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雪のスピード/ワイケー

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 外は雪がふわふわと舞い降りて白い世界を作っている。
 わたしは雪の日が苦手だった。

 クリスマスイブの日。中学校は休みだけど、わたしは夕方頃、自分の部屋で制服に着替えていた。
 文芸部の部室でのクリスマスパーティに行く準備だ。
 夜まで続く催しではある、けれど、ささやかなもので、文芸部で部員も少ないし、体育会系じゃない、派手じゃないものになるはずだった。ただ集まる、というくらいの。だからそれほどの緊張は覚えなかった。
 ……けれど、他の憂鬱はあった。
 窓の外を見てため息をつく。
 街には、雪がしんしんと降り注いでいた。
 雪を見ると、わたしは少し気分がふさいでしまう。特にクリスマスの雪はきらいと言ってもよかった。
 昔、まだ小さかった頃、雪の降るクリスマスにけがをしたことがある。
 たいしたものじゃなくて、雪遊びの最中、転んで足をすりむいて血が出たくらいのもの。けれどそれを男の子にバカにされて、幼く気が弱いわたしは惨めな気分になった。運動神経がなくて鈍い女の子なんて、小さい子供たちの間では格好のからかい相手になる。
 何でもない出来事だったとはわたしもわかっている。けれど雪の日には反射的に、あのときの傷の痛さや寒さ……そんなことを思い出して沈鬱な気分になってしまうのだ。
 だから雪が降ると、いつもその日は長く、永遠みたいに思えた。早く止むのを願い、白い世界が晴れ渡るのを、引き延ばされたような時間の中で待つ。
 それがわたしの雪の日。わたしの雪のクリスマスだった。
 だいたい、そうじゃなくても、冬は寒いし、雪だったら地面が滑るし、いいことないじゃないか。それに、雪の中むつまじく歩く大人のカップルなんかを見ると、うらやましく思えてしまうし……。遠い世界のことのようで、何となくため息が出る。
 わたしは、垢抜けてはいないから。
 中学の制服に身を包んだあと、鏡を見ながら軽く髪を整える。
 他人からどう見られているかはわからないけど、自分で見ると地味な女の子が、そこには映っている。スカートは派手に短くしている訳じゃない。髪は黒のボブカット。目立たない容姿だけど、意識してやっている部分はあった。お洒落をしようと思うと恥ずかしくなってしまう。自分にはそんな資格がない気がして、勇気が湧いてこなかった。
 時間になったのでぱたぱたと階段を駆け下り、そろそろ出発しようと思った。お母さんの声。
「あら知子、もう行くの? 気をつけなさいね。雪で足下が滑るから」
「だいじょうぶだよ、お母さん」
「でも時間も遅くなるだろうし、心配だわ。こんな時に、昔みたいに良二くんが一緒だったらいいんだけれどねえ」
 わたしは緊張した気分になって、とんでもない、と心でつぶやいた。
 今となっては、わたしなんかが彼と一緒に歩くなんて、考えられない。

 雪の中歩くと、灰色だった道路も白に染まっていて、空からさらに白雪が降っている。この何年かで一番じゃないかと思えるほどの降雪。世界は真っ白だった。
 昔が思い出される。
 気分が優れなくなりそうだ。
 今日は長くなりそう。早くこの雪景色が終わってくれればいいのに、と思った。
 学校が近くに見えてくると何となくお母さんとの会話を思い出す。
 良二くん、というのは、いとこのことだ。同い年で学校も同じ男の子。家が近くて、幼い頃はよく遊んだ仲だった。お母さんが彼のことをよく口にするのもそのためだ。
 ただ、今はわたしと彼は昔のような仲ではない。良二くんは中学生になると、背が高く大人っぽくなって、女の子に人気の人になった。要するにもてだしたのだ。かっこうよくて垢抜けている男の子、これが今の彼。
 相変わらず地味なわたしとの間には、今では距離があった。
 一応、同じ文芸部に所属してはいる。けれど、部室で一緒になったことはあまりない。他の部活も兼任しているらしく、別の場所で活躍している噂などを、結構聞いた。
 ごくたまに会うと、向こうは割と、気軽に声をかけてくれる。けどわたしの方は、いつからか成長した良二くんを見るとどこかどきどきしてしまって、冷静になれなかった。
 遙か昔に仲よくしていたこととか、幼い子供同士にありがちな遊びで、結婚の約束などをしたこととか、そんなことも思い出してしまって、緊張してしまうのだ。
 今の彼はわたしのことなど、何とも思っていないというのに。

 狭い部室に集まったのは部員の半分くらいだった。女の子中心のメンバーに近く、全部集まっても十人ほどしかいないから、予想通りというのか、少し寂しい感じもした。
 やってきたわたしに、一番仲よくしている女の子の部員が残念そうに言った。
「男子はほとんど、こないかもしれないよ。こういう集まりって、男の子はきたがらないじゃない? 空島くんもこないだろうしなあ」
 空島、というのは良二くんのことだ。彼としゃべることができるかも、と思っていたけど、残念だった。でも、わたしとしゃべるなんて、もしかしたら向こうにとっては迷惑かもしれないから、よかったのかも知れない。
 彼は女の子に人気がある人だ。だから今頃、恋人とでも二人で、デートに行っているのかもしれない。
 ふと、それを考えるとなぜか、胸が痛くなるような気がした。もしかしてわたしは彼を意識してたのか、と思う。いや、意識していたことはしていたけれど、ずっとそんな風に思っていたのだろうか、彼のことを?
