私が私になった日
【四年前 九月】
おかしいのです。
友達が遊んでくれません。
どうしましょう。
去年の夏ごろからでしょうか、段々と遊びに誘っても断られてしまうのです。あのときはテスト前だから、と思っていましたがそうではなかったみたいです。
きっとみんな中学生になったので前よりも忙しくなったとは思いますが、それにしても毎日駄目なんてことあるんでしょうか?
ついに今日は帰り道さえも、一人ぼっちになりました。
最初は一緒に帰っていたのに次第に話に混ざれなくなっていって、なんだか居心地が悪くなってしまったのです。芸能人の誰がかっこいいだとか、あの女嫌いだとか。私はそんなこと興味がありません。ただ、みんなと毎日笑って遊んでいたいのです。
なんででしょう。
わかりません。わかりません。大して頭が良いわけでもないので分からないのです。考えてないのではなく分からないのです。
きっと、私に問題があるのでしょう。
そうじゃなかったら、私が居る時にそんな話をしてのけものにしたり、遊びを毎日断ったりするはずがありません。だから、原因は私にあるのです。でも、それをどうにかすればみんなは戻ってきてくれるはずです。
私の何がいけないのでしょう。
この問題を片づけなければもう誰とも遊べません。他の人と友達になってもまた同じことになってしまいます。でも、良く分からないのです。
そもそも、一度は仲良く遊んだ友達なのです。それも半年間。すっかり私の悪い所も分かっている頃だと思います。なのに、ここにきてこんな風になってしまったからにはよっぽどのことがあるはずなのに分からないのです。
馬鹿だからとか、かわいくないからだとか、そういう理由ではない筈なのです。
自分自身では分からない、となるともう他の人に聞くしかありません。直接友達に聞いても教えてくれるはずがありませんし、お母さんには心配をさせたくありません。お父さんはここのところ仕事が忙しいみたいなのであまり家に帰ってきてくれません。
と、なると。
「ただいまー!」
家に帰って、お母さんに挨拶します。
「お帰りなさい」
「じゃあ早速着替えてくるのですよ!」
ここのところ、お母さんは「今日は?」と聞かなくなりました。薄々分かっているのかもしれません。それでも、私から言うことはできません。もしかしたら私が少しお姉さんになって遊ばなくなっただけだと思っているってこともありえます。なんて、それは希望的観測というやつなのでしょうけど。
なにより、勇気が無いのです。きれいな笑顔を曇らせてしまう勇気が。
だから私は階段を上ります。
「ただいま」
そして、いつものようにお姉ちゃんにも挨拶します。
けれど今日は続きがあります。
「――ねぇ、お姉ちゃん。相談があるんです」
友達が遊んでくれません。
どうしましょう。
去年の夏ごろからでしょうか、段々と遊びに誘っても断られてしまうのです。あのときはテスト前だから、と思っていましたがそうではなかったみたいです。
きっとみんな中学生になったので前よりも忙しくなったとは思いますが、それにしても毎日駄目なんてことあるんでしょうか?
