Neetel Inside 文芸新都
表紙

オナニーマスター白沢
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―― 一.五、石田とフェイスマン 
「くそっ」
 中央支部のとある一室。石田と書かれたプレートが下げられたその部屋はひどく質素で、生活感の微塵もなく、きれいに整えられたベッド、そして木製の机と椅子と小さなクローゼットが申し訳程度にあるだけだった。
「舐めた真似を」
 ダンと大きな音を立てて机を殴り、忌々しげに呟く。その手にはくしゃくしゃになったポストカードが一枚、フェイスマンと呼ばれる男の置き土産だ。
 石田はこれを見つけるとすぐに技術部に調査を依頼、そして重要参考人として捕らえていた白沢を尋問。実にすばやい行動だったが、結果は骨折り損のくたびれもうけ。
 馬鹿にしやがって。内心そう毒づきながらも石田はため息をつき、椅子に体を預け部屋を見回す。もたれた椅子がギシリと音を立て、そして静かに消える。
 石田が見回した殺風景な部屋。それは元はフェイスマンと呼ばれた男の部屋でもあった。石田と同じ釜の飯を喰らい、供に施設の訓練を耐え抜いた二人。衝突する事もあったがそれなりに仲はよかった。魔法が役に立たないとわかるや否やお払い箱になった石田にもフェイスマンは普段どおり接し、石田もまた、欠陥を抱えたフェイスマンの魔法に何も言わなかった。だが、いつの間にすれ違ってしまったのか。
 片や国の役員。もう片方は国の敵対勢力幹部。昔とはずいぶんと変わってたしまった自分達。何が違ったのだろうとふと考えるも、その答えは石田には分からないのだろう。
 事実、その疑問は数年にわたって石田の頭を悩ませている。
 ふと腕時計に目をやり時刻を確認。まとまらない考えを無理やり頭の隅に押しやり、仕事を始めるかと立ち上がる。
 時はすでにフェイスマン襲撃から丸二日が経過していた。
 何も出ないとわかった以上、白沢を拘束しておくのは無意味であり無価値。上の考えた結論と同じく、石田は白沢を釈放する事にした。



―― 二、初仕事と適正 
 クリーニングから帰ってきたままだった淡い紺色のスーツは皺と埃まみれになっており、着ている本人も力なく地面に座り込んでいた。
 外に目を向けようにもそこに扉はなく、切れかけの蛍光灯がジーと低い音を立てついたり消えたりしていた。
 それを見ながらなんとなく、自分の家みたいだと思いながら白沢は目の前にある太い鉄格子を眺める。近くにはさまざまな種類の牢屋もあったのだが、魔法が違うとそこに入れられるのだろうかとぼんやりと考える。
 時はすでに三日は経過していた。と白沢は食事の回数を指折り数えた。
 食事はそれなりの物が運ばれてきたのだが、尋問が辛かった。何度答えてもまるで機械に話しかけているかのように同じ質問を問いかけてくる。頭がどうにかなりそうになりながらも白沢は耐えた。
 ガチャン。と廊下の奥から鍵の開く音が聞こえた。
 もう食事の時間なのかとスーツのボタンで壁に印をつける。
「来い」
 言うが早いか鉄格子が開き、看守に外に連れ出される。何がなんだか分からないまま他の牢から向けられる嫉妬の視線に顔を伏せながら歩き、途中で小さな袋を押し付けられる。
「借りていた装飾品だ」
 押収ではなく借りていたのだと言いたそうなその言葉に白沢は何もいえなかった。
 ぶっきらぼうにそう言う看守は、会話はおろかどうして歩かされているのかの説明しないまま、白沢を引きずるように連れて迷路のように分路が多い真っ白な通路をひた歩き、やがてひとつの扉の前にたどり着く。
「ご苦労」
「はっ」
 敬礼した看守の先には、見慣れた顔がこちらを厳しい目つきでにらんでいた。
「白沢桂。釈放だ」
 どこか気に入らないといった感じの石田。皮肉にも、白沢はその表情を見てやっと終わったかとため息をつく。
「それでは、部屋に案内しよう」
 ピッと電子音が聞こえたかと思うと、扉の近くにあった壁が開く。
 早く行くぞと言わんばかりの石田の表情に、白沢は壁の向こうにあった階段を無言のまま上る。説明がないだとかそう言うのになれてきた自分が嫌だった。
 階段を上りきると、そこは見たことのある風景だった。そう、気絶した中央支部ロビーがそこにはあった。
 手錠こそされていないものの、ボロボロにちかい服装に小さな袋を抱えている。それだけで注目の的になるのはわかりきっていた。なぜか人の多い支部のロビーに出てきてしまったので注目度はさらに増し、ロビーを行き交いする職員達の視線の的となる。
「あ、白沢さーん」
 聞き覚えのある甘ったるい声に顔を向けると、声の主はやはり啓太であった。始めて会った時は気付かなかったが、受付から出て手を振るその姿は、スカートにハイヒールまで着こなしており。まるでOLだと白沢は笑う。
「浅木啓太。私語は慎む事だな」
 そんな白沢とは別に、石田はそう言って啓太を嗜め歩を早める。
 石田が背中を向けるや否や、啓太は石田に向かって舌を突き出していたが、それを見てしまった白沢は苦笑いを浮かべるほかなかった。
「貴様はこの支部で保護する事になった」
「え?」
 ロビーから外に出ると、歩きながら最低限の情報提供。それ以上の説明はなく、白沢もまた無駄だと質問はしなかった。



