今を生きている人間には二種類いて、生にしがみ付く者と、死を手繰り寄せる者。どちらかと言えば自分は後者だ。
生まれながらにして全ての人間は「生」というその時まで切っても切れない関係の友人を押し付けられ、彼と過ごす内に、気が付けば無二の親友になっていて、妄執し、執着し、気がつけばいつのまにか依存している。
一生を共にする間柄でありながら、彼はいつでもどこでもこちらに一方的に別れを告げる様な冷酷な存在なのだ。
生きていること、は素晴らしくもなんともなく、死が自分に向かって闊歩してくるまでの束の間の休息のことであり、生という概念は死に脅かされた人間の必死な抵抗から産まれた姑息な考えに過ぎない。
本来人間は生に甘やかされて生きるのではなく、死に対して目を逸らすことの無いように生きるべきなのだ。
生は臆病者が創りだした虚像であり、死だけが人間が対峙するべき相手だ、と夏の日差しが眼前に降り注ぐ中、自宅の縁側で炭酸飲料の入ったペットボトルを額に当てながら冷えた頭でそんなどうでもいいことを無心で考えていた。
「ふぅ――」
大きくため息を一つ吐いて、一円にもならない疑念を飲み込むために今流行の炭酸飲料を少し口に含んだ。
甘くも柔らかい痺れが口内で響く、舌先が心地良い。
ペットボトルのラベルを見ると、果汁12%入り、らしい。
もし自分がペットボトル飲料になったら、僕の中の何パーセントが僕そのもの、なのだろうか、などと夏の暑さのせいかよくわからない思考が先ほどから蔓延っている。
鳴かなくなった蝉はもう道端で死んだふりをして通行人を驚かせたり、本当に死んでいたりと、生と死の間での二次会に励んでいるが、僕にはもう彼らのような気力は無かった。
少し遠くに見える白い壁の家が強い日に照らされて、眼の奥を刺激する。
もう一口含んでから、空に目をやった。青空と一緒に白い雲がたくさん浮かんでいた。
ジュースを飲み込み、ほっ、と息を吐いた。白い色のものを見ると心が落ち着く気がした。
人は誰でも安心を求めている。またどうでもいいような持論が頭に浮かんできた。
安心の定義とは?何にも考えないでも許されること?そう、無心でいられることだと、そう考えた。
ならば自分は常に苛まれているような人間ではなく、ゆったりとどこかへ飛来する雲になりたい。
もし雲に目があったなら、どんなに羨ましいだろうか、限りなく第三者に近い視点で世界を眺めることのできる存在。
そうか、それはとても映画を観ることによく似ている、映画を観るということは僕が求める安心にとても近いのかもしれない。
夏、と聞いて思い浮かぶような映画の様々な情景を瞼の裏でスライドショーのように蘇らせた。
縁側に寝そべって一通り思い浮かべたあと、自室に戻り、机の引き出しにしまってあった茶の封筒を手にとった。
封筒の背に自分の名前を書いたあと、自室の窓から外を見た。
とても綺麗な夏の風景がそこにあった。雲に生まれ変われるように、と願って、封筒を元に戻す。
カーテンを閉めて、ベッドに横になり、真っ暗な部屋の中深呼吸をして、眠りにつく準備をした。
明日の予定は雨天決行、晴れていれば尚良し、明後日の予定はわからない。明明後日はどうなってるのかな。
机の中の遺書と一緒に、未知の世界に心躍らせる青年は眠りについた。ふとどこかで、下手っぴなラッパの音色が聞こえた気がした。