Neetel Inside ニートノベル
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第十九話 停学処分

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 ガシャ―――――――ン……と檻が閉じて、格子をガタガタ揺さぶりながら、
「おれじゃない! おれはやってない! おれは無実なんだーっ!」
 ――と叫ぶのは、人生で一度だけ体験してみたくて、そしてすぐに助け出されたいシチュエーションだと思う。
 しかし、いま問題なのは、おれが間違いなく有罪であり、動物病院の大型犬用の檻はビクともせず、目下脱出の目処が立っていないことだ。
 冷たい格子は謎のべとつきにまみれて触りたくもないので、おれはその場で地団駄を踏んで喚き散らすことしかできない。
「ナメんじゃねーぞカツミィ……人間様をこんな場所にぶちこんでタダで済むと思ってんのか!」
 カツミは軽蔑の念を隠しもせずに、ゴミでも見るような目つきをおれに向けてきた。
「おまえ自分が何したかわかってるのか? 蒼葉を殴って停学喰らっておれたちみんなに迷惑をかけたんだ」
「ふん……べつにいいじゃねーか、てめえらの世界では喧嘩も停学もなかったんだからよ」
 エンいわく、これはおれ以外の五人が蒼葉と接点を持つ可能性が極端に少ないため、おれの世界で起こったことが他の世界へ反映しなかったとかなんとか。
 難しいことはわからないが、とにかく、おれはまずいことをしたが、それはべつに問題なくやり過ごせた。
 なのに、どうして監禁されたりしなきゃいけねえんだ?
 おれは勝った。
 勝って罰を受けるなんぞ道理が通らん。
「納得できねえ。こんなの納得できるかってんだよ。おいマナ! 聡志! おれをここから出しやがれ! なに黙ってガン飛ばしてんだよ、見世物じゃねーんだぞオラァ!」
 おれは檻を蹴飛ばして怒号を飛ばしたが、聡志もマナもカツミの背中にこそこそ隠れている。
 その目には明らかにおれを咎める色があった。
 聡志は眼鏡のつるを押し上げた。そうすれば、おれの心がより詳しく見えるかのように。
「クロ……君には理性がないのか? どうして我慢できない? 困ることになると思わなかったのか?」
「てめえらを困らせた覚えはねえ。期末の倫理がおめえの担当になったくれえだな、そいつァ悪かった謝るよ。だが、犬小屋にぶちこまれるほどじゃねえって言ってんだッ!」
「ぶちこまれるようなことだよ……もし、僕ら全員が連動して停学になってしまったり、蒼葉とトラブルになっていたらどうするつもりだったんだ? 僕はいやだよ、あんな人に目をつけられるのは……」
「ハン、現実が嫌ならずっとこっちにいればいいんだ。誰も頼んで向こうに出張れなんて言ってねえんだよ」
 おれは、喋りながら、不思議と暑さを感じなかった。
 気温よりも、おれの体温の方が高かったからかもしれない。
「いいか、あの状況で蒼葉と話し合うなんて選択肢はなかった。あいつはキレてたし、それをどうにかするには、殴るか、冷たい水をぶっかけるかしかなかった。そしてあの廊下に水道なんかねえのは、てめえらだって知ってるだろうが。
 おれのなにが間違っている? あの蒼葉になめられてみろ、次の日にゃあ、おれはケツの毛まで毟られてるよ。あいつはああいう女だ。だが、そう悪いやつでもない。おれはとっくにやつと仲直りしてるんだぜ。なにが問題なんだ? おれの生活に、どうして、てめえらが口出しをする?」
「それは、おれたちがチームだからだ」
 カツミはこれまでもう、何十回、何百回と繰り返したセリフを吐いた。
「バラバラのままじゃ、おれたちは、この状況を切り抜けられない。何度言ったらわかるんだ。いい加減、おれたちの意思を汲み取ってくれよ、クロ」
「いいや、バラバラでいいんだ。人間ってのは元々バラバラな生き物なんだ。集まったり、力を寄せ合ったりするのは、それが必要なときだけでいい。いつもベッタリする必要はないし、責任や義務なんてものは自分を守る範囲内でしか意味がねえ。
 裏切り、裏切られる。それが当たり前だ。それが生きるということなんだ。おれは、おまえらがおれに不都合をかけても、怒り狂いはしても理不尽だとは思わねえ」
「呆れた」マナが吐き捨てるように言った。
「本当に、こいつが、もう一人のあたし? 信じらんない。親の顔が見てみたいわ」
「てめえが毎朝見てきた顔だよ。もっとも、性格までは同じじゃないがな」
「あんたのとこの父さんと母さんはロクデナシなのよ。うちと一緒にしないで」
 おれは思わず笑ってしまった。腹がよじれるほど笑い、膝を叩き、涙が滲む。三人が呆気に取られてその場に立ち尽くしていた。
 全力疾走した後のように、だんだんと息を整えてから、おれは言った。
「そうよ、その通りよ。おれとてめえらは所詮、一緒にできない存在なんだよ。赤の他人だ。同じ名字、同じ誕生日、同じ家、同じ親、同じ歳! そんなものがなんだ? おれが溝口や一ノ瀬と違うように、おれとてめえらも違うんだ。
 チームだと? 笑わせるな。一人が嫌でくっついてるだけじゃねえか。おれは好き好んでてめえらの仲間になった覚えはねえ。ただ、てめえらといれば夕飯の準備が少しだけラクになる。それだけよ」
 カツミは、自分とまったく同じ顔をした男の口から出たセリフをにわかに受け入れがたかったらしい。
 反論もせずに、鈍痛をこらえているような顔つきで割れたビーカー類が散乱した床を睨んでいた。
 が、やがて掠れた声で言った。
「停学の間、頭を冷やせ。ふん、ここは実世界よりも反省しやすい環境だな、皮肉なことだが」
「おい、ちょっと待て、なに普通に出ていこうとしてやがる。おれをここから出せッ!」
 扉からマナと聡志を押し出したカツミは、首だけでおれを振り返った。幽鬼のような、血の気のない顔色だった。
「食事は持ってきてやる。排泄はそこでしろ」
 おれは背後を振り返った。
 汚れた檻の隅っこに、木の桶とご丁寧にトイレットペーパーが一巻き置いてある。
 おれはとうとう激昂してべとついた格子を両手で掴んでガタガタ揺すった。ビクともしない。
「てめえ! 人間にすることじゃねえぞ! 留置場だってもう少し人権について考えるところがあらァ!」
「人間?」
 カツミは鼻で笑った。
「おれには、おまえが同じ人間に見えないときがあるよ、駆郎」
 扉が閉まると、院内は途端に静かになった。
 もちろんだが、周囲の檻に生き物の影はない。タオルケットと抜けた毛、空っぽの水入れとエサの食い残し。
 ただかつてそこに、熱い息を吐きながら存在していた生命の残り香だけが、漂っている。
 とても臭い。






