5話「俺の屍を超えて行け」
†松屋
ややせまめの部屋で、小さな細身の男が倒れていた。少し離れた場所には、のっぽで細身の男が倒れていた。
「うん?」
その片方、ゆっくりと小さな男が目を覚ました。
「ここは?」
目を覚まし、辺りを見回して何が起こったのかを確認していたのは教室で須木を見捨てた松屋だった。
「確か学校から出て家に帰る途中だった。だったよな?」
自分の記憶にはっきりとした自身が持てない松屋は首をかしげ、どうしてこんな所に居るんだろうかと考えてみる。狭い部屋には電灯と壁、あとは監視カメラとボックスらしきものがぽつりとあった。もちろん扉にはドアノブは無い。
「ん?」
辺りを見回していた松屋が、ふと目の前で倒れていた男を発見した。男はまだ意識が戻らないらしく、倒れたままだ。
「ま、まさか死んでないよな?」
慌てて駆け寄ろうとしたのだが、透明な板で二人の部屋は仕切られているらしく、行く手をさえぎられた松屋はバンバンと叩いて音を鳴らす。
音に気がついたのか、のっぽの男がピクリと体を震わせ意識を取り戻す。松屋同様最初は何があったのかと眉をひそめるが、すぐに松屋の姿を発見して駆け寄ってくる。
お互いに何があったんだと言い合うが、その声は届かずパクパクと口だけが動き、板を叩く音だけが響く。少したってお互いに無駄だと悟ったのか、各々部屋を見て回りはじめる。のっぽの部屋に松屋とは違いは何もなく、壁と電灯があるだけで扉も無い。
一方松屋はというと、先ほど見つけたボックスに手をかけていた。ボックスの上には真っ赤なボタンがついており、隣には小さなスピーカーのようなものがある。ボタンの上に押すと書いてあった事もあり、松屋は何の疑問も持たずにそのボタンを押し込む。
「やぁ。松屋 隆(まつや たかし)君は閉じ込められた。助けは来ない。目的は決して見捨てない事」
ボタンを押したとたん、ボックスから聞こえてきた甲高い機械音声に松屋はびくりと驚く。
「いったいなんだって言うんだよ」
訳が分からないと肩をすくめ、声などそっちのけでどうにかして扉が開けられないものかと部屋を探す。
不意に背後から聞こえてきたドンドンという音に飛び上がって驚いた松屋だったが、音のほうを見ればそこにいたのは対面の部屋で部屋を物色していたはずののっぽだった。
板に近寄り何事かと見てみれば、のっぽの手に握られていたのは小さな鍵だった。やったなとのっぽにガッツポーズを送ってみたが、どこかのっぽの顔は浮かない。どうしたのかと眉をひそめて見ていると、ジェスチャーで罰印を送ってくる。
ジェスチャーで気がついたが、のっぽの部屋には扉がついていない。つまり、のっぽはこの鍵をつかえないのだ。松屋は理解してから頷くと、自分の扉を見てみる。生憎、松屋の部屋にある扉に鍵穴はなく、がっかりとした様子で肩を落とす。
やはりだめだったかとか田尾落とす二人の耳に、と、ギギギと嫌な音が入った。それは、古い歯車がきしんだような音で咄嗟に松屋は辺りを見回す。が、のっぽの方にはその音が聞こえないらしくどうしたんだと不思議な表情を浮かべている。
「おいおい、冗談だろ?」
自分を心配してくれている目の前ののっぽ。そののっぽの部屋に異変が起きていた。
「壁! 壁!」
ドンドンと板を叩き、壁を指でさして合図を送ってやる。あろうと事か壁が迫ってきていたのだ。
のっぽはというと松屋の合図で事の重大さに気がつき、あわてて壁をせき止めようと両手で突っ張ってみるものの、その勢いは一向に衰える事はなくどんどんと部屋を小さくしていく。
松屋も自分に何か出来ないかと部屋を見回す。だが、部屋にはやはり監視カメラとボックスくらいしかなく、依然として歯車のきしむ音が足元から聞こえてくる。
「見捨てない事?」
一旦冷静になろうと先ほどの声を思い出し口に出してみる。それで気がついたのか、はっと顔を上げて監視カメラを見る。
「須木、なのか?」
震える声で恐る恐るその名前を口にすると、ごくりと生唾を飲み込む。
松屋の頭の中には教室で自分をにらんでいた須木の姿があった。
「見捨てるなって言ったって、ああしなきゃ僕がいじめられていた! それくらい分かってくれるだろ!?」