 無言のまま歩くこと数分。やがてついたのは小さなマンションのような四角い建物。
 この敷地にはいったい何がどれだけあるのかと驚く白沢だったが、そんな白沢を置いて石田はさっさと先に行ってしまう。
 この人には思いやりだとかそういうものはないのかと少しイラつく。
「鍵はバッジだ」
 玄関に立つとバッジを専用の機械にあて、扉を開けた。石田が扉を通り抜けるとすぐに閉まる。なるほどなと白沢も同じようにして袋からバッジを取り出して機械に当てる。
「おかえりなさい。白沢桂」
 やさしげな機械音声。その耳障りのよさに白沢はもう一度聞きたくなって機械にバッジを差し出す。だが、見れば石田はすでにエレベータにいた。あわてて石田を追いかけエレベータに乗り込むと、すぐに扉が閉められる。
 会話もなく、指定の階につくとまた歩き出す。
 少しして、見えてきたやや広めの間隔で置かれた扉のひとつ。502と書かれた前で石田は立ち止まる。
「鍵は入ったときと同じくバッジ。荷物は必要であればまた自分で取りにいくといい」
 言い渡すと石田は来た道を戻り始めた。
 説明はそれだけなのか。とあきれるが、今に始まった事ではないかとあきらめる。
 気を取り直して、さて。と見回した廊下は外に面してはいるものの、透明な板で仕切られている。防犯というやつなのだろうか。板は分厚く、殴ったくらいでは到底傷すらつきそうにない。これでは何かあったときに逃げるのも叶わないだろう。だからいって有事でもない今、傷がついてどうするわけでもないのだが。
 あたりを一通り見終えると、ようやく扉と向かい合う。何の変哲もない普通の物。廊下は厳重に守られているのに扉はずいぶんと手抜きのようだ。
「ただいま」
 バッジをかざし鍵を開け、いつもの癖か誰も居ないとわかっていても挨拶をする。
 中は意外と広く、小さな台所にリビング。トイレとお風呂は別々。まさにいたせりつくせりだった。流石は国家機関だなと感心する。
 キッチンに行くと冷蔵庫の中に食材まで完備している。ビールはなかったが、中にあったオレンジジュースを手に取り、一気に飲み干す。生きている意味を見つけられた気がした。
 喉が潤ったからか先ほどまでの対応の悪さなど忘れて、部屋の良さに上機嫌となってスーツの上着と持たされた袋を風呂にある脱衣所に放り込む。洗濯機も最新らしく、白沢は余計に気分が良くなる。
 上機嫌のまま奥にある開けていない二つの扉に向かい廊下を歩く。残りは何だろう。電球は明るいし床は清潔。リビングには大型テレビまであり、家具はそろっている。
 まるで、誰かが住んでいるかのようだ。
 ドアノブに手をかけるとそんな馬鹿げた事を考えてしまうほどこの部屋は充実していた。
「え?」
「え?」
 二つのうち一つの扉を開けると、素っ頓狂な声を上げる白沢と半裸の子供。
「あわわ、わわ」
 少年と見られる子供はいきなりの来客にあたふたと顔を赤らめ、あわてて脱ぎかけていた服を着なおす。
「えと……君は誰?」
 少年が聞きたかっただろう台詞を白沢が口にした。
 もしかしたらルームサービスの一種なのかと思ったが、生憎と白沢にその趣味はない。
「ぼ、僕はこの部屋に住んでます」
 それは見ればわかる。とは言わず、白沢は眉間に皺を寄せる。
「ちょ、ちょっと待っててね」
 言い残すと部屋を出て玄関のプレートを確認。
「社会人のほうれん草もできないのかよ」
 ほうれん草とは、報告・相談・連絡の三つであり、白沢が働いていた頃はよく新人に守るようにと言っていたものだった。
 家主を示すプレートには、真新しい文字の白沢桂と並んで九条凛(くじょうりん)と確かに書かれていた。
「あーえと。すまなかった」
 凛の部屋に戻るや否や、白沢は頭を下げた。
「い、いえ。いいんですよ。新しい同居人の方ですよね?」
「そうなる」
 物分りのいい子供だと白沢は感心する。
「えと、僕は九条凛です」
「私は白沢桂。今日付けで魔法使いになったところだよ」
 そう言うと白沢は笑顔ですっと右手を差し出す。対する凛は、あわあわと落ち着かない様子で右手をズボンで拭き、差し出してくる。
「ぼ、僕もつい二ヶ月前に魔法使いになったばかりです」
 そういう少年は小さく、小学生高学年ほどの身長しかない。顔も幼く、中性的というかやや女性っぽい感じだ。髪は赤味がかった茶色で、男の子らしくざっくりとショートにまとめられていた。印象的なのは瞳の色で、ハーフなのか白沢とは違い透き通るようなグレー。ふと、白沢は啓太を思い出してしまった。この少年も、成長したらさぞ可愛くなるのだろう。
「そっか。えと、九条君。でいいのかな?」
「凛でいいです。年も白沢さんのほうが上だろうし」
 その言葉にふと首をかしげる。
 自分は三日前に魔法使いになった。要するに年は三十と三日だ。対するこの少年は二ヶ月前に魔法使いになった。つまり単純計算で三十と二ヶ月だ。が、しかし自分のほうが年上。これでは計算が合わない。
「えと、凛さんはおいくつなんですか?」
「僕ですか? 僕は今年で十六になります」
「十六?!」
「いたっ」
 思わぬ答えに白沢は声を上げてしまう。
「あ、あぁごめんごめん」
 手を放して謝るが、強く力を入れすぎたからか、凛は少し涙目になっていた。確かに、この背格好で三十というのはいささか無理がある。魔法を使っているとしても反応が少し子供っぽいというか落ち着きがない。これが演技なら相当な役者なのだろう。
「しかし、十六歳か……」
 世間一般では魔法使いは三十歳になったら。という考えだった。
 がしかし、この少年はその常識を打ち破ってしまった。壁にかけているマントを見る限り嘘をついているわけでもなし、どうやら本物のようだ。
「魔法使いの皆はそうやって驚くんですよ」
 そりゃ驚くだろう。なにせ、目の前にありえない物が存在するのだから。
「皆、って事は施設でもそういうのは珍しいのかい?」
 皆といわれてすぐに石田の顔を思い浮かべてしまったのには白沢も内心穏やかではなかったが、白沢が知っている魔法使いというのが石田とその偽者くらいなので仕方がない。
「施設?」
 質問に質問で返される。しかも、その疑問符は施設という言葉に疑問を覚えている言い草だ。
「国の魔法使いは施設で育成されるって聞いたんだけど?」
 常識ではそうなっている。
「い、いや。僕も白沢さんが施設から来る人だと思ってましたから」
「何?」
 意見に齟齬(そご)が生まれている。
 白沢が察するに、自分達二人は天然者だ。それも、突然変異の十六歳と数年に一人の。
「凛君。私は天然者だ。そして思うに、君も俗に言う天然者だ」
「白沢さんもなんですか?」
 やはり二人とも天然者らしく、お互いに言葉を失う。
「ま、お互い分からないこともあるだろうけれど、改めてよろしく」
 先に動いたのはやはり年長者の白沢だった。再び手を差し出し、はじめのときより柔らかな笑顔を向ける。
「よ、よろしくお願いします」
 少しうつむき加減になりながらも凛はその手をとり小さくつぶやく。
 同居人が優しそうでよかった。凛はそう思いながらそっと胸をなでおろした。
「時に凛君」
「は、はい?」
 ほっとしていたからか反応が遅れる。
「あの赤く光っているランプは何かな?」
 握っていないほうの手で部屋に設置されたランプを指す白沢。
「そんな、何でこんな時に」
 焦る凛に何が起こったのかとついていけず、指をゆっくりと拳に変え、そのまま口に持って行き、あわてる凛を眺める。なにか有事のようだ。
「凛君。深呼吸でもしたらどうだい?」
「し、し、白沢さん。早速ですが準備してください」
 握っていた手を解かれ、矢継ぎ早にそう言われる。白沢の助言はどうやら届いていないらしい。
「と、とりあえずマントとバッジ。あと、媒介がいるならそのアイテムを持って玄関に!」
 何がなんだかわからないが、急いだほうがいいのだろうと白沢は凛にわかったとだけ言って部屋を出ると、脱衣所に放り込んだスーツの上着と、袋からマントとバッジを引っ張り出す。
 対する凛は部屋を忙しく駆け回り、少し大きめのマントととんがり帽子をかぶり、辞書ほどの厚さがある本と指揮棒のような小さな木を持ち、肩からは小さなポーチを提げる。その姿は、まるで魔法使いごっこをする子供そのものだった。
「おや、媒介は無しですか?」
「ま、そういう事になるかな」
 玄関ではすでに白沢がマントを羽織り待機していた。
「では行きましょう」
「わかった。ついて行こう」
 玄関を出て、急ぐ凛だったが、背丈が白沢の胸ほどまでしかないので歩幅の関係上白沢は早歩きをしているだけだった。
「で、どこに行くのかな?」
 歩きながら質問してみる。
「お仕事です。制圧作戦ですよ」
 あまりにも唐突過ぎるその言葉に、白沢はつい足を止めた。
 

     

