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case3『栄光に届き、想いには届かず』

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 結島貞三(ゆいじまていぞう)という人物を知っているだろうか。
 大企業、結島ファンドの二代目社長。豪放磊落、変わり者、いろいろ言われているが、とにもかくにも、すごい人。結島ファンドが急成長を遂げたのは、彼の先見性あってこそなんて言われているくらいなのだ。
 だから、そんな男から、私に名指しで手紙が届いた時は、何事かと思ったくらいだ。
「藤田。これ、結島貞三から」
 突然、編集部で仕事をしていたら、重々しい口調の編集長から呼び出され、何事かと思いきや、一通の便箋を差し出された。
「結島って……結島ファンドの社長ですか!?」
「そうだろうよ。……なんでお前に名指しで手紙なんか来るんだ? お前、何もしてないだろうな」
 疑いの目を向けられても、私にはなんの事かさっぱりだ。会ったこともないのに。だから好奇心が勝って、それに返事もせず、便箋を開き、中の手紙を見た。
 そこには



 拝啓、盛夏の候ますますご清栄のこととお喜び申し上げます。
 この度、我が別荘となる『栄堂館』が無事落成しました。
 つきましては、ささやかな宴を開きたく、誠に恐縮ですが、藤田椛様、そして風祭優様にご出席していただければと、ご案内申し上げます。




 そんな文面と、迎えのバスが来るらしい待ち合わせ場所と、時間が明記されていた。
「栄堂館……?」
 落成記念パーティーに来い、という事らしいが。しかし、なんで私と優なんだろう?
「ほー。落成記念パーティーね」
「うわあ!? 編集長! 私に来た手紙、覗きこまないでください!」
 私が招待状を読んでいる隙に、編集長はいつの間にか、私の背後へ回り込み、手紙の内容をチェックしていた。なんて油断も隙もないんだろう。もう遅いだろうが、急いで手紙をポケットに仕舞いこんだ。
「行くんだろ、もちろん」
 ニヤニヤと笑う編集長。なんて意地の悪い。
「行けるわけないでしょう。優にだけ話回して、私は原稿を書きます」
「原稿なんて向こうで書いてこい! 面白そうな匂いがするしな。これは編集長命令だぞ。有名企業の社長の別荘なんて、いかにも大衆が食いつきそうな話題だ」
「……ええー」
 私は、そういう安っぽい記事を書くのは好きじゃない。もちろんなんでも書いてきたから、今更抵抗はないが。しかし、誰が赤の他人の家なんて興味を持つのかまったくわからない。そういうのは、対岸の火事とか、それくらいのレベルで関係ないことじゃない。
 そうは思いながら、私は行ってみるかという気持ちになっていた。どうせこのまま籠りきりよりも、洒落た別荘で缶詰の方が、執筆も捗りそうだ。そう思ったから。
 私はすぐに、優へメールを飛ばした。
 すると、暇なのか知らないが、すぐに『行く』と短いメールが帰ってきた。
 いっつも飲みの誘いとか断らないけど……。優って、もしかして仕事あんまりしてないのかな……。
 私が心配することではない、と思いつつ、どこか引っかかりながら、私はその日の仕事を片付けていくことにした。人の心配は、自分のことをしてからじゃないとしちゃいけないのだ。



  ■



 三日後。
 待ち合わせ場所の、桜木町ランドマークタワー側出口。
 私は、バス停のベンチに座り、膝の上に置いたノートパソコンで執筆作業をしていた。もう七月に入ったので、正直言って暑い。どこか喫茶店に入ろうかとも思ったのだが、しかし少し遅れてしまって、もうそろそろ待ち合わせ時間だ。
 パソコンの時計を見て、待ち合わせ時間になった所で、私の前に人影が立った。
「やっほー椛。おまたへー」
 いつもの恰好だが、Yシャツは半袖になっており、黒のスポーツバックを肩に提げている。
「時間ぴったりね。――イメージで言って悪いけど、時間にはルーズだと思ってたわ」
「んー、いつもだったらルーズな方なんだけどね。遠足とかの前は、早起きするタイプなのよ」
 なるほど、イメージぴったり。
 優は私の隣に座ると、棒付きキャンディーを咥える。
「結島貞三、だっけ? なんであたし達呼ばれたんだろうね」
「さあ……」
 優も私も、結島貞三とは接点なんてない。呼ばれるような功績を残した覚えもない。だからこそ、二人して好奇心に負けたんだろうけど。
