トップに戻る

<< 前 次 >>

第十六章 武神への道

単ページ   最大化   

 南に赴任してきて、すでに数ヵ月が経過していた。しかし、戦果と呼ばれるものは、未だ何一つとして挙げられていない。というのも、戦どころではなかったのだ。意気揚々と五千の精兵と共に南に入ったまでは良かったが、戦よりも先に生活に悩まされたのである。
 南の地の気候は特殊で、日照りの時間が異常に長い。また、湿気も凄まじかった。この影響なのか、間もなくして、連れて来た五千の兵のほとんどが疫病にかかってしまった。中には死んでしまう者も居て、そればかりか、私自身も腹を下して、寝込んだ事もあった。
 最大の敵は、湿気だった。この湿気のせいで、とにかく食い物が腐る。持参してきた兵糧の類も、一ヶ月と保たなかった。そして、水を飲むと腹を下す。疫病も、ほとんどはこの水が原因だった。
 異郷の人間は、風土に馴染めない。現地の兵達は、口を揃えてそう言った。まず、生活そのものが、他の地域とはまるで違う。特に衣食住についてはそうで、基本的に着るものは風通しの良い薄手のものであるし、家などは茅葺きのような屋根を用いていて、風が入りやすい構造となっていた。
 そして、食い物にはとにかく火を通す。これは必須と言っても良いらしい。当然、水も例外ではなく、一度は沸き立てる必要があるらしく、これを怠ると私のように腹を下したり、最悪の場合は死に至るという事だった。
 南の地は、想像以上だった。何が、と問われると答えに窮するが、単純に異民族と戦って勝つ、という事では終わらなかったのだ。
 何度か、異民族とは交戦したが、まともな戦は出来なかった。まず、私の兵が使えなくなったのが痛い。兵達が南に馴染めないと判断した私は、生き残りを全て都に戻したのである。
 自分の兵が使えないせいで勝てない、とは言わないが、間違いなく出鼻は挫かれている。しかし、これでも最初に比べると幾分かはマシになっていた。
 今は勝てないだけだが、元々は負けっぱなしだったのだ。攻められたら、ひとたまりもなかったのである。私自身が南での生活に馴染めてなかった事もそうだが、南の軍は長い間、戦をやっていなかった。そのせいで、兵は想像以上に弱体化していたのである。つまり、実戦を忘れていたのだ。それで、異民族には良いように弄(なぶ)られた。
 元々は、異民族とは金で懐柔していた。だから、すぐに戦にはならないだろう、と思っていた。もっと言えば、私が仕掛けるまでは大人しくしているだろうとさえ、思っていた。
 しかし、この考えは甘かった。異民族は新任の将軍、つまりは私がやってくる事を知ると同時に、即座に戦を仕掛けてきたのである。そうやって、自分達の力を見せつけてきたのだ。これは言い換えれば、それを許してしまう程、この国の軍は舐められている、という事だった。そして、現に私も負けた。
 異民族の戦は、メッサーナのそれとはまるで違う。まず、少数である。戦場は原野ではなく、密林である事が多いため、大軍での戦をやる必要が無いのだ。そして、少数である利点を最大限に活かしてくる。主には奇襲だが、退くのも上手い。まとまって逃げるのではなく、四散するような退き方なのだ。これは戦場が密林だからこそ、有効な撤退方法である。
 一度だけ、追撃をかけてみたが、そこには大量の罠が張り巡らされていて、むしろ、こちらが損害を被ってしまうだけだった。
 これらの教訓を活かし、今では防戦だけに集中して、要所には罠を張り巡らせるようにした。見晴らしを良くするため、木々なども切り倒したので、奇襲を受ける回数も減っている。それでも、攻められると未だに兵は肝を冷やす。南での生活はともかく、長らく実戦から遠ざかっていた者たちである。そういう観点から考えれば、これは仕方がないと思うしかなかった。