ついに今日は帰り道さえも、一人ぼっちになりました。
最初は一緒に帰っていたのに次第に話に混ざれなくなっていって、なんだか居心地が悪くなってしまったのです。芸能人の誰がかっこいいだとか、あの女嫌いだとか。私はそんなこと興味がありません。ただ、みんなと毎日笑って遊んでいたいのです。
なんででしょう。
わかりません。わかりません。大して頭が良いわけでもないので分からないのです。考えてないのではなく分からないのです。
きっと、私に問題があるのでしょう。
そうじゃなかったら、私が居る時にそんな話をしてのけものにしたり、遊びを毎日断ったりするはずがありません。だから、原因は私にあるのです。でも、それをどうにかすればみんなは戻ってきてくれるはずです。
私の何がいけないのでしょう。
この問題を片づけなければもう誰とも遊べません。他の人と友達になってもまた同じことになってしまいます。でも、良く分からないのです。
そもそも、一度は仲良く遊んだ友達なのです。それも半年間。すっかり私の悪い所も分かっている頃だと思います。なのに、ここにきてこんな風になってしまったからにはよっぽどのことがあるはずなのに分からないのです。
馬鹿だからとか、かわいくないからだとか、そういう理由ではない筈なのです。
自分自身では分からない、となるともう他の人に聞くしかありません。直接友達に聞いても教えてくれるはずがありませんし、お母さんには心配をさせたくありません。お父さんはここのところ仕事が忙しいみたいなのであまり家に帰ってきてくれません。
と、なると。
「ただいまー!」
家に帰って、お母さんに挨拶します。
「お帰りなさい」
「じゃあ早速着替えてくるのですよ!」
ここのところ、お母さんは「今日は?」と聞かなくなりました。薄々分かっているのかもしれません。それでも、私から言うことはできません。もしかしたら私が少しお姉さんになって遊ばなくなっただけだと思っているってこともありえます。なんて、それは希望的観測というやつなのでしょうけど。
なにより、勇気が無いのです。きれいな笑顔を曇らせてしまう勇気が。
だから私は階段を上ります。
「ただいま」
そして、いつものようにお姉ちゃんにも挨拶します。
けれど今日は続きがあります。
「――ねぇ、お姉ちゃん。相談があるんです」
私が。
私が、一体何をしたと言うのでしょう。
お姉ちゃんに相談したいと言ったものの返事はなく、何も変わらないまま数日が過ぎました。すっかり登下校は私一人。待ち合わせすることも、道草を食って帰ることもありません。
そのせいでしょうか。とうとう、学校でさえ一人になってしまいました。話しかけても聞いてさえくれません。
休み時間、友達がかたまっている所によって言ってもやはり混ぜてはもらえなかったので、肩を叩いてみることにしました。
「ねぇ、ねぇ」
すると、こちらを振り向いてくれました。しかし、私と分かると露骨に嫌そうな表情をして顔を元の方へ戻していきます。
一緒に遊んだ友達はみんなそんな感じになって、数日経つと更には同じクラスの人まで同じふるまいを見せるようになってしまいました。もうこのクラスに私の居場所はないのでしょうか。
お弁当だって一人です。机をくっつける相手はもういません。昔そうだった人たちは私に席から大分離れたところで固まっています。楽しそうにお喋りをしています。
初めは、私だってあそこにいたのに。
一体何をしたというんですか? 教えてください。どうすれば私とまた一緒に遊んでくれるのですか。
一緒に帰らなかったの怒ってるのですか? それなら謝るから。謝るから許してください。
「ごめんなさい。一緒に帰りましょう?」
ある日の放課後、帰ろうとする友達の目の前に立って頭を下げました。
けれど、やはり、私は彼女たちにとっては居ない人のよう。私の横をすうっと通り過ぎて廊下へ出ていきます。楽しそうに話しながら。
あれ、話せていますよね? ちゃんと耳に届いていますよね? 見えていますよね? 頭を下げてごめんなさいしているの、見えていますよね?
「ごめんなさい!」
廊下に出て、今度は彼女たちの背中に向かって話すように謝ります。遠くなるにつれて大きな声で何回も。何回も。
それでも、その背中は段々と消えていきます。ついには角を曲がって全く見えなくなってしまいました。追いかけても意味無いでしょう。私はその場に座り込みます。
