Neetel Inside 文芸新都
表紙

オナニーマスター白沢
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「ぁあ! やっぱりそぅかぁ」
 調子の外れた言葉遣い、そしてどこか蛇を思わせるような絡みつくような視線。
「誰だっ!」
 先ほどまで笑顔を浮かべていた白沢だったが突然の声に表情を凍らせ背後を振り返る。
「ぉわすれですぅかぁー? ぶちょぉぉぉう!」
 やけに間延びした声、そして過去の経歴を知っているということから白沢はひとつの解を探り当てる。
「まさかその声、矢野(やの)か?」
「ぉんやぁまぁ! ぉぼえてぃてくれたんでぇすね!」
 依然として声の主は姿は見えない。がしかしどこからかパンパンとうれしそうに手をたたく音が聞こえてくる。
「なぜお前がこんなところに!」
 白沢が驚くのも無理はなかった。なにせ、矢野は白沢の元部下だ。それも直属の。確かにコミュニケーション能力に少し難があったがそれでも仕事の出来はぴか一で白沢が気を許す数少ない部下であった。
白沢が仕事を辞めるに当たってかわりに部長になったはずだったのだが、どうしてこんな危険な場所に。
「……米田(こめだ)のやぉうが」
 再び懐かしい名前。米田はというと白沢と対立していたグループのリーダー的存在だった。エリート。生え抜き。親の七光り。言い方はさまざまだったが叩き上げで確固たる地位と実績を勝ち得た白沢とは違い、約束されたレールの上を踏ん反り返って闊歩するいけ好かない野郎だった。
「ぁいつが全部、全部わるぃんだ!」
 やけにイラついた様子の過去の部下に、どこかじりじりと焦がされるような焦燥感を抱かされる。
「たいした仕事ができるわけでもないのに踏ん反り返りやがって。そうだそうだ、あの時だってあいつさえ邪魔をしなければあのプロジェクトは成功していたはずなんだ。俺は悪くない。全部あいつのあいつのせいなんだ。大体、偉そうにするだけで出来もしない事をやろうとするから悪いんだ。大して能力もないくせに出しゃばるからだ。だから俺は悪くないんだ。悪いのは全部あいつで俺は悪くない悪くない。高槻さんもどうしてわかってくれないんだ、俺は悪くないしあいつが全部やったことなのに俺は悪くないのにどうして俺だけがあんな目にあわなきゃならないんだよ。ちょっと仕事が出来るくらいで調子に乗るなよとかあいつ何様なんだよ。何様だっていうんだよ。それに――」
 まるで呪詛のようだ。黙って聞いていた凛はどんどんとヒートアップしていく独り言に寒気を覚えた。
「し、白沢さん?」
 恐る恐る服のすそを引っ張ると、こちらを振り返った白沢も凛と同じような苦々しい表情を浮かべていた。
「大丈夫だ」
 凛を見て何かが吹っ切れたのか、きりりと表情を正してから安心しろと凛の頭を撫でる。
子ども扱いは止めてくださいというのかと白沢は少し構えていたのだが、予想に反し凛は恥かしそうに頬を赤らめて視線を地面へと逃がしていた。その仕草はまるで年相応の子供。いや、これが当たり前なのだ。これからの時代を作っていく子供がこんな忘れられたような土地にいてはいけない。ましてここは戦場。いつ烈火の魔の手が襲ってくるかわかったものではないのだ。
「凛」
「はい?」
 白沢の少しこわばった声に凛はまた不安そうに顔を曇らせる。
「烈火の犯行共通点は話したか?」
「いえ、お聞きしていませんが?」
「そうか……なら確認しておこう」
 そう言って白沢は再び物陰へとゆっくり移動していく。
「烈火は連続放火魔。そしてこちらの役員を何人も始末している危険人物だ」
「はい。そこまでは私も聞きました」
 慎重に物陰に入ると重々しげに語り始める白沢に、たまらず凛はごくりとのどを鳴らす。
「そして奴の標的は私が元勤めていた会社ばかり。もちろん、この場所もそうだ」
「そうだったんですか」
「あぁ」
 依然として白沢の表情は硬い。
「私が推測するに、私怨の犯行で間違いない。烈火は私がいた会社の従業員だろう。そして、いま独り言を呟いている男も従業員だった……」
「まさか、あの人が……」
「……さん?! し……わさん!」
 心臓が押しつぶされてしまいそうな息苦しい空気をぶち破るようにしてノイズ交じりの甘い声がインカムから聞こえてくる。
「啓太か?!」
「あ、よかった。繋がったみたいですね」
「突然ですまないが啓太、今から私の言うことを調べてくれ」
「え? あ、でも白沢さんのアビリティを……」
「それは後で、いい。私は確かめなければいけないんだ」
「わ、わかりましたよ」
 今までとは違ったぴりぴりとした声に気圧されたのか啓太は語尾を小さくすぼめてしぶしぶ了解する。
「すまない」
「気にしないでください。白沢さんがそこまで言うって事は何か切羽詰った状況になっているんでしょうし。いいですよ。それで何を調べれば? 脱出ルートですか? それとも近くの爆破できそうな工場とか火器がありそうな事務所の場所ですか?」
「いや、矢野章吾(しょうご)という人物について調べてほしい。年は二十八で私と同じ会社に勤めているはずだ」
「矢野、章吾。ですか? 少々お待ちくださいね」
 あえてどうしてと聞かない啓太の優しさにほっとするが、もしもの最悪が頭をよぎるとギリリと白沢の奥歯がきしむ。血が出るのではないかと思うほど握り締められた拳を、凛がそっと優しく包み込んだ。
 言葉すら交わさなかったが、白沢は深く息を吐き、ゆっくりと拳を開く。手のひらにはくっきりと爪の痕が残り痛々しさを主張していたが、それも凛がやさしくなでる。
気がつけば手をつないでじっと
「ありました」
「本当か!」
「えぇ。数ヶ月前に退社なさっていますね。原因は何々、会社の多大な損失を与えたためその責任を取って自主退社とありますがいわばクビのようですね」
「もう一つ、烈火の犯罪記録に米田という名前はあるか?」
 もはや白沢の中で答えは出ていたのだが、どうか間違いであってくれと藁をもすがる気持ちで問いかける。
「あります。米田正志(まさし)。記録は……殺人?!」
「そうか、ありがとう」
「あ、ちょっと、本題のアビリティを!」
 一方的に通話を終了させ、瞼を閉じる。大きく息を吸い込み白沢は覚悟を決めて言葉をつむぐ。
「凛」
「はい」
「矢野章吾。それが烈火の正体らしい」
 そうですかともいえず辛そうに俯く凛に、また頭を撫でてから気にするなと言い残し、白沢は物陰から一歩踏み出した。
「矢野! 貴様は越えちゃならない一線を越えたようだな!」 

       

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絵:便所虫,文:只野空気  [website] 先生に励ましのお便りを送ろう!!

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