第4章 美しき幼精
「やっぱり、わたしも引き返すわ」
ヨハネスから別行動を取るように言われ、聖都に向かって走っている最中、クインが言った。
「ガルーザを置いては行けない」
「分かった。だったら、僕も一緒に戻るよ」
「でも、危険だわ。エル・シドは剣術の達人で常に精鋭が護衛に付いているし、警備用に上級クリーチャーと契約をしているっていう話も聞いたことがあるわ」
クインは心配そうに僕を見る。
「大丈夫。‥‥僕には死神が憑いているからね。それに、別行動を取るほうが危険かも知れない」
クインは暫く思案し、頷いた。しかし、納得したわけではなさそうだ。
「分かったわ。でも、決して私から離れないで」
――僕だって、何かの役には立てるはずだ。それに、飛空艇を破壊できれば侵略戦争を止められるかもしれない。
僕らは飛空艇に向かって引き返した。
「エル・シド陛下! 捜索隊から、森で不審なヒューマン2名と豹型クリーチャー2体を発見したとの報告が有りました」
テオドール副隊長が展望室へ入り、報告をした。
「豹型クリーチャー‥‥ヂードゥ族の巫女か! こんなところに潜んでいたとはな。だが、精霊ポリスーンを始末した今そいつは必要ない。ヒューマンだけ捕らえて他は始末しろ!」
エル・シド聖帝の指示を受け、テオドールは急ぎ引き返す。
「フフ‥‥精霊ポリスーンが為すすべなく燃え尽きたわ! 精霊など恐るるに足らずよ! 神々は傍観するだけで何もしない。この飛空艇サラマンドラがあれば、不可能はない」
エル・シドは意気揚々と語る。
「仰るとおりです」
「ところでテッサ艦長、動力炉に案内してくれるかな? 是非ともアレを鑑賞したい」
テッサはエル・シドの言葉を聞くと、神妙に頷いた。 「こちらです」
動力炉は飛空艇サラマンドラの中心部にあり、飛空艇全体の4割のスペースを占める。飛空艇サラマンドラが史上最強の兵器と言われる所以は、この動力炉にこそある。
テッサとエル・シド聖帝が動力炉に向かって移動していると、テオドール守護隊長が再度慌てた様子で駆け寄ってくる。
「‥‥どうした? テオドール」
「はっ。捜索隊が不審者と豹型クリーチャーに全滅させられた模様。現在グリフォンと交戦中です」
「何‥‥?」 報告を聞き、エル・シド聖帝は眉を寄せる。
「ただのヒューマンではない。もしかしたら、ギデオンを殺した犯人かもしれん。念を入れるべきだな‥‥」
「如何いたしましょうか?」
「テッサ艦長、あれはどうやって制御している?」
「ウンディーネの幼精を使っています」
テッサの答えを聞くと、エル・シド聖帝は何事か思案する。
やがて、不気味な笑みを見せ2人に指示を出した。
「アレを放つ準備をしろ! ウンディーネも忘れるな!」
エル・シド聖帝の指示を聞き、テッサとテオドールは息を呑んだ。
「ガルーザ、大丈夫か?」
グリフォンを始末したヨハネスは、吹き飛ばされたガルーザの様子を確認する。
「ああ‥‥大丈夫だ。あの女は一体?」 ガルーザは顔をしかめ、ゆっくりと巨体を持ち上げる。
「俺の下僕だ。召喚すると魔力を喰うからあまり使いたくはないんだが‥‥もたついてエル・シドに逃げられると困る」
「そうだな。急ごう」
2人は飛空艇サラマンドラに侵入する。改めて近くで見ると巨大だ。全長100メートルはあるだろうか。
飛空艇に入ると、通路が左右に一直線に伸びており、約20メートルごとに扉がある。
「エル・シドはどこにいる‥‥?」
ヨハネスが呪文を唱えると、大量の蝙蝠が出現した。蝙蝠は左右に別れ、エル・シドの捜索を始める。
「使い魔だ。ヒューマン程度ならあいつらでも十分片付けられる」 ヨハネスは壁によたれかかる。
「大丈夫か? ヨハネス」
「‥‥魔力を使いすぎた。ギルティはああ見えて上級悪魔だからな」
すると、ヨハネスの表情が変わった。 「いたぞ、すぐそこだ!」
ヨハネスが通路を駆ける。ガルーザも後に続く。
階段に着くと、警備兵が2人、青ざめて倒れていた。ヨハネスの使い魔が倒したのだろう。
「殺したのか?」
「いや、血を失って気絶しているだけだ。こんな奴らに余計な魔力を使いたくないからな」
ヨハネスとガルーザは倒れている警備兵を跨ぎ、階段を駆け上がる。
すると――