叫んでいた私をじろじろとみる他の子も、時間が経つにつれ下校していきます。けれど、誰も私に声をかけることはありませんでした。
しばらくすると校庭では部活をしている人の大きな声が聞こえてくるようになりました。あんな大きな声なんて私には到底出せないですけど、出せた所でもう届かないのでしょう。
「ううっ……」
何がいけないと言うのですか。私はみんなと遊びたいだけなのに。
悲しい気持ちは段々いらいらに変わっていきます。
謝りました。ごめんなさいしましたよ。それなのになんで許してくれないのですか? もしかして一人で帰ったからじゃないのですか? なら教えてください。どうして私の話を聞いてくれないのですか。
なんで、私を無視するのですか。
「なんで! なんでですか!」
精いっぱい出した震えた声も、誰に届くわけではありませんでした。
私が、一体何をしたと言うのでしょう。
お姉ちゃんに相談したいと言ったものの返事はなく、何も変わらないまま数日が過ぎました。すっかり登下校は私一人。待ち合わせすることも、道草を食って帰ることもありません。
そのせいでしょうか。とうとう、学校でさえ一人になってしまいました。話しかけても聞いてさえくれません。
休み時間、友達がかたまっている所によって言ってもやはり混ぜてはもらえなかったので、肩を叩いてみることにしました。
「ねぇ、ねぇ」
すると、こちらを振り向いてくれました。しかし、私と分かると露骨に嫌そうな表情をして顔を元の方へ戻していきます。
一緒に遊んだ友達はみんなそんな感じになって、数日経つと更には同じクラスの人まで同じふるまいを見せるようになってしまいました。もうこのクラスに私の居場所はないのでしょうか。
お弁当だって一人です。机をくっつける相手はもういません。昔そうだった人たちは私に席から大分離れたところで固まっています。楽しそうにお喋りをしています。
初めは、私だってあそこにいたのに。
一体何をしたというんですか? 教えてください。どうすれば私とまた一緒に遊んでくれるのですか。
一緒に帰らなかったの怒ってるのですか? それなら謝るから。謝るから許してください。
「ごめんなさい。一緒に帰りましょう?」
ある日の放課後、帰ろうとする友達の目の前に立って頭を下げました。
けれど、やはり、私は彼女たちにとっては居ない人のよう。私の横をすうっと通り過ぎて廊下へ出ていきます。楽しそうに話しながら。
あれ、話せていますよね? ちゃんと耳に届いていますよね? 見えていますよね? 頭を下げてごめんなさいしているの、見えていますよね?
「ごめんなさい!」
廊下に出て、今度は彼女たちの背中に向かって話すように謝ります。遠くなるにつれて大きな声で何回も。何回も。
それでも、その背中は段々と消えていきます。ついには角を曲がって全く見えなくなってしまいました。追いかけても意味無いでしょう。私はその場に座り込みます。
叫んでいた私をじろじろとみる他の子も、時間が経つにつれ下校していきます。けれど、誰も私に声をかけることはありませんでした。
しばらくすると校庭では部活をしている人の大きな声が聞こえてくるようになりました。あんな大きな声なんて私には到底出せないですけど、出せた所でもう届かないのでしょう。
「ううっ……」
何がいけないと言うのですか。私はみんなと遊びたいだけなのに。
悲しい気持ちは段々いらいらに変わっていきます。
謝りました。ごめんなさいしましたよ。それなのになんで許してくれないのですか? もしかして一人で帰ったからじゃないのですか? なら教えてください。どうして私の話を聞いてくれないのですか。
なんで、私を無視するのですか。
「なんで! なんでですか!」
精いっぱい出した震えた声も、誰に届くわけではありませんでした。
学校は楽しい所ではなくなっていました。
誰と話すわけでもありません。勉強の為に行く毎日です。学校はもともとそういう場所なので気にすることでもありません。遊ぶためではないのです。
それに一人ぼっちになったって、テストになったらみんな敵なのです。仲良く敵と話すなんて、どこのヒーローだってしないと思います。帰りに一緒に遊ぶなんて、そう考えてみれば、とてもおかしいことをしていたのです。教え合うだとか、馬鹿らしいのです。何故敵を強くする必要があるのですか。
最近、私はそう思うようにしています。思い込ませます。意見は聞きません。