 汚らしい檻の中で、できるだけ床との接触面が少ないように体育座りしながら、おれは一人きりで過ごした。
 食事はたまに聡志が運んでくる。が、どうせカツミの入れ知恵だろう、煮込んだ豆やらインスタントスープと冷たく固まった米やら、やたらリアルな刑務所風のメシばかりだった。
 食えば出るものもある。
 当然、思い出したくもないが排泄もした。
 人間は小便も漏らせば糞も垂らす。
 冷房のない室内を、外からじりじりと太陽が焦がしているわけで、においもだんだんきつくなってきた。
 が、おれは耐えた。
 時々、目頭に涙が滲んだのは、タマネギを刻んだり、煙を浴びたときと同じ、ただの生理現象に過ぎない。
 ぽたぽたと滴った塩水の玉を、おれは手の平に乗せてゆらゆらと転がした。飽きたら握りつぶした。手が洗えないので、あまり目をこすったりしたくない。髪の毛を闇雲にガリガリとひっかいたらフケが胞子のように飛び散った。
 かなりマジな囚人生活だった。
 おれは、最初はカツミたちに対する怒りを感じていたが、自分でも驚いたのだが、スゥっとそれが消えていくのがわかった。
 代わりに涌いてきたのは反省の念でも後悔の気持ちでもなかった。
 気だるさだ。
 おれは、こんな思いまでして、連中とつるむつもりはない、と思った。
 こんな風に閉じ込められたり、一方的に生殺与奪を握られたりするくらいなら、一人きりの方がいい。
 おれは、飼い殺されるくらいなら死ぬのを選ぶ。というか、選ばざるをえない。
 いま、体育座りで虚空を睨んでいる自分の姿を心の奥から俯瞰するに、おれはこんな気持ちのままで生きていけるようなやつではない。こんなストレスが続けば発狂してしまう。
 ここから出て、まず最初に苦労するのは、カツミを絞め殺さないように自制することだろう。
 おれは、空腹よりも性欲よりも、まず最初に自由に餓えた。
 動き回りたかったし、じっとしていたくなかった。
 夏のぬるい風に身を浸したかったし、セミのうっとうしいざわめきに包まれたかった。
 太陽に肌を焼かれ、手で作ったひさしで地平線まで見渡したかった。
 そのとき、連中が期末テストと少しだけ増えた現実世界のロスタイムに明け暮れているとき、おれのなかで確かになにかが終わった。
 おれの心は、この六人組の一員であることから、急速に離れていった。ひもが切れた風船のように。
 それはもう、どうしようもなく、後戻りできない変化だ。




