「センセ、センセ」
ぐいっ。
「痛っ、髪を引っ張るな助手!」
「そこジャマです。洗濯干すんですから、どいてください」
「やだ」
ごろん。
……子供かよ。
「ぽかぽかして気持ちいいのはわかりますけど、ちょっとだけどいてください」
ぐいっっ。
「だから髪を引っ張るな!」
「無駄にのばしてるのがいけないんですよ。何年切ってないんですか?」
「うるさい、忘れた。それにお前だって長いじゃないか」
まあ、たしかに。
でも先生はおぢさんだけど、あたしは女の子ですもの。
一緒にしないで欲しいわよね。
「もう、こんなに絡まっちゃって」
あたしは手近にあったブラシで、先生の栗色の髪をといてあげる。
うわ、すっごい絡まってる。
「痛い、もっと丁寧にやれ」
「文句言うなら自分でやってください。それにすっかり目が覚めたんじゃないですか? 起きてくださいよう」
「ああもう、わかった。わかったよ」
ようやく先生が起き上がる。
まあ、ずいぶん大儀そうですこと。
「ところでセンセ、今日は執筆なさるのですか?」
何が言いたいのか、ツラそうに寝室へと歩き出した先生の背中にあたしは言う。
先生の創作意欲を刺激するのも助手の仕事だ……たぶん。
「だから、何度も言っているだろう」
態度だけは立派な先生が振り向く。
ヨレヨレのシャツで言われても威厳なんてないですってば。
「僕は普通の作家じゃない」
「ニート作家」
「違う! 僕の作品は特別なんだ。そこらの平凡な作家と一緒にするな」
「でも、書かなきゃ無職と一緒じゃないですか」
……はぁぁ~
と、先生が大きなため息をつく。
別にため息くらいついても良いけど、あたしに息がかからない位置でついて欲しい。
「僕はな、ひとの顔を見ると“その人物にとって必要な”物語がみえてくるんだ」
はいはい、それは前に聞きました。
「たしか文章でなくて、その人の人生にとって“必要な寓意”が見えてくるんですよね?」
「そうだ。わかってるじゃないか」
「記憶力は良いんです」
記憶喪失だけどネ。
「だから僕はそこらの平凡な作家とは違うんだ」
「でも作家なんだから書かなきゃ。依頼はいっぱいきてるでしょ?」
うちの事務所の電話には、どこで聞いたのか、日に10回は執筆依頼の電話がかかってくる。
先生の意向で基本的に電話は留守電になっているが、メッセージを聞くと大物政治家や有名アーティストからの依頼も少なくない。
でも先生はそれを聞きもせず断ってしまう。
「たまには依頼をうけたらいいじゃないですか。お金になりますよ?」
「金には困っていない」
たしかに、うちには謎の振込みが月に3度はある。
ニートのくせに。
「センセ……」
「なんだ」
「悪いことしてるなら、出頭しましょ? あたしも一緒に行ってあげますから」
「失敬な!」
先生があたしにずずいっと近づいて言う。
デカイ。ムカつく。
「じゃあ何で働いてないのに収入があるんですか?」
「昔書いてやった金持ちが恩に着て振り込んでくるんだ! 決して黒い金ではない!」
「センセ…」
「なんだ!」
「ちゃんと、書いたことあったんですね」
「あたりまえだ!」
先生が髪の毛をガシガシとかき混ぜて憤りを表現してくる。
ああっ! せっかくといたのに!
「とにかく、僕は寝るからな!」
「あっ、コラまてニート!」
「ニートじゃない!」
バタンッ!
……
そもそも先生とあたしでは歩幅が違うわけで。
そんなあたしが、足早に寝室へと駆け込む先生を止められるはずないわけで。
……
ドンドンドン!
「なんだ、うるさい!」
ガチャッ
あ、出てきた。
「読みたいー!」
「何を!?」
「センセの本」
……はぁぁ~
また先生はめんどくさそうにため息をついた。
だーかーらー、息がかかる位置でため息つくなって。
「僕の本はだなぁ」
「僕の本は?」
「書いてやった相手と僕にしかにしか見えないんだ」
「……センセ、もしかして熱が」
「無いっ! ああもう、だから言いたくないんだ!」
「だから、って?」
「みんな僕をウソツキ呼ばわりだ!」
バタンッ!
……あちゃー、怒っちゃった?
でも、信じられないよね。
“特定の人にしか読めない本”とか、そんな魔法みたいなはなし……
コンコン
「センセ、センセ」
返事なし。
やっぱ怒っちゃったのかなぁ。
しかたない、今夜の夕飯は先生の好きな“ジャガイモ抜き肉じゃが”に……
ふわ、ふわ
その時、そんな優しいあたしの鼻先を、綿毛のような謎の物体が横切った。
パシッと、あたしは反射的にそれをつかみとった。
「センセ、センセ。さっきの話し終わり。ちょっとこれ見てくださいよー」
「今度は何だ!」
ガチャリ
あ、出てきた。
「何だ! ほら、見てやるから出せ!」
やれやれ、好奇心だけは強いのよね。
好奇心だけは。
「これです」
あたしがぎゅっと握った手を開くと、今まで大人しくしていた綿毛が、またふわふわと飛び立つ。
「ああ、なんだ、ケサランパサランじゃないか」
「け、けさ……?」
先生が謎の呪文を唱える。
やっぱり熱が……
「ケサランパサランだ。願いを叶えてくれるぞ」
「えっ? 本当ですか?」
「知らん。初めて見た」
“初めて見た”って……ならもっとこう、“ビックリしたー”みたいなリアクションしてもいいんじゃないの?
