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第6章 堕落した神父

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 聖都下層へ入るゲートは東西南北の4か所にあり、僕達は東ゲートから入った。
 下層は東西南北の4エリアと中央エリアの5つに別れている。
 主な交通手段は列車だ。環状線が4エリアを繋いでおり、4エリアそれぞれから中央エリアへの列車が走っている。
 神聖教会の本部は南エリアにあるため、列車に乗らなければならない。幸い通勤時間を過ぎたため、車内は比較的空いているはずだ。
 僕達は聖都へ入ると、ステーションを目指して街路を直進する。
 ――お腹減ったなぁ。
 昨日1日何も食べていないため腹ごしらえをしたいところだが、ゲートからステーションにかけては人目につく。
 ウェンディは聖都の風景が珍しいのか、先ほどからきょろきょろと首を動かしている。
 「迷子にならないようにね」
 「‥‥大丈夫」
 彼女はむっとするが、手を繋ぐと心なしか嬉しそうだ。
 5分ほど歩くと、十字路に出た。
 直進するとステーションだが、僕は左に曲がる。
 すると、広場を取り囲むように建物が建っている。ここは、誰でも自由に利用できるコミュニケーションスクウェアだ。
 僕はウェンディの手を引いて自動通路に乗り、スクウェアの2階に上がる。目的は自動販売機だ。
 魚を挟んだサンドイッチを2つ買おうと思ったが、思い留まって鹿肉を挟んだものにした。飲み物も買って、広場に面したベンチに腰を下ろす。
 僕はサンドイッチにかぶり付く。
 ‥‥旨い。
 肩に止まった梟にバンズを千切って分ける。
 ウェンディはサンドイッチを手に暫く首をかしげていたが、ぱくりとかぶり付いた。もぐもぐと口を動かす。
 「どう?」
 僕が聞くと、彼女はごくりと飲み込む。
 「‥‥美味しい」
 口に合ったようだ。精霊がどんなものを食べるのか分からなかったが、ヒューマンと同じ物も食べられるようだ。
 ただ、なんとなく水に住む生き物は避けたほうが無難な気がする。
 「ふう‥‥」 僕はサンドイッチを平らげ、ため息をつく。
 広場では子どもたちが球技をしている。僕が最後に球技をしたのはいつだったか。元々外で身体を動かすよりも室内で読書をする方が好きなタイプだが、運動が苦手なわけではない。
 「あれは何をしてるの?」 ウェンディが広場を見て尋ねた。
 「スポーツだよ。球をゴールに入れて、点数を競い合うんだ」
 「ふうん‥‥変なの」
 ウェンディが食べ終わると、僕らは改めてステーションへ向かう。
 券売機で切符を買い、改札を抜ける。ホーム内に人はまばらで、見つかる心配はなさそうだ。
 5分ほど待つと南エリア行きの列車がホームに停車した。
 ウェンディが椅子に座り、僕は向かいの席から顔を見られないように吊り革をつかむ。南エリアへは20分程度だ。
 ――ヨハネスはどうなったんだろう。
 彼が捕まってからまる1日経つが、ニュースにはなっていないようだ。
 ヨハネスが死ねば、僕に取り憑いた死神も消えるはずだ。でも、それで僕にかかった容疑が晴れるとは思えない。
 飛空艇の監視カメラに僕の姿が映っているだろうし、せいぜい共犯者と思われるだけだろう。それよりは、生命の心配はないため今の方がまだマシかもしれない。
 それに、僕はエル・シドの侵略戦争を本気で止めたいと考えている。そのためにはヨハネスの力が必要だ。
 殺しを手伝うつもりはないが、ヨハネスが僕を利用するように、僕も彼を利用すればいい。
 そんなことを考えていると、列車は南エリアのステーションに到着した。
 