 停学三日目の晩。つまり、期末試験終了の夜。
 おれは悪臭のなか、体育座りのまま石のようにじっとしていた。やることがない。やりたいこともない。だからなにもしない。
 カツミは停学の間、頭を冷やせと言った。つまり、監禁は停学期間と連動していると考えていいのだろうか。ならばこれは、この檻で過ごす最後の晩ということになる。
 希望的観測をすれば、だ。
 カツミのバカが心変わりすればそれまでだし、おれに反省の色なしと見れば引き伸ばす可能性もある。
 そうなったら、おれは、これから始まる夏休みの間中ずっとここで、ペットみたいにして飼われることになる。
 ぞっとした。涙が出そうだった。いますぐカツミに土下座して謝って靴をなめろと言われたらなめるしケツの穴を出せと言われたら出したかった。
 だが、おれは、絶対にそうはしない。
 弱さを心の中だけに封じ込める。
 たとえ最悪の結果になろうとも、許しだけは請わない。
 それだけが、おれを支えている、おれの基本情報なのだ。
 許してもらってどうなる? 一生、自分を殺して生きていくのか?
 おれはそんなのはごめんだ。
 どんなに寂しくて、一人ぼっちで、心細かろうと、おれは自分を嫌いになるようなマネだけはしない。
 もし、それをやってしまったら、おれはもう自分を許せなくなる。
 おれは、それが死ぬより恐ろしい。
 カツミは、おれを人間には思えない、と言った。
 そうかもしれない。
 人間らしさがどういうものかは知らないが、おれは、おれであることを生命よりも優先している。
 だから、弱音は吐かない。
 この腐った臭いの充満した牢獄で、二の腕を血が出るほど握り締めて、おれは耐える。
 おれは正しい。だが、間違っていたとしても、心中する覚悟で生きている。
 なぜか、風止の顔ばかり頭に浮かんできた。
 いま、会えたら、話ができたら、教えてやりたい。
 強くなりたければ、好きでいられる、好きになれる自分でいろ、と。
 小便と糞の臭いまみれじゃあ、格好つかないセリフだが。
 自嘲気味にうっすら笑うと、扉がギギギ……と軋んで、誰かが中に入ってきた。
 おれはどんより重い目玉で、来訪者の姿を追った。
 ヘッドフォンをつけて、制服は着崩している。
 リカだった。
「いいザマじゃん、クロ」
 おれは笑おうとしたが、うまく笑えず、喉からは踏み潰されたネズミのような声しか出なかった。
 男子三日あわざれば刮目して見よ。まさかマイナス方面でも適用できるお便利ことわざだとは思わなかった。
 リカのやつ、よくこの臭いに我慢できるものだ、と感心したが、よくよく見るとやつは鼻を綿の詰め物で栓していた。用意周到なことだ。
 普段、無口で影が薄いこのリカが、実はかなり切れ者らしいということは、おれとエンしかまだ気づいていないだろう。
 リカは、にやにやしながら、きつい切れ長の目に嗜虐的な暗い輝きを宿らせている。
 どうもおれが弱りきっているのが珍しくて面白いようだ。
 むかつくが、こいつは、かなりおれと気が合いそうな性格をしてやがる。
 おれは霞む目を瞬いて、久々に立ち上がり、リカと檻越しに向き合った……。

       

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