Neetel Inside ニートノベル
表紙

私が私になった日
【四年前 十二月】

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 あれから練習して、今では随分慣れてきたものだ。今では特にお姉ちゃんに注意されることもない。本当にごくたまになってきた。
「随分慣れてきたじゃねぇか」
「そうかな?」
「ああ。まぁ、後はお前次第かな。頑張ってこいよ」
「うん、ありがとう」
 これが今朝の会話だ。少し打ち解けることができた気がしている。ぎこちなさが無くなってきたというか。お姉ちゃんの方も人付き合いを思い出してきた頃なんじゃないかな。そんなことを考えていると、朝食を食べつつ思わずにやけてしまった。あわてて顔を平常へと仕切り直す。
 お母さんはお父さんが食べた食器を洗っている。良かった、みられてなかったみたいだ。
「行ってきます」
「行ってらっしゃい」
 とんとんとつま先の部分を叩いて靴を足にフィットさせ挨拶をする。そうすると、綺麗な笑顔が送りだしてくれる。
 家を出ると、私はいつものように歩きだした。通いだして随分たった今となっては勝手に身体が進んでいく。別段足が早まることは無い。季節はすっかり冬へと移り、吐く息は白くなっていた。
 家から5分ほど歩いて、交差点へと出ると同じ学校へ向かう子は多くなる。でも知っている顔など殆ど居ない。大半は学年、クラスの最低いずれかが異なる知らない人間。でも流石に自分のクラスメートの顔くらいは覚えている。
「あ」
 ふと、記憶されている顔と合致する人物があった。前の方で一人とぼとぼ歩いている影がある。向井という同じクラスの人だ。身長は女にしては高く、髪を後ろで一つ結んでいる。いわゆるポニーテイルだ。だから多少離れているここからでも十分に認識できる。別段親しいわけではないが多少話したことくらいはある。
 と、丁度先の歩行者用の信号が赤になった。
「これなら自然の追いつける!」
 自分から声をかけなきゃ駄目なんだ。友達、作らないと。
 私は心の中で自分の頬を、痛くない程度に強くたたいて気合を入れる。物理的にはたくわけではないのだから痛いわけは無いんだけれど、やっぱり思い切りは怖いのだ。
 彼女の足が止まる。分かってはいるものの私の足取りは早くなる。一歩を踏みしめるごとに距離がつまるっていくのだから。
「あの、向井さ……」
「あ、ちいちゃーん!」
 信号は青になる。向井さんは背後の存在に気付くこと無く、友達の方へ手を振りながら歩いていく。一方肩を叩こうとして伸ばした手は空を切り、仲良く歩く同じクラスの子を茫然と見つめる私は、進む生徒の流れに逆らって立ち尽くすのだった。
 なかなか上手くはいかない。
 分かってはいるけれど、やはりぶつかって砕ける心の痛みと言うのはそんな理解で打ち消せるものでもない。分かってはいるんだよ。
 ふと見上げると信号の青が点滅していたので、急いで横断歩道を渡った。

     