「白沢さん?」
 急に足を止めたからか、凛は不思議そうに白沢を見つめる。
「制圧作戦だって?」
「え、えぇ。僕も初めてですけどランプが光ってたのでたぶんそうだと思いますよ?」
 嘘だろ。まだ自己紹介しただけなんだぞ。
「さ、早く集合地点に行きましょう」
「あ、あぁ」
 納得しきれないまま白沢は階段を駆け下りる。フロアの数字を確認したところ、ここは十階らしくやけに長い階段をひたすら下りなくてはいけない。なんでも、緊急事態はエレベータを極力使わない決まりだと凛が言っていた。
 勢いよく階段を駆け下りていると、白沢の背後からは情けない声が聞こえ始める。
「へぁへぁ……」
 踊り場のプレートがちょうど五階を指したあたりから聞こえていた声が明らかにおかしくなり始めた。
「だ、大丈夫かい?」
「ひゃい」
 手すりに身を預け、肩で息をしている凛。見るからにばてていた。急いだほうが良いと言うものだから駆け足で降りていたのだが、白沢と比べ歩幅の狭い凛がそれに追いつこうと思えばそれが必然的に全力疾走になるのは容易に想像できたはずだと白沢は反省する。
「乗るか?」
 ふらふらと手すりに身を預けるようにして階段を下りて来る凛を見て、白沢はその場にしゃがみこむ。
「い、いえ。大丈夫です」
 誰がどう見ても大丈夫そうではない息の仕方。凛は凛なりに気を使っているのだろうなと年下に気を使わせてしまった自分を白沢はふがいなく思う。
「いいからいいから」
「ふぇ?」
 驚く凛をよそにその体はいきなり宙へとあがり、そのまま白沢の胸元におさまる。
「な、何するんですか!」
「こっちのほうが早いだろ?」
 凛の顔の前には白沢の顔。手は脇と足をしっかりと抱きかかえている。要するに凛は今お姫様抱っこされていた。
「お、降ろしてください」
「っととと」
 暴れだす凛。突然の行動に当然白沢はバランスを崩す。
「危ないからじっとして貰えるとうれしいな」
「あ、す、すいません」
 少し怖い笑顔で言われてしまったので凛はしゅんと小さくなってしまう。
 凛がおとなしくなったからか、白沢の足取りは軽快だった。息をつくことなく一気に階段を駆け下り、そのまま集合地点に向かおうとする。
 その表情はどこか嬉しそうで、これから始まろうとする作戦の意図をわかってないんだろうな。と凛は少し哀れんだ。
「集合地点ってどこかな」
「え?」
 白沢の顔をぼんやり眺めていたからか、質問で返してしまう。
「集合地点。どこかな?」
「あぁ、えと」
 お姫様抱っこのままというのは非常に恥ずかしかったが、嬉しそうに駆ける白沢の顔を見ていると、凛も今更下ろしてと水をさせるわけでもなくボソボソと愚痴るように集合地点へとナビゲートするのだった。



