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 うかつだった。学校に不審者が乱入しないように、巡察する警官が増えたのはちょうどこの頃からだ。その警官は仏のように穏やかな顔をしていたが、警官の制服がいやおうなしに圧迫感を与えている。警備員はおろか駅前の駐輪違反を取り締まるボランティアにさえビビる小心者の僕は、別に悪いこともしていないのに目も合わせられないで、ますます挙動不審になっていく。
「お名前よろしいですか。」
まずい。まずいぞ。ここで自分がタイムスリップして10年前にやってきて、人生を変えるため少年時代の初恋を成就させようと、ここから小学校の中を覗いているなどと言って見ろ。一生危険人物として塀の中で過ごすことになる。早く職質に答えなくては。しかしどうやって自分の身分を証明する?思案しながら何気なくポケットに手を入れると、プラスチックのカード状の物の少しまるみを帯びた角に手があたった。しめた。そういえばバイトの面接を受けるため翔少年に父親の免許証を借りていたのだった。堂々と免許証を見せて金子翔二と名乗ると、当然の問いが返ってきた。
「写真よりお若く見えますが。」
そりゃそうだ。顔が似てるとはいえ父親はこの頃32歳、僕はまだ21歳。翔少年やバイトの面接官の目が節穴なのだ。
「その免許証をお預かりしてもよろしいですか?」
 返ってややこしいことになってしまった。もう、おしまいだ。頭の中の走馬灯が最後のスタッフロールまで流れ始めてしまっている。ジャッキー・チェンならNGシーンが流れているところだ。
「お父さん、何やってんだよ。迎えに来てくれたんでしょ。」
そう言われて袖が引っ張られる。
「翔!!」
「ああ、お迎えでしたか。最近物騒ですからね。」
警官はそう言うとニコリとしながら、会釈して立ち去っていった。僕はほっと胸をなでおろし翔少年のほうを見た。僕は少年の頃こんなに機転が利いただろうか、本当にこの子は10年前の僕自身なのだろうか?今はそんなことよりも告白の行方が気になるが、それは聞くまでもなかったようだ。翔少年の傍らには寄り添うように大場さんがいる。僕はなんともいえない幸福感に包まれた。きっと自分に子供ができて、一人前になって巣立っていくときはこんな感じなんだろうな。気の早すぎる妄想は大場さんの一言でかき消された。
「翔君って結構度胸あるよね。お巡りさんにウソつくなんて。」
大場さんは確か父親と面識はなかったはずだ。なのに一発で僕が父親ではないことを見抜いてしまった。この先最愛の人にウソがばれないようにおびえながら、一生ウソをつき続けなければいけないと思うと気が重い。僕がさらにウソを重ねようと口を開く前に、翔少年がフォロー
を入れた。
「この人は僕の親戚のお兄さんで、今日はお父さんの代りに迎えにきてくれたんだ。名前は……ドク。」
なかなか良い言い訳だが、ひとつだけ気に入らないことがある。
「お前、ドクはないだろ。俺だって好き好んで独身男をやっているんじゃないんだ。」
「何言ってるんだ。ドクって言ったらバックトゥザヒューチャーじゃないか。」
「なんだ、そっちか。だとしてもせめてマーティだろ。」
「どう見ても僕がマーティだよ。あんたはドクだ。」
「バカヤロー、マイケル・J・フォックスはああ見えて結構歳いってんだ。僕がマーティ。」
横で聞いていた大場さんが無邪気に笑っている。この笑顔が見れただけでもタイムスリップした甲斐があったというものだ。僕は「ところでいったいなんて告白したんだ?」と肘で翔少年を少し小突く。「なんだよ。全然見てなかったんじゃないか。」と小突き返された。
 


 もうすぐ夏休みが終わる。きっと翔少年は夢のような休暇を過ごしたことだろう。
「お前はいったいこの一ヵ月半何をしていたんだ。本当に何もなかったっていうのか!!」
僕の怒声は残暑の空をつんざいた。
「うん。まだ手すら握ってないよ。」
そういえばこの頃は女の子と手をつなぎたいというかわいらしい夢をもっていた。いまだに叶ってはいないが。
「よし、僕に任せておけ。」
とは言ったもののどうしようか。僕の恋愛経験はこの少年とさほど変わりはないのだ。いや、僕には今まで培ってきたエロゲの知識があるじゃないか。
