かなしみもだえて(前)
「エニシよ」
「なんだい」
「いくらおれがからくり技師でも、鉄でできた鼠の修理はできねえよ」
「なぜだい。似たようなもんだろ」
「こりゃあ外装は機械みたいだが、中身は生き物だよ。ネジと歯車でなんとかなる代物じゃない。お門違いだ。呪い屋にいきな」
「困ったことに俺がその呪い屋でね。ふむ。放っておけば治るかね。俺はおやっさんだけが頼りなんだがなあ」
「筋違いのもんいじらされた挙げ句に文句のたまわれるのはごめんだぜ」
「まさか! そんなこと言うもんか。おやっさん、おれがそんな悪人に見えるのか?」
「当たり前だ、この盗賊あがりめ」
おやっさんの仰るとおり、エニシは元々盗人である。おやっさんの蔵から盗んだ完成品の数はもはや覚えていない。だが、何度盗まれてもおやっさんは蔵の鍵を変えようとはしなかった。
だからエニシはおやっさんをいまでもあてにしている。
工場の油にまみれた壁にもたれながらエニシがいう。
「ふん、なにがお門違いだ、腕が落ちたんだろうがクソジジイめ。老いぼれなんだから仕事ぐらい死ぬまでキチッとこなせやァ」
「…………。まあな。それも否定しない。もう最近はすっかり目も弱ったし足腰もきかねえ。ポンコツいじりもここまでかもな」
「な、なに言ってんだよ」
いつもはもうろくなんか死んでもしねえと気炎を吐くはずのおやっさんの弱音に、エニシからちゃらけた雰囲気が一発で吹っ飛んだ。
「いつまでもからくりいじりがしてえって言ってたの忘れたのかよ。ほんとにぼけちまったのかおやっさん」
「エニシ」おやっさんは言う。
「歳は食いたくなくても食うもんなんだ。おれだって好きでジジイになったわけじゃない。ま、おまえにもわかるときがくるさ」
「ハン! 俺にゃわからんね。俺にはわからん。俺は生涯現役だ。どこまでだって闘うぜ」
「ああ、いつまでもおまえはそう言い続けるんだろうな。羨ましいよ、おれはおまえが」
おやっさんは鉄鼠の装甲をぺちりと叩くと、あばら屋からでていった。一人と一匹になったエニシは、しばらく窓から斜めに射し込む光の柱のなかに突っ立っていたが、おもむろにちゃぶ台を足で蹴飛ばし、足取り勇ましく町に出ていった。夏の日差しがエニシをおそったが、そんなものはそよ風程度にも感じなかった。
いくらクソジジイの夏バテでも限度がある。そう息巻くことは簡単だが、おやっさんの言葉をいくら拭っても、きっと真実しか出てこない。
エニシには、よくわかっている。
○
三番通りの梅助といえばからくり技師として帝に品を献上したこともある有名人だ。彼の作るからくりは静かで正確で、誰かが見えない糸で操っているかのようにてきぱきと動く。お茶くみ、習字、皿回し、なんでもやる。できないのは水泳と飛行ぐらいのものだ。
梅助には子供がいなかった。ずっとからくりを作り続け、支えてくれた二人の妹も事故と病で梅助が三十の頃に亡くなった。以来、梅助はひとりぼっちだ。
「旦那が自分の子供の代わり……ぐらいに思ってたんじゃないすかね、おやっさん」
エニシはうしろからついてくる顔色の悪いのっぽの男を睨んだ。
「黙ってろ土蜘蛛。足を二本もいでふつうの虫にしちゃうぞ」
「やめてくださいよ! この身体借り物だし足もいだらこけしっすよ。おれ熟女のおもちゃになるのイヤっす」
「俺はそんなにイヤじゃない」
「うわあ」
「なんだその顔は。この野郎、誰が主人なのかわからせてやるぜ」
「もうホントにちょっと待ってそのセリフはいろいろやばいうわあうわあ」
道ばたで揉める二人を通行人が怪訝そうに横目に見ながら、すれ違っていく。
○
エニシがのれんをくぐると、首のうしろで髪を結んだ若い娘が威勢良く
「はいいらっしゃ」と言いかけてぎゅっと顔をしかめ、
「なんだエニシか。なにしにきたのとっとと帰って」
「いきなりそれかよ! 俺ァ客だぞ客ゥ。とっととソバを出せ、このソバ屋が」
