第5章 囚われの魔族
―ゴオオォッ
焔龍サラマンドラに遥か後方へ吹き飛ばされ、束の間意識を失っていたガルーザは、飛空艇の離陸する音で目を覚ました。
「ぐっ‥‥」 ガルーザは身体を起こそうと上体を持ち上げるが、力が入らない。
仰向けに倒れながらどうにか左腕を頭上へ掲げると、剣の切っ先が黒く崩れ、灰になっていた。精霊サラマンドラに接触して燃やされたのだ。信じられない火力だ。
ガルーザは視線を動かして周囲を確認する。どうやら森の中まで飛ばされたらしい。飛空艇が飛び去るのを視界の端で捉えながら、彼は屈辱で身を震わせた。
「一体どうなったんだ‥‥? ヨハネスは無事なのか?」
暫くして上体を起こし、自分の身体を確認する。打撲をした以外特に異常はないようだ。
「――ガルーザ、どこ!?」
すると、湖の方向からクインの声が聞こえた。
ガルーザは湖へ向かう。
「ガルーザ! 良かった!」 ガルーザの姿を確認し、クインが駆け寄る。
「俺は大丈夫だ。何故ここに?」
「心配で引き返したのよ。でも、無事に飛空艇に侵入したようだったから、わたしたちは動力炉を破壊するために裏口から入ったわ。時間がなくて破壊できなかったけれど‥‥」
「そうか。その娘は?」 ガルーザはウェンディを見る。
「水の精霊ウンディーネよ。飛空艇で捕まっていたところを助けたの。この子を使って飛空艇の動力炉を制御していたみたい‥‥もう1人捕まってるみたいだけど、助けられなかった」 そう言って、クインは唇を噛む。
「その娘を使ってサラマンドラを操っているということか‥‥ヒューマン共め!」 ガルーザが声を荒げる。
「サラマンドラって‥‥炎の精霊? どういうこと?」
「ヒューマン共は、サラマンドラを飛空艇の動力源に使ってやがる。ポリスーンを燃やした焔もサラマンドラのものだろう」
「‥‥怖ろしいことを」 クインは眉間を寄せる。
「そういえば、ヨハネスは?」 アンリが尋ねると、ガルーザは周囲を見渡す。
「サラマンドラに吹き飛ばされて木に叩きつけられたところまでは見ていたんだが。此処にいないとなると‥‥」
「まさか‥‥エル・シドに捕まって聖都に連れて行かれた?」
「おそらく」 ガルーザは近くの岩に腰を下ろす。
「ヨハネスが捕まるなんて」 アンリは意外そうに呟く。
「目的はわからないが、わざわざ連れて帰ったということは直ぐに殺すつもりはないだろう」
「それに、今直ぐ森を焼き尽くすつもりは無さそうね‥‥」 クインは安堵した様子だ。
「ヒューマンの飛空艇に対抗するには、ポリスーンと森の力が必要よ! 私は今から森の聖域へ向かうわ。暫くすればポリスーンは再生するはず。ヨハネスの救出にも、力を貸してくれるかもしれない」
「俺も行こう」 ガルーザは頷く。
「僕は、聖都に戻って神聖教会の知り合いと連絡を取ってみる。今まで半信半疑だったけど、ヨハネスの言うようにエル・シドは侵略戦争を始めるつもりだ。教会の力を借りて世論を味方につければ、もしかしたら止めることができるかもしれない」 アンリは真剣な表情で告げる。
「その娘はどうする?」 ガルーザが見ると、ウェンディは無言でアンリを見上げる。
