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第十七章 新進気鋭

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 カワセミ隊の調練は、順調だった。この隊は敵将を討ち取る事に特化した部隊であり、兵の選出には、それなりの気を使ったが、やはり元はスズメバチ隊の兵である。新たに何かを教え込む、という事は、ほとんと無かった。
 兵自体が、すでに完成されているのだ。だから、調練といっても、今までやっていた事を反復するという内容が圧倒的に多い。変わった事と言えば、攻撃的な調練が多くなったという事ぐらいだろう。
 ある意味、面白くない事ではある。新設部隊でありながら、カワセミ隊はすでに軍として一つの完成形を成しているのだ。そうなると、どうしてもスズメバチ隊が基礎で、カワセミ隊はその派生という事になってしまう。しかし、これは仕方が無い事だった。それに、兵は完成していても、指揮官である俺が未完なのだ。
 とにかく、俺は全てにおいて圧倒的に経験が足りない。これは実戦をそう重ねる事もなく、才だけを見出されて指揮官に抜擢された事が要因だが、愚痴をこぼす暇などは無かった。あらゆる所から、経験を得なければならないのだ。だからではないが、最近はアクトやクリス、クライヴといった古参将軍達とも交流を深めるようにしている。
 兵たちには、まだ部隊の名前を伝えていなかった。だから、今はシオン隊という名称で通っている。カワセミ隊の名は、まだ俺しか知らないだろう。
 本来ならば、すぐにでも伝えるべきなのだろうが、どうせなら、すでに発注をかけている具足が出来上がってからが良い、と思っていた。
 カワセミ隊は、専用の具足を使う事に決めていた。スズメバチ隊の虎縞模様の具足を倣うのである。すでに原案は鍛冶屋に渡してあるので、あとは出来上がりを待つだけだった。
「シオン隊長、休止の時間です」
 一人の兵が駆けてきて、そう言った。隊を結成した当初は、兵は俺の事を将軍と呼んでいたが、それはやめさせた。まだ俺は、将軍と呼ばれるに値する能力を備えていないのだ。それに加えて、俺が将軍など、という自嘲に似た思いもある。
「よし、小休止だ」
 俺がそう号令をかけると、兵たちはすぐに馬を降りて、馬体をチェックし始めた。騎馬隊にとって、馬は生命線である。兵たちはそれをよく知っていて、休憩よりも先に馬を気遣っているのだ。
 調練は突破に関するものを中心に行っていた。敵将の周囲は、旗本と呼ばれる少数精鋭が控えている事が多い。敵将の首を取るのに、この旗本を崩すのは必須である。だからこそ、突破力の強化だった。
 幸いな事に、指揮そのものは、今のところ上手くやれている。率いている兵数が五百という事もあるが、兵の練度が高いので、きちんと兵全てが指示通りに動いてくれるのだ。この辺りは、想像していたよりも身軽だった。
 しかし、兵数が増えてくると勝手も違ってくるはずだ。特にアクトやクリス、クライヴなどは万を超える兵を指揮する。どうするのか想像もできないが、相当に鈍重な感じを受ける事は間違いないだろう。そして、バロンはそれら全ての軍を視野に入れて、指揮を執る。この辺りになってくると、やる前から無理だ、という気になってしまう。
 その場で休止を続けていると、一人の男がやってきて、耳打ちをしてきた。頼んでいた具足が、出来上がったのだという。それを聞き、俺は一つを見本として持ってくるよう、依頼した。
 しばらくして、男が具足を持ってきた。青色基調で、所々に黄色の線が入っている。兵たちは、その具足に気付き、興味深そうに見ていた。
 具足が出来上がったのなら、部隊名を伝えなければならない。
「みんな、聞いてくれ」
 具足を脇に置き、兵たちに向かって、俺は声を出した。
「この具足の事だ。勘の良い者はすでに分かっていると思うが、これがお前達の具足になる」
 俺がそう言うと、兵たちがざわつき始めた。虎縞模様の具足はどうするのだ。そういう声も聞こえてくる。
「虎縞模様はスズメバチ隊の具足だ。お前達は、スズメバチ隊ではない」
「それなら、俺達の隊の名前はどうするのです? シオン隊という事は分かっていますが、その具足を見る限り、何か名前があるのでしょう?」
「あぁ、その通りだ。今日から、シオン隊ではなく、カワセミ隊とする」
 それで、ざわつきが急に大きくなった。というより、思ったより反応が良くないようだ。名前が強さと結びつかない。そういう声が多い。
 確かにカワセミは強いというより、華麗だとか美しいだとか、そういうイメージである。対してスズメバチは、凶暴だとか、昆虫界で最凶だとか、強さに結びつきやすいイメージだ。
「シオン隊長、その、なんでカワセミ隊なのでしょうか?」
「それは」
 エレナとのデート中に思いついた。そんな事など、言える訳もなかった。いや、単純にカワセミの獲物を捕らえる仕草が鍵となった。そう言えば良い。
「シオン隊長、提案です。いや、その前に確認したい事があります」
 俺が喋りだす前に、調子の良さそうな兵が、急にそう言った。他の兵が、その兵に注目する。何か、示し合わせていたような雰囲気である。
「あの、熊を殺したってのは本当ですか?」
「へっ?」
 思わず、間抜けな声が出ていた。
「巷で、隊長が七メートルはあるかという巨熊を、そこらへんに落ちてた棒一本で叩き殺したって噂が流れてるんです。しかも、無傷で。普通じゃ有り得ないって事で笑い飛ばすのですが、その、シオン隊長なので」
「いや、待て。なんだ、その噂は。俺は聞いたことがないぞ」
「シオン隊長は酒場なんて行かないでしょう。歓楽街自体、滅多に行きませんし。かつてのロアーヌ隊長を模倣しているのか分かりませんけど、女も抱いてない。でも、ちょっと抜けてる所があって」
「おい、それ以上は上官侮辱になるぞ、やめておけっ」
 それで、喋っていた兵が慌てて口を閉じた。言われた事は多少、腹が立つが、怒鳴る程の事でもない。酒場や歓楽街に滅多に行かない事は事実だし、未だに俺は童貞である。
「とにかく、そういう噂が流れてるんです。熊を殺したのは、本当なのですか?」
 この噂を流したのは、おそらくエレナだろう。いや、元々は事実に基づいた話だったはずだ。それが酒場とか歓楽街とかいう場所に移るに従って、話が誇大化してしまったに違いない。
 大体、七メートルの巨熊なんて生物が存在するのか。それを落ちてた棒で叩き殺すなんて事、出来る訳がないだろう。それも無傷で。そもそもで、熊を殺してすらない。ただ、単に追い払っただけだ。
