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第十三章 時の契機

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 レオンハルトが倒れたという報せが入ったのは、夕刻になってからだった。一旦、意識を失ったものの、今は回復しているという。しかし、予断は許さない状況だった。
「面会はできるのか?」
「というより、大将軍自らがそれを望んでいます」
「分かった。ウィンセ、お前も来い」
 報せに来た兵との会話を切り上げ、私はウィンセと共にレオンハルトの屋敷に向かった。その道中、何故か嫌な予感が付きまとった。レオンハルトの方から、私に面会を求めてきた。その意味を考えると、やはり最悪の事態を考えてしまう。今までは、私の方から会いに行っていたのだ。
 屋敷に到着し、私はレオンハルトの私室に直行した。私室の前で、数人の武官が直立している。身なりを見る限り、それなりの地位の者なのだろう。
「宰相殿ですね。中で大将軍がお待ちしております」
「御一人か?」
「はい。我々も、席を外すようにと命じられました」
 それを聞いて頷き、私はウィンセを連れて部屋の中に入った。お香の匂いが、鼻をくすぐる。すでに時刻は宵を過ぎており、部屋の中の灯りは寝台の傍にあるロウソク一本だけだった。
「フランツ殿、か」
 力の無い、しわがれた声だった。顔を覗き込むと、頬の痩せこけた老人が、そこに居た。
「レオンハルト大将軍、老いましたな。どうしようもない程に、老いてしまわれた」
「はっきりと言ってくれる。しかし、その通りだ。だからこそ、貴殿を呼んだ」
 レオンハルトの視線は、天井に向けられていた。ただ、どこか虚ろな目である。焦点が合っていない、と言えば良いのか、とにかく目に生気は無かった。
「軍権を、そなたに譲る」
 レオンハルトは、しわがれた声で静かに言った。
「エルマンでは扱いきれず、レキサスでは拒否される。そして、今のハルトでは振りかざし過ぎる」
「それで、私ですか。もう数年と生きられぬであろう私に」
「その数年でハルトを変えてくれ」
「無茶な事を。実父である貴方に出来なかった事ですぞ」
「ならば、他の手段を講じてくれ。ハルトと軍権。この二つが釣り合うように、上手くやってくれ」
「傲慢ですな。それならば、私が軍権を握ったままで良いでしょう」
「貴殿は、そうはせぬ。だからこそ、軍権を託すのだ」
 レオンハルトが咳き込む。その様を見て、私は自分の命を見つめた。あと数年。本当に数年なのだろうか。いや、数年も生きなければならないのか。
 私は、もう十分に生き抜いたのではないのか。レオンハルトの頼みを聞き入れる事はたやすい。だが、聞き入れるだけだ。それ以上の事を、自分が成せるのか。いや、成したいと思っているのか。レオンハルトだけではない。私も老いたのだ。老い過ぎる程に、老いたのだ。そう思うのは、ウィンセに全てを託し終わったからだ。だから、もう自分は消えても良い存在だろう。
 ハルトレインは若い。そして私は老いている。私が第一世代ならば、ハルトレインは第二世代だ。そして、軍事の第二世代がハルトレインなら、政治の第二世代はウィンセだ。ならば、ウィンセに託すべきではないのか。
「これが最期の会話になろうな、フランツ殿」
 不意にレオンハルトが言った。私の心中を察したのかもしれない。
「儂は戦場で死にたかったよ。こんな病床ではなく、戦場で雄々しく死にたかった」
「私には分かりません、大将軍」
「軍人は死に憧れているのかもしれん。雄々しく散って、誰かの記憶に残る。そういう死に憧れているのだ」
 そう言い終え、レオンハルトは一度だけ息を吐いた。
「ウィンセ」
 レオンハルトが呼ぶと、ウィンセは直立した。元はサウスの副官だった。だから、軍人としての礼儀も心得ている。
「ハルトには、フォーレを必ず付けるのだ。ハルトの傲慢は、フォーレが上手く調整する。本当は、ハルト自身が変わってくれれば良いのだが」
 全てを見越した上での、発言のようだった。私の命。軍事と政治。軍権の所在。この先の戦略。そういった全ての要素を絡めて、レオンハルトは発言した。
「フランツ殿、話は以上だ」
 そう言われたので、私は黙って頭を下げ、私室を後にした。別れの言葉は、お互いに口にはしなかった。
「フランツ様、先程の大将軍のお言葉ですが」
「頭に刻み込んでおけ、ウィンセ。そして、明日からお前が宰相だ」
「は?」
 それ以上、会話はしなかった。もう私は生き抜いた。前王を毒殺し、新たな政治の土台を築いた。私の仕事は、ここまでだったのだ。いや、最後に次期宰相にはウィンセを据える、という仕事が残っていた。だが、もうそれも終えている。ウィンセには、私の全てを託した。幼き王にも、私が死んだ後にはウィンセを宰相に据えるように、と伝えているし、外堀への根回しも施した。