そうでないと、とてもじゃないけれど耐えきれませんから。どうしてあんなに楽しかったのにこんなことになってしまったのでしょうか。
なんて。言っても仕方ないのです。何を言った所で彼女たちには聞こえてないのですから。
私の話を聞いてくれる人と言えば、それはお母さんくらいです。
私が話すと、元気のないお母さんが楽しそうな顔をしてくれるのです。それがとてもとても嬉しくて、毎日話をしています。
何が楽しかったとか、何が面白かったとか。昔あったことをまるで今日起きたことのように話すのですよ。
それはちょっと辛い所もありますが、でも他にいい話題を作ることはできません。だから仕方ないのですが、話すことが無くなってきてしまいました。今度は無かったことをあったように話すしかないです。そうなったらかなり辛いです。けれど、もう学校では楽しいことなんて起きないのです。
他に誰か話す人、というと残念ながらいません。いればその人から聞いたことをお母さんに話せるのですが。
いや、もしかしたらお姉ちゃんは話してくれるかもしれません。といいますか、もうお姉ちゃんしか居ません。学校をのぞけば、私が誰かと話しうるのは家くらいなのですから。
お父さんのように同じ会社の人も居ません。そもそもまだ中学生ですからね。お母さんのようにご近所さんはいますけど、みんな同じ学校に行っているのですから意味がないです。
「お姉ちゃん?」
私は、今日も話しかけます。お母さんにしたのと同じ話です。
「今朝、男子がドアに仕掛けた黒板消しに先生が引っ掛かってですね。それで先生怒っちゃって! 男子がみんなずらっと廊下に立たされたのですよ。中には全然関係ない子も居たのですが、犯人の子たちが男子みんなでやりましたって言ったのでそうなってしまったのです。それでですね……」
扉の前で独り言を喋っているみたいです。誰が見ても危ない人のようですが、この奥にはお姉ちゃんが居るはずなのです。“はず”と断定できないのは、一回も返事が来ず自信が持てなくなってきたからです。いっそ、居ない方がいいのかもしれません。
だって居るのだとしたら、あの子たちのように私を無視しているってことじゃないですか。
「……ぐすっ」
考えないようにはしていますが、つい思い浮かんでしまってときどき泣きそうになってしまいます。
「ああ、ごめんなさいです。続きですね。それでですね――」
それでも話しかけてしまうのは、捨てきれない気持ちが大きいからでしょう。
楽しい毎日というものが、捨てきれないのです。
誰と話すわけでもありません。勉強の為に行く毎日です。学校はもともとそういう場所なので気にすることでもありません。遊ぶためではないのです。
それに一人ぼっちになったって、テストになったらみんな敵なのです。仲良く敵と話すなんて、どこのヒーローだってしないと思います。帰りに一緒に遊ぶなんて、そう考えてみれば、とてもおかしいことをしていたのです。教え合うだとか、馬鹿らしいのです。何故敵を強くする必要があるのですか。
最近、私はそう思うようにしています。思い込ませます。意見は聞きません。
そうでないと、とてもじゃないけれど耐えきれませんから。どうしてあんなに楽しかったのにこんなことになってしまったのでしょうか。
なんて。言っても仕方ないのです。何を言った所で彼女たちには聞こえてないのですから。
私の話を聞いてくれる人と言えば、それはお母さんくらいです。
私が話すと、元気のないお母さんが楽しそうな顔をしてくれるのです。それがとてもとても嬉しくて、毎日話をしています。
何が楽しかったとか、何が面白かったとか。昔あったことをまるで今日起きたことのように話すのですよ。
それはちょっと辛い所もありますが、でも他にいい話題を作ることはできません。だから仕方ないのですが、話すことが無くなってきてしまいました。今度は無かったことをあったように話すしかないです。そうなったらかなり辛いです。けれど、もう学校では楽しいことなんて起きないのです。
他に誰か話す人、というと残念ながらいません。いればその人から聞いたことをお母さんに話せるのですが。
いや、もしかしたらお姉ちゃんは話してくれるかもしれません。といいますか、もうお姉ちゃんしか居ません。学校をのぞけば、私が誰かと話しうるのは家くらいなのですから。