「ここです」
 そう言われて立ち止まったのは中央支部ビル。しかも白沢にとってはあまりいい思い出がないロビーだった。
「何かと君には縁があるのかな」
 ふと見つけた人影にそういって苦笑いする白沢。その先にはにっこりと笑う美人。浅木啓太がいた。
「どうもどうも。配属初日からお仕事とはご苦労様です」
 あいも変わらず美しい笑顔を見せる啓太はやはりどこからどう見ても男とは思えない。
「こちらに」
 挨拶も手短に、言われるがまま啓太について歩くとそのままエレベータに案内される。
「これで地下三階にある作戦司令室に向かいます」
「地下三階?」
 つい聞き返してしまう。それもそのはず、白沢が見たところエレベータのボタンは1F・B1・B2と地下三階を示すはずのB3の文字は見当たらない。
「えぇ。地下三階です」
 そういうと啓太はB2のボタンをプッシュする。扉が閉まり、少し経つと階層表示のディスプレイがB1を示し、そしてB2へと向かう。
「それにしても」
 にっこりと笑ったままの啓太は以前ボタンを押したままだった。
「であった初日にお姫様抱っこだなんてずいぶんと仲良くなったみたいですね」
 啓太は笑っていた。確かに笑っていたのだが凛はそこに鬼を見た。故に早々白沢に下ろしてくれとお願いする。
「ん、すまない。ずいぶんしっくりくるんで気がつかなかったよ」
 どうぞ。と白沢は凛をやさしく下ろしてやる。
 どうも。とお礼を言って凛は何かおかしな所はないかと軽く身だしなみをチェックする。ぶかぶかの帽子はずり落ちていたが、それ以外は特に問題がなかったようで、帽子を直して存在しないはずの地下三階に着くのをじっと待つ。
 その姿勢は胸を張って仁王立ちしているつもりなのだろうが白沢にはやはり子供が背伸びをしているようにしか見えず、つい微笑がこぼれた。
 やがて、地下一階に着くより少し時間をかけてディスプレイはB2と表示。と、ここで啓太がB2のボタンをもう一段階押し込む。すると、動くはずのないエレベータがありもしないはずの地下三階に向かって下降し始める。
「はい。これで作戦司令室に向かえますよ」
 啓太はボタンから手を離し、二人に向き直る。
「ずいぶんと簡単に行けるんだね」
「ま、だからこそだれも気がつかないものです」
 それもそうかと白沢は納得する。自分だってもといた会社に地下秘密フロアがあるだなんて考えたくはない。
「しかし、石田さんも無茶しますよ。新人の二人を機動部隊に押し込むだなんて」
「ははは……」
 困ったような笑い声は凛。まったく参った物ですと再びずれてきた帽子を押し戻す。
「機動部隊?」
 対する白沢は顔をこわばらせた。どんな部署か説明されていなくとも言葉からその仕事が想像で来てしまったのだ。
「あれ? 白沢さんは聞いてなかったんですか」
 凛が言う事に。ただうなずく。それもそのはず、白沢はつい三日前まで一般人。そして魔法使いになってから今日までの三日間は投獄されていたのだ。今初めて魔法省で働くこと知った有様だというのに自分の配属先など知るはずもない。
「あー石田の嫌がらせですね。きっと」
 やれやれと肩をすくめてご愁傷様でしたという啓太だったが、白沢にとってはご愁傷様。はい合唱。ではすまないないといったところか。なにせ、世間一般では魔法省の機動部隊など存在しない。
 存在しないはずの三十歳未満の魔法使いが一人に存在しないはずの地下三階。そして極めつけは存在しないはずの機動部隊。白沢の想像は悪い方ばかりに傾いていく。
「さ、つきましたよ」
 啓太の声にふと顔を上げてディスプレイを見れば、そこには確かにB3と表記されていた。
「どうも」
 働く前からげっそりとなっている白沢を置いて凛は先に下りる。それを見て、仕方がないのかとのろのろ白沢も後に続く。
「では。また後で」
 声に振り向くと、エレベータの扉はすでに閉じていた。
 驚くべきはこのフロアにはエレベータを呼び出すボタンがついていなかった。つまりは戻ることは許されない。おまけに壁は白沢が釈放されるときに歩いた時同様真っ白で、少し不気味な雰囲気が漂っていた。
 エレベータから降りて少し歩くと行き止まりで、壁にはなにやら長方形の箱が設置されていた。見たところ何かを認証するものらしく小さなくぼみがついていた。
「あぁ、バッジか」
 ちょうど部屋の玄関にも似たものが付いていたと白沢は自分のバッジを差し込む。
 すると、一秒とおかずに壁の一部が音もなく開いた。
「遅いぞ」
 扉の向こうからは不機嫌そうな声。顔を見ずとも白沢は悟った。これは石田の物だ。
「早くしろ」
 乗り気はしなかったが、その声にせかされるようにして二人は扉をくぐる。
「うわー」
 声こそは上げなかったものの、白沢も隣で感嘆の声を上げていた凛と同じ気持ちだった。なにせ、そこはスパイ映画に出てくるような司令室。中央には大きなボードが。そしてそれを囲むようにしてたくさんの役員が忙しくキーボードを叩いていたのだ。様々なモニタに映し出される情報の嵐に本当に司令部なんだと実感してしまう。
「こちらに」
 石田に言われ、二人は中央のボードに向かう。
「今回の作戦は未登録魔法使いの捕縛。もしくは殲滅だ」
「殲滅?!」
 突然の指令。状況についていけない白沢に代わり、凛が驚きの声を上げる。
「静かにしたまえ。貴様等は機動部隊所属。国民の血税を使って生活をしている身分でこの程度の仕事に文句を言うとは何事か!」
 凛の反抗が気に食わなかったのか逆上した石田から怒鳴られ凛はびくっと肩を震わすと白沢のマントを無意識のまま握り締めてしまう。
「い、石田さん。私はその機動部隊に所属した事を聞かされていないのですが?」
 マントを引っ張る力を感じてか、白沢は凛をかばうようにして背中に押しやり前に出る。
「ふん。白沢桂、貴様どうせ配属マニュアルを読んでいないのだろう」
「マニュアル?」
「袋の中に入っていただろう!」
 あまりにも無責任かつ横暴な言動に、白沢は怒りを通り越して哀れみを感じ始めていた。
「あーそうですか。それは気が付きませんでしたよ」
「チッ、これだから無能は困る」
 舌打ちをされ、若干いらつきながらもどっちが無能だとは言わず、白沢は石田を眺める。
 やけに手入れされているバッジが鈍く光りを放っており、まさに剣局をたてに威張り散らしている石田を象徴していた。
「じゃあ、無能ついでにご教授いただきたいのですが、機動部隊というのは何をすればいいのでしょうかね?」
 皮肉たっぷりの言葉で応戦するも、石田はどこ吹く風といった感じで口元を吊り上げる。
「機動部隊は魔法使いによる犯罪抑止力として設立された部隊だ」
 存在を秘密にしている部隊が抑止力だなんてどの口が言うのかと内心毒づく。
「魔法使いの起こした問題を解決。また、未登録の魔法使いの捕縛が主な活動だ」
 そりゃ結構ですね。と白沢。
 つまるところ自分と凛は魔法使いの警察部隊のようなものに配属されたらしい。と他人事のように白沢は状況を整理する。
「では、作戦概要だ。敵は烈火(れっか)。呼んで字のごとく魔法は炎を操る」
 白沢が何も言ってこなくなったのをよしとして、作戦概要が説明される。
 なんともひどい名前だと白沢は思ったのだが、ボードに表示されていたコードネームというのを見てそりゃそうかと納得する。
「烈火は放火の常習犯で大変危険だ」
 ボード上に中央支部近辺の地図が出現し、赤い罰印が次々につけられていく。その数およそ百以上。
 それは常習犯なんて言葉では収まりきらず、もはやマニアの域に達していた。
 そんなほうかマニアの罰印一つ一つに目を通し、白沢はその共通点の多さに愕然とする。これでは何を目的としたものか素人でも分かってしまう。なにせ、罰印のつけられた施設は元々自分が働いていた会社の下請け、または子会社がほとんどだったのだ。犯行動機は恨みかそれとも妬みか。いずれにせよ好意でないことは容易に推測できる。
「すでに数人の職員が烈火を止めるために出動したが、いずれも信号はロスト。よって烈火を優先順位Aとし、機動部隊の出動が要請された。さぁ、行くがいい」
 石田は小さなPDA(携帯情報端末)を白沢に押し付け、いつの間にか開いていた扉をさす。
「ロストって? 優先順位?」
 頭にはてなを浮かべるも、それを解消するまもなく白沢は職員と見られる男にぐいぐいと部屋の外に押し出される。凛はというと、うつむいたまま依然として白沢のマントを握ったまま体を硬くしているのだった。
「では、健闘を祈る」
 扉が閉まる直前。聞こえてきた声からは一切の激励の意は感じ取れなかった。
 エレベータもきておらず、何もすることがない白沢はとりあえずPDAを見てみるも、情報が多すぎてどれから見て良いやら分からない。
「おかえりなさい」
 呆然と立ち尽くす二人にかけられた声は、聞き覚えのある甘ったるい物だった。
「啓太か」
 案の定だった登場に二人は少し安堵し、ささ早くと言われるがままにエレベータに乗せられ今度は上に向かう。
「啓太か。とは何ですか。こんなにかわいい子が迎えなんですから、もう少し喜んでもいいんじゃないですか?」
 頬を膨らませて抗議する啓太だったが、凛は石田に怒鳴られたショックを引きずっており、白沢はあまりに恐ろしい仕事内容に愕然とし、反応を返す余裕はない。
 あまりの空気の悪さを不審に思ったのか啓太は首をかしげ、そして白沢の持っていたPDAを見つける。
「ちょっと借りますね」
「お、おい」
 返事は聞いてませんと無理やりにひったくったPDAを操り、なるほどなるほどとつぶやきながらもその表情は次第に白沢や凛と同じく暗くなっていく。
「こ、これは」
「まったく。やっかいな事になったよ」
 はははと引きつった笑顔を向けるも、啓太はなぜか眉をひそめて爪を噛んでいた。その姿はまさに怒り心頭といった感じで非常に話しかけ辛い。
「一階です」
 その後、PDAを忙しく弄り無言になってしまった啓太からピリピリとした重い空気を感じながら、受付の前まで連れてこられる。
 無言のまま受付に座った啓太は、そこに設置されていたものとは違う真っ赤なノートパソコンを鞄から引っ張り出していじり始める。
「コレを」
 しばらくしてそう言うと啓太はピンマイク型の小さなインカムを隠すようにして二人に手渡す。
「コレは?」
「連絡用のインカムです」
 ひそひそと内緒話のようにボリュームを抑えて言う啓太。
 白沢が連絡用とは何なのかと聞く前に奪われていたPDAも渡される。
「お二人にわかりやすいよう情報は整理しておきました」
「ど、どうも」
 相変わらずひそひそという啓太を怪訝に思いながらも渡されたPDAに軽く目を通した白沢は目をむく。あれほどまでに乱雑に散らばっていた情報がすっきりとまとめられていたのである。これならすぐに欲しい情報が手に入る。
 あらためてありがとうと言ってからインカムを耳につける。
「あ、インカムは作戦場所についてからで」
 制され、深く考えずにわかったとポケットにインカムをねじ込む。
「では、移動手段の確保が整いましたので玄関までどうぞ」
 そう言ってにっこり笑う啓太は今までのひそひそ話していたものと違いはきはきとした声で営業スマイルを浮かべる。いったいなんなのだと不思議に思う二人だったが、啓太の耳についていたインカムを見て余計に分からなくなる。
「いってらっしゃい」
 手を振る啓太に見送られながら、啓太はいったい何がしたかったのかと首をかしげ、二人は車の待つ玄関へと向かうのだった。 