 30分程歩くと、神聖教会本部に着いた。
 ――相変わらず錆びれてるなぁ‥‥。
 古ぼけた扉を押し、礼拝堂の中を見回す。予想通り誰もいない。
 礼拝堂内には4体の石像がある。知り合いの話によると、精霊をかたどったものらしい。ウェンディは聖母像の前で立ち止まる。
 僕は礼拝堂を横切り、左奥の部屋へ向かう。
 扉を開けると、執務机に向かって本を読んでる修道女を発見した。
 シャギーのかかった黒色の髪に、黒い瞳。どちらかというと、ヒューマンでは珍しい色だ。
 「ネスビット‥‥!」
 僕が呼ぶと、修道女は本の上から顔を覗かせ、僕を見る。
 「えーと、誰だっけ?」
 「アンリ・ノルベールだよ! 君の幼馴染の!」
 「ああ、アンリ。とっくに首チョンパされたもんだと思ってた」
 彼女は本に視線を戻す。
 「昨日手紙出しただろうが!」 ネスビットはちょっと面倒くさい性格をしている。
 「で、何? 私を殺して死姦でもするつもり?」 
 「‥‥悪いけど、今は冗談に付き合ってる暇はないんだ。君に頼みがある」
 僕は部屋へ入り、扉を閉める。
 「何、その言い方。あんたが私にものを頼むときは、私の言うことを3つ聞いてからでしょ」
 「分かってると思うけど、僕は無実だ。それで、話せば長くなるんだけど、聖帝の侵略戦争を止めるために、神聖教会の助けが必要なんだ!」
 「そっかー」
 「‥‥」
 「‥‥」
 「‥‥とにかく、大聖図書館の禁書架に聖戦の記録がある。君なら書架に入れるだろうから、それを入手して欲しい」
 と、ネスビットが突然立ち上がり、
 「これは俗世で言うところの強要罪だわ! それだけじゃなくて、神の使いであるか弱い私に盗みを働かせようなんて、神に対する背徳行為――」
 楽しそうに喋り出した。
 「‥‥ん?」
 ネスビットはウェンディを見ると、言葉を止める。 
 「あんた‥‥」 彼女は僕を見る。
 「連続猟奇殺人はともかく、こんな小さな女の子まで――?」
 割りと本気で引いた様子だ。
 「‥‥違う、話せば長くなるんだけど、そういんじゃなくて」
 僕は何故か焦って弁解をする。
 「怪しい」 彼女が1歩引く。
 ネスビットはしゃがんでウェンディに話しかける。
 「お嬢ちゃん、どうしてこの男と一緒にいるのかな?」
 「アンリはわたしの夫だから、手を出したら後悔するわよ」
 ウェンディが冷たく言い放った。
 「‥‥ん?」とネスビット。 「え?」と僕。
 「と、とにかく、大聖図書館から聖戦の記録を持ち出してくれ! また明日来るから、お願い‥‥!」
 僕はウェンディを抱き上げ、急いで礼拝堂を出た。


 「はぁ‥‥」
 適当な宿を取って部屋に入り、僕はため息を漏らした。
 ――まさか、ウェンディがあそこまで攻撃的な態度に出るなんて。
 彼女は先ほどから見るからに不機嫌そうだ。原因はやはりネスビットと話していたことだろう。
 しかし、これでウェンディが僕のことをどう思っているのかがはっきりした。彼女の中で、僕は夫になっているようだ。
 正直、悪い気はしない。なにせ美人だし、浮気をしたら殺されるという制約がなければむしろ手放して喜んでいたかもしれない。
 しかし、僕は彼女のことを何も知らないのだ。性格がどうとか好きな食べ物は何かとか、そういう話じゃない。
 もしかしたら、僕はこれから海の底で暮らさないといけないなんてこともあり得る。
 「ウェンディ。さっきはごめん、急に礼拝堂から運び出したりして」
 ウェンディは僕を見る。
 「ところで、ウェンディって何歳なのかな?」
 実は1番気になっていたことだ。場合によっては、僕の罪状が1つ増えることになる。
 「105歳」
 彼女の言葉を聞き、僕は驚く。
 ――105歳なら、セーフだ。
 ウンディーネはかなり長生きするようだ。というよりも、そもそも寿命などあるのだろうか。
 僕は次の質問に移る。 「それじゃあ、好きな食べ物は?」
 「お刺身」
 ウェンディはにこりと微笑む。
 魚も食べれるようだ。なぜか、彼女の機嫌も良くなった。
 ――えーと、あとは‥‥。
 「結婚したらどこに住みたい?」
 彼女は首をかしげる。そういえば、もう結婚しているんだったか。
 「どこでもいいけど、この街は好き」
 「聖都が? どうして?」 
 「なんとなく‥‥アンリの街だからかな」
 少し考え、彼女は答えた。
 「でも、たまには聖域に戻らないといけないけど。姉さんはいないし」
 そう言えば、ウェンディの姉は、飛空艇に捕まっているのだ。
 「お姉さん、助けに行きたいよね」
 僕が聞くと、彼女は首を振る。 
 「姉さんが自分で決めたことだから」
 どういう意味だろうか。僕が尋ねても、それには答えてくれなかった。
 「それじゃあ、子どもは何人欲しい?」
 彼女が頬を赤らめる。変なことを聞いてしまっただろうか。
 「2人かな‥‥」
 あらかた質問を終えると、特に問題はないことに気づいた。あの掟以外は。
 ただ、よく考えればそれも問題ないのかもしれない。別に女の子にモテるわけじゃないし‥‥。
 ――あとは‥‥。
 「ウェンディ、さっきのことなんだけど」
 僕が話を切り出す。
 「僕とウェンディが結婚してるってことは、秘密にした方がいいと思うんだ。っていうのは、ウェンディがウンディーネだっていうことを知られると、またエル・シドみたいな奴に捕まっちゃうかもしれない‥‥それと、ウェンディは見た目はヒューマンの女の子だから、下手したら僕が捕まっちゃうんだよ。まあ、もともと反逆罪で指名手配されてるんだけど」
 「‥‥わかった」
 俯いた彼女を見て、僕の心に罪悪感がのしかかる。
 ――でも、今はそれどころじゃないんだ。エル・シドの侵略戦争を止めないと‥‥とにかく、明日もう一度ネスビットのところに行こう。


