始まりを謳う祝福の橙の空。
払暁を迎えて新生を語る橙色の空。
優しく目覚めるように、その翼を広げる橙の空。
深き青から姿を変える、産声を告げるかの様な一面の空。
其は蒼より碧に移るまでの一瞬の変遷。まるで儚い雨後の虹の様な空。
例年の暑さに思い至り、滅入る気持ちに拍車が掛かる。
お天気キャスターのテンションの高さにため息が漏れそう…
今日も一日が始まった。
日の出と共に目を覚ます生活にも既に馴れた。
生来朝に強い訳ではないのだが、この生活も数えて10年目。
人は積み重ねる事によって、変わることが出来るのだなぁ。と、一人納得。
自分の為なのに、仕方なくなんだからなんて誰にも聞かせない言い訳も、今となってはお馴染みの言葉。
一つ背伸びをして、今日も自分にガンバレとエールを送った。
部屋を染めてる朝日が、なんでもない一日に祝福と言う名の視線を投げかけていた。
今年の夏も部活漬けの毎日が過ぎて行く。
責任ある立場に居ると言う事は、一部自由を放棄すると言う事でもある。
今日も今日とて練習三昧になるだろう事を語る晴天。
楽しいのだから不満はないが、少しだけ心の隅で予想外の展開を願ってみる。
着替えを済ませながら、いつもの準備に余念が無い。
階下に下りるとすぐに台所へと向かった。
OK。ごはんが美味しそうに炊けている模様。
10年毎日変わらぬ場所へと歩を進める。
所要時間実に1分の戦場。少しだけ気合を入れて、イザマイル!
門扉を押し開け玄関をくぐる。挨拶も軽めに二階へと向かう。
毎日毎日、飽きる事も無くよく続くと自分でも思う。
勉強も部活も、人並み以上にこなして来たつもりだ。
なんてことはない。全てはこの為だったんだと思う。
昔は色々と言われて落ち込んだものだ。
だから全てに反論出来るように、そも言われないように、何事においても負けないようにしてきた。
お陰で今は誰にも文句は言われない。
おばさまには感謝もされている。
だってほら。こうして中華なべとオタマを階段下で手渡されてるもの。
うなずきを返すと「やっちゃって」とだけ。
万事許可は得た。後は実行のみ。
いつもの扉の前へと辿り着く。
いつもと同じ朝。
十年焼き直しの光景。
もしかしなくても
わたしはこの為にいろんな事をがんばってるんだな。
そんな事を考えながら、扉をそっと押し開いた。
「…寝てるわね…」
「zzz…」
今日もタオルを抱え込んで縮こまってる。
「…起きてないの?本当は芝居なんでしょ…」
「zzz…z…」
少しの間様子をみて、眠りが確かである事を確認する。
うん。いつも通り。
「相変わらずの寝相なんだから。もぅ…ほんとかわいいなぁ…うりうり♪」
「…?…zzz」
一瞬寝息が止まるけれども、これまたいつもの事。全く問題ナシ。
あとは毎朝恒例のセレモニーを執り行うだけ。
「はやくおきなきゃイタズラしちゃうぞ?」
「zzz?」
寝てるのに不思議そうな顔をする。これまたいつもの事。
どうにも感情の押さえが利かない。あぁ…かわいすぎかも。
「…しらないからねぇ~」
チュ
ん。OK。セレモニー第一段階完了。
今日も気付かれないで済みました。ちょっとばかりの満足感と、ある種の憎しみ。
…これだけやってもまだ気付かないのか。そうですか。
「…じゃ、いつものやついかせて頂きます」
「?」
十年目に突入した憎悪の積み重ねを両手に込めて、左右に大きく開く。
右手にオタマ。左手には中華なべ。
「うぉきろぉおおおぉおおぉおぉぉぉぉぉお!!!!!」
「うぎゃああああああああ!!」
ガンガンガンガン!!とけたたましい爆音を奏でて、今オタマとなべが出会いを遂げる。
毎朝恒例、電池不要の目覚まし時計。最近はご近所からも好評です。