お父さんのように同じ会社の人も居ません。そもそもまだ中学生ですからね。お母さんのようにご近所さんはいますけど、みんな同じ学校に行っているのですから意味がないです。
「お姉ちゃん?」
私は、今日も話しかけます。お母さんにしたのと同じ話です。
「今朝、男子がドアに仕掛けた黒板消しに先生が引っ掛かってですね。それで先生怒っちゃって! 男子がみんなずらっと廊下に立たされたのですよ。中には全然関係ない子も居たのですが、犯人の子たちが男子みんなでやりましたって言ったのでそうなってしまったのです。それでですね……」
扉の前で独り言を喋っているみたいです。誰が見ても危ない人のようですが、この奥にはお姉ちゃんが居るはずなのです。“はず”と断定できないのは、一回も返事が来ず自信が持てなくなってきたからです。いっそ、居ない方がいいのかもしれません。
だって居るのだとしたら、あの子たちのように私を無視しているってことじゃないですか。
「……ぐすっ」
考えないようにはしていますが、つい思い浮かんでしまってときどき泣きそうになってしまいます。
「ああ、ごめんなさいです。続きですね。それでですね――」
それでも話しかけてしまうのは、捨てきれない気持ちが大きいからでしょう。
楽しい毎日というものが、捨てきれないのです。
返事はずうっとありません。
諦めきれない私はお姉ちゃんに話しかけます。毎日毎日。
学校ですっかり一人ぼっちになってからは、初めの相談したいと言う気持ち以上にとにかくお話したいという気持ちが強くなっていました。
けれどお母さん以外にも話し相手がほしいと言うのはやはり学校の辛いことを話したい、相談したいと思っているからに他なりません。
することもないので時間だけはあります。だからずっと話しかけ続けます。無駄かもしれません。ずっと出てきてくれないお姉ちゃんがこんな時だけ出てきてくれるなんて、お話のように出来過ぎなのは分かっています。
いっそお母さんに相談しようかとも思いました。けれど、最近のお母さんは日に日に目に見えて元気じゃなくなってきているのです。もちろん私と話している時はまだきれいな笑顔を見せてはくれるのですが、無理していると感じるような笑顔で、それを見る度心配になってきてしまうようになりました。
だから。
「どうしてもお姉ちゃんじゃないと駄目なのです。お母さんやお父さんには言えません」
けれど応答らしきものは何も聞こえませんでした。扉に耳を付けて良く聞いてみても良く分からないカチャカチャという細かい音が聞こえるだけです。
お姉ちゃんの声を最後に聞いたのはいつだったでしょう。確か私が小学三年生の頃でした。そのころお姉ちゃんは丁度私と同じ中学一年生で、笑顔で学校へ行っていたような記憶があります。「いってきます!」と。それなのにいつの間にか部屋から出てこなくなってしまいました。あんなに楽しそうだったのに。
もう昔のことなのでお姉ちゃんの思い出と言ってもあまり覚えてないのですが、お母さんに似たあのきれいな笑顔だけは頭にはっきりと残っているのです。
だから、お姉ちゃんはお母さんと同じように優しい人に違いないと私は思っています。だからこそ、私の希望なのです。
「お願いです。お願いなので話を聞いてくれませんか?」
泣きそうになってしまいましたが、ぐっとこらえてずっとお姉ちゃんの部屋の前で話し続けます。けれど何も言葉は返ってきません。
「もしかして私の声が聞こえてないのですか? もっと大きい声で話した方が良いですか?」
それとも彼女たちのように聞いていないのですか? いえ、そうなのだとしてももうここでお姉ちゃんを呼ぶしかないのです。
でも、あまり大きな声を出すとお母さんに見つかってしまいます。それでは意味がありません。
コンコン。
だから私はノックすることしました。これならまだ大きな音で聞こえるはずです。
コンコンコン。
コンコンコンコン。
何度も何度も叩いてみましたが、駄目なようです。それでももう私にはこうすることしかできません。他に誰も居ないのです。お願いします。お願いします。お願いします。
何度も心の中でお願いをして叩きます。
コンコン。コンコン。
コンコンコン。コンコンコン。
コンコンコンコン。コンコンコンコン。
「お姉ちゃん、お姉ちゃん」
この頃には既に泣いてしまっていました。
やはり彼女たちのように聞いてないんじゃないか。無視しているんじゃないか。
