新都社作家の小説の書き方アンソロ自慰
匿名作家B編
・文章
こんなん好みです。
ぐちゃーっとしたのが好きって人もいれば、さらさらっとしたのがすきって人もいるし。テキトーっすよ。
ただ、話の雰囲気に合った文章だといいかもしれません。
読み手の年代に合わせた熟語にしてみるとかね。よく難しい単語をドヤって使う人いるけど、あんまし意味ない。蛇足っていうか。
最近はあんまり見かけないかな。四文字熟語辞典ひかなきゃ出てこない熟語、しかも書いた次の日には本人さえ忘れてるようなやつをさあ使っても偉くないからっていう。
七年前の俺ですけれども。ええ。
推敲はした方がいいです。
でも書くことがキモチイイってタイプならいらないです。読者のことを考えないならトーゼンいらない作業。
でも読者がどう考えているのか、なにを考えているのか、それを推測していかないと物語の緩急の調整をする技量が上がりません。
自分が書きたいから書いてるのか。
誰かに読んでもらいたいのか。
このへんはハッキリさせといた方がいいと思います。
うるせー書きてーんだよバカっていうならコメントなんか無視すればいいし、読んで欲しいなら苦しむしかないです。
どんな文章でも書ける!というやつがこないだ見かけましたが、
自分の味となる根幹の文章リズムは身に着けておいた方が俺はいいと思います。
好みの文体の作家さんの本を見つけたら、何度も読んでみるといいです。
俺は一番好きな作家の本は最長で6巻を七週読みました。
・ストーリー
俺の場合ですが、どっかで見た話は書かないです。
自分以外のやつにも書けるな、と思った話は無理です。
たとえどんなに頑張っても、裏設定考えても、展開に波作っても、妄想CV考えても、前例があったら、それ読めばいいし、俺が書く意味ねーなって思うからです。
でもそんなに都合よくいかないんでパクるわけです。
誰も思いつかなかったパクリ方ってのがオリジナリティってやつなんじゃないでしょうか。
でも、こーゆータイプはすぐ枯渇してウジウジ言って消えていくので、
ありがちな話でもなんでも書いてランクアップしていくのがよいです。
長編一本書き上げるとやっぱり何か変わる、かなあ。
面白いかどうかはともかく、愛着をもてる話を考えてほしいです。
機嫌悪いからあいつ殺した、とかは、自分の考えた話に失礼だと思うのです。
まあノリも大切なんですけれども。
あと、「自分はこう考えてるんだ! どうしてわかってくれないんだ!」
これは一番マズイです。伝えられてないあたりで失敗してることに気づいていない。
これは泥沼です。素直に反省した方がいいです。
俺の経験上、過剰に気合入れた小説ほどコケます。
テキトーに手を抜くことも大事かもです。
受賞とかアニメ化とかメディアミックスとか印税とか声優と結婚とか妄想してるとヤバイです。
例外なくコケてます自分。
・正しいなんてことはありえない
小説作法なんて詐欺です。
そんなのないんです。絶対運命の人と結婚する方法とか、幸せになる方法とか、それと一緒です。
ただ書かなければ始まらない。書いてもなにも始まらないかもしれない。
そんだけです。
だから好き勝手やっちゃえばいいんです。
自分がやりたいことをやればいいと思います。
読者を意識することで、自分のよさが死ぬなら、読者なんて無視です。
ここが難しいところです。
なんだかんだ言っても、やっぱ読者はいてほしい。
でも媚びてしまえば話の質が下がる。
でもまったく媚びなければ一人よがりで終わってしまう。
引き分けを目指す綱引きみたいなもんです。
俺は、十人の読者に「つまらない、ひどい、このゲス野郎」と言われても、
たったひとりに「俺の読みたかった話はコレだ」と言ってもらいたいです。
人気作家には絶対になれません。誰かに評価もしてもらえません。
でも、たったひとりだけは俺を一番好きでいてくれる。それでいい。
こんなやつもいるってことを心のどっかに留めておいてもらえたら幸いです。
・読書
書きたきゃ本を読めと言われるでしょう。
ぼくもそう思います。
だいたい、本を読めといって読まないのはエロゲオタです。
彼らは性質上、エロゲで感動してきた経験が多く、お気に入りの絵師と豪華なBGMとあのでかい箱の満足感を知ってるために小説をぶっちゃけナメてる場合が多いです。
