Neetel Inside 文芸新都
表紙

くじで出たお題で小説書こうぜ企画
sister(姉妹)/フェンス越し/硬質アルマイト

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 この物語は終わりに近付いている。
 もし私が、私の半生を文章として書き起こすとしたならば、そんな始まり方で文字を打ち込んでいくだろう。
 墜ちかけの陽が放つ橙の光が私の影の存在をとても強く、そしてそれからゆっくりと弱っていくかのように薄くなっていく。そろそろ滲むように広がる橙はやがて深い青の海に飲みこまれて行き、やがて酸素を失って死に絶えるだろう。
 小さな箱庭のような屋上の縁に腰をかけ、そして足を宙に遊ばせながらぼんやりと空を見つめ続ける。浸食され続けた橙は一体どこへと向かうのだろうかと幻想的な思考を抱きながら。
 コンクリートを固めて作られた縁はやけに無感情的で、冬の風に吹かれて冷たさを孕んでいる。おまけに空に近いからか、風は中々に冷たかった。薄い服を着た私の身体は冷え切っているし、震えも止まらない。
 いや、この震えは多分、寒さとはまた違った意味合いをもっている気がする。私が今抱いている「罪悪感」からくる震えなのではないか。そんなことを考えるが、やがてどちらにせよ確認する術はないのだからと考える事を止めた。

――私は先程、妹を殺害した。

 ぎしり、と不意に扉が開いた気がした。びくり、と身体を更に震わせ、フェンス越しに扉を覗きながら、私は全神経をそちらへと集中させる。
「貴方、何をしているの?」
 女性が一人、私を見て、そうしてから口を手にやった。
「その手……血なの?」
 首を傾げてから自らの手を見て、そして驚いた。
 右の手も左の手も、手首から指先までまるでペンキを塗りたくったように赤かった。私はどうやって妹を殺したのだったろうかとしきりに考え、この真っ赤な手とつなぎ合わせて考えてみるのだが、それでも結局思い出すことはできなかった。
 いや、それ以前に何故私はここへ来たのだろう。自らの身体を投げ捨てようという考えからここへやってきたのはすぐに分かるが、ここまでの道中一体どうやって来たのだろう。
「何も分からない。妹を殺したこと以外、何も……」
「妹を……?」
 ぐるりと回転する脳を制御しようと試みるが全くもって上手くいく気配がない。視界が反転する。嘔吐感が喉元からせりあがってくる。胸を掻き毟りたくなる。

――飛び降りたくなる。

「駄目」
 がしゃりと、錆びが生じたフェンスを女性が思い切り揺らしたことで、私の意識が“こちら”へと回帰した。
「死なないで」
「……」
「何故妹を殺したのか、どうしてそうなったのか、どうして貴方がそうなったのか、全部私に吐き出してほしいの」
 初めは、女性が一体何を言っているのかがよく分からなかった。こんなネジの外れかけた人間を何故引き止めるのだろうか。
 女性は、私と視線が同じになるように、しゃがみこむとフェンスごしに静かに微笑んだ。こんな偶然あるものなのね、と呟くと、彼女は私に向けて言った。
「私も昔、姉を殺してしまったの」
 その告白を聞いて、暫くはうまく理解ができなかった。そして少しづつ彼女の言葉を消化していき、やっと全てを飲みこめたと同時に、何故か不意に視界が滲んだ。
 そんな私を慰めるかのように、彼女は手をフェンスにねじ込むと私の頬に触れ、優しく撫でてから、少し掠れた声色で呟く。
「私なら、貴方の話を聞いてあげられる気がするのよ。同じ姉妹を手にかけてしまった者同士、ね……」
「……何も、分からないの」
「なら、貴方の妹のお話をして。そうしたらきっと、頭の中の整理もついて思い出せると思うわ」
 この偶然に、私はただひたすらに涙した。それまでけして信じはしなかった神に、感謝の念すら抱いてしまった。
「……話して」
 ゆっくりと頷くと、私は目を瞑り少しづつ妹との生活を、少しづつ思い出し始めた。

   ―――――

 妹が私と距離を置くようになったのは、私がとある男性と関係を持つようになってからだった。その男性は私の職場でとても仕事の評判がよく、人あたりも良いできた人間であった。
 それと対比するように私は仕事で大きな成果を上げた事もないし、取り得と言えば誰にでもわけ隔てなく関わり合える、いやどちらかといえば八方美人でい続けることで交友関係は取り持てていたことくらいだった。
 だから、彼に誘いを受けた時はとても驚いたのだ。

