2P SG "THE GOLD"
The Gold…B
板チョコのような扉、その奥の光景もまさにセレブな家だった。入った真正面には上へ
と続く、ブルドーザーですら通れそうな階段がある。お約束のように花瓶の置かれた踊り
場から左右に、二階へ行ける。
「へっくしゅん」
実の所、門から屋内までの道程が二百メートル程あった為に、ただでさえ冷えていた体
が更に冷えてしまった。
「大丈夫?」
「うん……まぁ」
普段俺が使っているバスタオルとは素材、作りなどで値段的に二桁くらいは違うであろ
う好感触のバスタオルを被っている。はっきり言ってヒルトン家とかそういうレベルだ。
そんな中エントランスホールに響いたドタドタというスリッパの音。広い階段からエリ
スそっくりのおじさんが降りてきた。
「お父さん!!」
あぁそうなんだ、やっぱり……みたいな感じでボーっと見ていると、二人は早口で何か
を言い合いだした。ドイツ語なのは分かる。ただ、かなりクセのある発音と凄まじい早さ
故、何を言っているのかまでは分からなかった。
まぁ場の空気や単語から洞察出来る事はあった。
「誰だあの貧相な子供は?」
と言っているのであろう事は、アルマーニのスーツに身を包む長身のナイスミドルが俺
に向けて放つ痛々しい視線で察しがついた。そしてエリスがそれについて反論している事
も。まぁ……俺ジャージだし。
「ささ、タカハシ様……お体が冷えるといけないので・・・浴室へ御案内致します」
そんな二人をオロオロと眺めている俺の耳元でボソリとそう呟いたのは、エリスの帰宅
を出迎えたメイドさんだった。
背中を押されるようにエントランスホールを後にしたが、親子喧嘩にエキサイトしてい
る二人は、まったく気付いていないようだ。
「あの……日本語を?」
突如耳元で囁かれたのは、聞きなれた日本語だった。方言的な訛りもない完璧なネイテ
ィブの言葉に、ここは日本なのだから当然だが、それでも一瞬動きが止まってしまった。
「ええ、育ちはドイツでございますが。私の日本語は如何でしょうか?」
「特に問題はありませんし……むしろ現代の日本人としてはそちらがあまりに上手なので、
お恥ずかしい限りですよ」
「恐縮でございます」
くちゃくちゃなるスニーカー越しでも、床に敷かれたカーペットの高級感が確認出来る。
そんな廊下を歩きながら、彼女と会話する。身長百七十センチはあろうスレンダーな体に
ゲルマン系の人によく見られる緑色の瞳、黄色人種にありがちな不自然さのない金髪とい
う風貌は、マンガでしか見た事のない『メイドの典型』で、理知的な雰囲気が何処となく
頼もしい感じがする。
「先程はあのようなお出迎え、大変申し訳ありません」
「いえ、あの……歓迎されるのは慣れてないので」
そう言った俺を振り返る彼女の目が、文字通り『点』になっていた。
「あ……でも、さっきのはお嬢さんのお父さんですよね……僕は歓迎されていないのかなぁ……やっぱり」
何となく感じた居心地の悪さ、こんな豪邸の中では自分の存在がどれほどにまで下等な
のかというのが分かってしまう。
「過去に……ちょっとした事があって、旦那様は殊更エリスお嬢様の身辺をご心配なさっ
ているのです。あれが一つの愛の形だとお思いになっていただければ……」
「………。僕には親はいないし、そういう意味での愛ってのも少し分からない」
彼女の狼狽の仕方は、その完璧を絵に描いたような姿からはちょっと想像出来ない程だった。
「でも……彼女がお父さんを見る時の目は・・・理解を請う目だった」
「………」
「彼女が友達と言ってくれた。名に恥じないように頑張ろうと思う」
銀製の取っ手、真っ白な両開きのドア、その前で立ち止まった彼女がノブを捻り開いた
先には、銭湯もびっくりといった規模の脱衣所が広がっていた。
「お着替えはこちらで用意させて頂きます、ごゆっくりお温まりになってください」
そりゃぁーもう、見事な大浴場だったね。シンクロのワールドカップでも出来るんじゃ
ねぇかって疑っちまうくらいだったよ。
んで、風呂上がって……用意されてた着替えを見て俺ぁ驚いたね。まさかエルメスの
シャツやらなんやらで……上から下を合計して軽~く五万は超えてたね………。
「あのー……」 廊下を覗く。見回す必要はなく、真正面にメイドさんが立っていた。
「どうかなさいましたか?」
「これは……」
既に袖を通し、履いてしまったのだから今更それが間違いだったなんて言われても困る
のだが……。妙に肌触りの良いシャツと、大衆的なデザイン(そのクセにセレブ御用達の
ブランドで、値段はまったく大衆的でない)のデニムは、若干俺のサイズに合わずに大き
