第七章 再会のアビス原野
ピドナ郊外で、軽い調練をやっていた。今は戦時中である。つまり、いつ出動となってもおかしくないのだ。だから、兵が疲れ果てるような調練はやらない。
スズメバチ隊の兵の選別と激しい調練は、尚も行われている。今、兵力は七百にまで回復し、兵の質も相当なものになっていた。だが、欠点が一つだけあった。それは、スズメバチ隊としての実戦を知らない兵が多いという事だ。調練ばかり重ねても、やはり実戦を経験させない限りは完成とは言えない。実戦で得られるものは、調練では得られないものばかりなのだ。そして、実戦を繰り返して生き残っていく事で、兵の質はさらに上がっていく。
兵の中で、頭抜け始めている者が何人か居た。これらはいずれ小隊長となり、兵をまとめる事になるだろう。その中の一人に、シンロウという者が居る。最初の顔合わせの時に、大口を叩いていた男だ。調練で死ぬ訳がない。シンロウは、そう言ったのである。
シンロウはシーザー軍出身だからなのか、敬語すらまともに喋ろうとせず、無意味に歯向かってくる所があった。躾けるのに苦労したが、最近になってようやく自分の立場が分かってきたらしい。元々、兵以上の資質は持っていた男である。この先でどうなるかは、育て方次第という所だろう。
「ジャミル隊長、俺は戦に出たい」
午前の調練を終えて休止を命じた所で、シンロウが言ってきた。顔には不満の色を浮かばせている。
「出たいです、だ。シンロウ。また、棒で打たれたいのか?」
「申し訳ありません。しかし、シーザー将軍が戦に出ておられるというのに」
「お前の気持ちは分かるが、バロン将軍は俺達に待機の命令を出されている」
「スズメバチ隊抜きで、戦に勝てると思ってるんですかね、バロン将軍は」
シンロウの言う事も分かる。だが、今のスズメバチ隊ではそれほど役に立たないだろう。指揮官が居ないのだ。兵の質は確かに相当なものだが、これだけでは軍の力は半分も引き出せない。優秀な指揮官があってこそ、兵の質も生かされるのだ。そういう意味では、やはりロアーヌの力は絶大なものであったと言わざるを得ないだろう。
仮に俺がスズメバチ隊を率いた所で、ロアーヌの戦果にはまるで及ばない。これが、正直な所だった。おそらく、バロンはここまで考えて、スズメバチ隊に待機を命じている。
「まだ時は来ていないのだ、シンロウ。それに戦況がどうなっているかも分からん。だから、余計な事に気を割くな」
俺がそう言っても、シンロウは顔色を変えなかった。元々、戦が好きだという所はあった。単純に戦がしたい、という不満が高まっているのだろう。
その日は夕刻まで調練を続け、兵舎に戻った。
飯時まで時間に余裕があったので、どう時間を潰そうかと考えている時だった。急に城門の方が騒がしくなった。
どうせ、何かくだらない事だろう、と思ったが、微かに胸騒ぎに似たものを感じた。しかし、不快ではない。それを自覚すると同時に、城門の方へと走っていた。
人の塊ができていた。よく見ると、兵の数が多い。
「本当に、レン殿なのですか」
そういう声が聞こえた。レン。ロアーヌとシグナスの息子。あのレンなのか。という事は、帰ってきたのか。
人ごみをかき分けた。必死だった。何故かは自分でも分からない。人ごみから抜け出た。
「ジャミル殿」
呼ばれた。その先に目を移すと、心を撃ち貫かれたような気分に陥った。隻眼。左眼には、くっきりと刃傷が刻み込まれている。
「レン、レンなのか」
「はい、まさしく。ただいま、戻りました」
そう言ったレンが、ニコリと笑った。それで、何故か涙が頬を伝った。視界が滲んでいく。
待っていたのだ。まさしく、俺はこの男を待っていた。どうにもならない気持ちが、涙として溢れ出ていく。
「二年の歳月が経ちましたが、ピドナは変わりないですね」
よく、帰ってきた。言葉として出せなかったが、俺は心の中でそう言った。涙を拭い、レンの姿を見つめる。
旅に出た時よりも、大きくなっている。全てが、大きくなっている。表情には覇気が宿り、以前はあったはずの迷いや哀しみ、弱さまでも消えている。
英傑。かつてのロアーヌに感じたそれを、レンはその身に纏わせていた。
「今、メッサーナは戦時中であるとか。帰りの旅路で情報は集めていましたが、バロン将軍やシーザー将軍が出陣されているのですね」
「あぁ。スズメバチ隊は待機命令が出ているのだ、レン」
そう言って、レンの背後に目をやると、シーザーの一人息子であるニールが居た。さらには見知らぬ男が二人居る。一人は、まだ童だった。
「この二人はシオンとダウドです。二人とは義兄弟となりました」
言われて、シオンと紹介された男が頭を下げた。レンの英傑さとは少し違うが、どこか風格がある。立っているだけなのに、何かこちらを圧倒するものを放っていた。
一方のダウドは童であり、緊張しているのか、表情は強張っている。
「ジャミルさん、戦況はどうなってんだ? 馬で早駆けして戻ってきたんだが、親父が心配だ」
ニールがそう言った時だった。後方から一騎が現れ、そのままピドナに駆け込んできた。
「注進、注進です」
「どうした、何があった」
「これはジャミル殿。バロン将軍より伝令です。メッサーナ軍はハルトレインの軍に粉砕され、現在は撤退中」
伝令兵がそう言った瞬間、場が一気に騒然となった。バロンが敗れた。あのハルトレインに。
「潰走ではありませんが、コモンまで退かざるを得ない状況にあります。つきましては、援軍を」
援軍。ピドナに兵は居るものの、それを指揮する人間が居ない。クリスは北の大地で防備を、クライヴはコモンで待機しているのだ。ならば、クライヴへと兵を送り届けろ、という事なのか。
「ジャミル殿、スズメバチ隊は出陣できる状況にあるのですか?」
レンが言った。
「あぁ。しかし、どうするつもりだ、レン」
「行きましょう。バロン将軍が助けを求めている」
「兵数は僅かに七百だぞ」
「父上が指揮していたスズメバチ隊も、最初は七百だったと聞いています」
「指揮官が」
「ジャミル殿さえ良ければ、俺にやらせてください」
そう言ったレンの目の奥に、炎が見えた。同時に、俺よりも年下のはずのこの男が、妙に頼もしく見えた。
