糞みたいな慣習尊重の社会で健全に自我を保つ方法。
四六時中、爽健な喜怒哀楽をおびやかされてもなお、不屈の信念を捨てずにいるために必要な憤怒の感情を、ややもすれば発狂してしまいかねない精神状態のさなか、生産し続けるための端的なアドバイス。
そもそもが、大脳にカビが生えたかもしくは、未開の文明でロボトミーを施術された類人猿ども、彼らにハサミか権力を握らせてはならぬ。
君の理想とする合理的社会と、十世代も二十世代も遅れている現実的な組織では、およそ欺瞞とこけおどし、針小棒大ガラスの自尊心で溢れており、ヒーロー願望の幼稚園児どもが、したり顔で幅を利かせていることだろう。
やつらを許してはならぬ。媚びてはならぬ。やつらは我々の良心や、正義感や、義務と奉仕の精神につけこんで、論理的整合性のまるで欠如した言葉で、つねにそちらがわの住人として洗脳すべく、働きかけてくる。隙を見せてはならぬ。
先手を打って、やつらの索敵範囲から逃れるのだ。戦おうなどとしてはならぬ。やつらの唯一の拠り所が、伝統慣習、――それらはあらゆる場合において俗悪な因習である、――そういった曖昧な土台の上になりたっている、砂浜の古城であることは、既知のことであろう。
相手にしてはならぬ。君の言葉は、どうしたってやつらには届かない。正攻法で世の中をわたろうと考えるなら、言霊に敏感な純真な心は疲弊し、精神を病むことは必定である。
人生その場しのぎと言ったアホな落語家もいる。それも良いだろうしかし、自我を保つために、他人の思考法に殉ずることだけは止めよ。止したほうが良い。
忠告はしたぞ。信じないのであれば、忌避すべき魔物に頭から喰われてしまえよ。