い。用意されたなかなか底の厚い靴を履いているのに、裾が床をすっている。
「申し訳ございません、お気に召しませんでしたか?」
「いえ……じゃなくて……こんな服用意して頂いて………いいんですか?」
その場しのぎでいいワケだから、まさかこんなトコロにまで気を使うとは思わず……
少々驚いている。
「えぇ……とてもお似合いですよ」
一瞬間を置いた後、彼女は続けた。
「ただ、恐縮ですがやはり……邸内で先程のような御格好は……」
「あの、でもこれ……」
「お気になさらなくても結構でございます。執事室の方で負担させて頂きますので、ご遠
慮なさらずに……お受け取り下さい」
こんな時、日本人の習慣なら「いやいや、そんな立派なモノは……」という遠慮が入る
のだろうか。しかし、こういう時は相手の顔……この場合はエリス家なのだろうか、そう
いった部分を尊重して受け取るべきなのだろう。
しかし……
「馬子にも衣装……だね」
ボソリと呟いた。身形を立派にしただけで、このセレブな(今にも押し潰されそうな圧
迫感)雰囲気にいても、先程までしていた畏縮がなくなっている。精神的に楽になるなん
てのは予想以上に簡単なようだ。それこそ馬子にも衣装ってヤツで。
「……?何か仰いましたか?」
振り返ったメイドさんが訊ねる。
「いや………服、ありがとうございます。大事にしますね」
そう答える。すると、彼女が新種の生物でも見るような目で俺を見つめた。
「あ……いえ、そんな……恐縮です」
一瞬だったが、傍目には完璧に見える彼女の素の姿を見たような気がした。
まー……俺も殺し屋としての教育を受けていたワケだけど、そういうトコロでは幾分人
間臭かったようだ。個人の資質だったのか……それとも育ての親の素をいつの間にか受け
継いでいたのか……子供ってのは大人が考える以上に親って存在を分かっているようだから。
ただ一つ言えるのは……十二歳になった頃になって俺は個性を持ち始めて、トモハラさ
んがそれについて悩み始めたのもその頃……。個性を持って子供らしくなった事が良い事
なのは分かるけど・・・それは結果として彼女の贖罪の気持ちを大きくしたんだと思う
と……ちょっとエリスとの出会いを恨んでしまいそうだ。何故なら、あの出会いはそれを
想像も出来ないスケールで助長してしまったのだから。
「タカハシ!!」
メイドさんの案内で通されたのは
「これ、君の部屋?」
その昔、仕事としてトモハラさんと泊まったラスベガスのロイヤルスウィートも真っ青
だろう巨大なサイズ(もはやキングサイズとも呼べない)のベッドが思いっきりナチュラ
ルに置かれたその部屋は、下手なミニシアターよりはるかに大きい。所々に置かれた女の
子らしい家具や置物、ヌイグルミが辛うじて人がそこで生活している事を教えてくれている。
「その服!」
「あ、似合う?」
「格好良いじゃん!!」
エリスの弾んだ声が、掃除は如何にしてやっているのか気になるくらいに高い天井に響
く。中央に設置された天窓から降り注ぐ夏の日差しは、幾分と夕焼け色だ。
「そうだ、サラ……紹介しよう。コイツがいつも話しているタカハシね」
彼女にそう言われて俺に向けて最敬礼したのは、俺の背後、この部屋の入り口に立って
いた先程のメイドさんだった。
「遅れ馳せながら、ノヴァトニー家に仕えますサラです。タカハシ様の事は日頃よりお嬢
様から伺っておりました」
いえ、そんなご丁寧に、と身振り手振りを加えてから
「こちらこそ、タカハシです、よろしく」
そう言った。こんなに丁寧な自己紹介をされたのはいつ振りだろうか。
「それじゃ、サラ……何か飲み物とお菓子を用意して。えっと」
エリスがこちらを向いて、俺の顔をじーっと見つめてきた。
そして
「タカハシは甘いモノが苦手だから、気を使ってね。それと……お茶はあまり熱くないのでお願い」
サラさんの方に向き直って、そう付け加えた。
「かしこまりました」
サラさんが軽くお辞儀をし、丁寧にドアを閉めた。コツコツコツ……といった床と靴底
の当たる音だけが耳に届く。
「さて……そこのソファに落ち着いて、タカハシ」
溜息混じりに、エリスがそう言った。
部屋の片隅に置かれていたソファは、おそらく天然毛皮製の一点モノだろう。一体何人
並んで座れるんだと気になる程だ。それがテーブルを囲むようにコの字型にあり、隅側の
ソファ正面には何インチなのかなんて最早問題ではないのだろう、フラットワイドのテレ
ビが置いてある。実際問題この配置だと番組をちゃんと観られるのはソファでも真正面の
位置に腰を下ろした数人だろう。よく見てみればサイド二つのソファは毛並みの乱れが見
えない。
「こ、これだけ大きければベッドで寝ててもテレビ観られるね」
