第二話 のり弁のコロッケは醤油のほうがいい
僕は秘密研究機関の実験場の壁にはりつけにされていた。辺りには白衣を着てガスマスクを被った数人の秘密研究員。僕はそこで、自分をはりつけにしている拘束器具を揺らしながら、やたら演技臭い動きを繰り返していた。
「ちくしょう、こんなことして、タダですむと、思うなよ!」
いちいち文節の頭にアクセントを付けながら、僕はわめいている。
「くくく、そう怖い顔をするな。これこそ人類の悲願なのだ」
胸にやたら勲章をつけた主任研究員はそういうと、指パッチンをした。それに続いて、天井が左右にスライドしていく。開いた隙間から、次々に大小さまざま、色もさまざまな、雑多な物体が落下してきた。
「な……! こ、これは!」
天井から滝のように落ちてくる物体は、やむことなくどんどん床に積み上がっていく。いつの間にか何のために居たのか分からない、おそらく雰囲気作りのためだけに居たのだと思われる、登場シーンが一秒以下のガスマスクの雑魚研究員の姿は消えていた。
かさを増していく物体達が放つ異臭が、鼻をつく。
「ふはは! これで! この国の、いやこの世界のゴミ問題は解決する!」
いまや床一面、ふりそそぐ物体――ゴミで埋め尽くされていた。
気づけば足もとにいたはずの主任研究員は、瞬間移動でもしたのか、正面の壁に入ったガラス窓の向こう側で仁王立ちしていた。たしかにあのまま僕の足元に立っていたら、ゴミに埋もれてしまうものね。
「う、うわあああ! やめろ! やめてくれ!」
水攻めならぬゴミ攻めにより、僕の下半身はすでにゴミの中に埋もれていた。
「さあ、早く! ゴミを地獄の中に入れると、『許可』するのだ!」
壁に据え付けられたいくつものスピーカーが、僕へ命令する。しかし、ここでそれに従ってしまえば、僕の人生は決定してしまうのだ。
無限廃棄物処理場として……!
明るい未来などない、ただひたすらゴミを受け止め続ける人生……!
「いやだ、いやだあ!」
やがて僕の口もとまでゴミがせり上がり――
―――――――――――――
アラームを鳴らしている携帯電話を手さぐりで止め、ベッドに腰かけた。
前日のように、やたらいろいろと、現実離れした出来事が起こった翌日は、「昨日の出来事全てが夢だったのだろう」みたいなことを考えるのが定型的な展開ではあるけれど、僕の目の前にはあるべき二〇冊以上の雑誌の山が存在せず、寝ぼけた頭で右手を地獄に入れる事を許可すると、当たり前のように右手が腹の中に吸い込まれていくので、現実逃避のしようがなかった。
それにしてもいやな夢を見た。細かいところがあまりにも適当ではあったが、ただ僕のこの、体の中に地獄がある、地球の表面積の二十倍の空間がある、という能力は、普通に捨てたらヤバい兵器だとか燃料廃棄物だとかを棄てるのにうってつけである。僕はいまの夢が何かのフラグでは無いことを祈った。
ちゃんと止まっていなかった携帯のアラームが三分スヌーズを的確に実行し、再び騒々しく鳴った。その息の根を確実に止めるべく僕は携帯電話を手にとる。
母ちゃんと父ちゃんから、それぞれ一通づつメールが来ていた。二人共メールの内容は大体同じで、要約するとこうだ。
『学校でいじめられているなら相談するのだぞ』
これはつまり、昨日僕が財布と定期入れとPSPとDSが無くなったという事を両親にぶっちゃけて助けを求めた結果なのだけれども、どうにもややこしい事になってしまった。たしかに道で転んだら財布と定期入れとPSPとDSが川に落っこちて、流れて行っちゃった。テヘヘ。なんてのを信じるよりは、いじめられているのでは? と考えるほうが正解っぽいよな。普通なら。
『貴様の中に地獄がある、というのは口外しないほうが得策だ』
昨日、天国が家から出て行ったあと、見知らぬ電話番号から僕に着信があった。出てみると「もう一つ言い忘れたことがあった」と、ついさっき出て行ったばかりの天国の声だった。どうして僕の電話番号を知っているのかを聞く隙も与えず、電話口の天国は言う。
『雑誌や財布のように無機物であれば、入る入らないの許可は貴様自身が出せばいいが、それが人間だった場合は話が別だ。自分が地獄の中に入っても構わない、入りたい。そう考える人間が、貴様の体に触れれば、そいつは地獄の中へ入ってしまう。人間が地獄のとば口に少しでも足を踏み入れたなら、地獄はそいつを飲みこむだろう。私や貴様のようにちょっとだけ入って出る、なんて事は、出来ない』
