第四章 決意と予兆
コモン関所から、何度か援軍の依頼があった。その内の一回は、私の弓騎兵が出ている。大した犠牲も払わず、官軍は追い払ったが、どこか違和感があった。攻めてきた割には腰が弱く、本気で戦おうという気が感じられなかったのだ。言ってしまえば、瀬踏みのような戦い方だった。これは、同じように援軍として出たシーザーやクリスも感じていた事だった。
兵力こそは大層なものだが、原野戦に持ち込むと質の脆さが露呈したのである。あれはおそらく、地方軍だろう。
ここ最近の官軍は、都の軍の方が遥かに強力で、地方の軍は惰弱となっていた。昔はこの逆で、私がまだ官軍に居た頃の都の軍など、烏合の衆以下の存在だった。ただ、例外として、レオンハルトの軍があった。このレオンハルトの軍は、アビス原野での大戦を最後に、一度も動きは見せていない。これは、都の軍も同様である。
メッサーナの間者の情報によると、地方軍の軍権はフランツに戻ったとの事だった。一時期は、レオンハルトが全ての軍権を握っていたが、アビス原野戦を終えて、レオンハルトは自らの持つ軍権を都の軍だけに絞ったという。
何故、官軍は瀬踏みのような戦を仕掛けてきたのか。背景に何かあるのかと思って探らせてみたが、それもない。ただ、数万規模で軍は動いているのだ。となると、文字通り瀬踏みをしてきたと考えるのが妥当だろう。アビス原野戦を終えて、メッサーナ軍は弱体化した、とでも思われているのかもしれない。そして、これはあながち間違いではなかった。
スズメバチ隊が欠けている。メッサーナ軍で最強を誇った騎馬隊が、今は機能していないのだ。当然、国もこの事は知っている。どこかに間者が紛れ込んでいて、フランツに報告しているはずだ。ただ、他の軍は以前となんら変わらず、精強さは保っていた。それは、コモン関所の防衛戦で何度も証明している。
ただし、相手は惰弱な地方軍だった。都の軍と戦ってどうなのか、という事まで考えると、微妙だという気がする。さすがに大将軍の軍には及ばないだろうが、一部の都の軍は相当な精強さという情報も入ってきているのだ。ただし、内部で足の引っ張り合いが起きている感じもある。詳細までは掴めないが、おそらく奸臣の類が裏で動いているのだろう。
メッサーナも、軍を強化するべきだった。兵は変わらず募っているので、兵力という意味では強化されてきているが、それを指揮する人間が少ない。指揮は、資質がモノを言う所がある。百、二百の指揮なら力を発揮する者は多いが、千、二千となるとその数は激減する。さらに、これが数万ともなれば、数える程になってしまうのだ。
将軍候補として今あがっているのは、シルベンである。シルベンは、元は私の副官であったが、メッサーナに従属してからはクリス軍の大隊長を務めていた。元々、将軍としての力量は備えている。北の大地では、歩兵の総指揮を担っていたのだ。ただ、本人にその気がない。あくまで、二番手に徹する、という姿勢で、シルベン自身も二番手の方が力が発揮できる、と考えている節がある。
シルベンには出頭命令を出しており、午後の調練の休憩時に会う予定だった。将軍になるよう説得、というよりは、意向を聞くつもりである。
シルベンと同じように、ジャミルにも出頭命令を出していた。ジャミルは、スズメバチ隊の元八番隊の小隊長で、現在は生き残ったスズメバチ隊の統括を行っている。ただ、ジャミルは隊長の器ではなかった。というより、持っている才能が隊長のそれではないのだ。誰かの下に付く事で、はじめて力を発揮する。ジャミルの才能は、そういう類のものである。
ジャミルとは、スズメバチ隊の再生について話し合う事になっていた。会うのは、これからだ。
午前の軍務処理が終わった頃、ジャミルは出頭してきた。
「ジャミルです」
言って、ジャミルは直立し、敬礼した。ロアーヌが生きていた頃の軍規は、未だにしっかりと守られているようだ。
「急な呼び出しをしてすまないな」
「いえ。スズメバチ隊の再生についてとなれば、いかような時でも推参致します」
「そう肩を張らなくても良い。お前の事は、レンから少し聞いている」
ジャミルは、レンよりも四歳年長の二十二歳だった。レンからは、気さくで面倒見の良い男だ、と聞かされている。また、部下である兵からの評判も良かった。
「ロアーヌが死んだな、ジャミル」
「はい」
「一時期は、兵がみんな死にたがっている、と聞いていたが」
「総隊長と共に死ねなかった。これを、兵達は悔やんでいました。当然、俺もそうです」
ジャミルは、ロアーヌからレンを守るよう、最後に命令を受けていたという。そして、ロアーヌは一番隊と共に死地に向かった。ジャミルは、それをどのような心境で見送ったのだろうか。やはり、共に死ねる道を閉ざされた、という思いが強かったのか。
「この三年間、スズメバチ隊はよく耐えた。実戦に出る事もなく、人員を増やす事もなかった」
むしろ、ジャミルが増やそうとはしなかった。スズメバチ隊の兵は、各々が鍛え抜かれた精鋭である。そこに力量の劣る者が一人でも混じれば、即弱体化に繋がってしまうのだ。保守的と言わざるを得ないが、ジャミルの選択は間違ってはいない。
だが、そうも言ってられないのも、現実だった。
「ジャミル、スズメバチ隊を再生せよ。ひとまず、兵は一千を目標に選別。そして、鍛え上げるのだ」
私がそう言うと、ジャミルは直立し、敬礼した。
「調練は、総隊長が生きていた頃のものを実行してよろしいのでしょうか?」
兵が、調練中に死ぬこともある。それは構わないのか、という事だった。
「無論だ。そうでなければ、スズメバチ隊ではない」
「はい」
「馬も選りすぐったものを北から運ばせている。数日中には、このピドナに到着するはずだ」
「ありがとうございます」
「ジャミル、重圧はないか?」
「正直に言えば、あります。この場で言うのは憚られますが、俺は隊長の器ではありません」
しかし、ジャミルの眼には活力が宿っていた。何か、先を見据えている。そういう眼である。
「ジャミル、お前が言うように、隊長となるべき男は他に居る。その男が隊長になるかどうかは、また別の話であるが、私はなると思っている」
「俺もそう思います。そして、スズメバチ隊の隊長となるべき男は、一人しか居ません」
隻眼のレン。言わずとも、それは分かっていた。だから、あえてその名は口にはしなかった。
「その男が帰ってくるまでに、スズメバチ隊をきちんと再生させておきます」
「期待しているぞ、ジャミル」
私がそう言うと、ジャミルは敬礼して、部屋を退出していった。その背を見ながら、私はシルベンとの話し合いの事を考えていた。
兵力こそは大層なものだが、原野戦に持ち込むと質の脆さが露呈したのである。あれはおそらく、地方軍だろう。
ここ最近の官軍は、都の軍の方が遥かに強力で、地方の軍は惰弱となっていた。昔はこの逆で、私がまだ官軍に居た頃の都の軍など、烏合の衆以下の存在だった。ただ、例外として、レオンハルトの軍があった。このレオンハルトの軍は、アビス原野での大戦を最後に、一度も動きは見せていない。これは、都の軍も同様である。
メッサーナの間者の情報によると、地方軍の軍権はフランツに戻ったとの事だった。一時期は、レオンハルトが全ての軍権を握っていたが、アビス原野戦を終えて、レオンハルトは自らの持つ軍権を都の軍だけに絞ったという。