     

「乗れ」
 車の元にたどり着くや否や、二人は車に乗るように促される。促してきた男の態度にむっとするが、ここで逆らっても得はないかと渋々と乗り込む。
 見送りのためなのか玄関に立つ啓太がちらりとだけ見えたが、啓太は手を振るわけでもなくどこかぼんやりと羨望を含んだ眼差しで眼差しで車を見ていた。
 二人の乗り込んだ車内は運転席と隔離されており、ボックス席のように向かい合わせになっていた。窓ガラスはもちろんフルスモークの防弾。狙撃されたところで車内に弾丸が届くことはないだろう。ふかふかとした椅子はいかにも高級車を思わせる作りで、白沢は少し硬くなってしまう。現に白沢は何処か引きつった笑顔を、凛はまた白沢のマントの端を硬く握り締めていた。
 しかし、凛が硬くなっていた理由は他にあった。
「さて。あの出来損ないに何を吹き込まれた」
 その理由がゆっくりと口を開いた。と、同時に凛がよりいっそうマントを握る力をこめる。初めは目がきょろきょろと不安そうに宙を泳いでいただけだったが、今では目を合わせないようにと帽子の奥に顔を隠し、存在を消すことに尽力しているようだ。そんなに脅える程の人間なのだろうかと目の前の石田を見る白沢だったが、確かに威圧感のある体躯と顔があいまって糾弾されている気分になる。
「出来損ない。ですか」
「浅木啓太の事だ」
 憎憎しげより侮蔑の割合が多い言い方に、白沢は少し苛立ちを覚える。合って間もない白沢と啓太だが、いきなり知り合いの悪口を言われるのは気分のいい物ではない。
「浅木啓太は魔法使い特性ゼロなのだよ。なにせ、訓練所から送られてくる数値は平均より少し下。他の技能を身につけようとしているらしいが、私から見れば溺れる者は藁をも掴むといったところか。」
 聞いてもいないのに石田はまるで自慢でもするかのような口ぶりで啓太の事を話す。それも時折、胸に光るバッジを指で弄りながらだ。自己顕示欲の塊ともいえるぴかぴかに手入れされたバッジを見ながらなんともいえない気持ちになった白沢は口をつぐむ。
「大体、魔法使いとは男の仕事だ。あんな男か女かわからないふにゃふにゃした奴が魔法使いになれるわけがない」
 なぜかよりいっそう小さくなってしまった凛が気になったが、白沢は未だにバッジを誇らしげに誇示する石田に苛立ちがつのる。こいつは権力に胡坐(あぐら)をかいている。白沢の直感がそう告げていた。
「へぇ今では三十になるまでに魔法使いになれるかが分かるんですね」
「何を言っているんだ。そんな事出来る訳ないだろう」
 つい口を滑らせた白沢に、馬鹿な事をと呆れた風に石田は鼻で笑ったが、白沢はやれやれと心の中でため息をつく。
「じゃ、魔法使い特性だなんてのも分かりっこないですね。それとも、石田さんはそういった才を見抜く達人か何かで?」
「ぐっ」
 言葉を失う石田。ここで反論しようものならば白沢も石田をどうしようもない人間だと断定できたのだが、それを自生する理性程度は持ち合わせているようで、ちっとしたうちをするのみでとどめられた。
 まったくと今度は白沢が笑う番だった。がしかし白沢は石田のように笑うでもなくぼんやりと窓の外に映る流れ行くビル群を眺めるのだった。