「ちょ、いいかげんその起こし方やめろおおおおおおおお!」
「うっさい。起きないあんたが悪いの。さもなくばシネ」
「ぅあー、おまえそれどこの筋モンだよ…」
「やかましい。口答えしてんじゃないわよ、イガグリマッチョのクセに」
「外見だけで人を差別してんじゃねええ!!」
引きつった顔にややエクスタシーを感じつつも、表情は変えずに対応。
あいかわらず反応がかわいい。このやろう。
わたしをコロス気か。
「目が覚めたらとっと着替えなさいよ。わたしの時間が浪費される」
「うっせ!着替えるからさっさと部屋でとけよ!このヘンタイ痴女が!」
「プ。不相応な自信はむしろ滑稽ね。同情を禁じえないわ」
「ひでぇ…おまえはどこまで人を嬲れば気が済むんだ?」
後ろでキャンキャンなにか言ってるがスルーして階下に下りる。
おばさまに紅茶をご馳走になりながらバカの支度を待つ事にする。
「毎朝ありがとうね。ホント助かるわ」なんて声を掛けて貰う。いいえ、むしろこちらこそ。
生まれたときからお隣同士。病院のベッドまで隣あっていたのだから、その縁は筋金入りだ。
幼稚園から小・中・高と同じ学校へと進み、この冬に受験する大学まで一緒だ。
わたしはいいとして、バカなあいつはスポーツ推薦一本に絞っているようだ。
この夏の大会で、ベスト8入りが条件だったはず。
今度の大会次第で進学できるかが決まるわけだ。
…ダイジョウブだと思うけど、ちょっとハッパでもかけておくかな。
「あー、まだ耳鳴りがする。母さん、おはよー」
「ほら、バカ面してないでさっさと学校いきなさい!いつまで待たせてるの!」
「いいんですよ、おばさま。いつものことですから」
「母さんもサラっと息子にバカ言うなよ。お前も当たり前に受け答えすんな」
いつもと変わらない受け答えをし、いつもの様に包みを渡す。ん。と片手で受け取り鞄へしまい、揃って玄関をくぐり学校へと向かう。
「あんた朝練でなくていいの?一応でも部長でしょうが」
「うるさい。実力者は余裕をもって当たればいいのだよ。俺が毎朝練習してたら、後輩も全員でないといけなくなるだろうが」
「その理論がおかしいっての。自分が言い出したくせに」
「侮るなよ?朝練に出なくとも、本練で倍の練習をしておるわ!」
「知ってるぞ~後輩だけ朝練出てるんだろ~部長がこないのになぁ~」
「ヤア、キョウモアツクナリソウダナァ~ハッハッハ」
「誤魔化してんじゃないよ。バカクリマッチョのクセに」
凄い顔でこちらを見ているが、とりあえずほっておく。
つまらない会話をしているうちに学校へと到着する。
「それじゃおれは朝練のぞいてくるわ」
「顔だけ出せばギリが果たせるとでも~?」
「うっせ。じゃ、いくなー」
フリフリと手をヒラつかせながら去っていく。
少しの間背中を見ていたが、こうしていても仕方ないので教室に向かった。
毎日毎日、同じように起こしに行って学校へ来る。
朝練があるときも一緒に学校へ来ていた。
うちの部では朝練をしていなかった為、いつもは屋上で時間をつぶしてから教室へと向かっていた。
長い付き合いと言うのは、時に呪縛をも持っている。
巻きついた鎖は容易には外れない上に、放したくない甘美な罠も内包している。
今ある距離は罠なのか、それとも誰にも負けないチャンスなのか。
少なくともわたしには罠に思える。
その目に映り続ける事が出来る。
だが、頭に残り続ける事は出来ているのか。いつも考えてしまう。
嘘かな。
考え始めたのは結構前だ。
あの言葉を聞いてから、わたしはこんなにも見つめ続けるようになってしまった。
一度だけプールを振り返り、合流したであろう3年の仲間たちとプールサイドにいるあいつの顔が見えた。
わたしと居るときには見せない、部長の顔をしているなって。そう思った。
