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第7章 悪魔の契約

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 「死神を呼ぶ魔族、か。なるほどねぇ」
 僕が一部始終を説明すると、イヴ神父が呟いた。
 「何か思い当たることがあるんですか?」
 「ああ。とりあえず、その魔族‥‥ヨハネスと言ったかな? が聖戦の真相を暴こうとする動機は分かる」
 思いがけず、僕は身を乗り出す。  「本当ですか!?」
 ヨハネスが一族の仇を討つことだけでなく、真相を暴くことに執着するのには、少なからず疑問を抱いていた。
 「まず、本来、魔族に死神を召喚する力なんてものはないんだよ。魔族は我々の祖先から枝分かれしたヒューマンの亜種のようなものだからね。過酷な環境に対応できるように身体能力が発達している以外は、ヒューマンと変わらない」
 僕はイヴ神父の言葉を聞き、驚く。
 「それじゃあ、ヨハネスは何故死神を?」
 「おそらくヨハネスは、悪魔と契約をしていると考えられる」
 ――悪魔と‥‥契約?
 イヴ神父は立ち上がり、説明を続ける。
 「まずはっきりさせる必要がある点として、神々と悪魔は確かに存在するということだ。今ではその存在を信じる者は少なくなったがね‥‥この世界は我々の住む精霊界、神々の住む神界、そして悪魔の住む魔界の3層に分かれているんだ」
 それは学術院の講義で聞いた覚えがある。おとぎ話だと思っていたが、本当の話だったのか。
 「ヨハネスはその悪魔と契約をしていると? 一体何故?」
 「それはまあ、一族の仇を討つためだろう。ヨハネスはエル・シドを殺すつもりらしいがね‥‥」 イヴ神父は続けて話す。
 「しかし、そもそも神々と悪魔は基本的に我々の住む精霊界に干渉することは出来ない。そういう意味では、確かに我々にとって神々も悪魔もいないと同じ様なものだね‥‥ただ、正当な事由がある場合に限り、例外的に神々と悪魔が我々の世界に干渉することが許される」
 「正当な事由って?」 僕は尋ねる。
 「ヨハネスの場合で言えば、侵略戦争によって一族を皆殺しにされたということだ。それが間違いのない事実であり、それを立証することの出来る特定の証拠があれば、神々と悪魔がヨハネスに味方することが許される」
 ――証拠があれば、悪魔の力を借りることができるのか。
 「なるほど。それで悪魔を味方に付けるために、ヨハネスは証拠を探しているのか‥‥あれ、でも、ヨハネスはまだ証拠を手に入れていない段階で死神を召喚していましたよ?」
 証拠――僕の証言を得る前に、ヨハネスは死神を召喚してギデオン副隊長を殺害していた。
 「そこが今回の肝なんだ。本来、特定の証拠がまずあって、それで初めて神々は我々の住む精霊界に干渉することができる。しかし、悪魔の中にはその順序を逆にして我々に干渉する者が存在する。その際に、悪魔は契約者の魂を担保に取るんだ。それが悪魔の契約だ。要するに、証拠が手に入らなかった場合には、契約者の魂を悪魔が奪うということだ」
 イヴ神父の説明を聞き、僕は息を呑んだ。
 「ヨハネスは、悪魔とそんな恐ろしい契約を‥‥?」


 魔族の男は牢獄の中うずくまり、身動き一つ取らず虚空を見据える。
 紅い瞳が妖しく光っている。
 彼の脳裏には、29年前の出来事が鮮明に浮かび上がっていた。
 時は朝方だった。彼がいつものように下等魔術院での授業を終え、帰路に着いている最中、突如巨大な化け物が王宮を踏み潰した。
 その後は、ただひたすら恐怖に追われ逃げ惑う記憶だ。
 とにかく自分が生き延びることしか考えられなかった。
 視界の端で仲間が暴行を受け、虐殺されるのを見ながら、少年時代の彼は泣きながら走った。
 覚えているのは、将軍らしき銀髪の若い男が、彼の仲間が殺される様子を笑いながら眺めていた事だ。
 彼は無我夢中で走り続け、気付いた時には森の中で独り立ち尽くしていた。
 ――その光景は片時も忘れたことがない。
 牢獄の扉が開く音が聞こえ、ヨハネスはそっと眼を伏せる。
 「――魔族の様子はどうだ?」
 「――身動きひとつせず、食事にも全く手をつけません」
 「――ふん。用心深い事だな」
 銀髪の男は鉄格子の前に立つと、彼を見下ろした。 「こんな奴でも今は超希少だ。ちゃんと管理しろ」
 ヨハネスは身震いをすると、そっと立ち上がる。
 「‥‥何を笑っている?」
 エル・シドが聞いた次の瞬間。建物は崩壊した。