「着いたぞ」
 白沢に言いくるめられてからずっと不機嫌そうにバッジを磨いていた石田が停止した車の扉を開けた。その一挙手一投足は何処か乱暴だ。その傍らでふと白沢は隣で小さく縮こまる凛に悪い事をしたなと心の中でわびる。
「ふむ」
 追い出されるようにして車から一歩外に出れば、そこは廃墟だった。日も暮れ、オレンジ色の夕焼けが廃墟を照らす。いったい何がどうなってこんな所にきてしまったのか。つい先刻まではビルが並ぶ町にいたというのに今では廃墟が並ぶ鉄筋コンクリートのジャングルといったところか。
「わぁ……」
 その光景につい声を漏らした凛だったが、隣にただ佇む白沢は顎に生えた無精ひげをじょりじょりと指で鳴らし、その光景を複雑そうな瞳で見つめる。
――いやな予感がする。
 朽ちた小さなビルを見ながら白沢は背筋に寒気を感じていた。
「あ、あの。白沢さん?」
 そう言う凛の後ろには車はすでになかった。送り届けると早々に石田は撤収したのだ。まるで、何かから逃げる兎のように。石田を乗せた車がいなくなった今、この廃墟街には白沢と凛だけだ。もちろん、二人の主観では。ではあるが。
「ん、あぁすまないね」
 ぼんやりとビルを眺めていた白沢が凛に向き直る。すると、凛はポケットからインカムを取り出して装着していた。それに習うようにして白沢もポケットからインカムを引っ張り出して装着する。
「やっほー」
 インカムをつけたと思った瞬間調子はずれの甘い声。しかもそれの大きい事。思わず二人はインカムを外しそうになってしまう。
「もう少し声を抑えてもらえるとありがたい」
「あ、ごめんごめん今ボリュームを下げるね」
 意気揚々と言った感じの声はもちろんインカムを渡してきた啓太の物で、奥ではカチャカチャとキーボードを叩く音も聞こえてくる。
「コレでいいかな」
「大丈夫だ」
 適度なボリュームになったところで再び白沢はビル街を眺める。ビル群といっても超高層なものではなく、どれもこれも五階建てやら六階建て。よくて七階で、小さなオフィス街といった感じだ。それが煤(すす)で真っ黒になり骨とわずかなコンクリートで形だけはビルといえた。無論それは、これから拿捕すべき目標。つまりは烈火と呼ばれる魔法使いの仕業だとすぐに分かる物だった。なにせ、ビルがこんなにも燃えることはまずありえないし、ここいら一帯は白沢が勤めていた会社の下請け、または子会社が集中していた地帯だった。被害状況と目標とする条件も合致。
「白沢さん? 白沢さん?」
 マントを引く力にふと我に返る。物思いにふけっていたせいか話を聞いていなかった。
「白沢さん。所縁の地であることは分かりますが今は任務に集中していただかないと」
「あ、あぁ。すまない」
 少し困ったような啓太の声にいやな想像を振り払う。と、言うのも啓太の言葉通りここは白沢の縁の地であった。簡単に言うと昔勤めていた場所だ。
「では、PDAを」
 啓太の声に従いPDAを取り出す。生憎と一台しか支給されなかったので凛にも見えるようにしゃがむ事になるのだが、凛はごめんなさいと恥ずかしそうに言うのだった。
「取り出したぞ」
「では、簡単におさらいをしましょう。目標は烈火と呼ばれる魔法使い。これまでに百五十名以上の死傷者を出している超危険人物です。烈火の固有魔法は読んで字のごとくパイロキネシス。つまり発火能力を持った炎の魔法使いです」
 百以上あった放火箇所のことを思えばその死傷者数はまだ幸運なのかもしれない。だが、危険なのには変わりないと二人は生唾を飲み込む。
「情報ではその廃墟になったビル群の何処かに潜伏しているとの事です。これは、魔法省員の信号がロストした地点を統計した結果です。いま、PDAに送りますね」
 ペポンという間抜けな音と共に新しいデータが送られてくる。それを見て、やはりかといった感じで白沢はため息をついてしまう。
「どうかしましたか?」
「ん? まぁ昔勤めていた所の近くだったもんでね」
 ふっと見上げた視線の先には、まだ他の物と比べると比較的形が残っている少し小さい五階建てビルがあった。
 なるほど。では続きをと啓太が言うが、二人の耳にその言葉は届かず、かわりに二人の目はその小さな五階建てのビルに釘付けになっていた。薄ぼんやりと見えた人影らしきそれは、一見すれば見間違い。だが、見間違いではない。なにせ、見間違いは人影は炎を出さない。
「すまない啓太。急用だ」
「え? あ、作戦とか色々考えないと――」
 啓太が何か言っていたが、白沢はかまわずその場を弾かれる様にして離れる。凛も同様に動く。
――こちらを見ていた?
 急ぎだったので凛と別々になった白沢は、廃ビルの一つに逃げ込んでいた。
「啓太、問題発生だ。烈火とやらに見つかった」
 探す手間が省けた。とは楽観視出来なかった。なにせ、よくよく考えれば白沢自身。自分の魔法をまだ知らないし、凛の魔法だって知らない。そんな状況で敵に見つかってしまえば連携もとれず一巻の終わりだ。
「えっ。過去の報告書から見れば烈火は姿を見せないのが普通なのに」
「啓太、このインカムは通信コミュニケーション用に使えるか?」
「え、あぁ。もちろんですよ。いま凛ちゃんと繋ぎますね」
 戸惑う啓太をよそに白沢が指示を出す。
 ザザッという耳障りなノイズの後に、静寂が訪れる。
「凛。聞こえるか」
「は、はい」
 緊張しているのか、その声は震えているようにも聞こえるし、どことなく硬い。やはり別々になるべきではなかったと後悔する。
「分かってると思うが多分烈火はこちらに気がついている」
「そ、そうですね」
「何とかしてアレを話し合いか何かで投降させれたら一番いいんだけどな」
「話し合い?」
 まるで思いつかなかったというように凛はインカムの向こう側で笑う。白沢は何かおかしなことを言っただろうかと首をひねるが、凛の笑いの意味を正しく理解することはなかった。
「偽者は全部やっつけないと」
 氷点下まで温度が下がったかのかと思うほど冷たい言葉。ただそれは機械的で、凛という人間を感じさせず、白沢はつい背筋に寒気を覚える。
「倒すためには作戦を立てませんとね!」
 インカムから割り込むようにして会話に参加してきた啓太の声に気味の悪い寒気をかき消され、白沢はひとつ深呼吸する。落ち着かなければ。凛はまだ小さいのだ、自分しっかりしなくてどうする。と自分を一喝して震えていた手を硬く握り締める。
「白沢さんの能力を教えて下さい」
 ポツリとつぶやくように言う凛の声はやはり硬く冷たい。まるで氷と会話しているようだとさえ白沢は錯覚してしまう。
 だからと言って目の前の状況が好転するわけでもなく、凛のスイッチか何かが入ったものだと無理にでも思い込む。でなければ白沢はこの重圧に耐えれそうになかった。
 なにせ、凛のひやりとした剣のようにとがった殺意というか意識は今回の標的である烈火だけではなく、自分もしくはそれよりも大きな何かにむけられている気がしたのだ。
「わ、私の魔法は……」
 凛に威圧されたのか、白沢がどもる。
「私には言えませんか?」
 凛の刺すような台詞に心が痛む。だが、白沢の唇がそれ以上自らの魔法について語る事はなく、重い空気が滞留する。
「あのー」
 居辛かったのだろうか、啓太がふと声を上げる。
「もしかして白沢さんはまだ自分の魔法をご存じないのでは?」
 啓太の言葉通り、白沢が言いよどんだのはプレッシャーに負けただけではないのだ。魔法使いになってから三日が経った今も、白沢になんら魔法らしきそれは姿を見せていない。
「そんな! 同期型だったら同期するものを探すだけで時間がかかるって言うのに!」
「い、いや、私は内包型だ?」
 声を荒げる凛に、白沢は自信なさげに答える。
「どうしてそんな不安そうなんです?」
 今の凛はまるで嫌な上司だ。とすこし苦笑する。
「なに笑ってるんですか。こっちは真剣なんですよ?!」
「いや、失敬」
 だがしかし、それで持ち直したのか白沢は自分が三日前始めて魔法使いになってから今の今まで自分に魔力というものを感じないという事、そして内包型といったのは研究所でフードの化け物が自分にそう言ったからだと軽く説明する。
 説明しながら、白沢は自分のふがいなさに握った拳を痛いほどに硬くする。長年夢見てきたはずの魔法使いなのに。そう思うと涙が出そうになった。
「なるほど。珍しいケースですね」
 白沢の言葉を一通り聞いてから、そう返したのは凛だった。その声は何処か興味津々と言った様子で、先ほどまでのとげとげしさが少し緩和されたように思える。
「珍しい?」
「普通、能力者というのは各固有のアビリティを有したその瞬間からそれを構築する術式、構成物質や詠唱などを瞬時に理解してしまうんですよ。それこそ本物の魔法使いが何年もかけて培ってきたような技術を盗むように一瞬で」
 なるほど。と白沢は納得するが、同時に自分が特異で異常。そしてなにより出来損ない。だということを思い知らされる。
「なるほど。確かに普通じゃないですね」
 インカムの向こうからはカタカタとリズミカルなキーボード音が聞こえてくる。
「白沢さん。今魔法省のデータベースにちょっとお邪魔してるんですけどね」 
 まるで友達の家にいるかのような口ぶり。そうかと気のない返事では白沢答えるが、啓太の目の前にあったモニタには多くのウインドウが立ち並び、高速で文字が流れていく。さながら情報戦争といったその場面をインカムのあちら側にいる二人は感じられず、あまり啓太の言葉に関心を持っていない。
 確かに啓太にとってはこれくらいのクラッキング朝飯前だったのだが、危険なことに変わりはないので少しくらいほめてもいいんじゃないかと頬を膨らませる。
「で、データベースがどうしたって?」
「あ、えとですね。白沢さん。今貴方の検査結果を覗いている所なんですが、魔法特性が最高値のS、そして魔力自体も同様にSランクを叩き出してますよ」
「う、嘘だ!」
 冗談のような情報にいち早く反応したのは当事者の白沢ではなく凛だった。
「そんな事って、ないでしょ……」
 何処か悲観めいた呟きを聞きながら、白沢は自分の検査を思い出すが、あれで魔法特性だの魔力だのが測れたのだとしたら現代の技術はもはや魔法だなと一人的外れなことを考えていた。と、いうのも唐突に君はすごいよ。と言われてもどうすごいのかがまったくもって見当がつかなかったからである。
「ここにもロックが。この、えい、えい」
「ロック?」
「え、あぁ。もう破りました。白沢さん自体がトップシークレット扱いされてたのに肝心の固有魔法についての項目がそれ以上のレベルで守られていたんで驚いただけですよ」
「破るって、啓太お前正規アクセスじゃないのか?!」
 やっと気がついたんですかと呆れたように啓太は言う。
「ちなみに、この通信やアドバイスだって正規のものではないですし、PDAの改造も非正規ですね」
 あまりの事実に白沢は言葉が出ない。なにせ、正規のオペレータだと思っていたのに蓋を開ければ好奇心や興味で首を突っ込んでいるだけの野次馬だったのだ。
「まぁまぁ。細かい事はいいですよ。どうせ私が援護しないと二人は死んじゃうだろうし、なによりそれが石田や上の連中の考えだって言うなら私はそれを潰すだけです。ほら、私はそれが出来るし二人は生き残れる。WINWIN(うぃんうぃん)ですよ」
 あっけらかんにそう言う啓太だが、白沢はどうも言葉を濁してしまう。
「いいですよ。それで」
 言いよどんでいた白沢を牽制するようにして凛は啓太と手をとる。
「あまり気は進まないがこの場を乗り切ることが重要だしな」
 切り替えが重要だといわんばかりにそれに続くようにして白沢もそこに加わる。
「よかった。じゃ、白沢さんの能力について説明を――」
 ザザザとノイズが入ったかと思うと啓太の声が二人に届かなくなる。なにか音声でも流すのだろうかと二人はそれぞれ物陰に隠れながらじっと続きを待つが、一向に変化はない。
「もしもし?」
「もしもし?」
 二人は同じ台詞を口に出すのだが、それが互いの耳に届くことはなく、相変わらずひどいノイズが聞こえてくるばかりだった。
 状況に気づき先に動いたのは白沢だった。インカムが役に立たないと分かるやいなや、凛と合流するためにビルの外をうかがう。
 そう遠くはないはずだろうと物陰からちょこんと顔を覗かせて辺りを見回す。が、見えるのは煤まみれのビルや崩れたコンクリートばかりで黒のマントを着た子供など見当たらない。
 何かないかと目を凝らすと微かに、マッチの燃えた後のような物がこげるにおいが白沢の鼻腔を刺激した。
「危ないっ!」
 物が燃えている。そう思ったが早いか、白沢の目の前には黒い影が飛び込んできた。 