何故、官軍は瀬踏みのような戦を仕掛けてきたのか。背景に何かあるのかと思って探らせてみたが、それもない。ただ、数万規模で軍は動いているのだ。となると、文字通り瀬踏みをしてきたと考えるのが妥当だろう。アビス原野戦を終えて、メッサーナ軍は弱体化した、とでも思われているのかもしれない。そして、これはあながち間違いではなかった。
スズメバチ隊が欠けている。メッサーナ軍で最強を誇った騎馬隊が、今は機能していないのだ。当然、国もこの事は知っている。どこかに間者が紛れ込んでいて、フランツに報告しているはずだ。ただ、他の軍は以前となんら変わらず、精強さは保っていた。それは、コモン関所の防衛戦で何度も証明している。
ただし、相手は惰弱な地方軍だった。都の軍と戦ってどうなのか、という事まで考えると、微妙だという気がする。さすがに大将軍の軍には及ばないだろうが、一部の都の軍は相当な精強さという情報も入ってきているのだ。ただし、内部で足の引っ張り合いが起きている感じもある。詳細までは掴めないが、おそらく奸臣の類が裏で動いているのだろう。
メッサーナも、軍を強化するべきだった。兵は変わらず募っているので、兵力という意味では強化されてきているが、それを指揮する人間が少ない。指揮は、資質がモノを言う所がある。百、二百の指揮なら力を発揮する者は多いが、千、二千となるとその数は激減する。さらに、これが数万ともなれば、数える程になってしまうのだ。
将軍候補として今あがっているのは、シルベンである。シルベンは、元は私の副官であったが、メッサーナに従属してからはクリス軍の大隊長を務めていた。元々、将軍としての力量は備えている。北の大地では、歩兵の総指揮を担っていたのだ。ただ、本人にその気がない。あくまで、二番手に徹する、という姿勢で、シルベン自身も二番手の方が力が発揮できる、と考えている節がある。
シルベンには出頭命令を出しており、午後の調練の休憩時に会う予定だった。将軍になるよう説得、というよりは、意向を聞くつもりである。
シルベンと同じように、ジャミルにも出頭命令を出していた。ジャミルは、スズメバチ隊の元八番隊の小隊長で、現在は生き残ったスズメバチ隊の統括を行っている。ただ、ジャミルは隊長の器ではなかった。というより、持っている才能が隊長のそれではないのだ。誰かの下に付く事で、はじめて力を発揮する。ジャミルの才能は、そういう類のものである。
ジャミルとは、スズメバチ隊の再生について話し合う事になっていた。会うのは、これからだ。
午前の軍務処理が終わった頃、ジャミルは出頭してきた。
「ジャミルです」
言って、ジャミルは直立し、敬礼した。ロアーヌが生きていた頃の軍規は、未だにしっかりと守られているようだ。
「急な呼び出しをしてすまないな」
「いえ。スズメバチ隊の再生についてとなれば、いかような時でも推参致します」
「そう肩を張らなくても良い。お前の事は、レンから少し聞いている」
ジャミルは、レンよりも四歳年長の二十二歳だった。レンからは、気さくで面倒見の良い男だ、と聞かされている。また、部下である兵からの評判も良かった。
「ロアーヌが死んだな、ジャミル」
「はい」
「一時期は、兵がみんな死にたがっている、と聞いていたが」
「総隊長と共に死ねなかった。これを、兵達は悔やんでいました。当然、俺もそうです」
ジャミルは、ロアーヌからレンを守るよう、最後に命令を受けていたという。そして、ロアーヌは一番隊と共に死地に向かった。ジャミルは、それをどのような心境で見送ったのだろうか。やはり、共に死ねる道を閉ざされた、という思いが強かったのか。
「この三年間、スズメバチ隊はよく耐えた。実戦に出る事もなく、人員を増やす事もなかった」
むしろ、ジャミルが増やそうとはしなかった。スズメバチ隊の兵は、各々が鍛え抜かれた精鋭である。そこに力量の劣る者が一人でも混じれば、即弱体化に繋がってしまうのだ。保守的と言わざるを得ないが、ジャミルの選択は間違ってはいない。
だが、そうも言ってられないのも、現実だった。
「ジャミル、スズメバチ隊を再生せよ。ひとまず、兵は一千を目標に選別。そして、鍛え上げるのだ」
私がそう言うと、ジャミルは直立し、敬礼した。
「調練は、総隊長が生きていた頃のものを実行してよろしいのでしょうか?」
兵が、調練中に死ぬこともある。それは構わないのか、という事だった。
「無論だ。そうでなければ、スズメバチ隊ではない」
「はい」
「馬も選りすぐったものを北から運ばせている。数日中には、このピドナに到着するはずだ」
「ありがとうございます」
「ジャミル、重圧はないか?」
「正直に言えば、あります。この場で言うのは憚られますが、俺は隊長の器ではありません」
しかし、ジャミルの眼には活力が宿っていた。何か、先を見据えている。そういう眼である。
「ジャミル、お前が言うように、隊長となるべき男は他に居る。その男が隊長になるかどうかは、また別の話であるが、私はなると思っている」
「俺もそう思います。そして、スズメバチ隊の隊長となるべき男は、一人しか居ません」
隻眼のレン。言わずとも、それは分かっていた。だから、あえてその名は口にはしなかった。
「その男が帰ってくるまでに、スズメバチ隊をきちんと再生させておきます」
「期待しているぞ、ジャミル」
私がそう言うと、ジャミルは敬礼して、部屋を退出していった。その背を見ながら、私はシルベンとの話し合いの事を考えていた。
「地方軍を何度か動かしてみたが、メッサーナ軍は衰えを見せていない」
フランツは、当たり前の事を喋っていた。
ここの所、フランツの動きが活発だった。地方軍を何度か出陣させて、コモン関所を攻めさせている。無論、追い払われるだけだが、それでもフランツには何か得たものがあったようだった。
私からしてみれば、これは無駄な事だった。無意味に軍費を消耗しているだけである。今は動くべき時ではない。時勢は今、メッサーナにある。国は、アビス原野の戦で勝利こそしたが、時勢を獲得するまでには至らなかった。あくまで、メッサーナの時勢を緩やかにしただけに過ぎなかったのだ。
政治家には、軍権を持たせるべきではなかった。今の地方軍の軍権など、あっても邪魔なだけだが、だからと言って政治家に持たせるとロクな事にならない。先の戦で死んだサウスは、フランツを毛嫌いしていたが、その気持ちが私にも分かるような気がした。
ただ、軍人と政治家の目線が違うのも事実だった。
「今なら、スズメバチ隊は機能していないのだ、ハルトレイン」
そう言ったフランツの眼を、私はジッと見つめた。
「何が言いたいのかな、宰相殿」
「メッサーナ軍は衰えを見せていない。だが、スズメバチ隊は機能していない」
「メッサーナが衰えないのは当たり前だ。政治は清廉であるし、軍もしっかりと形を成している。つまり、時勢はあちらにあるのだ。だから、衰えるはずもない」
そして、今の国は衰えを見せる一方だ。あえて、これは言葉にはしなかった。
「今、都の軍を動かせば、コモンは落ちるのではないのか?」
政治家、というより、文官の言う台詞だった。それが酷く滑稽で、私は鼻で笑っていた。
「何がおかしいのだ、ハルトレイン」
「宰相殿、逆に質問させて貰う。一体、どんな根拠があって、そう言われている?」