 昔の私なら、そんな兵達に虫唾を走らせて、大隊長辺りに不要な叱責をしていただろう。そう考えると、自嘲に似た思いが込み上げてくる。
 今の兵達は、自分の力に自信がない。だから、戦が起きると縮こまる。しかし、これは克服できる事だ。調練を経て、自分たちは強くなった、と思えるようになれば、多少の事では動じなくなる。そして、実際に戦って勝てば、異民族を蹴散らしてやる、という闘志も芽生える。
 とにかく、今は負けないだけ、マシになったと考えるべきだった。事態は僅かではあるが、改善されているのだ。異民族も、今までとは何かが違うと感じたのか、こちらに対する警戒心が強くなっている。
「ハルトレイン将軍、野蛮人どもに対する方策は見つかりましたか?」
 ヴィッヒが幕舎の中に入ってきて言った。
 ヴィッヒは、南の地の太守(長官)だった。つまり、南の地の統治を任されている者である。歳は四十後半といった所で、吊り上った目が特徴的だった。政治家のため、戦は出来ないが、知恵は働く。
 ただ、その人格はあまり良くない。愚痴や陰口が多く、常に誰か悪者を作っておかないと落ち着かない性質なのだ。他にもちょっとした事で機嫌を損ねたりと、矮小な印象が強い。
 しかし、政治能力は確かなもので、地方の役人にしては珍しく、不正もやらない。また、上に媚を売る事もしないが、人格のせいでそれが良い印象となる事はないだろう。
 南の地はヴィッヒの統治で持っていたが、異民族による治安の悪さは国内でも有名だった。しかし、これは仕方がない。異民族と戦う力を、国が持っていなかったのだ。
 ヴィッヒは、異民族とは金で懐柔していたが、これも政治判断という意味では正解である。戦う力もないのに、抗戦の構えを取れば、余計な被害を生んでしまうし、最悪の場合は領土を奪われていた可能性もあるのだ。
 そういう事を考えると、ヴィッヒの能力は認めて然るべきだろう。異民族という癌を除けば、善政を敷いているとも言える。また、そんなヴィッヒを南に起用したレキサスも切れ者である。
 ヴィッヒのような者は、まともな所ではまず力を発揮できない。人格を槍玉に挙げられて、疎まれるのがオチだ。しかし、南の地では違う。怨嗟の対象が異民族であるため、ヴィッヒの人格もそれほど目立たないのだ。
「やはり、現状は兵を鍛えるしかない。今のまま、戦に持ち込んでも無残に負けるだけだ」
 幕舎は、木の柱に茅葺きの屋根を取り付けただけの粗末なものだった。ただ、風通しは良い。
「まったく、野蛮人どもめ。金をチラつかせると、犬のように尻尾を振っていたくせに」
 ヴィッヒの中の今の悪者は、異民族だった。いや、この地にやって来た時から、そうだったのだろう。
「将軍がやって来ると同時に、戦を仕掛けてきたのも腹が立つ。舐め腐っていますよ、あの野蛮人どもは」
「それだけ自信があるのだろう。自分達の強さと戦のやり方にな」
「しかし、ようやく金を渡さずに済むかと思うと、胸がすきますな。あとは屈服させるだけです」
「それが難しいのだ、ヴィッヒ。せめて、サウス将軍の兵が居れば良かったのだが」
 レキサスが地方の軍団長となって、サウス軍は解体されていた。いや、正確にはサウスが死んだ時点で解体されていて、その後で然るべき所に配属の見直しが行われたのだ。そして今では、その兵達の多くは退役している。
「実際に戦ってみると、異民族は手強い。守るだけなら難しくはない、という所まで気持ちの余裕は出来たが、攻めて勝てるか、となるとな」
「弱気ですな、将軍。まぁ、確かにサウス将軍は攻めて勝ち続けておられた、という話ですがね」