「エル・シド!」
ガルーザが叫んだ。
「グリフォンを倒すとは、驚いたよ。それとも伝説のクリーチャーなどとは、名前だけだったのかな?」 エル・シドは余裕綽々に語る。
「貴様! 八つ裂きにしてやる!」
ガルーザは激昂し、エル・シド聖帝に襲いかかる。瞬く間に距離を詰め、袈裟斬りに斬り下ろした。
エル・シド聖帝はガルーザの一撃を刀で下方へ受け流すと、身体を回転させ、体勢を崩したガルーザの顔面に蹴りを入れた。
「くっ‥」
「見た目通りの馬鹿力だな。ところで、どうやら君達は私を殺すことが目的のようだ。そこで提案なんだが、自慢の飛空艇を壊したくなくてね‥‥外でなら2対1で闘ってあげよう」
そう言うと、エル・シド聖帝は飛空艇の窓から飛び降りた。
「ちっ‥‥行くぞ」 2人はエル・シド聖帝のあとを追う。
「君は魔族の生き残りか‥‥? どうやって生き残った? ちゃんと全員なぶり殺しにしたと思ったんだがな」
―ヒュンッ
ヨハネスはエル・シド聖帝の背後に回り、喉元にダガーを食い込ませた。
「くたばれ」 掻っ切ろうと力を入れた瞬間――
ヨハネスが火柱に包まれた。
「ぐあぁっ!」 「ヨハネス!?」
ヨハネスはマントとターバンを脱ぎ捨て、地面を転がりかろうじで炎を消す。
「フフ‥‥やはり魔族は地べたを這いずり回るのがよく似合う」
「貴様っ!」
ガルーザが空を見上げると、巨大な一匹の龍が2人の真上を飛行していた 。「あれは‥‥何だ?」
「フハハハハ! あれが私の力だよ! 炎の精霊サラマンドラだ! 2人とも消し炭にしてやるよ!」
エル・シドが高笑いとともに腕を振るうと、焔龍が空中で旋回し、凄まじい勢いで2人に襲いかかる。
―ゴォォオオ!
「くっ‥‥!」 2人は咄嗟に飛び退きかろうじで直撃を回避するが、焔龍から生じる爆風が2人を吹き飛ばした。
「グォオォォォオオ!」
ヨハネスは木に叩きつけられ、サラマンドラの雄叫びを聞きながら気絶した。
ヒューマン部隊の死体を確認し、僕とクインが飛空艇に到着すると、飛空艇の外にヨハネスとガルーザの姿はなかった。
「無事に侵入できたみたいだ」
「そのようね」 クインは胸を撫で下ろす。
「2人はエル・シドの元へ向かっているはず。どうする‥‥? 2人を追って飛空艇へ入るか。でも、足手纏いになる可能性もある」
僕はクインに尋ねるが、彼女は別のことを思案している様子だ。
「森を守るためには、エル・シドを倒すだけでは駄目だわ。飛空艇を破壊できれば、ヒューマンの侵略も止められるはず」
クインの話を聞き、僕の脳裏に精霊ポリスーンが焼き尽くされる光景が浮かぶ。
「ヨハネス達が注意を引き付けている間に、動力炉を破壊しよう。僕もヒューマンの侵略戦争を止めたい」
クインは僕を見て、頷く。 「行きましょう!」
僕らは飛空艇の裏へ回り、岩陰から様子を確認する。
誰かがいる気配はない。
クインを見ると、彼女は少し離れた水辺に屈んでいた。
「クイン‥‥?」
「ごめんなさい。行きましょう!」
クインが飛空艇に侵入し、僕も続く。息を殺しながら先へ進む。
すると、貨物室だろうか、ヒューマンの乗組員らしき女が荷物を運び出している。
「彼女に動力炉の場所を聞きましょう」
クインはそう言うと、豹型クリーチャーさながらの動きで女に跳びかかった。馬乗りになると、右手で女の口を塞ぐ。
乗組員の女は、一言も発する間もなくクインに取り押さえられた。
「静かに! 大人しくすれば殺しはしないわ」
僕はクインに駆け寄り、傍にあったロープで乗組員の手脚を縛る。
「‥‥いい子ね。動力炉の場所が知りたいの。教えてくれれば危害は加えないわ」
クインは女の首元に剣を突きつけると、右手を離した。
「‥‥2階です」 女は震えながら答える。
「2階のどこ? どうやって行けばいいの?」
「その先にある、階段を登れば、行けます。‥‥でも、扉を開けるには鍵が必要で、わたしは持ってなくて‥‥」
「そう。ありがとう」
女の口をテープで塞ぎ、貨物室へ運ぶと、僕らは階段を登る。
「鍵はどうする‥‥?」 「しっ! 誰かいるわ」
2階の踊り場に出ると、扉が開いており、中から声が聞こえてきた。
「――ウンディーネが1匹逃げたぞ! その辺に居るはずだ、捜せ!」
