Neetel Inside ニートノベル
表紙

【星辰麻雀】
04.わたしはヘドロ

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 東京タワーには魔女が棲む。
 誰が言い出したのか、ひょっとすると本人が喧伝した末の成果なのかはわからないが、いまのところ<東京タワーの魔女>は占い師として成功を収めている。
 しかし、その占いは手相や水晶を見るようなわかりやすいものではないため、魔女が本式に則った占いをしているにも関わらず、ミーハーからは人気が薄い。
 その代わりに、その秀麗な容姿と反転色の巫女姿から、コアな客層を掴んでいるのだ。
 紙島詩織は、東京タワーの見える位置にある、元喫茶店の廃墟のなかで、その夜も月光を浴びていた。
 何者かの悪戯によって天井が抜け落ちているのだ。
 修理するものもなく、むしろその幻想的空気を愛する詩織によって、その月を頂く冠はそのまま放置されている。
 詩織はカウンターにそのまま座って、青い光のなかを揺らめく塵を見ている。
 無表情、というよりも、言いたいことがあるような、なにか考えているような、どちらとも取れる表情を浮かべていた。
 ぴく、と細い眉が震える。
 機械のように無駄のない動きで、入り口のガラス扉を目が捉えた。
「よう」
 清水は右手を押さえながら、くすんだ笑顔を浮かべて入店してきた。
「儲かってるかい」
「閉店寸前」
 嘘こけ、と親しげに言い、カウンターの丸椅子に腰かける。
 カウンターテーブルそのものに腰かけた詩織を見上げる形になる。
「三年ぶりだな」
「そうだね」
 清水がまじまじと詩織の顔を見上げた。
「――噂には聞いてたけど、もうそこまでいじくると、別人だな」
「あなたの知ってる本当の――――は、もう死んだ」
 黒巫女は爪先をぷらぷら揺らしながら、にぃっと笑う。
「わたしは二代目」
「そう言われたら信じそう、って言おうとしたところだったのに。楽しみを奪いやがって」
「そう? それは御免」
「ふん。その性格、間違いなくてめえだぜ」
「惚れた女のことならわかるって?」
「ははは、おれの知ってる――――は、惚れようのない不細工だったがな」
 さっと月光を雲が覆い隠した。
「冗談とは言わないぜ。おまえさんも、そんなことわかって――」
「二重、しわ、しみ、ほくろ」
 詩織は、データ出力を命じられたマシンのように発声した。
「鉤鼻、角ばった顎、耳、分厚い唇、出っ歯」
 呪文を唱え続ける詩織から、清水は目が離すことができなかった。
 美しさからではなく、妖しさから。
「貧乳、奇形声帯、剛毛、ワキガ、性器――その他十二箇所の骨格の歪み、八箇所の内臓異常――でも、それもすべて過去のこと」
 見つめあいながら、清水は思った。
 その瞳に輝く星のようなきらめきも整形して得たのだろうか、と。
「水に流してあげる。昔のことをいくら嘲笑されようと、そんなわたしはもういない。わたしが、殺してやった。一片の隙間もなく」
「ま、まったくだ」
 気圧されて、いくらか引きつった笑みを清水は浮かべた。
「とんでもねえ美少女になったもんだぜ」
 それは嘘ではない。
 もはや聖母も唾吐く枯れ木のような女は、清水の記憶のなかにしかいないだろう。
 いまここにいるのは、ブラウン・ヘアとブラウン・アイを備えた十代後半のかわいらしい少女だ。
 すると詩織は奇妙な質問を放った。
「わたしの顔に見覚えない?」
「いや、どうかな。ううむ――あっ!」
「?」
 小首を傾げた詩織の無垢な顔に、清水は下卑た歯茎を見せつけてやった。
「幼稚園の頃好きだったゆりちゃんに似てらァ」
「――そう」
「なんだ、誰かモデルに指定して整形したのか? だったら、おれはおまえみたいなツギハギじゃなく、オリジナルの方とお近づきになりたいもんだね」
「それは無理かな」
「なんで? あ、わかった」
 ポンと拳で手の平を打つ。
「なんで最初に気づかなかったんだろ」
「なに?」
 詩織は期待したように前かがみになった。
 清水は自信満々に言い放った。
「ハーマイオニーに似てる」
 夜より冷たい視線を、清水は浴びる羽目になった。






