後藤、おまえ大学受かったんかワレ!(短編)
『あっ、先輩いま暇ですか? 暇ですよね? ちょっとすぐ来てくれないと俺スゲェ困るんですけどあの』
「死ねば?」
俺はスマホの通話オフボタンを心をこめて押した。
振り返ると俺の生徒の優花里ちゃんが怯えた顔で俺を見上げている。若干15歳、酸いも辛いもお断りのゆとりJK1年生だ。まだまだ『昔は今ぐらいの頃に元服しててね』とか自分を誤魔化してもやべーくらい罪悪感を消せない中学3年生感がすごい。まァまだ春だしね。5月よ5月。こんな部活も決まってない初っ端から家庭教師に娘をトライさせてる小野寺さんちのお母さんはちょっと頭がおかしいんじゃないかな。雇われてる俺が言うのもなんだけど。
「ご、後藤さん……」
「なにかな? ああ、そのページの問題はね、ババッとやってプイッて曲げると解けるよ」
いよいよ狂人を見る目つきになってくる優花里ちゃん。銃口を向けられた賢い子犬のように振動している。
「いやあの……なんか死ねとか聞こえた……ですけど……」
「ん? 優花里ちゃん、この世界にみんなが座れる椅子は少ししかないんだ。わかるね?」
ポンと優花里ちゃんの肩を叩く。いいねぇ~いきなり腕掴まれて視界が一回転した後に全治2週間の怪我とかさせられないのほんと捗る。隣町までバイトしにきてよかった。もうあの街には帰らないよ俺。寝にいくだけだわ。ここに骨埋める。
「いきなり死ねだなんて……ま、まさか……後藤さんはヤクザ……? 私も亀甲縛りにさせられて食い込みの微調整をされる……?」
「あ、ちょっと待って優花里ちゃん。うーん君もそういう知能の持ち主か。知り合いにお医者さんがいるから紹介するね?」
「やめてっ! お母さんは関係ないでしょ!」
「誰が母ちゃんの話してたよ! おめーのことだおめーの! カマトトぶりやがって、てめぇハードプレイのエロ動画を男より食い入るように鑑賞するタイプのアホだな! そこに直れ! 修正してやる!」
「こ、こうなったら私がやるしか……たけし、力を貸して……!」
いきなりペンケースから出刃包丁を取り出した優花里ちゃんを目の当たりにして俺は目眩を覚える。なんでこうなった? 1ページ前まで俺、普通にJKの家庭教師してただけだよ? なんでわずか数瞬でこんなキャラ変わるのこの子。おかしいよ。後藤さんついていけない。実家帰る。実家? そうだ、地柱。あの街なら混沌の極みに叩き落とされた俺の正気が取り戻せるはず。なにせ20年暮らしたからな。待ってろ~地柱~!
俺は「秘密を知っておきながら! 生きていようなんておこがましいよ!」などと好戦的なことを喚きながら三段突きをかましてくるJK(15)に当身を喰らわして昏倒させると、窓をぶち破って外に転がりだした。スマホを取り出して、さっき連絡をしてきた後輩の森本を呼び出す。すでに身体は乗ってきたスーパーカブにまたがり、奇声を上げながら包丁片手に迫ってくる小野寺母娘(増えた)を振り切って走り出す。
『あ、先輩っすか? ひどいっすよ、死ねだなんて! 俺このこと、消費者センターに言いますから!』
「森本、あのさ、とりあえず要件はなんだったの? 俺ちょっといま殺されそうだから別件で精神を安定させたいんだよね」
『先輩何回殺されそうになってんすか? そろそろ死ぬんじゃ』
「そうならないためにバイク買ったんだよね……そんなことはどうでもいいよ。俺、これからどこへいけばいい?」
『あ、現在地わかるんでナビしますね』
なんでわかるの、と思ったが森本も独自の世界観を構成しているタイプの俺の大学の後輩だ。きっとなんか最近はそういうアプリが豊富だったりするんだろう。やだ、ストーカーとか気をつけなくちゃ……こないだうちの親父が勝手に俺のアパートに入り込んだりしてたし、物騒な世の中になったもんだよ。
『次の角を右っす。……いや~後藤先輩が捕まってよかったっすよ。黒木先輩、また試合とか言って来れないんすもん。役に立たないっすよ』
「……黒木、確か世界戦やるためにベガスにいるからね? そんなデリケートな時に電話したのおまえ」
『だって俺、困ってるんですよ!?』
コイツもいつか消さないとだなあ。
「……で、次は?」
『地柱高校前を直進してください』
俺はぶぅーんとアクセルを回した。懐かしの校舎の前を通り過ぎていく。
思えば卒業してから2年……あれからいろいろあったなあ。