 あとはタイミングだけだったのだ。そのタイミングを、レオンハルトがもたらしてくれた。
「フランツ様、後は私にお任せください」
 そう言ったウィンセを、私はただじっと見つめた。
「お前が聡明で良かった。私は切にそう思う。レオンハルト大将軍は、私に軍権を譲った。そして、私はお前に軍権を譲る」
 私がそう言うと、ウィンセはただ頷いた。
 この男は、私の息子のようなものだった。だからこそ、愛情を注いだ。託し得る全てを、託した。
「フランツ様は、私の師であり父です。お教えいただいた事は、決して忘れません」
 ウィンセの目は、涙ぐんでいた。私はそんなウィンセの肩を一度だけ叩き、背を向けた。背後で、僅かな嗚咽が聞こえたが、決して振り返らなかった。
 私室。灯りは、付けなかった。窓から漏れる、僅かな月明かりの中で遺書を書いた。死後の事を、綿密に書きあげた。
 国の歴史を守り抜く。ただ、この信念の為に私は生きてきた。メッサーナを叩き潰し、国の歴史を。だが、それは私一代では叶わなかった。これは、レオンハルトも同様だ。そして、老人達の舞台は、間もなくして幕を下ろす。
「次の世代だ。ウィンセ、頼んだぞ。そして前王、すぐそちらに行きます」
 即効性の毒を呷る。胸に痺れが走った。前王が、居る。拝礼しなければ。そして、政治の報告をしなければ。
 そんな私を、前王はいつもは嫌がった。どうせ、今回も。そう思ったが、何故か前王は笑っていた。それが、私はたまらなく嬉しかった。
「ミュルス近郊の砦が奪われた」
 軍議の席で、エルマンは毅然とした口調で言った。しかし、驚きの声をあげる者は居なかった。各々、目を閉じたり、うなだれたりしているだけだ。そんな中、私はエルマンの目をじっと見つめていた。
 砦を奪われたという事は、レキサス軍は敗れたのだろう。私達の本隊をアビスに引き出し、獅子軍でミュルス近郊の砦を奪う。このメッサーナの戦略は、遠回りはしたものの、見事に決まった。これについては、文句の付けようもない。何しろ、官軍側が戦略に気付いたのが遅すぎたのだ。レキサスの軍師であるノエルがいち早く気付いたようだったが、その伝令が駆け込んできた時には、すでに私達は交戦に入っていた。つまり、アビスに引き出された後だった。
 それでも、やりようはあった。ノエルが戦略を看破した事により、幾分かは私達に有利になったからだ。しかし、結局の所はメッサーナにしてやられた。何が原因だったのか。軍が弱かったのか。将の才が足りなかったのか。
「エルマン殿、早急にミュルスへ救援を送る必要があるのでは。獅子軍、クリス軍が攻め込んでくる前に、守りを固めた方が良いでしょう」
 フォーレが言った。
「いや、その獅子軍だが、しばらくは動けん」
「何故です?」
「シーザーが死んだ。レキサス軍が、討ち取った」
 その場に居た全員が、唸り声を発した。私も思わず、腕を組んでいた。あの獅子軍のシーザーが、死んだ。何をやっても死にそうにない男だと思っていたが、呆気なく死んだ。しかし、これが戦なのだ。死とは、常に隣り合わせなのだ。
「ノエルの落石策で完勝、と言いたかったが、最終的には砦と引き換えだ。首は取れなかったが、矢で滅多撃ちにしたらしい。それで、今の獅子軍には実質として指揮官が居ない。獅子軍は攻撃の要だ。今、その要は動けない」
「ならば、すぐに砦を取り返すべきです。レキサス軍には、ヤーマスやリブロフが戻ったはず。二人を中心にすれば」
「フォーレ、それは出来ん」
「何故ですか」
「心して聞け」
 エルマンが、私に視線を合わせてきた。心して聞け。これは、私に向けて言った言葉なのか。
「レオンハルト大将軍とフランツ宰相が亡くなられた」
 心臓の音が聞こえた。じわりと、汗が全身からにじみ出てくる。気付くと、周囲の者が立ち上がっていた。
「誤報ですか。誤報でしょう、エルマン殿」
 誰かが言った。エルマンは首を横に振り、うなだれた。
 私は目を見開いたまま、動く事ができなかった。父が、死んだ。武神と謳われ、軍神と謳われ、生ける伝説だった父が死んだ。そして、父が死んだ事によって動揺している自分が、信じられなかった。父の死を渇望していたはずではなかったのか。老いぼれと蔑み、軍神と呼ばれる父を侮蔑していたはずではなかったのか。
 心の底のどこかで、私は父を尊敬していたのか。
「ハルトレイン」
 エルマンが私の名を呼んでいた。それで、自分が涙を流している事に気付いた。唇が震え、拳は握り締められている。
 この溢れ出る感情は、何なのだ。止めようと思っても、止まらない。
「レオンハルト大将軍は、逝く前に、儂を超えてみせよ、と言われたそうだ。誰に向けて言われたのかは分からん。だが、私はお前に向けて言ったのだと思う。どう受け取るかは、お前の自由だ。だが、お前は武神の子だ。これだけは、変えようのない事実だ」
 私は目を閉じた。父は何を想って、逝ったのか。それを考えようと思ったが、頭が回らなかった。混乱しているのかもしれない。