時が来たのかもしれない。スズメバチ隊に、時が来た。レンという男が帰ってきた事によって、スズメバチ隊は完全復活を遂げようとしている。
「分かった」
俺がそう返事すると、レンは力強く頷いた。戦場へ戻ろう。俺は、そう思っていた。
「兄上、俺も」
「駄目だ、シオン。お前はまだ軍での調練を積んでいない。今、戦場に出ても足手まといになる」
レンにそう言われても、シオンは顔色を変えなかった。むしろ、申し出た事を恥じているようにも見える。
「はい」
「厳しい事を言ってすまない。ダウドの事を頼んだぞ、シオン」
「ご武運を。兄上」
「俺も行きたいが、まだ無理だな。兵としての調練を積んでねぇ。親父を助けてやってくれ、レン」
「あぁ。行ってくるよ、ニール」
そう言って、レンは俺の方に向き直った。
「ジャミル殿、すぐに出陣準備を」
レンはすでに、スズメバチ隊の総隊長だった。俺は、そんなレンにかつてのロアーヌの姿を重ねていた。
「はい。すぐに用意させます」
敬語で喋っていたが、違和感はどこにも無かった。俺は、レンの元で戦う。かつて、ロアーヌの元で戦っていた時のように。
スズメバチ隊の兵の選別と激しい調練は、尚も行われている。今、兵力は七百にまで回復し、兵の質も相当なものになっていた。だが、欠点が一つだけあった。それは、スズメバチ隊としての実戦を知らない兵が多いという事だ。調練ばかり重ねても、やはり実戦を経験させない限りは完成とは言えない。実戦で得られるものは、調練では得られないものばかりなのだ。そして、実戦を繰り返して生き残っていく事で、兵の質はさらに上がっていく。
兵の中で、頭抜け始めている者が何人か居た。これらはいずれ小隊長となり、兵をまとめる事になるだろう。その中の一人に、シンロウという者が居る。最初の顔合わせの時に、大口を叩いていた男だ。調練で死ぬ訳がない。シンロウは、そう言ったのである。
シンロウはシーザー軍出身だからなのか、敬語すらまともに喋ろうとせず、無意味に歯向かってくる所があった。躾けるのに苦労したが、最近になってようやく自分の立場が分かってきたらしい。元々、兵以上の資質は持っていた男である。この先でどうなるかは、育て方次第という所だろう。
「ジャミル隊長、俺は戦に出たい」
午前の調練を終えて休止を命じた所で、シンロウが言ってきた。顔には不満の色を浮かばせている。
「出たいです、だ。シンロウ。また、棒で打たれたいのか?」
「申し訳ありません。しかし、シーザー将軍が戦に出ておられるというのに」
「お前の気持ちは分かるが、バロン将軍は俺達に待機の命令を出されている」
「スズメバチ隊抜きで、戦に勝てると思ってるんですかね、バロン将軍は」
シンロウの言う事も分かる。だが、今のスズメバチ隊ではそれほど役に立たないだろう。指揮官が居ないのだ。兵の質は確かに相当なものだが、これだけでは軍の力は半分も引き出せない。優秀な指揮官があってこそ、兵の質も生かされるのだ。そういう意味では、やはりロアーヌの力は絶大なものであったと言わざるを得ないだろう。
仮に俺がスズメバチ隊を率いた所で、ロアーヌの戦果にはまるで及ばない。これが、正直な所だった。おそらく、バロンはここまで考えて、スズメバチ隊に待機を命じている。
「まだ時は来ていないのだ、シンロウ。それに戦況がどうなっているかも分からん。だから、余計な事に気を割くな」
俺がそう言っても、シンロウは顔色を変えなかった。元々、戦が好きだという所はあった。単純に戦がしたい、という不満が高まっているのだろう。
その日は夕刻まで調練を続け、兵舎に戻った。
飯時まで時間に余裕があったので、どう時間を潰そうかと考えている時だった。急に城門の方が騒がしくなった。
どうせ、何かくだらない事だろう、と思ったが、微かに胸騒ぎに似たものを感じた。しかし、不快ではない。それを自覚すると同時に、城門の方へと走っていた。
人の塊ができていた。よく見ると、兵の数が多い。
「本当に、レン殿なのですか」
そういう声が聞こえた。レン。ロアーヌとシグナスの息子。あのレンなのか。という事は、帰ってきたのか。
人ごみをかき分けた。必死だった。何故かは自分でも分からない。人ごみから抜け出た。
「ジャミル殿」
呼ばれた。その先に目を移すと、心を撃ち貫かれたような気分に陥った。隻眼。左眼には、くっきりと刃傷が刻み込まれている。
「レン、レンなのか」
「はい、まさしく。ただいま、戻りました」
そう言ったレンが、ニコリと笑った。それで、何故か涙が頬を伝った。視界が滲んでいく。
待っていたのだ。まさしく、俺はこの男を待っていた。どうにもならない気持ちが、涙として溢れ出ていく。
「二年の歳月が経ちましたが、ピドナは変わりないですね」
よく、帰ってきた。言葉として出せなかったが、俺は心の中でそう言った。涙を拭い、レンの姿を見つめる。
旅に出た時よりも、大きくなっている。全てが、大きくなっている。表情には覇気が宿り、以前はあったはずの迷いや哀しみ、弱さまでも消えている。
英傑。かつてのロアーヌに感じたそれを、レンはその身に纏わせていた。
「今、メッサーナは戦時中であるとか。帰りの旅路で情報は集めていましたが、バロン将軍やシーザー将軍が出陣されているのですね」
「あぁ。スズメバチ隊は待機命令が出ているのだ、レン」
そう言って、レンの背後に目をやると、シーザーの一人息子であるニールが居た。さらには見知らぬ男が二人居る。一人は、まだ童だった。
「この二人はシオンとダウドです。二人とは義兄弟となりました」
言われて、シオンと紹介された男が頭を下げた。レンの英傑さとは少し違うが、どこか風格がある。立っているだけなのに、何かこちらを圧倒するものを放っていた。
一方のダウドは童であり、緊張しているのか、表情は強張っている。
「ジャミルさん、戦況はどうなってんだ? 馬で早駆けして戻ってきたんだが、親父が心配だ」
ニールがそう言った時だった。後方から一騎が現れ、そのままピドナに駆け込んできた。
「注進、注進です」
「どうした、何があった」
「これはジャミル殿。バロン将軍より伝令です。メッサーナ軍はハルトレインの軍に粉砕され、現在は撤退中」
