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「暗闇の話」

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   「暗闇の話」


 今日が何年何月何日で、今が何時なのかも分からない。暗闇の中で聴こえる音だけを楽しみに生き続ける日々。それが私の全てだ。多分今私はベッドに寝かされていて、目は閉じたままで、静かに呼吸をしていると思う。思うというか、多分、と言ったほうが正しいかもしれない。とにかく私には私が今どこで何をしているのか分からないのだ。
 最後に数えた年齢は確か十八歳。とうとう視覚までもが眠りについてしまった日だった。それからもうニ、三年経っているとは思うのだが、どうにもはっきりしない。敢えて父や母にも日付は言ってもらわないようにしている。自分がどれだけの期間「こうやって」過ごしているのか知るのが怖くてたまらなかった。
 だから私は時を数えるのを辞めた。
 実際時間を着にしていた時よりも私は随分と気が楽になった。

――ノブの回る音。

――扉の開く音。

――誰かが部屋に入る音。

――床が小さく軋む音。

 残った耳は私にとても沢山の情報をくれる。初めは何一つ分からず戸惑い続けたが、今では音だけで十分に誰かを判別することができるように―入ってきた本人に名乗ってもらうのが手っ取り早いのは確かだけれど、それではなんだかつまらなかった―なった。
「失礼ですが、男性の方? それも幾分か若い」
「……驚いた。音だけでそこまで把握できるとは」
「残された感覚ですもの。少しは鍛えておかないと」
 低くて少ししゃがれた―煙草が原因かもしれない―声の男性は私の言葉に驚いた後、恐る恐るといった慎重な足取りで、私の向かいに設置された―父にそう聞いているし、確かに向かいから声がするので確かな情報だと思っている―椅子に腰掛けた。
 衣擦れの音、紙の擦れる音、ライターの着火音がして、最後に男が息を吐き出した。
「煙草ですか?」
「失礼、煙草は嫌いだったかな?」
「別に私は何も感じませんし、騒音の原因にさえならなければ特に気にしませんよ。ただ、私も一応病人であることを忘れないでくださいね」
 男は申し訳なさそうに煙草をもう一度吸って、一呼吸分置いてから深く吐き出した。とても美味しそうに吸うなあと思いながら、私は彼が早く要件を切り出してくれないかなと待っていた。
 待ち遠しかった。
 だってそれが今の私の唯一の楽しみなのだから。
「話を切り出す前に、君について色々話してもらうことはできないだろうか」
 男は低いトーンで言った。いつもと同じパターンだとうんざりしながら、しかし私という存在について色々と聞きたくなるのは当たり前なのかもしれない、といつものように思い、まあ時間もたっぷりあることだしいいか、と私は心の中で整理をつけてか了承した。
 さて、どこから話そうか。

   ・

 私が身体に異変を感じたのは、丁度十六の誕生日の時だった。この村から数時間掛けて高校に通いながら、しかし充実した日常を送ることができていた。
 朝早く出て、帰宅する頃にはすっかり夜中で家族と夕食を共にする頻度も減っていたが、家族関係も特に問題なく、居心地も丁度良くて、勉学や部活動に励み、幹部職にも就く私の貪欲なまでの活動にとても協力的な家庭で、愛情も沢山貰ってた、と思っている。
 漸く進路の話もまとまりつつあり、このまま特に問題もなく大学へと進むことができるだろうと言われ、当時私はその順風満帆な進路にとても喜んでいた。
 大学で四年、いや院生として研究を行うことへの憧れもあったし、何よりそうして多くを学ぶことで私は生まれ育ってきた村に何か風を吹き込みたいと思っていた。小さな頃から面倒を見続けてくれたおばさんやおじさんも、家を継いで田畑に汗を染み込ませている幼馴染も皆とても良い人達だ。これだけ暖かいものを閉塞的な村に留めておくのはとても惜しい。村の為に働きかけることで、私がこれまで受けてきた愛情を返せると思うと、勉学にも身が入った。

 丁度村の人達と共に開いた小さなパーティの前日だった。年齢を重ねることはとても素晴らしいことだと思ったし、私がしたいことを叶えるにはどうしても積み重ねが必要だったから、私自身も誕生日をとても嬉しく思えた。また一つ、大人に近づける。
 細やかながらも開催されたこのパーティで、私ははっきりとこの村の行く先に対する展望を語った。このまま寂れて終わらせていい村ではないと大声で叫んだ。
 それが彼らに伝わったのかどうかは分からない。けれど、誰一人として否定も、止めることもしなかった。穏やかな笑みを浮かべて、貴方はこの村が大好きなんだねえと言われた。
 そうして沢山笑って騒いでいつの間にか眠ってしまって、ふと目が覚めた時だった。起き上がって周囲を見回し、随分と散らかったパーティ会場と私と同じように硬い床で眠る村民達を見て無茶してしまったと思い、とにかく目が覚めたなら片付けを一足先に始めようと身体に力を入れて、私は驚いた。