午前中の授業にはあまり身が入らなかった。
休み時間中も曖昧な受け答えだけしていたような気がしていた。
ひたすら昼食は何にしようかとか。そんな事だけ考えていたかもしれない。
「うりゃ、ごはんいくよー」
「ああ、アカリか。うん、すぐいく」
「むむ?浮かない顔をしてますねーなにか悩み事かな?」
「そーかな?アカリは占い師みたいだね」
「にしし♪なんでもわかっちゃうよ~…ずばり恋のなやみじゃな!?」
「どーかな。案外今度の地区大会のことかもよ?」
「いーえ。あたしには『イガグリ』と『マッチョ』がみえまs…モガァ!?」
「それから先は言うな。正直命を保障できない。わかる?」
「(コクコク)」
「じゃ、購買でパンでも買いに行きますか」
なかば強引に黙らせて購買へと引きずる。
お目当てのパンを買って、そのまま屋上へと連れ出した。
この学校で唯一生徒に解放されている屋上広場、通称『空中庭園』。
さすがに昼時には人も多かった。
込んでいない一角に向かってズーリズーリと引きずって行く。
「さて、先ほどの冗談について聞きましょうか」
「ふえ?なんかいったっけ?」
「ん…ほら、気になるのがクリだとかマッチョだとか…ねぇ?」
二人でメロンパンといちご牛乳を交互にはむはむしながら、容赦ない水面下の火花を飛ばす。
「べっつにー。そう思っただけー」
「いーや。何か確証があったんでしょ。具体的な言葉が出すぎ」
「追加でいうなら『3組』のこととかー?」
「グ、やっぱりなんか知ってるんじゃん」
「にしし♪気付かないわけないでしょー!いっつも朝から仲良く登校して来てんだもん」
「見てたの!?」
「見えてたのー。朝練の時はここから覗いてたよねー」
「…」
「そりゃあたしでも解ると思うよー?」
バレバレだったわけだ。
それが解ると、今度はあらぬ方向に殺意が沸いた。
「フフフ…それでも気付かないバカがいるってことなんだよね…」
「…とーこちゃん?」
「毎朝毎朝顔を見てても…何にも言わない奴が居るんだよねぇ…」
「ひぇぇ…とーこちゃん、顔が怖いよぉ」
周りに殺気を振りまきつつ、約一名が冷や汗の止まらない昼食は幕を閉じた。
なんとか放課後を迎え、教室をでてグラウンドに向かう。
こちらも大会を控えた身だ。あいつばかりをからかっても居られない。
足取りも軽く下駄箱へ行くと、丁度あいつと顔を合わせた。
「お、おまえは練習か」
「?あんたは練習していかないの?」
「ああ、今から顧問と西高に打ち合わせに行くんだ」
「合同練習か。今年もそんな時期になったんだ」
「ああ。そんな訳だから、今日は先に帰ってくれていいから」
「ん。直接帰るの?」
「いや、一応戻るけど何時になるか解らないからな。待ってなくていいぞ?」
「そうか。せいぜい部長の責務を果たしてくればいい」
「おまえも部長だろうが。ガンバレな」
あいつの背中を見送り、自分は部活に向かっていく事にした。
練習も終わり、マットレスとバーを片付ける。
後輩がテキパキと片付けてくれるので、いつもあっという間に片付く。
号令を掛け、解散とする。
皆が帰るのを確認してから、倉庫の鍵を職員室に返しに行った。
いつも水泳部の顧問が使っている机には、まだ荷物らしきものが残っている。
そうか、まだ帰ってきてないんだな。
なんとなく屋上へと向かう。
購買でオレンジジュースを買い、階段をコツコツと上っていく。
広場に出てみたものの、お気に入りの場所には先客が居るようだった。
放課後に人が居るのも珍しいことだ。
反対側の陰に陣取り、校門を見下ろしながらしばし休憩をしていた。
思えばきっかけは些細な事だった。
中学の大会で地区優勝をしたあいつは、声高らかにわたしにこう言った。
「おれは今まさに水中の王になろうとしてる」
