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引退試合

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人には、人生において最も輝きを放つ瞬間というものがある。どんな人間でも、たとえそれが蝋燭の炎くらいの煌めきだとしても、その瞬間というものは平等に訪れる。斎条和樹が最も輝いていたのは、彼が25歳の時、九州コンドルズのエースとして20勝を挙げチームを優勝に導き、日本シリーズの第五戦に先発し、見事完封で胴上げ投手になったときだった。
秒単位、コンマ単位でそれを正確に言及すると、その試合で彼が7回表二死走者なしの場面で相手の4番打者に対して投げた初球のストレートが、キャッチャーのミットにズシンと大きな音を立て収まった時だった。歓声に沸くスタジアムが、まるで突然銃声を聴いたかのように一気に静まり返る。ピンチで三振を取ったわけでもない。ただ、ストライクカウントを一つ獲っただけ。しかし、斎条和樹の放ったストレートは、そこにいる者すべての「一瞬」を奪ってしまった。それもそのはずだ。彼らは目撃者となったのだ。歴史上、最も完成されたストレート、斎条和樹の至高のストレートをその目に焼き付けたのだ。あるいは、その直球がグラブに叩きつけられるショットガンのような凄まじい音を聴いてしまったのだ。興奮というものは、常に遅れてやってくる。それが身体を奮い立たせるばかりの刺激だと、理解する時間が必要なのだ。その瞬間もそうだった。斎条和樹のストレートに対して、人々はコンマ遅れて割れんばかりの歓声を上げた。それは、胴上げの瞬間よりも大きなものだった。
私も、その瞬間に立ち会った者の一人だった。ネット裏の特等席。私はおそらくスタジアムの中で、二番目に興奮していた人間だった。一番興奮していたのは、斎条のボールを受けた捕手。そしてその次が、その年のドラフトでコンドルズに捕手として指名されることになっていた私だった。
当時高校球界ナンバーワン捕手としての名声を獲得していた私には、複数の球団から指名の誘いがあった。しかし私は、コンドルズを選んでいた。斎条和樹のいる九州コンドルズに入団し、彼の直球をこの手で受けることを熱望していた。そんな私の前で、斎条和樹は最高のストレートを投げた。全ての者を酔い痺れさせるような、極上の直球を。あと少しで、このボールを受けられる。それはキャッチャー冥利に尽きるという言葉では言い表せないくらいの熱情に満ちた期待を、私の体の穴という穴から噴出さんばかりの興奮を、私に感じさせるものだった。その瞬間、私は射精をしていてもおかしくはなかった。

望み通り、私はその秋コンドルズに一位で指名された。翌年の春、キャンプで高卒ルーキーながら一軍に抜擢された私は念願が叶い斎条和樹のボールを受けることとなる。ドラ1ルーキーと、球界を代表する剛腕ピッチャーの競演。ブルペンには人が集り、私と斎条を熱気が囲む。恋愛感情や、性的快感では導いてくれない高揚がそこにはあった。
しかし、斎条は応えてくれなかった。斎条の太い腕から繰り出された直球は、私が夢にまで見た斎条和樹のストレートではなかった。あくまでも「高校級」の怪物の、渾身のストレートと変わらない球。思った以上に軽く、勢いのないボールが静かにミットを鳴らした。美女の化粧の下の素顔を見たような落胆。しかしながらその時は、まだキャンプ中。多くの選手にとって調整期間でしかなかった。きっと斎条も、これから調子を上げるのだろう。私はそう思うことにした。そう思うことで、自分を納得をさせようとした。しかし皮肉ことに、その一球が斎条にとってその年の―――その瞬間から今日に至るまでの最高のストレートになってしまう。
それから数年で、私はコンドルズの不動の正捕手となった。斎条が20勝を挙げコンドルズを優勝に導いて以来、チームは低迷していったが、そんな中私はレギュラーの座を勝ち取った。その一方で、斎条は選手としてチームに呼応するように転落していった。私にとって一年目のキャンプ、斎条の球を初めて受けたあのキャンプで、斎条は右ひじを痛めた。斎条の兵器のような剛球は、彼の右腕を再起不能寸前まで擦り減らせていたのだ。完治することのないほどの重傷。それは剛腕斎条の死を意味していた。
私が一軍で勝利に貢献する傍らで、斎条はリハビリに追われる日々を過ごした。しかし、いくらリハビリをしたところで、全盛期の斎条が戻ってくるわけではなかった。一度だけ、ある程度怪我から回復した斎条が二軍のマウンドに立ったことがあった。結果は2回を持たずに4失点降板。ちょうどオフだったので、私はその試合をスタンドから眺めていた。まるで生娘が投げているようなストレートが、二軍の選手に次々と打たれていく。木のバットが調子のよい鍛冶屋のように軽快にフェアグランドへボールを運ぶたび、望まない形で童貞を捨てたような喪失感を私は覚えた。瞬く間に走者を塁に溜め、心配した捕手が駆け寄る。捕手を服従させるように座らせ、投げたい球を投げるかつての剛腕の姿はそこにはいない。自信満々に、ふてぶてしく打者を見下ろすように投げていたエースの姿はもういない。当然、快速球も鳴りを潜め、堰を切ったようにランナーが次々と帰っていく。あの日本シリーズで斎条の投げた速球が、ただの記憶と化したことへの失望が私の胸を埋め尽くしていた。悲壮感を漂わせながら斎条はマウンドを降り、その二日後、治りかけの古傷を再び痛めリハビリ生活へと戻っていった。やがて、斎条は治りかけては痛めを一年周期で繰り返し、ゴールのない孤独な旅路を繰り返すこととなる。