カメラに向かって大声を上げ、今自分達を見ているだろう須木に問いかける。だが、反応はなし。それでもかまわず松屋は声を上げ、分かってくれと言ってみるが、そうしている間にも壁はのっぽをつぶそうと迫っていく。
ドンドン。カメラを向いていた松屋の背後から音が聞こえた。何かと振り返ってみればのっぽが何かを指差していた。松屋がなんだろうとその先に視線を向けると、のっぽはボックスに書かれた押すという文字を必死に指していた。
「これはさっき押したよ!」
聞こえないだろうがとりあえず言ってみる。もちろんジェスチャーも加えてだ。だが、のっぽは依然として早くと押せといった感じでボタンを指す。
のっぽの必死の表情に押されてか、松屋はわかったよとボタンを押し込む。
すると、足元でギギギと鳴っていた歯車の音が一旦やみ、そしてまた動き出した。のっぽはというと、なんだか嬉しそうに松屋に頭を下げていた。それもそのはず、のっぽの部屋では迫っていたはずの壁がぴたりと動きを止めていたのだった。
よかったな。と松屋がボタンから指を離す。するとまた歯車の音が聞こえ、のっぽの部屋が狭まっていく。あわてて松屋はボタンを押し、一息をつく。ボタンを押している間はのっぽの部屋は安全らしい。
一息をついたというのにまたバンバンと板を叩かれたものだからなんだよと不機嫌そうに顔を上げると、のっぽが慌てた様子で壁を指し示していた。君のとこならさっき止まったじゃないかと肩をすくめてのっぽを見ると、のっぽは首を振って松屋を指す。
なんだろうとのっぽが伝えたい事を理解できず、首をかしげてとりあえず自分の部屋の壁を見てみると、なんと今度は自分の部屋が狭まっていた。
何が原因なんだと辺りを見回し、すぐに気がついた。先ほどと今、違うのは自分がボタンを押しているかどうかだけだ。そう感づいた松屋は震える手でボタンから手を離してみる。松屋の予想通り音が止み、また鳴り出す。顔を上げると予想通り、のっぽの部屋が狭まっていた。
何かヒントはないかと部屋を見回してみるが、どれだけ生き残ればいいだとかそんな事は一切書いていない。目の前では必死の形相で板を叩くのっぽが早くボタンを押せとせがんでいるのが目に入り、人の気も知らずにと松屋は舌打ちをする。
「くそったれ」
カメラに向かってそうつぶやくと、松屋はボタンを押す。当然、今度は自分の壁が迫ってくる。とにかく時間を稼いでみるかと考え抜いた末に松屋は数秒ごとにボタンを押したり離したりして何かヒントが無いかと考えていた
初めはどうしてボタンを押さないんだと怒りをあらわにしていたのっぽだったが、今では松屋の意図を理解し信用しきって迫ってくる壁に何かヒントはないか隠されていないか探っている。
「しかし、いつまで続くんだ?」
ボタンを押し込み、迫ってくる壁を見ながらそんな事を一人思う。松屋が見たところ壁が自分を押しつぶすまでは目算で後一分といったところか。自分はというとのっぽの同じく一分といったところだ。このままただなんの指示もなく助けもないならば二人とも壁に潰されて死ぬ事になるのは火を見るより明らかだ。松屋はそう思うと背筋に悪寒が走る。だが、それと同時に悪魔がささやく。
ボタンから指を離せば助かるぞ。そう思うと指が震える。なにせ自分が死ぬのは自分でボタンを押し続けたときだけなのだ。松屋の部屋は自らでボタンを押さない限り壁が狭まることはない。対するのっぽは松屋がボタンを押さないと確実にぺちゃんこになる。
冷や汗が額を伝い、ごくりと生唾を飲み込んだ。唇はからからに乾き、ひざはがくがくと震え始めた。
「み、見捨てろってのか」
荒くなる呼吸。震える手。松屋は悩んでいた。そして、不安を抱えていた。事実に気がついた自分は後何回ボタンを押すことが出来るのだろうかと。
案の定、ボタンから指を離した瞬間に金縛りにでもあったかのように指が動かなくなる。そんな松屋の異変に気がついてかのっぽは壁を探るのをやめて松屋の前までやってくる。
数秒経ち、交代の時間がやってきた。だが、松屋は俯いたまま動こうとしない。まさかとのっぽは驚いたが、すぐにバンバンと板を殴りつける。対する松屋はというと、もうのっぽに背を向けてしまい、自らの耳をふさぐ。
