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その2『シャブれよわが涙、とひいちゃんは言った(上』

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 知っているかい。「かくせいざい」の「せい」は「性」という字をかくんだよ。
 と、おじさまはわたしのおしりに突き立てた二本のゆびを、輪をかくようにゆっくりゆっくり回しながら、いたずらっぽく耳元で囁いた。声がすこし湿っていて、耳をあやしくなで回してくるので、脳がおくすりにびっしょり浸けられたわたしはそれだけで軽く達してしまう。おじさまはふふふ、とうっすら笑って、いま、おしりの筋肉がびくびく動いたよ、きもちいい? と、さっきよりもずっとずっと色っぽい声。
「ひぃ、あ、あぁ……」
 我慢できずついに声がもれる。目の前がまっしろで、全身がびくびく跳ね回って、そこから先はもうメチャクチャだ。指が振動しはじめる。うごきが激しくなって神経に電光が走り回ってからだの輪郭があいまいにぼやけておしりの穴だけがやけに鮮烈で、わたし、さかりのついた猫の声であえいであまえた。
 指がひきぬかれて、達して、もっと大きいなにかが入ってきて、達して、前後に動きはじめて、達して、達して達して、達した。
 外国じゃあ、オルガスムスは「もうひとつの死」なんてしゃれた言い回しをされているらしい。これはほんとうだと思う。何度も何度もイっていると、死んでいるのか、生きているのか、それすら分かんなくなってきて、ただ快感だけが全てだ。
 おなかのなかに熱いものが放たれて、一瞬、てんびんは生きている、のほうに傾く。だけどほんとうに一瞬だけ。気付けばおじさまの男の子をくちいっぱいに頬張らされていて、これがさっきまでおしりのなかに、とぼんやりした思考が嫌悪感に変わる間もなく、鼻腔をみたす命の匂いに頭がくらくらしてなにも考えられなくなる。余韻はいまだくすぶっていて、下腹のあたりがじんじんとあたたかく、ときおりぴくり。と痙攣する。
 おじさまにまとわりつくベトベトしたものをすっかり綺麗にしてしまうと、すぐに二回目がはじまる。三回、四回、とおなじことを繰りかえして五回目が終わって、ようやくおじさまは満足したみたいに、ほう、と息をもらした。わたしはすっかり疲れ切って、ぐったりした身体いっぱいに快感だけが暴れ狂っている。こうなるとすっかり白痴かキチガイか、といった態で、おじさまの差しだす指をなにもかんがえないままちゅうちゅう吸っている。おじさまの骨張ったひとさし指は金属の冷たさで、電気のあじがする。義体と擬態はおなじ字を書くんだ、と、なぜかそんなことを思った。

 熱いシャワーが降ってきて、肌の上ではじけて散った。音は絶え間なく落ちてくる。ざあざあ、ざあざあ、落ちてくる。バスルームのそこら中に反響して、して、して、なにもかもを塗りつぶしてしまうので、なんだか世界に、わたしと、音と、それだけしかいないみたいだ。
 音にまみれて、わたしはとてもけだるい。なにも考えたくない。いっそ死んでしまってもいい。だらりと横になって、ぐっすり眠り込んでしまいたい。けれど、わたしは起きている。べつに寝てしまってもいいのだ。さっきのお客で今日はおしまい、店じまい。がらがら。でも起きている。帰らなくちゃ。わたしの行動原理はそれだ。それだけだ。帰らなくちゃ。
 鏡にうつる自分のからだを眺める。わたしの、というか、わたしたちのからだは、まったくの生身だ。わたしたち、というのは、この娼館で働いているすべての女の子たちのことだ。下は三歳くらいから、上は一四歳まで、おさなさと、おあいそとを売り物にしているから。義体にするとほんとうに少女なのか、わからなくなってしまうから。
