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西鉄電車大宰府線/白い犬

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 JR九州は鹿児島本線、その快速停車駅を含む複合商業施設である。男はドーナツ屋でミートパイにかじりつき、ホットコーヒーでそれを飲み下した。狭いテーブルにミステリ小説を広げ、時々腕時計を覗き込んだりしていている。
 時刻は大宰府天満宮に隣接する国立博物館の開館時間を過ぎたばかりである。彼はその日、米国ボストン美術館からはるばる海を越えて里帰りしたという屏風絵に用があった。曾我蕭白の描いた雲龍図、ギョロ目のエイジャンドラゴンに眼力対決を挑み、そして帰ってくる予定を立てていた。
 ならさっさと電車に乗れと言いたいところであるが、彼は生来ものぐさな性分であった。さきほどスマートな携帯電話を使って博物館までの交通手段を調べたところだが、電車利用はJRよりもそこから徒歩十分の私鉄を選んだほうが好都合であることが分かり、もともとJR利用のつもりであった彼は落胆し、文庫本を読み出したという次第である。些か理解に苦しむ帰結であるが、これで今回の計画が、休日に美術展に誘うような友人や恋人など持たない、可哀相な男の気まぐれな思い付きであるということははっきりするであろう。
 遊び好きなOLの自殺未遂事件が、自殺に見せかけた殺人未遂に変貌しだしたところで、男は文庫本に栞を挟んだ。好きな作家の小説なのだが、どことなく在り来たりな探偵物語がだらだらと続くばかりで、一体どこから面白くなるのかと先ほどから疑問に思っていたのである。
 そして顔を上げると、狭苦しいテーブルを挟んだ向かいの席に、さっきまで誰も座っていなかったはずの椅子に少女が腕を組み、こちらを凝視していたので声を上げて驚いた。
「うるさいわね」
「なななな」
「なに読んでたの?」
 少女は男が驚きのあまり手に握りつぶした文庫本を取り上げて拍子のタイトルを読み上げた。
「心のなかの冷たい何か。ふうん」
 そして後ろからぱらぱらとページをめくり、中途半端なところで止めて、読み始めた。男は大声を上げたついでに一緒に吹き飛ばしていた意識を手繰り寄せて、開いたままの口をもぐもぐやって閉じ、浮ついた尻を椅子に座りなおして、十歳でも老け込んだようなため息を吐き出した。
「おまえ、いつもいきなりだ」
「え?」
「まあ、いいけど」
 二人はどうやらお互いに顔見知りのようである。そして何事もなかったように会話しはじめる。カウンターの奥から従業員たちがそれとなく彼を覗き見しているのには気付いているだろうか。少女は文庫本に視線を落としたまま訊ねる。
「妖怪二十五歳はどうだった、強かった?」
「嫌なこと思い出させるなって。見逃してもらったよ」
「なさけないなあ。最近どんなの書いてるの?」
「五年がかりの超大作だよ。一向に進まない」
「それは面白そう。読ませてよ」
「おれ、今日は小説書かないんだ。雲龍図を見に行くからね」
「じゃあ今年の目標は立てた?」
「おい、ちょっと。なあ、」
「ん」
「質問ばかりでめまぐるしいよ、おまえ」
 少女は頑として文庫本を読み続ける。男との会話は、男の主観によらずとも、あからさまに片手間であった。
「そんなだからカノジョいないんだと思うよ」
「え?」
「どうでもいい自己主張で流れをぶったぎって、……」
「――、目標あるよ。あのね」
「聞こうじゃないの」
「年間百万円貯める」
「そういうのじゃなくて。もっとほかの」
「えー、」
「うん」
「やっぱ年間百万、……」
「相変わらずきみはつまらないねえ」
 そこで少女は文庫本を閉じる。あとで彼が話していたところによると、太宰府市の博物館にはひとりで行ったらしい。睨めっこは完敗であったらしい。例の小説は後半から本気を出したらしい。とてもらしくあり、面白かったらしい。



<オワリ>

 年間百万円貯金します。




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