 話し方を変えてから若干落ち付いてきた気がする。理由と言うなら一人きりになったからかもしれない。周りを冷静な目で見られるようになった。
 目の前で横に並んで無邪気に楽しそうに喋る中学生。人の迷惑など考えては居ないよう。近くに高校もあるので高校生も多々見受けられるが似たようなものだ。対して、向かいの歩道に居るような職場に向かうだろう大人を見かけると大抵一人でとてもつまらなさそうな顔をしている。
 多分私は後者と同じ様子に見られているだろう。きらきらするようなあの日は大分遠くに感じられる。だから同じ道を進み同じ制服を着て同じ鞄を持つ彼ら彼女らでも、何か途方もない壁があるように思えてならない。
「おまえさ、そりゃあるんじゃなくて作ってるんだよ」
 ある日相談してみるとお姉ちゃんはそう言った。
「……なのかな」
「少しは成長したってことだろ? いいことだよ。テンションに任せるよりずっといい。多分焦ってるんだろうけどな」
「焦ってる?」
「こんな頑張ってるのになんで友達できないのーって。失われた信頼を回復するのは難しい。分かってますよー。でもまだ頑張らなきゃいけないの? どれだけ頑張ればいいの? 何をすればいいの? 今してることって意味あるの? ってさ」
 非常に的を得ているなと思った。口調を矯正してもまだ駄目。声をかけようとしても上手くいかない。それがずっと。段々ネガティブな考え方になるのはその通りだ。けれど、一点違うような気がする。
 焦り、というよりは不安だと思う。いつまで続くのかという不安。そもそもまた友達ができるのかという不安だ。
「ま、ゆっくり頑張りなよ」
 そういって頭を撫でてくれる家族がいるだけ、まだマシなのだろうけど。
 もう左手には学校がある。あとは門へ迂回するだけ。そこをポツリと、誰と並ぶこともなくひたすら歩く。やや荷物が重く疲れてきたので逆の手の方へ持ちかえ、進むべく腕を振った。先程肩を叩こうとして無を掴んだ手だ。
 今この時、自分の掌で握れるのは精々鞄と自分の指くらい。教室では筆記用具だとか教科書だとかになる。自分を除けば無機物だけってことだ。寂しさはもうすっかり麻痺してしまっている。落ち着いてきたというのは感じなくなってきたということなのかもしれない。
 ……嫌なのですよ、こんなの。
 以前の自分のようにそう呟いてしまいたいときがある。それを喉で押し殺すことが多くなってきた。
 光明が見えたかに思えたものの、すぐに効果が表れるわけではなかった。言葉づかいを変えて得た物は冷静さだけかもしれない。
 天気も私の心情に付き合ってくれるわけもなく、憎らしいくらいの晴天だ。

「ちょっと、君たち! そんな並んでたら他の人が歩けないじゃない!」
 前方でやけに張った通る声がしたので顔を上げる。どうやらさっきから前で横一列で話していた中学生に向けられたものらしい。驚いたのか、彼ら全員足を止めていた。
「楽しそうなのは結構だけど、少しは人の迷惑も考えなきゃ駄目だよ」
 そんな横列に向き合うようにしつつ、左手を腰に当て右は人差し指を立てながら言い聞かせるように話す人がいた。声の出所はどうやら彼女の声帯のようだ。よく私と大して変わらない背恰好であの声を出せるものだ。制服からして高校生みたいだけれど。
「私だけならまだいいけど、こう人通り多いんだしさ。ほら、あの子もそうだよ。ね、君!」
「?」
 その人はこちらを指さしながら「君だよ君!」なんて言っている。でも、こう人の多い場所では誰のことを言っているのか分からない。思わず辺りを見回してしまう。
「君だってば。きょろきょろしてる君」
 言われて、彼女の人差し指が私を貫くように真っすぐと向いていることに気付いた。
「え……。私?」
「そうそう、そこの私ちゃん! 君も前が詰まってるせいで足を持て余してる風だったよね。って私もそうだったんだけどね」
 お母さんとは別の意味で綺麗な笑顔だった。元気づけられるような。
 はつらつとした雰囲気には威圧感はなく、しかし存在感についてはとてもあった。荒く跳ねた髪は寝癖をまんまにしたような感じで、もしも長髪だったなら毎日が大惨事のような具合だ。朝起きたら目覚ましが機能してなくて「遅刻だー!」と叫んで家を飛び出る少女のイメージと言えばおおよそ伝わるんじゃないかと思う。
 私より年上だろう彼女は、私より幼く輝いた大きい瞳でこちらを見ていた。

     

