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第9章 クインの祈り

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 聖都下層へ入るゲートは東西南北の4か所にあり、僕達は東ゲートから入った。
 下層は、東西南北の4エリアと中央エリアの5つに分けられている。主な交通手段は列車だ。環状線が4エリアを繋いでおり、4エリアからそれぞれ中央エリアへの列車が走っている。
 神聖教会の本部は南エリアにあるため、行くには列車に乗らなければならない。幸い通勤時間を過ぎたため、車内は比較的空いているはずだ。
 僕達は聖都へ入ると、列車のステーションを目指して街路を直進する。昨日一日何も食べていないためまずは腹ごしらえをしたいところだが、ゲートからステーションにかけては人が多く、人目につく。
 僕はウェンディとはぐれないよう手を繋ぐ。聖都の風景が珍しいのか、彼女は先ほどから忙しく首を動かしている。
 十字路を直進するとステーションだが、僕は左に曲がる。
 少し進むと、広場に出た。広場を取り囲むようにコの字型の建物が建っている。ここは、誰でも自由に利用できるコミュニケーションスクウェアだ。
 僕はウェンディの手を引いて自動通路に乗り、スクウェアの2階に上がる。隅に置かれている自動販売機の前に進む。
 バンズに魚を挟んだサンドイッチを2つ買おうと思ったが、思い留まって鹿肉を挟んだものにした。飲み物も買って、広場に面したベンチに腰を下ろす。広場では、僕とそう変わらない年齢の人達がボールを突いて遊んでいる。
 僕はぼんやりとそれを眺めながら、サンドイッチを食べる。旨い。肩に留まった梟にバンズを千切ってあげる。
 ウェンディはサンドイッチを手にして首をかしげていたが、ぱくりとかぶり付いた。もぐもぐと口を動かす。
 「どう?」 僕が聞くと、彼女はごくりと飲み込む。 「‥美味しい」
 口に合ったようだ。精霊がどんなものを食べるのかわからず不安だったが、ヒューマンと同じ物も食べられるようだ。ただ、なんとなく水に住む生き物は避けたほうが無難な気がする。
 僕はサンドイッチを平らげ、ふうとため息をつく。僕が最後に球技をしたのはいつだったか。元々外で身体を動かすよりも室内で読書をする方が好きなタイプだが、運動が苦手なわけではない。むしろ、運動神経はいい方だ。なんだか、広場にいる彼らが少し羨ましく感じた。
 ウェンディが食べ終わると、僕らは改めてステーションへ向かった。
 券売機で切符を買い、改札を抜ける。ホーム内に人はまばらで、見つかる心配はなさそうだ。
 5分ほど待つと南エリア行きの列車がホームに停止した。ウェンディが椅子に座り、僕は向かいの席から顔を見られないように彼女の前で吊り革をつかむ。南エリアへは20分位だ。
 座席があらかた埋まると、列車は発車した。
 ――ヨハネスはどうなったんだろう。
 彼が捕まってからまる1日経つ。処刑されてはいないだろうか。少なくとも、ニュースにはなっていないようだ。
 ヨハネスが死ねば、僕に取り憑いた死神も消えるはずだ。でも、それで僕にかかった容疑が晴れるとは思えない。飛空艇の監視カメラに僕の姿が映っているだろうし、せいぜい共犯者と思われるだけだろう。それよりは、死神が憑いている今の方が生命の心配ぱないため、まだマシかもしれない。
 それに、僕はエル・シドの侵略戦争を本気で止めたいと考えている。そのためにはヨハネスの力が必要だ。殺しを手伝うつもりはないが、ヨハネスが僕を利用するように、僕も彼を利用すればいい。
 そんなことを考えていると、ウェンディの隣の女性が僕の顔を見ていることに気付いた。どきりと心臓が跳ねる。
 ――まさか、気付かれたか‥?
 「妹さんですか?」 女性が尋ねた。 「すごい美人さんですね」
 どうやらウェンディのことを言っているようだ。当のウェンディは、目を閉じて眠っている。
 「え、ええ。ありがとうございます」 僕は平静を装って返事をする。
 すると、彼女は僕から視線を離した。バレたわけではなさそうだ。
 ――兄妹に見えるんだな‥。
 やはり、ウェンディは子供に見えるようだ。
 南エリアのステーションに到着し、僕達は列車を降りた。
 

