吉田智子の朝はうんこから始まる。
朝の寝覚めにはうんこと洗顔に限る。それが智子の習慣であり、死んだ母からの教えであった。
その日も智子は朝の快便と洗顔を済ませてから、仏壇で優しく微笑む母の遺影に線香をあげて挨拶をした。
おはようございます、お母様。今朝も智子は快便でした。今日も一日、智子の胃腸を見守っていてください。
智子は手を合わせたまま黙礼をすると、ロウソクの火を消してダイニングに向かった。
ダイニングでは既に父と姉が朝食を済ませて、のんびりと食後のコーヒーを啜っていた。智子が室内に入ると二人ともそろって顔を上げた。
「おはよう、智子」
「おはようございます、智子さん」
「はい、おはようございます。お父様、お姉さま」
席に着くと、使用人の斉藤が素早く智子の前に朝食を並べた。フレンチトーストとシーザーサラダとプレーンヨーグルト。それに、コーヒー。それが、朝の食が細い智子のいつものメニューであった。
「おはようございます、お嬢様。お加減はいかがですか?」
「今日も快便でした、斉藤さん」
「はい」
満足そうに頷くと斉藤は一歩下がった。
今日はいつもより朝食を多めに取っておいたほうがよかったでしょうか、と思いながらも智子はいつもの朝食を食べ終え、食後のコーヒーを斉藤に淹れさせた。
一口目はブラックで。二口目からはミルクを入れて。それが智子のコーヒーの飲み方だ。ブラックは目覚ましに丁度いい。苦さに頭がしゃきっとして、一日を頑張ろうという気持ちにさせる。それに一杯分ブラックで飲み干すには智子にはまだ苦すぎた。「なら、最初からカフェオレで飲めばいいじゃないですかー」と姉にはよく言われる。だがしかし、智子には最初からカフェオレが飲めない理由があった。
智子はコーヒーにミルクを入れてスプーンでくるくる回した水面をじっと眺めた。黒い液体が渦を巻き、茶色く濁ってくる。その色が智子にはどうしても好きになれなかったのだ。なぜなら――。
「うんこみたい」
ぽつりと呟き、コーヒーを啜った。うんこみたいな色の液体は、今日も智子をほっとさせる味をしていた。
なにはともあれ、今日から新しい生活が始まる。
智子は期待と不安の入り混じった気分とともに、うんこ色のコーヒーを飲み干した。