 わたしなんかが……。
 顔から火が出るほど恥ずかしいという気がしてきた。
 パーティは人の少ないまま行われ、それでも、ひとしきりお菓子や飲み物で楽しんだ。そこに形ばかりの反省会を催したり、簡単なゲームをやって過ごした。いつもの部室が違う空間になったようで新鮮だったけれど、良二くんが見られなかったことで心が少し沈んでいく気がした。
 夜まで続いたところで、パーティは終了した。結局最後まで良二くんは現れず、彼とは会わないまま帰ることになりそうだった。
 校舎の外、みんなが家路につこうと帰り道に向かって行ったところで、わたしはたたずんで、夜空に降る雪を見た。
 白くて暗い世界。その中にわたしは、一人だった。
 寒かった。早く、帰ろう。
 人影もなくなり、無人になった頃。寄りかかっていた壁から離れて、自分も歩き出そうとしたときのことだった。遠くから声をかけられた。
「知子」
 わたしはびっくりする。見知った人影が、白い夜の中からあらわれていた。それは良二くんだった。
 突然のことに、わ、わ、と驚いていると、彼は近づいてきて気さくに話しかけてきた。
「文芸部のパーティか? 俺も出たかった、けどちょっと間に合わなかったな。ちくしょう」
「りょ、あの……良二くん。どうして」
 彼は、昔からのわたしの中のイメージとまったく変わらない、子犬のように愛嬌のある笑顔を見せながら、校舎の後ろ側、裏山のある方を指した。準備してたことがあってね、と含むように言った。
「知子にちょっと、見せたいもの、というかやって欲しいことがあって。ついてきてくれ!」
 するとわたしが混乱しているうちに、わたしの袖をとって歩き出した。
 そこは校舎裏に広がる、結構大きな裏山。その、校舎から頂上に向けて続く斜面だった。彼はそのまま上りだした。
 かなりの高さに達したところで、彼は雪のかたまりから何かを取りだそうとしていた。
「昔よくこうして遊んだよな」
 ずぼっという音と共に取りだしたのは、そりだった。子供の頃に使った記憶があるような古いそり。
 彼は、わたしをそれに乗せた。ひょっとしてこの急斜面を滑らせるのだろうかと思っていると、彼も、わたしのすぐ後ろに乗った。
 そりは小さかった。だから、彼がわたしを抱くような形になる。包み込むように大きい彼の胸を感じる。彼は本当に、これで滑るつもりらしかった。
 わたしは斜面の長さ、急さを思い出してちょっと怖くなる。
 白く降り注ぐ雪、その憂鬱な光景と、校舎までならされて続く斜面が恐ろしくて、身震いした。
 記憶がよみがえってくる。彼が、心を読んだように言った。
「だいじょうぶだ」
 なぜかその一言で、いろんなものが止まるような気がした。
 瞬間に、わたしたちを乗せたそりは雪の上を滑り出していた。
 はじめからものすごく急な坂で、そりのあまりの速さに身がすくんだ。転んだらただじゃすまなそうだ。風の冷たさと段差の衝撃。それらが定期的に襲ってきた。怖かった。しかし、彼は巧みにそりをコントロールしてもいた。
 滑りながら彼は少し照れくさそうに言った。
「知子と、話したかったんだ。――知子はさ。中学校に上がってから、急に大人っぽくなったっていうか、どんどん、綺麗になっていっただろ。それで、何だか近づきがたくなっていたんだ」
「え、え。そ、そんな、わたしなんて……」
「おおっぴらに女子に話しかけるのも恥ずかしいし、それで中々声をかけられなかったんだ。でもずっと話したかった、前みたいに」