 サウスは、どうやって戦っていたのか。まだ私が童の頃、サウスに従軍した事があったが、あの男の戦は老練という印象が強かった。もっと他にも感じ取る事はあったはずだが、あの頃の私にそんな余裕はなかった。今では余裕がない、と表現できるが、当時は必要ない、とまで思っていたような気がする。
「とにかく、兵を鍛えよう。異民族の戦い方を見ていて、調練の方針も何となく見えてきた」
 少人数での戦が中心となるのなら、大軍の調練はそれほど必要ない。むしろ、肝となるのは個々の武芸である。そして、軍も小隊制にして、小回りが利くようにした方が良い。だから、調練もそれに準ずる形となる。
「そうですな。しかし、野蛮人どもは、脳みそがない。だから、すぐに戦を仕掛けてくる。屈服させた後は、あいつらに教育というものを」
「ヴィッヒ、私は兵を鍛える。政治の方は任せたぞ」
 そう言って、私は幕舎をあとにした。
 ヴィッヒの愚痴は、喋り出すと長いのだ。
 懐かしい顔だった。そして、心のどこかで待ち望んでいた顔でもあった。
「ハルト、久しぶりだな」
 フォーレである。都の旧レオンハルト軍に属していたはずだが、たった一騎でこの南の地にやって来たらしい。
「どうしたのだ、フォーレ? お前はエルマン殿の麾下だったはずだろう」
「それだが、残念な事に外されてしまったよ」
 そう言って、フォーレが白い歯を見せて笑う。この笑顔も懐かしかった。思えば、私が都を離れてから一年が過ぎようとしているのだ。
「降格処分でも受けたのか?」
「まさか。お前じゃあるまいし。詳細はよく知らないが、ウィンセ宰相の命令だって事は確かだな」
 今、国の軍権は宰相であるウィンセが握っていた。これは旧レオンハルト軍も例外ではなく、当然、エルマンもその範疇に入る事となる。
 今回の異動の件は、フォーレの言い方から察するに、エルマンは反対したのだろう。フォーレは実力のある将軍だし、何よりも若い。エルマンが手元に置いておきたい、と思うのは当たり前の事だ。
 今のエルマンは死んだ父の後釜だと目されているが、持っている力はそれには遠く及ばなかった。これは権力という意味だが、ウィンセにかなり削られてしまっているのだ。
「しかし、どうして南に?」
「それは俺が聞きたいぐらいだ。旧レオンハルト軍の軍籍を剥奪されたかと思うと、次はレキサス将軍の麾下だぜ」
「ならば、私と一緒だな。安心しろ、レキサス将軍の器量は相当なものだ。おそらく、エルマン殿よりも優れているぞ」
「そのレキサス将軍からも命令を受けてるよ」
「どういう命令だ?」
「お前の副官をやれって命令だ。つまり、俺はお前の下だ」
 そう言って、フォーレは大声で笑った。そんな姿が、私には新鮮だった。以前のフォーレは茫洋としている印象が強かったのだ。しかし、今のフォーレは、どこか豪快さのようなものを伴っている。しばらく会っていなかった内に、性格が変わったのかもしれない。
 しかし、私の下に就くというのはどうなのか。旧レオンハルト軍の頃は、同格の将軍だったのだ。私は構わないが、フォーレは内心、穏やかではないだろう。ただでさえ、地方軍に左遷となったのに、さらに将軍ですらもなくなったのだ。
「ハルト、そんな顔をしてくれるな。俺は別にこれで良いと思ってるよ。レオンハルト大将軍の居ない都の軍なんて、大した価値は無い。かといって、地方軍で将軍をやるにしても、力を持て余すだけだ。それなら、お前の副官をやっていた方がマシだからな」
「そうか。いや、正直に言うと、私は助かる。ここは色々と想像以上でな」
「らしいな。実はさっき、ここの太守らしい奴に、新入りかと聞かれたよ。そうだと答えたら、自分が太守だ、と宣言された」
「ヴィッヒだな。狭量だが、能力は確かな男だよ。仲良くしておいて、損はない」
「お前、見た目も偉く変わったと思ったが、中身も変わったな、ハルト」