「――とりあえずもう1匹をエル・シド陛下の元に連れて行け! 今なら1匹でも制御は可能なはずだ!」
動力炉の中は慌ただしく、男達が何かを探している様子だ。
「ウンディーネ?」
僕が呟くと、クインが答えた。
「水の精霊ね。動力炉の制御に使っているのかも‥‥きっと、この扉から逃げたんだわ!」
「そうすると、上か!? 奴等より早く見つけよう!」
僕らは急いで階段を登り、3階の廊下へ出る。すると、2階と同じく一室の扉が開いている。
「この中ね‥‥」
中の様子をうかがうと、会議室のようだ。明かりは点いておらず、窓も全てカーテンで覆われてる。
僕達は中へ入り、扉を締める。薄暗い室内を見回すと、部屋の隅で何かが影になっているのが見えた。
「子供‥‥?」 僕らがそっと近づくと、ウンディーネの幼精がうずくまっている。肌は身に着けている衣と同じ薄い象牙色で、髪は腰まで届く透き通るような杏色、目を見張るほどの美しさを除けばヒューマンと変わらない。
「もう大丈夫よ」 クインはウンディーネの妖精に優しく語りかけた。
声を掛けると、ウンディーネの幼精は俯いていた顔を上げた。
クインを見つめ、続けて僕に視線を移す。
「大丈夫よ。私達と一緒にここを出ましょう」
クインが再度呼びかけると、ウンディーネの幼精は立ち上がり、僕に歩み寄る。彼女の身長は僕の胸くらいの高さだ。透き通るような美しさに思わずドキリとする。
よく見ると、手首に物々しい鉄製の手錠が掛けられていた。
「貴方が気に入ったみたいね。この子を安全な場所まで移しましょう!」 クインは部屋を出て、急ぎ足で階段へ向かう。
僕はウンディーネの幼精を抱き上げる。見た目ほど重くない。ウンディーネはヒューマンよりも体重が軽いのだろうか。
2階の踊り場へ降りると、乗組員らしきヒューマンの女と遭遇した。先ほどの乗組員と違い、服装からして階級がかなり上のようだ。
「誰っ!?」 女は叫ぶと同時にレイピアを抜き、切っ先をクインに向ける。
―キン
続けてクインも抜剣する。
「ウンディーネを渡しなさい!」 僕がウンディーネを抱えていることに気付くと、女は険しい表情で告げた。
「こんな小さな子に手錠まで付けて、恥ずかしいと思わないの!?」
「‥‥あんたには関係ないわ!」
―ヒュヒュンッ
女は目にも留まらぬ速さで喉と水月目掛けて刺突を繰り出すが、クインは素早く前方に避け、無防備になった女の左脇を右から斬り上げる。
―ギィンン
左手の短剣でクインの斬撃を受けると、女は再度二連突きをお見舞いする。
「くっ‥‥!」 避けきれず、クインの左腕から鮮血が飛ぶ。
「クイン!」
「大丈夫よ‥‥でも、ちょっとやっかいね」
クインが息をつく間もなく、女は距離を詰めながら連続して刺突を繰り出す。
クインが後退り、壁に背中がつくと同時に、女はクインの左腕を蹴りあげた。
―ガシャァン
剣が宙を舞い、床に落ちる。
「終わりね。大人しくウンディーネを渡しなさい」
女は切っ先をクインの喉元に突き付ける。
「‥‥その前に一つ聞いていい?」
クインは大きく息を吐くと、ゆっくりと両腕を上げた。 「何故森を燃やし、ポリスーンを殺したの?」
「私は陛下の命令に従うだけよ。陛下の邪魔をする者は、私の敵」
「そう‥‥残念だけど、あの子は渡せないわ」
「何‥‥うっ!」女は突然うめき声を上げ、うつ伏せに倒れ込んだ。
女のうなじを見ると、全長5センチほどの黒い物体が乗っている。
「なんだ‥‥蜥蜴?」
僕が呟くと、剣を拾い、クインが答えた。
「ドレイクよ。幼虫だから殺すほどの毒はないけど、気絶させるには十分よ。念のため飛空艇に入る前に外で手懐けておいたの」
そう言えば、飛空艇に侵入する前にクインが水辺に屈んでいた。
「その子の手錠の鍵を持ってるかもしれないわ」 クインは剣を仕舞い、気絶している女のポケットを探る。
「あった! 急ぎましょう!」
ウンディーネの手錠を外し、僕らは飛空艇の外へと急ぐ。
階段を降り1階に着くと、ウンディーネの幼精が僕にだけかろうじで聞こえる声で言った。
「わたしと結婚して下さい」
「え? あ‥‥ああ、無事にここから出られたらね」
「わたしの名前はウェンディです」
ウェンディはにっこりと笑った。