当時のことは『地柱戦記』としてなろう作家になった茂田が再構成してスーパーヒーロー文庫から絶賛発売中だが、俺たち地柱高卒業生はあいつに金せびっても文句は言われないと思う。一応フィクションだから~とか言ってたけど沢村が手から火ぃ出したあたりとか完全にあいつの日記だったからな……ていうか沢村は実名出されてたし。あいつ今頃どうしてるんだろ。最近LINEが既読無視される。後藤さんは悲しい。
卒業してから俺は某大学へ進学し、一人暮らしを始めた。実家が燃えたという悲しい事件もあったが、その後しばらく幼馴染の家のご厄介になり、そのままそこの親御さんに「ね、既成事実、あるよね?」とか根も葉もない濡れ衣を着せられたので窓ガラスをぶち破って逐電した。ふざけんじゃないよ。
そのまま不動産屋に駆け込み、通り雨でずぶ濡れになった姿のまま、社長さんの前で気絶したらなぜかそんな俺の姿に感動した社長さんに部屋をあてがってもらい、起きた時には新居だった。
「1K、2万3000円だ。……ここで、見つめ直しな。自分を」
とか言ってビール腹に禿げ上がったテッペンハゲの社長はサングラスを真夏の陽光に煌めかせていたがこれが神かと思った。家賃安すぎ問題。そんなわけで俺は一人暮らしの大学生ライフをエンジョイしている。
俺の高校から大学へいけた人数は蠱毒で生き残ったムカデの数くらいなもんだったが、かえってそのおかげで俺は地柱の悪夢を忘れ、一般の方々と普通に大学生活を送っていたのだ。さっきの小野寺さんちは久々に出くわしたキチガイ案件だった。あのあたりは危険だから警察に相談して巡回を増やしてもらおう。こどもたちがあぶない。
『次の十字路を直進してください。で、ドトールが見えてきたら左です』
「あいよ。……ところで、そっちでいったい何が起きてんの? つーか場所言ってくれればナビいらないけど」
『あ、いいっすよ、もう着くから。そこのマンションです。あ、見えた』
喫茶店を左折すると、50mほど先にスマホを耳に当てた森本の姿が見えた。
この春先にまだダウンジャケットを着ているあたり、春物を押入れから出すのとコタツを仕舞うのは夏まで見送るらしい。
2日前にカラオケいったぶりの懐かしい顔を見てふっと頬が緩むのを抑えきれない俺だったが、ふとやつがたむろっているマンションを見上げた。そしてそのマンションに誰が住んでいるのかに気づき、ハンドル操作を誤って前輪がウイリーしたスーパーカブが俺を暴れ馬のように振り落とし、マンションのゴミ捨て場へ突っ込んでいって爆発した。だが今の俺にはカブどころではなかった。
わなわなと震えながらその場にへたりこむ俺にご機嫌で近づいてきた森本が黄色い声を上げた。
「いよっ! 待ってました! 天ヶ峰ハンターGOTO!」
俺は森本を力いっぱいぶん殴った。
○
よくよく見ればその周辺は荒れ果てていた。
俺のカブが大破炎上しているゴミ捨て場はともかくとして(もう生産されていない最後の丸目カブだったのに……)、老若男女を問わぬご近所さんたちが避難民のように震えながら身を寄せ合い、電信柱はへし折れてアスファルトに突き刺さり、駐車場に停車している車のフロントガラスには冷蔵庫やら電子レンジやら本棚やらが埋め込まれていた。俺は逆さにされて抜けない剣みたいにされているバス停を抜こうとしたが、どう力学的にロスなくぶちこんだらこんなことになるのか恐怖を覚えるほど綺麗にぶち刺さっていてビクともしなかった。まるで最初からコンクリ詰めにしたかのようにヒビひとつなく時刻表あたりまで沈んでいるバス停に合掌しながら、俺は森本を振り返った。
「一体誰がやつの封印を解いたんだ? 大学にいってからはおとなしくしてたはずだろ!」
「知らないッスよ! それより痛ぇ! 後藤さんなんで俺の口内炎をぶったの!」
「俺はおまえという存在そのものを破壊したかったんだよ」
こんな地獄に俺を舞い戻らせやがって……わかってたら東日本を見限って沖縄に高飛びしていたところだ。ネッタイシマカに喰われた方がいい。
「謝って! 俺の口内炎にごめんなさいして!」
「しつけーな! ガマ油でも塗っとけよ!」
そう俺が怒鳴っている間にも、マンションの上層階から燃え盛るぬいぐるみが街に降り注いできた。俺はそれを受け止めて確かめる。おなかにペンナイフが刺さってる。こわい。なぜきよはるがこんな目に……
「おがあああああざあああああん! おがあああああああざあああああああん!」
「泣くな、俊之! そんな軟弱者に手に入れられる明日などない!」
「お母さん落ち着いて、俊之くんの心が壊れる音がしてる」