一度そう思ってしまうと涙にして流しきるまでは心に溜まったままなのです。しかも、一回出しても後でいくらでもいくらでも再びその気持ちが湧いてきます。もう何回泣いたことでしょう。
大声を出すことは我慢しましたが、お姉ちゃんを呼ぶ声は震えてしまいます。涙は止まってくれません。何度も、何度も。私はノックを繰り返します。
コンコン。コンコン。
すると。
「お姉ちゃん?」
部屋の奥から足音が聞こえてきました。私の居る方、ドアの方へと近づいてきます。
「お姉ちゃんですか? お姉ちゃんですよね?」
ああ、良かったと安心しました。
コン。
私はここにいますと言うように、もう一度ノックをします。そして扉の向かいの壁にもたれかかって待ちます。
大丈夫。これで大丈夫なのです。私はきっとまた楽しく過ごしていけるに決まっています。
ゆっくりと、扉が開きます。
「お姉ちゃん!」
ドアが開いて、私がその方向を見上げると――。
――お姉ちゃんはまるで私を殺そうとするかのような形相でにらみ付けていました。
諦めきれない私はお姉ちゃんに話しかけます。毎日毎日。
学校ですっかり一人ぼっちになってからは、初めの相談したいと言う気持ち以上にとにかくお話したいという気持ちが強くなっていました。
けれどお母さん以外にも話し相手がほしいと言うのはやはり学校の辛いことを話したい、相談したいと思っているからに他なりません。
することもないので時間だけはあります。だからずっと話しかけ続けます。無駄かもしれません。ずっと出てきてくれないお姉ちゃんがこんな時だけ出てきてくれるなんて、お話のように出来過ぎなのは分かっています。
いっそお母さんに相談しようかとも思いました。けれど、最近のお母さんは日に日に目に見えて元気じゃなくなってきているのです。もちろん私と話している時はまだきれいな笑顔を見せてはくれるのですが、無理していると感じるような笑顔で、それを見る度心配になってきてしまうようになりました。
だから。
「どうしてもお姉ちゃんじゃないと駄目なのです。お母さんやお父さんには言えません」
けれど応答らしきものは何も聞こえませんでした。扉に耳を付けて良く聞いてみても良く分からないカチャカチャという細かい音が聞こえるだけです。
お姉ちゃんの声を最後に聞いたのはいつだったでしょう。確か私が小学三年生の頃でした。そのころお姉ちゃんは丁度私と同じ中学一年生で、笑顔で学校へ行っていたような記憶があります。「いってきます!」と。それなのにいつの間にか部屋から出てこなくなってしまいました。あんなに楽しそうだったのに。
もう昔のことなのでお姉ちゃんの思い出と言ってもあまり覚えてないのですが、お母さんに似たあのきれいな笑顔だけは頭にはっきりと残っているのです。
だから、お姉ちゃんはお母さんと同じように優しい人に違いないと私は思っています。だからこそ、私の希望なのです。
「お願いです。お願いなので話を聞いてくれませんか?」
泣きそうになってしまいましたが、ぐっとこらえてずっとお姉ちゃんの部屋の前で話し続けます。けれど何も言葉は返ってきません。
「もしかして私の声が聞こえてないのですか? もっと大きい声で話した方が良いですか?」
それとも彼女たちのように聞いていないのですか? いえ、そうなのだとしてももうここでお姉ちゃんを呼ぶしかないのです。
でも、あまり大きな声を出すとお母さんに見つかってしまいます。それでは意味がありません。
コンコン。
だから私はノックすることしました。これならまだ大きな音で聞こえるはずです。
コンコンコン。
コンコンコンコン。
何度も何度も叩いてみましたが、駄目なようです。それでももう私にはこうすることしかできません。他に誰も居ないのです。お願いします。お願いします。お願いします。
何度も心の中でお願いをして叩きます。
コンコン。コンコン。
コンコンコン。コンコンコン。
コンコンコンコン。コンコンコンコン。
「お姉ちゃん、お姉ちゃん」
この頃には既に泣いてしまっていました。
やはり彼女たちのように聞いてないんじゃないか。無視しているんじゃないか。
一度そう思ってしまうと涙にして流しきるまでは心に溜まったままなのです。しかも、一回出しても後でいくらでもいくらでも再びその気持ちが湧いてきます。もう何回泣いたことでしょう。
大声を出すことは我慢しましたが、お姉ちゃんを呼ぶ声は震えてしまいます。涙は止まってくれません。何度も、何度も。私はノックを繰り返します。