「今、国は戦が出来る状態にない。大将軍と宰相が、同時に亡くなられたのだ。軍権は、新たな宰相であるウィンセに渡っている」
 エルマンが、言葉を切った。
「これは、レオンハルト大将軍の遺志だ」
 私に対する当てつけのように、エルマンは言った。
 父の遺志というのは、少し違うだろう。おそらく、父はフランツに軍権を譲った。そして、フランツがウィンセに譲った。しかし、父は何故、軍権を軍人ではなく、政治家に渡したのか。
「待ってください、エルマン殿。何故、軍権が宰相に渡るのです。新たな大将軍はどうしたのですか」
「空位だ、フォーレ」
 父に代わり得る者が居ない、という事だった。だからこそ、父は大将軍に後任を充てなかった。そして、大将軍が居ないから、軍権は政治家に渡った。
 これでは、繰り返しだ。腐っていた時代の、繰り返しである。そもそもで政治家が軍権を握っていたから、メッサーナ台頭をここまで許してしまったのだ。軍権は、軍人が握るべきだ。政治家では、使いこなす事など出来るはずもない。しかし、それをここで喚いても、無意味な事だった。
「今、我々は下手に動けん。本来なら、すぐにでも軍を退きたいが、軍権はウィンセが握っている。だから、軍令を待つ」
 エルマンは口では軍を退きたい、と言ったが、その心中は違うはずだ。ここで軍を退かせる訳にはいかない。国の危急時であるからこそ、軍は前線で踏みとどまるべきなのだ。
 これを機に軍を退かせれば、メッサーナは勢いに乗じて猛烈に攻めてくる可能性がある。だから、今はハッタリでも前線に居なければならない。すなわち、エルマンは軍令を待つ、という大義名分を盾に、軍の撤退を遅らせたのだ。
「おそらく、メッサーナもこの情報は手に入れているだろう。あとは、相手がどう動いてくるかだ。実質的な戦闘能力をもぎ取られた獅子軍に援軍を送るのか、様子見をするのか。それとも、アビスで決戦を挑んでくるのか。我々の今後の動きは、軍令とメッサーナの動向で決める」
 エルマンがそう言って、軍議は終わった。
 父は死んだ。幕舎を出る時、私はふとそう思った。しかし、もう涙は出ない。出ようはずもない。すでに私は、先を見据えている。
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 シーザーが自らの命と引き換えに、ミュルス攻めの橋頭保を獲得した。この結果が良かったのかどうかは、まだ分からない。しかし、私の選択によって、シーザーは死に、ミュルス近郊の砦はメッサーナのものとなった。
 撤退という選択肢があった。獅子軍の急襲失敗の報を聞いた時点で、撤退を選んでいれば、シーザーは死ななかったかもしれない。しかし、ミュルス近郊の砦を奪う事も出来なかった。
 撤退の選択を否定したのは、軍師であるルイスだった。ルイスは、シーザーは必ずやってのける、と言い張った。論理も何も無い言い分であったが、不思議と真実味はあった。そして、他の将軍達も賛同した。いや、将軍達は端から撤退する気はなかっただろう。撤退を支持するとすれば、それはルイスのはずだった。しかし、そのルイスが撤退を否定したのだ。
 私はアビスで戦い続ける事を選んだ。この根底には、やはり獅子軍の強さに対する信頼があった。そして、クリスとシーザーの連携力に対する信頼もあった。
 何故、撤退を選ばなかったのか。そういう後悔がない訳ではない。私も獅子軍を、シーザーを信頼した。そして、ある意味で、シーザーは信頼に応えた。
「バロン王、私を罰して頂きたい」
 ルイスだった。幕舎の中に入って来て、いきなりそう言った。中に居るのは、私とルイスだけである。
「またか、ルイス」
 もう三度目だった。
「何度も言うが、罰する理由がない」
「シーザーの死は、私に責任があります。王の撤退に異を唱えたのは、私です」
「決めたのは私だ、ルイス」
「私の言い分に、理論的なものは何もなかった。軍師である私が、感情に押し流されたのです」
「くどいぞ。それで尚、私は戦い続ける事を選択した。お前を罰する理由はない」
「私は軍師失格です。ヨハンとの交代を希望したい」
「ならん。ヨハンは宰相だ。軍師ではない。お前にヨハンの政務が出来るか? 無理だろう。冷静になれ」
 ルイスは、自身のプライドを捨てていた。よほど、シーザーの死が堪えたのだろう。シーザーとは不仲であったはずだが、見えない部分で強い繋がりがあったという事なのか。
「それに今は戦時中だ。シーザーの戦死に動揺するのは分かるが、気をしっかり持て」
 もう、ルイスの方は見なかった。話すべき事は、何も無い。とにかく、シーザーは死んだ。その代わりに、ミュルス近郊の砦を奪った。それが、全てだ。
 しかし、このまま戦い続ける事は至難だろう。まず、獅子軍が機能しなくなった事が痛い。シーザーの後任となるような人物が、獅子軍の中に居ないのだ。獅子軍は型破りな構成で、副官なども配しておらず、指揮はシーザーに頼り切っていたという所がある。