「都の軍は精強だ。地方軍は蹴散らされるだけだったが、都の軍ならやれるのではないのか。兵力も、十分にある。佞臣どもの邪魔は入るだろうが、軍費も何とか捻出してみせる」
フランツの言葉を聞きながら、私は鼻白んでいた。
私が思っているよりも、すでにフランツは老いているのかもしれない。見た目ではなく、気力の方だ。スズメバチ隊が居ないという一点だけで、メッサーナに勝てると思い込んでいる。これは、フランツの視野が狭くなっていると言わざるを得ない。
スズメバチ隊は、あくまでメッサーナの主力の一つに過ぎないのだ。天下最強、という大きな優位性を持ってはいるが、これがメッサーナの全てではない。バロンの弓騎兵、アクトの槍兵隊、シーザーの獅子軍。他にも、手強い軍はいくらでも居る。そして、フランツは一番、重要な部分を見落としている。
「誰が都の軍を指揮するのだ、宰相殿」
さらに何か言い募ろうとするフランツをさえぎって、私は言った。
「それはハルトレイン、お前が」
「私は大隊長だぞ。仮に軍を率いれても、数千がやっとだ。しかも、誰か別の将軍の下に付く事になる」
都の軍の軍権を握っているのは、父であるレオンハルトだった。つまり、父を何とかしなければ、まともな出兵など出来るはずもない。また、仮に出兵できたとしても、勝てる見込みは薄いだろう。
鷹の目、バロンと並び立つ将軍が居ない。父の副官であるエルマンでさえ、同兵力であたれば捻られる。このエルマンより優秀な将軍が、今の官軍には居ないのだ。
並び立つ可能性を持っている者は居る。先日、見出した四人の将軍である。ヤーマス、リブロフ、レキサス、フォーレ。ただ、まだこの四人は成長過程だ。長らく地方軍に追いやられていたせいで、まともな実戦経験がない。
あとは父自身が戦場に出る、という選択肢だが、これは無理だろう。父はもう死を待つだけの老人なのだ。病などは得ていないが、気力は衰える一方だという。
父とは、しばらく会っていなかった。私が会いに行っても面倒な事になるだけなので、人づてに様子だけを聞く事にしていた。
「レオンハルト大将軍が戦場に出る事ができれば」
「父にすがるのはやめろ、宰相殿。もう、あれは武神ではない。ただの老人だ」
私がそう言うと、フランツはうつむいた。フランツは、未だに父に希望を抱いている。これは、過去の栄光にすがりついているのと同じ事だ。
「時勢は、メッサーナにあるか」
「そのとおりだ。今は、動くべき時ではない。いや、動けるだけの態勢が整っていない」
守るだけなら難しくはないだろう。つまり、それだけの力なら、国はまだ持っている。だが、徐々に削れていく力だ。
フランツが、静かに目を閉じた。その顔には、はっきりと老いが表れていた。それが、妙に私の胸を衝いた。
フランツも、もう現役を引退する時が来ているのかもしれない。父も含めて、この国の一時代を築いた男達は、すでに老いている。
「やはり、やるしかないのかな。この国を変えるには、そうするしかないのかもしれん」
溜め息混じりの、フランツの言葉だった。
王を代える。フランツはそう言っていた。明言こそはしなかったが、語気に決意のようなものが垣間見えた。
ただ、表情には、諦めの色が浮かんでいる。それを直視する事ができず、私は思わず目を背けていた。諦めの中に、深い悲哀が潜んでいたのだ。フランツは、真剣にこの国の事を、歴史を思っている。
フランツはフランツで、色々と考えたのだろう。王を代える事なく、国を変える。これが最上の手段である事は間違いない。だが、夢物語だった。それほど、今の王はどうしようもないのだ。だからこそ、代えるべきだった。
「老人の最後の仕事になるかもしれん」
呟くように言ったフランツに、私は畏敬のようなものを感じていた。
次代にやらせるわけにはいかない。そう言っているように聞こえたのだ。
フランツは、当たり前の事を喋っていた。
ここの所、フランツの動きが活発だった。地方軍を何度か出陣させて、コモン関所を攻めさせている。無論、追い払われるだけだが、それでもフランツには何か得たものがあったようだった。
私からしてみれば、これは無駄な事だった。無意味に軍費を消耗しているだけである。今は動くべき時ではない。時勢は今、メッサーナにある。国は、アビス原野の戦で勝利こそしたが、時勢を獲得するまでには至らなかった。あくまで、メッサーナの時勢を緩やかにしただけに過ぎなかったのだ。
政治家には、軍権を持たせるべきではなかった。今の地方軍の軍権など、あっても邪魔なだけだが、だからと言って政治家に持たせるとロクな事にならない。先の戦で死んだサウスは、フランツを毛嫌いしていたが、その気持ちが私にも分かるような気がした。
ただ、軍人と政治家の目線が違うのも事実だった。
「今なら、スズメバチ隊は機能していないのだ、ハルトレイン」
そう言ったフランツの眼を、私はジッと見つめた。
「何が言いたいのかな、宰相殿」
「メッサーナ軍は衰えを見せていない。だが、スズメバチ隊は機能していない」
「メッサーナが衰えないのは当たり前だ。政治は清廉であるし、軍もしっかりと形を成している。つまり、時勢はあちらにあるのだ。だから、衰えるはずもない」
そして、今の国は衰えを見せる一方だ。あえて、これは言葉にはしなかった。
「今、都の軍を動かせば、コモンは落ちるのではないのか?」
政治家、というより、文官の言う台詞だった。それが酷く滑稽で、私は鼻で笑っていた。
「何がおかしいのだ、ハルトレイン」
「宰相殿、逆に質問させて貰う。一体、どんな根拠があって、そう言われている?」
「都の軍は精強だ。地方軍は蹴散らされるだけだったが、都の軍ならやれるのではないのか。兵力も、十分にある。佞臣どもの邪魔は入るだろうが、軍費も何とか捻出してみせる」
フランツの言葉を聞きながら、私は鼻白んでいた。
私が思っているよりも、すでにフランツは老いているのかもしれない。見た目ではなく、気力の方だ。スズメバチ隊が居ないという一点だけで、メッサーナに勝てると思い込んでいる。これは、フランツの視野が狭くなっていると言わざるを得ない。
スズメバチ隊は、あくまでメッサーナの主力の一つに過ぎないのだ。天下最強、という大きな優位性を持ってはいるが、これがメッサーナの全てではない。バロンの弓騎兵、アクトの槍兵隊、シーザーの獅子軍。他にも、手強い軍はいくらでも居る。そして、フランツは一番、重要な部分を見落としている。
「誰が都の軍を指揮するのだ、宰相殿」
さらに何か言い募ろうとするフランツをさえぎって、私は言った。
「それはハルトレイン、お前が」
「私は大隊長だぞ。仮に軍を率いれても、数千がやっとだ。しかも、誰か別の将軍の下に付く事になる」
都の軍の軍権を握っているのは、父であるレオンハルトだった。つまり、父を何とかしなければ、まともな出兵など出来るはずもない。また、仮に出兵できたとしても、勝てる見込みは薄いだろう。
鷹の目、バロンと並び立つ将軍が居ない。父の副官であるエルマンでさえ、同兵力であたれば捻られる。このエルマンより優秀な将軍が、今の官軍には居ないのだ。
並び立つ可能性を持っている者は居る。先日、見出した四人の将軍である。ヤーマス、リブロフ、レキサス、フォーレ。ただ、まだこの四人は成長過程だ。長らく地方軍に追いやられていたせいで、まともな実戦経験がない。
あとは父自身が戦場に出る、という選択肢だが、これは無理だろう。父はもう死を待つだけの老人なのだ。病などは得ていないが、気力は衰える一方だという。