 そう言われて、私は苦笑するしかなかった。見た目は日焼けと半裸の格好のせいだが、中身については色々な人間に散々、言われてきたのだ。会った事もない人間に、イメージと違う、とまで言われた事もある。
 それだけ、過去の私はおかしな人間だったのだろう。確かに、父という名の壁を前に立ち止まっていた頃の私は、自分でも良いイメージはわいてこない。
「異民族とは戦ったのか?」
「一応な。しかし、こちらから攻めるような事は、しばらくしていない。そろそろ、動くべき時かもしれん、とは思っていたが」
 あれから、調練で兵は鍛え続けてきた。精鋭とまでは言えないが、十分に戦う事は出来るというレベルにまでは仕上げている。そのおかげか、異民族の奇襲を受けても、それほど兵が混乱する事も無くなった。
 ただ、指揮官の数が足りなかった。小隊はともかく、大隊の指揮をする人間が私以外に居ないのだ。そうなってくると、やれる戦はどうしても限られてくる。しかし、フォーレが来てくれれば、かなり状況は改善される事になるだろう。
 大隊を二つ作って、一つを私が指揮、もう一つをフォーレが指揮、という形にする事が出来るのだ。ただ、そうするにはフォーレにも南の地の戦を知って貰わなければならない。
「フォーレ、ひとまずは戦をやってみるか」
「俺はそのつもりで来てる。ただ、大活躍は期待しないでくれ。ここに来る前に、嫌というほど、エルマン殿に脅されたからな」
「それは私もだよ、フォーレ。まぁ、しばらくは、私の麾下に居てもらう。それに、そろそろ斥候が戻ってくる時間だ」
 斥候はほぼ毎日、放っていた。さすがに放つ時間まではバラバラだが、異民族の動向を知るのに斥候は必要不可欠なのだ。
 異民族は密林の中にいくつかの拠点を持っているらしく、その内のどれかにハーマンという男が居るとの事だった。このハーマンが、要するに異民族の頭である。仲間からは大王と崇められており、相当な巨躯らしいが、それ以外の情報が不足していた。ハーマンは一つの所に留まる事はせず、居場所を次々に変えており、時には身代わりを使う事もあるのだ。
 斥候が情報を持ち帰ってきた。近隣の拠点で小規模ではあるが、襲撃の動きを見せているという。最初は、この動きすら捕捉できなかったが、今では捕捉できない事の方が少ない。それだけ、南の軍のレベルも上がっているのだ。
「おそらく、今夜だな。何度も追い払っているのだが、まだ襲ってくる元気はあるらしい」
 しかし、久しぶりである。ここしばらくは、襲撃そのものが無かったのだ。何度も追い払ったので、やるだけ無駄だ、と思わせた節もある。それなのに、襲撃をかけてくるという事は、何か裏があるのかもしれない。それに小規模というのが引っ掛かる。
 もし、ただの襲撃でないなら、兵糧狙いなのかもしれない。実力行使で無理なら、兵糧攻めを敢行してくる事は十分に考えられる。異民族の戦は蛮勇頼みだが、決して馬鹿という訳ではないのだ。兵站を切るぐらいの知恵は働かせてくるだろう。
 それに、ここしばらく襲撃が無かったのは、兵站を調査していたからという可能性もある。兵站はヴィッヒ任せであり、私は拠点を守ることに専念していたため、抜けていた部分でもあるのだ。
「斥候」
 私は斥候を呼び、襲撃部隊の再監視を命じた。同時に各方面にも新たに斥候を放った。
「フォーレ、来てもらって早々だが、大きな仕事を頼む事になるかもしれん」
「構わんよ。現地の人間をつけてくれれば、いきなり指揮をやれと言われても文句は無い。しかし、敵は本当に兵站狙いか? 逆に攻め口としては、正統派すぎるという気がするが」
「何とも言えんな。兵站狙いと本陣襲撃の二段構えの可能性もある。そうなると、私はここを動けん」
「新参の俺が言うのもなんだが、おそらくはそれだろう。ハーマンの動向は掴めてないのだろう?」