その年、私は彼と出会うことになる。通っていたスポーツジムでのことだった。筋骨隆々とした男が、100キロ近いバーベルを軽々とリフトしている。仮にも野球選手というアスリートである私にとって、その光景は驚くほどのものではなかった。しかし、私は彼の顔を見て驚いた。その男の顔が斎条和樹の分身かと言わんばかりに瓜二つだったからである。
黙々と、そして溌剌と汗を流す彼に私は斎条和樹の姿を投影していた。正確には、全盛期の斎条和樹の姿を見ていた。老いた斎条とは違い、彼はまだ若く見受けられた。精力的に、ただがむしゃらに肉体を鍛えるその姿は、誰にも打たれない、最高のストレートを投げていた斎条を思い出させた。その汗の美しさは、悲壮感と絶望に満ちた現在の斎条では決して流せないものだった。
トレーニングを終え、私はシャワー室で斎条に似た彼と隣になった。自信に満ちた若い肉体がそこにあった。
「ひょっとして九州コンドルズの―――」
彼は私に気付いていた。九州コンドルズの不動の正捕手。スポーツに興じているのなら、知られていてもおかしくなかった。
「こんなところで会えるなんて光栄です―――」
ふてぶてしかった斎条と違い、彼はさわやかな好青年だった。礼儀正しく、言葉遣いもきちんとしている。体育系の厳しい上下関係の中で育った私だが、私の過ごした体育会系における礼儀とは形骸化したものだった。上級生のは絶対服従という決まりに基づいた上下関係で、それに強いられるように身につけられた礼儀というものは品性がなく、見せかけの敬意しか伴っていなかった。それに比べて、彼の振る舞いは絹を扱うように繊細に洗練されていてた。そして言葉の端々に、私へのスポーツマンとしての敬意が込められていた。捕手というポジションは報われないポジションだ。接触で怪我のリスクが高いうえに、守備をコントロールするという試合で最も重責を担わされる役目を負わされる。そのくせ、チームを勝ちに導いても、その手柄は投手、または決勝点を挙げた他の野手のものとなる。それでいて負ければリードが悪いと常に責められる。私はプロになって以来、敬意というものを人から受けたことがなかった。あったとしても、形ばかりの体育会系の敬意。そんな私にとって、彼の私への扱いは心地よかった。そんな彼と意気投合するのはごく自然なことだった。彼と連絡先を交換すると、しばらく経って飲みに誘われた。
洒落たバーで酔い潰れ、介抱される形で彼の家に連れられると私は服を剥がされ、彼の大きな手で愛撫され、そして馬のようなペニスで犯された。