伝令兵がそう言った瞬間、場が一気に騒然となった。バロンが敗れた。あのハルトレインに。
「潰走ではありませんが、コモンまで退かざるを得ない状況にあります。つきましては、援軍を」
援軍。ピドナに兵は居るものの、それを指揮する人間が居ない。クリスは北の大地で防備を、クライヴはコモンで待機しているのだ。ならば、クライヴへと兵を送り届けろ、という事なのか。
「ジャミル殿、スズメバチ隊は出陣できる状況にあるのですか?」
レンが言った。
「あぁ。しかし、どうするつもりだ、レン」
「行きましょう。バロン将軍が助けを求めている」
「兵数は僅かに七百だぞ」
「父上が指揮していたスズメバチ隊も、最初は七百だったと聞いています」
「指揮官が」
「ジャミル殿さえ良ければ、俺にやらせてください」
そう言ったレンの目の奥に、炎が見えた。同時に、俺よりも年下のはずのこの男が、妙に頼もしく見えた。
時が来たのかもしれない。スズメバチ隊に、時が来た。レンという男が帰ってきた事によって、スズメバチ隊は完全復活を遂げようとしている。
「分かった」
俺がそう返事すると、レンは力強く頷いた。戦場へ戻ろう。俺は、そう思っていた。
「兄上、俺も」
「駄目だ、シオン。お前はまだ軍での調練を積んでいない。今、戦場に出ても足手まといになる」
レンにそう言われても、シオンは顔色を変えなかった。むしろ、申し出た事を恥じているようにも見える。
「はい」
「厳しい事を言ってすまない。ダウドの事を頼んだぞ、シオン」
「ご武運を。兄上」
「俺も行きたいが、まだ無理だな。兵としての調練を積んでねぇ。親父を助けてやってくれ、レン」
「あぁ。行ってくるよ、ニール」
そう言って、レンは俺の方に向き直った。
「ジャミル殿、すぐに出陣準備を」
レンはすでに、スズメバチ隊の総隊長だった。俺は、そんなレンにかつてのロアーヌの姿を重ねていた。
「はい。すぐに用意させます」
敬語で喋っていたが、違和感はどこにも無かった。俺は、レンの元で戦う。かつて、ロアーヌの元で戦っていた時のように。
厳しい追撃戦だった。バロンは敗走しながらも上手く軍をまとめ、抗戦しつつ退いている。いや、単純に抗戦をするだけでなく、逃げる時は徹底して逃げるなど、動きも変幻だった。
エルマンはそんなバロンに惑わされがちで、大局的な指示が出せずにいる。一挙に攻め込む機が掴めていないのだ。私から言わせれば、機などいくらでも転がっているように思えるのだが、エルマンにはそれが誘いのようにも見えているらしい。しかし、それが誘いかどうかは攻めてみなければ分からない事だ。もっと言ってしまえば、今のメッサーナ軍に誘いをかける余裕などあるのか。その余裕があれば、そもそもで撤退などしなくても良いはずではないのか。
つまるところ、エルマンはバロンに呑まれているという事だった。やはりエルマンは、父の軍を扱う器ではない。せいぜい、副官が良い所だろう。エルマンが総大将となってから、父の軍はどこか矮小になった。天下最強の軍という肩書も、消えてなくなった。
「この追撃戦だが、どう思う、フォーレ?」
隣で兵糧を貪るフォーレに、私は話しかけた。
今は全軍に休止が命じられていた。夜を徹して追撃をかけるという選択肢もあるが、それでは人も馬も潰れてしまう。僅かな時間であっても、休止は絶対に必要な事なのだ。当然、敵であるメッサーナ軍も、時機をみて休止をしている。むしろ、撤退する側の方が休止については敏感だろう。
「エルマン将軍が、どこまでやるかだろうな。コモンまで攻め落とすつもりなんだろうか」
「それは無理ではないかな。コモンにはクライヴが居る。あそこを落とすなら、もう少し兵力が必要だろう。攻城兵器もな」
「ならば、この追撃戦にさほど意味があるとは思えん。まぁ、メッサーナ軍の兵力を少しでも削っておきたい、というのは分かるが」
エルマンが欲を出したという事だった。本来なら、この戦は追い返すだけで良いのだ。しかし、追い返すというのは最低限の目的でしかない。だから、追撃というエルマンの選択は妥当とも言えるだろう。
フォーレが兵糧を食い終えて、ため息をついた。
「バロンに負けたよ、俺は。さすがに鷹の目と呼ばれるだけの事はある」
フォーレとバロンの戦いは、視界の端で捉えていた。よくやっていた、とは思うが、フォーレのやり方はどこか甘かった。しかし、これも実戦を重ねていけば改善されるだろう。フォーレはまだ戦の経験が浅い。
「反面、お前は勝っていたな、ハルト」
「どうかな。まぁ、負けていないのは確かだが」
思った以上に戦えた。バロンと直接やり合ったが、それほど脅威とは感じなかったのだ。バロンの弓矢には確かに度肝を抜かれたが、集中していればどうにでもなるだろうという気がした。もし、一対一でやり合っていれば、首が取れたかもしれない。
今のメッサーナ軍は、バロンが全てだった。というより、中心と言った方が良いだろう。他にも手強い軍はいくらでも居るが、それらはバロンという存在があってこそなのだ。つまり、バロンを抑え込む事ができれば、官軍はメッサーナ軍に勝てる。
バロンと一戦やってみて分かったが、ロアーヌのように手も足も出ない、という訳ではない。つまり、必ずどこかで勝機を得られる。この追撃戦でも、その機は来るかもしれない。ただし、無意味にエルマンが逡巡しなければ、だ。
間もなくして、再出撃の合図が掛かった。休止の終わりである。すぐに全軍で進発した。
最初は並足での進軍だったが、広い原野に出た所で進軍速度が上がった。ここで、攻撃を仕掛けるつもりなのだろう。やがて、伝令がやって来て、攻撃準備の命令も下った。
エルマンは堅実だった。広い原野、つまり野戦なら勝てる、と踏んだのだ。アビス原野での戦闘を思い起こせば、これは当然の選択である。
メッサーナ軍の後方が見えてきた。やはり、歩兵が遅れている。しかし、私達に気付いたのか、すぐに騎馬隊が反転してきた。シーザー軍のようだ。ただし、あくまで殿軍は歩兵である。
エルマンの旗が揺れる。攻撃命令。それを視認すると同時に、馬で駆け出していた。疾駆する。私の騎馬隊を先頭に、フォーレが第二陣、エルマンが第三陣で付いてきている。