父とは、しばらく会っていなかった。私が会いに行っても面倒な事になるだけなので、人づてに様子だけを聞く事にしていた。
「レオンハルト大将軍が戦場に出る事ができれば」
「父にすがるのはやめろ、宰相殿。もう、あれは武神ではない。ただの老人だ」
私がそう言うと、フランツはうつむいた。フランツは、未だに父に希望を抱いている。これは、過去の栄光にすがりついているのと同じ事だ。
「時勢は、メッサーナにあるか」
「そのとおりだ。今は、動くべき時ではない。いや、動けるだけの態勢が整っていない」
守るだけなら難しくはないだろう。つまり、それだけの力なら、国はまだ持っている。だが、徐々に削れていく力だ。
フランツが、静かに目を閉じた。その顔には、はっきりと老いが表れていた。それが、妙に私の胸を衝いた。
フランツも、もう現役を引退する時が来ているのかもしれない。父も含めて、この国の一時代を築いた男達は、すでに老いている。
「やはり、やるしかないのかな。この国を変えるには、そうするしかないのかもしれん」
溜め息混じりの、フランツの言葉だった。
王を代える。フランツはそう言っていた。明言こそはしなかったが、語気に決意のようなものが垣間見えた。
ただ、表情には、諦めの色が浮かんでいる。それを直視する事ができず、私は思わず目を背けていた。諦めの中に、深い悲哀が潜んでいたのだ。フランツは、真剣にこの国の事を、歴史を思っている。
フランツはフランツで、色々と考えたのだろう。王を代える事なく、国を変える。これが最上の手段である事は間違いない。だが、夢物語だった。それほど、今の王はどうしようもないのだ。だからこそ、代えるべきだった。
「老人の最後の仕事になるかもしれん」
呟くように言ったフランツに、私は畏敬のようなものを感じていた。
次代にやらせるわけにはいかない。そう言っているように聞こえたのだ。
出来るだけ、若い兵を選別するようにしていた。スズメバチ隊は、新生しなくてはならない。熟練した兵の存在は確かに必要不可欠ではあるが、この役目は俺も含めたスズメバチ隊の生き残りがやればいい。今のスズメバチ隊に必要なのは、若い力なのだ。
アビス原野の大戦で敗れて、スズメバチ隊は解体の危機に陥っていた。バロンは、解体だけはするな、と命じてきたが、肝心の指揮官が居なかったのだ。総隊長であるロアーヌはもちろん、大隊長もみんな戦死した。残った小隊長の中で、指揮官を決めることになったが、誰も立候補はしなかった。みんな、ロアーヌと、仲間と死ねなかった事を悔やんでいたのだ。
しばらくは、酒に溺れる毎日だった。アビス原野で敗れた事。ロアーヌが死んだ事。レンの左眼が潰されてしまった事。これらを受け止めるだけの余裕が、当時の俺には無かった。
ある日、バロンに呼び出された。軍務を真面目にやっていなかったので、これを叱責されるのかと思っていたが、そうではなく、そのまま酒場に直行した。そこで大酒をくらい、互いにロアーヌについて語り合った。途中でシーザーやクリスまでも参加してきて、シグナスの事も話題に追加された。
そこで何を話したかは覚えていないが、泣くだけ泣いた、という事だけは記憶にある。
その翌日、俺はスズメバチ隊の指揮官として立候補したのだった。といっても、特に何かをしようと思ったわけではない。このままでは駄目だ、と単純に考えただけである。実際に、指揮官として俺がやった事は、生き残りをまとめて、力を落とさないように調練を繰り返す、という事だけだった。
兵を増やす、という選択肢もあった。だが、まずは生き残った兵達の気持ちをまとめるのが先だった。それに、無闇に兵を増やせば、スズメバチ隊の弱体化にも繋がりかねない。
しかし、本当は怖かったのだ。ロアーヌが作り上げたスズメバチ隊を、この俺が気軽にいじっていいのかどうか、わからなかった。そして、いじる事によって、今のスズメバチ隊が変わってしまうのが怖かった。
だが、そんな事も言ってられなくなった。スズメバチ隊は、復活しなくてはならない。そう思い定めたら、何故か気が楽になった。
兵の選別には妥協しなかった。また、妥協した所で、何か楽になる、という事でもない。むしろ、調練で死人が出やすくなるだけである。ロアーヌの調練は、それこそ血反吐が出るような酷烈さであったが、これを乗り越えて戦場に立った時、初めて、その真価が発揮された。
敵が異常なまでに弱く感じる。無論、敵の方は必死だろう。だが、その必死さも、何故か滑稽に見えてしまう。
例外だったのが、大将軍の軍だけだった。あの軍だけは、別格だったと言っていい。唯一、スズメバチ隊が、純粋な軍の力で圧倒できなかった存在なのだ。実際にぶつかり合って分かったが、あの軍は数々の修羅場を潜り抜けた精鋭であったと言っていいだろう。
「ジャミル殿、とりあえず兵の選別は終えました。ただ、一度で千人は無理です」
小隊長の一人が、そう報告してきた。今はまだ、大隊長という枠は作っておらず、俺の下に小隊長が五人居るだけである。この五人の中には、以前からの小隊長が二人居て、残りの三人は生き残った兵の中から選別した。これは俺の独断ではなく、小隊長二人との合議の上で決めた事である。
「今、スズメバチ隊の総兵数はどの程度だ?」
「ざっと五百、という所でしょう。肝心の新兵は、かなり厳しい選別なので、とりあえずの調練には耐えられる、と思います」
僅かに二百二十名の増員、という事だった。メッサーナ軍には二十万近くの兵が居るが、その中から二百二十名である。ただ、まだ全てを調べた訳ではない。それに、本当に優秀な兵というのは、すでに他の将軍の旗本になっていたりと、引き抜けない場合も多いのだ。ただし、こういった兵は若い者よりも、熟練者の方が数は多い。
「小隊の振り分けは終わっているのか?」
「はい。調練はいつでも開始できます」
兵の選別は、また後日に回してもいいだろう。とりあえず、新兵の力を見てみるべきだ。
「よし、調練場に向かう」
「タフターン山には?」
「行く。ロアーヌ将軍に、挨拶をさせる」
ロアーヌの墓は、シグナスの墓の隣に立てられていた。シーザーやクリスが言うには、シグナスがタフターン山で死んだ時、ロアーヌもそこに自らの命を置いていったらしい。その証拠に、今でも当時のロアーヌの剣が、墓の前に突き立てられている。
報告してきた小隊長と共に、調練場に向かった。さすがに選別されただけあって、新兵の面構えは見事なものである。ただし、眼にはどこか不敵さに似た傲慢な光がある。
スズメバチ隊に選別された。それだけで、自分達は特別だ、という風に捉えているのだろう。
「俺がスズメバチ隊の隊長のジャミルだ」
声はよく通った。
「これからお前達は、死ぬ思いで調練を積んでいく。その覚悟はあるか」
返事はなかった。そして、やはり傲慢さが雰囲気として漂っていた。
俺の年齢も二十二歳と、はっきり言って若い。新兵達も、こんな若い奴が、俺達の上官なのか、という思いを抱いているのかもしれない。そうなれば、やはり、俺はスズメバチ隊の隊長の器ではないという事だ。
そんな事はわかっている。俺の役目は、真の隊長が帰ってくるまでに、スズメバチ隊をきちんとした姿にしておく事だ。
「調練ごときで、死ぬ訳がねぇだろ」
一人が、そう言った。すぐに言った者を睨みつける。