「確かに、俺は熊を相手に戦ったが」
 俺がそう言うと、兵たちが一斉に騒ぎ始めた。
「落ち着け。戦ったが、噂が誇大化しすぎている」
「でも、戦ったんでしょう? 巨熊だったんですか?」
「巨熊だった。しかし、七メートルは」
 言い過ぎだ。そう言い終える前に、また、兵が騒ぎ始めた。それで俺は額に手をやった。兵たちは、わざとやっているに違いないのだ。レンが相手だと、こうはならないくせに。そういう愚痴っぽい思いが、込み上げてくる。
「シオン隊長、提案です。カワセミ隊じゃなく、熊殺し隊にしましょう」
 一人の兵がそう言って、他の兵も賛同だと騒ぎ立てた。
「おい、冗談はやめろ。なんだ、その名前は」
「カワセミ隊はどこか迫力に欠けると思いませんか? 俺達は敵将狙いの部隊なんでしょう。熊殺し隊ぐらい、気合が入った名前の方が良いと思います」
 再び、兵が騒ぎ立てる。だが、妙に説得力はあった。カワセミ隊と熊殺し隊。どっちが強そうかなんて事は、考えるまでもない。
 この兵たちの騒ぎようを見る限り、場を収めるのは一苦労だろう。悪ノリの感は否めず、一喝すれば済む話だが、そんな事をするような事態でもない。大体、部隊名をカワセミ隊と強制的に決めた所で、得になる事は何もないのではないか。
 俺は、そこまで考えて、熊殺し隊にしてしまうのも良いか、と思っている事に気付いた。それに部隊名ぐらい、兵の好きにさせても良いだろう。部隊は俺だけのものではない。兵たちのものでもあるのだ。
「分かった。今日からこの部隊は、カワセミ隊ではなく、熊殺し隊とする」
 俺がそう言うと、兵たちは一斉に歓声をあげた。この様子を見て、兵たちは始めからこうするつもりだったのかもしれない、と俺は思った。してやられた、という気はあるが、兵たちが喜んでいる姿を見るのは悪くない。
「しかし、熊殺し隊の具足、青と黄色なんですね。何となく、名前と噛み合ってませんが」
 一人の兵がそう言うと、場は一気に静まり返った。
「それに触れるな」
 俺は、そう言うしかなかった。だが、熊殺し隊という部隊名は存外に良い名前だ、と思っていた。
 兵たちは緊張しているようだった。無理もない。これから、あのスズメバチ隊と模擬戦をしなければならないのだ。かつて、自分達が所属していた部隊である事から、兵たちには馴染みがあるはずだが、離れて相対すると途端に畏怖に似た感情を持つ。スズメバチ隊は、そういう部隊だった。
 しかし、俺の熊殺し隊はスズメバチ隊の血を受け継いでいる。だから、戦って勝てないという事はないはずだ。模擬戦をやるのは今回が初だが、気後れなどはない。調練の段階では、指揮は上手くやれていたのだ。兵に至っては、すでに完成していると言っても良い。ただ、実際に軍と軍がぶつかり合った時にどうなるかは分からない。つまり、この辺りは未知数である。
 模擬戦はレンからの誘いだった。スズメバチ隊の調整に付き合ってくれ、と言われたのだ。レンは他の部隊ともしきりに模擬戦をやっているが、その部隊の特性から、どうしても大軍相手という内容になる事が多い。もっと言えば、少数精鋭の部隊はスズメバチ隊以外に無いため、大軍相手の模擬戦しか選択肢が無いのだ。だが、俺の熊殺し隊ならば、その選択肢から外れることになる。レンは、この辺りに目を付けたのだろう。
 俺は、向かい側に居るレンの方に馬を走らせた。誘いを受けたとは言え、模擬戦をやる前に挨拶は済ませておきたい。
「兄上」
 俺がそう声を掛けると、レンも馬を寄せてきた。
「緊張はないか? シオン」
「はい。初の模擬戦の相手がスズメバチ隊とは、少しばかり荷が重いですが」
「何を言ってる。お前の部隊名は熊殺し隊だろう? スズメバチなんぞ、屁でもないと思うがな」
 そう言って、レンが意地悪そうな笑みを浮かべる。だが、部隊名で何か言われることは、覚悟していた事だった。他にも部隊名と具足のちぐはぐなど、からかわれる要素は多い。
「スズメバチ隊は、実際に相対してみて、その怖さが分かります。兵などはすでに萎縮してしまって」
「無理に謙遜するな。俺も熊殺し隊の名の由来は分かっているつもりだ」
「はぁ」
「熊は蜂の巣を荒らす。その熊を殺してしまうのだから、俺のスズメバチ隊なんぞ、ひねり潰されるに違いない」
 そう言われて、俺は返答に窮していた。対するレンは、白い歯を見せて笑っている。してやったり、という顔である。
 気づくと、俺は笑って誤魔化していた。
「それにシオン、お前も巷では熊殺しなんてあだ名が付けられているぞ」
「俺も困っているのですよ、兄上」
「まぁ、確かにお前なら、熊も殺しかねん。諦めるんだな、熊殺し」
 そう言って、レンが声をあげて笑う。このからかいの執拗さは何なのだろうか。もしかしたら、レンは俺のあだ名が気に食わないのかもしれない。
「とにかく、その名に恥じない戦をしてみせますよ」
「あぁ、楽しみにしている」
 そう言ったレンを背に、俺は自陣に駆け戻った。
「お前達、この模擬戦は負けられないぞ」
 兵たちに向かって、俺はそれだけを言った。レンの言葉を気にしているわけではないが、少し馬鹿にされ過ぎている。こうなれば、意地ぐらいは見せておきたい。
 隊形を組んで、前方を見据えていた。やはり、不思議と緊張はない。むしろ、後ろの兵たちの方が緊張しているようだ。
 角笛。開戦の合図。聞こえると同時に、俺は駆けていた。後ろの兵たちも、しっかりと付いてくる。対するレンは、並足といった具合でゆったりとした動きだった。多少、それが不気味だが、迷わず仕掛けるべきだろう。
「武器を構えろっ」
 声をあげ、俺自身も方天画戟を構えた。スズメバチ隊。尚も動きはゆったりだ。俺の熊殺し隊は、すでに全速である。このまま、突っ込む。兵たちの表情に、すでに緊張はない。この辺りは、さすがだった。
 眼前。スズメバチ隊。瞬間、気炎が立ち上った。思うと同時に、身体の一部をもぎ取られた。いや、部隊の一部だ。百ほどの兵が脱落している。何が起きたのか。
 いや、突っ切られたのだ。こちらの突撃に合わせて、突っ切られた。だが、どうやって。というより、鮮やか過ぎる。スズメバチ隊は一人の兵も脱落していないのだ。
 先頭に居る俺が、指揮官が、状況を把握できていなかった。だから、兵たちは、もっと訳の分からない事になっているに違いない。冷静になれ。そう自分に言い聞かせた。
 スズメバチ隊が激しく駆け回っている。さっきまでのゆったりした動きが嘘のような、激烈な動きである。なんだ、あの動きは。原野を自在に。
「シオン隊長、指示を出してくださいっ」
