。二人とも、私の父の副官である。父は大将軍であり、最強の軍人だ。さすがにもう武芸は衰えを見せているが、指揮はむしろ鮮烈さに磨きがかけられている。その様はまさに、軍神というに相応しかった。
 父はあまりにも凄すぎた。歴史に名を刻む英雄。その父の末っ子が、私だった。
 兄達のようには、なりたくなかった。兄達は父の名にすがり、父の栄光の元で大きくなった。周囲の者達は、そんな兄達を親の七光りと蔑んだ。実力通りの評価を受け、実力通りの待遇を受けていても、親の力だ、と陰口を言われていた。私は、そんな兄達のようには、なりたくなかった。英雄の息子。これはつまり、大きな、とてつもなく大きな枷を付けられているという事だ。それを肝に銘じて、私は育ってきたのだ。そして、兄達にようになりたくないのであれば、父を超えるしかない。私は、そう思い定めてきた。
 父のせいで、私の人生は人よりも険しいものになった。だが、だからと言って、私は父を憎む事はしなかった。レオンハルトの血を受けた子。これは誇りに思うべきだ。天下最強。レオンハルトの血は、そうなるための資格だと思うべきなのだ。
 私は、ただひたすらに、がむしゃらだった。人の二倍も三倍も全ての事に打ち込み、物事を習得していった。そうしていたら、いつの間にか、武芸は官軍一の腕前になっていた。模擬戦でも、負け無しになっていた。この時点で、私は父を超えたと思った。当時は、本当にそう思った。しかし、世間からはレオンハルトの息子、という見方をされた。
 妬みだと思った。だが、今はそうは思わない。単純に、私はまだ父を超えていない、という事なのだろう。天下が、まだ私を認めていない。レオンハルトの息子。親の七光り。私は、まだそういった評価の内にいるという事だ。
「ハルト様、正午です」
 エルマンが言った。エルマンの丸刈りの頭を、日の光が照り返している。
「よし、兵舎に戻ろう」
 言って、馬腹を蹴った。街道を、三頭の馬が駆けて行く。
 天下はとてつもなく広い。そして、居そうもない豪傑が居る。十五歳の時の初陣を経て、私はそう思った。
 剣のロアーヌ。あの男の強さは、尋常ではなかった。三年が経った今でも、あの強さは脳裏に蘇る。剣一本で、あれほどまでに戦えるのか。当時の私はそう思ったものだ。ただの一撃も、いや、まともに武器を振るう事もできず、私は敗れたのだ。
 あの時の私は、完全に自分に酔っていた。この世に敵など居ないと思っていたし、自分を天下無敵だと思っていた。それが大きな隙と言えば隙だったが、単純な武芸の腕の差でも、私とロアーヌとでは大きな開きがあっただろう。
 実戦と鍛練は違う。鍛練で磨き上げたものが実戦で重要となるのは間違いない事だが、それが全てではないのだ。ロアーヌと私の差はそこだ。そして、慢心。
 戦に敗れた私は、自らを一から叩き直した。使う武器も剣と槍に限定した。全ての武器を扱う事もできるが、それは無意味な事だ。真に強くなるならば、使う武器を絞り込んだ方が良い。
 剣と槍に限定したのには、理由があった。
 単純な比較として、武器として優れているのは槍だ。槍は剣よりも攻撃範囲が広い上に、威力も上回る。だが、使い勝手は剣に劣ると言えた。特に零距離での戦闘では、槍はほとんど使えないだろう。現に、闘神とされている槍のシグナスも、徒手空拳の敵を相手とした戦闘では、苦戦を強いられたと言われているのだ。
 私が出した結論は、メイン武器を槍とし、サブ武器を剣とする事だった。戦場では零距離での戦いになる事は稀だ。余程の達人同士でない限り、ほとんどは一撃で勝負が決まる。だから、ベースは槍だった。
 父に教えを乞う事はしなかった。自分で辿り着かなければ意味がない。また、父の武が私に合うかどうかも分からないという問題もある。そもそもで、武は個々のものであり、真似事で得られるものには限界があるのだ。ロアーヌという名の境地は、そんな生半可なもので辿り着ける場所ではなかった。
「エルマン、ブラウ、父は強いのかな」
 馬で駆けながら、私は言ってみた。これは本当に言ってみたという感じで、深い意味はなかった。
「強いです。限られた時間なら、未だに天下一だと思います」
「それ程にか、エルマン」