「おい、そこのお前、自分の得意な武器を持って前に出て来い」
こいつには痛い目に遭ってもらった方が良い。俺は、そう思った。男が、ニヤニヤと笑いながら前に出てくる。
「お前の前の所属は?」
「獅子軍。シーザー将軍の所だ」
さすがにシーザーの兵、という事なのか。言葉使いが、全くなっていない。
「武器を構えろ」
「隊長さん、良いのかよ。こっちは本物の武器だぜ。あんたは調練用だ」
「構わん。シーザー将軍の兵だったのだろう。どうせ、攻めだけのボンクラだ。いつでも良いぞ。かかってこい」
それで、男が表情を変えた。武器をきちんと構えもせず、すぐに打ちかかってくる。
シーザーの好みそうな男だった。そして、シーザー軍でなら、かなりの力を発揮するだろう。しかし、ここはスズメバチ隊である。
男の武器を弾き飛ばし、素早く返す手で背中を打った。男が地面に伏す。
「な、んだぁ、この野郎っ」
その男の背を踏みつけ、棒を背中に突き立てた。男が呻き声を漏らす。
「ここはスズメバチ隊だ。上官に対する言葉使いを改めろ」
「てめぇっ」
男が声をあげた瞬間、容赦なく棒で背中を打った。同時に悲鳴。
「言っておくが、ロアーヌ将軍が御存命であれば、こいつの首など、とうに飛んでいるぞ。良いか、これから地獄のような調練が始まる。血反吐を吐き、それこそ死ぬ者も出るだろう。その覚悟はできているのか」
男の背を踏みつけたまま、俺は目の前に居る新兵らにむかって言い放った。すぐに、はい、という威勢の良い返事がした。
「おい、お前の返事は?」
俺は、踏みつけている男に言った。
「やって」
やる、とまで言わせず、棒で背中を打つ。
「や、やります」
そう言った後、小声でくそ、という声が聞こえたので、さらに背中を棒で打った。
まずは、この者達をきちんとした兵に育て上げなければならない。俺は、強くそう思った。
アビス原野の大戦で敗れて、スズメバチ隊は解体の危機に陥っていた。バロンは、解体だけはするな、と命じてきたが、肝心の指揮官が居なかったのだ。総隊長であるロアーヌはもちろん、大隊長もみんな戦死した。残った小隊長の中で、指揮官を決めることになったが、誰も立候補はしなかった。みんな、ロアーヌと、仲間と死ねなかった事を悔やんでいたのだ。
しばらくは、酒に溺れる毎日だった。アビス原野で敗れた事。ロアーヌが死んだ事。レンの左眼が潰されてしまった事。これらを受け止めるだけの余裕が、当時の俺には無かった。
ある日、バロンに呼び出された。軍務を真面目にやっていなかったので、これを叱責されるのかと思っていたが、そうではなく、そのまま酒場に直行した。そこで大酒をくらい、互いにロアーヌについて語り合った。途中でシーザーやクリスまでも参加してきて、シグナスの事も話題に追加された。
そこで何を話したかは覚えていないが、泣くだけ泣いた、という事だけは記憶にある。
その翌日、俺はスズメバチ隊の指揮官として立候補したのだった。といっても、特に何かをしようと思ったわけではない。このままでは駄目だ、と単純に考えただけである。実際に、指揮官として俺がやった事は、生き残りをまとめて、力を落とさないように調練を繰り返す、という事だけだった。
兵を増やす、という選択肢もあった。だが、まずは生き残った兵達の気持ちをまとめるのが先だった。それに、無闇に兵を増やせば、スズメバチ隊の弱体化にも繋がりかねない。
しかし、本当は怖かったのだ。ロアーヌが作り上げたスズメバチ隊を、この俺が気軽にいじっていいのかどうか、わからなかった。そして、いじる事によって、今のスズメバチ隊が変わってしまうのが怖かった。
だが、そんな事も言ってられなくなった。スズメバチ隊は、復活しなくてはならない。そう思い定めたら、何故か気が楽になった。
兵の選別には妥協しなかった。また、妥協した所で、何か楽になる、という事でもない。むしろ、調練で死人が出やすくなるだけである。ロアーヌの調練は、それこそ血反吐が出るような酷烈さであったが、これを乗り越えて戦場に立った時、初めて、その真価が発揮された。
敵が異常なまでに弱く感じる。無論、敵の方は必死だろう。だが、その必死さも、何故か滑稽に見えてしまう。
例外だったのが、大将軍の軍だけだった。あの軍だけは、別格だったと言っていい。唯一、スズメバチ隊が、純粋な軍の力で圧倒できなかった存在なのだ。実際にぶつかり合って分かったが、あの軍は数々の修羅場を潜り抜けた精鋭であったと言っていいだろう。
「ジャミル殿、とりあえず兵の選別は終えました。ただ、一度で千人は無理です」
小隊長の一人が、そう報告してきた。今はまだ、大隊長という枠は作っておらず、俺の下に小隊長が五人居るだけである。この五人の中には、以前からの小隊長が二人居て、残りの三人は生き残った兵の中から選別した。これは俺の独断ではなく、小隊長二人との合議の上で決めた事である。
「今、スズメバチ隊の総兵数はどの程度だ?」
「ざっと五百、という所でしょう。肝心の新兵は、かなり厳しい選別なので、とりあえずの調練には耐えられる、と思います」
僅かに二百二十名の増員、という事だった。メッサーナ軍には二十万近くの兵が居るが、その中から二百二十名である。ただ、まだ全てを調べた訳ではない。それに、本当に優秀な兵というのは、すでに他の将軍の旗本になっていたりと、引き抜けない場合も多いのだ。ただし、こういった兵は若い者よりも、熟練者の方が数は多い。
「小隊の振り分けは終わっているのか?」
「はい。調練はいつでも開始できます」
兵の選別は、また後日に回してもいいだろう。とりあえず、新兵の力を見てみるべきだ。
「よし、調練場に向かう」
「タフターン山には?」
「行く。ロアーヌ将軍に、挨拶をさせる」
ロアーヌの墓は、シグナスの墓の隣に立てられていた。シーザーやクリスが言うには、シグナスがタフターン山で死んだ時、ロアーヌもそこに自らの命を置いていったらしい。その証拠に、今でも当時のロアーヌの剣が、墓の前に突き立てられている。
報告してきた小隊長と共に、調練場に向かった。さすがに選別されただけあって、新兵の面構えは見事なものである。ただし、眼にはどこか不敵さに似た傲慢な光がある。
スズメバチ隊に選別された。それだけで、自分達は特別だ、という風に捉えているのだろう。
「俺がスズメバチ隊の隊長のジャミルだ」
声はよく通った。
「これからお前達は、死ぬ思いで調練を積んでいく。その覚悟はあるか」
返事はなかった。そして、やはり傲慢さが雰囲気として漂っていた。
俺の年齢も二十二歳と、はっきり言って若い。新兵達も、こんな若い奴が、俺達の上官なのか、という思いを抱いているのかもしれない。そうなれば、やはり、俺はスズメバチ隊の隊長の器ではないという事だ。
そんな事はわかっている。俺の役目は、真の隊長が帰ってくるまでに、スズメバチ隊をきちんとした姿にしておく事だ。
「調練ごときで、死ぬ訳がねぇだろ」
一人が、そう言った。すぐに言った者を睨みつける。
「おい、そこのお前、自分の得意な武器を持って前に出て来い」
こいつには痛い目に遭ってもらった方が良い。俺は、そう思った。男が、ニヤニヤと笑いながら前に出てくる。
「お前の前の所属は?」
「獅子軍。シーザー将軍の所だ」
さすがにシーザーの兵、という事なのか。言葉使いが、全くなっていない。
「武器を構えろ」