 後方から叫び声。それで、俺もハッとした。すぐに手綱を握り締め、全速で駆ける。瞬間、スズメバチ隊の動きが、さらに激烈になった。攻撃を仕掛けたいが、速い。とてつもなく、速い。追い付くだけでも、いや、追いつけてすらいない。
 緩急が凄まじいのだ。力を抜くところ、入れるところを熟知している。それに加えて、戦場の使い方が抜群に上手い。限られた場所の中で、最大限に力を発揮している。しかし、分かるのはそこまでだ。細かい所までは掴めない。
 スズメバチ隊が反転してくる。向き合う形になった。今度こそ。
「やり合うぞ、武器を」
 構えろ。そう言う暇もなかった。スズメバチ隊は瞬間的に突っ込む角度を変え、横っ腹を貫いてきたのだ。無抵抗で、兵が次々に脱落していく。
 直角で、直角で曲がってきた。いや、スズメバチ隊だから当たり前の事だ。
 とにかく速い。俺は原野を駆け回っているだけだ。攻撃も防御も、何一つとして出来ていない。どうすれば良い。
 スズメバチ隊が乱舞する。兵が次々に削り取られる。反撃したいが、すでにそこに姿は無い。そう思ったら、別の角度から突っ込んでくる。
 これが天下最強の騎馬隊なのか。天下に畏怖され、歴史上最強と称された騎馬隊なのか。
「シオン隊長っ」
 兵たちが悲鳴に近い声をあげている。しかし、どうすれば良いのか分からないのだ。速い。速すぎる。
「俺達はスズメバチ隊の血脈でしょうっ」
 瞬間、心臓の鼓動が鳴った。そうだ。元は同じスズメバチ隊なのだ。
「レン狙いでいくっ」
 決めた。そして、それしかないと悟った。このために、調練も重ねてきたのだ。
 突撃隊形を組んだ。同時に奔る。スズメバチ隊。気炎。向かってきた。
 腹の底から声を出した。スズメバチ隊が角度を変えてくる。それが、見えた。いや、予測した。懸命に馬首を巡らせ、食いつく。動けた。ようやく、まともに動けた。
「突っ込めぇっ」
 方天画戟を振り上げ、次々に兵を突き落とす。レンが見えた。馬を前に。思うと同時に、レンも出てきた。
「シオン、あえて乗ってやるっ」
 レンの闘志。槍に乗っている。
 ぶつかる。技の応酬。火花が散り、気が四散した。三秒、五秒。時間が経過していく。
 レンの槍。かわす。その瞬間、身体のそこら中に鈍痛が走った。
「お前の負けだ、シオン」
 静かにレンが言った。槍を収め、俺に背を向ける。俺は目を見開き、その姿を見ていた。いや、そうする事しか出来なかった。
 俺は、討たれていた。鈍痛の正体は、スズメバチ隊の兵たちの一撃だったのだ。
「兄上」
「弱すぎる。はっきり言ってやるが、弱すぎる。メッサーナ軍で、お前の部隊は最弱だ。その程度では、官軍に一撃を与えられるかどうかだろう」
 そう言われて、俺はうつむくしかなかった。反論のしようがない。相手がスズメバチ隊だった、という言い訳すらも出来ないほど、無様に負けたのだ。
 感情が込み上げてくる。悔しさなのか、情けなさなのか。
「熊殺し隊に恥じぬ戦をやる、と言ったな。それがこのザマなのか?」
 違う、とは言えなかった。すでに結果は出ているのだ。どうしようもない結果が出ている。
「もうしばらく、研鑽を積んでみろ。良い所がなかった訳ではない」
 言われて顔をあげる。まだ、レンは背を向けたままだった。
「今のお前は兵と一心同体ではない。同体までは出来ている。しかし、心はまだだ。だが、最後の一瞬だけ、一心同体となった。その時の感覚を忘れず、研鑽を積め」
 そう言って、レンは駆け去って行った。スズメバチ隊が、その後を追っていく。
 今頃になって、涙が流れ落ちてきた。悔しさ、情けなさ。そんな感情に呼応するかのように、うめき声も漏れた。
 ただ、一心同体という言葉だけが、頭に残っている。
79, 78

  

 ニールの模擬戦を見ていた。五千と五千のぶつかり合いである。相手はシンロウで、力はほぼ互角だろう。しかし、ニールの方が動きに余裕がある。やっている本人は必死で、そんな事など気付いていないのだろうが、傍目から見れば、未だ成長の限界は来ていない、と感じさせる動きだった。
 ニールの将としての才は、凄まじい速度で開花していった。もちろん、段階的にではあるが、五千の指揮が出来るようになるまで、それほどの時は掛からなかったのだ。大した助言をする必要もなく、ここまで成長し、遂にはシンロウを超えようとしている。
 兵がニールに感応していた。おそらくだが、ニールはあれこれと考えて軍を動かしてはいない。ほぼ全て、感覚だけで戦っている。そして、その感覚が獅子軍の兵と上手く結合しているのだ。こうして見てみると、ニールが率いているのは、まさにその名の通り、一匹の獅子である。
 対するシンロウは、隙の無い用兵だが、動きが洗練され過ぎていた。これは悪い事ではないし、シンロウが優れた指揮官であるという証明なのだが、ニールと比べると余裕が無い。というより、成長の余地が無いのだ。すでに、シンロウは自身の用兵というものを固めてしまっている。
「獅子軍の将軍は、近いうちに変わるでしょうね」
 隣に居たジャミルがそう言った。口調はどこか寂しげである。シンロウはジャミルが見出した男だった。それだけに、思い入れも深いのだろう。
「副官が適任だな。スズメバチ隊での経験が活きたのかもしれん。あのまま獅子軍に居れば、一兵卒で終わっていただろう」
 励ましの言葉のつもりだったが、ジャミルは何も言わなかった。ただ、遠くを見るような目をしただけである。
 模擬戦は終始、両者互角だった。削り合いのような損耗戦が続いていたが、最後は決着を焦ったニールが失態を犯し、結果はシンロウの辛勝という事になった。
「くそっ、負けちまった。絶対に行けると思ったのに」
 馬から降りて、ニールはそう言った。顔は汗で濡れていて、肩で息をしているのを見る限り、俺が思った以上の激戦だったのだろう。シンロウも同じ様子だったが、言葉を発する事はなかった。表情もどこか思いつめたものになっている。
「ニール」
「焦るな、だろ。分かってるよ、レン」
「本当に分かってるのか? 焦れば」
「実戦で大敗を招く、だろ。何度も言うんじゃねぇよ。分かってんだ。だが、兵たちが燃えるんだよ。それを抑えなくちゃいけないのも分かるが、それだと獅子軍じゃなくなっちまう」
 それを聞いて、俺は苦笑した。もっともな事だと思えたのだ。もしかしたら、ニールも負けるという結果を見越した上で、決着を焦ったのかもしれない。
「レン将軍」
 急に、シンロウが低い声で言った。
「どうした?」
「俺には、俺には助言無しですか?」
 そう言ったシンロウの唇が、僅かに震えている。何か言おうと思ったが、ジャミルが手で制してきた。