 ゲートとステーションを繋ぐ主要道周辺はそれなりに栄えているが、道を1つ外れると住宅街が広がっている。距離が離れるに従って徐々に廃れていき、各エリアの境界付近はスラム街だ。
 神聖教会本部は、西エリア寄りのスラム街に建っている。
 ――相変わらず、錆びれてるなぁ‥。
 ステーションから30分位歩くと、神聖教会本部に着いた。古ぼけた扉を押し、礼拝堂の中を見回す。予想通り誰もいない。
 礼拝堂を横切り、左奥の部屋へ向かう。礼拝堂内には様々な石像がある。聞いた話によると、神々と悪魔、精霊をかたどっているらしい。ウェンディが美しい聖母像の前で立ち止まる。
 僕が扉を開けると、執務机に向かって本を読んでる修道女を発見した。シャギーのかかった短めの黒色の髪に、黒い瞳。どちらかというと、ヒューマンでは珍しい色だ。
 「ネスビット‥!」 僕が呼ぶと、修道女は本の上から顔を覗かせ、僕を見る。 「えーと、誰だっけ?」
 「アンリ・ノルベールだよ! 君の幼馴染の!」
 「ああ、アンリ。とっくに首チョンパされたもんだと思ってた」 彼女は本に視線を戻す。
 「‥昨日手紙出しただろうが!」 ネスビットはちょっと面倒くさい性格をしている。くされ縁だ。
 「で、何? 私を殺して死姦でもするつもり?」 
 「‥‥悪いけど、今は冗談に付き合ってる暇はないんだ。君に頼みがある」 彼女の発言には、いつも閉口させられる。僕は部屋へ入り、扉を閉める。
 「何、その言い方。あんたが私にものを頼むときは、私の言うことを3つ聞いてからでしょ」
 「‥分かってると思うけど、僕は無実だ。それで、話せば長くなるんだけど、聖帝の侵略戦争を止めるために、神聖教会の助けが必要なんだ!」
 「そっかー」 彼女はそう呟き、本のページをめくる。
 僕は返答を待つが、一向に応えがない。更に1枚、ぺろりと本を読み進める。こいつは‥。
 「とにかく、大聖図書館の禁書架に聖戦の記録がある。君なら書架に入れるだろうから、それを入手して欲しい」
 と、ネスビットが突然立ち上がり、
 「これは俗世で言うところの強要罪だわ! それだけじゃなくて、神の使いであるか弱い私に盗みを働かせようなんて、神に対する背徳行為!」 楽しそうに喋り出した。
 「ん?」 ネスビットは僕の隣にいるウェンディを見ると、言葉を止める。 
 「あんた‥‥」 彼女は僕を見る。 「連続猟奇殺人はともかく、こんな小さな女の子まで――?」
 割りと本気で引いた様子だ。
 「‥‥違う、話せば長くなるんだけど、そういんじゃなくて」 僕は何故か焦って弁解をする。
 「怪しい」 彼女が一歩引く。
 ネスビットはしゃがんでウェンディに話しかける。 「お嬢ちゃん、どうしてこの男と一緒にいるのかな?」
 「アンリはわたしの夫だから、手を出したら後悔するわよ」 と、ウェンディが冷たく言い放った。
 「‥‥ん?」とネスビット。 「え?」と僕。
 「と、とにかく、大聖図書館から聖戦の記録を持ち出してくれ! また明日来るから、お願い‥!」
 僕はウェンディを抱き上げ、急いで礼拝堂を出た。