 そして何より、メッサーナ軍全体の継戦能力の低下が著しかった。アビス戦線も、ひどく疲弊してしまっている。当初の予定では、ミュルス近郊の砦を奪った後、アクトの槍兵隊とレンのスズメバチ隊をミュルス攻めに回すはずだったが、この二軍の損耗が激しい。特にアクト軍は、軍の特性からか狙われやすく、負傷兵が他の軍の二倍は出てしまっている。
「バロン王、注進が参りました」
 幕舎の外に居る、従者の声だった。ルイスを下がらせ、伝令兵を通した。
 注進の内容は、レオンハルトとフランツの死だった。衝撃に似たようなものが私の胸中を走ったが、表情には出さなかった。
「分かった。下がれ」
 それだけを言い、伝令兵が幕舎を出てから、私は目を閉じた。
 二人の英傑が、この世を去った。軍事と政治の巨星が、同時に堕ちる。これは、大変な事を意味するのではないのか。いや、もしかしたら誤報なのかもしれない。むしろ、計略という可能性もある。だから、情報を鵜呑みにするのは危険だ。
 しかし、その後も注進は入り続けた。死因もはっきりし、レオンハルトは病で、フランツは毒で死んだらしい。すでに二人が死んでから、十四日が経っている事も分かった。
「諸将をこの場に。至急、軍議を開く」
 従者を呼んで、私はそう言った。
 死にそうにない人間が、急に逝く。シーザーがそうだし、ロアーヌもそうだった。レオンハルトなど、病ですら超越するのではないか、と思っていたほどだった。しかし、死んだ。
 死というものは、誰にでも平等に訪れる。当たり前の事だが、改めて痛感した。レオンハルトですら、死んだのだ。
 すぐに、全員が集まった。軍議の間も、臨戦態勢は解かない。敵は、いつ動いてくるか分からないのだ。
「単刀直入に言う。レオンハルトと、フランツが死んだ」
 その場に居た全員が、どよめきに近い声をあげた。
「あの、武神が」
 声を漏らしたのは、シルベンだった。私と同じく、この中では最も長く官軍に居た男だ。どこか、感じ入る所があるのだろう。
 ふと、レンの顔が目に入った。残された右目を、閉じている。
「この所、官軍側に動きがなかったのは、それが要因だったのですね」
 アクトだった。さすがに冷静な分析である。この所、官軍側から攻め入ってくる事は、極端に少なかった。犠牲を抑えようとしているか、もしくは何か策があるのか、と疑っていたが、辻褄はこれで合う事となる。
「問題は、これからだ。無論、戦い続ける事が上策だとは思うが、見た所、官軍側に乱れはない」
 攻め入ってくる事は少ないものの、弱体化しているという訳ではない。単に戦術を変えてきただけの事なのだ。すなわち、攻めを取り払い、守りに専念してきた。これを崩すのは、骨である。
 そして、私達にも戦い続ける余力は無い。兵の疲弊損耗、士気の低下。深い所まで見れば、国力の消耗もある。ヨハンは何も言ってこないが、内政面でも苦しい事になっているのは目に見えていた。
 それでも、それでも獅子軍が無事であれば、次の戦略も立てられたはずだった。
「バロン王、本当に戦い続ける事が上策でしょうか」
 右目を開いた、レンが言った。
「アビス戦線は膠着状態に陥り、ミュルス戦線も攻め入る力がない。今回の報は、確かに俺達にとって有利に働く要素ですが、肝心の前線に居る官軍に乱れが無ければ、戦い続ける事が上策とは思えません」
 レンの言った事は、至極真っ当なものだった。現状は、好機でありながら好機でない。いや、選択肢の幅が狭い、と言うのが正直な所だ。戦い続けるか、否かの二択しか無いのだ。
 ただ、官軍側からしてみれば、現状をどうにか打破したい、というのが第一だろう。つまり、戦をやめる。前線はどう考えているかは分からないが、都に居る人間からしてみれば、今は戦などやっている場合ではないはずだ。
「ここは耐え時です。王は戦い続ける事が上策と言いましたが、これはあながち間違ってはいない」
 ルイスだった。眼に才気の色がある。
「無闇に戦は仕掛けず、ここに留まるべきだ、と私は進言します。そうすれば、相手も動かざるを得なくなる。相手、というのは軍ではなく政治の方です。レオンハルト亡き後の軍権の所在が気になるが、いずれにしろ政治との連携は絶対に外せない」
「ルイス、お前の考えを聞こう」
「講和の使者を送る。すなわち、停戦協定を結ぶ」
 そう言ったルイスの眼は、鋭い光を放っていた。
 今、国は難しい局面に立たされていた。私の師であるフランツが死に、軍の象徴であったレオンハルトまでもが死んだのだ。そして、戦線を二つも抱えている。
 この状況を、どうするのか。宰相としての最初の仕事は、そう容易いものではなさそうだった。しかし、だからこそ、やる価値があるとも言える。フランツの後任として、ウィンセは適格なのか。周囲は、私をそういう目で見ているだろう。
 私が宰相になったのは、いわば出来レースのようなものだ。フランツは、ずいぶん前からそういう根回しをしていた気配があり、フランツの死後、私は当然のように宰相の座につくことになった。それだけでなく、軍権までもが委譲された。これは、莫大な権力である。今の私は、政治と軍事の最高権力者なのだ。