「ハルト様は不運な男です。天下一の男の息子である同時に、その父を超えようとしておられる」
「どうであろうな。私は自分を不運だと思った事はない。ただ、兄達のようになりたくはなかっただけの事だ」
「ハルト様はお変りになられた。兵の気持ちをよく理解し、弱者を労わるようにもなりました。コモン戦で、ハルト様は大きくなられた」
 返事はしなかった。ロアーヌに敗れた時、私は自らを呪った。今まで、積み上げてきた全てを否定されたような気分に陥ったのだ。だが、そこで腐りはしなかった。そして、強くなるための理由を見つけた。父を、ロアーヌを超える事は、あくまで個人的な理由だ。私が強くなるための真の理由、いや、武器を執る理由は、自分で時勢を作り出したいからだった。
 民は、兵は、いや、他者は自分が思っている以上に弱い。それは身体的な意味でもそうだし、精神的な意味でもそうだ。多くの人間は、時勢に身を任せる事しか出来ない。そして、その時勢を作り出しているのは、ごく一握りの人間だ。
 私は、その一握りの人間になりたかった。大将軍の息子などという見方をされず、あの男が時代を作っている。人々から、そう言われるようになりたい。そして、そうなる為には、メッサーナを倒すしかない。強くなるしかない。
 メッサーナは、何故、国と戦うのか。私と同じように、時勢を作り出したい、と考えているからなのか。それとも、他に何か戦う理由を持っているのか。剣のロアーヌや槍のシグナス、鷹の目バロン。数々の英傑が、メッサーナに入った。それは何故なのか。
 私には見えない何かが、メッサーナの人間には見えているのかもしれない。だが、その逆も然りだ。片方だけの一方的な正義など、存在するはずがない。
 いや、そうではなく、勝った方が正義になるのだ。そして、時勢も作り出せる。そうやって、これまでの歴史は動いてきたし、これからもそうに違いない。だから、私は強くなる。
 強くなる。誰よりも、強くなってみせる。馬の手綱を握り締めながら、私はそう思った。

     

 ハルトレインが完成していた。いや、未完の大器というのが正しいのかもしれない。この男は、儂の想像を遥かに超えている。目の前で起きている光景を見て、儂はそれを認めざるを得なくなった。
 エルマンとブラウの二人掛かりで、ハルトレインと立ち合わせていた。だが、最初の構えの時点で、勝負にならないと感じた。ハルトレインの発する気は、二人のそれを遥かに上回っている。二人の武芸の腕は、決してレベルの低いものではない。むしろ、全てが高い水準で纏まっているし、連携も心得ている。
 その両名が、構えてから僅か数分で肩で息をし始めた。踏み込む事ができない。いつ、どの角度から、攻めるのは同時か時間差か。選択すべきものは多岐に渡るが、その全てをハルトレインは封じ込めていた。
 絶対的支配。強者のみに許される特権である。その場を、たった一人で支配してしまう。今のハルトレインはこれだ。こうなると、もう勝負は決まったも同然である。ただ、構えているだけでも良いし、自ら攻め込んでも良い。まさに絶対的支配なのだ。
 ハルトレインが、棒を僅かに下げた。行く。儂はそう思った。
 稲妻だった。ハルトレインは踏み込むと同時に、棒でエルマンの胸板を付いて吹き飛ばし、返す手でブラウを薙ぎ払った。まさに一閃である。槍のシグナス。いや、それ以上かもしれない。ハルトレインは未完なのだ。この先を考えれば、シグナスを超える事は十二分に考えられる。やはり、素質は天下一だ。この末っ子だけは、幼少期から才の花を持っていた。それが、ロアーヌとの一戦で、ただの一戦で、開花し始めたという事なのか。
 エルマンとブラウは、身体を痙攣させて気を失っていた。これは、ほんの一撃で、的確に急所を突いたという事だ。
「よくやった」
 儂は、見事だ、という言葉を飲みこんで、それだけを言った。言われたハルトレインは、表情を動かしていない。よく見ると、息も乱していなかった。
 よくぞここまで。儂は素直にそう思った。もしかすると、将来的には全盛期の儂よりも上になるかもしれない。今のロアーヌは、おそらく儂よりは上だ。だが、あの男も四十前後の年齢になった。しかし、このハルトレインは若い。まだ二十歳になったばかりなのだ。つまり、時がある。さらに強くなる為の時があるのだ。