突然の惨劇に号泣している5歳児とその子にフライパンを握らせて武装させようとしている若い母親に、駆けつけたらしい警察官が何か取りなしている。助かった、国家権力だ。俺は怪我人のふりをして近づいた。
「すみません、あまりの恐怖に記憶がどっかいったんですが、ここでいったい何が……」
「ああ……」まだ20代前半らしい警官は帽子のつばを摘みながら俺を振り返った。
「いや、なんでも急にこのマンションの4階で爆発があったみたいでね……どうも、その、そこに住んでる女子大生がその……その筋では有名というか……狂暴というか……」
「そ、その人が犯人なんですか!? こわいっ、すぐにそのてっ、鉄砲で射殺っ、射殺してください!」
「拳銃で殺せるようだったらとっくにそうしているよ……」
悔しげに答えてきた警官の目頭に涙が浮かんでいる。かわいそうに、拳銃さえあれば世界が変わると思って国家権力の犬になっただろうに、弾丸と火薬ごときじゃ死なない生き物がいることに気づいた時、彼の万能感は水を混ぜた牛乳みたいに薄まってしまったのだろう。なにせ炎を操る同級生でも、紺碧の弾丸とか名乗るよくわからんアホ(はよ三万返せクソ)でも殺せなかった天然戦闘存在である。俺なら丸太は常備する。
そうこうしているうちにもさらにカミナリオヤジがDVしまくってるときのような炸裂音がして、4階から家具やら電器やらがガラガラと落ちてきた。近隣のみなさんが悲鳴をあげながら逃げ惑っているが、落下した家具や電器にはすかさず群がり、あっという間に軽トラに積んで『ブックオフ行き』と刺繍されたのぼりをはためかせながら走り去っていく。この町の住人は核戦争でも死なない気がする。
俺は足元を這いつくばって大破したデスクトップPCからグラボを喜々として回収している森本を悲しげな思いで見つめた。これから死ぬかもしれないのに、人はこうも我欲を抑えきれぬというのか……俺は警官を振り返った。
「刑事さん、応援は……?」
「巡査だけど……来ないよ。今、最後の無線が切れた。地柱警察署は臨時の署員旅行さ。おそらく……この街の治安は、2週間は無法になる」
「マジで言ってんの……? デカ魂は……?」
「命より大事な魂なんてあるかよっ! 俺はもう帰るっ! こんな家具が落ちてくる街にいられるか!」
唐突に発狂して泣き出した警官は拳銃を投げ捨てると「うわーん」と腕で涙を拭いながら走り去っていった。国家権力が治安維持を放棄した今となっては、この街を救えるのは俺か森本しかいない。俺は拳銃を拾い上げ、森本に手渡そうとした。
「森本、わかるだろ? 今こそおまえが世界を救……いないっ! あのカスもういない!!!!!」
がらんとした路地に森本の『じゃ、先輩! あとは頼みましたよ、俺、カラ鉄でバイトあるんでっ!』という爽やかな笑顔が浮かんでは消えていった。あの野郎……絶対客としてバイト先にいってクレームつけてやる。俺を怒らせるとどうなるか思い知るんだな……手の中の拳銃の重みを感じながら、俺はまだ爆炎を吹き上げ、時々誰かのすすり泣きのような暴風が迸っているマンションを見上げた。煌々と燃えているベランダの奥に、きっと天ヶ峰がいる……戦えるのか、俺は、あいつと……殺す気で乱射しても全部残像で避けてくる未来しか見えない。誰か……誰か助けて……! ただひたすらに俺を……!!
○
臨時ニュースです。
現在、地柱町近辺では自衛隊による戒厳令が敷かれています。なお理由に関しては発表されていませんが……倉持さん落ち着いてください、コメンテーターが文句言う枠はあとで取ってます……近隣住民からの命がけのSNSによると、分譲マンションで爆発が起き、その直後に周辺に強烈な光が溢れ始めたとのことです。現在も夜空に煌々と光の奔流が駆け上がっています……倉持さん落ち着いてください、あなたは経済評論家でオカルト専門家じゃないはずです……なんで来たんですか……?
えー、ごほん。とにかく、あの町には近づかないようにしてください。倉持さん、やめてください。防災リュックなんかでどうにかなる町じゃないんです、あそこは。なんでもう乾パンもう食ってんの? あーイライラした。マジでもう無理。ちょっと田辺マイク持ってて俺ほんとこいつぶちのめすことにした。おいこらハゲ、仕事だぞ! ちゃんとしろよ! もぉぉぉぉぉぉぉなんで泣くんだよめんどくせぇなぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!! 田辺ティッシュ! タナティッシュ! いたっ。なんでぶつの……?