1-4『クリームパンの約束』
彼は毎日の昼食をパンで済ませている。それなりに広くて品揃えの良い学校の購買で、その日の気分でパンを選んでいる(ちなみに飲み物はコーヒー牛乳。これは譲れないらしい)。
購買には昼休み開始すぐには行かず、ほんの少し時間をずらすようにしていた。わずか5分、人気商品が売り切れるタイミングで到着する。それぐらいから空き始めるからだ。
今日の気分はクリームパンだった。なんとなくクリームパン、どうしてもクリームパン。パン売り場のクリームパンのところにはちょうど1つ、たった1つだけ残っていた。
特に理由はないけれど、ちょうど良いタイミング、なんて思ってしまう。
手を伸ばす。
そのとき。
すぅっと、横から手が伸びてきた。
「あっ」
そこにいたのは隣の転校生だった。驚いた様子で彼を見つめていている。彼はどうにか驚きを隠し平静を装う。
きっと転校生のお目当てもクリームパンなんだろう。伸びた手と困った様子の目が行き場もなく宙をさまよっていた(もう片方の手には牛乳。これはどうだっていい)。
「……うーん」
彼は悩む。何が何でもクリームパンを食べたいわけじゃないので、譲ってしまったも良かった。ただ、どう言っていいものかわからなかった。
「えっと、えっと」
転校生は困っている。わたわたとした様子で、クリームパンと彼を交互に見ている。
「やっぱりメロンパンにしようかな」とか。
「……どうぞ」とか。
気軽に言えればどれだけ楽だろうか。ああ、そうだ、この気分は電車内で優先座席を譲るときに似ている。あれもいまだにどう言っていいかわからない……と、思考の迷宮に入り込んでいく。
……そうか。これも優先座席と同じで、無言で立ち去ればいいんだ。よし、そうだ、よし、そうしよう。
「こっ」
彼の中で結論が出たとき、転校生が口を開いた。
「今回はっ」
転校生は続ける。何が始まるのだろう。彼は転校生を見守る。
「今回は、このクリームパンは譲る! 私はこのうぐいすパンで我慢する、我慢しようじゃないかっ。
でも! 次にこんな機会があれば、そのときは、ウチがもらうし!」
声高らかに宣言し、転校生はうぐいすパンを持ってレジに行った。小銭がなかったのか、お札を出してモタモタとお釣りを受け取りしている。
形はどうあれせっかく譲ってもらったので、彼はクリームパンを手に取った。
「何あれ?」「たかがクリームパンで」「ちっ、イケメン爆発しろ」「そんなことよりカレーパン」「やっぱ戦場だよな購買は」などちらちらちらちらと聞こえてくる声を一切、彼は無視した。
クリームパン片手に教室に戻った。
「なんか遅くなかったか?」
友人の言葉にも「別に」と言い、クリームパンを食す。甘くてなめらかなクリームの味わい。しかし、転校生のことを考えると(教室にはいない。どこに行っているんだろう)少し複雑な気分になる彼だった。
その次の日。その日は朝からチョコレートパンの気分だった。
先日のクリームパンとは違い、たんまりと並んでいた。
しかし。
「あっ」
まるで狙ったかのように転校生がいた。
チョコレートパンはたくさんある、問題ないはずだ……が。転校生の視線の先にはクリームパン。どれだけ人気なのだろう、昨日と同じで1つだけしか残っていなかった。
「ふふふ」
笑う。
「ふふふふふふ」
転校生は笑う。
何事か。彼はそう思い、思い出した。昨日のこと、昨日の約束のことを。
転校生は笑みと共にクリームパンを手に取った。
「昨日の約束、覚えてるやんね?」
忘れていない。うなづく。しかし今日はクリームパンなんぞどうでもいい。チョコレートパンが食べたいのだ。
「じゃあ今日は私のモノ。キミにはこのうぐいすパンをあげようじゃないか。ニヒヒヒヒ」
転校生は軽いスキップと共に去っていった。今日は小銭があるらしく、モタモタと一枚一枚支払っていた。
彼の手元にはうぐいすパンが残った。
うぐいすパン片手に教室に戻った。
「あれ? うぐいすパン、嫌いって言ってなかったっけ?」
友人の言葉に「そうでもないよ」と答えてうぐいすパンを食す。
たしかに好きではない。むしろ嫌い寄りだった。独特の味わいがどうも苦手だった。
「やっぱり嫌いなんだろ、それ」
「……今日は、しかたない」
ああ、なんてつまらない約束だろうか。
今日は無理をしてでも、これを食べるしかなかった。