「隙の無い用兵だったぞ、シンロウ。だが」
「俺はジャミル殿に言ってはいません」
「ジャミルさん、ちょっと良いか? 相談してぇ事があるんだ」
 ニールだった。
「なんだ? 急ぎでないなら後に」
「ジャミル、聞いてやってくれ。聞き上手なお前でないと、ニールも駄目なんだろう」
 ニールなりの気遣いだった。シンロウの心情を汲み取ったのだろう。ジャミルは戸惑いの表情を見せていたが、俺の目を見て、意図を読んだようだ。
「分かった。ニール、行こうか」
 二人が去っていく。
「俺だって、分かっていますよ」
 不意に、シンロウはそう言った。
「近いうちに、ニールには追い抜かれます。助言を受けても、それは変わらないでしょう。自分の事です。分かってるんですよ」
「不満なのか?」
「いえ。ただ、複雑です。仕方が無いという気もします」
 それで会話が途切れた。風の音だけが、遠くに聞こえる。
「申し訳ありません。レン将軍もお忙しいでしょう。俺はこれで」
「この前、シオンと模擬戦をやったよ」
「? はぁ」
「叩きのめした。完膚なきまでに、叩きのめしてやった」
「それ程の実力差だったのですか?」
「兵の力は、大差なかった。むしろ、攻撃面だけで言えば、熊殺し隊の方が上だろう」
「指揮官の、差だったのですね」
 今のシオンは、ただ兵を動かす権限を持っているだけで、指揮官としては未熟もいい所だった。持っている才は相当なもののはずだが、それがまるで発揮されていないのだ。それ所か、欠点が目立ちすぎていた。その中でも特に目立ったのが、軍の動きの遅さである。
 シオンは感覚が死んでいた。言い換えれば、頭だけで戦をやっていたのだ。だから、動きが遅かった。おそらくだが、シオンには、あの模擬戦でのスズメバチ隊の動きが、とてつもなく速く見えていただろう。だが、実際には熊殺し隊が遅いだけである。そして、今のままでは、どの軍と戦っても相手が速く見えてしまうだろう。
 調練の時に何故、気付けなかったのか。相手が居る時と居ない時では、戦場の速さが全く違う。シオンの調練をずっと見ていた訳ではないため、深い所までは言えないが、相手が居ない調練の成果で満足していたのではないか。その成果だけで、指揮ができている、と勘違いしたのではないか。
 そういう意味では、ニールの方がずっと優れていた。野性の勘による所が大きいが、ニールは相手が居る方が動きが良く、時には軍学を超えた動きを見せる事もあった。つまり、感覚を信じたのだ。だからこそ、ここまでの短期間でシンロウに追いつく事ができた。
 それに対してシオンは、頭で戦をやりすぎた。戦と言えども、一対一の立合いに通じるものは多々ある。だから、シオンに指揮が出来ない事はないはずだ。
「兵は指示通りに動ける。元はスズメバチ隊の兵だから、これは当たり前だ。それ所か、指揮官が想像するよりも、動けるはずなのだ」
「分かります。シオンは、その兵を使えていないのでしょう」
 まさしく、その通りだった。一心同体。シオンにも言った事だが、まだ兵とは心で繋がっていない。頭で戦をやっているのが原因の一つだが、これが出来ていないと、兵たちが重荷のように感じてしまう。つまり、枷である。その結果、動作に遅れが生じてしまうのだ。
 だが、最後の局面で、シオンは兵と一心同体となった。あの動きはおや、と思わせるものがあり、あれこそがシオンの持つ力だった。シオンの感覚と兵の感覚、そして心が合致したのである。
「シオンも悩んでいるのでしょうか?」
「どうかな。すぐに抱え込む所はある。しかし、道は授けたつもりだ」
 俺がそう言うと、隣でシンロウがため息をついた。
「俺も、レン将軍のような兄が欲しかったと思います」
 それで思わず、俺はシンロウの顔を見た。
「いや、兄のような人は居るのかな。ジャミル殿という、優しすぎる兄ですが」
「シンロウ、助言だが」
「必要ありません。分かりましたから」
 言ったシンロウは、笑顔だった。
「何が分かったのだ?」
「色々です」
 それだけを言って、シンロウは頭を下げ、去って行った。
 その背中には、決意と決心が宿っていた。自らの道、進むべき道を見つけたのだろう。
 黒豹は白豹と連携を取っていた。黒豹とは国の闇の軍に対抗するべく作られた部隊の事で、白豹とは間諜部隊の事である。元々、メッサーナは間諜部隊しか擁していなかったが、バロンが王になってから、編成の見直しが行われたのだという。そこで作られたのが、黒豹だった。
 その黒豹に俺は入隊したのである。元々は間諜部隊である白豹に入るのが目的だったが、隊長のファラに捕縛された事を切っ掛けとして、ファラが俺の身体能力に目を付けた事や、俺自身の入隊志望もあって、俺は黒豹に入隊する事になったのだ。
 だが、今となってはそんな事はどうでもよかった。黒豹の一員になってから、俺の人生観は激変したのだ。
 黒豹の任務は、熾烈なものが多かった。肉体的にはそうでもないのだが、精神的に辛いのだ。中でも拷問は辛苦の極みで、最初の内は何度も嘔吐してしまい、任務どころではなかった。相手の手足の爪を時間を掛けながら、一本ずつ剥いでいったり、肉を裂いて骨を小刀の背で削るなど、やっていると気が狂いそうになる。仲間の何人かは本当に狂人となってしまい、そういう人間は即座に消された。放置しておくと、何をしでかすか分からないからだ。
 黒豹は社会の暗部だった。同じ暗部として、国の闇の軍があり、互いに暗闘を繰り広げている。だが、歴史としては、闇の軍の方が上だった。だから、黒豹は任務に対する知識と技術で後れを取りやすい。この辺りはファラも心得ていたようで、黒豹は独立するのではなく、白豹との連携を必要不可欠とした。
 白豹が情報収集と検分等を行い、黒豹が実務を行う。実務といっても、内容は様々で、市場の混乱を引き起こしたり、情報のかく乱や拷問、時には暗殺などもやる。
 最も難度が高いのが暗殺であり、今までに政庁の高官や軍の中心人物などを標的にした事もあったが、そのほとんどが失敗に終わっていた。闇の軍に防がれるのである。俺達は白豹の情報を元に行動するが、その情報が巧妙な偽情報であったりして、闇の軍の不意打ちを受ける事もしばしばあるのだ。
 そうなると、その場で戦闘である。音も無い戦闘は、早ければ数十秒で終わる。そして、残るのは血の臭いと無数の死体だった。何度か敵の捕縛を試みたこともあったが、闇の軍の兵は捕まると確信した瞬間、自ら命を絶つ。即死毒の丸薬を飲むのである。それを阻止して、何とか捕縛できた者も居て、そういう人間は拷問で口を割らされる。口を割った後は、その場で処分だった。
