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終  虹の続きを

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放課後の校舎は静かなものだな。
考え事をするには最適な空間だ。

眼鏡を外し、眉間に手をやる。
すこし疲れている。

最近はあの子を飛ばすことも無かったし、ストレスに感じてる部分もあるのかも知れない。

今はただ、この時間と燻る紫煙が心地よかった。


季節は秋。
既に肌寒さを覚える時期になった。
当然我が部はその活動をトレーニング主体に移している。
水に触れるのは週に一度の室内プールを使う日のみとなった。

今年の我が部は大きく揺れた。
創立以来最高の記録と、最悪の事故が間を置かずに駆け抜けていった。
部長は責任を感じて一ヶ月早く自主退部。
来年のエース兼、部長候補は選手生命を絶たれた。

不幸中の幸いだったのは、校長が部長の退部を認めなかった事。
公式には在籍扱いなので、推薦枠には影響が出なかった事だ。
事故の当事者の言葉もあり、部長もこれは辞退しなかった。
なにはともあれ、今後のプランを大幅に練り直す必要があるな。

今日の日誌を仕上げ、職員室を後にする。

白衣は脱がずにそのまま校舎を歩く。
非常階段の扉を開けると、すぐに裏庭へと出ることが出来る。
重い鉄製の扉を押し開くと、そこはちょっとした喧騒に包まれていた。

「ん。やっているな」
「あ、顧問。お疲れ様です!」

元気に挨拶をしてくるマネージャーを片手で制して前に出る。

「注目。一旦手を止めろ」

トレーニングメニューをこなす水泳部の面々に声をかけ、周囲に集合させる。

「ん。みんなご苦労」
「「お疲れ様です!!」」
「リラックスして聞け」

一度全員を見回してから、胸元のポケットからタバコを取り出す。
火を点けようとしたところでマネージャーから「学校内ですよ!」と諭される。

無視する。

一度深く吸い込んでから煙を解き放つ。
部員はいつもの事とたじろぎもしない。よく解っている。
片手にタバコを挟み、一同に話し始める。

「この時期は来シーズンの為の大事な準備期間だ。ムリをすれば自分が泣く事になる。各自ペースを考え、オーバーワークだけはしない事。”泰山を制するにはまず麓に立つ。”だ」

私の言葉に皆感動を隠せないようだ。
お互いに目を合わせてガヤガヤとしている。

「今日は5時に練習を切り上げて解散すること。以上」
「「ありがとうございました!!」」

よし。
自分の責務を完了した。あとは帰るだけだな。
マネージャーに後を任せ、更衣室へと向かう。

白衣を脱いでジャケットを羽織る。
更衣室を出た後は一直線に駐車場へ。
わが子に乗り込み火を入れる。
轟音とともに体に返事を返してくる。
全身を揺さぶるような胎動を押さえ込んで、静かに足を踏み込んでいく。
ゆっくりと滑り出し、校門を抜け公道を進む。

いつも仕事明けにはこの道を走る。
こうしてハンドルを握っている間はいろんな事を考えなくていいから好きだ。
車内を満たす紫の雲。
後ろへ後ろへ流れていく景色。

だんだんと接地感が薄れ、空を滑っているような浮遊感を覚える。
まるで伝説の「空中庭園」に居るかのような既視感。
見たことも無い筈なのに懐かしい回想。
目を細めて現実を取り戻す。

坊やをなだめて公園に向かう。
この階段を上がればいつもの丘に出る。

大きな木にもたれかかり街を見下ろす。
風が強いため肌寒く感じる。
後ろへと流されていく紫色の軌跡。

ここだけが、素直な自分に戻れる場所だった。

教え子が交通事故に遭ったと聞いた時、全身が硬直した。
もう忘れた筈の記憶が鮮明に蘇り、手足はおろか思考すらも凍らせた。
目標に向かってただ進んでいた自分。
ほんの些細な不注意で、全ての夢を断たれたあの日の記憶。
折り合いをつけてやって来た筈の毎日が、ガラガラと崩れ去るかのように思えた。

新たな目標を見つけてここまでやって来た。
自分が叶えられなかった夢。
あの日から誰かの夢を応援する道を選んだ筈だった。

でも、その報せを聞いた時に理解した。
忘れてなどいなかった。
事故の記憶の事ではなく、夢を追う翼を失ったあの日をだ。
だから恐怖し、幼子のように泣き崩れた。

瞳から零れる雫を止める事は出来なかった。
それは心定まるまでの僅かな隙間。
定まったならば涙は封印しよう。

今度は、今度こそは。
置き去りにしたあの日の私に道を示そう。
今度こそ。


「顧問。失礼します」

表からノックと声が聞こえた。
入れ。とだけ伝えて仕事を続ける。

「遅くなりました。お話ってなんでしょう?」
「忙しいところすまんな。マネージャー」
「いえ、副部長には伝えて出てきましたので」

そうか。と答えて向きなおした。

「どうだ?最近の部活に問題はあるか」
「?おっしゃる意味がわかりかねますが?」
「お前の目から見てどこか不都合があるか。と聞いている」
「はぁ。特にはないですよ。最近は楽をさせて貰っていますから」
「うむ。後輩の指導も先輩足る者の仕事だからな」
「はい、ちゃんと指導させて頂いてます」
「そうか。”如何なる時も貪欲であれ”。それは競技の世界だけではないからな」
「…はぁ」
「やつには良い目標となるだろう。存分に鍛えてやる様に」
「はい♪ぬかりなく!」

失礼しました。と出て行くニノミヤの背中を見送った後、校庭を走る水泳部の一団に目を移した。
元気に走っている部員たちのすぐ傍で、ストップウォッチを片手に号令をかけている少年。

これから少年は新しい目標を見つけるだろう。
見込んだこの目に間違いはない。
やつは良い指導者になる。
かつて、同じ道を進んだ者が言うのだ。
これ程確実な予言もあるまいて。

手を止めてタバコに火を点ける。

イスに背を預け、大きく伸びをする。
刻々と短くなる日を天に頂き、彼等は夢に進むだろう。
それは必ず叶うものではないかも知れない。
だが、それは無駄なことでもない。

やつもそうだ。

やつの虹は途切れてなどいない。
新しい世界へと繋がっているのだ。

新しい世界へと進め。
きっとやつはそこで羽ばたける。

かつての私のように。


その笑顔は眩しく、そして明るかった。

ありし日の私も眩む程に。

だからこれは悲しみからの物ではない。

そうでないなら、きっと紫煙が目に染みただけなのだろう。


今はこの涙を許せる自分を認めてやろう。

虹の先を見せてくれたのだから。
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