「センセ、センセってば」
ぺしぺし。
「痛いじゃないか、助手」
先生がソファの上に起き上がる。
無駄に背がおっきいから、座ってても、あたしより顔の位置が高いのがムカつく。
「その“助手”って呼び方やめてくださいってば」
「じゃあ名前を教えろよ」
「あっ、ひっどーい。あたしに記憶がないのわかってて、そういう事いうんだから」
「思い出せないんだろ? だから助手でいいじゃないか。助手」
「むー」
ほんと、性格悪いんだから。
今日のお夕飯は、先生の嫌いなニンジン入れてやる。
「そんな事よりセンセってば」
「お前が“そんな事“って言うか」
無視無視。
「自己紹介、自己紹介ですよう」
「何で僕が、今更お前に自己紹介しなきゃならんのだ。それとも何か? この一カ月間の事も忘れたのか?」
「っ……ちっがーう!」
あたしは先生の頭を叩こうと腕をふった。
けどそもそも届かないし。
先生は軽々とあたしの手をキャッチして、反対にあたしのおでこにデコピンしてきた。
「痛っ! 酷っ! このニート作家!」
「何を言うか! この天才童話作家に向かって!」
「でもあたし、センセがお仕事してるの見た事ないもん」
「僕は才能の無駄遣いはしないんだ。それに、僕の作品は特殊だからね」
「じゃあ見せてくださいよ。昔の作品とか」
「お前に見せる本は無い」
何でしょ、何なんでしょこの先生様は。
この一カ月間、助手として働いてきたけど、頼まれるのは家事ばかり。
あたしは先生がメモを書いてるのすら見た事がない。
こうなってくると本当に作家かどうかも怪しい。
そうよ、だって何にも仕事してないのにこの小金持ちな暮らしぶり!
閑静な住宅街にあるこの事務所兼自宅のマンションだって、おそらく家賃はかなりお高いはず。
一人暮らしなのに、5LDKもあるなんて無駄よ。
……まあ今はあたしも暮らしてるけど。
あ、でも他はお金あんまりかかってないか。
しいていえば食費と紅茶代くらいね。
先生は全然服装にこだわらないし。
あー、あたしの服欲しいなあ。
いつまでも先生のシャツじゃねえ……
「一人で何をブツブツいってるんだ」
はっ。
先生に言われてあたしは我に返る。
しまった口に出でたか。
「自己紹介じゃないのか?」
やれやれといった感じで先生はソファにふんぞり返っている。
「そうです! 自己紹介してください」
「何で?」
「取材ですってば!」
「取材? 何の?」
「もう! 忘れちゃったんですか?」
あきれた。
昨日からずっと言ってたのに、忘れちゃうんだから。
これはもう今日のおやつは抜きね。
「とにかく、自己紹介、早くしてください」
「誰にすればいいんだ? 自己紹介は相手がいなきゃおかしいだろう」
「読者にですよ」
「読者?」
ああもう、わかんない人だなー。
「これを読む、読者にです」
「読者?」
っだー!
「いいから自己紹介する!」
「はいはい。わかった、わかったよ」
あたしの迫力におされて、ようやく先生は立ち上がった。
うんうん、素直でよろしい。
……しかしでかいな。
たぶんあたしより4,50cmは高いんじゃない?
「えー、名前は、早乙女」
「あ、待ってください」
あたしは慌ててメモをとる。
「職業は天才童話作家。34歳、独身。身長184cm。体重は測って無いので知らん」
「ガリガリですよね」
「失敬な、筋肉はある」
「使ってないからもう萎びてますよ」
「ああ、もういい。ほら、次はお前の番だ」
「……いぢわる」
「あ?」
いらいらしながら先生があたしを見る。
あたしは上目づかいで(いや、どうしてもそうなっちゃうんだけど)先生を見つめ返した。
「あたしに記憶ないのわかってて自己紹介しろとかひどいですよー」
「じゃあどうするんだ?」
「先生が代わりにしてくださいよ」
「えー」
「簡単にでいいですから」
「……こいつの名前は助手」
先生があたしを指差して言う。
ほんと失礼なんだから。
「それは名前じゃないです」
「適当でいいんだろ? えーっと、名前は助手。職業も助手。歳は見た目13、4くらい。身長は140cmくらい。体重は…ぷよぷよだな」
げしっ!
「痛いじゃないか!」
「女の子にむかってぷよぷよはいけません! ぷよぷよは!」
先生はあたしに蹴られたひざをさすりながらこっちをにらんでいる。
悪いのはそっちでしょうが。
「とにかく、こんなもんでいいだろう?」
「あたしが助手になった“いきさつ”なんかは?」
「経緯なんかないだろう。ある日僕が家に帰ったら、玄関先に君が裸で倒れてたから保護してやっただけじゃないか」
「裸でとか言わなくていいんです! それにそれだけ聞くと、センセ犯罪者みたいですよ?」
そういえばあたしの事、ちゃんと警察には言ったのかしら?
『記憶が戻るまで助手として働くと良い』って言われてそれっきりだけど……
「警察にはちゃんと届けてある。警察に知り合いがいてな、ここで保護する事も了承済みだ」
あたしが考えてる事がわかったのか、言い訳がましく先生が言う。
こういう鋭いところもちょっとムカつく。
「……待て、そもそも、お前の自己紹介はいらないだろう」
「先生が“お前も”って言ったんじゃないですか」
「黙れ。それに……雑誌に載ったりしたら、仕事の依頼が来てしまうじゃないか」
「それは、良いことじゃないですか」
あたしは可愛く片目をつぶってみせる。
しかし、反対側のまぶたがケイレンしてしまった。
「くそっ……たまにはちゃんとお前の言ってることも聞けばよかった」
うんうん、それはいい考えだ。
ぜひともそうしていただきたい。
「雑誌の取材? 昨日僕が受けるといったのか?」
あれ? もしかして、今まで先生寝ボケてた?
だから(いつもよりは)素直に自己紹介なんてしたのかしら。
そういえば、昨日取材の話伝えたときも上の空っぽかったなぁ。
「取材の話は断れ。今後も、一切な」
「あ、センセ……」
ばたんと乱暴に扉を閉め、先生は自分の寝室に閉じこもってしまった。
さっきまでソファで寝てたのに、まだ寝る気かこのニート作家は。
「えっ、と」
ともかく。
「ケーキでも焼こう」
においにつられて、起きてくるかもしれない。
あたしはキッチンへとむかった。