紅塵の根/依存キラ×キラ愛シン
在るべき場所は、ただひとつ。
「何かあったんですか?」
シンの声は、いつもより少し不機嫌な音が混ざっている。
それも仕方のないことだ、と思う。帰宅を知らせるチャイムが鳴って、久々に帰る人を迎えるべく
手を止め、玄関を開けるやいなやずっと無言で抱き締められ続ければ、それは誰だって不機嫌にも
なるだろう。でも、この細身を掻き抱く腕を解くつもりは毛頭無くて。
足りない。まだ口を開けるほど、満たされていない。
「……俺、夕飯の支度が途中だったんですけど」
さっきよりも不機嫌さは濃くなっていて、玄関を開けて「おかえり、キラ!」と満面の笑みで迎え
てくれたシンはすっかり影を潜めてしまった。こんな時、いつもならもうごめん、とかただいま、
とか何かしら言葉を返しているけれど、やっぱりまだ足りなくて。言葉を無視してごめん、痛かっ
たらごめん、と心の中で謝りながら、抱く力を更に強める。
「……っ!」
突然、左の鎖骨あたりに鋭い痛みが奔った。小さな呻き声を上げ、少しだけ腕を緩めて痛みの正体
を探ろうとすると、射抜かれそうなほどの強い光を宿した真っ赤な瞳とかち合う。
ああ、君が加減無しに噛みついたのか。どうりで、痛いと思った。なんて、のんきな事を考えてい
ると、今度は血の滲んだそこを覚えのある熱いぬめりが幾度も行き来しはじめた。
「ねえ、俺さ……何か言ってくれないと理解も出来ないし……不安だよ」
ちゅ、と労るように唇を当て、そのまま柔らかな猫っ毛を預けてくるシンの姿が堪らなくいとしい。
もう大丈夫だよね、と自分と相談してから黒髪にキスをしながら乾燥して貼り付いた唇を開いた。
「……シン分がすごく不足してたから、補充、してたんだ」
「……キラ?」
中将として席に着くことを決めた日から随分経つが、ここ最近は特に忙しくて。押しても押しても
終わらない承認書類だとか、いくら書き換えても終わらないプログラムに追われて家に帰ることす
らままならなかった。この家には、唯一完全に心を許せる君が待っているというのに、一週間も離
れた場所で閉じ込められる結果となってしまっていた。
勿論、自分よりも忙殺されている人間はいる。自分から決めたのだから、我が侭ばかりを押し通そ
うとも思ってはいない。でも、こんなに辛く感じるなんて予想もつかなかったのだ。
本当はもっと色々な理由もあるのだけれど、そんなことを言ったらシンはどんな顔をするか解らな
いから。だから簡単に、補充、という言葉だけで片付けてしまう。
「シン」
離れていた時間を思い返せば、また頭の中で足りない、足りない、とこころが喚きはじめる。
「すき、だいすき、あいしてる、シン」
顔を上げさせ、大して身長差のないその白い肌に口吻た。頬に、耳に、額に、眉間に、鼻先に、ゆ
っくりと一回一回時間を掛けて、乾いた唇が傷付けてしまわないように、口付けた。
シンは擽ったそうに身を捩るけれど、先程まで放っていた不機嫌な空気を見せることもないし、せ
めてもの抵抗だ、と歯を立てることもないし、嫌がって身体を突き放すこともない。
「シン、あいしてる……シン」
そうやって君は、僕を受け入れてくれるから。
頑ななこころを解して寄り添えば、君は太陽のように笑って、君の存在を象徴する燃えるような赤
にこの姿をすべて映して閉じ込めてくれるから。
「キ、ラ……」
そのまま最後に辿り着いた唇で、想いを移していくように深く深く繋がる。
離れていた分を取り戻すかのような性急で遠慮のないそれに、シンは必死で応えようと動きを真似
て絡んでくる。うまく息ができず酸素が不足して苦しいのだろう、はぁ、はぁ、と苦しげな音が上
がっているにも関わらず、シンはキラの痛みを伴う強引な想いは決して一方的なものではないのだ
と懸命に教えようとしていた。
「ありがとう……ただいま、シン」
とろけそうな熱を手放すと、熟れた唇から透明な糸が名残惜しいと伝う。長い長いキスをした上に
そんな感情を表すかのようなものまで目に入れてしまったシンが、上気していた頬をさらに真っ赤
に染め上げた。そしてそれを隠すかのように再び肩口に顔を埋めると、手持ちぶさたになっていた
腕がゆっくりと背に回され、白い指先がきゅっ、と服を掴んだ。
「……おかえり、キラ」
まだ息の上がっている状態で小さく呟かれた挨拶の続きは本当に微かな単語の羅列で。
すき、だいすき、あいしてる、きら、うれしい、まってた、ずっと、おれも──
切なくうなじに掛かる微かな息さえも愛しくて堪らなくて、名前を呼んで、もう一度深く、今度は
足並みを揃えられるように、口付けた。