「フィリップ・マーロウ曰く、『この仕事から好奇心を除いたら、何も残らない』ってやつね」
「……なにそれ?」
 突然、わけの分からない事を呟きだした優に、私は思わずキーボードを叩く手を止めた。
「レイモンド・チャンドラー作、『さらば愛しき女よ』で、主人公のフィリップ・マーロウが言った台詞。探偵って仕事は、好奇心が一番のエネルギー源ってことね。だから、もし私が行かないなんて言い出したら、それは探偵としてのエネルギーがないって事」
 もしかして、無理をして予定作ってくれたりしたのだろうか。私達が呼ばれた理由を知る為に。
「なんて、暇をごまかすのにチャンドラー持ち出すとか、ちょっと大袈裟だったー?」
 と、きゃらきゃら笑い出す優に、私は思わず頭を落とした。
 そんな時だ。突然駅前広場に、「栄堂館への招待状をお受け取りの方はいらっしゃいませんかー!」と声が響く。その方向へ私達は目をやると、大きなバスが停まり、その前にバスガイドのような女性が立っていた。どうやらあれが迎えのバスらしい。
 私達は荷物を持って、そのバスへと向かった。
 バスガイドは、目の前に立った私達を見て、「招待状を拝見させてもらえますか?」と笑顔の表情を貼りつけた。
「ああ、はい。どうぞ」
 私はスーツのポケットから、前に届いた招待状を差し出した。
「確認します。……藤田椛様と、後ろは風祭優様。間違いありませんか?」
「そうです」
「風祭でーっす」
 と、私の後ろで軽いノリの優が手を挙げた。
 なんだ、この大学生の旅行みたいな。そうは思ったが、実際優はまだ二〇歳。探偵なんてやってなかったら、大学に通うなりしていただろう。
 バスガイドも、『こんな人を呼んだのか?』という表情を一瞬だけ見せたが、しかしそこはプロ。「それではご乗車ください」と、私達を通してくれた。
 バスは普通のバスとはちょっと違って、席も大きく、隣の人間と肘をぶつけあう心配はしなくて済みそうだった。しかも、座席一つ一つにモニターがついていて、背もたれもふかふか。快適な旅が約束されている。さすが、金持ちのすることは違うわ。
 私達は適当な場所を選び、どちらが窓際に座るか揉めた後、じゃんけんで優に窓際を明け渡し、上の荷物台にそれぞれの荷物を収納して、一心地ついた。
「……どんくらいで着くのかなあ」
 ぼんやりと、咥えた棒を上下に揺らしながら呟く優。
「さあね。山奥らしいし、それなりに時間はかかるんじゃない?」
「お茶とか、弁当とか、買ってこようかな。駅弁食べたくなってきた」
「改札の中にしかないでしょ、この辺りじゃ」
「しまったー……。駅弁がないと、旅って感じじゃないじゃんよー……」
 本気で頭を抱える優。
 ……ホント、この子って、推理してる時と普通の時で、落差ありすぎ。
「あのー……」
 と、その時。私たちの後ろの席から、声がした。私は立ち上がって、後ろを見る余裕すらない優に代わって、その人物に対面した。
 そこに座っていたのは、若々しい肌をした、中年の男性だった。髪の毛をポマードで七三分けにし、眼鏡をかけた、少年が特殊メイクで中年男性を演じているような人。Yシャツに、赤いカーディガン。ブラウンのチノパン。
「これ、私もね。駅弁がないと、旅って感じがしなくてね。でも買いすぎてしまって。よければ、そちらのお嬢さんへ」
 と、私に高そうな包装の弁当を差し出す。
「いいんですか?」
「ええ。私一人じゃ食べきれない。食べ過ぎは健康を害するからね。体は丁寧なバランスによって作られるんですよ」
 そう言って、彼は、どうぞとさらに押し込んでくる。私は悪いなと思って受け取れずにいたのだが、優がまるでひったくるようにその弁当を取っていた。
「ひゃっほーう! さんきゅーおじさん! 返せって言っても返さないよー!」
「ガキかアンタは……」
 すごく嬉しそうな優。そして、それを見て、何故か嬉しくなったのか、彼も「何、若い子に喜んでもらえるっていうのは、嬉しいね」と顔をほころばせた。そして、「お茶もつきものだろう? どうぞ」と、なんとお茶までくれた。
「お、おじさん……。あんた良い人だねー。名前は? あたし、探偵の風祭優。こっちが藤田椛」
「どうも。ルポライターをしてます、藤田椛です」
「ああ、お嬢さん達が。最近会長がよく口にしてましたよ。現実にも名探偵がいた、って」
 その言葉に、顔を見合わせる私達。どういう意味だろう?
