Neetel Inside 文芸新都
表紙

2P SG "THE GOLD"
The Gold…C

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「それは……タカハシは何か意味あるモノが欲しいの?」

「無いモノねだりって言うのかな?でも……これを無駄なモノへと変えてしまうと、それ

は俺を育ててくれたトモハラさんのやってきた事、それが無かった事になりそうな気がす

るんだ……彼女の息子として……それだけはしたくないよ。でも人殺しである俺が今更そ

んな事を望むなんて」

「『手を伸ばして。あの王冠を掴んでみて。届かないなら、私の手を継ぎ足してあげる』」

「………」

「正直、怖いけど……でも信じたいかな。本当にタカハシがそう思っているのなら私はタ

カハシに協力したいよ。それが手に入るかは分からないけどタカハシに安息を得る権利が

ないなら……それは凄く残念だよ、私にとって」

「……ははっ。ありがとう、エリス」







「わぁっ……」

 呆けたような感嘆がエリスの口から漏れた。

「これを見るのは初めてかい?」

「綺麗……」

 今、二人の目の前に広っているのは、三日月を映す池の水面を覆い尽くさんばかりに飛

び交い、光る蛍の群れだった。

「湧き水が流れるこの池では……毎年この光景にお目にかかれるんだ。あまり知られてな

いけど……この祭りが終わって静かになる頃、ここでこんな後夜祭が行われるんだよ」

 エリスの横顔を見る。完全に蛍の成すイリュージョンに魅入っている。

「ありがとう。うん、ありがとうタカハシ」

 いつまでも蛍を見ている。見ながら彼に礼を言った。



                   *



 八月に入った頃には、俺達は会話に困る事なんてなくなった。

 エリスの日本語はボキャブラリーの幅を除けば、特に通訳の必要もなくなった。あれか

ら俺は何度かノヴァトニー家にお邪魔したが、ニナおばさんとの会話ではエリスは重要な

通訳となった。改めて日本語は幅が広い。

 少し残念なのが、エリスのお父さんがあれ以来俺と顔を合わせてくれず、俺が来ると書

斎に篭ってしまう事だ。

 エリスはバイオリンが上手かった。彼女が作曲した曲も聴かせてもらった。音楽のセン

スは、類稀なるものを持っていらっしゃるのです、とサラさんが教えてくれた。

 特に楽器が出来るワケではない俺だったが、ある日エリスが持ってきたブルースハープ

は今や俺のモノとなっている。ひとつひとつエリスに教えてもらいながら一曲演奏出来る

ようになった。エリスがバイオリンを弾いて、俺がハープを吹く。バイオリンとブルース

ハープというなんだか馴染みの無いセッションも、エリスの天才的なセンスが自然なモノ

へと変えた。初心者にしては上手だと誉めてくれた。何かをして誉められたのは初めてだ

った。上手く吹けるようになる度に彼女は誉めてくれた。そしてまた、難易度を上げたテ

クニックを課題として教えてくれた。どんどんと練習した。

 トモハラさんはそんな俺にかなり驚いたようだったが、とても良い事ですと言って楽譜

や、サニーボーイのCDを買ってくれた。

 トモハラさんの優しそうな笑顔を見る事が、最近多くなった。

 でも、ときおり俺に気付かれないように悲しそうな表情をしていたのを、俺は実は知っている。







「日本の花火って手に持つヤツも綺麗なんだね」

 煙の中で、花火の灯りに照らされたエリスはしみじみとそう呟いた。

 夏の風物詩を、とのニナおばさんのリクエストで、今日俺は花火を持ってノヴァトニー

家を訪れた。

 俺は線香花火を一本、摘み上げて言った。

「日本では……この線香花火で、勝負をするんだ」

 この火の玉が先に地面に落ちた方が負けだと、一本着けてみせて説明すると、親子でそ

れを始めた。俺はその光景を見ていてなんだか誇らしかった。

 相変わらず、エリスのお父さんは姿を現してはくれない。

「タカハシ……お父さんの事気にしてるでしょ?」

 ささやかに花びらを散らす穂先を気遣うように、エリスがボソリと呟く。

「えっと……俺そんな顔してたかい?」

「こんなに楽しそうな二人の前で、そんな深刻な顔する理由ってそれくらいしか考えられ

ないもん。タカハシは関係の無い事を考えて呆けるような失礼はしないからね」

「いや、まぁ……ね」

 複雑な気分だった。

「綺麗……この花火もなんだか……祭りの後っていうか、メランコリーな感じが」

 とは言うものの、手持ちの花が落ちると、エリスは指に挟んでおいたもう一本に蝋燭の

灯りを当てたのだった。



     