 いつものように、だるさを孕みながらも必死に時間を潰し、そしてとうとう耐えきれなくなって休憩所へと逃亡していた時だった。私はぼんやりと適当な作りの紙コップに泥水のようなぬるいコーヒーを飲みながら部屋の中央に設置されたベンチに腰かけていた。
 ベンチに張られたシートは非常に堅いし、おまけに近くに分煙室もあるので若干なりとも煙の臭いがしてくる為、私はああどこにも逃げ場などないのだろうなといつものように落胆しながら、いつ仕事に戻ろうかと決めあぐねていた。
 そこで、彼はやってきたのだ。彼は休憩室に入り、コーヒーをまずそうに飲む私の顔を見てから一度微笑み、そして私の隣に座る。
「静香さん、週末空いていないかな?」
「私、ですか……?」
 彼はいつも周囲を照らす明るい笑みを浮かべると、一度だけ頷く。私はその笑みと、突然の誘いに戸惑い、うまく言葉を出せなくなり、どう答えようかと必死に思考を巡らしていた。
「嫌?」
 この言葉に対して、私は咄嗟に首を横に振る。彼は多分縦か横に振ってくれるだけで良かったのだ。
 当然、彼は私の返答に対して、更に笑みを増すと「よかった」と呟いて、それから私の手に一枚の紙を握らせると職場へと戻って行ってしまった。
放心状態となりながら握らされた紙きれを覗くと、そこには週末の待ち合わせ場所が記載されていた。多分、人気があるということを自覚しているからこその、彼なりの配慮だったのだと思う。

 それから私と彼の付き合いは続き、それに伴い互いに想いは深くなっていっていたと思う。互いに貴金属や値の張るものは求めなかったし、食事も大抵入りやすい居酒屋等だった。元々堅苦しいところが苦手な私はそれで十分だった。
「あれ、姉さん」
 そんな出来事が数回続いていった時、ふとした時に私と彼は妹と出会ったのだ。
「美希、偶然ね」
 妹は会社の飲みの帰りだと言ってから、ちらりと彼の方を見る。
 私は彼と妹を何度か見てから、なんだか私がとてもみすぼらしい存在のような、そんな感覚を覚えた。妹は昔から容姿が整っていたし、誰からも好かれる存在で、人あたりも良かった。何度か彼女に嫉妬さえ覚えたが、彼女の姉であることがなんだか誇らしかったこともあり、今でも友好的な姉妹でい続けられていた。
「あ、この人、良平さんていうの」
「ふぅん」
 彼はよろしくと言ってから、暫くじっと妹の方を見てから、私の顔を見て、そして微笑む。この時もし私が妹よりも可愛かったならば、もう少し堂々としていられたのだろう。

 だから、そう、思い出した。この時にもっと私が彼を惹きつけられていれば、“こんなこと”にはならなかったのだろう。


「美希!」
 乱暴に扉を開けて私はベッドに腰掛ける妹を思い切り押し倒した。怒りにかられて顔をゆがめる私を見て、それでも彼女は微笑み続けていた。
「痛いよ、姉さん」
「良平さんに何したのよ!」
「何って、飲みに誘っただけよ」
 ただ日常の一ページを切り取ったように、彼女は答えるとそれの一体どこが、と呟いた。
 妹は彼とのラインができてから、よく彼と会話をするようになっていた。それだけなら良かったし、彼も妹はとても面白い子だねと会話のタネにする程度であったからよかった。
 けれど、その関係はやがて何かいびつなものとなっていっていた。
「良平さん、貴方と寝たって……」
 それを聞いて、妹の顔に少しだけヒビが入る。
「飲んだ後、酔った勢いで……って。でも、あの人もあなた酔い潰れるような弱い人じゃないこと、知ってるのよ」
「……そっかぁ、言っちゃったんだ」
 それだけ呟いてから私の手を払うと彼女は起き上がり、そして一度大きくけ伸びをし、そして隅に置かれた机の引き出しを開ける。
 粉末状の何かを手に取ると、彼女は微笑んだ。
「“これ”、意外と効き目が良くて」
 一体粉末がどんなものかは分からないが、それでも一つだけ言える事は、妹は私の彼を奪えるかもしれないと考えた、もしくは寝てみたいと考えたことであった。
「貴方、何を考えてたの? そんな子じゃないじゃない」
「姉さんの眼には、私は優等生に見えていたの?」
「どういうことよ……?」
「期待ばっかりされてる私と違って、何もかも自由にさせてもらえる姉さんが私は憎かったのよ。なんで私ばかりが上を目指さなくてはいけないんだろうって考えたこともある。しかも、私がなにもかもを放り投げて糞真面目に生きている中で、あなたはぼんやりしながらも、幸せを掴んでいく」
 多分、それは全て今まで溜まっていたストレスや鬱憤からくるもので、それが彼を寝とったという事実に繋がるわけではない。だが、それでも今の私の破裂しそうな程の感情には、とても有効な言葉であった。
「道を外れたかった。だから、とても手っ取り早いのは何かって考えてた時、貴方と彼が偶然現れたのよ」
 拳に力が入る。ただ偶然私達を見つけて、自分のストレスのはけ口になりそうだと感じて、そうして行動に起こした。何もしていないではないか。八当たりではないか。
「それで、彼に後悔を与えて、私を起こらせて、それで満足?」
「……ええ」
 それからは、もう何も分からなくなった。
 視界は白くて、まるで意識だけが身体から放り投げ出されたような気さえした。冷静に考えれば大事になるような出来事でもなければ、妹と縁を切るだけで済んだことだったのかもしれない。
 原因がどこにも見当たらない。日常に突然非日常が飛び込むと、人はここまで生活のバランスを崩してしまうものなのだろうか。
 そうやって思考を巡らせているうちに、全ては済んでいた。