敵歩兵。槍兵だった。槍を並べて、しっかりと構えている。思った以上の気迫。それを感じると同時に、槍をかわすように横にそれた。その先にシーザー軍。
ぶつかる。前を遮る敵兵を、手当たり次第に槍で撥ね飛ばす。そのままシーザー軍の中を突っ切り、馬首を巡らせた。フォーレの歩兵が、アクトの槍兵隊とぶつかっている。それを援護するように、横っ腹を貫いた。さらに反対からも、フォーレの騎馬隊が突っ込む。
アクトの槍兵隊が崩れた。シルベンの戟兵隊が援護に回ろうとするも、エルマンがそれを妨害する。
戦闘の流れはこちらにあった。問題はバロンの弓騎兵である。どこからやって来る。いや、誰を相手にする。
瞬間、鋭気。それを感じた。槍を払う。金属音。矢だった。間違いなく、バロンの矢だった。
「私か。鷹の目、私とやり合うか」
声をあげ、矢の飛んできた方向に目をこらした。弓騎兵。疾駆してくる。
すぐに馬首を巡らせ、駆け出す。矢の嵐。これをかわしたいが、どうしても犠牲が出る。周りの兵が、次々に落馬した。それでも、構わず前に出る。とにかく、近付かなければ弓騎兵は叩けない。
次の射撃はさせなかった。一気に距離を詰めて、弓騎兵の中に突っ込む。突き進みながらバロンを探したが、見つからない。だが、こだわるつもりもない。
瞬間、鋭気。槍を振るう暇はない。思うと同時に、身を屈めていた。鋭気が過ぎ去る。バロンは、どこかで私を見ているのか。
さらに突き進み、敵兵を撥ね上げ続けた。無人の野。弓騎兵を貫き、抜け出た。もう一度、反転してスタボロにしてやる。射撃さえ封じれば、弓騎兵など有象無象だ。
そう思い、手綱を引いた瞬間だった。何かとんでもないものが身体を貫いた。気のようなものだが、バロンの鋭気とは違う。殺気に似ているが、殺気ではない。闘志。言葉で表すなら、これが一番近い。
闘志が一段と強くなる。それを背後に感じると同時に、私は振り返った。
「馬鹿な」
声を漏らしていた。信じられなかった。私の視界に映ったもの。それは。
「虎縞模様の具足」
スズメバチ隊。あの天下最強の騎馬隊が、突っ込んでくる。
エルマンはそんなバロンに惑わされがちで、大局的な指示が出せずにいる。一挙に攻め込む機が掴めていないのだ。私から言わせれば、機などいくらでも転がっているように思えるのだが、エルマンにはそれが誘いのようにも見えているらしい。しかし、それが誘いかどうかは攻めてみなければ分からない事だ。もっと言ってしまえば、今のメッサーナ軍に誘いをかける余裕などあるのか。その余裕があれば、そもそもで撤退などしなくても良いはずではないのか。
つまるところ、エルマンはバロンに呑まれているという事だった。やはりエルマンは、父の軍を扱う器ではない。せいぜい、副官が良い所だろう。エルマンが総大将となってから、父の軍はどこか矮小になった。天下最強の軍という肩書も、消えてなくなった。
「この追撃戦だが、どう思う、フォーレ?」
隣で兵糧を貪るフォーレに、私は話しかけた。
今は全軍に休止が命じられていた。夜を徹して追撃をかけるという選択肢もあるが、それでは人も馬も潰れてしまう。僅かな時間であっても、休止は絶対に必要な事なのだ。当然、敵であるメッサーナ軍も、時機をみて休止をしている。むしろ、撤退する側の方が休止については敏感だろう。
「エルマン将軍が、どこまでやるかだろうな。コモンまで攻め落とすつもりなんだろうか」
「それは無理ではないかな。コモンにはクライヴが居る。あそこを落とすなら、もう少し兵力が必要だろう。攻城兵器もな」
「ならば、この追撃戦にさほど意味があるとは思えん。まぁ、メッサーナ軍の兵力を少しでも削っておきたい、というのは分かるが」
エルマンが欲を出したという事だった。本来なら、この戦は追い返すだけで良いのだ。しかし、追い返すというのは最低限の目的でしかない。だから、追撃というエルマンの選択は妥当とも言えるだろう。
フォーレが兵糧を食い終えて、ため息をついた。
「バロンに負けたよ、俺は。さすがに鷹の目と呼ばれるだけの事はある」
フォーレとバロンの戦いは、視界の端で捉えていた。よくやっていた、とは思うが、フォーレのやり方はどこか甘かった。しかし、これも実戦を重ねていけば改善されるだろう。フォーレはまだ戦の経験が浅い。
「反面、お前は勝っていたな、ハルト」
「どうかな。まぁ、負けていないのは確かだが」
思った以上に戦えた。バロンと直接やり合ったが、それほど脅威とは感じなかったのだ。バロンの弓矢には確かに度肝を抜かれたが、集中していればどうにでもなるだろうという気がした。もし、一対一でやり合っていれば、首が取れたかもしれない。
今のメッサーナ軍は、バロンが全てだった。というより、中心と言った方が良いだろう。他にも手強い軍はいくらでも居るが、それらはバロンという存在があってこそなのだ。つまり、バロンを抑え込む事ができれば、官軍はメッサーナ軍に勝てる。
バロンと一戦やってみて分かったが、ロアーヌのように手も足も出ない、という訳ではない。つまり、必ずどこかで勝機を得られる。この追撃戦でも、その機は来るかもしれない。ただし、無意味にエルマンが逡巡しなければ、だ。
間もなくして、再出撃の合図が掛かった。休止の終わりである。すぐに全軍で進発した。
最初は並足での進軍だったが、広い原野に出た所で進軍速度が上がった。ここで、攻撃を仕掛けるつもりなのだろう。やがて、伝令がやって来て、攻撃準備の命令も下った。
エルマンは堅実だった。広い原野、つまり野戦なら勝てる、と踏んだのだ。アビス原野での戦闘を思い起こせば、これは当然の選択である。
メッサーナ軍の後方が見えてきた。やはり、歩兵が遅れている。しかし、私達に気付いたのか、すぐに騎馬隊が反転してきた。シーザー軍のようだ。ただし、あくまで殿軍は歩兵である。
エルマンの旗が揺れる。攻撃命令。それを視認すると同時に、馬で駆け出していた。疾駆する。私の騎馬隊を先頭に、フォーレが第二陣、エルマンが第三陣で付いてきている。
敵歩兵。槍兵だった。槍を並べて、しっかりと構えている。思った以上の気迫。それを感じると同時に、槍をかわすように横にそれた。その先にシーザー軍。