 かつては、フランツもそうだった。元々、軍権は歴代の大将軍らが握っていたはずだが、いつからかフランツが握る事になっていたのだ。もしかしたら、レオンハルトが自ら放棄したのかもしれない。私の知るレオンハルトは、権力などには興味を示さなかった。戦が好きで、武人としての誇りを持っていた。真の意味で、軍人らしい軍人だと言えただろう。
 一方のフランツは、根っからの政治家だった。派閥内での立ち回り方や、民心の得方など、自らの立場や権力に対しては驚く程に敏感だったのだ。特に、自らの敵となり得る人物を見抜く力がずば抜けていた。このおかげで、政敵を早めに潰し、宰相の座を死ぬまで守り抜いた、という所がある。もちろん、これは卓越した政治手腕があったからこその結果でもある。
 そして私は、政治家でありながら、軍人でもあった。私はフランツの意向で、若い頃から軍事にも積極的に関わるようにしていたのだ。期間は長くないが、南方の雄と呼ばれたサウスという将軍の副官を務めた事もある。
 自らの経歴は、誇りにしていた。そして、フランツが私を見込んでくれた事にも、感謝している。今の宰相という立場は、間違いなくフランツの遺産であり、私一人の力ではこうはならなかっただろう。
 政治家と軍人。私は、この二つの立場を経験してから、軍権は軍人に持たせるべきではない、と思っていた。軍人に軍権を持たせると、暴走する危険性が付きまとう事になる。すなわち、政治よりも戦を優先させてしまうのだ。
 戦をやるには、内政が整っている事が絶対条件である。軍費がなければ、軍は動く事も出来ないからだ。しかし、政治を知らない軍人は、内政を無視して闇雲に軍を動かしかねない。もっと言えば、逆説的だが、軍を動かせば金が入るのだ。だから、無理にでも軍を動かそうとする可能性が出てくる。
 さらに、今の国王は傀儡である。一旦、軍が暴走すれば、止めるのは難しい。だからこそ、政治家が軍権を握るべきだった。その上で、戦は軍人に任せれば良い。
 フランツは、権力を握った上で戦までもやろうとした。戦略を描き、実際に戦をやる将軍すらも、自分で決めていた。これは能力がありすぎたからだ。フランツは能力があったが故に、全てを自分でやろうとする所があったのだ。
 私には、フランツほどの能力は無い。だからこそ、戦は軍人に任せる。その上で、権力だけは保持すれば良い。
 だが、全ては今の状況を切り抜けてからだった。とにかく、今の国は戦をやっている場合ではないのだ。
 フランツとレオンハルトという、国の二大巨頭が一度に亡くなった。まだ表面化はしていないが、民は動揺しているだろう。その上で、戦までもやっている。
 民心を落ち着かせる為にも、ひとまずは軍を引き上げるのが先決である。しかし、理由が必要だ。一度、軍を引き上げろ、という命令書をエルマンに送ったが、ここで退けばメッサーナ軍が勢いに乗じて攻め込んでくる、という憶測とも呼べる理由で拒否の返書を寄越してきていた。
 しかし、今のメッサーナに、攻め込んでくる余力があるのか。獅子軍のシーザーが戦死し、アビス原野では消耗戦が続いているのが現状なのだ。ただ、報告だけの世界なので、見えない部分は多々あるだろう。軍人だった頃を思い出せば、それは嫌でも頭に浮かんでくる。
「宰相殿、よろしいでしょうか」
 思案に耽っていると、室外から声が掛かった。
「どうした?」
「メッサーナから書簡です」
 その言葉を聞いて、私は何かが頭に引っ掛かるような感覚を覚えた。
「入れ」
 従者が扉を開け、部屋に入ってくる。
「メッサーナの書簡というのは?」
「こちらです」
 従者が差し出してきた書簡を受け取り、中身を確認した。
 書いてある内容は、平たく言えば講和だった。しかし、限りなく降伏勧告に近いものである。最初こそ、レオンハルト、フランツの両名の死に対して敬意を払い、戦をやめようと持ち掛けてはきているが、戦の情勢はメッサーナ側に向いているとし、すぐに軍を退け、と書いているのだ。軍さえ退けば、追撃を含む攻撃はしない。その後、期限付きで講和を結ぶ。しかし、軍を退かなければ、ただちにミュルスに向けて進軍、攻撃を開始する、とも書いている。
 そして、最後にはバロンの署名が成されていた。つまり、メッサーナは国の威信を賭けている。ハッタリではない、と暗に示しているのだ。
「足元を見ているな。丁寧な言葉で書き連ねてはいるが、内容はとてつもなく横暴だ」
 私は、書簡を机の上に叩きつけた。それを見た従者が、僅かに緊張の色を顔に浮かべた。私が軍人を経験している事から、八つ当たりされると恐れたのだろう。軍人の中には、無闇に従者に当たり散らす者も少なくない。
 腕を組み、目を閉じた。
 書簡の内容は確かに横暴だが、メッサーナがミュルスに攻めてくる可能性は十分にあるだろう。メッサーナの国力を考えた時、民から絞り取る、という条件を加えれば、余力は十分にあるはずだ。