「あぁ」
 言って、本当にそうなのかもしれない、と思った。異民族が私をどう評価しているかによるが、高い評価であれば、二面作戦は非常に有効的だと捉えてくるだろう。どちらかに私を引っ張り出せば、一方はズタボロに出来るからだ。私以外に指揮官が居ないという情報ぐらいは、異民族も得ていると考えたほうが良い。
 そうなってくると、斥候部隊が持ち帰った襲撃の情報も、異民族がわざと掴ませたものという事も有り得てくる。
「フォーレ、兵站の方に行ってくれないか」
 考えをまとめると同時に、私は言った。各方面に放った斥候の情報にもよるが、やはり私はここを動くべきではないだろう。本陣が落ちれば、元も子も無いのだ。しかし、兵站も何がなんでも守らなければならない。
「補佐として、ウォードという部下をつける」
 ウォードは経験豊かな将校で、異民族との戦いにも慣れていた。ただ、大局的な指揮ができないという欠点も持っている。しかし、この点はフォーレが上手くカバーするはずだ。
「どの程度まで戦えば良い?」
 フォーレの口調は落ち着いていた。南に来て、早々の指揮であると同時に、重要な局面を任されるという重圧はあるはずだが、この辺りはさすがに茫洋さを見せてくる。
「追い払うだけで良い。それと異民族と戦う時は、飛び道具に気をつけろ。毒塗りが当たり前だからな。特に痺れ毒を多用してくる。かわす自信がないなら、盾を持っていった方が良い」
「分かった」
 フォーレの言葉は短かった。
「細かいことは、ウォードに聞いてみてくれ」
 他にも注意点として伝えたい事はあったが、フォーレの茫洋としてる表情を見ると、こう言うのが適切だという気がした。
75, 74

  

 次々に斥候が情報を持ち帰ってきていた。そして、その多くは襲撃に関するものだった。同時に複数の拠点で敵が動いており、その矛先は兵站と本陣である。フォーレも予想していたが、やはり敵は兵站と本陣襲撃の二段構えだった。
 まだ断定には至っていないが、異民族の頭であるハーマンが動いている気配もある。そうなると、今回の襲撃は総攻撃に近い形という事になるだろう。ハーマンを抜きにしても、今回の襲撃は今までのものとは規模がまるで違う。
 これまでの襲撃は大きなものでも、数百名単位がせいぜいだった。私の総兵力は五千であり、打ち払うだけならば、そう難しい事ではなかったと言える。だが、今回は明らかに数千単位の敵が動いていた。
 異民族側が、一筋縄ではいかない、と判断したのか。通常の少数戦では、勝つことは難しい、とも思ったのかもしれない。いずれにしろ、状況は良いとは言えないだろう。私の居る本陣もそうだが、フォーレの兵站線にも襲撃の情報が入っているのだ。
 ただ、兵站線の方は、あまり心配していない。斥候の情報をまとめてみると、陽動の線が濃厚だったからだ。おそらく、敵は本気で兵站を潰す気はない。また、そうであったとしても、フォーレならどうにかするだろう。部下にウォードという将校も就けているのだ。
 問題は、この本陣だった。当然、陥落は許されない。兵の損耗も最小限に抑えなければならない。特に南の兵は、都の軍とは違い、易々と補充が利かないのだ。それに私自身にも多少なりとも、情が入っている。
 すでに兵達には臨戦態勢を取らせていた。これまでにない規模の襲撃のためか、兵の表情はみな一様に強張っている。こういう時に頼りになるのはベテランの存在だが、今の南の軍では求めるだけ酷だろう。サウスの時代の兵は、異動や退役で居なくなってしまっているし、肝心の将軍も若輩の私なのだ。
 ただ、これまでの襲撃は凌いできた。調練を重ねて、兵も強くなった。だから、自信を持てば良い。そして、この自信は根拠のある自信だ。