(つづく)
「―――さん、俺のことずっと見てたでしょ。ねえ、俺のこうされたいって思ってたでしょ?」
アルコールが意識を支配し、思うように動かない私の肉体を彼は―――斎条和樹に似た青年はベッドに押さえつけ、脚を無理矢理開かせるや露わになった肛門にキスをする。生温かい舌の感触が、私の排泄器官を刺激する。
「やっぱり、そうだ。だって、全然抵抗しないんだもん。じゃあ、遠慮なく入れちゃいますね。」
そう言うと、唾液塗れの肛門に、彼はどこからか持ち出したローションを垂らし、馴染ませるように太い指で穴を掻き回した。乙女のように股を開き仰向けになった私の目には、彼の膨張しきったペニスが映っていた。彼のペニスはゆっくりと私のアナルへと近づき、やがてそれは混沌に吸い込まれるかのように私の中へと入っていく。他人のペニスが私のアナルへと入っていく。それは不思議な感触だった。不思議と不快感はなかったし、屈辱もなかった。彼の言うとおりだった。まるで、私は彼にこうされたかったと言わんばかりに、彼の一物を従順に受け入れた野球のために鍛えた肉体も、飼いならされた犬のように抵抗することなく、背徳的な折檻を甘受した。
ひょっとしたら、自分にはホモの素質があったのかもしれない。斎条和樹への私の固執も、そう考えれば笑いたくなるほど納得できた。その証拠にこの青年からの凌辱を、私は受け入れている。そこには抵抗もなく、諦念もなかった。私は、この辱めを積極的に受容していた。斎条和樹の最高のボールを捕球する、いや斎条和樹という最高の投手の捕手として、ダイヤモンドで支配されることへの代置行為として、私は彼のペニスを受け入れていた。斎条和樹の現身のような青年とのホモセックスは、私の空白を図らずも埋めてしまった。

その日以来、私と彼は事あるごとに体を重ねるようになった。それでも、私は彼に恋愛感情を抱いているわけではなかった。私は、あくまで斎条和樹に似た男に性的に犯されるという被虐的な構図に酔いしれているにすぎなかった。しかしそれは、私に想像以上の充足感をもたらした。
私の所属する九州コンドルズは、斎条が一度リーグ優勝に導いて以来、低迷を続けていた。Bクラスが続き、最下位に甘んじる年も2度あった。斎条のボールを受けるという夢が破れ、上位争いのできないぬるま湯のようなチームに在籍するというモチベーションの上がらない環境の中、私はレギュラーを確保したといえども、誇れるような成績を残せずにいた。弱小チームの、捕球がうまいだけのキャッチャーにすぎず、バットを握れば自動アウトと揶揄されていた。しかし、彼と一夜を過ごして以来、私は生まれ変わったようにヒットを量産するようになった。打率は気流に乗ったかの如く上昇し、打率ランキングの上位に私の名前が挙がるようになった。覚醒と呼ぶしかないような私の好調は、副産物的にチームにも影響をもたらした。弱小球団の、突如の快進撃。二流に甘んじていたチームメイトたちも、神の啓示を受けたように敵を打ち砕き、投げては完膚なきまでに相手打者を抑えた。好循環は留まることを知らず、新たなスターを生みながら九州コンドルズは下位から首位へと躍り出た。そして気が付けばマジックはゼロ。私は、プロ入り以来初の祝杯を味わうことになった。



「ひょっとしたら、俺ってアゲチンかもしれませんね。」
ふてぶてしい笑顔を見せながら、彼は腰を激しく動かす。代置行為にすぎなかったセックスは、もはや私にとってなくてはならないものとなっていた。祝勝会の二次会へも行かず、私は彼の部屋へと真っ先に駆け込んでいた。数年ぶりの優勝の立役者、MVP候補と噂された私だったが、ベッドの上での関係は相変わらずだった。彼が犯し、私が犯される。一度だけ、私が彼を犯す形でプレイをしたことがあったが、うまくいかった。しかし、私は別に構わなかった。彼に支配されることで、私は満足を得ていた。それでよかった。そうすることで、常に埋まり替わり続けていた。


彼の腕の中で、私は夢を見ていた。入団したばかりの、ルーキーだったころの夢。
「斎条さんとバッテリーを組んで、チームを優勝に導きたい。」
フラッシュがたかれる中、報道陣に向かって宣言した若き日の私。斎条和樹を失ったまま、私はチームを優勝へと導いた。