 当然、俺達も同じ立場になる事もある。だが、それは今のところは防げていた。ただ、防いでいるのは、捕縛される事ではなく、情報の流出である。捕縛されたとしても、口を割る前に仲間を殺してしまえば、情報が漏れる事はない。つまり、俺達は何人もの仲間を自らの手で殺めてきたのだ。
 それでも、拷問されるよりはマシだった。拷問は死よりも恐ろしい。死は一瞬だが、拷問は永遠の苦しみである。しかも、生半可なものではなく、自ら死を懇願する程だった。それでも死ねない。必要な情報を喋らなければ、死ぬ事すらも許されないのだ。
 俺は目を瞑って、座禅を組んでいた。精神統一の一種だが、これをやっておかないと、気が持たない。幸いなことに、拷問の役は回ってきていないので、いくらかは落ち着いていられた。
 黒豹のアジトは、メッサーナ政庁の地下である。出入り口は巧妙に隠されていて、正規のルートを辿らない限り、罠にかかって即死するようになっていた。そして、この正規ルートを知っているのは、黒豹とルイスだけである。つまり、黒豹はルイス管轄の部隊なのだ。
 壁を隔てた向こう側からは、断末魔の叫びが聞こえていた。それが断続的に、時には永続的に聞こえてくる。壮絶な拷問が繰り広げられているのだろう。具体的な内容は、考えたくもなかった。
 仲間とのやり取りは、皆無に近かった。みんな、一様に無表情かつ無口である。指揮は隊長のファラがやっていて、これは絶対の掟だった。調練でも、それは同じである。
 黒豹にも調練があり、その内容は表の軍とはかなり異なる。断崖絶壁を腕一本だけで昇り降りしたり、目隠しをした状態で、高所の綱渡りを行うなど、奇特な内容のものが多かった。
 当たり前だが、これらを乗り越えられる者はごく僅かで、黒豹の兵数は僅か五十人だった。人が減れば、なんらかの形で補充はされるが、簡単なことではない。黒豹に入隊を志望する者など居ないし、居たとしても調練や任務で音を上げてしまうのだ。
 そういう意味では、俺は変わった人間なのだろう。黒豹に入ってからも女漁りはやめていないし、未だに夜では女を抱きまくっている。また、顔つきが変わったからなのか、ごろつきに絡まれる事も無くなっていた。
「ダウド、新しい任務だ」
 ファラの声が聞こえたので、俺は目を開けた。覆面を付けたファラが俺を見据えている。
 ファラは常に覆面を付けていて、素顔を見せる事はない。ひどい火傷を負っていて、他人に見せられる顔ではないらしい。それを聞いてから、俺はファラを口説く女の対象から外していた。我ながら浅ましい男である。
「拷問か? 俺、あんま好きじゃないんだ。そういう日は、女を抱きたくなくなる」
 黒豹では上下関係がそこまで厳しくなく、敬語を使わなくても許される所があった。黒豹には、こういう妙な緩さもある。
「暗殺だ」
「ふぅん。相手は誰だ? 政庁の高官か?」
「ウィンセ」
「誰だ、それ?」
「宰相のウィンセだ。今までの中で、一番の大物になる。しかも、これはバロン王からの勅命だ」
「本気で言ってるのか?」
「無論だ。すでに白豹も行動を開始している」
 それだけを言って、ファラは姿を消した。
 暗殺。これは良いが、相手が宰相のウィンセである。今の国にとって、最重要人物の一人だった。メッサーナからしてみれば、最も始末したい人間という事である。深い意図までは分からないが、バロンが勅命を出したという事は、かなり本気なのだろう。今まで、黒豹の命令はファラを通して、ルイスが出していたのだ。これは黒豹と白豹の管轄がルイスだから、という事に起因するが、今回の命令はバロンが絡んでいる。つまり、今回の暗殺は国として、メッサーナとしての意思であるという事なのか。
 僅か五十人の黒豹で宰相を暗殺できるのか。闇の軍との暗闘はどうする。白豹との連携だけで、本当にやれるのか。
 いや、この場でグダグダと考え込むのはよそう。ファラがやると言った。ならば、それに従うまでだ。黒豹において、ファラは絶対である。
 実際の動きは、白豹が持ってくる情報に左右されるだろう。俺は、そんな事を考えていた。
81, 80

  

 二手に分かれて、拠点を潰していた。一方は私自身が指揮し、もう一方はフォーレが指揮を執っている。戦線は順調に押し上げられていて、異民族の領土は見る見るうちに減っていった。
 異民族の軍は、崩れると脆い。優勢時にはとんでもない力を発揮するが、劣勢になると途端に弱くなるのだ。この要因としては、撤退して罠で迎撃する、という手が控えているからであるが、これは手の内が分かってしまえば、そのまま弱さに直結する事になる。罠への対抗策さえ用意すれば、この戦法は一気に無力化するからだ。
 例えば、何人かの敵兵を捕縛する。それを先導係にしたり、軍の先鋒に据えて行軍すれば、罠による被害を防げる。それに加えて、私たち自身の罠を見分ける術も長けてきており、事前に察知する事さえあった。茂みの盛り上がり、落ち葉の色や質、ツルやツタの位置関係。そういったものを注意深く観察するのである。
 当然、行軍速度は著しく低下するが、太い兵站線と後方に控えるヴィッヒの的確な支援で、今のところは特に問題にはなっていない。むしろ、罠にかかって兵を損耗しない分、異民族に精神的な重圧をかける事が出来ていた。
 異民族は撤退から罠で迎撃、という戦法に慣れきっているため、劣勢時での踏ん張りがない。軍の強さの本質は、劣勢時にこそ現れるものだが、そういう意味では異民族は雑魚も良い所だった。
 今、異民族は気が気でないだろう。罠で迎撃するために戦略的撤退を繰り返しているのは良いが、結果として次々に拠点を失ってしまっているのだ。そうなると、頼みの綱は頭のハーマンだろうが、そのハーマンは私に負け続けである。
 ハーマンの用兵の術のバリエーションは、極端な程に貧弱だった。密林という地形を利用しての奇襲や単純な力押し、ハーマンが台風の目となって戦局の巻き返しをはかる。僅かに、この三択である。軍を縦横に扱ったり、複雑な計略の類は全く使ってこないのだ。そうなると、気をつけるのは奇襲ぐらいなもので、これは斥候で簡単に対処できてしまう。
 一方、私たちは火計を用いたり、退路に追い込んでの伏兵や誤報による撹乱など、様々な戦法を駆使していた。異民族は真正面からぶつかると手強いが、知恵を用いれば容易いという面がある。おそらくだが、かつての南方の雄、サウスも同じような戦い方をしていたのだろう。だからこそ、老練な戦法も身についたのだと予想できる。