 将として、今の私に何か出来る事はないか。兵の不安を取り除いてやりたい。お前たちは強い。勝てる。そう言ってやるべきではないのか。
「お前達、安心しろ。私が居る。私は、あのレオンハルト大将軍が末子、ハルトレインだ。私を信じろ」
 自分でもハッとするほどの大声を出していた。しかし、言いたかった事とは、まるで違う事を言ってしまっている。そんな自分に、私は心の中で失笑した。
 だが、これで良いのだ。自然と口から出た言葉だからこそ、兵の心に伝わる。
「異民族など、恐れるに足りん。この武神の子が、異民族ごときに屈するのか? 剣のロアーヌや槍のシグナスならば、いざ知らず。異民族ごときに、屈してなるものか。サウス将軍の時代の恐怖、異民族の脳裏に再び刻み込んでくれよう」
 それで、一気に兵の喚声があがった。その後も、言葉は次々と溢れ出てくる。そして、その言葉は兵を奮い立たせた。
 それに呼応するかのように、異民族の動きの情報も次々に入ってくる。全方位からの襲撃である。すなわち、包囲戦だ。そして、やはり敵は総力戦を挑んできている。
 本格的な迎撃の構えを取った。全方位からの襲撃とは言え、敵はやはり守りが脆い所を選んでくるだろう。これは全部で二箇所あり、一箇所は上手く隠蔽している。ここを看破されると苦しいが、罠を二重に張っているため、即座に窮地に陥る危険性は低い。
 そうなると、残りの一箇所を死守する事が肝要になってくる。
「櫓(やぐら)だ、櫓に登れっ」
 私がそう指示を出すと、兵たちは一斉に櫓の上に登っていった。すでに敵は視程範囲に入ろうとしているのだ。
 一つの櫓には二十人まで登れ、それが陣中には三十ほどあった。私も櫓の上に登り、塀の外へと目を凝らす。
 異民族の松明の灯が、森林の奥で明滅しており、それが無数にある。やはり、今回の襲撃は数千単位と見て間違いない。
「弓を構えろっ」
 弦を引く音。目は松明の灯を注視しているが、矢を放つ機は別にある。異民族は灯り無しで襲撃してくる事もあるのだ。むしろ、その確率が高い。
 草を掻き分ける音。だが、まだ早い。以前、この時点で矢を放った事があるが、草を掻き分けていたのは囮の動物だったのだ。この戦、無駄な事は何一つとして出来ない。
 瞬間、雲に隠れていた月が顔を出した。月光。それを何かが照り返す。刃。草の中からだ。
「放てぇっ」
 風切り音。同時に悲鳴。
「射込め、先手を打たせるなっ」
 次々に矢が闇の中へと消えていき、悲鳴があがる。その瞬間、櫓の壁面に無数の矢が突き立った。しかも、水平に突き立っている。異民族の反撃で、なんと木の上から撃っているのだ。下からの射撃では、こうはならない。
 異民族の弓には、上下があった。下、つまりは通常射撃と、今のような木の上からの射撃である。最初はこれに肝を冷やしたが、今ではそれも無くなった。木の上の射撃部隊は、弓の射程距離が短い。身軽さを重視するため、弓が小型なのである。だから、その分だけ、こちらも反撃がしやすい。
 兵達は櫓の壁を盾にしつつ、懸命に射返していた。しかし、やはり手数は少ない。負傷を恐れているわけではなく、異民族の矢には痺れ毒が塗ってあるのだ。矢に少しでも掠っただけで、しばらく動けなくなってしまう。だから、動きが慎重になってしまうのは仕方が無い。
 兵の攻防を確認しつつ、私は櫓を滑るようにして降りた。真下の門に敵が取り付くのが見えたのだ。すでに門を守備する兵たちは迎撃を開始している。
 私は背負っていた槍を取り、走りながら構えた。そのまま声をあげ、敵中に突っ込む。一人、二人と撥ね上げ、槍を横一文字に振るって敵をまとめて吹き飛ばす。
「竜巻だ、ここに竜巻が居る」
 異民族の一人がそう言った。私の事を言っているのだろう。いつの間にか、異民族からは竜巻というあだ名をつけられていたのだ。
