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2011/06/19

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 深夜の国道沿いを、自転車で黒原君(仮名)と並走していた。周りは田んぼだらけで光も少なく、相手の顔は見えるか見えないか程度だったが確認はできていた。黒原君はこのまま国道を突き進み海へ行くつもりだと言った。それを見送ると、いつのまにか乗っていたはずの自転車が消失しているのに気付いた。移動手段を失い、とりあえず国道を横切ろうとしたが、この闇夜の上に行き交う車はライトを点けていなかったので、危うく轢かれそうになった。
 しばらく草木の植えられた段差の上に座っていると、父の車が通りがかったのでそれに乗って帰ることにした。父は寄り道があると言い、脇道にそれて緩やかな坂を下って行った。途中車に二度ぶつかりそうになった。

 車は小さな店の前で止まった。一応ディスカウントショップという名目であるこの店は、父の知り合いが経営しているらしい。中に入り、圧縮陳列された商品の城壁を縫って、店員とおぼしき女性とおばあさんが出迎えてくれた。
「どこかでお会いしましたか」と女性に尋ねられたが、記憶が曖昧でうまく答えられなかった。「ああ」とか「ええ」とか呟きながら考え込んで、床のタイルの縞模様を目でなぞり、ようやくやんわり否定する言葉が頭に浮かんだ頃には当の女性はどこかへ姿を消してしまっていた。
 気付けば父も蒸発しており、店内には僕とおばあさんだけしかいなくなっていた。仕方が無いので何か興味をそそる物は無いかと棚を探っていると、ジョン・ライドンの顔が大きく外装にプリントされた「ジョンライドンカレー」なる代物が急に視界に飛び込んできた。その衝撃たるや、もはや事故と言ってもいいほどで、それを買うべきかどうかの躊躇いなどはどこかへぶっ飛んでしまったまま、ひとつ手に取って代金をおばあさんに払い終えていた。
 都合よく店の奥に調理室のような部屋が備え付けられていたので、お湯を沸かしてレトルトパウチを温め、ご飯にかけて食べることにした。インドカレーでもないのに舌触りがパサパサとしていて、食感はあまり良くなかった。唯一好感が持てた点は、具が茄子しか入っていないところか。

 体はまた車の中に戻っていた。運転しているのは父だろうかと思い運転席を覗きこむと、スヌーピーがハンドルを捌いていた。車がトンネルに入ったので、通り抜けるまで壁面を流れていくライトの数を数えて暇を潰していた。二百十ほど数えたところで星空の光にとって変わり、車は右折しダイキ(ホームセンター)に停車した。
 車を降りたスヌーピーは店の中に入るでもなく、何かを探すように駐車場を歩き回り、僕はというとただ彼についていくしかなかった。一台の軽トラックの前に出ると、そのドアにもたれかかっていた熊みたいに髭面の、オーバーオールの木こりが僕らを見定めるようにこちらに顔を向けた。
 スヌーピーが間に立って、僕を木こりに紹介させるように前足をこちらに伸ばした。呆然と立っているとスヌーピーが足を小突き始めたので、何かしなくちゃいけないと思い、無意識にジーンズのポケットに手を突っ込んだ。中で物が互いにぶつかり合う音と振動を知覚し、出会った硬い感触を引き抜くと、剥がされた人の爪が二枚出てきた。
 爪を握りしめて木こりの方へ顔を向き直した瞬間、頭に電流が走り「ああ、これはあの人の爪なんだ!」という考えが突如湧きあがった。それを確信に変えるために手のひらに乗った爪を木こりの方に向けて差し出したが、当然のごとく嫌悪の表情と共に叩き落とされた。対してスヌーピーはよく漫画で見せるような、口の端を顔の横まで引き伸ばした皮肉笑いをしていた。