 翌日、改めて神聖教会を尋ねると、昨日と同じくネスビットは机に向かって本を読んでいる。 
 「あのー、ネスビットさん、記録は入手できましたか?」
 「記録‥‥って何の記録? あんたが殺害した被害者のスナッフ写真か何か?」
 彼女は背もたれにもたれ掛かって言った。
 「いや‥‥今君が8割方読破してるその本だよ!」
 彼女の手元を見ると、僕がかつて図書館の禁書架で見た本があった。
 「これ? 今ちょうどいい所なんだけど、何であんたに渡さなきゃいけないのよ」 
 「そのために禁書架から持ちだしてくれたんだろ! ありがとう、助かるよ」
 何だかんだ言いながら、禁書架から持ち出してくれたようだ。僕は彼女に礼を言う。
 すると、彼女は椅子から立ち上がった。その場にしゃがむと、ウェンディに手招きをする。
 ウェンディは首をかしげ、ネスビットに近づく。
 「何を――」
 僕が口を開けると、勢いよく後ろの扉が開いた。
 「動くな! アンリ・ノルベール!」 
 誰かが部屋へ駆け込み、僕を床へ押さえつけた。腕を捕まれ、後ろに捻り上げられる。
 「アンリ!」 ウェンディが叫ぶ。
 僕は床に突っ伏して、ネスビットを見上げる。 「ネスビット、まさか‥‥!?」
 「バカね。この本はあんたをおびき寄せるための餌よ」
 そう言って、彼女は薄く笑う。 
 ――そんな。
 次の瞬間。
 ウェンディが宙に浮いたかと思うと、空中に水滴が集まり、急激な水流となって男を呑み込んだ。
 「なっ‥‥」
 男が言い終わる前に、水流は巨大な球となって男を中に取り込み、宙に固定する。
 男は水球の中で苦しそうに藻掻く。 
 ネスビットは束の間唖然としていたが、直ぐに正気に戻り、慌てて告げる。
 「待って‥‥! 冗談よ! その人は警備兵じゃなくて、ここの神父なの!」
 僕は立ち上がり、水中の男を見る。確かに神父服を着ている。
 「‥‥ウェンディ! 大丈夫だ、出してあげて」
 ウェンディはちらりと僕を見て、着地する。
 続けて水球が弾け、神父が地面に落下した。男はゴホゴホと咳き込む。
 ネスビットと僕は突然の出来事に唖然とし、暫し固まる。
 ウェンディは隣に来ると、僕の手を握った。
 

 「誠に申し訳ない。ネスビットの幼馴染と聞いたものだから、つい悪戯をしたくなって、調子に乗ってしまった‥‥」
 神父が僕とウェンディに頭を下げる。無精ひげを生やし、かなり酒臭い。
 「ほんとですよ、いい年して、大人げない」 ネスビットが言う。
 彼女を無視して、僕は応える。
 「まあ、いいですよ。お互い無事で良かった」
 「ごめんなさい」 ウェンディが謝る。
 「君が謝ることはない! 悪いのは俺とネスビットだ。本当に済まなかった。ほら、お前も謝れ!」
 神父がネスビットの頭を無理矢理下げる。
 「ごめんなさーい」
 「‥‥まあ、この件はこれで一件落着にしましょう。そもそも僕からお願いがあって来たんですし。ネスビットも頼みを聞いてくれたみたいだし」
 「そうかい? いやぁ、よく出来た青年だな、君は」 神父は口を開けて笑う。
 「いや、しかし、驚いたよ。可愛らしいお嬢さんかと思ったら、ウンディーネとはね。しかも成体のようだ。お相手は君かな?」
 「ア‥‥」  ウェンディは口を開くが、途中で止め、俯く。
 それを見て、僕は告げる。
 「ウェンディは僕の妻です」
 すると、ウェンディは驚いて僕を見上げる。
 「昨日はごめん、ウェンディ」  僕は彼女の頭を撫でる。
 神父は一連のやり取りを見て、言った。
 「‥‥他人の視線なんて、気にすることはない。重要なのは、その気持ちが本物かどうかだ。ウンディーネは結婚をすることによって魂を得るが、失恋によってその魂を失う。正に、全霊を持って一人のヒューマンを愛するんだ。それ故にウンディーネには常に悲恋物語が付き纏うが‥‥ウェンディを幸せにできるかどうかは、アンリ君次第だ」
 「どうしたんですか? そんな神父らしいことを言うなんて、イヴ神父らしくないですね」
 ネスビットが茶化すように言うと、神父は自嘲気味に笑う。
 「たまには俺も、誰かの役に立ちたいからな」
 イヴ神父は改まって真面目な顔をする。
 「さて、アンリ君のお願いというのは、何かな?」
 
 
                          
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