 南での経験は、絶対に無駄にはしたくなかった。父のような完全無欠には程遠いが、少しでも近づきたいのだ。メッサーナを打ち破るには、今の私ではあまりにも非力すぎる。ならば、他の将軍を、と言いたい所だが、父に代わり得る将軍など、今の国にはどこにも居なかった。
 使命感がある。私には使命感があるのだ。武神の血を引く私が、メッサーナを打ち破らなければならない。そのためにも、一刻も早く南を平定しなければならなかった。戦略的視野においても、南の平定はメッサーナと対するにあたって、非常に有効である。異民族に兵を割かなくて済むし、単純な国力増強にも繋がるからだ。
 今、国とメッサーナは休戦状態にある。こういう時こそ、何が出来るかだった。メッサーナは異民族などの外敵は抱えておらず、国の相手にだけ集中できるという環境だが、これは言い換えれば、劇的な現状変化は望めないという事になる。ある意味で落ち着いてしまっているのだ。だが、国は違う。少なくとも、南を平定すれば、メッサーナに対する力を強化できる。私自身の飛躍にも繋げられる。つまり、今は国の転換期なのだ。
「ハルトレイン将軍」
 小隊長の一人が駆け寄ってきた。南の地の戦は密林で行われる事が多いため、みんな徒歩(かち)である。当然、それは私も例外ではない。
「この先で、集落のようなものを発見したという報告が入っています」
「罠ではないのか?」
「いえ。その罠の先にありました。他にも葦(あし)で厳重に道を隠していたりと、何かありそうな気配です」
「兵はまだ入っていないな?」
「はい。その前にご報告すべきと判断しましたので」
「分かった。私が出向こう」
「危険ではないでしょうか? 巧妙な罠である可能性があります」
「だからこそだ。そのような所に兵だけを行かせられるか」
 尚も兵は不安そうな顔をしているが、それ以上は何も言わなかった。大将の身を案じるのは、別に悪い事ではない。
 兵を十人ほど連れて、その集落に向かった。道中は、確かに外敵への厳重な備えが施されており、罠は兵がすでに取り外してしまっているが、葦などは計算して配置された形跡がある。これを見破ったのは運だろう。ただ、それが幸運かどうかは分からない。しかし、その匂いはする。
 集落に人の気配はなかった。風の音や、虫、鳥獣の鳴き声がするだけである。元々、異民族が住んでいたのか、所々で生活感を漂わせている。しかも、それほど時間は経っていない。
 兵の十人は周囲を警戒しているが、伏兵などの気配はないようだ。そう思いながら、集落を探索していると、微かな人の視線を感じた。気付いているのは、どうやら私だけらしい。視線には恐怖も混じっている。
 視線の元を目で辿った。前方にある小屋。
「ついてこい、お前達。武器は構えたままだ」
 私がそう言うと、兵たちは緊張した面持ちで後ろについた。
 小屋。もう視線は感じない。だが、この中に人の気配がある。しかも、複数だ。
「将軍、何か居ます。お下がりくださいっ」
 兵が声をあげると同時に、私は小屋の扉を蹴り破った。悲鳴。女たちの悲鳴だ。
 その刹那、両脇から殺気。感じると同時に、腰元の剣を抜き放っていた。血しぶき。首が二つ宙を舞い、小屋の壁と天井は血で赤く染め上げられた。さらに悲鳴が強くなる。
「将軍、お怪我はっ」
「騒ぐな。無傷だ」
 複数の女が恐怖の表情を浮かべて、こちらを見ている。両脇には首のない男の死体が転がっていて、まだ血が流れ続けていた。さしずめ、この女たちの護衛といった所だろう。となれば、この女たちには何らかの価値がある。
 じっと女たちを見据えた。恐怖からなのか、みんな全身を震わせて、顔をそむけている。その中で、一人の女と目があった。
 褐色色の肌だった。いかにも異民族の女、という風貌である。ただ、顔は美形で、はっきりとした目元が印象的だった。
「出て行きなさいっ」
 その女の一喝だった。それを聞いて、私は口元を緩めていた。何故かは自分でも分からない。
「立場を考えるのだな、女」
「出て行きなさい、と言っているのです」
 女は、豊満な肉体だった。何かが自分の中でうごめいている。獣か。わからない。ただ、抑えきれるものではない。獣なのか。
 気付くと、私は女に近寄っていた。
「寄らないでっ。父上が黙っていませんよっ」
「父とは誰だ?」
「ハーマン。南の王です」
「残念だ。その南の王は、この私が屠る事になる」
「まさか、あなた。竜巻、竜巻のハルトレイン」
「美しい女だ。あんな汚らしい男の娘とは思えん」
「寄らないでくださいっ」
 女が平手打ちを放ってきた。それを受け止め、力任せにねじりあげる。
「強気な女だ。だが、嫌いじゃない」
 私がそう言うと、女は強気な視線を突き刺してきた。それが、何故か獣を凶暴化させていく。
「将軍?」
「女たちを連行しろ。殺すなよ。ハーマンとの決戦で切り札になるかもしれん。場合によっては、犯しても構わん」
 私がそう言うと、兵たちは明らかに目の色を変えた。ずっと戦続きで、しばらく女を抱いていない。男としての鬱憤も溜まっているに違いないのだ。
「この、外道」
「これが戦だ、女。そして、勝者には奪う権利がある。恨むのなら、父を恨むのだな。私に負けた父が悪いのだ」
「見下げた男。畜生にも劣るっ」
「好きに言うが良い。お前は私が犯してやる。すぐにだ」
 そう言うと、女は驚きの表情で目を丸くした。僅かに恐怖の色も混じっている。それが、さらに興奮を煽る。
 獣が抑えきれなくなっていた。今まで、女など抱いた事もない。それなのに、目の前の女を犯し尽くしてやりたい。そう思っていた。
 思うように弓が引けなくなっていた。連続で引くと、息切れを起こしてしまうのだ。どうやら自分にも、老いというものがやってきたらしい。鏡で顔を見る度、白髪や皺の数が増えたという気はしていたが、実際に弓を引いてみると、老いを実感してしまう。
 すでに五十歳をいくつも過ぎているのだ。若い頃と比べるのは、きっと愚かな事なのだろう。いや、若い頃と比べてしまう事自体が、老いたという証明なのかもしれない。
 僅かな休憩を挟んで、再び弓を射た。矢は的を貫き、そのまま粉砕する。威力は衰えていない。敵兵の盾を貫き、気が充溢しきった時など、盾ごと敵兵を吹き飛ばす事だって出来る。それも、三人を一度にだ。ただ、連射が出来ない。これが戦場では何を意味するのか。
「さすがですな、バロン王」
 供の一人がそう言った。さらに続けざまに、賞賛の言葉を押し並べてくる。それが阿っているように聞こえて、私は微かな不快感を覚えた。
 最近は、こういったご機嫌取りのような者が近くにつく事が多い。ヨハンには、どうにかしろと伝えてあるが、どこからか入り込んでくる。つまるところ、能力はあるのだろう。そして、世間的に言えば、世渡りが上手い部類だという事だ。