「アンリに懐いてるみたいだし、帽子を被るなりして変装をすれば聖都の方が安全かもね。とりあえず、その子の呼び方を決めましょうか」 クインが提案する。
「名前はウェンディって言うみたいだ」
アンリが告げると、クインは首をかしげる。
「ウェンディ‥‥ってその子が名乗ったの?」
アンリは頷く。
「おかしいわね。ウンディーネの幼精に名前はないはずよ」
「名前がないって‥‥どういうこと?」
「ウンディーネの幼精には、魂がないのよ。でも、ヒューマンと婚姻すると、魂と名前を得る。この子の歳で名前を持っている例は聞いたことがないけど‥‥もう相手がいるのかもしれないわね」
ヂードゥの巫女なだけあって、クインはそういった知識が豊富のようだ。
「ちなみに、ウンディーネにとって不倫は禁忌よ。不倫をした場合、ウンディーネは掟に従って夫を殺さなければいけないらしいわ。アンリも気をつけた方がいいかもね」 そう言って、クインは微笑する。
アンリはウェンディを見る。すると、彼女はにこりと笑った。
「それじゃあ気を付けてな、何かあったら連絡をくれ。貴殿は命の恩人だ。ヨハネスのことも、頼む」
ガルーザがアンリの肩を叩き、2人は疾風の如く速さで駆けていった。
聖都は直径30キロメートルほどの円の内側に造られており、外周をぐるっと防壁が囲んでいる。
上層と下層に分かれ、それぞれ空中都市・地上都市と呼ぶ者もいる。上層は下層よりも直径が狭く20キロメートル程度であり、その中心部に城が建てられている。
商工業は上層で発展しており、上・下層間の往来は自由だが、上層には主に富裕層が居住している。また、聖都守護隊や大聖図書館、僕の通っていた王立学術院(おそらく僕はもう除名となっている)も上層にある。
ちなみに、これから僕が行かなければならない神聖教会の本部は下層だ。ヨハネスはおそらく、守護隊舎内の牢獄にいると思われる。
ガルーザとクインと別れ、西へ向かって森の中を(ウェンディをおぶって)移動する。森のクリーチャー達は主に夜行性のため活動時間ではないが、大きな音を立てないように慎重に進む。
聖都の見える位置に着いた頃には、もう日が沈みかけていた。僕の全身を激しい疲労感が襲う。
なんだか、聖都で暮らしていたのが随分昔のように感じる。それもそうか、僕は今や反逆者だ。
――久しぶりにちゃんとしたベッドで眠りたいな‥‥。
きっとウェンディも同じだろう。ヒューマンに捕まって無理矢理働かされてきたんだから。
――まあ、さっきからずっと寝てるけど。
背中から気持ち良さそうなウェンディの寝息が聞こえる。
森を抜け、ボコボコと荒れた大地を踏みしめて歩く。暫く進むと、適当に見晴らしのいい腰掛けられる場所を見つけた。
ウェンディを降ろして焚き火を起こす。崖下に聖都が見える。
「今日も野宿かな‥‥ここから飛んで、聖都の壁を越えられたら楽なんだけど」 聖都を見下ろし、僕は1人呟く。
黄昏に赤く照らされた巨大な鉄の塊が、僕を拒絶しているように感じる。
地面に腰を下ろし、どうやって聖都に入ったものか思案する。
――やっぱり、ウェンディに手紙を届けてもらうしかないかなぁ。
突然、背後から僕の肩に何かが飛び乗った。
「うわ!」
ウェンディが目を覚まし、むくりと身体を起こす。
――何だ!?