 彼女が道を阻む中学生たちを叱った後、縁のついでで話すことになった。時間はまだある。少しくらいなら大丈夫。
「私は坂巻っていうんだよー。君は?」
「千堂ですぁっ」
 初対面の人と会話するのは実に久しぶり。しばらく家族としか会話して居なかったためか、私は変な緊張で身体をこわばる。そしてそのせいで声がうわずってしまった。
 どうしよう、恥ずかしい。鏡が無くても自分の顔が紅潮するのが分かる。
「千堂……?」
 笑われてはいないだろうかと顔色をうかがうと、一遍もそんな様子は無くて考え込んでいるようだった。いや、どちらかと言うと思いだそうとしているようにみえた。目が上を向き、うーんと唸っている。寝癖のかかった髪はそれでも重力と拮抗し跳ねあがっていた。
「もしかして、三つ上のお姉ちゃんとか居るかな?」
 考えた末に投げかけられた質問は、私の家のことを知っているととれるものだった。
「居ますよ。もしかしてお姉ちゃんのお友達ですか?」
「うん。中学のときのだけどねー。途中で来なくなっちゃったから短かったし」
 そう言ってから彼女は足を進め出した。私の学校の門も同じ方向だと言うのはわかっているのだろう。まさか自分のことしか考えていないような人ではあるまい。何故そう感じるかと聞かれたら、何となくとしか答えられないのだけれど。
 少し進むと既に門は見えてくる。あとは真っすぐ進めばいい。遠くの方で先生が生徒に挨拶しているのが分かる。挨拶週間と言う奴だ。まだ遠いので誰かまでは分からない。
「……やっぱり高校も行ってないのかな?」
「そうですね。詳しくは良く知りませんけど」
「だろうね。多分君よりは知ってる。私は何もできなかったよ」
 あのことを言っているんだと瞬時に察する。
「仕方ないですよ」
「ううん、仕方なくなんかないんだ。学校来なくなってから家にもお邪魔したけどね、出てきてはくれなかったよ」
「あ、もしかしてお母さんが話していた、何があったか教えてくれた人って」
「それは私だね。あ、そろそろかな?」
 遠いとは言っても既に目では見えていた距離だ。少し話しただけでもうついてしまった。別れてしまうのはどうにも悲しい。また一人になってしまうのだから。
 でも、流石に高校生を引きこむわけにはいかない。あっちにはあっちのすることがある。
「ですね」
 私は「では、さようなら」と手を振りつつ挨拶をしてから、身体の向きを変えてから学校へと足を速めようとする。
 だが、その前に振っていた手を掴まれた。進めようとした足は想定よりも前に行かず、ずっと短い歩幅で着地する。
「あ、待って待って! 折角だからさ、アドレス交換しようよ!」
 引き留めたのは、予想というほどもなく確定的にわかっていたけれど、坂巻さんだった。
「え? ああいいですよ」
「やったぁ! んじゃ急いで急いで!」
 久しぶりなのでやり方を忘れてないか不安だったが、そんなことはなかった。久しぶりに自転車に乗れるようなものか。ってそんな大げさな話でもないか。とにかくできた。
 赤外線通信をするためのプラスチックでできたような黒い部分を付き合わせて名前やアドレス、携帯番号などを互いに送受信する。配達している様は目視できないけれど、携帯の画面を見ればデータが届いてきているのが分かる。
 じつに半年ぶりくらい。電話帳に新しい名前が記録された。さ行に一人の人名が増える。
「おっし。じゃあまたね、妹ちゃん!」
「……また」
 返事をしている間に、彼女は走って消えて行ってしまった。全く慌ただしい人だ。でも、決して悪い人ではなかった。なんと言ってもお姉ちゃんの友達だもの。
 その場に突っ立っていても仕方ないので私は学校へ入ることにする。挨拶をすると、立っていたのは担任だった。
「おはようございます」
「おはよう。おや? 千堂、今日は楽しそうじゃないか」
「いえ、そんなことはないですよ?」
 その日、思い出す度に携帯を見てにやついてしまったのは内緒の話。

     