「なんでソバ屋が悪口みたいになってんの? このエニシが! あだっ」
店の主人が台所の奥から投げてきた箸入れの筒が娘の頭を直撃した。
「おいこらバカ娘、お客になんて口利いてやがる」
「パパ……だ、だってエニシだよ?」
「いいかお菊、エニシでもタニシでも客は客だ! とっとと注文取れい」
「俺は本当に客かね」
「どうすかね、カネ払ったら初めて愛想よくなるタイプの店かも」
「そんなサービス業イギリス本国だったら通用しないよ? まったくこの国ぁ気楽でいいよな」
エニシは土間から座敷にあがって座布団に腰掛けた。土蜘蛛がよっこらしょと慣れない人間の膝を畳んでエニシの対面に座る。二人はメニューをとってあーでもないこーでもないとソバにいちゃもんをつけていたが結局カレーを頼んだ。
「ソバ食べにきたんじゃないの? べつにいいけど……」
「うるせーな。カネ払うんだから文句言うんじゃねーよ芋みてえな顔しやがってお菊だかおけつだかしらねーがとっとと飯作ってこいや」
旦那に同じく、と土蜘蛛がしかつめらしい顔でうなずき、お菊のこめかみに血管が浮き出た。
「な、なんであたしがそんなにまくしたてられなきゃいけないのよ……!」
「それはおまえが店員で、俺が客だからさ。そもそもなんでメニュー取りをおまえみたいな彼氏もいねーファンもいねー嫁のもらい手もいねーしょんべんくせえジャリ女がやってんだよ?」
いつもだったら木桶を二つ重ねたようなポンコツがお冷やを運んでくるところなのだが、今日はどこを見回してもがらくたの姿は見えない。
「またぶっ壊したのか? おやっさん怒るぜ、これだから女は機械に弱くて、」
お菊が押し黙ったので、エニシは口をつぐんだ。
「なんだよ。なんかあったのか」
これ、とお菊が懐から一枚の紙を取り出した。エニシはそれをひったくって目を細め、字面に視線を滑らせた。
「からくり……撤廃? なんで? これお上からのおふれじゃねえか。俺こんなの聞いてないぞ」
「傭兵には関係ないからでしょ。なんでもこーゆーからくり技術は貴族たちのものであるべきで、あたしたち庶民が使うべきじゃないんだって」
「まあからくり技師が増えて人造人間でも作られて反逆されたら国つぶれますしねえ」と土蜘蛛が窓の外を気取って見上げる。エニシはぐしゃっと紙を握りつぶして、
「じゃ、梅のおやっさんはどうなるんだ」
「梅さんは……お上から雇ってもらえそうだったんだけど、自分から断っちゃったみたい」
エニシはそんなことぜんぜん聞いてない。おやっさんはいつもどおりだった。
「なんでだ。なんでそんな」
「ずっと腕一本でやってきた人だもん。いまさら、人の下になんかつけないってこと、なんじゃないかな……」
そう、おやっさんは確かにそういうやつだ。お菊よりも、エニシの方がそんなことは知っている。つきあってきた年数が違うのだ。
エニシは机を拳で叩いた。お冷やが横倒しになって水が流れ出したが、誰も注意を払わなかった。
「ざけろ。俺は、俺はなにがなんでもしょんべん女なんかにオーダー取られたくない。俺が責任を持つからおまえんとこだけはからくり使え。そんで壊れたらおやっさんとこ持ってけ、いままでみたいに」
「周りがみんな我慢してるときにウチだけ?」
お菊は鼻で笑って、
「そんなことした日には周りからどんな目で見られるか……みんな一緒がこの街の基本原則なのよ。あんた朝から晩までウチを守ってくれるわけ? お客さんの呼び込みまでフォローできる?」
「…………」
「あんたって、そういうとこ、ガキだよね。いつまで経っても、あんたはそう……」
お菊は台所に引っ込んでいった。土蜘蛛は主人が噴火するのではないかと気が気ではなかったが、エニシはそれからカレーを食べ終わって店をでるまで、なにも言わなかった。
○
人殺しが出たという。