首を捻って自分の肩を見ると、鳥の足のようなものが見える。どうやら鳥が僕の肩に飛び乗ったようだ。
ウェンディが不思議そうにこちらを見ている。
「ウェンディ、僕の肩に何が乗ってるかわかる?」
「鳥」
やはり鳥が乗っているようだ。しかし、僕の肩から全く降りようとしない。
よく見ると、鳥の足に紙が結んである。解いて広げると、クインからの手紙だった。
“この子に手紙を結んで放てば神聖教会まで届けてくれるわ。わたし達に連絡を取りたい時も、この子に手紙を託して”
クインが手懐けて送ってくれたようだ。僕は思わず口元を緩める。
ふと視線を感じてウェンディを見ると、彼女は頬を膨らましている。心なしか、機嫌が悪そうだ。
「おほん! えーと、ウェンディは好きな人とかいる?」
飛空艇でのやり取りについて真偽を確かめようと、僕は探りを入れる。
「アンリ」 ウェンディは即答する。
やはり、ウェンディの中ではあのやり取りで婚姻をしたことになっているのだろうか。思ったよりもまずい状況かもしれない。
とりあえず問題を棚上げし、僕は教会の知り合いに宛てて手紙を書く。鳥の足に結ぶと、ホゥと鳴き声を上げ、聖都に向かって飛び立った。
――梟だったのか‥‥。
「ウェンディは、聖都に入ったことある?」
彼女は首を振る。 「聖域で姉と暮らしていたら、突然飛空艇が来て連れ去られたの。聖域の外に出たのは初めて」
そう言って彼女は立ち上がり、聖都を見下ろす。
夕焼けに照らされた彼女は、この世のものとは思えないほど美しかった。
瞼を上げると、石でできた無機質な天井が視界に入った。背中がひんやりと冷たい。
――‥‥捕まったか。
周囲を見回すと、窮屈な独房の中に無造作に転がされていた。頑丈そうな鉄格子が月に照らされ、冷たく光っている。変わったところのない、普通の牢獄だ。
特に警戒はしていないようだ。能力を見せる前に気絶したのが不幸中の幸いか。
――考え方によっては、これはチャンスだ。
立ち上がり、鉄格子と石壁に手を当てる。上級悪魔を召喚すれば破壊できそうだ。
跳び上がって窓の格子を掴み、建物の外を見る。どうやら守護隊舎内の牢獄のようだ。舌打ちをする。
――城内ならこのままエル・シドを暗殺できたものを‥‥チャンスを待つか。
ヨハネスは窓から降り、独房の中央にうずくまった。
目が覚めると、辺りはすっかり明るくなっていた。
寝転んだまま横を見ると、すぐ隣でウェンディが丸くなって寝息を立てている。僕は彼女の顔をまじまじと見る。
眠っていて目を閉じているが、海色の瞳とくしゃくしゃと波打った杏子色の髪以外はヒューマンと変わらない。昨日姉がいると話していたが、ウンディーネは皆こんなに美しいのだろうか。
などと考えながら、彼女の頭を撫で、さらさらの髪に指を滑らせる。
――歳はいくつなんだろう?
見た目はヒューマンの子どもだが、精霊ということは僕よりも年上かもしれない。
身体を起こして伸びをすると、前方の岩に梟が止まっていることに気付いた。
足に紐で麻袋が結ばれている。解いて中を見ると、紙幣が何枚か入っていた。
「あいつ、迎えに来ない気か‥‥!?」
教会の知り合いに迎えに来るように手紙を送ったのだが、お金を送り返してきた。逃亡資金にしろとでも言うのか。再度麻袋を確認するが、手紙などは入っていない。
よく考えれば、僕は殺人犯として手配されているのだ。お金をくれただけでも感謝するべきだろうか。
――仕方ない。変装道具でも買って、門から入るか‥‥。
門番も、まさか殺人犯が小さな女の子と一緒だとは思わないだろう。
「ウェンディ、行くよ」 僕は彼女を揺する。
「うーん‥‥もうちょっと」
ウンディーネは朝に弱いようだ。
仕方なく彼女を背負い、崖沿いに進む。すると、梟が僕の肩に止まった。
「‥‥お前は飛べよ」
ホゥという梟の返事を聞き――否定の返事だ――、僕は行商人の野店市場へ向かった。
聖都の西側には砂漠が広がっており、砂漠を超えると渓谷がある。
砂漠の途中にはオアシスがあり、そこには小さいながらも町が出来ているらしい。
そのため、狩りやオアシスの特産品を求めて砂漠超えをする人などのために、聖都下層へ入る各ゲートの前に野店が開かれているのだ。
僕はそこで絹のローブとハットを2人分買った。僕は藍錆色、ウェンディは茜色のローブ。ハットは2人とも同じ夜色。コーディネートは完全に僕の趣味だ。教会の知り合いからご好意を頂いたから、遠慮なく使わせてもらう。
ウェンディは新しい服が着れて嬉しそうだ。
僕達は聖都下層のゲートへ向かう。門番に会釈をし、ゲートを抜ける。
かなり緊張したが、やはりウェンディと一緒だったのが良かったのか、問題なく通過できた。
――帰ってきたぞ、聖都に。