 無菌室の中、簡易ベッドの上に横たわっているのに気付いた。砂糖みたいに真っ白な壁がライトに照らされて、反射光が目に突き刺さった。
 傍にはパーマのかかった白髪に薄汚れた白衣を羽織った、典型的な科学者の風貌をしたおじいさんが立っていた。おじいさんはスタンドにぶら下がっている点滴セットから赤い液体の入ったパックだけ取り外し、緑色のゴムチューブで僕の側頭部に巻きつけた。
 何をするんですか、と言おうとすると同時におじいさんは、白衣の内側からピストルを取り出して僕の顔の方に向けた。血塗れになった顔面はどんな感じなのか、パックを撃ち抜いて観察してみたいとかそんなことを喋っていたと思うが、僕の目は赤い液体に狙いをつけようとする銃口に釘付けで、微動だにしない液の冷たさと速まる脈の熱の対比によって現状を把握するのに必死だった。
 この体験主義者のウィリアム・テルごっこには付き合っていられないという明瞭な意識を掴み取るとともに、素早く脚を動かし扉へと逃げ出した。しかし扉はびくともせず、振り返ると同時に銃口から鈍い光が覗くのが垣間見えた。飛び出すのは鉛玉かと覚悟したが、その穴からはとめどなく黄色い液体が曲線を描き床で弾けて、やがて水溜りを作り始めた。それは育毛剤だった。

 安心と期待はずれの感情で頭が満たされた頃には、その育毛剤銃を手にして黒原君とジャック君(仮名)と共に松山銀天街(愛媛県松山市中心部にあるアーケード)を練り歩いていた。右手の銃の重みを感じ取る度に、この役立たずに対して憤懣やるかたなしという有様だった。
 出口のところでヤンキーが十人ほどたむろしていたので、円になってウンコ座りをしている一団の中心に銃を滑り込ませ、そのまま背を向けて通り過ぎようとした。調子に乗ったヤンキーがその銃を手にして僕らを脅す滑稽な図と、銃口から下痢のように出る育毛剤に映るアホ面を見れば、少しは気分も晴れるのではないかと思ってのことだった。
 しかし一緒について来てるはずの黒原君とジャック君の行動を確認しようと少し見返せば、黒原君はヤンキーたちをおちょくる言葉をまくし立て、ジャック君はその一人に蹴りをかましているのが見え、これはまずい雰囲気になってきたと感じた。立ちあがったヤンキーたちは幽鬼の如き佇まいで、二人も流石にヤバいと気付いたのか、早足で僕に追い付こうとした。
 当然、ヤンキーたちは威圧感たっぷりながらも僕らより早く歩き、じりじりとその距離を詰めていった。重苦しい空気に耐え切れなくなった僕が張りつめた緊張の糸を踏み切って駆け出したあとは、背後から貫かんばかりの怒号をかわし、舗装道路を這い寄る振動の源を振り切るのに懸命だった。
 この騒動の原因である黒原君とジャック君の背中が遠くなっていくのを怨めしく思いながら、直に追いつかれてしまうのは明らかだったので、僕は走るのをやめてヤンキーたちの前へ体を立ち塞がせた。突っ込んできた先頭のヤンキーが放った大振りを避けて、カウンターで顔面に拳を叩きこんだ。衝撃を受けたヤンキーは鼻を押さえて呻いた。
「うおあ、こいつ強えよ」
 そう言ったのが聞こえたので、成程、僕は強いのか!と浮かれた気分になったが、すぐさま別の一人がつっこむ。
「いや、弱いだろう」
 それを聞いて、そうか、僕は弱いのかと酷く落胆気分に陥った。
 そしてヤンキーたちは僕のことそっちのけで「強い」「弱い」と議論を始めたので、その間ずっと気分が上がったり下がったりして大変だった。やがて激しく揺さぶられた頭の中から弾き飛ばされた夢の結晶が彼方へと消えていった。

 頭の中の開いた空間に現実の靄が満ちて、目を覚ました。
 
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