「私は、結島貞三会長の主治医をしてます。相馬義人(そうまよしひと)と言います。会長はお二人のご活躍をルポで知り、会ってみたいと仰っていたので、それで呼ばれたんでしょう」
 なるほど。私が書いたルポを、結島会長が読んでいたのか。蓋を開けてみればなんてことはない。そういう理由で呼ばれたのであれば、納得が行く。特に、私が書いたルポ、という辺り。
「ちっちっち。相馬さん、本当の名探偵は、私の師匠、甘露寺啓介だよ。横浜の顔、ミスター・K。知ってるでしょ」
 優は、謙遜のような事を口にする。まるで、まだ甘露寺啓介に届いていないから、私は名探偵ではない、というような口ぶりだ。
「ミスター・K……。ああ、存じてますよ。数年前に話題でしたな。――はあ、風祭さんは彼の弟子だったんですね。それなら会長がハマるのも納得だ。会長は、ミスター・Kのご活躍も逐一チェックされてましたから」
「なんだか……会長はそういう、事件とかが大好きみたいですね」
 思わず口をついて出た疑問に、相馬さんは「ええ」と頷く。
「会長は無類のミステリ小説好きなんですよ」
「ふうーん……。あたしらは、フィクションの名探偵みたいだ、と思われてるってわけね。気分よくない?」
「私は探偵じゃないから……」
 優はにやけた顔で、私の腕を肘で突く。
 忘れがちかもしれないが、私はこれでもルポライターだ。最近は、探偵助手も面白いかなと思ってきているが、しかしそれは副業ならという話。
「相馬さん」
 と、今度は相馬さんの隣に、白髪のオールバックという男性が立った。若々しい相馬さんに比べると、歳相応でも老けて見える。茶のタートルネックに、灰色のジャケット。そしてスラックス。
「彼女たちが、会長の言っていた?」
「ええ。名探偵のお二人です」
 にこやかに言う相馬さんだったが、しかし、向かい合った男の表情は険しい物だった。まるで、私達を前科者みたいな目で見てくる。
「……会長も、こんな小娘たちを落成パーティーに呼ぶなんて、何を考えているんだ……」
 と、それだけ吐き捨て、後ろの方の席へ戻っていってしまった。
「ムッ、ムカつく……! なんだあのおっさん……!!」
 優は、咥えていたキャンディーを噛み砕き、その男へこれでもかと視線で怒気を飛ばしていた。
「彼は東島総悟(とうじまそうご)さん。貞三さんの部下に当たる人で、――ここだけの話、貞三さんにあまり良い感情は持ってないですね。真面目な人ですから」
「……そうなんですか?」
 声を潜める相馬さんに合わせて、私の声もボリュームが落ちる。
「ええ。会長は、その……現在七〇歳を迎えたのですが……未だに、その、女癖の悪さが抜けませんで……」
「マジ? 七〇越えて現役って、すごいねえー……」
 優は、言いながら、先ほど噛み砕いてしまったキャンディーに代わって、もう一本の棒付きキャンディーを咥えた。
「ですから、真面目な東島さんとは、あまり馬が合わないんですよ。ですが、お二人には関係のないことです。これに気を悪くせず、洛西パーティーは楽しんでください」
 相馬さんにそう言われ、私は優の肩を叩く。先ほどの事は気にするな、もう忘れろ、という意味でだ。ちゃんと優に伝わってくれたようで、彼女も「わかってるって」と少し不満そうな顔ではあったが、きちんと言ってくれた。
 そして、さらにもう一人、バスの中に乗り込んでくる。その女性は、一本たりとも手入れを怠っていないと断言できるほどの綺麗な黒髪と、白いワンピース。儚げな白い肌と、どこか眠たげで、あどけなさの残る表情。そして泣きぼくろは、男の理想をこれでもかと詰め込んだような女性だった。
 確か、彼女は女優の桂灯里(かつらあかり)。
 視聴率クイーンとさえ呼ばれ、彼女の出るドラマや映画は、どんなに他のスタッフに恵まれていなくても話題になるという、現在若手女優の中でも最も注目されている一人のはずだ。
 彼女は私の驚きの視線にも気づかず、席に座る。
 そして更に、しょぼくれたスーツの男もバスに乗ってきた。髪はボサボサだし、痩せていて無精髭。まだ若いようだが、何か仕事に対する責任感というものが欠けていそうな男。
 彼は下心丸見えといったような表情で、桂灯里の二つ後ろの席へ腰を降ろす。
「それでは、全員揃ったので、出発したい思います。皆様、シートベルトをお閉めください」
 と、バスガイドが全員のシートベルトを確認していく。
 その時私は、そのシートベルトが、拷問から逃れられないようにするための、拘束具のように思えてしまった。――なんだか、胸の奥がざわつく。
 ……なんだろう、この嫌な予感は。