取り繕うように、俺はソファに腰を下ろした。
すると
「わわっ……」
思わず声を上げそうになるのを堪えた。それ程までに、このソファの柔らかさは予想外だった。
「知らない内にぐっすり寝てしまいそうなソファだね」
「………。ねぇ、タカハシ」
「んぅっ……」
俺は毛皮の海に溺れないように、ソファ上で無様にもがいている。
「さっきは……父がごめんなさい、あんな態度とって」
「………」
「気分悪くした?」
上目遣いで、やっと体勢の落ち着いた俺の目を見つめながら、エリスはそう訊ねた。
「あ、いや……お父さんには内緒にしてね。さっきサラさんから聞いたよ。娘を心配する
親父の気持ちってんなら、よくある事だよ。俺男だし」
「あ……でも、思うに父はタカハシの事、誤解してるのかも」
どういった誤解かは分からないけど、俺のハラの中でとある虫が「それは正しい!」と
言ったような気がした。
背もたれに後頭部を預ける。そうしてみて驚いたが、この柔らかいソファが俺の体の描
くカーブにぴったりフィットして、すごい快適だ。
「俺、頑張るよ」
「ありがとう……」
エリスは笑顔でそう言った。
が、次の瞬間にはグルルルル……、と腹に響きそうな唸り声の効果音が付きそうな程に
彼女が体に力を込めたのが分かった。
「それでもね、あの人は未だに子離れが出来てないの!いつまでも子供扱いでー!!」
俺はもう
「はは、あはは」
と力ない笑いを返すくらいして出来なかった。
その時
コンコンッ
ノックの音。きっとサラさんがお茶を用意して、戻ってきたのだろう。
「どうぞー」
延びのあるエリスの返事が、天井で反響する。
顔を見せるのはサラさんと思った。しかし、お盆を抱えてドアを開けたのは
「お母さん!?いつ帰ってきたの?」
エリスがお母さんと言った。背の高い、何処となくエリスの面影を持っている。モノ凄
い美人だ。十五歳の子供がいるのだから然るべき歳ではあるのだろうが、ルックスといい
スタイルといい、美人の現在進行形だ。
「ついさっき。噂のタカハシさんがいらっしゃると聞いて駆けつけたの。そうだ、エリス」
「……?」
「お父さんの事はあんまり言わないで上げて。女の子はいつの間にか心も体も大人になっ
てしまうけど父親っていうのはまったくそんな事にはついていけないモノなの。そんなモ
ンで娘はどんどん親離れしていって、父親は急に娘が遠くに行ってしまうモノだから寂し
くなって厳しい態度をとるの」
「聞いてたの?」
「あんなに大きな声を出せば誰だって聞こえます」
そう言い放って、エリスのお母さんがこちらへと顔を向けた。
「あなたがタカハシさんね。私がエリスの母親のニナ・ノヴァトニーです……よろしく」
丁寧な最敬礼。知性の感じられる外見だけどイヤミな部分のない物腰、母親というカテ
ゴリで俺が連想出来る人物像の中では、彼女のような例は二人目だ。学校の授業参観など
で見られるクラスメートの母親達は常にどこかに功名心を忍ばせていて、隙在らばといっ
た目をしている。
「あぁ、あっ……ハジメマシテ、タカハシです」
「ふふ……あなたの事はいつも娘から聞いていますよ。エリスがお世話になってます」
「いえっ……こ、こちらこそ」
とらえどころが無い。
この含み笑いの仕草は、しっかりとエリスに受け継がれているな。
「先程は夫が大変失礼な態度をとったと……ごめんなさいね、あれはあれで我が家に訪れ
る男性への恒例行事みたいなモノなんです……」
すまなそうにニナおばさんが頭を下げると
「そそ、まぁ私に免じて許してあげて」
「こらっエリス」
そんなやりとりが見られた。なにかと早口のドイツ語なので、多少は聞き取り難いが、
二人の顔のほころび方からは何ら殺伐としたものを感じられない。
俺とは違い。
「ところで……そのお父さんだけど」
二人の間に割って入り、俺は声のトーンを落とした。二人が俺に顔を寄せて険しい顔に
なる。
「先程からその入り口で立ちっぱなしのようだけど……お茶を持ったままみたいでいらっ
しゃるようなので、冷めない内にどうかと」
そうなの?といった感じの顔になった二人が、かなり足早に、足並を揃えて部屋のドア
に近付くと、勢い良く開け放った。
「あなた……」
「お父さん……」
二人の声が重なる。そこには、なんだか突如蛇に出くわしてしまって硬直している小動
物のような感じを覚えるエリスの父親が、リチャード・ジノリのティーセットとスコーン
の乗ったトレイを抱えたまま突っ立っていた。
「あなた……一緒したいならば言ってくだされば」
あちゃー、といった感じでエリスは頭を抱えていた。
メイドさんの案内で通されたのは
「これ、君の部屋?」