「おまえを王女にしてやってもいいんだぞ?」
「これで陸海空そろったな!」
あいつが水中の王になるなら、わたしは陸上で高飛びをやる。
そうすれば陸海空の陸と空をわたしが統べることになる。
二人で全てを制覇する。そう誓い合った。
それからわたしは陸上を始めたんだ。
あいつよりすこし遅いスタートだったけど、いまでは肩を並べてる。
わたしも次の大会に掛けている。
あいつも決勝進出。つまりベスト8を狙っている。
まだまだ王だの王女だのではないが、その一歩は着実に玉座に近づいている気がしている。
ただ、わたしとあいつは目指しているものが違うのかもしれない。
わたしはいつも考えていた。
あいつの隣にいる事だけを。
だから陸上もがんばった。
勉強もがんばった。
あいつに置いて行かれないようにがんばった。
そればかり考えていたのかもしれない。
いつからかカバンに入りっぱなしになっている手紙がある。
たぶん、
一番素直なわたしがそこにはいる。
いつまでも届かない手紙は、まるでわたしそのものみたいだ。
小さい頃に、ノラ犬に吼えられた事がある。
その時、あいつはわたしの前に立ちふさがって犬を睨み返していた。
小学校の時、大事な人形が川に流された事がある。
その時、あいつはだまって川に飛び込んで探してくれた。
中学の時、受験が怖くていつも泣いていた事がある。
その時、あいつは窓から入ってきて、お守りを2個差し出してくれた。
わたしはいつもあいつを見ていた。
バカで、お調子者で、後輩の前ではいいかっこしいで。
それでもすごく責任感があって…やさしい。
あいつがあの大学に進みたいって言ってたから、2年の夏休みからは猛勉強をした。
あたりまえのように同じ学校に通っていたかった。
触れれば壊れるような気がして、ちょっと前に出る事が出来ない微妙な距離。
誰よりも近くて、誰よりも遠い気がしている。
とうに空になったオレンジジュースにもう一度口をつけて、そこで初めて気がついた。
結構な時間、こうしているんだなって。
校門を見下ろすと、遠くから車が近づいているところだった。
見間違えるはずも無い。
紫色のコルベット。顧問の乗っている車だ。
どうやら打ち合わせは終わったみたいだ。
屋上を後にして、校門へと向かう。
あちらは駐車場に向かったらしく、すれ違う事は無かった。
ここでこうしていれば、あいつはここを通りかかるだろう。
暫く待っていればいいことだ。
校門に背を預けながら、空を見上げていた。
日は傾き、空はだんだんと蒼から朱へと移っていくところだった。
まさにその一瞬に、橙に染まった空が広がっている。
切なさと力強さが同居した、一瞬の刹那。
やがて空は朱へと変わり、段々と群青の藍へと変わっていくだろう。
そんな移ろう空を見上げながら、あいつを待っているのはキライじゃない。
このカバンの中の気持ちは、いつか届く事があるのだろうか?
きっとそれは他人や運命にまかせていたのでは起こり得ない奇跡だろう。
自分が素直になれる時、きっとわたしは想いを伝える事ができるのだろうから。
だから今は、
こう伝えてみよう。
強がりなわたしに、もう少しだけ時間を頂戴ね?
「あれ、おまえまってたのか?」
顔を上げて、橙色の空に髪をなびかせる。
「帰ってていいっていったのに」
少しだけ照れくさくなってソッポを向いてしまう。
「わるかったなー。遅くなっちまってさー」
腕を組んであいつに言ってやる。
「べ、別にアンタを待ってた訳じゃないんだからね!どうしてもって言うなら一緒に帰ってあげるわよ!」
あーあ。
やっぱりわたしはわたしなのかな。
今はただ、あいつの笑顔が嬉しかった。
いつか二人で、違う空を見上げる日まで許してね。