 冷たさに、強い風。そりは速い。高速再生するようにまわりの景色が背後に飛んで消えて行く。白い雪が風雨のようにわたしたちを取り巻いて、トンネルを造っている。斜面はところどころでカーブがあり、舞い散る白いトンネルと一緒にそこへ突っ込むと、車に乗っている時以上のスピードに感じられた。
 でも、不思議と怖さはなかった。ものすごい勢いで下りながら、これまでにない速度で過ぎていく雪景色。それは今まで早く過ぎて欲しくてたまらなかった、早く終わって欲しくてたまらなかったはずの真っ白な世界だ。
 でも今それは、恐ろしくもないし、痛くもない。寒くもなかった。
 反対に、ゆっくりでいい、過ぎていかないで欲しい。このまま永遠に続いていて欲しい、そんな風に思える光景に見えた。
 彼の体温に抱かれた温かさ。
 それと一緒に、温かい雪。
 温かい白。
 温かい景色が、そこにあった。
 初めてだった、こんなこと。ずっと続けばいいと思うなんて……。
 夜に浮かぶ白銀の世界が綺麗だ。高速の雪景色に、見失ってた何年分もの美しさが全部、詰まっている気がした。
「知子はどう思っているか、わからないんだけど。俺の気持ちは変わっていないんだ。あのときから」
「えっ……」
「言っただろ。知子、好きだ」
 瞬間的に、わたしは顔が猛烈に熱くなるのを感じた。あわわとパニックになりながら、思い出したのは昔だった。それは結婚の約束。一方的な感情じゃなかったんだ。
 そういえば、とわたしは重大な記憶がよみがえるのを自覚した。
 わたしが雪をきらいになる原因になった、けがをしたとき。みんなに悪口を言われて、わたしは凄くショックを受けて、本当だったら立ち直れないくらいのはずだった。でも、単なる苦い思い出くらいで済んでいるのは、雪にたたずんでみんなの言葉を受けている中、一人だけ、わたしの前に立って、わたしをかばってくれた人がいたからだった。良二くんだ。今と変わらない溌剌さで、一人だけだったわたしのことを、何も悪くないと言ってくれた。
 涙ぐみそうになりながら、わたしはうんとうなずいた。
「それから……良二くん、ありがとう。あのときのこと」
 斜面の終着点に近づいた。校舎のすぐそばだ。そりで高速のまま、なだらかになった坂を走ると、眼前に巨大な雪のかたまりが見えた。
 わたしは驚く。スポンジのように柔らかく積まれた雪で、クッションの代わりになりそうだった。
 最初からブレーキのようなものを使うつもりはなかったんだと思うと、ちょっと憎らしい気持ちになりながら、二人して雪のかたまりに突っ込んだ。
 ようやく止まって、わたしはたちは雪に埋もれていた。少しして、うめきながら顔をあげると、雪の中を探っている良二くんが見えた。
 彼はそこからリボンで包装された箱を取りだした。
「これ。クリスマスプレゼント」
 わ、と声をあげてしまった。こんなものまで……。手のひらサイズの綺麗な箱を受け取ると、憎らしさも忘れて、どきどきとしてくるのが抑えられなかった。
 立ち上がると、彼は手を少し、わたしの方にのばした。わたしはどうしよう、どうしようと散々迷った末に、ゆっくり、彼と手をつないだ。
 さっきまで、温かい、と言ったりずっと続けばいいと思っていた。けど、それは訂正した方がいいという気がした。だって、温かいどころか、わたしの手も顔も頭の中も、全部がどきどきしすぎて熱すぎるくらいだった。
 こんなのがずっと続いてたら死んじゃうよ。胸を押さえて息を整えながら、そう思った。
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