「まだ、私はロアーヌには及びません」
「かもしれぬ」
 だが、シグナスとは並んだ。官軍時代のシグナス、という条件にはなるが、ハルトレインはすでにその領域に達したと言っていい。
 そろそろ、頃合いなのか。ハルトレインの力を、儂自らで量る時が来たのか。
「儂とやってみるか、ハルト」
 言っていた。言われたハルトレインの目は、何の変化も見せなかった。心無しか、どこか涼しげでさえある。
「父上はもう老いておられます」
「儂はお前に勝てん、そう言いたいのか?」
「いえ。本気の殺し合いになりかねません。それを危惧しているのです」
 存分に余裕のある発言だった。それに言っている事の的も得ている。自分と相手の力量を、きちんと見分けられてもいる。だが、それと同時に驕(おご)りも見えた。剣のロアーヌ以外には勝てる。そんな見えない驕りが、儂には垣間見えた。
「お前はまだ未熟だ」
 儂がそう言うと、ハルトレインの表情が少し動いた。
「確かにお前は強いし、強くなる為の志も持っている。だが、まだ少年時代の傲慢さを捨て切れておらぬ」
「父上、私を挑発しているのですか?」
「違うな。忠告しているのだ。その傲慢さが無くならぬ限り、お前はロアーヌを超える事はできん。無論、この儂もだ」
 儂を超える事ができない。そう言った瞬間、ハルトレインの眼に殺気が宿った。
「やる気になったか」
「父上を殺したくありません」
「その傲慢さだ、ハルト」
 言って、儂は気を失っているエルマンの手から、棒を拾い上げた。
「儂が叩き直してやる」
 構える。ハルトレインも、小声で何か言いながら棒を構えた。
 上から目線で。ハルトレインは、そう言っていた。
 瞬間、儂とハルトレインは臨戦態勢に入った。気と気がぶつかり合う。こうやって対峙してみると、よく分かる。気が若い。恐れを知らず、敗北を敗北とも思わず、全てを糧にする。そういう若さを、ハルトレインはダイレクトに放っている。それだけでなく、ハッキリとした威圧感までもぶつけてくる。おそらく、エルマンとブラウは、これにやられたのだろう。
「若いな、ハルト」
 一歩だけ、前に進み出た。ハルトレインは動かない。
「もう分かっただろう。儂は、お前の絶対的支配の外に居るぞ。つまり、儂はお前と同等かそれ以上という事だ。そして、剣のロアーヌも」
 言い終わらぬ内に、ハルトレインの殺気が倍加した。棒。突き出される。
 避ける。旋風が着物の裾を巻き上げていた。さらに棒。避けつつ、距離を縮めた。同時に、間合いが変わる。槍から剣の間合いに入ったのだ。シグナスなら、ここで距離を取ろうとするだろう。すなわち、間合いの修正をしてくる。
 ハルトレインがシグナスと同じ行動を取れば、その時、儂は一撃を叩き込む。
 瞬間、ハルトレインは腰に佩いている木剣の束に手をやった。何をするつもりだ。そう思うと同時に、儂の身体が反応していた。仰け反っていたのだ。木剣が、地から天へと向けて空を切る。思わず、声が漏れていた。
 刹那、血がたぎった。そして同時に、本能が早く勝負を決めろ、と言っていた。この男は、そう長い時間、立ち合える相手ではない。つまり、強者。
 槍の間合いへ戻したい。だが、ハルトレインは剣の間合いで闘い続けてくる。
 この男、剣と槍の二段構えなのか。一つの戦場で複数の武器を使うというのは珍しい事ではないが、近接武器の持ち替えというのは有り得ない事だ。何より、持ち替える意味がない。本来ならば、自らが得手とする間合いで闘い、それが出来ない相手なら、勝ち目はないという事になる。勝負の世界は、そういう単純な所があった。
 だが、ハルトレインは二つの間合いを持っている。剣と槍。従来の単純さに納得するのではなく、自らその道を切り拓いた。
 さすがに儂の息子というべきなのか。だが、まだ粗さが見える。
「レオンハルトの血は、武人の血」
 言いつつ、ハルトレインの木剣を撥ね上げ、飛び退った。間合いの修正。ハルトレインが目を見開く。
「天下最強っ」
 腹の底から声をあげ、棒でハルトレインの胸板を突いた。突かれたハルトレインは、モノのように吹き飛び、一転、二転と地面の上を転がった。