その昔、仕事としてトモハラさんと泊まったラスベガスのロイヤルスウィートも真っ青
だろう巨大なサイズ(もはやキングサイズとも呼べない)のベッドが思いっきりナチュラ
ルに置かれたその部屋は、下手なミニシアターよりはるかに大きい。所々に置かれた女の
子らしい家具や置物、ヌイグルミが辛うじて人がそこで生活している事を教えてくれている。
「その服!」
「あ、似合う?」
「格好良いじゃん!!」
エリスの弾んだ声が、掃除は如何にしてやっているのか気になるくらいに高い天井に響
く。中央に設置された天窓から降り注ぐ夏の日差しは、幾分と夕焼け色だ。
「そうだ、サラ……紹介しよう。コイツがいつも話しているタカハシね」
彼女にそう言われて俺に向けて最敬礼したのは、俺の背後、この部屋の入り口に立って
いた先程のメイドさんだった。
「遅れ馳せながら、ノヴァトニー家に仕えますサラです。タカハシ様の事は日頃よりお嬢
様から伺っておりました」
いえ、そんなご丁寧に、と身振り手振りを加えてから
「こちらこそ、タカハシです、よろしく」
そう言った。こんなに丁寧な自己紹介をされたのはいつ振りだろうか。
「それじゃ、サラ……何か飲み物とお菓子を用意して。えっと」
エリスがこちらを向いて、俺の顔をじーっと見つめてきた。
そして
「タカハシは甘いモノが苦手だから、気を使ってね。それと……お茶はあまり熱くないのでお願い」
サラさんの方に向き直って、そう付け加えた。
「かしこまりました」
サラさんが軽くお辞儀をし、丁寧にドアを閉めた。コツコツコツ……といった床と靴底
の当たる音だけが耳に届く。
「さて……そこのソファに落ち着いて、タカハシ」
溜息混じりに、エリスがそう言った。
部屋の片隅に置かれていたソファは、おそらく天然毛皮製の一点モノだろう。一体何人
並んで座れるんだと気になる程だ。それがテーブルを囲むようにコの字型にあり、隅側の
ソファ正面には何インチなのかなんて最早問題ではないのだろう、フラットワイドのテレ
ビが置いてある。実際問題この配置だと番組をちゃんと観られるのはソファでも真正面の
位置に腰を下ろした数人だろう。よく見てみればサイド二つのソファは毛並みの乱れが見
えない。
「こ、これだけ大きければベッドで寝ててもテレビ観られるね」
取り繕うように、俺はソファに腰を下ろした。
すると
「わわっ……」
思わず声を上げそうになるのを堪えた。それ程までに、このソファの柔らかさは予想外だった。
「知らない内にぐっすり寝てしまいそうなソファだね」
「………。ねぇ、タカハシ」
「んぅっ……」
俺は毛皮の海に溺れないように、ソファ上で無様にもがいている。
「さっきは……父がごめんなさい、あんな態度とって」
「………」
「気分悪くした?」
上目遣いで、やっと体勢の落ち着いた俺の目を見つめながら、エリスはそう訊ねた。
「あ、いや……お父さんには内緒にしてね。さっきサラさんから聞いたよ。娘を心配する
親父の気持ちってんなら、よくある事だよ。俺男だし」
「あ……でも、思うに父はタカハシの事、誤解してるのかも」
どういった誤解かは分からないけど、俺のハラの中でとある虫が「それは正しい!」と
言ったような気がした。
背もたれに後頭部を預ける。そうしてみて驚いたが、この柔らかいソファが俺の体の描
くカーブにぴったりフィットして、すごい快適だ。
「俺、頑張るよ」
「ありがとう……」
エリスは笑顔でそう言った。
が、次の瞬間にはグルルルル……、と腹に響きそうな唸り声の効果音が付きそうな程に
彼女が体に力を込めたのが分かった。
「それでもね、あの人は未だに子離れが出来てないの!いつまでも子供扱いでー!!」
俺はもう
「はは、あはは」
と力ない笑いを返すくらいして出来なかった。
その時
コンコンッ
ノックの音。きっとサラさんがお茶を用意して、戻ってきたのだろう。
「どうぞー」
延びのあるエリスの返事が、天井で反響する。
顔を見せるのはサラさんと思った。しかし、お盆を抱えてドアを開けたのは
「お母さん!?いつ帰ってきたの?」
エリスがお母さんと言った。背の高い、何処となくエリスの面影を持っている。モノ凄
い美人だ。十五歳の子供がいるのだから然るべき歳ではあるのだろうが、ルックスといい
スタイルといい、美人の現在進行形だ。
「ついさっき。噂のタカハシさんがいらっしゃると聞いて駆けつけたの。そうだ、エリス」
「……?」
「お父さんの事はあんまり言わないで上げて。女の子はいつの間にか心も体も大人になっ
てしまうけど父親っていうのはまったくそんな事にはついていけないモノなの。そんなモ
ンで娘はどんどん親離れしていって、父親は急に娘が遠くに行ってしまうモノだから寂し