 「はぁ‥」 適当な宿を取って部屋に入り、僕はため息を漏らした。
 ウェンディがあそこまで攻撃的な態度に出るとは思わなかった。まさかあの程度で殺しはしないだろうが、ネスビットに危害を加えないとは言い切れない。なにせ精霊なのだ。ヒューマンの常識で判断するのは間違いだろう。
 ウェンディは先ほどから見るからに不機嫌そうだ。頬がぱんぱんに膨らんでいる。原因はやはりネスビットと話していたことだろう(仲良くとは到底言えないが)。
 しかし、これでウェンディが僕のことをどう思っているのかがはっきりした。彼女の中で、僕は夫になっているようだ。
 正直、悪い気はしない。なにせ美人だし、浮気をしたら殺されるという制約がなければむしろ手放して喜んでいたかもしれない。
 しかし、僕は彼女のことを何も知らないのだ。性格がどうとか好きな食べ物は何かとか、そういう話じゃない。もしかしたら、僕はこれから海の底で暮らさないといけないなんてこともあり得る。
 ――とはいえ、まずは手近なところから聞いていこう。
 「ウェンディ」 僕は彼女に呼びかける。 「さっきはごめん、急に礼拝堂から運び出したりして」
 ウェンディは拗ねた目つきで僕を睨む。
 「ところで、ウェンディって何歳なのかな?」 実は1番気になっていたことだ。場合によっては、僕の罪状が1つ増えることになる。
 「105歳」 彼女がボソリと言う。彼女の言葉を聞き、僕は驚く。
 ――105歳なら、セーフだ。
 僕は安堵の息を吐く。105歳で幼精ということは、ウンディーネはかなり長生きするようだ。というよりも、そもそも寿命などあるのだろうか。
 僕は次の質問に移る。 「それじゃあ、好きな食べ物は?」
 「お刺身」 ウェンディはにこりと微笑む。
 魚もイケるようだ。なぜか、彼女の機嫌も良くなった。
 ――えーと、あとは‥。
 「結婚したらどこに住みたい?」 彼女は首をかしげる。そういえば、もう結婚しているんだったか。
 「どこでもいいけど、この街は好き」 少し考え、彼女は答えた。
 意外な答えが返ってきた。 「聖都が? どうして?」 
 「なんとなく‥。アンリの街だからかな」 と、嬉しいことを言う。
 「でも、たまには聖域に戻らないといけないけど。姉さんはいないし」
 そう言えば、ウェンディの姉は、飛空艇に捕まっているんだった。
 「お姉さん、助けに行きたいよね」 僕が聞くと、彼女は首を振る。 
 「姉さんが自分で決めたことだから」
 どういう意味だろうか。僕が尋ねてもそれには答えてくれなかった。
 「それじゃあ、子どもは何人欲しい?」 彼女が頬を赤らめる。変なことを聞いてしまったか。 「2人かな‥」
 ――っていうことは、そういう行為もできるのか。
 あらかた質問を終えると、特に問題はないことに気づいた。あの掟以外は。
 ただ、それについてもよく考えれば問題はないのかもしれない。別に女の子にモテるわけじゃないし、浮気などするつもりもない。
 「ウェンディ、さっきのことなんだけど」 僕が話を持ち出すと、彼女は眉根を寄せる。
 「ネスビットは僕の幼馴染で、ただの腐れ縁なんだ。君が考えてる関係じゃないよ」
 すると彼女が近づき僕に顔を寄せる。額がくっつきそうだ。
 「‥本当?」 急に威圧感たっぷりだ。しかし、それよりも近すぎて心臓がドキリとする。
 「浮気したら怖いからね」 と彼女が囁き、僕はつい「うん」と返事をしてしまった。


