Neetel Inside 文芸新都
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◆記憶+倉庫+花びら/フラワーメモリー/ひょうたん



 彼はいつも思っていた。もう少し肩の力を抜いてテキトーにすればいいのに、と。
「どもども、今日もおつかれさんでっス」
 彼も思っていた。1日に1度とはいえ、何と不快なことだろうか、と。
「本日もご苦労様です」
 
 
 
『フラワーメモリー』
 
 
 
「いやぁ、今日もいい天気ッスね」
 軽くて薄っぺらな声。変にトーンが高く、ツンツンと鼓膜を刺激する。彼は何も答えず、錆びついた金属製の扉を開いた。そこは薄暗いが比較的清潔で、大小のダンボールが積まれている。
 ここは某通販会社の倉庫。注文が入るたびにここから取り出され、商品が作られるたびにここに搬入される、数多くある倉庫の1つ。
 彼は単なるここの倉庫番。
 彼は単なるここの運送屋。
 それ以上以下もない。ただ見張るだけで、ただ運ぶだけ。
「今日も無愛想ッスね」
 特に非難した様子もなく、トラックと倉庫を何度も往復して荷物を運び出す。彼はそれを手伝わない。自分は見張るのが仕事で運び出すのは彼の仕事、そう割り切っていたからだ。
 割り切ると言えば聞こえは良い。実際はあまり関係したくなかったのだ。小汚く染まった茶髪、ケラケラと笑みを浮かべる顔、ヨレヨレのツナギ。唯一評価できるのは、運送で鍛えられた身体ぐらいだろうか。
「ちょっとぐらいしゃべってよくないっスか? 長い付き合いっしょ?」
 彼の言う通り、彼らは昨日今日の付き合いではない。少なくとも彼がここの倉庫に来るようになってからずっと彼が守衛だった。白が混じった髪をぴちりと整え、警備員の制服もきっちりと着て、いつもぴしっと真剣な表情。
 ちょっとダンディーすぎやしねぇかい? そりゃ、楽しくない仕事かもしれないけどさ。
「はぁー、あいかわらず無視っスね、そっスか」
 彼も最初から期待していない。程なくして運び出しが終わったのか、彼は出庫手続きの書類に記入し、彼は扉を閉じた。
 いつもなら彼はさっさとトラックに乗って走り出す。彼はそれを見送り、また見張りに戻る。けれどもこの日は、彼はどかりと倉庫の壁にもたれ、その場に座り込んだ。
 さすがの彼も無視できない。用事が終わればすぐ行ってほしかった。それは個人的な理由でなく、自分の仕事的な意味が強かった。
「何をしている?」
「ちょっとおしゃべり、しません?」
 わけがわからなかった。どうして今日に限ってそんなことをするのか、まったくもって意味不明だった。
「運搬会社に通告する」
「あー、それもいいかもしれねぇ。俺、今日で最後なんスよ」
 最後。その言葉が、なぜだろう、変に引っかかった。
「やめるのか?」
「お、興味ありあり?」
 言わなければ良かった。彼は思う。そんな彼の様子に気づき、彼はあわてて取り繕う。
「あ、すんませんっ。決してバカにしたわけじゃないんス」
「構わない。ちょうどいい暇つぶしだ」
「ハハ、違いねぇス。えー、俺ね、もうすぐ結婚するスよ」
「ほう。それは良いことじゃないか」
「そうなんスけどね……それで、ヨメさんの実家の稼業、継ぐことになったんスけど……」
 なるほど、それで辞めるのか。しかし、この様子はまだ先がある。トントン拍子に良い方向に進んでいるのに、なぜそれほど悩むのか。
「俺、こんなんでいいのかなぁーて。この仕事もダラダラ続けていただけだし。結婚して婿養子になって稼業継がせてもらって。俺の生き方、こんなんでいいのかなぁーて、最近思うんスよ」
「たしかに、生かされているだけかもしれないな」
 少し厳しめのことを言ってしまった。が、迷える青年にはちょどいいぐらいだろう。
「それひどくないッスか?」
「本当のことだろう」
「まあ、そッスよ、まあ」
 すっかり元気のない彼を見て、彼は守衛所に戻る。そしてパイプイスを2つ、大きめの灰皿を1つ。缶珈琲を2つ、持って戻ってきた。
「座れ。そして飲め。煙草ぐらい吸うだろう?」
「タバコにコーヒー。すげぇもてなしっスね」
「部外者の守衛所への立ち入りには規定で禁止されているからな。あと酒も出せん」
「あんた、酒呑んでのか?」
 彼は自分の持つ彼のイメージ外のことを言われ、驚いた。そんな彼の様子を見て、彼はニヤリと笑う。
「こんな仕事、酒でもなければやってられないぞ?」
 
 缶珈琲を飲み、煙草をふかす。紫煙が2人を包むころ、彼はぽつぽつと話し始めた。
「私には妻がいた。ちょうど君ぐらいのときに結婚した、唯一の妻だ」
「案外早く結婚したんスね」
「たしかに早かったかもしれんな。私は見ての通り堅物な人間だった。昔からだ。そんな男に付いてきてくれた、妻だ」
「ははは」
「あのころは仕事一筋だった。子供もいない、ずっと仕事が生きがいだった。そんな私に文句1つ言わず、隣にいてくれたんだ」
「いいヨメさんっスね」
「当然だ。でもな……思い出が、ないんだ」
「思い出が、ない?」
「平日は当然、休日もほとんど会話らしい会話をしなかった」
「ああー、なるほど」
「私が仕事のことを考えなくなったのは、定年してからだった」
「なら、今からヨメさんとの思い出、作ればいいんスよっ」
「定年の数年前、死んだ。癌、だった」
 彼は煙草を灰皿に投げ捨てた。彼にかける言葉がない。彼は若すぎた。
「妻の趣味はなんだったのか。好物は? 旅行に行きたかったところは? 得意な料理は?
 子供、ほしかったんじゃないのだろうか。病気はいつごろ発覚したのか。私に打ち明けるまで独りで病気を抱え込み、何を思ったのか。
 私は、あまりに、知らなさすぎた」
 ごくり。缶珈琲が尽きる。
「でもな。唯一、記憶に残っているのがな、笑顔なんだ。妻の笑顔。向日葵のような笑顔だ。
 定年後、結局仕事以外に生きがいはなかった。今はこうしてくだらない倉庫番をしているが、何もない時間、妻の笑顔を思い出そうと、ずっと物思いにふけっている。
 しっかりとは思い出せない。でも、それでいい。今の私には向日葵は眩しすぎる。そこからこぼれる1枚の花びらのような、小さな記憶でもいい。それを、集めて、妻を想いたいんだ」
 彼はタバコを捨てた。缶コーヒーはとっくに空になっていた。
「少年」
「は、はいっ」
「妻を、大事にしなさい。私のことは反面教師にしなさい。私からは、これしか言えない」
 フィルターだけの煙草、空になった缶珈琲。少年をこの場に止める理由はない。この暇つぶしも、もう終わりだ。
「俺、行きます」
「ああ」
 トラックに向かう。最後の光景。今までとは違って見える光景。
「少年」
「はい?」
「結婚、おめでとう」
 彼は笑う。見たことのない、初めて見る、笑顔。
「あざっス!」
 少年も笑って応えた。トラックが走り出す。
 少年はもう来ない。でも、心配はしない。きっと大丈夫だろう。
 
 昨日まではずっと妻のことを考えていた。明日もきっとそうだろう。でも今日ぐらいは、少年の未来を祝福し、祈ろう。
 
 
 
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