くなって厳しい態度をとるの」
「聞いてたの?」
「あんなに大きな声を出せば誰だって聞こえます」
そう言い放って、エリスのお母さんがこちらへと顔を向けた。
「あなたがタカハシさんね。私がエリスの母親のニナ・ノヴァトニーです……よろしく」
丁寧な最敬礼。知性の感じられる外見だけどイヤミな部分のない物腰、母親というカテ
ゴリで俺が連想出来る人物像の中では、彼女のような例は二人目だ。学校の授業参観など
で見られるクラスメートの母親達は常にどこかに功名心を忍ばせていて、隙在らばといっ
た目をしている。
「あぁ、あっ……ハジメマシテ、タカハシです」
「ふふ……あなたの事はいつも娘から聞いていますよ。エリスがお世話になってます」
「いえっ……こ、こちらこそ」
とらえどころが無い。
この含み笑いの仕草は、しっかりとエリスに受け継がれているな。
「先程は夫が大変失礼な態度をとったと……ごめんなさいね、あれはあれで我が家に訪れ
る男性への恒例行事みたいなモノなんです……」
すまなそうにニナおばさんが頭を下げると
「そそ、まぁ私に免じて許してあげて」
「こらっエリス」
そんなやりとりが見られた。なにかと早口のドイツ語なので、多少は聞き取り難いが、
二人の顔のほころび方からは何ら殺伐としたものを感じられない。
俺とは違い。
「ところで……そのお父さんだけど」
二人の間に割って入り、俺は声のトーンを落とした。二人が俺に顔を寄せて険しい顔に
なる。
「先程からその入り口で立ちっぱなしのようだけど……お茶を持ったままみたいでいらっ
しゃるようなので、冷めない内にどうかと」
そうなの?といった感じの顔になった二人が、かなり足早に、足並を揃えて部屋のドア
に近付くと、勢い良く開け放った。
「あなた……」
「お父さん……」
二人の声が重なる。そこには、なんだか突如蛇に出くわしてしまって硬直している小動
物のような感じを覚えるエリスの父親が、リチャード・ジノリのティーセットとスコーン
の乗ったトレイを抱えたまま突っ立っていた。
「あなた……一緒したいならば言ってくだされば」
あちゃー、といった感じでエリスは頭を抱えていた。
「じゃぁ私は門まで彼を送っていくから」
タカハシは館の使用人と両親、オールスターの状態で盛大に見送られた。
玄関をくぐると、空にはうっすらと一等星が見えていた。
結局、ばつの悪そうなエリスの父親も参加した茶話会は、その後一時間続いた。その間、
娘の話には身を乗り出してオーバーリアクションを取り、逆にタカハシのする話には露骨
に興味のない態度をとっていた。そしてテンションの続かなくなったタカハシの隙を突く
ように、エリスの父親は話題をエリス、又はノヴァトニー家へと移した。その度にニナが
すまなそうな顔でタカハシに
「ごめんなさいね」
といった感じの目配せを送っていた。
「なんだか張り詰めちゃったよ」
天を仰ぎながらタカハシが息を吐いた。
「ごめんね、タカハシ」
「あ、いや……そういう意味じゃなくて……なんだかホンモノのお金持ちの家って初めてで」
エリスも一緒になって空に目を向け、星座の線を探し始めた。
「それに」
「それに?」
エリスがおうむがえしに訊ねる。
「いや……なんでもないよ」
一瞬間を置いた後、タカハシが目線を下げて百メートル先の門へと歩き出した。エリスが
訝しい顔でその背中を追いかけた。
タカハシは、その間の中で先程の事を思い出していた。『歓迎されるのは慣れていない』
それはどちらかというと『歓迎されないのは慣れている』という言い方であったが、サラ
に話したときのあのリアクションを思い出すと、どうも言い出しにくかった。
そしてそれは、一時間程前にもやってしまった、とタカハシはひどく後悔した。
「ねぇタカハシ?」
追い付いてきたエリス。
「ん?」
「さっき……なんでお父さんがあそこに立っているのが分かったの」
(そらきたものか)
態度に出さないように、タカハシは鬱陶しそうにエリスとは反対の拳を握り締めた。
彼がドアの前で聞き耳立てるエリスの父親に気付いた時、その場にいたノヴァトニー家
の人達は、見事なまでに鳩が豆鉄砲くらったような表情をしていた。
「……わずかにドアが揺れて、風かなとも思ったんだけど……その直後にブルーマウンテ
ンと焼きたての美味しそうなスコーンの香りがしたからね。お父さんだと思ったのは、同
時に香水の匂いもしたから………だね」
ポカーンとした表情のエリスが横目で見える。
過去にタカハシは、この過酷な殺人訓練で鍛えた超人的な感覚を人前で披露した結果、
化け物扱いを受けた。それは学校生活でも同じで、度々その変わり者のレッテルで損をし