「馬場、天馬」
 詩織は大して興味なさそうにしわだらけの写真を指でつまんだ。
 が、すぐに離した。ひらひらと写真は切なそうに埃とガラス片まみれの床に舞い落ちる。
「こいつを狩るって?」
「ああ、賞金がかかってる。おれとおまえともう一人で山分けだ」
「もう一人のアテは?」
 清水は首を振った。
「じゃあ、いいのがいるよ。<雀導師>なら、わたしの星辰麻雀にも食いついてくるだろうし、腕も確か」
「ジャンドーシ? スペイン人かなんかか?」
「…………。山に籠もって葉っぱとか虫とか食べながら暮らしてる人。でも時々街にふらっと現れて、組の雀荘をぶち壊して雲みたいに消えちゃう。出入り禁止にしたくても、街にいるときは変装してくるから見分けがつかない」
「それで<雀導師>ねぇ。そんな暮らししてるんじゃあ、そいつ結構な爺なんじゃねえのか? 使えるのか?」
 今度は詩織が首を振る番だった。
「二十五。噂によるとそこそこイケメン」
「マジかよ。おれより二つ下じゃねえか」
 がっくりと清水は自分でもわけのわからない落胆を覚えて肩を落とした。
「まァそいつでいいか。決まりだな」
「まだ」
「あ?」
「もし、本当に馬場天馬を首尾よく捕まえて、卓を囲むことになったとしても、わたしは、清水とも導師とも組まない」
「は?」
「麻雀はヒラで打つ。清水と導師が組むのは止めない。でもわたしは一人で打つ」
「おい、じゃあ山分けにならねえだろ、足並が崩れる」
「崩れない」
「意味がわからねえ」
「天馬の金は、あとでわたしたち三人で打って、誰が勝ちなのか決める。それなら、四人打ちのときは足並みはぶれない」
「おまえ――」
「不満?」
「当たり前だ」
「どうして?」
「そりゃあ」
「だって当たり前のことじゃない」
 詩織は柔らかに微笑んでいる。
「わたしは、産まれてきてから、なにひとつ誰かから分け与えられたものはない。真夏の夜の路上に打ち捨てられていた、この身体と、この心は、きっと排水溝のヘドロかなにかが組み合わさってできたもの。穢れた祝福されない呪い。わたしには、親も神も愛もない。自分の明日のお金も、食べ物も、服も姿も力も名前も、なにもかも、奪ってきた」
 少女はすうっと天空へと手を伸ばした。
 装束がめくれ、白蛇のような腕が月光に洗われる。
 空には、満ちたりた月が、かかっていた。
「だから、なにひとつとして、誰かと共有したりはしない。なにもかも、奪って壊す。壊して奪う」





「この世には、綺麗なものなんて、ひとつもない」





 くっくっくっく。
 清水は笑っていた。指の断面から疼き続ける痛みさえ気にならなくなっていた。
「いいよ、おまえ、最高にいい。イカれてるよ。それでこそ、戦い甲斐があるってもんだ」
「決まりだね。導師にはわたしから報を打っておく」
「ああ、頼んだぜ。そうだ、ゲン担ぎにアレやってくれよ」
「いいよ」
 詩織はすっとカウンターの内側に降り立つと、食器棚のガラス戸を開けた。
 なかには、サイ筒が並んでいる。黒い漆塗りの壷を竹で編み囲ったものだ。
 チンチロリンの腕なら清水も詩織もなかなか立つ。
 カウンターに、筒と、小さな五つのサイコロが置かれた。五つとも色が異なる。戦隊カラーだ。
 詩織は慣れた手つきで、筒のなかにサイコロをさらった。
「おれは卜占だか易経だかには興味がねえが」
 そう言う割には不満そうな様子を見せずに、清水は続けた。
「とにかく当たればいい。麻雀もそうだ。ツモればいい。勝てばいい。そしておれは、おまえがここ一番って勝負をハズしたところを見たことがない。だから信じる」

 カラカラカラ
 タン!

 筒がテーブルに打ちつけられた。詩織の手は、それを握ったまま。
 真剣な眼差しで、筒の向こう側を見透かそうとするように、目を細める。
 筒を開け放った。
 清水が拝むように頭を下げて、サイを覗き込んだ。





 目は、一。
 一しかなかった。
 五階建てのサイコロ塔が、清水の荒い息に、揺れていた。






「はははははははっ!」
 清水は大声で笑い始め、席を立った。
「なるほどね、こんな占いなんて役には立たないと? 未来くらい道具に頼らなくたって自分で見通せらァな。その心意気や、よし!」
「ちがう」
 清水の一人騒ぎが静まった。
 詩織は、人差し指で一番上のサイに触れた。
「三」
 一番上のサイだけ払いのける。カウンターを捨てられたサイが滑り、どこかへ消えた。
 ベリーイージーモードのだるま落とし。もしくは天邪鬼な金太郎飴だ。
 月は、三を見た。
「二」
 払い落とす。二。
「六」
 払い落とす。六。
「一」
 払い落とす。一。
 清水は詩織の言葉を思い出した。
 すべてを奪って生きてきた。
 いま、詩織が披露した奪ったものは、技術なのか、それとも、才能か。
 詩織が解説するケだのコウだのの専門用語は清水の耳を素通りし、あとにはただ、戦慄だけが残った。





 勝手なやつ。
 詩織は、まだゆらゆら揺れているガラス扉を頬杖をついて眺めながら、思った。
 いきなり来て、用件をぶちまけて、ひとしきりショーを楽しんで、帰る。まるきり子どもだ。
 しかも、義指の手配まで押しつけてきた。なんて厚かましい。
 昔から、清水はそうだった。
 どこの賭場で会っても清水は明るくやんちゃで、好かれていた。
 自分は違う。
 容姿から、声から、態度から、年齢から、その瞳から、すべてを忌み嫌われ、金を持っていても勝負の舞台に立てないことなんてゴマンとあった。土下座してまで卓に座らせてもらったことさえある。
 勝って嫌われるならいい……勝負師のサガだ。だが、そのサガさえ味わう余裕もないなんて。
 清水はいい。死ぬ時は、ラクに死ねる。
 自分は、ちがう。
 このまま死ねない。泥を啜って生き延びてきただけの人生なんて認めない。
 死んでも死ねない。こんな恨みと呪いを溜め込んだまま死ねば、きっと自分は怪異となって昏い現世を彷徨い続ける。
 永劫に。
 また醜く穢れたものに堕ちて。
 カウンターに降り注ぐ青いスポットライトの真ん中に、折り目のついた写真を拾って置く。
 幽鬼のような生気のない顔。
 まるで、昔の自分を見ているよう。
 なにもかもぶち壊したいけれど。
 いまはまず、こいつを破壊してみよう。
 あめより甘い言葉で囁いて、蠱惑なまなこで心を巣食おう。





















 教えてあげる。






















 わたしが浸った絶望を。

       

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Neetsha