くじで出たお題で小説書こうぜ企画
hunger(空腹、飢え、渇望)/いない子帰る/泥辺五郎
いない子に物語を読み聞かせている。
聞きたい、とない口がせがむので。
聞かせて、とない耳をこちらに向けるので。
最終広場にやってきのは年寄りのアフリカ象でした。広場の外から遠巻きにゾウを眺める人たちは溜め息をついています。だってその広場に辿り着いてしまったものは、もう生きてはそこを出られないから。
象は芸を始めました。鼻でボールを蹴ったり、十メートルほど飛び上がって宙返りしたり、立派な牙を地面に突き立てて自ら折ったり。
それらはどれもこれも大変見事な芸ではありましたが、誰も拍手を送るものはおりません。最終広場の中で何が行われようと、その物音もその感動も外に伝わることはありません。無音の中跳ね回るゾウを見る人たちは次第に減っていきました。
一つの芸が終わるたびにしぼんでいくゾウの体はもう人間よりも、犬よりも小さくなっています。
消えてしまう最後の一時までゾウは芸を続けていたのでしょうか。見えないので誰にもわかりません。おしまい。
いや、といない子が言う。
もっと、といない子が続ける。
赤くも白くもない舌を出して。
とある路地裏には地獄がありました。皮膚の裏返った男の身体には無数の穴が空いており、そこには女の顔をした芋虫が出入りしております。何百匹も。何千匹も。男は血を吐きながらも嬉しそうな声をあげて、裏返った身体をのけぞらせています。
地獄の光景はあんまり長く見つめてはいけません。私は少し見とれすぎてしまいました。足の指が全て親指に変わっておりました。
きゃっきゃと嬉しそうにいない子が笑う。
せがむように、ない手を叩き鳴らない音を響かせる。
妻が気の触れたものを見る目つきで私を見る。
いつまでそんな独り言を繰り返すの。
あの子はもういないのだから、それは悲しいしつらいことだけれど、いつまでも引きずられていても仕方がないじゃないの。あなたがそんなだから、私も思い切って悲しみに沈めないじゃないの。本当は何もかも投げ出して一日中寝て夢の中であの子に会っていたいのに。あなたがいつまでもそんなだから、あなたがどうしようもなさすぎるから、私がしっかりするしかしようがないじゃないの。あの子じゃなくてあなたが死んでいてくれたら、なんてことまで思うことがあるの。そんなこと本当は思いたくはないの。この上あなたまで失いたくはないの。
ねえ、あなたのやってることはただの現実逃避じゃないの。亡くなった娘がまだそこにいるような振りをして。作家になりたかった夢を思い出して物語を読み聞かせたりして。そのどれもが断片的で。抽象的で。辛気くさくて。気味が悪くて。
あなたが言い張る「いない子」にはあなたが必要なのかもしれないけれど、私にとってもあなたは大切なの。元気に明るく、とは言わないけど、正気に戻って、くらいは言わせて。でないと私までおかしくなってしまう。
いない子はうっとりと、ない耳を傾けている。
妻の声はいない子をとても落ち着かせてくれる。
今度は明るくて楽しい話にしようか。
私には大変可愛い、五歳になる娘がいます。絵本を読み聞かせてあげるととても喜び、せっかく寝かしつけようとしていても、目を輝かせて聞き入ってしまい、いつまでも起きていることもあります。そんな時は、まだ物語の途中でもいい加減に筋をこしらえて、おしまいにしてしまいます。唐突な展開に娘は驚きながらも、お話というのはそういうものなのだ、と独り合点をしているようです。妻は、そういう時はとにかくハッピーエンドにしてあげなさいよ、と私を叱ります。
ある日、久しぶりに有給を取って家でのんびりしていた私は、夕方、妻に代わって娘を幼稚園に迎えに行きました。今日はお父さんが来てくれましたよ、と幼稚園の先生が言って娘を連れてきます。少し眠そうにしていた娘の目はすぐに輝きを取り戻し、お父さん、お話聞かせて! と開口一番に叫びました。私は、帰ってからね、と娘に言いました。それより、幼稚園の話をお父さんに聞かせて欲しいな、と私は逆に娘に話をせがみました。道すがら、娘はたどたどしい口調で幼稚園での生活を語ってくれました。乱暴な園児のことや、その子にびんたした女児のことや、それは自分だったことや、おっぱいの大きな先生や、砂場の中に埋まっていたきらきら光る石のことなど。
娘は話をしながらも、それらが物語のようには劇的でもなくはっきりした結末もないことに不満なようでした。現実なんてそんなもんだよ、とは言えませんでした。そのせいか、娘は新しいお話を聞きたがりました。早く家に帰りたがりました。繋いでいた手を離して勢いよく道路に飛び出しました。信号は青になったばかりで、急ぐ様子のトラックが信号無視をして突っ込んできました。
でも幸い、ぎりぎりのところで難を逃れて娘は無事でした。
いない子がいなくなっている。
妻もどこかへ出かけてしまったらしい。
玄関でチャイムが鳴っている。
あたしはトラックにかすったけど無事でした。無事っていうか命が助かったというだけで重傷で左手と右足が義手で義足だけどとりあえず歩けます。義足はともかく義手はギシュッ! ていう効果音みたいで響きは気に入ってるけどまだ使いこなせてはいませんビームも出ません。
お父さんはあたしがトラックにひっかけられてすっ飛んだ光景を目にして以来時間が止まっちゃって、「あ、死んだ」て思ったらしくてその時からお父さんの中のあたしは死んだままです。死んだあたしはいない子になったけどお父さんの周りではいることになっていてお父さんはいないあたしに話しかけていろんな物語を聞かせているとお母さんから聞きました。最近ではお母さんがいくらあたしはまだ生きていると言い聞かせても勝手に自分の中で言葉を変換しているんだって。変換とかあたしの語彙にはないけどこうして話せるのはお母さんの言葉を丸写ししてるから。お父さんがあたしに会いに来てくれない間、病院のベッドであたしはたくさんの物語を半分機械仕掛けの体に取り込みました。主に漫画。『クウォーターウォーターライン』とか『パラボラステンドクラック』とか。五歳のあたしにはまだよくわからないところがいっぱいあったけれど、それでもあたしなりにそういう物語を今度はあたしからお父さんに聞かせてあげたいと思いました。お母さんに聞くところによると、お父さんが見ている「いないあたし」は物語をせがむばかりで自分から主体的に何かをするようなところはないみたい、だってあたしは死んだまま成長していないから。いつまでもお父さんの記憶の中の幼いあたしのままだから、ってあたしもまだまだ幼いけれど。幼いなりに矛盾もいっぱい抱えているけれど。
とにかくあたしは自分の足で家に戻れる日が来たら、あたしが知ったいろんな話をお父さんに聞かせてあげると決めたのでした。おしまい。
チャイムは鳴りやみ、ドアが叩かれている。
いない子の声が外から聞こえてくる。
立ち上がると足が痺れていてうまく歩けない。
(了)
注:『クオォーターウォーターライン』『パラボラステンドクラック』はともにスコッティ先生作の新都社漫画。