 気がつけば、両手を血に染めた私が立っていて、目の前には事切れた妹が横たわっていた。開いたままのその瞳は何も映してはおらず、まるでよくできた人形のように、妹はそこにいた。

   ―――――

「そうして、貴方は後悔と自責の念に駆られてしまったのね」
「もう、彼のところにも戻れない……」
 滲むようにして出てきた涙を赤い手でぬぐいながら私は下を覗き込む。車が際限なく走り続け、全てが妙に整った動きを続けている。まるで決められているかのように、一台一台が同じ動きを……。
 幸い人はあまりいない。いや、今更そんなことを考えるつもりもない。
「けれども、死んでしまうのは、とても辛いわ」
 彼女はそう言うとフェンスの間から手を出し、私の背を撫でる。その手はとても温かくて、とても優しく感じた。
 視界に色が戻る。灰色に見えて距離感のよく分からなくなっていた世界に意識が戻って行く。と同時にその吸い込まれそうな程の距離にえもいえぬ恐怖感を感じ、私は怯んだ。
「貴方が罪を感じるのなら、死をまだ恐怖だと思えるなら、戻れるわ」
 その言葉が、私をゆっくりと引き戻していく。
「おいで」
 振り返った時、彼女の笑みが、フェンス越しに見えた笑みが、とても柔らかくて、それでいて全てを告白した私を受け入れてくれた彼女を見たら、全て赦されたよううな感覚がして、それで……。

 私は、戻ったのだ。

 フェンスを乗り越えてから、私は暫く彼女の胸の中で泣きじゃくった。その間彼女はただ無言で私の背を優しく撫で、そして言葉にならない私の口からあふれ出る文字の数々をひたすらに頷き、感じとってくれていた。
 多分、私はこの人に会えなければ、ずっと、死んだとしても気持ちの整理ができなかったのだろうと思う。

 暫くして落ちついた私は、一度だけ深く息を吐きだすと、うん、と呟いた。
「これから、どうするの?」
「自首して、罪を償おうと思います。もう彼にも会えないと思うし、全てがゼロになってしまうけれども、私はもう少し考えるべきだと思うから……」
 そう言うと、彼女は一度だけ優しく微笑んだ。
「貴方がそう決めたなら、そうすると良いわ」
「また、罪を償い終わってから、会ってくれますか?」
 あなたは命の恩人だから、という言葉はなんだか恥ずかしくて、言葉にできずに結局胸の奥にしまってしまった。
 彼女は頷くと、待ってると言ってくれた。
 さて、と私は立ち上がると、自らの行ったことに対して清算をしなければならないと思い、屋上を後にしようと思い立つ。
 思い立って、それから私はふとした疑問を覚え、彼女に問いかけた。
「貴方は何故、姉を手にかけてしまったのですか?」
 彼女は一度笑うと、そうね、と少しだけ考えてから、口を開いた。

「同じ顔が二つもあると、ややこしいじゃない?」


   おわり

       

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Neetsha