 ならば、攻めてきた場合、守り切れるのか。レキサスとノエルの組み合わせなら、という思いはある。だが、問題は軍費だ。少なくとも、アビス原野の軍を引き上げなければならない。いや、その前に民心である。今の状況で、ミュルスにメッサーナがやってくれば、それこそ民は恐慌状態に陥るだろう。
 講和に乗るのが最善、という事なのか。だが、書簡の内容をそのまま鵜呑みでは、条件が悪すぎる。現状で軍を退けば、都とミュルスの喉元に刃を突き付けられる事と同義なのだ。
 最上は、メッサーナ軍を北の大地とコモン関所にまで退かせる事だ。つまり、領土関係を戦の前と同じものにする。
「この書簡は、ある意味では好機になり得る、か」
 独り言を呟いた。フランツは、よく考え事をしながら独り言を呟いていた。
 メッサーナが講和を求めてきたというのは、好機になり得るはずだ。
「交渉だな。いくらか、ハッタリを噛ませる必要もあるだろう」
 また、独り言だった。
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 兵達の間で、休戦協定が結ばれようとしているという噂が流れていた。この噂の真偽の程は分からないが、現状を見れば信憑性はあると言って良いだろう。対陣中でありながら、ぶつかり合いが全く無いのである。というのも、官軍側に動きが無いのだ。ならば、こちらから攻めれば良いと思うのだが、レンは敵の守りが堅いとして、無闇には仕掛けられない、と言っていた。
 しかし、それが理由だとしても、全く攻めないというのは、どこかおかしいという気がする。ミュルスの方も、戦線を堅持するだけに留まっているのだ。これについては、攻めの要である獅子軍が動けないからだ、という話らしいが、それならそれで援軍を送れば良いのではないか。
 もし本当に休戦協定が結ばれる事となれば、獅子軍の兵達は何を想うのか。将軍であるシーザーを失った獅子軍は、すでに次の戦へと気持ちを昂ぶらせているはずだ。特にニールはそうだろう。しかし、休戦が決まってしまえば、一気に興が削がれる事になる。
 ただ、とにかく今は対陣だけで戦がなかった。戦がなければ、余計な事を考える時間も増える。それで兵達が勝手な事を思い付き、勝手な噂を流した、という事も有り得るだろう。
 余計な事を考える、というのは俺も例外ではなかった。レンに一度、かなり厳しく叱られた事について、色々と考えてしまうのだ。リブロフを深追いして、独りで戦った事である。その時は、さすがにリブロフを討てる、とまでは思わなかったが、適当に暴れて抜け出る事は難しくない、と思った。それで実際にやってみせたのだが、レンにはあまり良く思われなかったらしく、叱責されたのである。
 正直、あの時は俺も叱責される事については納得が出来ていなかった。何か言い返そうと思ったが、反論は許されず、そればかりか殴り飛ばされてしまったのだ。
 その時のレンの怒りは、命令違反についてだった。確かにあの時、レンは敵陣突破の指示を出していた。つまり、離脱である。それを俺は独りで敵と向かい合ったのだ。そう考えれば、レンの怒りも分かる気がした。
 しかし、俺自身はまだやれる、と思ったのだ。あまりこういう事までは考えたくなかったのだが、レンの指揮は丁寧すぎるという気がする。優等生っぽいというか、欠点は無いが、特筆すべき美点も無い。そういう指揮なのだ。良く言い換えれば万能という事だが、俺にとってはこれがどうしても物足りない。
 だが、この事は考えた所でどうしようもないだろう。スズメバチ隊の総隊長はレンであり、レンの指揮が全てなのだ。その指揮が嫌ならば、あとは部隊を変えるしかない。しかし、スズメバチ隊以外の部隊に魅力を感じるのかと言うと、そうでもないのだ。あえて言うなら、バロンの弓騎兵隊だが、俺は弓術が得意ではない。
 人というのは不思議なもので、こういう事が一度でも気になると、尾を引いて気になり続ける。それまでは、レンの指揮は絶対なものだと思えていたのだ。
 レンに呼び出されたのは、そういう心境の時だった。
「兄上、俺に話があるというのは?」
 幕舎の中である。珍しく、副官のジャミルが居ない。兵達の間を回って、士気を保とうとしているのだろう。ジャミルは、兵から人気のある将校だった。
「あぁ。まだ、これは誰にも言っていないのだが」
「はい」
「シンロウが、獅子軍に行く事になった。将軍としてな。つまり、シーザー殿の後任だ」
「それは」
 上手く言葉が出なかった。あのシーザーの後任である。さらに言えば、レンと同じ将軍格という事だ。これは、大抜擢である。スズメバチ隊の指揮官として実戦を重ね、軍功を上げた事が認められたのだろう。それにシンロウは、元は獅子軍の兵だったと言っていた。つまり、古巣に帰るという事になる。
「何故、その事を俺に? まだ誰にも言っていないのでしょう」
「シンロウの後任に、お前を据えようと思っているのだ、シオン」