――足に力が入らない。感覚も感じられなかった。

 初めは何かで血管でも圧迫してしまったのかな、なんて思ったけれど、村民たちが起きだす頃になっても足は一向に私の言う事を聞いてはくれなかった。
 その時、何故そんな行動を取ったのか分からない。けれど、何か現実味を感じたかったんだと思う。
 私は傍に割れた瓶の欠片を見つけると、それを握りしめ、右の太ももに思い切り突き刺した。あまり鋭くない欠片だったが、それでも何度か足に叩きつけることで肉を裂くことができた。中から紅色をした液体が湧きだして、床を染めていった。
 でも、何も感じなかった。
 起きてきた人達が血相を変えて私を止めにかかってくれたおかげでその程度で済んだけれど……。まあ結果から考えればあれで足がどうにかなっていても問題はなかったのだけれども。
 それから私は沢山の病院に連れて行かれた。変な検査も沢山受けて、その度に何も異常は見当たらないと、精神的なものだと言われ入院すらできずに放り出された。匙を投げるってこういうことを言うんだなあなんて思いながら、気が付けば私は自宅から外に出ることすらできなくなってしまった。
 大学の推薦だけはどうにか手に出来たけれど、今度は味覚が無くなった。触覚が無くなった。
 次々と問題が見つかるのに、どこの病院でも問題は見られなくて、入院しても何一つ問題が見つかるわけでもなく、私自身の寿命が短くなるわけでもなかった。結局最後はこの……私、今ベッドにいますよね? うん、良かった。このベッドの上に戻ってきてしまう。
 とうとう大学に入学できる状況でもなくなり、勉強も、娯楽も、料理も、自分を慰めることすらできなくなって、快楽に逃げることすらできなくなってしまった。父や母のおかげで餓死は免れたけれども、もう死んでいるのと何一つ変わらないという諦めを抱きながら日々を過ごすしかなくなっていた。
 そうやってとうとう視力もなくなって、あとは言葉と耳だけ―不思議なことに、呼吸だけは自然とできるし、言葉も話せる。でも口の中は全身と同じように感覚がない―になって、もういっそのこと殺して欲しいとすら思った。
 でもそんな時、私の下を訪ねてくれた男性が、私の動かなくなった身体の状態と異常を見て、それから懇願してきた。
 それが、今の私の始まりにもなる言葉だった。

『臓器を、分けて貰えないだろうか』

 それは多分、非常にインモラルな言葉だった。父も母もそれまで聞いたことがないくらい大きな声で怒鳴っていたし、壁を殴った音なんて怖くて怖くて……。
 でも、不思議と私はその依頼を了承した。何故かって言われたらうまくいえないけれど、そうしたほうが私は役に立つんだな、なんて思ったら自然と出た言葉だった。
 そこからは驚くほど話が進んだ。
 父と母はとても沢山のお金を貰えて、私はどうせ必要のない臓器を一つ分け与えるだけ。それに人一人の命が救えるかもしれないと思ったら何一つ損はないと思えた。
 麻酔を念のため打ってもらったから何も覚えていないのだけれど、目が覚めて私の現状を把握した後、私の身体を使って誰かが助かったと訪ねてきてくれた、男性の感謝の言葉を聞いている内に、得も言えぬ感情が私の中に宿った。
 何一つ役に立たない私の身体でも、役に立てることがあると知ってからは、私の行動はとても早かった。
 父と母には本当に長い間説得されたが、私が頑としてその考えを譲らないことを知って、最後は嗚咽混じりの声で了承してくれた。
 このまま生きた屍で居続けるのなら、いっその事私は全てを分け与えよう。そうすれば、私はいろんな人の中で生き続けられる。こんな窮屈な身体に収まっているよりも十分に幸せなことではないだろうかと、そう思った。
 新しく見つけた幸福は、何にも得難い快楽を私にくれた。
 臓器を求める男性の声を了承して、移植された患者の感謝の声を聞いて、自分の身体の一部がまた一つ私を広げてくれた。そう思うだけで自分の価値が跳ね上がっていくのを感じた。
 そうやってニ、三度して、私はふと思った。
 私という意識さえあれば、どれだけ身体が欠損していたとしても生き永らえることはできるかもしれないと。もしそれで息絶えるようならそれでも十分だと思った。だから私は敢えて肺や胃等主要な器官ですら差し出すことを考えた。
 その賭けは、私の勝利だった。
 動かない手足と生命維持に使われる器具だけ。あとは脳さえあれば私は動き続けることができる。いや、死ぬことができないと考えたほうが妥当なのかもしれない。
 誰かの命を救って、父と母が潤って、人を救えた幸福感で私は満ちる。
 これほど素晴らしい人生は他にはないと思うし、多分死ぬことが許されるその日まで思い続けると思う。
 幸福とは、こういうことなのだ、と。