「若い頃は、連続で放てていた」
 その者には目をくれず、私は静かにそう言った。
「いやいや、バロン王は老いても尚、壮健でいらっしゃる。まるで、あのレオンハルトのように」
 また、おだてが始まった。聞いていると、その場で斬り捨てかねないので、私は馬を走らせた。馬の振動が、身体の芯に響く。疾駆させて、戦場を駆け回る事が出来るのも、もうあと僅かの時しか残されていないのかもしれない。
 愛馬のホークは死んでいた。二代目が居るには居るが、先代とは全く違う性格をしており、私には合わなかった。今は乗り手を探している所だが、きっと若い者にあてがわれる事になるだろう。二代目のホークは、負けず嫌いで荒々しい性格なのだ。
 馬といえば、タイクーンの二代目が居た。タイクーンとは、剣のロアーヌの愛馬である。初代はアビス原野での戦いで、ロアーヌと共に命を散らせたが、二代目は牧場で乗り手を待ち続けている。先代に負けず劣らずの名馬である。そして、乗り手を選り好みする所もそっくりだった。
 遠乗りを終えて、ピドナ政庁に戻ると、ヨハンが待っていた。
「また、お出かけですか?」
「悪いか? 国とメッサーナは今、休戦状態にある。馬にぐらい乗っておかないと、戦場に出れなくなってしまいそうでな」
「バロン様は王です。戦は軍人に任せておけば良いのではありませんか?」
 この所、ヨハンの小言が多くなっていた。これは昔からだが、ランスが死んでしまってから、より一層うるさくなったという気がする。それに加えて、最近では戦は軍人に丸投げすれば良い、という考えが芽生え始めている気配もあった。
「それよりヨハン、あの供の一人は何だ? あぁいう人間を私が好まないのは知っているだろう。危うく斬り捨てる所だったぞ」
「あれでよく働くのです。彼も必死なのでしょう。バロン王に認められたい、という一心があるはずです。別に不正はしておりませんし、ある程度は耐えて頂かねばなりません」
 その言葉を聞いて、私はため息をついた。
「とにかく、バロン様は王なのです。良いですか、王たる者は」
 こうなると黙って聞くしかなかった。
 思い返せば、私は文官との相性があまり良くない。北の大地を治めていた時も、ゴルドという者が文官のまとめ役だったが、このゴルドとも仲は良くなかったのだ。
 ゴルドは私の父親代わりの男で、小うるさい所が苦手だったが、数年前に穏やかに死んでいった。それを伝え聞いた日の夜は、一人でひっそりと涙を流したものだった。
 一通り、ヨハンの説教を聞き終えて、私は私室に入った。扉を叩く音がするので返事をすると、しわがれた声が聞こえた。
 クライヴである。現在の大将軍だが、高齢で戦場には立てそうにも無かった。最近では、馬に乗る姿も見ていない。
「長い説教でしたな」
 皮肉めいた笑みを浮かべながら、クライヴは部屋に入ってきた。
「疲れたよ。遠乗りよりも、ずっとしんどい。だが、ヨハンには苦労をかけている。メッサーナの政治は、あの男一人の手にかかっているようなものだからな」
「みな、老いました。特に私などは、見ればすぐに分かるほどに」
 ヨハンも老いた。クライヴは、そう言っているような気がした。だからこそ、あの説教なのだと。
「クライヴ、ここは私の部屋だ。昔のように、軍人同士として話さないか」
「バロン様は王ですが」
「その王である私が言っているのだ。ヨハンと同じような事は言ってくれるな」
 私がそう言うと、クライヴは低い声で笑った。了承の返事という事だろう。
「老いたな、本当に。今日、遠乗りをしてみたが、連続で弓が引けなくなっていた」
「なに、まだ馬に乗れる。私など、馬にすら乗れなくなった」
「クライヴ、いくつになった?」
「さぁなぁ。六十五はいっているだろう。七十に達しているかもしれん。ただ、いつからか自分の年齢の事を考えるのはやめたよ」
 そう言って、クライヴは寂しそうな眼であらぬ方向を見ていた。顔に刻まれた皺が、はっきりと老人の顔だと主張している。
「バロン、私はいつまで大将軍をやっていれば良い?」
 しばらく間を置いてから、クライヴは言った。
「どういう事だ?」
「もう戦場には立てん。馬にすら乗れん。そんな男が、大将軍などやって良い訳があるまい」
「若い者たちは慕っているのだろう?」
「どうかな。見方を変えれば、労わっているようにも見える」
 クライヴは退役を望んでいるのかもしれない。軍人は戦場で死ぬ事を夢見るものだが、クライヴはその戦場にすら立てなくなったのだ。そうなれば、退役して静かな暮らしをしたいと願うのは自然な事だろう。
「後継はどうする?」
「難しいな。年齢で言えばアクトだが、あれは大将軍という柄ではない。メッサーナ軍が朴訥になりかねん。かと言って、クリスでは貫禄が無さ過ぎる。となればレンだが、若すぎて他がついてこんだろう」
「私も同意見だな。せめて、シーザーが生きていれば良かった」
 荒々しすぎる男だったが、大将軍に据えても違和感はないという気がする。特に若い兵などは、喜ぶ者が多かっただろう。
「惜しい男を亡くしてきたな、バロン。シーザーもそうだが、ロアーヌやシグナスもそうだ。この二人のどちらかが生きていれば、安心して軍を任せられた。いや、天下が取れていただろう」
「すでに逝ったのだ。仕方あるまい」
「もう少し、この老骨に鞭を入れるしかないか」
「そういう事だ」
 それから、今後の事を少し話し合った。黒豹がウィンセ暗殺で動いている事なども話したが、クライヴの反応は無きに等しかった。軍人である。心の底では、嫌悪しているに違いなかった。しかし、昔のように軍と軍だけで戦う時代ではなくなっているのだ。謀略や暗殺なども、視野に入れて動く事は必要だった。
 私の後継者についても、話題として挙がった。私には、マルクとグレイという二人の息子が居るが、長子のマルクは不出来な為、後継者として据えるのは不安だった。一方、グレイは武術をよくやり、勉学にも精を出す。何より、弓が得意だった。きちんと修練を積めば、名を挙げる事も難しくないだろう。
 王として適任なのは、どう考えてもグレイだった。ただ、長子としてマルクが居る。
「後継者問題は、早めに片付ける事だ。過去にも、それが問題になった国家は多々ある。中には、滅亡に至る国もあった」
「分かっている、クライヴ」
「後継者を決める事が出来るのは、バロン、お前だけだぞ」
 クライヴは最後にそれを言って、部屋を出て行った。
 分かっている事だった。それでも、決めかねているのだ。しかし、いつまでも迷ってはいられない。マルクかグレイか。決めなければならないのだ。