「隊長さん、良いのかよ。こっちは本物の武器だぜ。あんたは調練用だ」
「構わん。シーザー将軍の兵だったのだろう。どうせ、攻めだけのボンクラだ。いつでも良いぞ。かかってこい」
それで、男が表情を変えた。武器をきちんと構えもせず、すぐに打ちかかってくる。
シーザーの好みそうな男だった。そして、シーザー軍でなら、かなりの力を発揮するだろう。しかし、ここはスズメバチ隊である。
男の武器を弾き飛ばし、素早く返す手で背中を打った。男が地面に伏す。
「な、んだぁ、この野郎っ」
その男の背を踏みつけ、棒を背中に突き立てた。男が呻き声を漏らす。
「ここはスズメバチ隊だ。上官に対する言葉使いを改めろ」
「てめぇっ」
男が声をあげた瞬間、容赦なく棒で背中を打った。同時に悲鳴。
「言っておくが、ロアーヌ将軍が御存命であれば、こいつの首など、とうに飛んでいるぞ。良いか、これから地獄のような調練が始まる。血反吐を吐き、それこそ死ぬ者も出るだろう。その覚悟はできているのか」
男の背を踏みつけたまま、俺は目の前に居る新兵らにむかって言い放った。すぐに、はい、という威勢の良い返事がした。
「おい、お前の返事は?」
俺は、踏みつけている男に言った。
「やって」
やる、とまで言わせず、棒で背中を打つ。
「や、やります」
そう言った後、小声でくそ、という声が聞こえたので、さらに背中を棒で打った。
まずは、この者達をきちんとした兵に育て上げなければならない。俺は、強くそう思った。
西の地方で、不穏な空気が漂っていた。国に放っていた間者が、気になる情報を持ち帰って来たのだ。
どうやら、港町ミュルスが国に対して反旗を翻そうとしているらしい。しかし、反乱を起こす理由は稚拙と言う他なく、大義などはない。つまり、私利私欲による反乱、という事なのだ。
元々、ミュルスは交易で栄えた都市であり、軍も陸水の二面性を持っていた。私がまだ官軍に居た頃のミュルスは、まさに豊かな地方都市そのものであったが、フランツの改革を機に雰囲気が変わった、というような所はあった。
間者の話によると、改革前まではレキサスという若い将校がミュルスに赴任していたという。このレキサスを中心にして、ミュルスは清廉な政治と軍事を執り行っていたのだ。
しかし、フランツの改革によって、レキサスは都に異動となった。これと同時に、ミュルスは腐っていった。この腐りと、今回の反乱の噂は繋がっている、という感じがある。
レキサスをはじめとする、優秀な人間達は都に異動となった。そしてその代わりに、元々都に居た役人や軍人が、ミュルスに異動となった。これによりレキサスらはともかく、都からミュルスに異動となった者達は、扶持(給料)が大幅に下がった。おそらく、これが今回の反乱の原因だろう。つまり、金が思うように手に入らなくなった事で、都から来た者達が大きな不満を持つようになったのだ。
そして、ミュルスの軍は他の地方都市の軍と比較して、精強だった。サウスや私の率いていた軍とでは、多少の見劣りはするが、それでもまともな軍である事は変わりない。それで、馬鹿げた話ではあるが、新しく太守となった者が野心を抱いた、という事らしい。
「ミュルスの太守の名は、ルード、と言うそうだな」
「愚か者の名前だな」
ルイスが気だるそうに言った。官位で言えば私の方が上だが、ルイスはランス以外には敬語を使おうとはしない。自らの主君は、ランス一人、と決めているのだろう。
もう一人の軍師であるヨハンは、メッサーナで政治を執り行っている。これは本来、ランスがやるべき仕事なのだが、そのランスは病床に臥せていた。病状は、ただの風邪のようなもの、という事だが、一向に改善を見ないので心配である。
「間者の話によると、反乱はルードとその周りの者が騒ぎ立てているだけで、民らは知らん顔らしいが」
「当然だろう。反乱を起こす理由が、あまりにも馬鹿すぎる。捉え方によっては、扶持を上げろ。でなければ、反乱を起こすぞ、という駄々をこねている形にもなる。つまり、稚拙だ」
特に深く考えての行動ではない事は分かっていた。まさにルイスが言ったとおりで、要は扶持を上げろ、という事なのだ。それが出来なければ、実力行使に出る。
ミュルスはローザリア大河を懐に抱えていた。ローザリア大河とは、その名のとおり、巨大な運河である。都に入ってくる様々な物も、このローザリア大河を経由してくるケースがほとんどだ。
仮にミュルスが反乱を起こせば、ローザリア大河の機能が止まる。したがって、国の物流も一時的に止まる事になる。だから、国も今回の件は単純に放っておく事はできない。
つまり、国は何らかの対策を練らないといけないのだ。これは、私達にとっても機となり得る。
「ミュルスで動きがあれば、我々も軍を出そう」
民をも含めた一枚岩での反乱ではないとは言え、実際に反乱が起きれば、国はミュルスに向けて兵を出さなければならなくなる。メッサーナとしては、これを上手く利用したい。
今はコモン関所が国境となっているが、このコモンを出た先を領土として確保できれば、展開できる戦略は大幅に広がる。当然、国もこの事を見越して動いてくるだろうが、二方面で同時に戦場を抱えるというのは苦しいだろう。国は、以前ほど豊かではなくなってきているのだ。
「ミュルスの反乱規模にもよるが、軍を出すには良い機会となるか。しかし、いよいよ国はどうしようもなくなってきたな」
「それでも、まだ国は立っている。これは驚異的な事だ、ルイス」
「メッサーナに寝返った事を後悔しているのかな、鷹の目殿は?」
ルイスが皮肉めいた笑みを浮かべながら言った。ルイスはこういった嫌味をよく口にする。昔からそうらしいが、私はこの嫌味が好きではなかった。と言うより、好きな人間など居ないだろう。シーザーなど、すぐに激昂してしまう。ただ、例外として、レンだけはこの嫌味を上手くかわしていた。聞くところによると、レンの実父であるシグナスもそうだったらしい。
「レンは、まだ帰ってこないな」
あえて、私は話題を変えた。
「メッサーナが嫌になったのではないかな。スズメバチ隊も、今はへっぽこが指揮していると言うし」
「ジャミルはよくやっている。あのロアーヌの調練を、しっかりと受け継いでいるのだ」
「死人が出る調練か。私は、どうかと思うがな」
「文官には分からないかもしれないが、あの調練には大変な意味があるのだ」
ロアーヌの調練は確かに酷烈で、死人が出る事もある。だが、調練で死ぬという事は、戦でも死ぬのだ。そして、戦での死は、他の味方をも死へと引きずり込む。だったら、最初から調練で死んでいた方が良い。これはロアーヌの自論だったが、私にも頷けるところはあった。
ただし、戦で死ねない兵の無念がある事も、事実である。
「いずれにしろ、スズメバチ隊が戦に出るのは、まだ先の事だ」
「大将軍レオンハルトに敗れた、天下最強の騎馬隊、か」
そう言ったルイスに、どこかうんざりしている自分が居た。
どうやら、港町ミュルスが国に対して反旗を翻そうとしているらしい。しかし、反乱を起こす理由は稚拙と言う他なく、大義などはない。つまり、私利私欲による反乱、という事なのだ。
元々、ミュルスは交易で栄えた都市であり、軍も陸水の二面性を持っていた。私がまだ官軍に居た頃のミュルスは、まさに豊かな地方都市そのものであったが、フランツの改革を機に雰囲気が変わった、というような所はあった。