だから、万が一の事故を防ぐためにも、僕の中に地獄がある、という知識は他人へ与えない方が良い、という話だった。そしてどうして電話番号を知ってるのか聞く前に、電話は切られた。
そんなわけで、僕は両親に「おいらっちの体の中には地獄があるんよ、わりとマジで」みたいな事は言えないのである。どれ、本当か確かめてみよう、と手を突っ込んで父ちゃんが地獄行きになったら、おおごとである。我が家にはまだ住宅ローンがたんまり残っているのだ。
僕はとにかく、いじめられてるわけじゃなくて、嘘っぽいけどマジで川に落っことしたんですごめんなさい、と再び昨日と同じようなことを両親の前で話し、交通費を受け取って家を出た。
登校中どこからともなく天国が現われるのでは? 変な所にひっついているのでは?と、いらないドッキリで心臓へ負担をかけないよう警戒したが、そんな事はおこらず、奴は普通に教室で席に座ってホームルームの開始を待っていた。そして昨日と同じように、まばたきをせず、誰かに話しかけられても「へぇ」としか答えず、ノートも取らず、そして黒板に回答するよう言われても拒否をする、という学校生活完全否定を絶賛実施していた。果たしてこの生き物が卒業というイベントをこなすことが出来るのか、はなはだ謎である。
そうしてやってきた昼休み。僕は開けた弁当袋のなかに『本当に何かあったら相談しなさい』などと書かれたメモが入っているのを見つけ、微妙に憂鬱な気分になりながら箸をとった。
「あれ」僕は弁当に入っていたコロッケの味が、普段と違う事に気づき、その原因であろう黒い液体の入った小袋を一舐めしたあと、一人呟いた。「これ、醤油だ」
【薄口ソース】としっかり印刷され、そしてパッケージされているのに、これは一体どういうことか。
「うん?」「あれ……」「醤油?」
気付けば、昼飯を食べているクラスメートたちが、それぞれぼやきながら首をかしげている。
ガタンッと、僕の隣で激しく椅子の動く音がした。
「罪の――」
その席に座っていた天国は、立ち上がるなり僕に向かってこう言った。
「罪の匂いがする」
あ、何かはじまりました?
―――――――――――――
「罪を狩る。それが私たちのすべき仕事の内容だ」
クラスの中が、ソースが醤油になるという微妙な混乱に陥っているなか、僕と天国は再び屋上へやってきた。食いかけの弁当を持って。
「罪って、それはソースを醤油に変えた罪?」
僕は現状自分が持っている情報を最大限駆使して想像した。実際口にだしてみると小気味よい響きである。『ソースを醤油に変えた罪』
「おそらくそんなところだろう」だいたい当たってるらしい。「その、ソースを醤油に変えた罪、に感染した人間が、あたりかまわず感染した能力でソースを醤油に変えているのだ」
天国は言い終えると、卵焼きを口に入れた。
「そんで、罪を狩るって、どうするのさ」
僕は醤油のかかったコロッケをほうばった。
「貴様が、罪に感染した人間に触れて、罪を地獄の中へ入れることを許可すればいい」
「なにそれ、僕がやるの? きっと地獄の中に何かを入れるというのが仕事の一環なんだろうな、とは思っていたけど、それってほとんどやるの僕じゃんか」
うなずく天国。
「そんじゃあ、天国は何するの」
「サポート」
「ああ、あそう」
昨日は私の仕事を手伝ってもらう、とか言ってたくせに。これでは僕の仕事を天国が手伝う、の間違いじゃないか。
「感染した人ってのは、どうやって見つければいいの」
僕はため息をつきながら、弁当箱を片付けた。
「とにかく感染した人間は、その能力が使いたくて仕方がなくなる。だから、今もどこかでひたすらソースを醤油に変えているはずだ」
「つまり、そいつはソースがある場所に居る、ってことだよな。それに、僕の教室にまで能力が及んだんだから、この学校のすぐそばに居るはずだよな」
「そうではなかろうか」
と、偉そうに答えた天国の向こう側、学校のすぐ隣に弁当屋があるのを、僕は発見していた。
昼飯時なのに閑散としている弁当屋『もくもく弁当』の前にやってきた僕たちは、その店のカウンターに腰かけて、怪しげな笑みを浮かべている男を見つけた。
「あの人?」
電信柱の影からちょっと顔を出して、僕はあちらの様子をうかがった。
サラリーマンらしきその男は、『これぞ異能力者!』な、紫色のオーラを全身から垂れ流している。あのオーラがソースを醤油に変えているのか。
「うむ、あの纏っているのが、感染した罪だ」