ていた。
またやってしまった、タカハシの心境はそんな感じである。
再び天を仰いで、そして今度は手の平でその顔を覆った。夜空に向かって溜息が伸びて
いった。
「はぁ……」
「あなたって変わってるのね!えっと……ニンジャってヤツ?」
タカハシの溜息を気にする様子もなく、エリスが興奮した様子で訊ねた。訊かれたタカ
ハシはずっこけそうな勢いで左肩から崩れ、目を見開きながら一瞬で立て直す。
「驚いたな……気味悪くないのかい?」
「ん~……」
タカハシの問いに、エリスは顎に人差し指を当てて、自分の左脳を見上げた。しばらく
すると、木陰で真っ暗になった虚空から聞き惚れてしまいそうなソプラノな声が聞こえた。
「誰にも特技はあるんじゃないの?」
「………」
二人が暗闇を抜けると、ガーデンランプの灯りでエリスの美しい顔が浮かび上がる。タ
カハシは黙ってそんな彼女の顔を見つめている。
傍らの草原からクツワムシの生命観溢れる鳴き声が聞こえてきた。
「私はただ、凄い!って思っただけなんだけどなぁ……」
「………」
「それにタカハシは暑いのに毎日あんな鍛えてるからね……強くて感覚が鋭くて頭が良
い……ヒーローみたいで格好良いじゃん」
「……そんな事言われたのは初めてだよ」
門の前に辿り着くと、大きなそれは勝手に横へスライドした。
タカハシが門の外に出る。すると、それを確認して門が閉められた。
「それじゃぁ、また明日」
門戸越しにエリスが手を振る。
「この服ありがとう。大事に着るよ。……バイバイ、エリス」
抑揚のない声でそう言うと、タカハシは踵を返して去っていった。
タカハシは館の使用人と両親、オールスターの状態で盛大に見送られた。
玄関をくぐると、空にはうっすらと一等星が見えていた。
結局、ばつの悪そうなエリスの父親も参加した茶話会は、その後一時間続いた。その間、
娘の話には身を乗り出してオーバーリアクションを取り、逆にタカハシのする話には露骨
に興味のない態度をとっていた。そしてテンションの続かなくなったタカハシの隙を突く
ように、エリスの父親は話題をエリス、又はノヴァトニー家へと移した。その度にニナが
すまなそうな顔でタカハシに
「ごめんなさいね」
といった感じの目配せを送っていた。
「なんだか張り詰めちゃったよ」
天を仰ぎながらタカハシが息を吐いた。
「ごめんね、タカハシ」
「あ、いや……そういう意味じゃなくて……なんだかホンモノのお金持ちの家って初めてで」
エリスも一緒になって空に目を向け、星座の線を探し始めた。
「それに」
「それに?」
エリスがおうむがえしに訊ねる。
「いや……なんでもないよ」
一瞬間を置いた後、タカハシが目線を下げて百メートル先の門へと歩き出した。エリスが
訝しい顔でその背中を追いかけた。
タカハシは、その間の中で先程の事を思い出していた。『歓迎されるのは慣れていない』
それはどちらかというと『歓迎されないのは慣れている』という言い方であったが、サラ
に話したときのあのリアクションを思い出すと、どうも言い出しにくかった。
そしてそれは、一時間程前にもやってしまった、とタカハシはひどく後悔した。
「ねぇタカハシ?」
追い付いてきたエリス。
「ん?」
「さっき……なんでお父さんがあそこに立っているのが分かったの」
(そらきたものか)
態度に出さないように、タカハシは鬱陶しそうにエリスとは反対の拳を握り締めた。
彼がドアの前で聞き耳立てるエリスの父親に気付いた時、その場にいたノヴァトニー家
の人達は、見事なまでに鳩が豆鉄砲くらったような表情をしていた。
「……わずかにドアが揺れて、風かなとも思ったんだけど……その直後にブルーマウンテ
ンと焼きたての美味しそうなスコーンの香りがしたからね。お父さんだと思ったのは、同
時に香水の匂いもしたから………だね」
ポカーンとした表情のエリスが横目で見える。
過去にタカハシは、この過酷な殺人訓練で鍛えた超人的な感覚を人前で披露した結果、
化け物扱いを受けた。それは学校生活でも同じで、度々その変わり者のレッテルで損をし
ていた。
またやってしまった、タカハシの心境はそんな感じである。
再び天を仰いで、そして今度は手の平でその顔を覆った。夜空に向かって溜息が伸びて
いった。
「はぁ……」
「あなたって変わってるのね!えっと……ニンジャってヤツ?」
タカハシの溜息を気にする様子もなく、エリスが興奮した様子で訊ねた。訊かれたタカ
ハシはずっこけそうな勢いで左肩から崩れ、目を見開きながら一瞬で立て直す。
「驚いたな……気味悪くないのかい?」
「ん~……」
タカハシの問いに、エリスは顎に人差し指を当てて、自分の左脳を見上げた。しばらく