間者の話によると、改革前まではレキサスという若い将校がミュルスに赴任していたという。このレキサスを中心にして、ミュルスは清廉な政治と軍事を執り行っていたのだ。
しかし、フランツの改革によって、レキサスは都に異動となった。これと同時に、ミュルスは腐っていった。この腐りと、今回の反乱の噂は繋がっている、という感じがある。
レキサスをはじめとする、優秀な人間達は都に異動となった。そしてその代わりに、元々都に居た役人や軍人が、ミュルスに異動となった。これによりレキサスらはともかく、都からミュルスに異動となった者達は、扶持(給料)が大幅に下がった。おそらく、これが今回の反乱の原因だろう。つまり、金が思うように手に入らなくなった事で、都から来た者達が大きな不満を持つようになったのだ。
そして、ミュルスの軍は他の地方都市の軍と比較して、精強だった。サウスや私の率いていた軍とでは、多少の見劣りはするが、それでもまともな軍である事は変わりない。それで、馬鹿げた話ではあるが、新しく太守となった者が野心を抱いた、という事らしい。
「ミュルスの太守の名は、ルード、と言うそうだな」
「愚か者の名前だな」
ルイスが気だるそうに言った。官位で言えば私の方が上だが、ルイスはランス以外には敬語を使おうとはしない。自らの主君は、ランス一人、と決めているのだろう。
もう一人の軍師であるヨハンは、メッサーナで政治を執り行っている。これは本来、ランスがやるべき仕事なのだが、そのランスは病床に臥せていた。病状は、ただの風邪のようなもの、という事だが、一向に改善を見ないので心配である。
「間者の話によると、反乱はルードとその周りの者が騒ぎ立てているだけで、民らは知らん顔らしいが」
「当然だろう。反乱を起こす理由が、あまりにも馬鹿すぎる。捉え方によっては、扶持を上げろ。でなければ、反乱を起こすぞ、という駄々をこねている形にもなる。つまり、稚拙だ」
特に深く考えての行動ではない事は分かっていた。まさにルイスが言ったとおりで、要は扶持を上げろ、という事なのだ。それが出来なければ、実力行使に出る。
ミュルスはローザリア大河を懐に抱えていた。ローザリア大河とは、その名のとおり、巨大な運河である。都に入ってくる様々な物も、このローザリア大河を経由してくるケースがほとんどだ。
仮にミュルスが反乱を起こせば、ローザリア大河の機能が止まる。したがって、国の物流も一時的に止まる事になる。だから、国も今回の件は単純に放っておく事はできない。
つまり、国は何らかの対策を練らないといけないのだ。これは、私達にとっても機となり得る。
「ミュルスで動きがあれば、我々も軍を出そう」
民をも含めた一枚岩での反乱ではないとは言え、実際に反乱が起きれば、国はミュルスに向けて兵を出さなければならなくなる。メッサーナとしては、これを上手く利用したい。
今はコモン関所が国境となっているが、このコモンを出た先を領土として確保できれば、展開できる戦略は大幅に広がる。当然、国もこの事を見越して動いてくるだろうが、二方面で同時に戦場を抱えるというのは苦しいだろう。国は、以前ほど豊かではなくなってきているのだ。
「ミュルスの反乱規模にもよるが、軍を出すには良い機会となるか。しかし、いよいよ国はどうしようもなくなってきたな」
「それでも、まだ国は立っている。これは驚異的な事だ、ルイス」
「メッサーナに寝返った事を後悔しているのかな、鷹の目殿は?」
ルイスが皮肉めいた笑みを浮かべながら言った。ルイスはこういった嫌味をよく口にする。昔からそうらしいが、私はこの嫌味が好きではなかった。と言うより、好きな人間など居ないだろう。シーザーなど、すぐに激昂してしまう。ただ、例外として、レンだけはこの嫌味を上手くかわしていた。聞くところによると、レンの実父であるシグナスもそうだったらしい。
「レンは、まだ帰ってこないな」
あえて、私は話題を変えた。
「メッサーナが嫌になったのではないかな。スズメバチ隊も、今はへっぽこが指揮していると言うし」
「ジャミルはよくやっている。あのロアーヌの調練を、しっかりと受け継いでいるのだ」
「死人が出る調練か。私は、どうかと思うがな」
「文官には分からないかもしれないが、あの調練には大変な意味があるのだ」
ロアーヌの調練は確かに酷烈で、死人が出る事もある。だが、調練で死ぬという事は、戦でも死ぬのだ。そして、戦での死は、他の味方をも死へと引きずり込む。だったら、最初から調練で死んでいた方が良い。これはロアーヌの自論だったが、私にも頷けるところはあった。
ただし、戦で死ねない兵の無念がある事も、事実である。
「いずれにしろ、スズメバチ隊が戦に出るのは、まだ先の事だ」
「大将軍レオンハルトに敗れた、天下最強の騎馬隊、か」
そう言ったルイスに、どこかうんざりしている自分が居た。
ミュルスが反乱を起こした。私はこれを急報で知ったが、すぐに都でも大騒ぎとなった。政府の人間は情報の流出を止めようと動いていたが、どうやら上手く行かなかったようだ。今回の反乱で直に影響を受ける商人などが、無駄に騒いだのだろう。
ローザリア大河が使えなくなる。すなわち、物流が止まる。大商人などは、王に陳情しようと王宮にまでやって来ているが、中には入れていない。入口の所で、追い返されているのだ。そもそもで、入れたとしても王には会えない。王は今、病床で生死の境をさまよっている。
フランツが、王を代えるために暗躍していた。詳しいやり方までは分からないが、フランツは王を殺そうとしている。それも闇の軍が絡んでいる感じもあり、ついには数日前に王は倒れていた。フランツの決意が見えたあの日を境に、王の顔色が悪くなり始めた、という気はしていた。最初は蒼白で、それは次第に赤黒くなっていき、咳が多くなった。
おそらく、毒だった。それも即効性のものではなく、遅効性のものだ。数ヵ月という時をかけて、フランツは王を毒殺しようとしている。
さすがにこれには驚きを隠せなかった。別に王は殺さなくても良いのだ。どこか適当な田舎に追いやって、権力だけをもぎ取るだけで良かった。しかし、フランツはこの辺りは徹底してやった、という事なのか。生きていれば、また何かをやらかす。そういう風に考えたのかもしれない。
今回のミュルスの反乱については、フランツは深く関わろうという気はないらしい。書簡で、父であるレオンハルトに鎮圧軍を出してくれ、と言ってきただけである。王を殺す事で、色々と手一杯なのだろう。一国の主を殺そうとしているのだ。余人には計り知れない労力を使っている事は容易に想像がついた。
「エルマン殿、本当に私で良いのですか」
席についたまま、レキサスが言った。今は軍議中である。例に漏れず、父は出席していない。もう軍事に関わりたくないのだろう。最近では、副官のエルマンが代わりを務める事が多くなってきている。
「お前以外に居ない、と私が判断した」
レキサスが難しい顔をした。エルマンが、レキサスを鎮圧軍の総大将に任命したのだ。レキサスはミュルス軍に居た経験があり、地形や軍の情報にも詳しい。また、レキサス自身にも戦の経験を積ませるのに良い機会だ、とエルマンは判断したのだろう。