 俺を小隊長にあげる。レンは、そう言っていた。しかし、命令違反の件があるはずだ。
「兄上、俺は命令違反を犯しましたが」
「分かっているさ。だが、それ以上にお前は前線で他の兵を鼓舞していた。軍というのは、指揮官以外にも中心となり得る者が出てくる事がある。お前の場合は卓越した武で敵を蹴散らし、味方を知らない内に率いている。これは、指揮官としての資質の一つだ」
「そうなのでしょうか。自覚はありませんが」
「言われて気付くという事が多い。それに、命令違反の件は、一度の過ちだと俺は思っているよ。とにかく、お前を兵卒のままにしておく訳にはいかないのだ。これはジャミルも同意見だ」
 そう言って、レンが俺をジッと見つめる。その視線がどことなく不安を煽ってきたので、俺は思わず目を逸らした。
 小隊長に上がるのは、悪くはない。レンの言った事が関係しているかは分からないが、今のまま兵卒で居るより、ずっと力も発揮できるという気がする。しかし、それでも結局はレンの指揮下である事は変わらない。これが、どうしても引っ掛かる。
「嫌なのか、シオン?」
 怪訝な表情を浮かべながら、レンが言った。レンは、あの叱責について、どう思っているのだろうか。命令違反のくだりを聞く限り、もう済んだ事だという風に捉えていて、俺のようにあれこれと考えてはいないかもしれない。
「いえ、そういう訳ではありませんが」
「不満があるなら、言ってくれ。出来る限り、善処する」
 言われて、俺は俯くしかなかった。指揮が物足りない、など言えるはずもない。それに、俺は兵卒なのだ。兵卒が将軍に対して、指揮に意見して良いのか。
「まぁ、この場で結論を出せとは言わん。あくまで、計画レベルの話だからな。しかし、シンロウの獅子軍行きは決定だ」
 獅子軍の新生は揺るがないという事だった。ならば、今後の戦運びはどうなるのか。
「兄上、兵達の間で、停戦協定が結ばれようとしているという噂が流れています」
「その事か。どこから漏れたのかは分からないが、本当の話だよ」
「そうですか」
 レンがあっさり喋ったという事は、もうかなりの所まで話が進んでいるのだろう。となれば、ニールは悔しい思いをする事になる。父を失ったのに、その仇討ちが出来ないのだ。
「シオン、もう一度だけ言うが、不満があるなら言ってくれ。でないと、俺も改善できないからな」
「はい」
 返事はしたが、それ以上は何も言えなかった。レンの鋭さに対して、ちょっと苦笑いしただけだ。
 僕は宰相府に居た。メッサーナ軍との戦に敗れ、一度はミュルスに戻ったのだが、新宰相であるウィンセに呼ばれたのだ。敗戦の責を問われるのだ、と思ったが、今の所はそんな感じは見受けられない。ウィンセとの面談がまだというのもあるが、扱いが客人のそれと大差ないのだ。
 僕としては、早くミュルスに戻りたかった。メッサーナ軍が、ミュルス近郊の砦で身構えている。シーザーを討ち取ったとは言え、攻め込んでくる可能性は十分にあるだろう。
 シーザーを討ったあの戦は、僕の予想を何度も超えた。頭で思い描く通りにいかない。これが、当たり前だったと言って良い。特に落石でシーザーを討ち漏らした時は、完全な敗北を覚悟したものだ。獅子軍の底力を、肌で感じたのである。
 しかし、咄嗟にシーザーだけは討とう、と思った。むしろ、討てると確信した。いや、確信したと言えるのは、討った後だからだろう。あの時は、とにかく討つしかない、と考えただけだったのだ。それで僕は、門で待機していた弓兵を総動員し、シーザーだけに的を絞らせた。
 結果、シーザーだけは討てた。それでメッサーナ軍の勢いが弱まった、という所は確実にある。しかし、砦を奪われた。戦略面で言えば、これは痛手である。メッサーナがミュルスに王手をかけたという事に繋がるからだ。代わりにシーザーを討ったとは言え、地理と人では話が違ってくる。
 それにメッサーナに人が居ない訳ではないだろう。レキサスなどは、メッサーナは後進が育っていない、と言っているが、それでもゼロではないのだ。
「ノエル殿、宰相室にどうぞ」
 僕を呼びに来たのは、ウィンセの従者らしき男だった。
 ウィンセについては、あまり詳しくない。地方に居ると、都の事はどこか上の空のようになってしまう。これは、政治が別々に為されているからだ。地方は地方であり、都は都なのである。つまり、政治体系が分離していて、一つにまとまっていない。
 今の国の状態で、メッサーナに対抗できる訳がなかった。メッサーナの政治は、ピドナが中心ではあるものの、本質は一つにまとまっている。北の大地も、かつての本拠地であったメッサーナも、政治はピドナと連動していて、乱れも皆無なのだ。
 ウィンセは、この部分を改善する気があるのか。少なくとも、前宰相のフランツは改善しようとはしていた。しかし、地方の役人は腐っていて、上手くはいかなかったようだった。ウィンセは、このフランツの弟子だという。
 宰相室の前まで誘導され、従者が扉を開けた。そのまま、部屋の中に通される。