ぶつかる。前を遮る敵兵を、手当たり次第に槍で撥ね飛ばす。そのままシーザー軍の中を突っ切り、馬首を巡らせた。フォーレの歩兵が、アクトの槍兵隊とぶつかっている。それを援護するように、横っ腹を貫いた。さらに反対からも、フォーレの騎馬隊が突っ込む。
アクトの槍兵隊が崩れた。シルベンの戟兵隊が援護に回ろうとするも、エルマンがそれを妨害する。
戦闘の流れはこちらにあった。問題はバロンの弓騎兵である。どこからやって来る。いや、誰を相手にする。
瞬間、鋭気。それを感じた。槍を払う。金属音。矢だった。間違いなく、バロンの矢だった。
「私か。鷹の目、私とやり合うか」
声をあげ、矢の飛んできた方向に目をこらした。弓騎兵。疾駆してくる。
すぐに馬首を巡らせ、駆け出す。矢の嵐。これをかわしたいが、どうしても犠牲が出る。周りの兵が、次々に落馬した。それでも、構わず前に出る。とにかく、近付かなければ弓騎兵は叩けない。
次の射撃はさせなかった。一気に距離を詰めて、弓騎兵の中に突っ込む。突き進みながらバロンを探したが、見つからない。だが、こだわるつもりもない。
瞬間、鋭気。槍を振るう暇はない。思うと同時に、身を屈めていた。鋭気が過ぎ去る。バロンは、どこかで私を見ているのか。
さらに突き進み、敵兵を撥ね上げ続けた。無人の野。弓騎兵を貫き、抜け出た。もう一度、反転してスタボロにしてやる。射撃さえ封じれば、弓騎兵など有象無象だ。
そう思い、手綱を引いた瞬間だった。何かとんでもないものが身体を貫いた。気のようなものだが、バロンの鋭気とは違う。殺気に似ているが、殺気ではない。闘志。言葉で表すなら、これが一番近い。
闘志が一段と強くなる。それを背後に感じると同時に、私は振り返った。
「馬鹿な」
声を漏らしていた。信じられなかった。私の視界に映ったもの。それは。
「虎縞模様の具足」
スズメバチ隊。あの天下最強の騎馬隊が、突っ込んでくる。
全身が熱かった。しかし、心は驚くほどに落ち着いている。失った左眼に、ちょっとだけ手をやった。かつての敗戦。脳裏に蘇る。だが、絶望はない。闘志だけが、闘う意志だけが、身体の奥底から湧いて出てくる。俺は、スズメバチ隊は、帰ってきた。父の遺志と共に。
「突っ込めぇっ」
雄叫び。風と一体となり、ただ真っ直ぐに駆け抜ける。敵兵。槍で撥ね上げていた。次の瞬間には、戦場での感覚を全身で取り戻していた。
全隊で貫き、反転する。もう一度、突撃を仕掛ける。
父であるロアーヌは、攻撃の手を緩めなかった。何度も何度も敵軍に攻撃を浴びせて、まさにハチの巣にしていたのだ。俺が率いているのはスズメバチ隊。スズメバチ隊は、戦場を飛翔する。
二度、三度とハルトレインの騎馬隊に穴を空けた。反撃は無い。いや、反撃などさせない。
不意に縦列だった陣形が、円へと変わった。確かに、一つに固まれば、突撃の効果は薄まる。だが、俺が率いているのはスズメバチ隊なのだ。
円の表面を抉り取るように、突撃しては反転するという事を繰り返した。反撃が来るという所で、一気に馬を返す。次第に円から歪みが現れ、歪みは崩壊へと連鎖していく。
しかし、崩壊直前でハルトレインは陣形を変えた。くさび型の突撃陣形である。それを見てとり、俺は距離を取った。対峙する。
先頭に目を凝らした。槍と銀色の鎧。あれが、ハルトレインなのだろう。怒りに似た闘気が、俺の肌を刺激している。
「レン殿」
「分かっています、ジャミル殿。しかし、あの男とは必ず決着をつけなければならない。いや、勝たなくてはならない」
そう言って、槍を構えた。そのまま数秒、睨み合った。いや、そんな気がしただけだ。周囲では、激しい戦闘が繰り広げられている。
気付いた時には、駆け出していた。ハルトレイン。先頭に居る。槍を構え直した。眼。合った。来る。
閃光。顔を歪めていた。強い。たった一度の馳せ違いで、それを全身に刻み込まれた。これが今のハルトレインの実力なのか。アビス原野でやり合った時よりも、数段強くなっている。
馬を返した。後続も俺にならう。ハルトレインも、馬を返している。再び、目が合った。ぶつかる。
今度は馳せ違わない。槍と槍が重なった。
「名乗れ、この私と一合でも渡り合える程の男だ。名前ぐらい、覚えておいてやってもいい」
押し合いの最中、ハルトレインが低い声で言った。目は血走っている。
「もう名乗ってる。お前が忘れているだけだ」
「何?」
ハルトレインが眉をひそめたのと同時に、俺は槍を押し上げた。ハルトレインが姿勢を崩し、舌打ちする。すかさず槍を突き出すも、かわされた。反撃。それをかわしながら、馬を出す。
「この槍、どこかで」
言い終わらせぬ内に一閃し、馳せ違う。そのまま勢いに任せて、駆け抜けた。
ハルトレインが俺の事を覚えているなどという事は、端から期待していない。当時の俺はまだ童だったのだ。だが、俺は違う。俺は一時たりとも忘れる事は無かった。
左眼を奪われ、父を失った。しかし、俺はそれでも生き長らえた。死ぬという選択肢もあったのに、俺は生きる事を選んだ。左眼を奪われたのも、父を失ったのも、何か意味がある。俺はそう思ったのだ。
時が止まっていた。いくら槍が使えるようになっても、いくら軍学を修めようとも、俺の中の時は何故か動かなかった。ハルトレインに敗れたという一つの事実だけが、俺の時を封じていたのだ。
今、その時が動きだそうとしている。スズメバチ隊として、戦場に帰ってきた。そして、ハルトレインと再びあいまみえる事が出来た。
俺は父の大志を受け継ぎ、メッサーナで槍を振るう。それと同時に、ハルトレインの首を取る。
「父上、見ていてください。アビスでの仇は、このレンが必ず」
槍を天に掲げ、一度だけ吼えた。ハルトレインが、真っ直ぐに突っ込んでくる。
俺はそれを見据えた。引き付ける。馬二頭分。そこまで引き付け、馬を出す。
閃光、金属音。それが二度、繰り返された。風の音が耳で渦巻く。槍。突き出す。ハルトレインが穂先で流そうとした。その瞬間、刃にありったけの気を込めた。
ハルトレインの槍が腕ごと跳ね上がる。胴ががら空き。そこに目掛けて、槍を突き放った。刹那、ハルトレインが身体をねじる。槍は鎧を削り、激しく火花を飛ばした。
槍を引きもどす前に、ハルトレインが距離を詰めてきた。同時に槍の柄で俺の腕を打つ。