僕の頭上で電信柱に原理不明の力でくっついている天国が言った。スカートの中が明らかに見えそうなのに、上手いこと腰のジャージでで影ができていて、中を見ることはできない。別に中に興味があるわけではないが、この見えなさは不自然だ。と、再びスカートに思考が旅立ちそうだったので、とりあえずその辺に置いとくことにした。
「あのさ、その状態を他の人に見られたらまずいんじゃないの?」
「問題ない。それに、今はそんな事を話している場合では無いだろう」
「はあ、まあ、うん」
おっしゃる通りだけど、今そこにくっつく必要性もあまりないよね。
「あの人ずっとあそこに座って笑ってるけど、何してんだろ。ソースを醤油に変えるのに、時間でもかかってんの?」
感染した男は、手に持ったビンのようなものを振りながら口を動かすだけで、移動したり、発光したり、叫んだり、正義の味方みたいなのと戦いだしたりする気配がない。
「ソースも多いが、醤油も多い」天国は何かを探るように、ゆっくりと言った。「と、醤油の一リットルボトルを振りながら繰り返し唱えている」
そこから聞こえるの! みたいな驚きはもうしないことにした。人では無いのなら、その程度の事は粉末ポカリを水でとくのと同じくらい、簡単なことなのだろう。
「なんだかさ、罪を、狩るのだ! ってテンションと、ソースを醤油に変えまーす。ってテンションがさ、全然釣り合わないんだけど」
僕はいまさらながら言った。『ソースも多いが醤油も多い』なんて言ってる奴を狩るってのが、どうにも情けない。
「なんだ、怖気づいたのか」
天国は生ゴミの中に入っていたゴキブリの死体を見るような目で、僕を見下ろした。
「いやいや、全然怖気づいてないよ。今の僕のセリフのどこをどうとったら、そうなるんだよ」
「ならばやるぞ」
そういって、天国はどこかへ飛んで行った。
読者の皆様は、この展開からするに、僕たちは既に何らかの作戦を立てているのだろう、これからその綿密に立てられた重厚な作戦が繰り広げられるのだろう、とお思いだろうが、そんな下準備は一切されていない。天国さんが何をどうしたくて飛んだのかはさっぱり謎であり、僕たちは完全ノープランである。
「……」
とにかく、あの男の人に触って、ソースを醤油に変える罪を地獄の中へ入れることを許可する、と念じりゃいいんだよな。僕は一人頷いて、『もくもく弁当』のカウンターに腰かけている男の元へ近づいた。
「こんにちはー」
僕はつとめて友好的に、感染した男へ話かけた。
「ソースも多いが、醤油も……」
男は念仏と醤油ボトルのシェイクを止めると、僕へ顔を向けた。
こう、ガッと触ってしまえば良いんだろうけど、もしも抵抗されたりしたら嫌だな、と思ったので、とりあえずどうにかして握手みたいな事が出来ないものかと僕は考えた。
「しょ、醤油」
男はカウンターから跳び下りると、僕の手に持っている弁当袋を指さした。
「はあ」
僕はその弁当袋を持ち上げて「これですか?」と尋ねた。
「醤油! 友達!」
男は満面の笑みを浮かべながら、頭を縦に振った。一体この罪というキャラクターはどういう設定なのか。混沌としすぎではないか。
「って――」
醤油、友達! はいいけど、この弁当箱の中に含まれている醤油成分は、そっちが勝手に作り出したものではないか。僕の薄口ソースを感染した罪で変換した醤油じゃないか。自分で作ったものの区別もつかないのか。
というか、醤油の一リットルボトルを与えておけば、こうしてずっと大人しくしているのだし、放っておいてもいいんじゃないのか。
僕はもうどうしようもなく、しょうもない気持ちになりながらも、ここが握手ポイントだなと見極めた。
「イエス! 醤油フレンド!」
僕は自分でもわけのわからないセリフを口走りながら、その恥ずかしさに耐えつつ、感染した男へ向かって手をのばした。
感染した男も、「イエース!」とかなんとか言いながらノリノリで手を伸ばしてきた。ちょっと紫色のオーラが怖い。触っても大丈夫だろうか。ソースを醤油に変える以外の、謎のPowerとかがあったりしないのか。今になって、微妙に怖気付いてしまった僕は、あとで天国になんやかやと馬鹿にされるのが癪だったので、たぶん大丈夫だろう、たぶん、と気持ちを奮い立たせた。
男とがっしり、握手をする。よし、あとは念じるだけだ。
と、思ったそのとき、何かが上空から強烈な威圧感を伴って接近してくるのを感じた。見上げた僕の目が捕らえたのは、太陽を背にこちらへ向かってとてつもない勢いで落下してくる黒い点だった。