 一歩、踏み出す。すると、敵も一歩、下がった。威圧。全身で気を放ち、槍を振るう。
「来ないのか、腰抜けどもっ」
 私がそう吼えて、敵はようやく襲い掛かってきた。それらを槍の一振りで撥ね上げ、吹き飛ばす。何人かの敵は、木の幹を叩き折って闇の中に消えて行った。
 この光景を見た敵は、戦意を明らかに失っていた。逆に味方の兵は鼓舞され、次々に敵を退けていく。
 私は振り返り、他の方面の様子を確認した。どこも善戦しているが、やはり、守りの脆い門は敵の猛攻を受けている。
「ここは任せた。私はあの脆い所に行く」
 小隊長にそう言い、私は伝令用の馬に飛び乗った。馬は戦場ではなく、陣中での移動に使っており、主には伝令のためである。伝令が素早くなれば、連携も取りやすくなるのだ。
 馬で駆けている最中、兵が空中に放り出されるのが目に入った。一人、二人と連続で、瞬く間に放り出されている。間違いない。何かが居る。だが、もうそれは予想がついていた。あれだけの芸当ができるのは、異民族では一人しか居ないだろう。
 松明の灯。それが何かを照らし出した。ひげ面だった。そして、一目で分かった。
「ハーマン」
 やはり、来ていた。そう思うと同時に、私は槍を構え、馬から跳躍した。
 兵達の頭上を飛び越え、地に降り立つと同時に槍を振り回す。手当たり次第、敵を撥ね上げまくった。まずは味方の兵を勇気付ける。敵の圧倒的な力を前に、兵らは戦意を失っているのだ。
「ハルトレイン将軍っ」
 敵が怯え始めたのを切っ掛けに、兵らが隊列を組み直す。さらに私が仁王立ちで気を発し、敵の気勢を削いだ。それで、戦闘は膠着状態に陥った。睨み合いである。とりあえずの形勢不利は脱したか。
「威勢の良いのが来たな」
 間延びした口調で、目の前の巨漢が言う。おそらく、この男がハーマンだろう。身長は二メートルをゆうに超しており、だるま体型の身体は脂汗でテラテラと光っている。この容貌から、男がかなりの怪力であることは、すぐに予想がついた。両手には一本ずつの斧があるが、あれは斬るというより、押し潰したり、撥ね上げたりするのが主な用途だろう。
「大王、あいつは竜巻ですぜ」
 敵の一人がそう言った。大王、つまりはハーマンである。やはり、この目の前の巨漢がハーマンだったか。
「お前が竜巻か? 小僧じゃないか」
「私はハルトレインだ。竜巻というのは、お前達が勝手に付けたあだ名だろう」
「なんでも、ワシの子分どもを竜巻のように撥ね上げたり、吹き飛ばしたりするらしいな。まぁ、それは構わん。戦だからな。弱い奴がやられるのは仕方あるめぇ。だが、その程度の芸当で竜巻と呼ばれてるのは癪だ」
「何度も言うが、竜巻はお前達が勝手に付けたあだ名に過ぎん」
「だから、ワシも真似してみてやった。周りをよく見てみろ」
 ハーマンは、私の言葉を無視しながら言い、大声で笑い始めた。
 周りなど見る必要もなかった。味方の兵は、あの斧で好き勝手に屠られたのだ。私が駆けつけるまで、兵らは懸命に戦っていた。だが、ハーマンには歯が立たなかった。それでも、この場を守るため、戦い続けた。
 沸々と怒りが込み上げてくる。兵が殺されたからではない。ハーマンは、面白半分で戦をやっている。真似をしてみた、と言ったのだ。これは強者ゆえの余裕だが、戦場に立つ覚悟からはかけ離れすぎている。
 おそらく、ハーマンには自分以上の者が今まで周りに居なかったのだろう。それ所か、鼻っ柱を叩き折る者すらも居なかった。だから、ここまで増長した。
 この目の前に居る男は、私だ。幼い頃の私なのだ。いや、父が、剣のロアーヌが、隻眼のレンが居なかったら、私もこうなっていたという成れの果ての姿だ。