まあ先生のリアクションが薄いのはいつものことだけど。
こないだだって、スキだって言うからオムライス作ってあげたのに、あたしが“どうですか”って聞くまで“美味い”って言ってくれないんだから。
「何をブツブツ言ってるんだ?」
「別に、何も言ってないですよー」
しまった、また口に出てたか。
「で、このケサ…」
「ケサランパサラン」
「そのケサはどんな願いでも叶えてくれるんですか?」
「まあそういう言い伝えだな」
「どこの言い伝えですか?」
「僕に聞いてばかりいないで、少しは自分で調べたらどうだ?」
「えー」
正直めんどくさいなー。
この事務所には一室、本棚だけの部屋がある。
それは一番広い部屋で“資料室”って読んでるんだけど、ほんとにすっごいいっぱい本がある。
けどまったく整理されてないから、そこから目当ての本を探し出すなんて考えただけで気が遠くなる。
「教えて、センセ?」
あたしは、それはそれは可愛く先生におねだりした。
「……まったく、仕方ないな」
よしきたー!
「ケサランパサランは日本の、まあ妖怪みたいなものだ」
「国産なんですか?」
「おかしな表現だが、そうだ。江戸時代にはすでにいたらしい。もっとも、その頃は単なるUMAみたいなものだったようだがな」
「うま?」
「UMA、未確認生物だ。それがいつしか“もつ者に幸せを与える”という能力が付け足され、近年では“願いを叶えてくれる”といわれている」
「ほんとですか?」
「だから知らん。そこにあと2、3匹浮いているから試してみればいいだろう」
あ、ほんとだ。
よくみると部屋の中にはまだあと2匹のケサランパサランがふわふわと浮かんでいた。
あたしはそれをひょいひょいっと簡単に捕まえる。
「さあ、試してみろ」
「センセは願い事いいんですか?」
「僕は、願いは自分の力で叶える事にしてるんだ」
はいはい、ニートのくせにねー。
「じゃあ試してみますね」
「ああ」
あたしは1匹のケサランパサランをぎゅっと握り締める。
「……」
「……どうした?」
「魂抜かれたりしませんよね?」
「いいから早くしろ」
がしっと先生があたしの頭をつかんだ。
あっ、ひどい!
洗濯物たたまないでしまってやる!
「じゃあいきますね」
すう……っとあたしは呼吸を整える。
「記憶が戻りますように」
あたしがそう言い終ると同時に、握った手の中の感触がすっと消えた。
おそるおそる手を開いてみると、そこにはもう何もなく、あたしの可愛い手のひらがあるだけだ。
「どうだ?」
先生が目に見えてワクワクした様子で聞いてくる。
「……名前、聞いてみてください」
「よし。君の、名前は?」
うわっ、“君”だって。
気持ちわるー。
「さあ、ほら、名前は?」
「わかりません」
あたしはきっぱりこたえた。
だってほんとにわかんないんだもん。
「じゃあなんで聞かせたんだ?」
「いえ、何となく」
「……願いが大き過ぎたのかな」
先生、腕を組んで考え始めた。
もー、こんな事じゃなくて仕事の方に真剣になってくださいよー。
「よし、次はもっと簡単な願い事をしろ」
「またあたしがするんですかー?」
「もちろんだ。さあ」
うーん、簡単なのって言われてもなあ。
とりあえずまたケサランパサランを握りしめ、あたしは考える。
よし、決めた。
と、その瞬間、手の中からふっと感触が消えた。
「あれ?」
「どうした?」
あたしはおそるおそる手を開く。
……やっぱりいない。
「いなくなっちゃいました」
「願い事を強く念じたりしなかったか? もしかしたら口に出ださなくてもいいのかも」
「うーん“よし決めた”とは思ってましたけど」
「それでどうだ、願いは叶ったか?」
えっと……
「どうでしょう」
「何を願ったんだ?」
「“先生がちゃんと本を書きますように”って……」
はああ……っと先生は大きなため息をついた。
そしてとぼとぼと仕事部屋の方へと歩き出した。
「センセ? どうしたんですか?」
投げやりに部屋へと入り、先生は仕事机の椅子にどかっと腰をおろした。
そしてなんと何か書き始めたではないですか!
もしかしてあたしの願い叶った!?
「センセ……」
感動にあたしの目頭が熱くなる。
ようやくお仕事してくれるんですね。
メモ用紙にマジックで書いてるのが気になるけど、きっと下書きか、アイデアを書きとめているのね。
ぱしっ
あ痛っ。
いきなり、先生が今ペンを走らせていた紙を丸めて投げてきた。
あたしはその紙をひろって広げてみる。
そこには……
「“コーヒー淹れろ”って何ですかセンセ」
「興奮したらのどが渇いた」
「だから?」
「淹れろ」
……ああ、はいはい。
「淹れてくれたら褒美に残ったケサランパサランをやろう。“おしろい”をやると増えるらしいから、ペットにしてみたらどうだ?」
先生はもうすっかり興味を無くしたようで、椅子にふんぞり返って新聞を読んでいる。
机に足を置くなってば。
「じゃあ、コーヒー淹れてきます」
「ミルクもつけろよ」
だれがつけてやるもんですか。
あたしは勢いよく仕事部屋のドアを閉めると台所へと向かった。
腹が立つやらがっかりやら。
ふわふわ
そんなあたしの目の前を、ケサランパサランの最後の1匹が横切る。
「……残念」
あたしはそっと右手でその子を捕まえると窓際へと近づく。
そして左手で窓を開けると、右手を外に突き出して開いた。
ふわりとケサランパサランは風に乗り、すぐにどこかへ消えてしまった。
「ばいばい」
あたしは小さく手を振り、窓を閉めた。
コーヒーは淹れなかった。