 上弦の月が分厚い雲に隠れ、闇を一層深くする。
 静寂が夜を包む中、瓦礫の崩れる音だけが響く。
 瓦礫の中に巨大な怪物が立っていた。
 「たっぷりと苦痛を与えた上で殺してやりたいところだが、貴様の顔をもう一秒でも見ていたくないんでな」
 魔族の生き残りは怪物の手首に乗り、囁くように宣告する。
 「ひっ、許してくれ‥‥俺はそそのかされたんだ。魔族を皆殺しにすれば、帝にしてやるって‥‥」
 「誰に?」
 「先帝に‥‥」
 刹那。
 鈍い音が響き、怪物の掌中から血飛沫が迸った。
 暗闇の中、ヨハネスの瞳が紅く輝いていた。


 エル・シド聖帝を握り潰すと、悪魔は不気味に笑いながらヨハネスに告げる。
 「期限は残り2週間だ」
 「‥‥分かった」
 それだけ言うと悪魔は消え、ヨハネスは暫くその場に立ち尽くしたあと、やがて闇に紛れた。
 翌朝、僕は新聞を読みエル・シド聖帝の死を知った。
 ――ヨハネスだ! エル・シドを倒したのか!
 どうやったのかはわからないが、本当に聖帝を暗殺したようだ。複雑な気持ちだが、これでヨハネスは一族の仇を討ったことになる。
 「アンリ、それちょうだい」
 僕が新聞を食い入るように見ていると、ウェンディが言った。僕とウェンディは宿の部屋で朝食をとっている最中だ。
 僕はウェンディの視線を辿る。 「それって、トマト?」
 「うん」 彼女は眠そうに目を擦る。
 僕はトマトを彼女の皿に移す。
 ウェンディはトマトを食べ、コーヒーを美味しそうに飲む。
 「それ、苦くない? 砂糖入れようか?」 
 僕が尋ねると、ウェンディは首を振る。
 「大人だなぁ、僕はブラックじゃ飲めないよ。そういえば、コーヒー飲むのは初めて?」
 「うん‥‥本当は水さえあれば何も食べなくても大丈夫なんだけど」 
 昨日の一件以降、ウェンディはどことなく嬉しそうだ。
 ――そうだ。クイン達に手紙を送らないと。
 僕は立ち上がり、クイン達に宛てて手紙を書く。
 「これを君のご主人に届けてくれ、頼んだよ」
 梟の足に手紙を結び、窓から放すと、森に向かって飛び去って行った。
 僕は昨日のイヴ神父との会話を思い起こす。
 ――「証拠を手に入れなければ、ヨハネスの魂は悪魔に奪われてしまう。しかし、証拠と言っても何でもいいわけではないんだ。昨日ネスビットが禁書架から持ちだしたその本や君の証言は役に立たない」
 ――「でも、ヨハネスは僕に証言しろって」
 ――「悪魔はヨハネスに肝心なことを告げていないのさ。悪魔からすれば、証拠を揃えるよりヨハネスの魂の方が欲しいんだろう」
 ――「それじゃあ、どうすれば‥‥?」
 ――「四大精霊の協力が必要だ。本来、我々の世界は四大精霊が治めている。精霊達の証言を得れば、ヨハネスを救えるはずだ」
 僕はヨハネスに殺されかけたし、復讐のためとはいえヒューマンを殺すのは間違っていると思う。
 しかし、僕は彼の境遇に同情している。エル・シドが死んで侵略戦争も止まるはずだし、証拠集めには協力してあげてもいいだろう。
 ――残りは、炎の精霊サラマンドラと風の精霊シルフ。それと‥‥。
 「ウェンディ、これから君の故郷に行くよ」
 振り返ってウェンディを見ると、着替中だったため慌てて顔を背けた。