「あまりにも攻めあぐねるから、ワシが出てきたが、こりゃすぐにでも制圧できそうだ」
「ハーマン、お前は南方の雄という男を知っているか」
「あぁ? 知らんな。知っていたとしても、どうでも良い。ワシが叩き潰すだけだ」
「お前達の中にも、老君と呼ばれる者が居るだろう。それらの中に、南方の雄を知らぬ者は居ないはずだ」
「何が言いてぇ、竜巻」
「南方の雄が生きていれば、南方の雄とお前が戦っていれば、お前はもっと強い男になっていた」
「物言いが尊大だな、お前。腹立つわ」
「これが私の性格だ。だが、お前には絶対に負けない。異民族に屈する事もない。私は数々の辛酸を舐めてきた。何度も負け、何度も立ち上がってきた。ハーマン、私とお前とでは踏んできた場数が違う」
 瞬間、ハーマンの眼が血走った。そのまま、襲い掛かってくる。
 力任せの一撃。身体を開いてかわす。あえて、一歩も動かなかった。風が渦巻き、砂埃が舞い上がる。松明の灯と月明かりで、ハーマンの脂汗が光っていた。
 おそらく、ハーマンは武術などは心得ていない。力だけで、ここまで来た男だ。だから、やろうと思えば簡単に首が取れる。しかし、それでは駄目だ。この戦、というより、南での戦いの要は異民族を心服させることにある。
 ハーマンは大王だが、現状、ハーマンを討ち取るだけでは、異民族は大人しくならない。ハーマンだから首が取られた。異民族は、そういう風に考えるだろう。そして、第二、第三のハーマンが現れる。
 サウスの時代の再来が必要だった。メッサーナの出現で、サウスは本懐を遂げる事はなかったが、国に逆らっては駄目だ、と異民族に思わせなければならないのだ。そうするには、頭を討ち取るのではなく、異民族を根本的に追い込まなければならない。
 出来れば、今回の襲撃をその足掛かりにしたい。面白半分とは言え、ハーマンが総力をあげて攻め込んできたのを追い返せば、否(いや)が応でも情勢は変わるはずだ。
 ハーマンが再び斧を振りかざす。私はそれが振り下ろされる前に、槍の柄でハーマンの腕を払いのけた。さらに斧を振りかざし、横になぎ払ってきたが、それをあえて皮一枚でかわす。
「なんだ、思い通りにならんっ」
 ハーマンが喚くように言った。怒りで声を荒げている。これまで、その力だけで生きてきたのだろう。戦も、苦戦などは無かったはずだ。その恵まれた天性だけで、勝ち続けてきたに違いない。
 私は飛び退き、体勢を整えた。次の一撃で、腕の一本ぐらいはもぎ取る。ハーマンが踏み込んできた。しかし、眼の奥が暗い。何かある。
「やれっ」
 ハーマンが叫んだ。瞬間、殺気。感じると同時に、その場で宙返りした。地面。細い矢が何本も突き立っている。吹き矢か。おそらく、痺れ毒が塗ってあるはずだ。
 斧。左右から振りかかってきたのを踏み込みながらかわす。ハーマンと目が合う。怯え。それが走っていた。
 閃光。血しぶきと叫喚。だが、同時に吹き矢。それを槍で弾き返す。
「竜巻を殺せぇっ」
 傷を負った腕を抑えながら、ハーマンが退がる。もぎ取るつもりだったが、込めた気が足りなかった。骨を断つには至らなかったのだ。だが、相当な深手は負わせた。腱ぐらいは切っているだろう。
 ハーマンと私の勝負を注視していた敵が、一斉に襲い掛かってきた。全て蹴散らす。そう思ったが、それより先に味方の兵が前に出ていた。
「伝令。斥候を出せ。ハーマンを追跡しろ」
 側に居た兵に指示を出した。まずはこの戦を制し、次いでハーマンを追いまくる。その過程で拠点を潰していけば、南は平定できるはずだ。異民族を精神的に追い込む形になるのだ。
 ハーマンが退いた事で、異民族の攻勢は緩みを見せ始めていた。
77, 76

シブク 先生に励ましのお便りを送ろう!!

〒みんなの感想を読む

<< 前 次 >>

トップに戻る