     

「つっ」
 弾丸のような勢いで飛んできた影に反応しきれず、白沢はがら空きだった腹部にそのまま影の直撃をうけて元いた場所より数m後ろに吹き飛ばされ尻餅をついていた。
 ずきずきと熱を帯びたついた臀部が痛みを訴えるのと時を同じくして、シャリっというかパリンというか、ガラスの割れるようないやな音が白沢の耳に入る。
 いやな音に顔をしかめた白沢だったが、それ以上に先ほど飛来した黒い塊と影が見える前から今もなお鼻腔をつく物が焼けるようなこげたにおい。決め手は腹部に走った鈍い衝撃。白沢はてっきり炎弾か何かを受けたのかと瞬時に判断し自らに振りそかかった不幸を悔やみかけたが、それはすぐに幻のように霧散する。
 それもそのはず、なにせ白沢の腹の上では燃え盛る炎弾ではなく、涙目の凛が頭を抱えてもんどりをうっていたのだ。
「いてて……」
 なるほど、直前に聞こえてきたあぶないという声はこいつのだったのかと凛をながめる。
「悪かったな」
 やがて、白沢は少し焦げてしまった凛のマントを見ると不注意だったなと少し自己嫌悪と反省の入り混じった灰色の吐息を吐いて、まだ涙目で頭を抱えていた凛の頭をありがとうと短くつぶやいてからぽんぽんとなでる。
 特にそこに意味はなかった。強いてあげるならばちょうどいい位置に頭があった。というのが正しいだろう。だが、そんな些細な理由だったとしてもいきなり頭に手をやられたりんは驚き、借りてきた猫のようにただじっとなでられるがままになでられ、その頬をほんのりとした朱で染めている。
 絹をすくようにさらさらとこぼれ落ちる凛の髪の毛を見事なものだなと横目にしつつ、白沢はさっき自分の立っていたところにふと目をやり、寒気を覚える。
 なにせ、そこには小さな炎が燃えていたのだ。いったいどこから。と考えるより、まずあのままあそこにいたらどうなっていたかと自分を救ってくれた小さな救世主により感謝する。
「あ、あの」
「ん?」
 白沢が凛に感謝してわしゃわしゃと頭をなでていると、不機嫌そうな声があがる。
 いつもより一オクターブ下がったような凛の声につられて見てみれば、まるで風船か何かのようにぷっくりと頬を膨らませ、不機嫌そうなにつりあがった瞳が白沢を射抜いた。
「わ、悪かったよ」
 とっさに白沢は自分の不注意を謝罪した。
「白沢さん」
「はい」
 謝罪したのにもかかわらず白沢の目の前にいる凛はいまだ怒り狂ったハリセンボンのように膨れ上がりとげとげしいオーラーをかもし出している。
「手を」
「はい?」
 再度悪かったという言葉が出る前に、凛から言葉が漏れた。白沢は手がどうかしたのかと凛の頭上に乗ったままの手を見やるが、特に何の変化もない。
 もっと強くなでるのだろうかと試しに力を入れると、凛の表情が露骨にゆがむ。
「いつまで、なでて、いるん、ですか」
 一言ずつ区切るようにして凛は強調すると、白沢の手をえいっとひっぺがす
「いや、ずいぶんと心地よかったから……」
 まるで子供の言い訳のように歯切れ悪く言いながら、白沢は振り解かれた自分の手で今度は自分のほほをぽりぽりとかく。
「もう……」
 何か恨み言でも言われるのだろうかと身構えた白沢だったが、凛はなんだが起こっているのか喜んでいるのか微妙な表情を浮かべながら乱れた髪を整え、凛は白沢の上からやっとのこと腰を上げた。
 まるで膝の上で寝ていた猫が突然いなくなったような不思議な寂しさに見舞われながらも白沢は「まったく白沢さんは」などとつぶやく凛をなんとなくぼんやりと眺めながらふと、自分の手を眺め、先ほどまで凛の髪に触れていたさらさらとした心地のよい感触を名残惜しそうにして指をこすり合わせ、そのままぎゅっとこぶしの中に寂しさを握りこみ、立ち上がる。
「まったく、人の気持ちも考えないで……」
 一方の凛はと言うと、先ほどに引き続きぶつぶつつぶやきながら、立ち上がって自分の体に異常は中と確かめる白沢を背に、まだ少し熱の残る頬に手を当て、白沢にもみくちゃにされた髪を整えながら、ふとなでられたときの感覚を思い出していた。
「男、男……」
 何を思い出したのか凛は再び頬を赤らめ、呪文のようにそうつぶやき、切り替えろと大きく深呼吸をしてから自らの頬を二・三度張り、さぁやるぞと肩にかけていたポーチをしょいなおす。