そのときエニシは賭場にいて、下町の若人衆とサイコロを振っていた。のちにチンチロリンと呼ばれるようになるギャンブルである。エニシは456ばっかり出してドカドカ勝ちまくった。そこへきての人殺しでの召集である。妖怪騒ぎじゃなければ俺を呼ぶなと使いの下っ端を怒鳴って追い返そうとしたが、ガンとしてその下っ端は帰らなかった。
「死体が変なのです、エニシ殿。首がちぎれかけていて、人間のものとは、思えないのです」
人間業とは思えないのはいまのエニシの勝ちっぷりも同じである。むしろこっちの方がエニシ自身にも原因がわからず、きっとこれから永劫に誰にも解明されない分価値があるかもしれない。
だが、結局エニシは、重い腰をあげねばならなかった。エニシも宮仕えする者の一人であることに、変わりはない。
○
エニシが現場につくと、すでに同僚の陰陽師が何人かいた。祟りのような死に方をしたときだけ星を見るのをやめてのそのそと町へ出てくる薄気味の悪い連中である。エニシは彼らが好きではない。いきなり一人の胸ぐらをつかみあげ、
「で、俺を呼んだのはどこのどいつだ。人様の楽しみのじゃまを二度としないよう一発くれてやる」
「私です」
有言実行、エニシは有無を言わさずにその細面の男をぶん殴った。わあ、と周囲の衛兵たちが悲鳴をあげる。男は唇についた血を懐紙で拭いながら立ち上がった。
「あなたの力が必要なのです。わかってください」
「いやだ」
「いつもより機嫌が悪いですね。どうかしたのですか」
「てめえには向こう一千年関係のないことだ。それよりガイ者はどこだ。ただの野犬の仕業だったりしたら二度と表通りを歩けねえようにしてやるぜ」
「ご安心を」男はにいっと笑って、
「人外の所行ですよ」
といって、屏風をどかして犯行現場を明らかにした。衛兵の何人かがうっと口をおさえる。
女の死体だった。首が強い力で締めあげられ、いや、潰されている。指よりも細く圧縮された首が、申し訳程度に頭と胴体をつないでいる。いくら恨みがあろうとも人にできる殺し方ではない。
「どうです、妖怪でしょう」
エニシは首を振った。
「油のにおいがする」
「は?」
「おまえら、帰っていいぞ。死体の始末だけやってやれ」
「まってください、犯人がわかったので?」
「おまえら風に言うならつくも神ってところだろう。誰のどんな持ち物かも俺にはわかってる。……おい、俺は帰れと言ったんだぜ。とっとと失せろ、この青びょうたんどもが!!」
ただならぬ気迫に、衛兵と陰陽師たちはそそくさと立ち去った。放置されてしまった死体にエニシはいちべつをくれてから、屏風を倒して、死体を覆い隠してやった。
もはや誰も住んでいない廃屋である。死体も伸びたいぐさに隠されて、いつか家とともに腐り果てるだろう。
○
工場の中は閑散としていた。当然だ、もう夜中の二時をまわっている。青い月の光が削られた木片と放置された工具を浮かび上がらせる。
その奥に、一人の女が座っている。青い着物を着た女。エニシに気づいて振り返る顔は青白く、生気がない。
「おまえ、人形だな?」
女の浮き出た鎖骨に、おやっさんの工場のマークが刻印されている。
「おやっさんに命令されたのか? それであんなマネをしたのか」
「違う……私が勝手にやった」
「なぜ」
「わかっているくせに、私の口から言わせるの? あの女の素性もわかっているんでしょう?」
「からくり規制派の貴族の女……ってことはさっき知ったよ。ふん、あの女を殺せばお触れがなくなるとでも思ったか? 世の中そんなにチャチにはできちゃいねーぞ」
「なら、チャチになるまで揺さぶるだけよ」
ゆらり、と女は立ち上がって、小首を傾げてエニシを見た。
「さて、知りすぎてしまった探偵さんには死んでもらいましょうか。命乞いしても無駄ですよ」
「したくともやり方がわからないんでね」
エニシは袂から一本の巻物を取り出し、ベルトにスロットした。
「――――変身」
(つづく)