「それじゃ、暗いから気をつけて」

「はい、お世話になりました」

 エントランスの天井一杯に、声が響き渡る。

 俺はニナおばさんに軽く頭を下げた。

 踵を返して、サラさんが開けようと待ち構えるドアに甘えようとした時だった。

「ちょっと待ってくれ……えっとタカハシ君だったな」

 後方やや上から、野太い声が聞こえた。それは間違う事はない。

 エリスの父親、ポール・ノヴァトニーが玄関正面の大階段の踊り場にいた。

「え、あの」

「帰る前に、ちょっと来てくれないか?」

 かなり驚いた。それは俺だけではなく

「ちょっとお父さん!今まで何の顔も出さないでいたのに、いきなり失礼でしょ!一体何

処で生まれたのかな、このオヤジは!」

「ちょっとエリス」

 エリスをなだめながらも、ニナおばさんも信じられない、といった表情で

「こんな遅くになんですか?わきまえて頂きたいですね」

 かなりきつい口調で夫を咎めた。

 当のポールおじさんはというと、さも当たり前のような顔で二人を軽く無視した。

「ちょっと話があるだけだ。すぐ終わらすつもりさ」

 そう言って、三十メートル向こうから俺の目を見つめた。

「来てくれるね?」

「……分かりました。サラさん、ごめんなさい」



「君はエリスをどう思っている?」

 書斎に案内された。ポールおじさんの第一声はそんな科白だった。

「ええっ?ええっと……それは」

「まだ小さい君には分からんかな?」

 正直参る。

「……素敵なお嬢さんですよ。頭も良くて、気遣いも出来る」

「そうじゃない……」

 少しイライラしたような口調だ。

「君は娘が好きか?」

「………」

 答えあぐねる俺をじっと見つめるポールおじさんが、急に話題を変えた。

「君はなかなか腕が立つようだな」

「あの尾行の人達は……一体何をお考えになっての事なのか、お聞かせ願えますか?」

 数日前だった。ノヴァトニー家からの帰り、数人の暴漢が尾行の末に、俺に襲い掛かっ

てきた。なかなかの手合いではあったが、返り討ちにした。

「いや……初めて会ってからというもの、君を疑っていてね」

「はい?」

「その事はもういいんだ。……疑って悪かった」

 そんな事言われても僕には何が何だか分かりません、と返すと、ポールおじさんは口元

だけで薄く笑った。

「実はな……君にお願いをしたいのだよ。君にしか出来ない」

「………」

「今になってちょっと後悔している事なのだがね……ちょっと仕事に熱を入れすぎてしま

って、家族を省みなかったのだが……」

「………」

「そこは妻も娘も理解のある人間で助かっている、本当にな。だが、海外を飛び回る仕事

のお陰で……家族を随分と危険な目にあわせてしまっている。君にだけは話しておこう」



 月が雲に隠れると、街灯の間隔の広いこの通りはかなり暗くなる。

 俺はトボトボとスニーカーの踵を摩りながら家路についていた。

 どうやら、ポールおじさんは科学者で……先の大戦では便宜上の勝利を収めた連合軍の

機関に所属していたらしい。それ故に、大戦が終わった今でも時折危険な目にあっている

ようだ。

 ならば何故こんな目立つ場所でこんな暮らしをするのですか、と訊ねれば、彼は口を閉

ざした。



「そこでだ……他ならぬ君にどうしても頼みたい。その為に君に訊ねたい」

「分かりました」

 ポールおじさんの俺を見る目は至って真剣だ。

「さっきの答えを聞かせて欲しい……君は、娘の事をどう思っている」

「好きですよ。僕の友達でいても勿体無い程に……」

 そう答えると、おじさんの顔は急に晴れた。

「そーかそーか……いや、それが聞きたかったんだよ」

「どういう事でしょうか?」

「いや、子供である君にこんな事を頼むのはちょっと、どうかなとは思ったんだけど」

 ごくり、と俺が生唾を飲む音がいやに大きく聞こえる。

 ポールおじさんの口が開いた。

「娘を……いざという時にエリスを守って欲しい。君がだ」

「僕がですか?」

「君が誰かっていうのは特に問題にしないさ……この際は。エリスは君が好きなハズだか

らそれで十分さ。支えになってやって欲しい、盾になってやって欲しい。命は賭けなくて

も良い……」

 その雰囲気に圧倒されてしまった。眼力で圧倒された事など、今まで一度もなかったが

今、俺はポールおじさんを目の前にして動く事が出来なかった。

「………」

「妻には言ってある……近い内にここに奴等がやってくる。私は最悪の事態になろうとも

エリスだけでも助けてやりたい。だから……君ならそれが出来るだろう」

 結局、このやりとりが今後決定的に俺の人生をややこしくしたのだろう。



     