 お客たちはみんな、わたしたちに無垢を求めているらしい。店長はそう言っていた。馬鹿みたいだと思う。こんな店にいるような子に、無垢も何もあるはずないのだ。きっとおじさまたちの何倍も汚れて、くすんで、垢や唾液や精液で真っ白に染まっているのだ。その純白と純潔とを取り違えてそんな、……ううん違う、わざと騙されているのか。まったく大人たちの行動原理は複雑で理解しがたい。糸はたがいにこんがらがって、どこをどう行けば根本にたどりつくのか、それすらもわからない。やっぱりおじさまたちも、わたしたちに負けず劣らず汚れている。
 掃き溜めには糞と蝿と、あとは頭いっちゃったスカトロ野郎と、そんな奴らしかいないからね。
 うすく笑うと、鏡にうつる口元がちょっとかわいかった。

 バスルームをでると、おじさまがまだ待ってくれている。一緒に帰ろうか。そう言って笑うおじさまの手をとって、ふたり、並んで歩く。エレベーターを待っているとき、ばったりなっちゃんと出くわした。
「おいす」
「おいす。今日はもうあがり?」
「うん。なっちゃんはこれから?」
「まあね」
「がんばってね」
「ういすういす。おまえもなー。じゃあまた」
「また」
 いまの子とは、仲がいいのかい?
 と、おじさまが聞く。
「うん。ここの子は、たいてい仲良しだよ。ひいちゃんは、ひとりが好きみたいで、あんまりお話ししてくれないけど、でもごはんとかは時々ついてきてくれるし」
 ひいちゃん?
「わたしとおなじ、おくすりの子でね、ポニーテールの」
 ああ、知ってる。そういえばとおいむかし、はじめてここに来たとき、写真をみたよ。きれいな子だったね。
「うん、きれい。すっごくきれい。でも、浮気しちゃやあよ」
 もちろんしないさ。僕はきみだけだよ。
 おじさまは、にっこり笑ってわたしの額にキスをする。かるく目をつぶってそれを受け入れる。ざらっとした感触が、ちょん、とひっついて、はなれて。
 わたしは知っている。おじさまは知らない。ひいちゃんの一番きれいな部分は、右のてくびに走るピンクのきずあとなんだ。ほんのり甘い香りがして、なめると汗の味がする。いつもはリストバンドで隠しているけど、お家でいっしょにお酒を飲んだ夜には、頬を赤く染めながら、後ろからそっとわたしのからだを抱きしめて、鮮やかなきずあとを飽きるまで見せてくれる。外したリストバンドをちいさな右手が大事そうに握りしめている。

 タクシーからおりて、おじさまとばいばいした。いまどきオートロックですらないアパートの、ぽっかりと空洞みたいな入り口にもぐりこめばコンクリートが息づいている。通路は四角くくりぬかれていて、足音がやけに反響する。こつーん、こつん。
 部屋のまえまで来て、びっくりした。ひいちゃんがいた。ドアにもたれかかりながらちんまりと座り込んでいる。長いポニーテールが安っぽい電球に照らされて、それでも、とてもきれいに輝いている。
「おいす」
 と、わたしを見てひいちゃんは言った。
「おいす。どうしたの? こんなところまできて、珍しいね」
「ううん、べつに、どうしたとかじゃないけど、今日はだれかといっしょにいたかったから」
 ひいちゃんの声は夜によく似合う。すきとおっている。ひんやりしている。お月さまのうすあかり。耳にここちいい。
 わたしはドアに鍵をさしこんで、がちゃり、とあける。
「ただいま」
「おじゃまします」