 気付くと、日が沈みかけていた。
83, 82

  

 シオンに勝つ事が難しくなってきた。いや、正確にはシオンではなく、熊殺し隊である。もう数えるのも億劫な程、模擬戦を繰り返しているが、最近では辛勝というケースも珍しくなかった。
 戦のコツを掴んだのだろう。兄として教える事は、最初の模擬戦の際に全て教えたつもりである。あとはシオン自身がどうにかするしかない、という状態だったが、かなり手強くなっている。つまり、将として成長したのだ。
 まだ負けた事はない。スズメバチ隊というブランド力もそうだが、兄としての面子もあった。だから、負ける訳にはいかないが、いつか追い越されてしまうかもしれない、という想いは芽生え始めていた。
 周囲はそんな状況を面白がりながら観察している。特にクリスなどは、露骨にシオンをけしかけていた。模擬戦の後で、これみよがしに助言を与えているのだ。正直、あまり面白くない事だが、そのシオンを打ち負かすのは、また別の楽しみでもあった。
 他にもニールが獅子軍の将軍にあがっており、元将軍のシンロウは熊殺し隊の副官に配されていた。ごく短期間で、メッサーナ軍はかなりの再編が行われている。俺も含めて、若い世代が頭を出してきた、という事なのだろう。反対にクライヴなどは、高齢を理由に戦線には出られないとされているらしい。ただ、大将軍としての軍務は続けると言っている事から、まだ退役はしないといった具合である。
「なぁ、レン。今度、獅子軍と模擬戦をやってくれねぇか?」
 ニールが言った。酒の席である。他にはシオンやシンロウ、ジャミルが居た。若い世代の集い、といった所だが、面子でいえば、珍しい組み合わせだった。
「別に構わんが、今はシオンの相手で手一杯なのだ。しばらく待ってもらう事になるぞ」
 シオンの熊殺し隊とは、かなりの頻度で模擬戦をやっていた。部隊の質が高いため、スズメバチ隊にとっても有益なのだ。特に最近はシオンの成長もあって、単独で調練をやるよりも効果が高いという面が強くなってきている。
「獅子軍単体だと、どうも良くねぇ。親父と同じような調練をやっちまってる」
「攻撃主体か?」
 横からジャミルが割って入ってきた。この面子の中では、最も年長である。
「そういう事だ、ジャミルさん。兵もそういう調練を好むからな。だから、防御の調練をやるぐらいなら、模擬戦の方が良いと思ってる」
「それなら、うちの熊殺し隊とやれば良い」
「勘弁してくれよ、シンロウ。あんたが居たんじゃ、獅子軍の手の内がバラされてるのと一緒だ」
 ニールがそう言うと、シンロウは声をあげて笑った。シンロウは獅子軍の兵を知り尽くしており、主立った兵の特徴や癖などは暗記してしまっている。ニールも、そんな男が居る部隊とはやりたくないのだろう。
 それにしても、シンロウは上手く気持ちを切り替えたものだった。将軍から副官に降ろされるというのは、決して穏やかな話ではない。どこかで転機を得て、今ではしっかりとシオンの副官を務めている。
「しかし、シオンとやり合うのは良いかもしれんぞ。端から見ていても、両者の実力は拮抗している」
「ジャミル殿、俺の熊殺し隊が獅子軍と拮抗しているというのですか?」
 シオンが口火を切った。この一言で、ニールが僅かに殺気立つ。
「どういう意味だよ、シオン?」
「熊殺し隊が獅子軍などに負ける訳がない」
「てめぇ、スズメバチ隊の眷属(けんぞく)だからって調子こいてんじゃねぇぞ」
「それはこっちの台詞だ。兄上のスズメバチ隊に勝てると思っているのか?」
「今はてめぇの熊殺し隊の話だ。兄貴の威なんざ借りるんじゃねぇ」
「その熊殺し隊で勝てないのが、スズメバチ隊だ。そして、熊殺し隊はその眷属だ。獅子軍が勝てる見込みなどあるものか」
「言ってる事が無茶苦茶だぞ、てめぇ。まぁいい。表に出ろ」
 ニールが親指をしゃくった。同時にシオンも殺気立つ。シンロウだけが、うろたえる様子を見せていた。
 二人は無言で席を立ち、店の外に出て行った。直後、二人の声が店の中にまで聞こえてくる。早い話が喧嘩である。
「ジャミル、煽るのはよせ。特にニールだ。あいつは酒が入ると暴れる癖がある。今回は店の外だから、まだ良いが」
 俺がため息まじりに言うと、ジャミルは腹を抱えて笑い出した。この様子を見る限り、やはりわざとだったらしい。煽りに乗ったのはシオンだが、それを見越しての発言だったのだろう。
「なんだ、そういう事ですか。それでレン将軍も止めなかったのですね」
「止めると、俺までとばっちりを食う事になるのだ、シンロウ。ニールはまだしも、シオンを止めるには骨が折れる」
「あいつ、強いですからね」
 シンロウが苦笑する。シオンも酒が入って勢いを得ると、力ずくで止める必要が出てくる。口で言っても聞かなくなるのだ。それに酒で武の才が鈍るという事もないため、立ち合いに似たような事をしなければならなくなる。
「これでダウドが居れば最高だぞ。あいつがまた、ニールを煽るのが上手い」
「よせ、ジャミル。まぁ、確かにダウドが居ないのは寂しいが」
 ダウドは今、国の都に潜入していた。黒豹の一員なのだ。任務内容はごく一部の人間にしか知らされておらず、俺も詳しくは知らなかった。ただ、都に潜入している所を察する限り、かなり重要な任務であるという事は推測できる。ましてや、黒豹が動いているのだ。少なくとも、単なる情報収集などの間諜が目的ではないだろう。それならば、白豹で事足りる。
 ダウドの黒豹入りは驚いたが、それなりの活躍をしていると聞いた時には安堵の気持ちもあった。ダウドには多面的な才能があったが、体格には恵まれなかったのだ。だから、普通の軍では小隊長が良い所っだっただろう。しかし、ダウドは小柄な体格を長所とし、黒豹という特殊部隊を自らの活躍の場として選んだ。つまり、場所を得たのである。
「あの、放っておいて大丈夫ですかね?」
 シンロウが店の外を伺いながら、そう言った。野次馬が出始めている。
「いや、そろそろ出て行かないと迷惑になるな」
「他人事のように言うな、ジャミル。もうすでに、十分に迷惑になってるぞ」
「だったら、最初にレン殿が止めれば良かったと思うんですが」
 そう言ったジャミルに少し腹が立ったが、俺は表情に出さずに店の外に出た。
 すでにシオンがニールを伸した後だった。
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シブク 先生に励ましのお便りを送ろう!!

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