「ノエルです。ウィンセ宰相」
 拝礼して、僕は顔をあげた。ウィンセと目が合う。それで、この男は意外に若いのだ、と思った。まだ五十にもなっていないだろう。
「国の宰相が若いので、どこか不安になったか?」
 皮肉めいた笑みを浮かべながら、ウィンセが言った。どうやら、表情に出ていたらしい。しかし、それを読み取った辺り、鋭いモノも持っている。
「今まで、多くの者がお前と同じような表情を浮かべただけだ。私に鋭さは無いよ。経験をきちんと自分のモノにしているだけだ」
 言われて、僕は苦笑するしかなかった。さすがに、その若さで国の宰相を担うだけの事はある。
「シーザーを討ったそうだな、ノエル」
「はい。しかし、天佑(思いがけない幸運の意)でした」
「それは違う。お前の知略での成果だ。まだ私が若い頃、シーザーとやり合ったが、わき腹を突くのがせいぜいだったな」
 聞いて、ウィンセは昔は軍人だったのだ、と思った。
「お前がシーザーを討ってくれたおかげで、いくらか状況は好転しようとしているのだ」
「どういう事でしょうか?」
「メッサーナとの戦を、やめようと思っている。期限付きだがな。お前を呼び出したのは、この件について意見を聞くためだ」
 休戦、という事なのか。ただ、ウィンセの口調から察するに、もうほぼ決まっている事なのだろうと思えた。ならば、僕に何を聞こうというのか。
「休戦を持ち出してきたのは、メッサーナからだ。ただし、条件があった。この条件について、押し合いが続いている。そして、お互いにこれ以上は譲歩できない、という所まで煮詰めた」
「その条件とは、戦線の事でしょうか?」
「そうだ。我々が提示した条件は、メッサーナがアビスから軍を退く事。そして、メッサーナ側の条件は、ミュルス近郊の砦より前面に軍を常駐させる事だ」
 言われて、僕は唸った。メッサーナの条件を飲んでしまえば、ミュルスは常に戦の危険に晒される事になる。それに常駐となれば、軍事拠点を新たに作られてしまうだろう。
「私が聞きたいのは、メッサーナからミュルスを守れるか? という事だ。ミュルスは知っての通り、物流の最重要拠点だ。ここを奪われると、国は倒れる。つまり、自壊する」
「期限の話はどうなるのでしょう?」
「ノエル、古来より同盟だとか休戦の協定というのは、当たり前のように破られ続けている。だから、信用できん」
 言い換えれば、自分達も破る可能性がある。ウィンセは、何となくそう言っているような気がする。そしておそらくだが、今回の協定は、両国が無傷で軍を引き上げる為の口実という面が強い。
「守れるかどうかは、正直な所、分かりません。とにかく、今は都と地方で格差がありすぎます。軍一つを取ってみても、都はほぼ全てが精強ですが、地方はそうではありません。そして、メッサーナ軍は精強です。そもそもで、それでは条件が悪すぎませんか? 少なくとも平等ではありません」
「当たり前だ。我々はフランツ、レオンハルトと二人の英傑を一度に失ったばかりか、砦さえも奪われているのだ。また、国内が乱れているせいで、軍を戦線に置き続ける事も難しい。一方、メッサーナにはそういった枷が無い。もっと言えば、アビスから軍を退かせる事が出来るのも、シーザーを討って獅子軍の機能を奪った事から起因している」
 正論だった。今の国は、戦ができる状態ではない。それ所か、戦線を維持しているだけでも驚愕すべき事だろう。
 それにウィンセの口調からは、何か必死さに似たようなものがにじみ出ていた。それだけ苦労しているという事なのか。交渉事というのは、時にハッタリが重要になる。アビスから軍を退かせる、という一点の獲得だけでも、何枚ものハッタリを噛ませたのかもしれない。
 ハッタリを噛ませているのなら、急がねばならない。看破されれば、それはそのまま弱味に直結するからだ。
「都からの援助は期待できるのでしょうか? というより、地方と都で分離している時ではないでしょう」
「無論だ。そして、今後はそういった面を主に改善していかなければならん。師とは別のやり方にはなるだろうが」
 そう言ったウィンセは、口元だけに笑みを浮かべていた。表情には、自信が見える。
「分かりました。いずれにしろ、僕からは守り抜くという回答をするしかありませんでしたが」
「苦労をかけるな。本来ならば、レキサスに話を通すべきなのだろうが、軍人に話せる内容ではなかった」
 ウィンセは、軍人を信用していないのだろう。確かに軍人の多くは、単純に戦をやりたがる、という気質がある。だから、休戦という話はしにくい。しかし、レキサスは違う。軍人でありながら、その視野は多面的なのだ。
「ウィンセ宰相、レキサス将軍はそういう人ではありませんよ」
 僕がそう言うと、ウィンセは僅かに目を丸くした。
「そうか。それならば、会ってみたいな」
 そう言ったウィンセに、僕は一度だけ頭を下げた。
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