「終わりだ」
呟き。聞こえた。瞬間、殺気。槍からではない。腰元。何故。いや、感覚を信じろ。
身体を仰け反らす。光。いや、違う。童の時に見た光の正体。
「剣」
白銀の刃が、空を切る。同時にハルトレインの舌打ちが聞こえた。即座に槍を引きもどし、反撃する。その場で三度、武器をぶつけ合わせつつ、距離を取った。馬で駆け出し、一閃。そのまま馳せ違う。
全身が、冷えていた。剣を鞘から抜く、いわゆる抜刀からの攻撃。これを視認する事ができなかった。つまり、直感だけでかわしたと言っていい。
あれで、俺は左眼を奪われたのか。ハルトレインは、剣と槍の二段構えだった。
だが、気は呑まれていない。攻撃のタネがわかれば何とかなる。攻撃の選択肢として、槍だけでなく剣もあると思えば良いのだ。次のぶつかり合いで、何らかの決着はつくだろう。もちろん、それはどちらかの死という可能性もあった。
再び、ハルトレインの騎馬隊と睨み合う恰好になっていた。踏み出す機を、互いに測り合っている。殺してやる。ハルトレインが、そう言っている。
瞬間、横から喊声が聞こえた。目をやると、バロンの弓騎兵とシーザーの騎馬隊が、敵軍を崩している。そこに歩兵が取りつき、敵軍は崩壊に追い込まれつつあった。
スズメバチ隊でハルトレインの騎馬隊を止めた事によって、戦況が好転したのだろう。
再びハルトレインの方に目をやると、陣形から闘気が消え失せていた。
「決着はつかず、か」
俺がそう呟くと同時に、ハルトレインの騎馬隊は後退を始めた。すでに、敵軍は潰走となっている。しかし、バロンはそれを追う気はないらしい。まばらに弓矢を射かけるだけで、追撃命令は出していなかった。
俺は、ハルトレインの騎馬隊だけをじっと見つめていた。軍の最後尾に位置して、殿軍を務めている。
ここで、決着はつかなかった。俺は、ただそう思っていた。
「突っ込めぇっ」
雄叫び。風と一体となり、ただ真っ直ぐに駆け抜ける。敵兵。槍で撥ね上げていた。次の瞬間には、戦場での感覚を全身で取り戻していた。
全隊で貫き、反転する。もう一度、突撃を仕掛ける。
父であるロアーヌは、攻撃の手を緩めなかった。何度も何度も敵軍に攻撃を浴びせて、まさにハチの巣にしていたのだ。俺が率いているのはスズメバチ隊。スズメバチ隊は、戦場を飛翔する。
二度、三度とハルトレインの騎馬隊に穴を空けた。反撃は無い。いや、反撃などさせない。
不意に縦列だった陣形が、円へと変わった。確かに、一つに固まれば、突撃の効果は薄まる。だが、俺が率いているのはスズメバチ隊なのだ。
円の表面を抉り取るように、突撃しては反転するという事を繰り返した。反撃が来るという所で、一気に馬を返す。次第に円から歪みが現れ、歪みは崩壊へと連鎖していく。
しかし、崩壊直前でハルトレインは陣形を変えた。くさび型の突撃陣形である。それを見てとり、俺は距離を取った。対峙する。
先頭に目を凝らした。槍と銀色の鎧。あれが、ハルトレインなのだろう。怒りに似た闘気が、俺の肌を刺激している。
「レン殿」
「分かっています、ジャミル殿。しかし、あの男とは必ず決着をつけなければならない。いや、勝たなくてはならない」
そう言って、槍を構えた。そのまま数秒、睨み合った。いや、そんな気がしただけだ。周囲では、激しい戦闘が繰り広げられている。
気付いた時には、駆け出していた。ハルトレイン。先頭に居る。槍を構え直した。眼。合った。来る。
閃光。顔を歪めていた。強い。たった一度の馳せ違いで、それを全身に刻み込まれた。これが今のハルトレインの実力なのか。アビス原野でやり合った時よりも、数段強くなっている。
馬を返した。後続も俺にならう。ハルトレインも、馬を返している。再び、目が合った。ぶつかる。
今度は馳せ違わない。槍と槍が重なった。
「名乗れ、この私と一合でも渡り合える程の男だ。名前ぐらい、覚えておいてやってもいい」
押し合いの最中、ハルトレインが低い声で言った。目は血走っている。
「もう名乗ってる。お前が忘れているだけだ」
「何?」
ハルトレインが眉をひそめたのと同時に、俺は槍を押し上げた。ハルトレインが姿勢を崩し、舌打ちする。すかさず槍を突き出すも、かわされた。反撃。それをかわしながら、馬を出す。
「この槍、どこかで」
言い終わらせぬ内に一閃し、馳せ違う。そのまま勢いに任せて、駆け抜けた。
ハルトレインが俺の事を覚えているなどという事は、端から期待していない。当時の俺はまだ童だったのだ。だが、俺は違う。俺は一時たりとも忘れる事は無かった。
左眼を奪われ、父を失った。しかし、俺はそれでも生き長らえた。死ぬという選択肢もあったのに、俺は生きる事を選んだ。左眼を奪われたのも、父を失ったのも、何か意味がある。俺はそう思ったのだ。
時が止まっていた。いくら槍が使えるようになっても、いくら軍学を修めようとも、俺の中の時は何故か動かなかった。ハルトレインに敗れたという一つの事実だけが、俺の時を封じていたのだ。
今、その時が動きだそうとしている。スズメバチ隊として、戦場に帰ってきた。そして、ハルトレインと再びあいまみえる事が出来た。
俺は父の大志を受け継ぎ、メッサーナで槍を振るう。それと同時に、ハルトレインの首を取る。
「父上、見ていてください。アビスでの仇は、このレンが必ず」
槍を天に掲げ、一度だけ吼えた。ハルトレインが、真っ直ぐに突っ込んでくる。
俺はそれを見据えた。引き付ける。馬二頭分。そこまで引き付け、馬を出す。
閃光、金属音。それが二度、繰り返された。風の音が耳で渦巻く。槍。突き出す。ハルトレインが穂先で流そうとした。その瞬間、刃にありったけの気を込めた。
ハルトレインの槍が腕ごと跳ね上がる。胴ががら空き。そこに目掛けて、槍を突き放った。刹那、ハルトレインが身体をねじる。槍は鎧を削り、激しく火花を飛ばした。
槍を引きもどす前に、ハルトレインが距離を詰めてきた。同時に槍の柄で俺の腕を打つ。
「終わりだ」
呟き。聞こえた。瞬間、殺気。槍からではない。腰元。何故。いや、感覚を信じろ。
身体を仰け反らす。光。いや、違う。童の時に見た光の正体。
「剣」