――カシャ

 しょい直すために一瞬持ち上げたポーチの中から聞こえた音だった。
「うそ……だろ……?」
 その音の意味するところを悟り、凛は顔を真っ青にする。
 わずかな希望を頼りにあわててその場に座り込み、ポーチの中身を確認する。
「やっぱりか」
 わずかな希望はあっさりと指からすり抜け、思ったとおり鞄の中はひどい有様が広がっている。いうならば阿鼻叫喚の地獄絵図といったところか、凛が自室から持ち出してきた数々の薬品のビンは全て割れ、中身はぐちゃぐちゃに混ざって何がなんだかわからない。
「あちゃーこれはひどいね」
 落胆する凛の肩近くからにゅっと白沢が顔を出す。
「ひゃっ」
 白沢がいきなり現れたものだから凛は驚いて女の子のようなかわいらしい声を上げて飛び上がる。
 飛び上がる事を予測していたのか、白沢は自分の顎を狙って勢いよく飛び上がってきた凛の肩を間一髪のところで回避、地面に転がったままのポーチの中身をちらりとのぞく。
 さきほど覗き見たのはどうやら幻覚ではなかったかと割れたビンや散らばった液体に、白沢は肩を落とす。
 白沢の頭の中はこうだ、「魔法関係物はただえさえ高くつくのに自分の給料で弁償が出来るだろうか。と、いうより自分は本当に給料がもらえるのだろうか」実に元サラリーマンらしい考えだったが、今この瞬間においては場違いもいいところだった。なにせ、弁償は帰ったときの話である。それすらがifの出来事になりつつある現状で、白沢のこの考えはとてつもなく前向きとも取れるし、向こう見ずとも取れた。
「悪戯ですか?」
 ぺたぺたと死人の手が張り付いたようにひんやりとした感覚が首筋にあたえられ、白沢は振り返る。そこには当然、驚かされた凛が仁王立ちで白沢をじとりと張り付くような視線で白沢を見つめる。白沢はそんな視線に耐えられず、ばつが悪そうに苦笑いを浮かべながらポーチから視線をそらして頬をかく。
「いや、そんなつもりはなかったんだけどね」
「まったく」
 あきれたようにため息をつき、凛はマントのポケットに手を伸ばす。
「あれ?」
 そんな素っ頓狂な声が上ったのはわずか数秒後だった。
「どうした?」
「ない」
 ポケットを必死にまさぐる凛の表情に危機感を覚えたのか、白沢も不安そうに尋ねるが、りんから返ってきたのは返答なのかそれとも独り言なのかよくわからない返事だった。
「ない?」
 鸚鵡返しのように同じ言葉を凛にぶつけてみるも返事はなく、かわりに凛の顔色がどんどんと悪くなっていく。
「教本と杖です」
 やがて、はくようにしてつぶやいたその言葉の意味を、白沢は数秒だけ考えた。記憶の忌避だしをひっくり返すことさらに数秒、白沢はそれがさすものを把握した。
「もしかして、あの分厚い本とやけに長い指揮棒?」
 白沢が言ったのはここに来る前、凛がたいそうに抱えていた二つだった。
 白沢の言い方が気にくわなかったのか、凛はすこし怒った様子で眉間にしわを寄せたままそれのことですとうなづく。
「あれ、玩具じゃなかったんだ」
「なんですって?」
 白沢がしまったと思うにはもう遅すぎて、また凛のきつい視線に射られる。
 なにせ、子供+大きな三角帽子にぶかぶかのマント、大きな本に長い棒とくればそれはもうごっこ遊びの範疇でしかないと思ったからだ。
「す、すまない」
 心底頭にきたのか、やや額に青筋を浮かべる凛を見て、さすがに言い過ぎたかもしれないと自分で思いながらも白沢は頭を下げた。
「まったく、白沢さんは」
 本日、白沢が助けられてから三度目のため息だった。と、同時に白沢が年下にしかられるのもそれと同数だった。
「いいですか? 僕の媒介はあの本と杖なんです」
 すっかり立場が逆転。年齢に逆らうようにしてまるで子供をたしなめるように凛は白沢に説明する。
「媒介って……凛は同期型だったんだな」
「ま、そうとも言えますし違うとも言えますね」
 どっちつかずの凛の返答に、白沢は首をかしげる。
「僕の場合、杖や教本がなくても魔法を使うことはできるんですが、その場合は威力や効率がぐっと落ちるんです。いわばブースターがない状態なんです」
 それは結構大変な事ではないのだろうかと白沢は表情を曇らせる。
 なにせ、敵はどこにいるかもわからない。しかも敵の攻撃は正確かつ強力の様だ。それは先ほど自分がいた場所を見れば一目瞭然だった。
「ど、どの程度の魔法が使えるんだ?」
 恐怖と不安にいまさらになって気がついた白沢は何かないかとすがるようにして凛に聞く。
「えと、援助なしで簡単な四大元素を扱うもの程度なら」
「四大元素……?」
「四大元素というのは空気・火・土・水の世界を構築する四台元素をの事です」
 そう言って凛は指先に小さな炎を点す。
「おぉ」
 まるで何もなかったかのように一瞬にして炎は掻き消えてしまったが、白沢は凛を尊敬のまなざしで見るめる。
「まるで本物の魔法使いみたいだな」
「本物の魔法使いなんです」
 また少し不機嫌そうに睨む凛に、そりゃそうかと白沢は苦笑いを浮かべるが、それとは別のところで白沢は不安はものすごい速度で膨れ上がった。
「それ、戦えるのか?」
「いえ、魔力には限りがありますし、やっぱり媒介なしじゃ大きな術式も扱えません」
「そ、そうか……」
 何とか作った苦笑いを浮かべる白沢の不安は的中。
 まだ魔法使いになってから三日の自分と極小規模な魔法しか使えない凛。この二人で敵に挑み、そして勝利しなければいけないこの絶望的な状況。
 無意識のうちに無精ひげに手を当て、どうしたものかと思案する白沢にあわせて凛も黙り込む。
「いっそのこと降参するか?」
「だめです!」
 行き詰ってしまった白沢の苦し紛れの冗談に、凛は声を上げて噛み付いた。
「降参なんて絶対だめです!」
「そ、そうだな」
 その気迫に押されるようにして後ずさると、白沢が転がったままだったポーチを蹴ってしまう。
 カシャと割れたビンの破片がポーチから飛び出し、一緒にピンクな棒切れも飛び出す。
「あ」
 声をあげたのは凛だった。
 また何かしてしまったのかと白沢は身構えるが、凛は転がった棒切れを拾い上げ、付着した液体を振ることによって落とす。
「そ、それは」
 言いながら白沢は笑いをこらえるので精一杯だった。震える指で凛の持つ物を指し、それは何かと問いかける。
「見ての通り、魔法のステッキです」
 見ての通り。その言葉の通りにその形状は実にわかりやすい魔法使いのステッキだった。なにせ、先端にはでかでかと星とわっかがあしらってあり、絵もよく見ればところどころに銀の塗装が施され、模様替えがかれている。名前をつけるとしたらシャイニングスターだとかピンクスターだとかそんなファンシーな名前だろう。
 まるで休日の朝早くに戦っている魔法使いが使ってそう。それが白沢の正直な感想だった。凛もそのことに自覚があるのか、すこし恥ずかしそうにそのステッキを握る手に力をこめる。
「笑っている場合じゃないんですよ!? 僕も不本意ながらこの杖を使うんです! 全ては勝つためなんですよ?!」
「そ、そうだな。わ、わるかったよ」
 クククと笑いをこらえながら白沢は凛に謝る。
「まったくもう」
 あきれたようにそういいながらも凛は白沢を見てどこか笑顔になる。
 この時、二人は戦わなければならないという意思や想像はできていた。
 しかし、どこか頭の隅で緊張感というものにかけていたのだ。だから気がつかない。
 背後に迫っている人影に。そして、その危機に。

       

表紙

絵:便所虫,文:只野空気  [website] 先生に励ましのお便りを送ろう!!

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Neetsha