“ヨハネスが仇を討った。彼は悪魔と契約しており、このままだと魂を奪われる。助けるためには四大精霊の助けが必要――”
 「ヨハネスがエル・シドを討ったみたいだわ‥!」 アンリからの手紙を読み、クインは言った。
 「そうか! できれば自分の手で仇を討ちたかったが‥‥ヨハネスにはまた1つ恩ができたな」 ガルーザは複雑そうな顔をする。
 クインはガルーザに手紙を渡す。
 「ヨハネスのためにも、早くポリスーンが再生しない理由を見つけないと!」
 「‥‥そうだな。エルフの里は、あとどのくらいだ?」
 「もうすぐよ!」
 2人は森を駆け抜ける。
 ガルーザとクインはアンリ達と別れた後、聖域で精霊ポリスーンが再生するのを待っていたが、いつまで経っても再生する様子がないため、その原因を知るべくエルフの里へ向かっていた。
 エルフは「森の守護者」とも呼ばれ、聖域の奥深くに住んでいる。美しい外見を持ち、不思議な力を使うと言われているが、滅多に里から出ないためヒューマンの間では伝説の存在とされている。
 「その先よ!」 ガルーザとクインは、寄り添うように立っている2本の大樹の間を、横向きになってすり抜ける。すると、突如視界が開けた。
 「ここがエルフの里よ」
 エルフの里は、湖ほどの大きさのある、美しく澄んだ泉の中に造られていた。泉の深さは20cm程度で、ところどころに島がある。建物は木造で、円形のものが多い。光蟲が至るところで幻想的な明かりを灯している。
 「綺麗な所だな」 ガルーザが感嘆の声を上げる。
 「あそこに見える巨大な樹が長老の家よ。行きましょう」
 泉の中央には、周りの樹の5倍の大きさはあろうかという巨樹が生えていた。樹の中は空洞になっているようだ。
 「何か御用ですか?」
 巨樹に向かって移動していると、若い男のエルフに声をかけられた。中性的な顔立ちで、体格は細身。髪は金色で、耳が垂直に近い形に尖っている。
 「わたしはヂードゥの巫女クインです。フェアグリン長老にお話があって来ました」
 クインが答えると、エルフの男は一瞬驚いたような表情を浮かべる。
 「長老は先日亡くなりました。今は、別の人が族長をやっています」
 「そんな、一体どうして‥‥?」 クインが驚いて尋ねる。
 「‥‥僕は詳しくは知らないんです。よければ新しい長老の所まで案内しますよ、場所は同じですが。僕はクーリンディアです」
 そう言って、クーリンディアは手を伸ばす。
 「ガルーザだ。よろしく頼む」 ガルーザは握手をする。
 「大きいですねー! 身長何センチあるんですか?」 クーリンディアはガルーザを見上げる。
 「213cmだ」
 「ひゃー! 新しい族長が里で一番大きいんですが、彼は195cmって言ってたかなぁ」
 などと話しているうちに、3人は巨樹へ到着した。
 「それじゃあ僕はこれで。族長は樹中の最上階です」
 クインはクーリンディアと握手をする。  「ご親切にどうもありがとう」
 クーリンディアはにこりと笑う。
 「いえいえ‥‥もし何かあったら、僕の家はお2人と会った場所のすぐ近くなので、遠慮なく来て下さい」
 そう言って、クーリンディアは引き返していった。
 クインとガルーザは樹中へ入り、螺旋階段を登る。
 「ここね」 頂上まで上ると、重厚な木製の扉があった。クインはノックする。
 「入れ」
 2人は扉を開ける。
 部屋の中には、男が1人机に向かって忙しなく書類を書いている。クーリンディアの言った通りの長身だが体格は細身だ。窮屈そうに身体を丸めて座っている。
 「はじめまして。わたしはヂードゥの巫女クインと申します‥‥」
 「前置きはいい。何の用だ?」 族長は書類を書きながら言った。
 「精霊ポリスーンについて、聞きたいことがあって伺いました」
 クインの言葉を聞くと、族長は視線を上げ、クインを見る。
 「‥‥ポリスーンは死んだよ」
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