「ハルト、お前には十分にその資格がある。精進せよ。そして、その驕りを、傲慢さを今度こそ捨て去れ」
 ピクリとも動かないハルトレインに向けて、儂は強く言い放った。
 老いた。儂は自分が思うよりも、老いていた。激しく息を乱している自分をかえりみて、儂はそう思った。だが、次代が居る。ハルトレインは、まさしく儂の後継者となる男だ。

     

 シグナスが微笑んでいた。だが、微笑むだけで、何も言わない。
 激しい喧騒の中、シグナスだけがずっと先に居た。背を見せて、顔だけをこちらに向けている。微かに笑みを浮かべているが、まるで遠い存在のように感じた。
 周囲がうるさい。まるで戦だ。金属音、馬蹄、悲鳴。戦だ。ここは、戦場だ。戦場なら、剣を振るわなければならない。俺は、剣のロアーヌ。シグナスの志を受け継ぎ、戦場を駆け抜ける。
 シグナスが、手を差し伸べてきた。その手を掴もうとした。だが、掴めない。シグナス、何故だ。
「何故だ」
 声をあげていた。起き上がり辺りを見回す。寝室だった。
「夢か」
 俺は額に手をやり、しばらくジッとしていた。
 初めて見る夢だった。シグナスが夢に出てくる事など、今までに一度も無かった。まさかとは思うが、何かを暗示しているのか。
 馬鹿馬鹿しい。俺はそう思った。たかが夢である。
 夜中だった。もう一度、寝ようと思ったが寝付けそうも無かった。
「シグナスが死んで、もう十数年か」
 ふと、そんな事を口に出して言っていた。俺は四十二歳になり、息子であるレンは十五歳になった。
 レンの稽古は、今でも続けている。だが、俺が教える事はもうほとんど無くなっていた。剣の方はまだ未熟であるが、槍はもう完成したと言っていいだろう。剣の方も、すぐにそうなる。こうなれば、あとは実戦だった。鍛練で辿り着ける境地というのは、やはり限界がある。実戦を経験し、修羅場をいくつか潜り抜けなければ、真の意味での完成とは言えない。
 修羅場。思えば、俺はシグナスと共に、数々の修羅場を潜り抜けてきた。あの男と共に、俺は戦場を駆けてきたのだ。
 シグナスと共に戦った日々。あの頃は若かった。南方の雄であるサウスに負けて、悔し涙を流した事もあった。今でも、あの時の事は鮮明に思い出せる。シグナスと酒を酌み交わしていた夜だった。シグナスは、俺を酒で元気付けに来てくれたのだが、あいつは女に惚れていた。浮かれ気分で、俺に会いに来たのだ。俺はそんな気分ではなかったというのに。
「まったく、ふざけた奴だった」
 口元が緩んでいた。だが、良い思い出だった。お互いに、足りない所を補い合う。そうすれば、勝てない敵にも勝てる。シグナスは、そう言ったのだ。
「生涯でたった一人の、たった一人の友だった」
 おそらく、これはこの先も変わらないだろう。そんなシグナスの手を、掴む事が出来なかった。夢の中の出来事とは言え、これはどことなく寂しい事ではあった。
 いつの間にか、寝入っていた。朝陽が眩しい。途中で起きてしまったせいか、眠りがどこか浅い。そう思いながら、俺は寝室を出た。
「おはようございます、ロアーヌ様」
 従者であるランドが、俺を見つけて頭を下げた。
「レンは?」
「もう朝食を済ませて、いつもの素振りをやっております」
「レンは未だに強くなりたい、と言っているのか?」
「はい。ですが、その理由が見えません」
「シグナスの仇を討ちたいのだろう」
 言ったが、本当の所は分からなかった。レン自身も、把握してないという感じがある。だが、理由というのは大事である。大きな壁にぶつかった時、その理由がしっかりしたものであるなら、それを支えにする事が出来るからだ。ここでいう理由は、むしろ大志と言い換えた方が良いのかもしれない。
 どの道、今のレンにはそれが欠如していた。レンは、メッサーナの中だけで育った。つまり、敵対する国の事を知らない。だから、強くなる為の理由と言うより、戦う為の理由を掴む事が難しいのだろう。
 国は大きく変わった。この短い時の流れの中で、国はその姿を大きく変えたのだ。だが、根本的な部分はメッサーナとは対を成している。すなわち、歴史を存続させるのか、ぶち壊すのか、である。
