「小林真由さんですよね」
週末の残業が終わって、深夜。家まであと少しの帰路の途中、後ろから突然声をかけられた。
――ストーカーか?
今まで気配を消して付けられていたのかと思い、身震いと恐怖を覚えた。
すぐさま振り返り、両手でおもいっきり押し倒して、助けを求めるために大声を出して自宅まで走ろうとも考えたが、
ヒールが高く、走りにくい靴を履いているし、もし転んでしまったら、逆上した男に殺されてしまうかもしれない。
幸いにもその男の声は若く、害意や敵意は無いように思えた。
意を決して振り返ると、近所の高校の制服を来た男の子が一人、目の前に立っていた。
「驚かせてしまったようですみません、小林真由さんですよね?」
そうです、と答えた。何故私の名前を知っているのか尋ねようとしたが、間髪入れずに彼は続ける。
「ああ良かった、どうやら先ほど家の……かな、鍵を落とされたようでお届けしに来たんですよ。これなんですけど……」
そう言うと彼は学生服のポケットから鍵を取り出した。
「……ちょっと確認してみます」
おかしいな、財布の中に入れているから、落とすことなんてないと思うんだけどな……、
真由は疑念を抱きながらハンドポーチを探っている。
その最中、学生のポケットから電子音が鳴った、着信のようだ。
「あ、すいません母からのようです……」
彼は私に軽く会釈してから、電話に応答した。
「あ、うん、ハンバーグでいいよ。もうすぐ帰るから……」
どうやら今晩の献立の話をしているようだ。
私はポーチの中から財布を見つけ、月の明かりを頼りに小銭入れの中をジャラジャラと探る。
指先が硬貨ではないものに触れた、多分これが自宅の鍵だ。では、この少年が持っている鍵は一体なんだ……?
電話を終えた彼が私を見て言う。
「どうです? 小林さん」
「あ、鍵ならちゃんと財布の中にありましたが……」
それを聞いた彼は驚いた顔をして言う。
「えっ、ホントですか、じゃあなんだろうこの鍵、見覚えありませんか?」
彼の手のひらに置かれた鍵を目を凝らして見ていたその矢先、
背後からの人影に後頭部を殴られた小林は、学生服の彼にもたれかかるようにして気を失った。
「お疲れ。協力ありがとう、早く車に運んでしまおう」
学生服の男の子が、金属バットを片手に携えた少年に言った。
「返り血とか付いてないよな、それ、俺の制服なんだからな」
「大丈夫だよ、車の中で着替えたら、ちゃんと返すからさ。
仮にこの女が逃げ出したとしても、君の高校の生徒に容疑がかかるだけで、顔を見られていない君が疑われるようなことはないよ。それじゃ、僕の家まで頼む」
二人で近くに止めてあったワンボックスカーまで女を運び、
用意しておいた目隠しと猿轡と手錠を一通り付けた後、金属バットと一緒にトランクに押し込んだ。
「じゃあ君は運転席に座って待っていてくれ、彼女の携帯と遺書を家の中に置いてくる」
彼は手袋をして小林の自宅へ歩いて行った。
その後姿を見えなくなるまで周囲を警戒しながら見守った後、運転席に座り、最近やっと慣れ始めた煙草に火を付ける。
俺が今日の彼の犯行、いや、復讐の手伝いをするに至った経緯を、煙草の煙を呑みながらぼんやりと思い出していた。