「おはよう」
 教室に入るとクラスメイトに声をかける。だが返事は無い。いつもなら凹む所だが、今朝がた嬉しいことがあったばかりなので大丈夫だ。まだ行動できる精神力は大分ある。
 大概の反応はやるせないものだが、何事もやってみるものだと思う。今までの苦労がまるまる無駄になったわけではない。
「……おはよう」
 いじめのピークは過ぎ、控えめだが返してくれる人も出てきた。まだ話すという段階ではないけれど。元々は一緒にいた友達から全ては始まった。だが、彼女らは別にこのクラスを掌握しているわけではない。雰囲気的にそういう空気が伝播しただけだ。時間ともに薄れていくようで安心した。
 向井さんもその一人。席はずいぶん離れているけれど、グループ学習の時班に入れてもらって挨拶くらいはするようになった。
「みんな、おはよう」
 先生が教室へ入ってくる時間になれば全員席に座っている。当然と言えば当然だが、そうでない場所もあるらしい。
「出席取るぞー」
 名前が呼ばれるとはいと答える。さ行四番目である“せ”の順番になるまで、暇つぶしするほどには時間はかからない。けれど思いだして幸福感に浸るには十分な時間だ。
「千堂」
「は、はい!」
 とはいえ、自分の世界に入るのは考えもの。時と場所を選ぶべきだろう。名前を呼ばれるとびくりと全身が縮こまり椅子の足が鳴った。特に触れられるまでも無く先生は次を読み上げる。私は胸をなで下ろした。

 そうして授業が始まっていく。国語、数学、英語と先生が変わる。小学校の時はずっと同じ先生だったものだからなんだかやりにくい。中学校の勉強ってそれほど難しくなっているのかなぁと不安になるけれど、習ってみればなんてことはなく多少やれば教科書の問題は解ける。これから難しくなるのかな? 
 ちなみに理科になると担任が来る。今日で言えば4時間目だ。
「んじゃ、この問題を……千堂」
「はい」
 その理科の時間。私はあてられて黒板の前にでた。色とりどりの粉にまみれた白いチョークを持ち、正答を書き込んでいく。
「よし、あってるな」
 合格の言葉を受けて席へと戻る。
 勉強はちゃんとしてるもの。これくらいは簡単。ってお姉ちゃんに言われたんだけど。これも友達を作るためのステップなんだそうだ。
 よくあるパターン。「ねぇ千堂さん、ここわかんないんだけど教えてー!」を目指すらしい。
 出過ぎた杭は打たれるのであくまで成績は上の中くらいがいいとも言っていた。天才でもないんだから、あんな成績1位みたいな化け物にはなれない。心配なんて無用なのにね。
 幸い頭の出来は悪くは無いみたいで狙い通りそこそこの順位になれてはいる。
 談笑する友達が居ないのはこう言うときメリットだろう。授業を集中して聴くことができる。
 だが、休み時間は全て裏返ってデメリットになってしまう。
 4時間目が終われば昼休み。この時間だってひたすら一人だ。休み時間より遥かに余裕がある。けれど私にはそれがただの暇にしかならない。
 勉強していてはそれこそガリ勉のイメージを持たれてしまうのでやるわけにもいかないしやりたくもない。私だって勉強大好きガールというわけではないのだ。
「作戦のため、作戦のため」
 自分の席に座りながら弁当を広げる。蓋を開いた風景が今の学校生活で一番安らぐ時かもしれない。決して食べ物につられてじゃないよ? そういうのもあるかもしれないけれど、やっぱり一人じゃないと思える瞬間はとてもとても貴重な時間だから。
「ジリリリリリリリリリリリリ!」
「うえあっ?!」
 その時いきなり目覚まし時計のような音が鳴った。大音量で響き渡る。何事かと思ったが、他でもない私事。
「ああそっか!」
 急いで鞄を開けてやかましい携帯電話を開ける。出すと遮蔽するものが無いので音量が更に大きくなる。急いで電話の切りボタンを押す。
「ふぅ」
 落ち付いてから、視線が自分に集まっていることに気付いた。けれどすぐにいつものように私は空気になる。
「大丈夫?」
 そんな中、向井さんが私に話しかけた。
 え? え? え? 誰に話しかけてるんだろう。あれ、もしかして私? 間違いなく私だ! どういうこと?!
「う、うん。驚かせちゃってごめんね。あははははは」
 彼女と会話するのはこれが初めて。加えて相手からとなれば驚きなんて生ぬるいものじゃなく驚愕といっても足りないだろう。天変地異並だ。
 ひきつった笑顔を作りつつ、どうにか笑い声を作ってみる。心臓ははち切れんばかりに鼓動が急加速して、変な汗が溢れてきた。
「間違えて鳴らしちゃった?」
「そうそんな感じ!」
 ぎこちないイントネーションで言葉が出てくる。坂巻さんと話している時だってこんなじゃなかったのに。
「なにもないんだね。良かった」
「本当ごめんねー。じゃあ。あはは」
「うん、じゃあね」
 どうしたらいいのか分からない。だからこのタイミングで話を打ち切ってしまった。
 全くもって視界から消える距離ではないが、彼女が友達の所に戻るまで手を振って見送る私。帰っていく背中を見てとてももったいないことをしたように思えた。
 でも仕方ないじゃない、どうすればいいか分かんないもの。
「にしてもどうしたんだろう。お母さんからかな?」
 そうして一件落着したところで、私はこうなった原因の携帯を見ることにした。ディスプレイには新着メールが一件というメッセージ一つ。あれは着信音だったようだ。
 あ、昔夜にメールしてるときに寝オチしないように設定したんだっけ。音量は知らない間にボタンを押してしまっていたんだろう。いつからかメールなんて来なかったからすっかり忘れていた。
 再発防止のためにマナーモードへと切り替える。これで振動音しかしない筈だ。
 では中身を見ようかな。急ぎの連絡だったらいけないし。
「あ」
 メールボックスを開いてみると、そこには“坂巻”と表示されていた。