黒い点はどんどん大きくなっていく。
間違いなく、こちらへ向かって来ている。
「あわわわ……」
黒い点の正体がなんであるのか、僕は理解した。
いや、実際は空から威圧感を感じた時点で、僕は気づいていた。
それは天国励子だった。
天国が『もくもく弁当』に激突する。
爆音とともに『もくもく弁当』が吹き飛んだ。
『もくもく弁当』からもくもくと煙が上がる。
完全に粉砕された『もくもく弁当』の残骸内部から、天国の声がした。
「よし、いまだ」
よし、いまだ。じゃねえよ。
僕の混乱と困惑とつっこみをよそに、感染した男は手に持っていた醤油ボトルを地面に落っことし、大変醤油臭い醤油臭のする黒い醤油をぶちまけ、その場にへたりこんだ。
「ソースも、醤油も、なくなった、もうだめだ、おしまいだ……」
えええっ。
こいつはこいつで、テンション下がるの早いな。
「おい、何をやっているんだ、早くしないか」
がれき中から、やたら不満そうな顔をした天国が姿を現した。
「いやいや、いやいやいや、何でお店を爆破したの。必要ないでしょ」
「なんだと!」
天国は歯をむき出しながら僕を睨んだ。
一瞬怯んでしまったが、人間としてここは一言いわねばなるまい。
「なんだと! じゃないよ! 中の人大丈夫なのそれ! 明らかに大丈夫じゃなさそうだけど! こなごなだよ! こなごなですよ! こなごなではなかろうか……」
僕は結局尻すぼみになりながら、眉間にしわを寄せている天国の背後の、元がお店であったかすら分からなくなってしまった、いろんな物体の破片を指さした。
「大丈夫に決まっているだろうが! 馬鹿にするな! 内部の人間には一切ケガをさせない様に、建屋だけを爆砕したのだ!」
「大丈夫なんだ? 大丈夫なら、まあいいのか? いや、あんまり良くないよな」
「なんでもいいから、早く罪を狩ってはくれないだろうか」
天国は片手を持ち上げて、まるで馬鹿を見るような、もうすぐ死ぬハエを見るような目を僕へ向けた。
「はいはい、分かりましたよ。やりますよ。つーか、天国が降って来なけりゃとっくに終わってたんだっつーの」
僕は地面にへたり込んでいる、感染した男の肩に手を触れ、『ソースを醤油に変える罪が地獄に入る事を許可する』と念じた。
男の体からひっきりなしに溢れ出ていた、紫色のオーラが僕の腹の中に吸い込まれていく。まるで僕の腹に掃除機でもついているかのごとく、ぐんぐん吸い込んでいく。
全てが吸い込まれる直前、わずかにオーラを放っている男がうるんだ瞳で呟いた。
「もっと醤油と居たかった……」
僕の脳内を雷光が走った。僕はこの罪に対して言うべき、パズルのピースのごとく、バッチリとマッチしたセリフが浮かんだのだ。しかし、僕はそれを必死に口に出さないようにこらえた。今まさに浮かばれる、というか地獄送りにされようとしている、悲しき定めとかなんかが待つのであろう『罪』に対して言うべき言葉ではなかったからだ。
などとボヤボヤ考えているうちに、男のオーラは全部地獄へ旅立っていった。
「うん?」
全部吸い込んだなあ、と自分の腹から顔を上げると、完全に粉砕されていたはずの『もくもく弁当』が何事も無かったかのように、元通り建っていた。
「そう、こういった、罪狩りにおいて破壊された物体も、罪が消えると同時に、元に戻るのだ。記憶もしかり。私が壁にはりつこうが空から降ってこようが、罪が何か大きく現実に干渉しようが、全てなかったことになる」
腰に手をあてた天国が言った。
「へああ、便利な世の中になったもんだね……」
カウンターの向こう側で新聞を広げていた、店長らしきおっさんが「注文しねーんならどっか行けよくそが」的な舌打ちをしている。自分のお店が数秒前に爆砕されたことには、本当に気が付いていない様子だ。そしてソースを醤油に変える罪に感染していた男の姿は消えていた。おそらく罪に感染した瞬間の場所にでも戻ったのだろう。
「罪が暴れて町が破壊され、そのままになったのでは、一大時だからな」
天国は大きく頷きながら言う。
「今回破壊したのは天国さんだけどね」
僕は若干ドヤ顔の浮かんでいる天国の横顔へ向かって言った。
すぐさまその弱ドヤ顔を崩した天国は、ぎょろりと目玉を動かし、
「貴様はあれだな、うざいな」
と吐き捨て、校舎のほうへ歩きだした。
「ソーッスね」
僕は言いたくて言いたくてしょうがなかった、二十行ほど必死にこらえたセリフを、一人満足感に浸りながらつぶやくと、天国の後を追った。