コンコン。コンコン。
すると。
「お姉ちゃん?」
部屋の奥から足音が聞こえてきました。私の居る方、ドアの方へと近づいてきます。
「お姉ちゃんですか? お姉ちゃんですよね?」
ああ、良かったと安心しました。
コン。
私はここにいますと言うように、もう一度ノックをします。そして扉の向かいの壁にもたれかかって待ちます。
大丈夫。これで大丈夫なのです。私はきっとまた楽しく過ごしていけるに決まっています。
ゆっくりと、扉が開きます。
「お姉ちゃん!」
ドアが開いて、私がその方向を見上げると――。
――お姉ちゃんはまるで私を殺そうとするかのような形相でにらみ付けていました。
「るっせんだよぉぉぉぉおぉぉぉぉぉおおぉぉおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!」
「お……おね……」
さけび声と同時に勢いよく振ったお姉ちゃんの足が私のお腹に当たって、飛びはしないものの後ずさります。衝撃を受けた胃が押し戻されて吐いてしまいそう。こらえるのに必死で声を上げることすらできません。
「がっ……あ」
「ガンガンガンガンなんなんだよ! うるせえったらねーんだよ! そんなこともわかんぇのかああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!」
「ご……ごめんなさ……」
「ふざけんなあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!」
私の言葉なんてもう聞いてないと言う風に、何度も何度も蹴ります。お腹を蹴ったり踏みつけたり。躊躇なく。
お姉ちゃんの叫び声は家じゅうに響き渡りました。外にまで聞こえたんじゃないでしょうか。まるで人間じゃないみたいにひどい鳴き声のようなものを上げていました。その間も私を蹴る足は止まりません。
「何?!」
そのとき、一階からからお母さんの声が聞こえました。同時に扉が勢いよく開いてどこかに当たったような音がしたので、きっとリビングから飛び出てきたのでしょう。続いて階段を駆け上がる音がします。
と言ってもその音に耳を傾けられるほど私には余裕はありません。いえ、考えられる余裕も。
「うぜぇ、うぜぇ、うぜぇ、うぜぇんだよ!」
「何やってるの!」
そして階段の途中で私達を見つけたお母さんは、青ざめました。急いで階段を最後まで上ります。あんなに焦った顔は見たことはありません。
「……チッ」
それを見ると、お姉ちゃんはとても苦そうな顔をしてすぐに部屋の中へと戻り、鍵をかけました。閉める時のガチリという音は私を突き放していくようで。けれど、引き留めるにも身体は動かなかったのです。
「げほっ、げほっ、げえっ」
気が緩んだのか、耐えていたのがすこしだけ戻ってきました。ばしゃりと下品な音を立てて、それらは落下し床に広がります。
「大丈夫?! 大丈夫?! ねぇ!」
お母さんはこっちへと駆けよります。私が出したものが服にかかるかなんて気にも留めずに、倒れている身体を抱きかかえてくれました。
あったかいなぁ。
でもお母さんは、大切な何かを壊してしまったかのようなとても悲しそうな顔をしています。
「……はい。私は、大丈夫、なのですよ。ちょっと、お姉ちゃんを、怒らせちゃいました。騒がしくって、ごめんなさい、です」
「全然大丈夫じゃないじゃない!」
「大丈夫。大丈夫、なの、です。お母さんが心配するようなことなんて全く、全然、ないの、ですよ」
だから、そんな顔をしないでください。それだけは、見たくないのです。
「お……おね……」
さけび声と同時に勢いよく振ったお姉ちゃんの足が私のお腹に当たって、飛びはしないものの後ずさります。衝撃を受けた胃が押し戻されて吐いてしまいそう。こらえるのに必死で声を上げることすらできません。
「がっ……あ」
「ガンガンガンガンなんなんだよ! うるせえったらねーんだよ! そんなこともわかんぇのかああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!」
「ご……ごめんなさ……」
「ふざけんなあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!」
私の言葉なんてもう聞いてないと言う風に、何度も何度も蹴ります。お腹を蹴ったり踏みつけたり。躊躇なく。