     

『題名:こんにちはっ!
 やっほー! 折角だからメールしてみましたー。今昼休みかな? 忙しかったら全然後でもいいから、良ければ返信してね~』
 こ、これがメールというものか! ……なんて時代の流れについていけない老人ほどではないけれど、多少なりとも感動は覚える。どちらかといえば40代辺りの人が懐かしのアニソンを聞いて懐かしさを感じているようなそんな感傷に近い。って私はまだ少女の歳なんだけどね。
『題名:Re:こんにちはっ!
 こんにちは。昼休みですよ。着信音切って無かったからいきなり鳴ってびっくりしましたけど 笑。授業中じゃ無くて良かったです』
『題名:Re:Re:こんにちはっ!
 ありゃ、それは申し訳ないことをしたね。ごめんねー。折角知り合ったんだしメールしたくなってさ。お姉ちゃんのことも色々聞きたいし』
『題名:Re:Re:Re:こんにちはっ!
 いえいえ、もうマナーモードにしたので大丈夫ですよ。気にしないでください。それよりもメールできて嬉しいです。
 お姉ちゃんのことですか……。実は話すようになったのはごく最近なので答えられるほど知らないんですよね。それでよければ何でも聞いてください』
『題名:Re:Re:Re:Re:こんにちはっ!
 ありがとうね! んじゃあ色々聞かせてもらおうかな? だけどその前に妹ちゃんのことも知りたいなー。あ、私のこともたくさん聞いちゃっていいんだよ 笑? ここで会ったのも何かの縁なんだし、お姉ちゃんのことを抜きにしても仲良くしてくれると嬉しいなっ』
『題名:Re:Re:Re:Re:Re:こんにちはっ!
 嬉しいです。こちらこそ仲良くしてやってください。あ、早速色々聞いちゃおうかなって思ったんですが、そろそろ昼休み終わっちゃうみたいです。だから返信は放課後になるかもしれません。なんだかこんな短い休み時間は久しぶりです。
 では質問は坂巻さんから、ということで。また後で!』
 返信を待つ時間さえ退屈ではない。確かにカップラーメンのお湯入れたての時に似たじれったさはあるけれど、それが逆に心地い良い。文面を考えるのだって一興だ。
 45分ある昼休みもあっという間に過ぎてしまうわけだ。外で遊んでいただろう男子もぞろぞろと戻ってきている。
「ふぅ、次は体育か」
 私は携帯を閉じ、更衣室へ向かった。本当は昼休みが終わるまでにはまだ余裕はある。けれど次が体育だとそろそろ着替えねばならないのだ。
 懐かしい気分だ。人と会話するのってこんなに楽しいものだったんだなぁと気付く。
 教室を出て右へと方向を定める。
 行き先はこの廊下を一直線に歩いた所にあり、私はスキップをしながら前へと進んだ。鼻歌をしたい気分だが、恥ずかしいのでそれは控える。
 更衣室に入るともう既に着替え始めている人も多く居た。準備を終えた人も居るようで、彼女たちは邪魔にならない所にはけて話している。私は袋から体操服を取り出して袖を通す。脱いだものは当然畳んでしまう。
 ジャージを着終わると、とどまる意味も無いので校庭へ出た。今日はマラソンだ。なにもこんな季節にやらなくてもいいのに。寒中水泳と似たような考え方をしているのだろうか。
 昇降口で運動靴に履き替える。とんとんとつま先を地面に当てて足に十分フィットさせてから校庭へと歩く。
 チャイムが鳴る。スピーカーは校舎にあるので中に居る時よりはボリュームが小さいように感じる。けれど、音の大小問わず先生はそれを見計らってでてくるのは変わらない。