 翌日、改めて神聖教会を尋ねると、昨日と同じくネスビットは机に向かって本を読んでいる。 
 「あのー、ネスビットさん、記録は入手できましたか‥?」
 「記録‥って何の記録? あんたが殺害した被害者のスナッフ写真か何か?」 彼女は背もたれにもたれ掛かって言った。
 「いや‥‥今君が8割方読破してるその本だよ!」
 彼女の手元を見ると、僕がかつて図書館の禁書架で見た本があった。
 「これ? 今ちょうどいい所なんだけど、何であんたに渡さなきゃいけないのよ」 
 「そのために禁書架から持ちだしてくれたんだろ!‥ありがとう、助かるよ」 何だかんだ言いながら、禁書架から持ち出してくれたようだ。僕は彼女に礼を言う。
 すると、彼女は椅子から立ち上がった。その場にしゃがむと、ウェンディに手招きをする。
 ウェンディは首をかしげ、ネスビットに近づく。
 「何を――」 僕が口を開けると、勢いよく後ろの扉が開く。
 「動くな! アンリ・ノルベール!」 叫び声が部屋中に響いた。
 誰かが部屋へ駆け込み、僕を床へ押さえつける。腕を捕まれ、後ろに捻り上げられた。
 「アンリ!」 ウェンディの叫ぶ。
 僕は床に突っ伏して、ネスビットを見上げる。 「ネスビット、まさか‥!?」
 「バカね。この本はあんたをおびき寄せるための餌よ」 そう言って、彼女は薄く笑う。 
 ――そんな。
 ネスビットが警備隊に僕を売ったのだ。しかし、一体なぜ?僕が殺人犯だと信じているのだろうか。それとも、本当にウエンディのことで?
 次の瞬間。ウェンディの両足が床から離れ、宙に浮かんだかと思うと、またたく間に空中に水滴が集まり急激な水流となって男を呑み込んだ。
 「なっ‥」 男が言い終わる前に、水流は巨大な球となって男を中に取り込み、宙に固定する。男は水球の中で苦しそうに藻掻く。 
 ネスビットは信じられない光景を前に束の間唖然としていたが、直ぐに正気に戻り、慌てて告げる。
 「待って‥! 冗談よ! その人は警備兵じゃなくて、ここの神父なの!」
 僕はゆっくりと身体を起こし、立ち上がる。水中の男を見ると、確かに神父服を着ている。 「‥ウェンディ! 大丈夫だ、出してあげて」
 ウェンディはちらりと僕を見て、着地する。続けて水球が弾け、男が地面に落下する。神父はゴホゴホと咳き込む。
 ネスビットと僕は突然の出来事に唖然とし、暫し固まる。ウェンディは隣に来ると、僕の手を握った。
 

 「誠に申し訳ない。ネスビットの幼馴染と聞いたものだから、つい悪戯をしたくなって、調子に乗ってしまった‥」
 神父が僕とウェンディに頭を下げる。無精ひげ面に、酔っ払っているらしくかなり酒臭い。
 「ほんとですよ、いい年して、大人げない」 ネスビットが言う。
 彼女を無視して、僕は応える。 「まあ、いいですよ。お互い無事で良かった‥」
 「ごめんなさい」 ウェンディが謝る。
 「君が謝ることはない! 悪いのは俺とネスビットだ。本当に済まなかった。ほら、お前も謝れ!」 神父がネスビットの頭を無理矢理下げる。 「ごめんなさーい」
 反省の色は見えないが、一応悪いことをしたと感じているようだ。
 「まあ、この件はこれで一件落着にしましょう。そもそも僕からお願いがあって来たんですし。ネスビットも頼みを聞いてくれたみたいだし」
 「そうかい‥? いやぁ、よく出来た青年だな、君は」 神父は口を開けて笑う。
 「いや、しかし、驚いたよ。可愛らしいお嬢さんかと思ったら、ウンディーネとはね。しかも成体のようだ。お相手は君かな?」
 「ア‥‥」 ウェンディは口を開くが、途中で止める。
 僕はそれを見て、告げる。 「ウェンディは僕の妻です。」
 すると、ウェンディは驚いて僕を見上げる。
 「助けてくれてありがとう、ウェンディ」 僕は彼女の頭を撫でる。
 神父は一連のやり取りを見て、僕に言う。
 「‥他人の視線なんて、気にすることはない。重要なのは、その気持ちが本物かどうかだ。ウンディーネは結婚をすることによって魂を得るが、失恋によってその魂を失う。正に、全霊を持って一人のヒューマンを愛するんだ。それ故にウンディーネには常に悲恋物語が付き纏うが。ウェンディを幸せにできるかどうかは、アンリ君次第だ」
 「どうしたんですか?そんな神父らしいことを言うなんて、イヴ神父らしくないですね」
 「たまには俺も、誰かの役に立ちたいからな」
 ネスビットが茶化すように言うと、神父は自嘲気味に笑って答えた。
 イヴ神父は改まって真面目な顔をすると、僕に言う。
 「さて、アンリ君のお願いというのは、何かな?」
 
 
                          
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