 それからふたりでこたつに潜りこみながら、冷蔵庫にしまっておいたお酒をゆっくり飲んでいった。あまいあまいカクテル。でもアルコールもお店からすっかり数を減らしてしまって、一年後にはもう完全に販売を停止してしまうらしい。電脳にアルコールなんてきかないからね。いまどきは、みんながみんな安心安全な電子ドラッグでラリパッパしている。しあわせなきもちになったりアッパーにぶっとんでみたりサイケなワンダラーンドをぼうけんしたり、多種多様な種類があるからそのときの気分でラリパー具合を変えればいい。いやになったら抜けばいいしたりなかったら足せばいい。便利なものだよ。お酒は、飲み過ぎたらげぼげぼだし、明日になれば頭痛がいたいし、本当にろくなもんじゃない。でも飲む。飲まなきゃやってらんねえよばか。
「そういえば、さっきなっちゃんに会ったよ。今ごろお仕事してんでないかな。首をぎゅーって」
 話しかけると、ひいちゃんは腰まである長い髪束をわしゃわしゃかき回す。彼女の癖だ。
「へえ、なっちゃんか、なつかしいなあ。元気そうだった?」
「うん、ふつうにぴんぴんだった」
「最近ぜんぜん見かけないからさ、すっかり死んだもんだとばかり思ってた」
「生きてる生きてる生きてるよ! ……ちかごろはおとなしいお客ばかりで物足りないにゃあ、ってこないだ愚痴ってたよ」
「物足りない、か。あいつ、首しめられすぎていいかげん馬鹿になってんじゃないのか?」
「あは! ひでー」
「いやいや、ひどいのはあいつの思考回路さ」
 と言って、ひいちゃんはひとつ缶をあおった。ふう、とちいさく息をついて、
「まあ、それくらいじゃないと首しめなんてやってらんねえのか。店長もいい子見つけたなあ」
 またひとつ、あおった。
 ひいちゃんはうわばみだ。ごくごく飲んで、どくどく飲んで、まだまだまだまだ平気な顔をしている。たくさんで集まる時もいつもひとり最後まで飲み明かして、皆の屍が累々とするなかきらきら朝日に照らされながら、ほろ酔い気分できもちよく眠りにつくのだ。ついていくのはまず無理なので、ひいちゃんと飲むときはいちど最初の一杯で止めておくことが肝要だ。辛抱強くじっと待ってればそのうちほんのり桜色のほっぺになって、そうなるとひいちゃんはすごくかわいい。天使みたいだ。
 でも今日はいつもよりもペースがおそい。もしかしたらあまり酔いたくないのかもしれない。それはちょっとイヤだな、と思った。
「ね、ね、飲まないの? お酒ならたくさんあるから、全然遠慮しないでいいよ」
 おいしいはちみつ酒を一本、冷蔵庫から出してあげる。これはけいとちゃんが密造したものだ。ほんのり甘くて、そのくせちょっぴり酸っぱい。おもしろい。はやく飲んであげないと発酵が進んでおいしくなくなっちゃうから、ひいちゃんにも手伝ってもらって今日中に飲んでしまいたかった。
 けれども。
「うん」
 と頷いて、だけど手はださない。ぼんやりと空中を見つめじっと黙っている。すでにコップの中身は空で、だけど注ぎ足そうとはしない。ぼんやりと空中を見つめじっと黙っている。
 どうしたのと言いかけてやめた。いまのひいちゃんには、そういった声をかけることをためらわれるような鋭さがあった。かたくて、つめたくて、さされれば、うぎゃん。
 それがふいに悲しくて、なんだか泣きそうになってしまった。心細さが胸の奥をきゅんと収縮させる。
 きっとわたしは、すごくさみしい顔をしていたんだと思う。それを見てなにか察してくれたのか、ひいちゃんはにっこり笑った。
「ごめんね。いまこわい顔してたでしょ」
 ううん。と首をふる。のどの奧になにかが絡まったようで、声はうまく出せなかった。そんなわたしを見て、ひいちゃんはもう一度笑った。
「ねえ」
 そう言ってすっく立ち上がれば、ポニーテールがかわいく揺れる。
「ちょっと外にでない? ぶらぶら歩こうよ」
 うなずいたわたしのショートカットは、あちこちにハネたまま固まって動かない。
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