「さぁ、男子は15週。女子は10週だ」
 えーという不平不満のに満ちる生徒のいつに無く息のあった合唱など取り合うまでも無く、結局は「いいから走る! 突っ立てると風邪引くぞ!」なんて言われて走るはめになってしまう。
 呼吸のたびに凍てついた大気の中で白い息が生まれる。それは時間の経過とともに切れ切れになっていく。当然身体は辛い。けれど心はいつもより軽い。だから足は勝手に先に行く。
 今は一人で走っているけれど、きっとそのうちに誰かが居てくれるはずだろう。希望ではない、確信のような何かを少しだけ持てている自分が誇らしい。
 努力か時間か偶然か。何が解決してくれたのかなんてどうでもいい。誰かが居てさえくれれば私はなんだっていいのだ。

     

 下校時。ホームルームを終え、さようならという挨拶を解散の合図として一斉に教室は騒がしくなる。私はいち早く抜け出すことにした。
「あ、千堂さん」
 校庭を出たあたりで呼びかけられ振りかえる。非常に聞き覚えのある声だ。なんたって今朝聞いたばかりなのだから。
「向井……さん?」
 きょとんとしているこちらに対し、なにやらもじもじとしている。
「あ、あのさ……」
「ん、なにかな」
「千堂さんって通学路一緒なのかな? 交差点の一つ先の信号の所。今朝いたよね? 信号青なのに渡って無かったと思うんだけど」
「あ、ああ、その交差点から一緒かな。でも私後ろに居たのによくわかったね」
「ともちゃ――友達がいたから急いで渡ったんだけど、よく考えたら呼びかけられた気がしてね。もしかして千堂さんだったのかなぁって」
 どうしようどうしようどうしよう。ポーカーフェイスを気取る仮面の裏でパニック症状になった。
 気付いていたなんて。話しかけられただけで駄目な程緊張していると言うのに。変な汗がいたるところからだらだらと出てくるのが分かる。
「ん? いや私じゃないよ。空耳なんじゃないかなぁ」
 馬鹿、なんて苦し紛れ! そんなこと言ったらばれちゃうのですよ! 間違った、バレちゃうよ!
 あ。焦るとまだ口調間違えちゃうんだ気をつけないと――って言ってる場合じゃない!
 頭を抱えてのたうちまわりたいけど、この車も通る公道でやったら危ないしそれ以前変な人だ。
 しれっとした顔を作るので精いっぱい。それ以外の場所は繕う余裕も無く、意識して見られたら嘘だと言うことくらい容易に分かってしまうだろう。
「そっか、気のせいかならいいんだ」
 けれど、幸いにも向井さんは言葉をその通りに受け止めてくれたようだった。
「え、あ、うん」
 危ない危ない。どうやら隠し通せたみたい。私は胸をなで下ろす。ハリボテポーカーフェイスもどうにか役に立ったのだ。
「じゃあ」
「じゃあね」
 私を追いかけるために教室に友達を置いてきてしまったからだろう、向井さんは学校へ戻っていった。
 また一人になる。話している内に周りには集団で下校する生徒が多く見える時間になっていた。
 安心する一方で、何か後悔のようなものを感じてしまう。今朝言おうと思っていたことを話せば良かったんじゃないか。良い機会だったのに。
 まだ間に合うかな。
 校舎の方へ向き、向井さんの姿を探す。似たり寄ったりの制服がぞろぞろと並んでいる中、もう見えるか否かの距離に居るだろう彼女を見つけることは出来なかった。