 俺は、ぶち壊す方に大志を見出した。もう、国の寿命は尽きた。全ての頂点に立つはずの王が、政治も戦も放り出し、遊び呆けているのだ。王がこれだから、下も腐る。腐っていない人間までもが、腐っていく。今の国は最後の力を振り絞って何とかなっているが、その力が消えた途端、国はまたすぐに腐り始めるだろう。
 レンは、そんな国の姿を知らなかった。
「やはり、一度は戦に出した方が良いのかもしれんな」
 戦に出して、力量を見る。これも一つだが、実際に戦を経験する事によって、間違いなくレンの視野は広がる。それぞれがそれぞれの正義を、大志を胸に武器を執る。そして、生死を間近で感じ取る。それが、戦なのだ。
 それに、レンはシグナスの仇を討ちたい、と常々言っていた。だが、その仇とは何なのか。その部分を、ハッキリとさせるためにも、レンには戦を経験させるべきなのかもしれない。
「父上、おはようございます」
 軽く息を弾ませながら、レンが部屋に入ってきた。剣と槍の両方の素振りをこなしてきたようだ。
「レン、戦に出たいか?」
 唐突に俺がそう言うと、レンの表情は僅かに緊張の色を見せた。
「はい」
「それは何故だ?」
「それを知りたいからです。俺は、自分でも少しは強くなったと思います。父上と向かい合っても、大きく退けを取るという事もなくなりました。ですが、強くなった先に何があるのか、まだこれを掴めていません」
 俺は黙ってレンの眼を見つめていた。純粋な眼だった。だが、人生の汚れは知っている。父の死という理不尽なものを飲み込んだ上での、純粋さだった。
「シグナスは、国に殺された」
「存じています」
「仇を討ちたい。だから、戦に出たい。お前はそう言わないのか」
「それは私憤です。戦は私憤でするべきではない、と思います」
 レンは、十五歳とは思えぬ程、達観している所があった。このやり取りもそうだ。レンには、必要以上に厳しく接してきた。これが、今のレンを形作っているのだろう。
 やはり、もう俺が教える事は無くなっている。レンを、次のステップに進ませる時が来た。
「次の戦、俺のスズメバチ隊の一兵卒として、出陣しろ」
 俺はいつもの口調で、そう言った。レンはジッと俺の眼を見つめ続けている。
 今のレンは、すでに一隊を率いる程度の力量は備えている。だが、俺はあえて兵卒として戦に出す。いきなり隊を率いれば、傲慢に繋がりかねないのだ。レンはまだ十五歳の童だ。きちんと順序は踏ませた方が良い。
「はい。父上、感謝致します」
 素直な笑顔を見せて、レンは頭を下げた。
 メッサーナは、国との決戦に向けて国力を蓄えていた。そして、それはもう終わる。メッサーナの全てを賭けた戦いが、もう少しで始まろうとしているのだ。すなわち、国と雌雄を決する時が近付いている。
 シグナス、お前の息子の初陣は、俺が見届ける。心の中で、俺はそう言っていた。

     

 出陣が決まった。都攻めが決定されたのだ。ただ、一直線に都を攻め落とすのではなく、どこかで官軍を打ち破らなければならない。もっとも、官軍もメッサーナ軍をそう易々と都には近付けようとはしないだろう。
 ぶつかる場所は、アビス原野という説が有力だった。アビスは守りに適した場所ではないが、勝ちに乗じればそのままコモンまで突っ切れる。つまり、これは言い換えれば、俺達が勝てば都に手をかける事ができ、負ければ官軍にコモンまで奪われる、という事になる。
 しかし、官軍のプレッシャーは相当なものだろう。アビスで負ければ、国の敗北は決まったも同然だ。地方軍を動員させるにしても、それに対応できるだけの力をメッサーナは身に付けた。
 王手という事だった。あと一息で、天下が取れる。
 問題は、出てくる官軍の中身だった。総大将は、大将軍であるレオンハルトで間違いないだろうが、その兵力は読めない部分が多い。数だけで言えば、国が戦に出せる兵力は三十万ほどのはずだが、この三十万が一斉に出てくる事はまず無い。そこまでの国力が、今の国にあるとは思えないのだ。となると、十万から十五万が良い所だ。
 だが、大将軍が元々擁している兵力は五万だ。この五万だけで出てくる事は十分に考えられる。もしくは、五万を核として、別の兵力を持ってくるか、だ。