白銀の刃が、空を切る。同時にハルトレインの舌打ちが聞こえた。即座に槍を引きもどし、反撃する。その場で三度、武器をぶつけ合わせつつ、距離を取った。馬で駆け出し、一閃。そのまま馳せ違う。
全身が、冷えていた。剣を鞘から抜く、いわゆる抜刀からの攻撃。これを視認する事ができなかった。つまり、直感だけでかわしたと言っていい。
あれで、俺は左眼を奪われたのか。ハルトレインは、剣と槍の二段構えだった。
だが、気は呑まれていない。攻撃のタネがわかれば何とかなる。攻撃の選択肢として、槍だけでなく剣もあると思えば良いのだ。次のぶつかり合いで、何らかの決着はつくだろう。もちろん、それはどちらかの死という可能性もあった。
再び、ハルトレインの騎馬隊と睨み合う恰好になっていた。踏み出す機を、互いに測り合っている。殺してやる。ハルトレインが、そう言っている。
瞬間、横から喊声が聞こえた。目をやると、バロンの弓騎兵とシーザーの騎馬隊が、敵軍を崩している。そこに歩兵が取りつき、敵軍は崩壊に追い込まれつつあった。
スズメバチ隊でハルトレインの騎馬隊を止めた事によって、戦況が好転したのだろう。
再びハルトレインの方に目をやると、陣形から闘気が消え失せていた。
「決着はつかず、か」
俺がそう呟くと同時に、ハルトレインの騎馬隊は後退を始めた。すでに、敵軍は潰走となっている。しかし、バロンはそれを追う気はないらしい。まばらに弓矢を射かけるだけで、追撃命令は出していなかった。
俺は、ハルトレインの騎馬隊だけをじっと見つめていた。軍の最後尾に位置して、殿軍を務めている。
ここで、決着はつかなかった。俺は、ただそう思っていた。
ようやく戦後処理を終えた。犠牲は思ったよりも多く、コモン近くまで押し返された事を考えれば、あの戦は負けだったと認めざるを得ないだろう。悔しいが、官軍の強さは未だ健在という他なかった。というより、国そのものに底力があると言った方が良い。同時に複数の戦線を抱えた上で、あそこまで戦えるのだ。ミュルスの反乱も、僅かな日数で鎮圧している。
今回の敗戦は、ハルトレインの成長に拠る所が大きかった。あれはもう童ではなく、立派な一人の将軍である。一軍の指揮者として、相当な力量を備えていた。それに、まだ成長の余地があるようにも感じられたのだ。さすがに、レオンハルト大将軍の血を引いている、という事なのか。
ハルトレイン一人で、という思いはある。だが、今後を考えた時に脅威となるのは間違いない事だった。これから先、ハルトレインが出てくる戦線は、否が応でも苦戦を強いられる事になる。
しかし、希望も見えていた。その希望とは、槍のシグナスの血を引き、剣のロアーヌによって育てられたレンである。
最初は信じられなかった。撤退戦で強烈な襲撃を受け、かなりの犠牲が出る事を覚悟した時、レンは天下最強の騎馬隊と共に戦場に現れたのだ。私はピドナに援軍要請を出していたが、これはクライヴに指揮させるつもりのもので、スズメバチ隊が来る事など予想すらもしていなかった。
レンは僅か七百という小勢で、ハルトレインが指揮する一万もの騎馬隊を翻弄、打ち崩した。それはかつてのロアーヌを連想させ、スズメバチ隊は見事に蘇ったのだ、と思わせるものだった。
ハルトレインに誰かをぶつけるとするなら、レン以外にないだろう。ジャミルから聞いた話だが、一騎討ちでの勝負も互角だったという。
レンはすぐにでも将軍に昇格させ、ズスメバチ隊の指揮をやってもらう予定である。この件については、ジャミルをはじめ、スズメバチ隊一同からの異論は無いようだ。
「バロン将軍、レン殿が参られましたが」
私室で軍務をやっていると、従者が報告にやってきた。本当は私から出向くつもりだったのだが、どうやらレンが先にやって来てしまったらしい。
「わかった。入ってもらってくれ」
私がそう言うと、レンは兵と入れ替わる形で部屋に入ってきた。その背後には、ニールと見知らぬ二人の男が立っている。
「ただいま戻りました、バロン将軍」
言って、レンは静かに頭を下げた。レンがメッサーナに戻ってきて、きちんと顔合わせをするのは今回が初である。
「およそ、二年かな。お前が旅に出る時、私が言った事を覚えているか、レン」
「成長して帰ってこい。将軍は、そう仰られました」
言われて、目を閉じた。そうだ。レンが旅に出て、二年の歳月が経ったのだ。戦う理由を見つける。そのために、レンはメッサーナを旅立った。
目を開き、レンの姿をじっと見つめた。覇気が宿っている。そして、以前はあったはずの迷いや弱さが消えている。間違いなく、この男は成長して帰ってきた。
「戦う理由は見つかったのだな」
「はい」
「ロアーヌとシグナス。かつて、二人の英傑が抱いた大志」
「俺が受け継ぎます。俺は、シグナスの息子であり、ロアーヌの息子なのです」
そう言い切ったレンに向けて、私は黙って頷いた。次いで、ニールに目をやる。
「ニールも達者だったか」
「あぁ、おかげさんでな。レンと一緒に旅をしていく中で、色々と気付けた事もある。これから、親父と話をしてくるよ。俺も兵になりてぇ」
「兵うんぬんなどより、シーザーもお前と話をしたがっているぞ。何せ、お前が旅に出ている間、何かと心配だとうるさかったからな」
私が言って笑うと、ニールは頬を赤らめて横を向いた。うるさいのはお前だ、と表情が言っている。
「所でレン、そこの二人は?」
「はい。シオンとダウドです。旅の途中で、義兄弟となりました。この偉丈夫の方が、シオンです」
レンが紹介すると、シオンと呼ばれた男は黙って頭を下げた。目を合わせると、僅かに圧倒するものを放ってきた。敵意はないが、侮るな、と言いたいのだろう。レン以外は認めていない、という節も見える。
「そして、こちらがダウド。まだ童なので、旅に同行させるのは忍びなかったのですが、シオンに懐いていましたので」
「ダ、ダウドです。よろしくお願いします」
目を泳がせながら、ダウドが言った。妙に落ち着きがない。こういった場に、まだ慣れていないのだろう。そんなダウドを見て、ニールが少しイラついている。
「ダウドはまだ童ですが、シオンはスズメバチ隊の兵として加えようと思っています。今のスズメバチ隊の指揮者は」
「その事だが、お前をスズメバチ隊の指揮者にしたい。そして、同時に将軍に昇格させる」