「やっぱり、話すべきだったかな」
「そりゃそうだろう。千載一遇のチャンスだったのに。こりゃ次の機会は千日後かな」
「もう中学終わっちゃってるじゃない」
「高校デビューってことだよ。って今から千日じゃあ既に高二になりそうな頃か。ま、なんだ、一度あることは二度あるさ」
「なんか気持ち数が少ないような」
「細かいことを気にしちゃダメだ。一回も経験してないことだって生きてれば一回は遭遇するんだから。三度あることだって四度ある。ポジティブって言葉知ってるか?」
「前向きに、ってことだよね。なんかお姉ちゃんに言われると複雑な気持ちになる」
「……言うようになったじゃねぇか。前みたいにお姉ちゃんお姉ちゃんってドアの前で泣いてくるか?」
「ごめんなさい。お姉ちゃんと話せて妹はとっても幸せです」
「なんか引っかかるけど、まぁいいか。そういう変化は良いことだ。こんな感じでフランクに接すればいいんだよ」
「『一緒に学校行かない?』って言えるかな」
「できるか否かじゃない。言うか言わないか、ただそれだけだ」
「たったそれだけがなかなか出てこないんだよ」
「分かってる。大変だろう。けど俺はお前の口からその言葉を吐かせてやることも、お前に友達を作ってやることもできない。こっちにできることはもう無いんだよ」
「……私も分かってる。はずなんだけどなぁ。これは自分の問題なんだから。うん、頑張ってみるよ。いつもありがとう」
「ああ、その子と友達になって早く部屋から出て行ってくれ」 
「うん、それじゃおやすみ」
「ああ、また明日」


 ベッドの上。クッションが私の身体を受け止める。心に色々溜めた分だけ沈み込んでいる気になる。
 今日はいいことだらけだった。今までが報われたと感じた。でも、新しく悩みが増えてしまったのも否めない。
 なんて言うんだろう、あと一歩がこんなに苦しい。
 横になるものの眠れずにいると携帯が震えた。私は充電器から携帯を外し確認する。差出人は坂巻さんだ。今日出会ったあの人。学校から帰ってからも質問をしあって既に十通はメールボックスに溜まっている。元気一杯に跳ねているような文面で少し心が軽くなった。自分に無いものを足してもらっている気分になる。
 親指を素早く動かして、返信をする。送信完了を示すメッセージを見てから閉じる。高校生はまだ寝る時間じゃないのかな。寝る雰囲気は無かった。
 悩ましいことは沢山だけれど、こちらの方は上手くいっている。と言ってもまだ一日目。どうなることか。
 やっと見つけたもの。絶対に取りこぼしたくないと言う気持ちがこんなに私を焦らせ、臆病にする。

       

表紙

近所の山田君 先生に励ましのお便りを送ろう!!

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Neetsha