本来ならば、エルマンが総大将として出向くべきだった。しかし、メッサーナが居る。メッサーナを差し置いて、エルマンが戦に出る、というのは無謀過ぎる事だ。必ず、メッサーナはこの反乱に乗じて動いてくる。それに、エルマンはメッサーナ軍との戦を経験した、数少ない将軍の一人でもあった。
「副官、というより、補佐は付けて貰えるのですか?」
「ヤーマスとリブロフを付ける」
エルマンがそう言うと、ヤーマスが僅かの顔色を変えた。元々、負けず嫌い、というような所はあった。同時期に将軍になったレキサスに、先を越されたと感じたのかもしれない。
一方のリブロフは、表情も変えずに頷いていた。こちらは命令には忠実で、私情を挟むような事は絶対にしない。内心、どう思っているかまでは分からないが、不満を抱いている訳ではないだろう。
「御二方が付いてくれるのならば、私も安心ができます」
レキサスはそう言ったが、自信はありそうだった。性格が謙虚なので、どうしてもそれが言動に現れる。私はレキサスのそういう所があまり好きではない。自信があるなら、自信があるとハッキリと態度に出せば良いのだ。こういった面では、ヤーマスの方が好感が持てる。
「フォーレとハルトレイン、私の三人はメッサーナ軍に備える。すでにピドナでは出陣の気配があるという。我々が動くと同時に、メッサーナも動いてくるだろう」
「エルマン将軍、私はどういう位置付けになるのでしょうか」
私がそう言うと、エルマンがこちらを向いた。エルマンが第一、フォーレが第二。私はこの二人の下、と分かり切っている事だが、聞いておきたくなる。いつまでも、他人の下に居たくないのだ。
「ハルトレインは私の指揮下だ。フォーレも同様とする」
「フォーレ殿の方が、私よりも階級は上ですが、この辺りは?」
「ハルトレイン、大将軍より通達だ。本日付けで、大隊長から将軍に昇格とする」
言われて、遅すぎる、と最初に思った。しかし、すぐに昇格の喜びも生じた。長い大隊長だった。元々、将軍になって当然の器量だったのだ。これを考えると、父に苛立ちを感じる。だが、将軍になったのだ。
「分かりました」
私は短くそう言った。
「軍の編成は後日、決める。レキサス、お前もよく決めておけ」
「了解致しました。出陣する兵力は?」
「三万。ミュルス軍より二万少ないが、やってみせろ」
今回はミュルス単体の反乱のため、敵の兵力は五万とそれほど多くはない。これが仮に西の地方全域の反乱だったなら、敵対する兵力は八万になる。そういった意味では、まだこちらに運はあった。
「やります。ヤーマス殿、リブロフ殿、力をお借り致します」
そう言って、レキサスは頭を下げた。それに妙な白々しさを感じて、私は横を向いた。
ローザリア大河が使えなくなる。すなわち、物流が止まる。大商人などは、王に陳情しようと王宮にまでやって来ているが、中には入れていない。入口の所で、追い返されているのだ。そもそもで、入れたとしても王には会えない。王は今、病床で生死の境をさまよっている。
フランツが、王を代えるために暗躍していた。詳しいやり方までは分からないが、フランツは王を殺そうとしている。それも闇の軍が絡んでいる感じもあり、ついには数日前に王は倒れていた。フランツの決意が見えたあの日を境に、王の顔色が悪くなり始めた、という気はしていた。最初は蒼白で、それは次第に赤黒くなっていき、咳が多くなった。
おそらく、毒だった。それも即効性のものではなく、遅効性のものだ。数ヵ月という時をかけて、フランツは王を毒殺しようとしている。
さすがにこれには驚きを隠せなかった。別に王は殺さなくても良いのだ。どこか適当な田舎に追いやって、権力だけをもぎ取るだけで良かった。しかし、フランツはこの辺りは徹底してやった、という事なのか。生きていれば、また何かをやらかす。そういう風に考えたのかもしれない。
今回のミュルスの反乱については、フランツは深く関わろうという気はないらしい。書簡で、父であるレオンハルトに鎮圧軍を出してくれ、と言ってきただけである。王を殺す事で、色々と手一杯なのだろう。一国の主を殺そうとしているのだ。余人には計り知れない労力を使っている事は容易に想像がついた。
「エルマン殿、本当に私で良いのですか」
席についたまま、レキサスが言った。今は軍議中である。例に漏れず、父は出席していない。もう軍事に関わりたくないのだろう。最近では、副官のエルマンが代わりを務める事が多くなってきている。
「お前以外に居ない、と私が判断した」
レキサスが難しい顔をした。エルマンが、レキサスを鎮圧軍の総大将に任命したのだ。レキサスはミュルス軍に居た経験があり、地形や軍の情報にも詳しい。また、レキサス自身にも戦の経験を積ませるのに良い機会だ、とエルマンは判断したのだろう。
本来ならば、エルマンが総大将として出向くべきだった。しかし、メッサーナが居る。メッサーナを差し置いて、エルマンが戦に出る、というのは無謀過ぎる事だ。必ず、メッサーナはこの反乱に乗じて動いてくる。それに、エルマンはメッサーナ軍との戦を経験した、数少ない将軍の一人でもあった。
「副官、というより、補佐は付けて貰えるのですか?」
「ヤーマスとリブロフを付ける」
エルマンがそう言うと、ヤーマスが僅かの顔色を変えた。元々、負けず嫌い、というような所はあった。同時期に将軍になったレキサスに、先を越されたと感じたのかもしれない。
一方のリブロフは、表情も変えずに頷いていた。こちらは命令には忠実で、私情を挟むような事は絶対にしない。内心、どう思っているかまでは分からないが、不満を抱いている訳ではないだろう。
「御二方が付いてくれるのならば、私も安心ができます」
レキサスはそう言ったが、自信はありそうだった。性格が謙虚なので、どうしてもそれが言動に現れる。私はレキサスのそういう所があまり好きではない。自信があるなら、自信があるとハッキリと態度に出せば良いのだ。こういった面では、ヤーマスの方が好感が持てる。
「フォーレとハルトレイン、私の三人はメッサーナ軍に備える。すでにピドナでは出陣の気配があるという。我々が動くと同時に、メッサーナも動いてくるだろう」
「エルマン将軍、私はどういう位置付けになるのでしょうか」
私がそう言うと、エルマンがこちらを向いた。エルマンが第一、フォーレが第二。私はこの二人の下、と分かり切っている事だが、聞いておきたくなる。いつまでも、他人の下に居たくないのだ。
「ハルトレインは私の指揮下だ。フォーレも同様とする」
「フォーレ殿の方が、私よりも階級は上ですが、この辺りは?」
「ハルトレイン、大将軍より通達だ。本日付けで、大隊長から将軍に昇格とする」
言われて、遅すぎる、と最初に思った。しかし、すぐに昇格の喜びも生じた。長い大隊長だった。元々、将軍になって当然の器量だったのだ。これを考えると、父に苛立ちを感じる。だが、将軍になったのだ。
「分かりました」
私は短くそう言った。
「軍の編成は後日、決める。レキサス、お前もよく決めておけ」
「了解致しました。出陣する兵力は?」
「三万。ミュルス軍より二万少ないが、やってみせろ」
今回はミュルス単体の反乱のため、敵の兵力は五万とそれほど多くはない。これが仮に西の地方全域の反乱だったなら、敵対する兵力は八万になる。そういった意味では、まだこちらに運はあった。
「やります。ヤーマス殿、リブロフ殿、力をお借り致します」
そう言って、レキサスは頭を下げた。それに妙な白々しさを感じて、私は横を向いた。