――その日、人生で初めて人の狂気を幻視した。
大野祐一の絵を見た時のことだ。高一の初秋のことだったと思う。見覚えのある校庭が描かれた一枚の絵画を前に、俺は立ち尽くしていた。
俺は絵を描くことが好きだった。この目に映るものを、俺のフィルターを通して、真っ白なキャンバスの中に表現することは、他の何でも与えられない昂揚感を与えてくれた。俺にとって絵を描くことは、自己の世界を切り取って新たな世界を創造することに他ならなかった。
同じく絵を鑑賞することも、俺の中では、他者の世界を覗き見ることに等しく、それは非常に有意義なことだった。美術館には展示が変わるごとに足を運んだ。
その美術館のテーマ展示に応募した俺の作品が、優秀賞を受賞した。けれど最優秀作品ではない。今回は十分な時間と労力を費やした、会心の出来だった。思い上がりも甚だしいのだが、例年の受賞者のレベルを考えれば最優秀賞が妥当だと思っていた。だから優秀賞の通知をもらった時、正直に言って意外でしかなかった。最優秀の絵が一体どれほどのものか直接確認してやろうと思うのは、当時の俺の心境としては極自然なものだった。どの程度のものなのかを直接見て確かめたかった。
俺は他人よりも少々絵がうまい。小さな頃から今回のように絵画賞に応募して、受賞することも数知れずあった。高校を芸術専門スクールにしなかったのは、親父の反対にあったからだったが、いずれは美大に進学するつもりだった。親父は高校さえ卒業すれば後は好きにしていいと言って、大学のことまでは干渉してこなかった。
とにかく、高校一年のその時まで俺は大方のことはうまくいっていて、何の根拠もなくこの先もうまくいくだろうと思っていた。
はっきり言って俺には少なからず絵画の才能はあると信じて疑わなかったし、その才能で将来飯を食っていくのが当然だと思っていた。
今にして思えばそれは思い上がりでしかなかったのだが、俺は当時真剣にそう考えていた。我ながら愚かなものだと思う。
大野祐一の絵を見る前に、展示のプレートが眼に入った。その所属には俺と同じ高校名が、年齢には十五歳と表記されていた。そこで初めて大野祐一という名を知った。一般からも受け付けている展示絵画賞で、同じ高校、同学年の奴に賞を取られたと分かった時、俺は酷く驚いた。同時にきっと大した差はないだろうと確信した。
そして大野祐一の才能を見せつけられた。同時に奴が作り出した世界に魅入られた。
その絵には感触があった。高い夏の日差しが地面を灼いて、噎せ返るように立ち込める暑い空気も、心地よく瞳を刺激する青い木々の葉の反照も、その葉を揺らす風すらも、その全てを感じとることが出来るくらいの、絶対的な迫真性があった。
本能的に、それは俺の届かない所にあるものだと悟った。俺は決して大野祐一を越えることが出来ないと。なんという現実感の違いだろう。大野の絵は人を惹き込む。その隣に飾られた自分の絵が、ガキの落書きにか見えなかった。ただ絵が好きなだけの、幼児の落書きと何が違うのか。
どれくらいの時間か分からないが、俺はただ呆然とそれを見つめていた。ただその存在感に圧倒されて、動くこともできなかった。
時間がどれだけ経ったかなど分からない。けれど、いつまでもそうしているわけにもいかないと思って、まだまとまりを見せない思考で俺はその場を離れた。
ああ、けれど、確かにただ何か引っかかっていた。
振り返って見た大野の絵、改めてその完成度に愕然とする。
写実的、写真よりも写実的だ。そのキャンバスの中には大野の世界の一部があるから。だけれど棘に引っかかるような違和感。写実的なその絵画に、見つめるほど現実と乖離していくような錯覚。
何かがおかしい。空気に融ける光の硬度や、不可視の風すら分かってしまうほど描き込まれたそれには、致命的に何かが欠落している。あるいは、背筋が薄ら寒くなるほどの、何か異常がある。
ただなんとなく、それを敢えて呼ぶなら、狂気などと名が付くものじゃないかと思った。