   ・

 大体を話し終えて私は口を閉ざした。
 向かいの椅子に座る男は一言も口にせず、ただ呼吸だけを行なっている。一人で部屋にいる時みたいな寂しい静けさ。折角客人であり、私を求めてきてくれた人がいるのに。私は何も饗せない。
「成程、いや、そんな生活を送ったからこそ、今の君がいるのか」
 男は口を開くとそう言って、拍手をした。言葉の感じからして、多分腑に落ちてはいないのだろう。だが、飲み込もうとしている。私の生活や考えを否定するつもりはないらしい。嘗てここに来た幾人かは私の話を聞いて激昂し、否定しにかかったこともあった。それは君の自己満足だと言われた。
 その自己満足の何が悪い。
「それで、貴方も……そういうことが目的でいらっしゃったのでしょう?」
「ええ、私も是非譲っていただきたいものがあるのです」
 男は肯定すると、一息つく。すう、と空気の音が私の耳に響く。
「私が欲しいのは感情……いわば、心が欲しいのです」

   ・

「貴方の感情を奪ってでも、私は叶えたいことがあるのです」
 男は坦々とした風に言葉を私に告げると、再び沈黙する。
――叶えたいこと。
 それが一体何であるのか、彼は語るつもりはないようだ。もう何年も自分の身体を提供し続けているからこそ、彼らの本当の言葉は理解しているつもりだった。時には癌に侵された息子を、寿命幾許も無い恋人を救うため。そこには上辺も何もなく、ただ自分の望みを求め続けた人々の本音が存在していた。
 彼が例え何を求めてきたとしても、私は提供するつもりだった。心臓が亡くなったとしても、多分私はこの肉体に留まり続けると、そんな自信があった。既に部品の足りなくなった身体に、それでも居座り続けている私だ。きっと全てを失わない限り、それこそ舌か脳か、どちらかが亡くならない限り私はずっとここで誰かに何かを分け与え続けるだろう。その幸福を感じて……。
 だが、感情とは、心とはどのようにして摘出するものなのだろうか。肉体的な面で分け与え続けてきた私にもこればかりは理解ができない。喜怒哀楽といった感情を、快楽を、考えることをどうやって彼は受け取ろうと言うのか。
「それは、可能なのですか?」
 聞いた時、男は小さく溜息をついた。失望か、はたまた絶望なのか。
「できます。貴方がここで自らを切り刻むことで誰かを助けてきたように、この世界もまた誰かを救う為に動き続けていたのですから」
 男の言葉に対して、それは良かったと思う反面、何かが私の心に引っかかった。
「この技術を使うことで心を取り戻せる人がいる。生き死に、恨み、怒り、悲しみ、そして喜びを手に入れることのできる人がいるのです」
「人、ですか……」
「そう、人です」
 なら、私は一体何なのだろうか。感情も表に出せず、制限された幸福の中で生死の分からない生活をしている私は、何なのだろう。それは、諦めた末の喜びでしかないと、彼は皮肉を言っているようにも聞こえた。
 何に引っかかっていたのか、ああ簡単なことじゃないか。
 救うべき人の中に、私は入っていないのだろうか。
 それとも、それら人を救うために、私は生まれたのだろうか。
 元々、私は人ではなく、それら救済の糧となるべく生まれてきたということなのだろうか。いや、私はここでこうして誰かに自らを糧とすることで、私は私の価値を見出し続けているのだから、今更……。
「そう、ですか……」
「……断っても、良いのですよ」
 私の言葉を聞いてどう思ったのか、男は迷いがちにそう小さく呟いて、それから続けた。
「貴方が幸福な王子になる必要はありません。誰かの犠牲で生まれた幸福に残るのは後悔だけではないでしょうか? 貴方がその身の全てを明け渡したとして、幸福であるという感情を感じられなければ、貴方は果たしてどこにいるのか」
 自らのメッキを剥がし街中の人々を幸福にした王子像と燕の話。
 人々の幸せに比例して彼らは見窄らしく、孤独の中に死を迎える物語。
 成程、確かに今の私はそうなのかもしれない。結果として、最後に残った「部位」と共に私も孤独に朽ち果てていくのだろう。
「それが、貴方の考える私の幸福ですか?」
 男の息を呑む音がした。私は構わず続ける。
「私は、この暗い部屋が全てで、それ以外は何もない。そんな私が細やかな幸福として犠牲を選んでも、罪にはならない筈だわ。それに、私は元々誰かの中で私の身体の一部として生き続けることを望んでいるのです。今更感情が無くなったとして、私の抱く幸福は変わりはしません」
「ということは、つまり……」
「ええ、其の術があると言うのなら、私は心ですら差し上げましょう」
 動かない身体で、何も映さない視界、音と言葉だけの世界で、それでも私ははっきりとそう告げた。不思議と、男の呼吸に、哀しみが混じっているように聴こえた。
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