すると、木陰で真っ暗になった虚空から聞き惚れてしまいそうなソプラノな声が聞こえた。
「誰にも特技はあるんじゃないの?」
「………」
二人が暗闇を抜けると、ガーデンランプの灯りでエリスの美しい顔が浮かび上がる。タ
カハシは黙ってそんな彼女の顔を見つめている。
傍らの草原からクツワムシの生命観溢れる鳴き声が聞こえてきた。
「私はただ、凄い!って思っただけなんだけどなぁ……」
「………」
「それにタカハシは暑いのに毎日あんな鍛えてるからね……強くて感覚が鋭くて頭が良
い……ヒーローみたいで格好良いじゃん」
「……そんな事言われたのは初めてだよ」
門の前に辿り着くと、大きなそれは勝手に横へスライドした。
タカハシが門の外に出る。すると、それを確認して門が閉められた。
「それじゃぁ、また明日」
門戸越しにエリスが手を振る。
「この服ありがとう。大事に着るよ。……バイバイ、エリス」
抑揚のない声でそう言うと、タカハシは踵を返して去っていった。
「こういうのは初めてだよ……日本のお祭りは変わってるね」
満面の笑みで、エリスは人差し指から垂らした水風船を手の平でバウンドさせた。
「とにかくこう……エンニチは店のオッサンとかの活気を楽しんだりするのも醍醐味のひ
とつっていうかなぁ。こうやって金魚やヨーヨーをぶら下げながら闊歩してるだけでも楽
しめるだろ?」
境内のはずれから遠巻きに往来を眺めるタカハシとエリス。エリスの足元で腰を浮かせ
ながら座るタカハシは膝の破れたジーンズにTシャツ焼けがハッキリと見えるタンクトッ
プ姿で、金魚の入った袋を手首から提げている。
「それに……」
「よく似合ってるよ。日本の祭りによく合った色だね、その浴衣」
タカハシにそう言われたエリスは顔を赤らめながら、己の足元に視線を落とし、胸元ま
で上げていった。黒を基調に、鮮やかな朝顔の描かれたそれは、裸電球だけの薄暗い境内
の中でも際立った存在感を放っていた。
結い上げた髪の毛は、元々の小顔を更に小さく見せていて、時折往来から外れ一休みす
る人達から羨望や軽い驚嘆の視線を送られている。
「本当に……?」
「十一回目。……さっき軽そうなオニーちゃん達に写真撮られたじゃん」
タカハシがノヴァトニー家を訪れてから一週間、二人はいつも同じ時間、同じ場所で会
い語らった。二人は瞬く間にお互いの言語を、その身に染み込ませていった。お互い、己
の教育係との勉強よりもはるかに早かった。
タカハシは、自宅から程近い神社で行われる町内会主催の納涼祭を、エリスを連れ訪れ
た。日本の夏祭りを見たがった彼女の強引な要求であった。
二人が、お互いの身の上を更に深いところまで話すのにも、時間はかからなかった。
「本当に……?」
「本当さ……でも」
「でも?」
タカハシは大きくゆっくりと溜息を吐いた。
今にも夕立になりそうな空は、薄暗い。
「たまに……こうやってエリスと話している時間……そうやっている俺がいて」
「………」
「人を殺す事をまるで躊躇わない俺もいる。たまにだけど考える」
「………」
「何かのために強くなろうとすればする程……俺が欲しい物が遠ざかっていく気がする
んだ。俺は……俺は」
「………」
「今までは俺を育ててくれた人の言う事に応えていきたかったけど……今はこうしている
時があるって思うと、俺はそのために強くなる事が出来るのだろうか不安になる」
「………。強くなきゃいけないの?」
タカハシは天を仰ぐと、両手でしかめた顔を覆った。
「それ以外で……俺はどうやってここにいる事が出来るのか……見付からないんだ。ここ
まで俺を作った」
左手を浮かせると、それを強く握った。
「これは何かのために存在しなきゃ……今までの事があまりに馬鹿みたいで」
我ながら女々しい、とタカハシは思うと、手を戻した。
「十二回目……」
エリスは結い上げた髪を撫でながら、タカハシにそう言われ苦笑した。
「そう言えばさ……この金魚、どうする?」
袋を摘み上げて、タカハシが訊ねる。
「あー飼いたいな。何かペットが欲しかったから」
「暇だから世話も出来るしな」
意地の悪い笑顔を浮かべながら、タカハシがそう言った。
「あーひどい、お互い様じゃん」
いつの間にか境内から臨める往来の人気が薄くなっていた。静けさを帯びてきた。
「もう……終わりなんだねー」
「祭りの後の『ああ、終わってしまったんだな』っていう寂しさを日本人は美感に訴える
モノだと言い伝えているんだ」
寂しいような、嬉しいような、いわく言い難い表情を浮かべるエリスの横顔を見て、タ
カハシはそう言った。
彼の方を向いて、エリスは
「あぁ……そう言えばシェイクスピアもメランコリーを重大なひとつの要素として物語を