チームを優勝させられたのなら、野球選手としては本望じゃないか。



その朝、私はプロ野球選手として初めての優勝チームとしての消化試合に臨むためホームスタジアムに訪れた。久々の優勝がもたらした歓喜の余韻が、まだスタジアムに残っている。身体を動かす選手たちの様子は、初めて女と寝た次の朝のような、興奮冷めやらぬ様子だった。
とは言え消化試合。主力選手はプレーオフに備えほとんどが休みを言い渡された。当然、私も休むだろう。そう思っていた矢先に私は監督室に呼ばれた。
「斎条が、引退を決意した。今朝、一軍に上げた。今日はアイツの引退試合だ。斎条直々の使命だ。最後に、アイツのボールを捕ってくれ。」

斎条和樹、引退。

生まれ変わったように勝ち続けるチームの中においても、斎条は傷だらけの体を抱え生まれ変われずにいた。斎条は自分が怪我をしてから弱くなったチームを、再び立て直そうと必死の思いでリハビリを続けていた。しかし、皮肉にも自分抜きでチームは優勝してしまった。斎条はそんなチームの中で、皮肉にも取り残されてしまった。自分抜きで再び栄光をつかんだチームに、彼の居場所はなかった。その事実が、ついに斎条の心を折ってしまった。

控え選手ばかりが並んだスタメンでも、コンドルズは強かった。あっさりとリードを広げ、試合は終盤へと突入する。そして七回表。絶対的な大差の中、監督はベンチから出ると審判のもとへ向かった。選手交代。その声は聞こえずとも、ホームベースの目の前で腰を下ろしていた私には分かっていた。ウグイス嬢が、誰の名を告げようとしているのか。

「ピッチャー、斎条。背番号66。」

ブルペンから、背の高い男がマウンドへと向かってくる。お別れの歓声が鳴り響く。グラウンドでぶつかる声の中を、男は噛みしめる様にゆっくりと歩いていた。三塁ベンチには、花束を持った彼の娘がすでに待ち構えている。男は娘に微笑むと、最後のマウンドに立った。

7回表、ノーアウト、走者なし。男は、大きなモーションで振りかぶると、脚を高く上げ前絵と踏み出した。最後に男がその場所で同じ動作をしたのは遥か昔のことだった。かつての自分を追憶するかのごとく、男は鋭く腕を振った。しかし、ボールはそれに応えなかった。128km/h―――全力投球。
相手の打者は千両役者だった。まるで、大投手斎条和樹の剛速球に立ち会ったように、彼らのバットは男の投げる遅いボールに空を切る。高らかに告げられるストライクコール。力なく転がるゴロ。赤いランプが一つ、二つと点灯し、三つ目が灯ると客席からは拍手が起こった。拍手はマウンドの男を暖かく包み込み、男は帽子を取り四方へ頭を下げる。斎条和樹の野球人生が終わった。

試合後、ロッカールームでシャツを着替える私の隣に斎条がやって来た。
「ありがとう。最後に君とバッテリーを組みたかったんだ。」
そういうと斎条は大きな右手を差し出した。私は、戦いを終えた男の手を握った。斎条も私と同じだった。彼も、全盛期の自分の幻影を追い求め、現在に至るまで苦しんでいたのだ。孤独な戦いに終止符を打ち、斎条の顔には安堵が浮かんでいた。そこには、かつてのふてぶてしい剛腕投手はいなかった。
それから、私は斎条と二三、言葉を交わした。何を話したかは覚えていない。きっと、ありきたりな言葉で、私は彼を労ったのだろう。斎条は大きな背中を見せながら、そのまま去っていった。

人には、人生において最も輝きを放つ瞬間というものがある。どんな人間でも、たとえそれが蝋燭の炎くらいの煌めきだとしても、その瞬間というものは平等に訪れる。斎条和樹が最も輝いていたのは、彼が25歳の時、九州コンドルズのエースとして20勝を挙げチームを優勝に導き、日本シリーズの第五戦に先発し、見事完封で胴上げ投手になったときだった。
私にとってその瞬間とはいつなのだろうか。チームを優勝に導いた瞬間なのだろうか。
斎条の去りゆく背中を見ながら、私は自分が受けた斎条のボールのことを思っていた。あの日、見たボールとはかけ離れた遅く弱い球。埋められたはずの空白が再び広がっていく。

斎条和樹のボールを獲ることのない左手を、私は思い切りロッカーに叩きつけた。

(終わり)
7, 6

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