冗談じゃないぞとのっぽは音を立てるが、松屋は一向に反応をしない。
「ごめんなさいしかたがないんだしにたくないしにたくない」
自己暗示に似た謝罪を述べながら、松屋はその場にしゃがみこむ。
「……つやぁ! ……やぁ!」
叫んだのか自分を呼ぶ声にふと振り返るとそこには鬼のような形相をしたのっぽがいた。涙で顔をぬらし、板を叩きすぎた手は血でにじみ始めている。
「ごめんごめんよ……」
のっぽから完全に目を背ける事が出来ず、松屋は聞こえるはずの無い小さな声で涙ながらに謝る。
結局ボタンが押されることが無くすぐに時間が経過し、今ではのっぽは壁にはさまれ始めていた。また身動きは取れるもののもう潰されるのも時間の問題だ。壁と壁の間で体を突っ張りにするようにして片方に背中を片方に足をつけて必死に抵抗を試みるものの壁はその勢いを緩めることはない。
「ごめんよ……ごめんよ……」
のっぽが板のまん前までやってきて横向きになった。大の字を書くようにして両手を広げ壁を押すが、どんどんとひじが曲がり、今では肩の横まで手のひらが来ている。みしり。そんな音が聞こえた気がした。同時に、のっぽの悲痛な叫び声がびりびりと板を揺らし、思わず松屋は目を背けた。
「呪ってやる! 呪ってやるからな!」
聞こえてくる声から必死に逃げ出し、ぶるぶると震える。
バキッと音を立ててのっぽの肩幅が一段階狭まった。
メシッと音が鳴ってのっぽから血が吹き出た。
血はすぐに透明だった板を赤々と濡らし、そのむごさをダイレクト伝えてくる。だが、松屋はボタンを押すことが出来ない。なにせ、押せば自分がそうなるというのを目の当たりにしてしまったのだ。ただただつぶれていく友人に謝り続け、松屋は嗚咽をもらす。
ガチンと音が止んだ。それを機に恐る恐る背中を振り返ると、そこには真っ赤に染まった板と、ぴったりと合わさった壁があった。
「ごめんよ……ごめんよ」
両手を合わせ目を閉じて一生懸命謝るが、呪詛の声も聞こえてこない。
かちゃかちゃとまた音が鳴った。今度は何だと涙でにじむ目で辺りを見回すと、驚くべきことに部屋の壁が迫っていた。
「嘘だろ!」
慌ててボタンを押し込むが、反応はない。
「須木! 助けてくれよ! わるかったよ!」
狭まってくる壁を両方に感じながら、松屋は監視カメラに懇願する。だが、無常にも壁はどんどんと狭まってくる。
「須木! 須木!」
何とか壁を押しとめようとするも、力に負けてずるずると押されていく。
やがて壁は両手間隔まで狭まり、松屋はのっぽがしていたように背中と足で壁を突っ張る。だがそれもすぐに縮まっていき、吉野はカメラをにらむ。
「恨んでやるからな!」
のっぽと同じような台詞をカメラに投げかけながら、松屋の足は完璧に曲がる。
「え?」
と、そこで壁が止まる。何が起きたのかと辺りを見回せば、ボタンがついていたボックスに壁が接し、そこで止まっていたのだ。
ガチンと地面から音が鳴ると、今度は鉄の扉が自動で開いた。おまけに、透明の板もずるずると両サイドに開いた。なるほど、だからのっぽの部屋には扉がなかったのかと納得していると、どろりとのっぽの血と体の破片が板の向こうから流れ出てきたので、松屋は思わずその場で嘔吐する。
「くそっ」
口内に広がる酸味と戦いながらも松屋は地面を殴りつけ自分を呪った。そして、耳に残っていたあの言葉を思い出す。
「見捨てない事……」
あの声が言っていた事。憎たらしいがつまりこの部屋は松屋自分の命と他人の命を天秤にかけ、そしてそれに臆さずボタンを押し続ければどちらも生き残れたのだ。それだというのに自分が助かりたいがためにのっぽを見捨てた。当然といえば当然なのかもしれないが、ぎりぎりまで見捨てなければ分かったことなのだ。
だが、松屋は畜生ひどいことをしやがる。許さない。と床を叩きながら泣いた。
「須木! お前はどうしてこんな残酷なことが出来るんだよ!」
あくまでも自分のせいではない。全部須木が悪いんだと何とか自分を保ち、涙を拭いてからカメラに向き直ってみるが、やはり反応は何もない。仕方がないとゆっくりと立ち上がり、ちらりと一度だけ友の残骸を振り返った松屋は、最後にもう一度だけごめんとつぶやいて開いた扉の向こうへと歩を進めるのだった。