べつにいんじゃね?と思って長い間、眺めていましたが、どうもやっぱダメっぽいです。
お話の作り方は、エロゲでもいいかもしれません。
でも、あれ絵と文字なんですよね。
だから、エロゲで育った物書きは「動」の描写がすげえ苦手なんじゃないかって思います。
そして、映画で育った物書きはこの「動」の描写がバツグンに優れています。
ついでに言うと、エロゲの文章は背景と立ち絵、CGに頼って描写ハショってる部分があるんで、そのままのノリで小説書くと説明不足で死にます。
よって、本を読むことで基本的な文章のリズムを脳みそに馴染ませ、映画を見て「このシーン小説だったらこう表現するな」とか考えつつ、エロゲもたまにやって性欲と親しむ。
これが新世代の物書きスタイルと言えましょう。
・書けないときは書かない
やらされてる感ほど創作意欲をぶち殺すものはありません。
最近はやたらとみんな「書け!書け!」といいますが、どう考えてもゴミにしかならないと判断したら書かなければいいと思います。
俺はテンションがあがらないとき、まあいまなんですが、こんな風に暇つぶししたりします。
しかし書けないと思っていてもひょっこり書けたりするので、書き始めてみることは大事です。
そのままぶわーっと20kbくらいイッたことも多々あります。
でも、正直、無理して書いても仕方ないです。
だって、小説ってセンス一発勝負なんだから、最高のモノにできないとわかっていながら書くって、俺はあんまり好きじゃないです。
もちろんそういう努力が実を結ぶこともあります。うだうだ言ってて書かないのが物書きにとって一番死に近い行動にあることも間違いないです。
でも、俺は無理しなくていいと思います。
うーん、でも、拘りすぎて一歩も進めなくなることもあるから、とにかく書くってのも大事なんですよね。
要はバランス?
たとえば、日常シーンとかだったらちょっと手抜いてちゃらんぽらんでもま、いっか、ってなるかもだけど、
やっぱり山場のクライマックスとかはちゃんと書かなきゃ、みたいなね。
これは俺の持論なんですが、何メガバイト、何ギガバイト書こうと、ぜんぜん偉くないと思います。
ほんの一文、ほんの一言、絶対に誰にも真似できないものを表現することの方が偉いと思います。
・いらない情報は書かない。
描写において、読者が何を知りたいと思いながら読んでいるか想像してないと無駄な描写が混じるわけです。
女の子が泣いているシーンで、その女の子が座っている椅子の描写の例文を作ってみましょう。
例文:まどかが泣いている。まどかの座っている椅子は綺麗なつやつやした木製で、ぼくはそれが駅前のデパートで買ったものだと気づいた。ぼくは彼女に近づき、肩をそっと叩いた。
なにがいらないかおわかりだと思います。
これも状況描写なのは間違いないですが、そんなどこで買ったの何製だの書くくらいなら、一週間前に同じ椅子に笑ったまどかが座っていたことを思い出した、とか、その姿が泣いているまどかと重なった、とか、そのシーン全体を補強する文節を組み込んだ方が雰囲気出るしスムーズです。
なにを書いていいのかわかんないからとりあえず埋めた臭がぷんぷんしますね。
細かいところですが、こういう水を差すような空気読めてない描写がテンポを悪くしたり、ストレスフルになったりします。
・プロット
明確なイメージが脳みそのなかにあるなら、作らなくてもいいです。
でもなにも考えてないのにノリで書いていくのは、楽しいけど、無理がきます。俺はプロットなしで書いたことがないので、どうなるのかはわかりませんが。
メモ帳で2kbくらいでもいいから、エンディングぐらいは決めておくといいと思います。もっといいエンディングが思いついたら、べつにそのとおりにしなくてもいいわけですし。
・現実は小説より雑なり?
現実はつまらないかもしれませんが、一番リアリティがあるのは間違いないです。
何を見てもネタにしちゃう子は強いです。無敵です。
つまらない!と切り捨てるのではなく、なにか拾えるところがあるんじゃないか、と目を凝らして見た方が俺はいいと思います。
・まとめ
いろいろ穿った見方をしたかもしれませんが、オリジナリティのあるアドバイスをいえたかなって思うのは、「映画見ろ」ですね。
動きの描写だけは文と絵ではどうにもならんです。
あらゆる娯楽に興味関心を持っている人は強いな、と思います。以上。
駄文失礼。