私がそう言うと、レンは少し考えるような仕草を見せた。
「それは願ってもない事ですが、俺はまだ二十歳にもなっていません。将軍をやるには、まだ若過ぎると思います」
「年齢ではなく、能力だ」
「しかし」
「お前は力を示したのだ、レン。それに、ロアーヌの遺志を継ぐのだろう」
言って、レンの目をじっと見つめる。覇気が宿った、良い目だった。
「はい。ありがとうございます」
レンが言い、私は力強く頷いた。
「お前が兄と慕うクリスは北の大地に居る。暇を見つけて、会いに行くと良い」
「はい。ですが、先にランス殿に会いたいのです。お伝えしたい事がありますので」
伝えたい事。少し気になったが、私が聞くべき事でもないだろう、という感じがした。どちらにしろ、ランスは未だ病床に伏せっている。
「しばらくはスズメバチ隊をまとめる事に専念して、それからメッサーナに行ってみます」
そう言ったレンは、柔らかい笑顔を作っていた。
今回の敗戦は、ハルトレインの成長に拠る所が大きかった。あれはもう童ではなく、立派な一人の将軍である。一軍の指揮者として、相当な力量を備えていた。それに、まだ成長の余地があるようにも感じられたのだ。さすがに、レオンハルト大将軍の血を引いている、という事なのか。
ハルトレイン一人で、という思いはある。だが、今後を考えた時に脅威となるのは間違いない事だった。これから先、ハルトレインが出てくる戦線は、否が応でも苦戦を強いられる事になる。
しかし、希望も見えていた。その希望とは、槍のシグナスの血を引き、剣のロアーヌによって育てられたレンである。
最初は信じられなかった。撤退戦で強烈な襲撃を受け、かなりの犠牲が出る事を覚悟した時、レンは天下最強の騎馬隊と共に戦場に現れたのだ。私はピドナに援軍要請を出していたが、これはクライヴに指揮させるつもりのもので、スズメバチ隊が来る事など予想すらもしていなかった。
レンは僅か七百という小勢で、ハルトレインが指揮する一万もの騎馬隊を翻弄、打ち崩した。それはかつてのロアーヌを連想させ、スズメバチ隊は見事に蘇ったのだ、と思わせるものだった。
ハルトレインに誰かをぶつけるとするなら、レン以外にないだろう。ジャミルから聞いた話だが、一騎討ちでの勝負も互角だったという。
レンはすぐにでも将軍に昇格させ、ズスメバチ隊の指揮をやってもらう予定である。この件については、ジャミルをはじめ、スズメバチ隊一同からの異論は無いようだ。
「バロン将軍、レン殿が参られましたが」
私室で軍務をやっていると、従者が報告にやってきた。本当は私から出向くつもりだったのだが、どうやらレンが先にやって来てしまったらしい。
「わかった。入ってもらってくれ」
私がそう言うと、レンは兵と入れ替わる形で部屋に入ってきた。その背後には、ニールと見知らぬ二人の男が立っている。
「ただいま戻りました、バロン将軍」
言って、レンは静かに頭を下げた。レンがメッサーナに戻ってきて、きちんと顔合わせをするのは今回が初である。
「およそ、二年かな。お前が旅に出る時、私が言った事を覚えているか、レン」
「成長して帰ってこい。将軍は、そう仰られました」
言われて、目を閉じた。そうだ。レンが旅に出て、二年の歳月が経ったのだ。戦う理由を見つける。そのために、レンはメッサーナを旅立った。
目を開き、レンの姿をじっと見つめた。覇気が宿っている。そして、以前はあったはずの迷いや弱さが消えている。間違いなく、この男は成長して帰ってきた。
「戦う理由は見つかったのだな」
「はい」
「ロアーヌとシグナス。かつて、二人の英傑が抱いた大志」
「俺が受け継ぎます。俺は、シグナスの息子であり、ロアーヌの息子なのです」
そう言い切ったレンに向けて、私は黙って頷いた。次いで、ニールに目をやる。
「ニールも達者だったか」
「あぁ、おかげさんでな。レンと一緒に旅をしていく中で、色々と気付けた事もある。これから、親父と話をしてくるよ。俺も兵になりてぇ」
「兵うんぬんなどより、シーザーもお前と話をしたがっているぞ。何せ、お前が旅に出ている間、何かと心配だとうるさかったからな」
私が言って笑うと、ニールは頬を赤らめて横を向いた。うるさいのはお前だ、と表情が言っている。
「所でレン、そこの二人は?」
「はい。シオンとダウドです。旅の途中で、義兄弟となりました。この偉丈夫の方が、シオンです」
レンが紹介すると、シオンと呼ばれた男は黙って頭を下げた。目を合わせると、僅かに圧倒するものを放ってきた。敵意はないが、侮るな、と言いたいのだろう。レン以外は認めていない、という節も見える。
「そして、こちらがダウド。まだ童なので、旅に同行させるのは忍びなかったのですが、シオンに懐いていましたので」
「ダ、ダウドです。よろしくお願いします」
目を泳がせながら、ダウドが言った。妙に落ち着きがない。こういった場に、まだ慣れていないのだろう。そんなダウドを見て、ニールが少しイラついている。
「ダウドはまだ童ですが、シオンはスズメバチ隊の兵として加えようと思っています。今のスズメバチ隊の指揮者は」
「その事だが、お前をスズメバチ隊の指揮者にしたい。そして、同時に将軍に昇格させる」
私がそう言うと、レンは少し考えるような仕草を見せた。
「それは願ってもない事ですが、俺はまだ二十歳にもなっていません。将軍をやるには、まだ若過ぎると思います」
「年齢ではなく、能力だ」
「しかし」
「お前は力を示したのだ、レン。それに、ロアーヌの遺志を継ぐのだろう」
言って、レンの目をじっと見つめる。覇気が宿った、良い目だった。
「はい。ありがとうございます」
レンが言い、私は力強く頷いた。
「お前が兄と慕うクリスは北の大地に居る。暇を見つけて、会いに行くと良い」
「はい。ですが、先にランス殿に会いたいのです。お伝えしたい事がありますので」
伝えたい事。少し気になったが、私が聞くべき事でもないだろう、という感じがした。どちらにしろ、ランスは未だ病床に伏せっている。
「しばらくはスズメバチ隊をまとめる事に専念して、それからメッサーナに行ってみます」
そう言ったレンは、柔らかい笑顔を作っていた。