 あの日……とても暑くて、多分この夏で一番暑い日になるだろうなって何となく分かっ

て、俺は麦茶を多めに作って……いつものあの神社へ行ったんだ。

 エリスは先にいて、俺の貸した文庫本を熱心に読んでいた。簡単な内容のマンガや小説な

ら、電子辞書と俺をフル活用して読めるまでに、彼女は日本語を使えるようになった。

 俺は声を張り上げて彼女の名前を読んだ。

 彼女は顔を上げて、微笑み返して手を振った。

 今考えれば、これを最後に彼女の笑顔を俺は見ていない。

 それぐらいに、この日は怖くて、悲しくて、悔しくて……そして暑かった。

 俺が隣に座ると、開口一番にこの漢字は何て意味だ、と難しそうな顔をして訊いてきた。

 頭をボリボリと掻き、眉間にしわを寄せて、汗だくになっていくのを見て、俺は涼しいと

ころで頭冷やしてから読もう、と提案した。

 結局、エリスの家でお茶を出してもらうワケだから、俺が多めに作った麦茶は口にしな

かった。

 あの大きな門が開いて、炎天下の石畳を歩いてノヴァトニー邸が見えた時、俺は血臭を

感じ取った。

 エリスと慌ててエントランスに駆け込んだ。



                 *



「おばさん!!」「おかあさん!!」

 二人同時に声を上げた。

 玄関をくぐった正面にあったのは、血の海だった。

 真っ赤な鮮血は、真っ白な大理石の床ではまるで宙に浮いているように見えた。その真

ん中で、床に臥せるのはエリスの母親、ニナ・ノヴァトニーだった。

「おばさん、しっかりして!!」

 タカハシが慌てて駆け寄る。血糊の床を歩くと、チャプチャプと言う音と共に粘着質を

帯びた感触を、彼はエア・マックス越しに感じた。

「……エリス、君はこの中に入らないで」

「そんな……なんで」

 血の気を失った顔色のエリスが、足元に広がる血の海の臨界点で立ち止まって、うわ言

のように呟いている。

(斬られてる?一体何故……。くそっ!出血が多すぎる。止血が間に合う保障がない)

 タカハシは必死にバンダナを、ニナの出血元に押し当てる。しかし、タカハシはこの出

血量では、今更行っている止血が間に合うのかどうか、絶望的な状況が目の前にある事を

ひしひしと感じていた。

「エリス……」

 傷口を押さえたまま振り返ると、そこにはエリスが我を失った顔で、床に臥せている母

親を眺めていた。

 携帯電話を持たず、傍らの少女は我を失った状況で電話も出来ないかもしれない。

「あぁ、くそっ」

 タカハシが日本語で、悪態を吐いたその時だった。エリスの肩越し、先程タカハシとエ

リスがくぐった玄関に

「サラさん!!」

 ノヴァトニー家の家政婦が姿を現した。

 普段から頼りにしている大人が姿を現すと、エリスは泣きながらその大人に駆け寄った。

「サラ……!!お母さんが、お母さんが!!」

 エリスがサラに泣きついた。優しく抱きとめる様子を見て、タカハシがサラに

「サラさん、救急車を!早く……出血が多くてかなり危険だ!!止血帯も欲しい……お願いだ」

 ほとんど金切り声で、指示を出した。

 数秒、胸元に顔を埋めて泣きじゃくるエリスを眺めると、サラはタカハシへと目を移した。

「何やってんだ!早く!」

 苛立った口調で、タカハシがそう言う。

「!?」

 次の瞬間、タカハシが自分を見つめる彼女の、その冷たい瞳に戦慄した。

「まさか……」

 今まで後ろ手に、この陽気にも関わらず冷気を纏うそれを隠していたサラの手がすっと

上がり、それが向けられた延長線上には悔しそうな表情のタカハシがいた。

 タカハシの肺に、むせ返るような血臭と夏の湿気を帯びた空気が吸い込まれていった。



       

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ウド(獅子頭) 先生に励ましのお便りを送ろう!!

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