書いていたそうね」
感慨深げな顔をして言った。
「………」
「金魚、水槽に入れようか……もう帰らなきゃね」
エリスが一歩踏み出す。下駄と石畳が当たり、カラコロと小気味良い音を立てた。
「あ、ちょっと待って」
タカハシが後ろからエリスの手首を取った。
「ちょっとだけ、エリスを連れて行きたいトコがあるんだ」
「………?」
首を傾げるエリスの手を引いて、タカハシは社の裏手へと歩き出した。
「多分ね、静かになったから見られると思うんだ」
満面の笑みで、エリスは人差し指から垂らした水風船を手の平でバウンドさせた。
「とにかくこう……エンニチは店のオッサンとかの活気を楽しんだりするのも醍醐味のひ
とつっていうかなぁ。こうやって金魚やヨーヨーをぶら下げながら闊歩してるだけでも楽
しめるだろ?」
境内のはずれから遠巻きに往来を眺めるタカハシとエリス。エリスの足元で腰を浮かせ
ながら座るタカハシは膝の破れたジーンズにTシャツ焼けがハッキリと見えるタンクトッ
プ姿で、金魚の入った袋を手首から提げている。
「それに……」
「よく似合ってるよ。日本の祭りによく合った色だね、その浴衣」
タカハシにそう言われたエリスは顔を赤らめながら、己の足元に視線を落とし、胸元ま
で上げていった。黒を基調に、鮮やかな朝顔の描かれたそれは、裸電球だけの薄暗い境内
の中でも際立った存在感を放っていた。
結い上げた髪の毛は、元々の小顔を更に小さく見せていて、時折往来から外れ一休みす
る人達から羨望や軽い驚嘆の視線を送られている。
「本当に……?」
「十一回目。……さっき軽そうなオニーちゃん達に写真撮られたじゃん」
タカハシがノヴァトニー家を訪れてから一週間、二人はいつも同じ時間、同じ場所で会
い語らった。二人は瞬く間にお互いの言語を、その身に染み込ませていった。お互い、己
の教育係との勉強よりもはるかに早かった。
タカハシは、自宅から程近い神社で行われる町内会主催の納涼祭を、エリスを連れ訪れ
た。日本の夏祭りを見たがった彼女の強引な要求であった。
二人が、お互いの身の上を更に深いところまで話すのにも、時間はかからなかった。
「本当に……?」
「本当さ……でも」
「でも?」
タカハシは大きくゆっくりと溜息を吐いた。
今にも夕立になりそうな空は、薄暗い。
「たまに……こうやってエリスと話している時間……そうやっている俺がいて」
「………」
「人を殺す事をまるで躊躇わない俺もいる。たまにだけど考える」
「………」
「何かのために強くなろうとすればする程……俺が欲しい物が遠ざかっていく気がする
んだ。俺は……俺は」
「………」
「今までは俺を育ててくれた人の言う事に応えていきたかったけど……今はこうしている
時があるって思うと、俺はそのために強くなる事が出来るのだろうか不安になる」
「………。強くなきゃいけないの?」
タカハシは天を仰ぐと、両手でしかめた顔を覆った。
「それ以外で……俺はどうやってここにいる事が出来るのか……見付からないんだ。ここ
まで俺を作った」
左手を浮かせると、それを強く握った。
「これは何かのために存在しなきゃ……今までの事があまりに馬鹿みたいで」
我ながら女々しい、とタカハシは思うと、手を戻した。
「十二回目……」
エリスは結い上げた髪を撫でながら、タカハシにそう言われ苦笑した。
「そう言えばさ……この金魚、どうする?」
袋を摘み上げて、タカハシが訊ねる。
「あー飼いたいな。何かペットが欲しかったから」
「暇だから世話も出来るしな」
意地の悪い笑顔を浮かべながら、タカハシがそう言った。
「あーひどい、お互い様じゃん」
いつの間にか境内から臨める往来の人気が薄くなっていた。静けさを帯びてきた。
「もう……終わりなんだねー」
「祭りの後の『ああ、終わってしまったんだな』っていう寂しさを日本人は美感に訴える
モノだと言い伝えているんだ」
寂しいような、嬉しいような、いわく言い難い表情を浮かべるエリスの横顔を見て、タ
カハシはそう言った。
彼の方を向いて、エリスは
「あぁ……そう言えばシェイクスピアもメランコリーを重大なひとつの要素として物語を
書いていたそうね」
感慨深げな顔をして言った。
「………」
「金魚、水槽に入れようか……もう帰らなきゃね」
エリスが一歩踏み出す。下駄と石畳が当たり、カラコロと小気味良い音を立てた。
「あ、ちょっと待って」
タカハシが後ろからエリスの手首を取った。
「ちょっとだけ、エリスを連れて行きたいトコがあるんだ」
「………?」
首を傾げるエリスの手を引いて、タカハシは社の裏手へと歩き出した。
「多分ね、静かになったから見られると思うんだ」