 どちらにしろ、俺達には勝つしか道はない。ただ、相手は伝説の軍人である。その兵力によって、戦い方を決めなければならない。それはバロンもそうだし、ヨハンやルイスもそうだ。
 メッサーナは合計で十万の兵を動員させる予定だが、十万全軍でアビス原野を攻める事はないだろう。おそらく、多面的な戦になる。そして、その中で最も苦戦を強いられるのが、対レオンハルトだ。分かり切っている事だが、これを打ち破らぬ限り、戦の勝利はない。
 このレオンハルトにぶつかるのが、俺とバロン、そしてアクトだった。細かな編成はまだだが、バロンは忙しくなる。弓騎兵と騎馬隊の二軍の指揮を執らなければならないからだ。本来なら騎馬隊の指揮にシーザーを組み込む予定だったが、シーザーはレオンハルトと対峙させるには、性格的な欠点が目立ち過ぎる。
「戦の出陣が決まった。翌日には、ピドナを出る」
 シグナスの墓に向かって、俺はそう言った。
 タフターン山である。息子のレンも一緒に連れて来ていて、レンにとっては何度目かの墓参りだった。
「相手はあのレオンハルトだ」
 出来れば、お前と一緒に戦に出たかった。俺は、心の中でそう言った。
 レンは黙って、墓の前に突き立っている剣と槍に目を注いでいる。そんなレンの肩に、俺はそっと手を置いた。
「父上」
 レンが不意に口を開いた。
「父上も戦で死ぬ事はあるのですか」
「ある」
 俺は逡巡せずに答えた。
「戦では何が起こるか分からん。それに相手はあのレオンハルトだ。だが、俺はここに命を置いている」
「ここに?」
「そうだ。この剣が、俺の命だ」
 言って、俺は墓の前に突き立っている剣を指差した。
 シグナスと共に、俺はここで一度死んだ。そして、別れを告げた。だから、俺はもう死なない。この場所で、俺はそう誓ったのだ。
「俺も死ぬ可能性はあるのですね」
 何も答えなかった。分かり切っている事だ。戦に出るという事は、死の危険に晒されるという事だ。だから、強くなる。誰よりも強くなって、その危険を減らす。そしてレンは、十分に強くなった。
「父上、俺の槍を、見ていてください」
 シグナスの墓に向かって言ったレンの表情は、引き締まっていた。
 その後、山を降りて、俺とレンはピドナの軍営に向かった。翌朝にはピドナを出るのだ。出陣が決まってからの寝泊まりは、兵舎でやる事になっている。
「レン、寝る前に馬と武器の調子を見ておけ」
「はい、父上」
 それだけ会話して、俺は寝室に入った。
 息子の初陣。そう思うと、どこか不思議な気分になった。血は繋がっていないが、レンに対しては我が子だという思いがある。それだけの情を持ってしまう程、レンとは長い時を共に過ごした。そして、その成長ぶりを間近で見てきた。
 レンは強くなった。槍の腕前は、かつてのシグナスを想起させる程のものになり、剣も実戦で通用するレベルにまで昇華した。俺が、レンを育てたのだ。それだけの自負が、俺にはある。
 ふと、自分の年齢を考えた。いつの間にか、四十を過ぎていた。年齢を考えれば妻帯していて当たり前だが、これまでに女に対して心が動くというような事は無かった。おそらく、この先もそうだろう。何度か女は抱いたが、必要な事だとは思えなかった。だが、その分、戦や武芸に注力できた。
 目を閉じた。こうして目を閉じると、国を捨てた時の事を鮮明に思い出せる。あの時、俺とシグナスは二十四歳だった。若さの中で、メッサーナに未来を見出し、俺達はひたすらに突き進んできた。
 いつの間にか、寝入っていた。
 シグナスが居る。激しい喧騒。どこかで見た事がある。シグナスが手を差し伸べてきた。だが、掴めない。これも、どこかで見た事がある。
 シグナス、お前の手を。
 暑い。暑苦しい。そう思うと同時に、ハッとした。目が覚めたのだ。
 周囲を見渡すと、暗闇の中だった。夜中である。
「また、あの夢か」
 何なのか。俺はそう思った。二度も同じ夢を見るとは。それにしても、ひどい汗だ。
 一度だけ溜め息をついた。
 明日は出陣だ。そう思い、俺は再び目を閉じた。

       

表紙

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Neetsha