「作戦1、まずはツイッターやれ。」
「ツイッターって、何?」
しまった、10年前にはまだツイッターはない。
「じゃあ作戦1.1、彼女とメールアドレスを交換しろ。」
「携帯持ってないもん。」
「買ってやる。ついでに通話料も払ってやる。」
とたんに翔少年の目が輝きだした。
「作戦2、メールしまくれ。日常に起こったどんな些細な出来事でもいい。逐一報告しろ。『テストで良い点なう。』とか『夕食のカレーなう。』でもなんでもいい。マメな男が結局モテる。」
「えー、ナウいとか古臭くない?」
「ナウいじゃなくて、なう。最先端だよバカヤロー。」
「今、分かったナウ。こういう風に使うの?」
「いやいや、今とナウが重複してるから。ちゃんと使えし。」
「何それ、それも流行ってるの?」
「ああ、語尾に『し』をつけるんだ。」
「今日は遅いし、もう帰るね。こんな感じ?」
「いや、それ。正しい日本語だから。」
どうやらこっちの作戦はダメそうだ。翔少年には作戦3で頑張ってもらうことにしよう。

 九月十一日朝六時、ホテルのロビーで翔少年と最後の打ち合わせをする。
「いいか、必ず電話かメールで定時報告を入れるんだぞ。」
「大丈夫かな。町内も出たことないのにいきなりニューヨークだなんて。」
九月十一日から三日間、翔少年と大場さんをズル休みさせて、三人でニューヨークに旅行に来ていた。
「いまさら何言ってんだ。最初のデートがいきなりニューヨークだからかっこいいんだろ。町内って、あのみみっちい元町タワーにでも行くつもりだったのか?」
元町タワーとは通称で、翔少年の住んでいる元町の全長52.6mの名もない電波塔である。最寄り駅の「鉄塔下」という名前も、周りに他に何もなかったので付けられた。ただの電波塔なので当然展望台などはないが、近くに蝋人形館がある。こんなところだけ本物にあわせている。
「町内じゃなくて、他にもディズニーシーとかあったでしょ。」
そうか。ディズニーシーの開園はちょうどこの年の九月だ。
「ディズニーシーはどっちかというと大人向けだからなぁ。」
「ニューヨークのほうがよっぽど大人向けだよ。」
「ニューヨークでなきゃダメなんだ。ここで今世紀最初の大事件が起こるんだ。つり橋効果って知ってるか?おっと、彼女が来たぞ。うまくやれよ。」
二人をタクシーに乗せる。もちろん、日本語を話せるドライバーを頼んである。さぁ、ここからは班別行動だ。僕は頼んでおいた別のタクシーに乗り込み、一度は言ってみたかったあのセリフを言った。
「前の車を追ってくれ。」
ニューヨークは場所によっては治安が悪い。しっかり見守らなければ。この作戦のために、家族から他人のような気がしないといわれるまで信頼関係を築いたのだ。まぁ実際他人ではないのだが。
「お客さん、俺は日本語の他にもドイツ語と中国語も話せるんだ。その分チップをはずんでくれよ。」
他の国の言葉は僕には無関係だろう。ずうずうしい運転手だ。
「そんなことよりちゃんとエンパイアステートビルに向かってんだろうな。」
予定では最初はエンパイアステートビルを見に行くことになっている。
「エンパイアステートビルに行くのか?前の車はルートを外れてるぜ。世界貿易センタービルの方へ行ってる。まぁ、そっちの方がいいかもな。最近スパイダーマンの映画の予告編で使われるらしいからな。」
なんてことだ。こんなことならちゃんと今日起こることを伝えておくべきだった。僕はすぐに電話をかけたが、出ない。メールですぐにここから離れるようにと送ったが、返信はない。クソッ、定時連絡入れるようにあれほど行ったのに、翔の奴テンパりやがって。二人の乗るタクシーはツインタワーのそばで止まった。僕もすぐにタクシーを降りる。チップの相場が分からないせいで、運賃とあわせて100$も取られてしまった。だがそんなことを気にしている場合ではない。二人を見失ってしまったのだ。ツインタワーの北棟と南棟。どちらかに二人はいる。迷っている暇はない。僕は意を決して北棟に向かった。先に航空機が衝突したのは北棟だ。万一二人が南棟にいても間に合うはずだ。
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