――俺が自分を俺と言うようになったのはいつだったか。日付なんて全くもって覚えちゃいない。だが、きっかけははっきりと覚えている。
アタシ、というのがその前の一人称。もうひとつ前はわたし。もっと前となると……流石に覚えていない。言葉を喋り出した時から“わたし”だったかもしれない。
とにかく自分を指す言葉の変遷については一応それなりの理由があるもの。俺だって例に漏れない。
あれは丁度反抗期の頃だった。まだ一人称がわたしの頃。中学生になればみんなそうなると思うが俺は人一倍早かった。一年生の半ばからはもう始まっていた。
本当は構って欲しかっただけなのだけれど。
親はずっと、三つ下の妹ばかりに愛情をそそいでいた。物心ついたときにはそうなっていたわけだ。単に可愛がるだけならまだいい。嫌だったのは“お姉ちゃん”だった。
『お姉ちゃんなんだから我慢しなさい。お姉ちゃんなんだからもっとしっかりしなさい。お姉ちゃんなんだからできるわよね? お姉ちゃんなんだから。お姉ちゃんお姉ちゃんお姉ちゃんお姉ちゃんお姉ちゃん』
なんなんだ。俺は俺じゃないのか。ただのそいつの“お姉ちゃん”でしかないのか。何故そいつが中心なんだ。
どなり散らしてやりたかった。
お姉ちゃんだとしても私はまだ子供。どうしても欲しいものだってあるし、しっかりなんてできるわけないし、できないことは一杯だ。
言ってやりたかった。
なにより、もっとお父さんとお母さんに構ってもらいたかった。好きになってもらいたかった。愛情を注いでほしかった。でもあいつが生まれたせいで俺は“お姉ちゃん”という“付随物”になり下がった。付属物なんかに愛情を割いている暇は無いらしい。だから微塵も構ってなどもらえなかった。俺は愛というものに飢えていたのだ。
そんな気持ちは、本当なら緩やかに育っていくだろう反抗心に一気に火をつけた。
でもそれもただの気を引きたがる悪ガキの精神。親が下らない理想を抱いている“お姉ちゃん”には、実際はその程度のことしか考え付かなかった。だって、子供なのだから。どうしようもなく俺は中学生だったのだから。
手段としては、とにかくできるだけ家に居ないようにした。流石にお金はそれほど持ってないから外で食べて遅くに帰るということはできなかったけれど、出来るだけ夕飯ギリギリに帰った。その間は友達と過ごす。ファミレスでドリンクバーだけ頼んでぺちゃくちゃしゃべるのが多かったか。流石に毎日都合付く奴は居なかったので、色んな奴と友達になった。
親が叱ってくれることを期待していたのだ。「遅いと心配するからやめなさい」と言って欲しかった。少しでも想っていることを見せてほしかった。
でもあいつらはしなかった。夕飯には律儀に帰ってきていたせいかもしれないが、ショックには違いなかった。
――なんだ、俺の気持ちなんてやっぱり少しも分からないんだ。その時、いい加減諦めがついた。
だから俺は更に遅く帰るようになる。中学生で毎日七時、八時過ぎても遊ぶような連中は、素行のいい奴の方が少ないだろう。段々と悪い方へと、付き合う友達の色は変わっていった。
ついでにお喋りは次第に男遊びに変わっていく。飯は男が奢ってくれるから問題は無い。中学生だってする奴は色々やってるものだ。現に俺はそういう所に辿り着いてしまった。
遊びはハマる。
最後には俺は家なんてどうでもよくなって、単に楽しくなってきてしまった。なんでもっと早くこうしなかったのだろうと後悔するほどに。
俺の幸せは家に無い。ここにある。
だからこそ俺は家を出るたびに言ったのだ。
「いってきます!」
寝る場所として仕方なく戻るこの家から出られると満面の笑みで。既に見離されていることに気付きながら。だからこそあてつけになるんだけれど。
元を辿れば悪いことをしたくてそうなったわけじゃない。今考えてみれば“行ってきます”は“ただいま”を言う場所なのだから、切り離しきれてはいなかった気がする。だが、既に正常な感覚なんて麻痺してしまっていた。
現実としてはやはり、ミスマッチだったのだ。
居場所というのは作るのは難しい。だが、壊すのはそれこそ一瞬。しかも意図せずとも望まなくとも小さい綻びが段々と大きな傷を生んで一気に崩れさるもの。
ここの頃には俺はアタシだった。既にわたしは居なかった。
そして俺が俺になったのは今居る場所に辿り着いてから――いや、戻ってきてからの話だ。