お姉ちゃんの叫び声は家じゅうに響き渡りました。外にまで聞こえたんじゃないでしょうか。まるで人間じゃないみたいにひどい鳴き声のようなものを上げていました。その間も私を蹴る足は止まりません。
「何?!」
そのとき、一階からからお母さんの声が聞こえました。同時に扉が勢いよく開いてどこかに当たったような音がしたので、きっとリビングから飛び出てきたのでしょう。続いて階段を駆け上がる音がします。
と言ってもその音に耳を傾けられるほど私には余裕はありません。いえ、考えられる余裕も。
「うぜぇ、うぜぇ、うぜぇ、うぜぇんだよ!」
「何やってるの!」
そして階段の途中で私達を見つけたお母さんは、青ざめました。急いで階段を最後まで上ります。あんなに焦った顔は見たことはありません。
「……チッ」
それを見ると、お姉ちゃんはとても苦そうな顔をしてすぐに部屋の中へと戻り、鍵をかけました。閉める時のガチリという音は私を突き放していくようで。けれど、引き留めるにも身体は動かなかったのです。
「げほっ、げほっ、げえっ」
気が緩んだのか、耐えていたのがすこしだけ戻ってきました。ばしゃりと下品な音を立てて、それらは落下し床に広がります。
「大丈夫?! 大丈夫?! ねぇ!」
お母さんはこっちへと駆けよります。私が出したものが服にかかるかなんて気にも留めずに、倒れている身体を抱きかかえてくれました。
あったかいなぁ。
でもお母さんは、大切な何かを壊してしまったかのようなとても悲しそうな顔をしています。
「……はい。私は、大丈夫、なのですよ。ちょっと、お姉ちゃんを、怒らせちゃいました。騒がしくって、ごめんなさい、です」
「全然大丈夫じゃないじゃない!」
「大丈夫。大丈夫、なの、です。お母さんが心配するようなことなんて全く、全然、ないの、ですよ」
だから、そんな顔をしないでください。それだけは、見たくないのです。
目が覚めると、私は自分のベッドの上で寝ていました。
だからと言って気絶していたわけではありません。けれど、あのときはもうお腹が痛くて更には気持ちが悪くなってきて自分が何をしているんだか、どこにいるんだかが曖昧になっていました。そのまま寝てしまっていたというのが正しい所だと思います。
まるで何もなかったかのように、部屋はいつも通りでした。カーテンから日がさしていないので夜になってしまっているみたいです。時計をみると9時でした。
身体は回復したようで、なんなく身体を起こすことができました。多少立って身体をゆすってみましたが、全くもっていつも通り。全快の私です。
部屋を出てリビングへと降ります。廊下は確か私が戻してしまった気はするのですが、ぴかぴかにきれいになっていました。雑巾で拭いたようにやや床が光っていたのでお母さんが掃除してくれたのでしょう。
滑らないように気をつけつつ階段まで足を運び、そのまま降りてリビングへ。
「お母さん?」
確かめるように呼びかけながら中へ入ります。お母さんはソファーに座っていました。ただ正面にあるテレビは真っ暗。何をするでもなく、ぼおっとしています。服は着替えたみたいです。
「お母さん!」
多少語気を強めると、ハッと気づいたようにこちらに急いで首を運びました。
「……本当によかった。気分はわるくない?」
「うん、大丈夫ですよ」
言うなり、お母さんは私を抱き寄せます。
「ごめんね」
聞いたことのない、酷く弱々しい声。
それは一度では終わらず、何回も「ごめんね、ごめんね」と。
「お母さんはわるくないじゃないですか」
それどころか私を助けてくれたのに。
けれどお姉ちゃんが悪い、とも私は言いたくありませんでした。私が悪い。私が何もしなければお姉ちゃんは怒らなかったのですから。
そういうことになれば少なくとも私自身は一番嬉しいのです。
「いえ、やっぱり私が悪いのよ」
でも返ってきたのは、すっぱりとした否定でした。
「お母さんは蹴ってないじゃないですか」
「そういう問題じゃないの」
「どういうことですか」
当たり前の疑問に対し、目を大きくしたお母さんは今度は目を細めた切ない顔をして、控えめに言葉を続けます。
「お姉ちゃんがああなったのは、私のせいなのよ」
目に涙が浮かんでいてすぐにでも零れ落ちそうです。でも、私とは違って泣きそうになっても声の調子は変わらず。
「お姉ちゃんはね、いじめられていたの」
お母さんはそう言いました。