 そこまで思ったのに、私はこのバスから降りようとはしなかった。ジャーナリストはみんな現実的。だから、勘なんて小さな理由じゃ行動しない。そういうところも確かにあった。
 でも結局は、私は自分の好奇心に弄ばれているだけだったのだ。それが私の足を止めている。
 ――このバスが、悲劇の舞台へ向かう直行便だと知っていれば、私はきっと好奇心を殴り倒すことができたのかもしれないのに。
 私達招待客を乗せたバスは、そのまま特にトラブルが起きる事もなく高速道路に乗り、山の方へ向かっていた。
 そして、横浜を出て二時間ほどで、バスは栄堂館へと辿り着いた。
「……ここが、栄堂館……?」
 人が住んでいるとは思えないほどの山奥。そこに、栄堂館は威風堂々と存在していた。まだ新築なのか、真新しいが高貴なオーラが漂ってくる二階建ての洋風建築。私はそんなの、写真でしか見たことがなかったので、気圧されてしまっていた。
「いやあ、噂には聞いてましたけど、これはすごいですねえ……」
 と、後ろから相馬さんが顎を撫でながら、栄堂館を見上げている。他の三人も、ここまでの物を建てていたのかと驚きの表情をしている。――まあ、東島さんだけは、どこか忌々しげな表情をしているけれど。
 そんな時、バスガイドの女性が
「ではみなさん。今日から二泊三日。この栄堂館をお楽しみください。バスは明後日に」
 と言って、恭しく頭を下げた。
「えっ……ちょ、バス行っちゃうの?」
 私の言葉に、バスガイドの女性は「ええ。私達は明後日にまた来るので、それまでは帰れないということになりますね」
「あー、そうなんですか……」
 それならもっと早くから言っておいて欲しかったのだが。まあ、パソコンも持ってきているし、ケータイもある。突然の仕事があっても、ある程度対応できるから、いいか。
 私からこれ以上の会話が無いと察した彼女は、「では、栄堂館をお楽しみください」と恭しく頭を下げて、バスの中へ帰って行き、バスは来た道を戻っていく。
「うーん……帰れないのか。まあ、明後日には来てくれるってんだし、問題はないんじゃん?」
 優は、キャンディーを咥え、ズンズンとドアへ向かっていく。私や、他の人達も彼女の後に続いていき、彼女が開いたドアをくぐった。まず目に飛び込んできたのはエントランス。中央に大きな階段があり、漫画などに出てくるお金持ちの家そのものという感じだ。
 その階段の前に、一人の老人と、傍らに秘書らしき女性が立っていた。
 老人は、間違いない。結島貞三だ。あのライオンみたいな白髪と、威厳あるヒゲ。そして、恰幅のある身体を着流しにきっちりと収納している。隠居したヤクザの組長のような雰囲気がある。
 そしてその横の秘書は、ルックスが非常にいい。鋭い目付きと、色の濃い赤い口紅。黒いタイトなミニスカートのスーツから覗く四肢、そして自己主張する胸は、手を出したら痛い目に合うだろう、『イイ女』な雰囲気が醸しだされていた。
「ようこそいらっしゃったなぁ。いやぁ、どうも、どうも。何人かはもう知っていると思われるがね、あたしが結島貞三(ゆいじまていぞう)だ」
 結島さんは、頭を下げた。
 そして、隣の秘書みたいな女も、同じように頭を下げる。
「私は井上志乃(いのうえしの)といいます。結島社長の秘書をしています」
「ちっ……」
 微かな舌打ちだったが、私の真後ろに立つ人物からの物だったので、私だけはそれを聞き取る事が出来た。ちらりと振り返れば、それは結島社長の部下である、東島総悟さんの物だった。なぜ、あの秘書――井上さんの挨拶で舌打ちしたのだろう? 偶然、なのかしら。
「さて、それでは、何人か自己紹介してもらおうか」ぽん、と手を叩く結島社長。「東島と相馬くんは知ってるが、他はまだ知らない」
「桂灯里(かつらあかり)です」最初に名乗りを上げたのは、視聴率クイーン。桂灯里だった。手を挙げて、一歩前に出る。「なぜ私を呼んだんでしょうか……。正直、よくわからないんですが」
「うん? ああ、キミはミステリー作品にゃよーく出てるだろう。あたしはミステリーが好きでしょうがなくてねぇ。こないだやった、『探偵山王寺美穂子シリーズ』あれは毎回録画してるよ」
「……それだけですか?」
「おう」
「……お金持ちは気楽でいいですね」
 それだけ言うと、一歩下がり、私達の中に溶け込んだ。一瞬、結島社長の気分を害したのではないかと心配になったが、しかしそれはいらん心配らしく、結島社長は笑顔のまま、「次だ」とワクワクを隠しきれていない顔をしている。
「んじゃあ、次は俺、ってことで」
 ふらりと前に出てきたのは、先ほどのしょぼくれたスーツの男だった。
「警視庁捜査一課、警部補の伊藤信久(いとうのぶひさ)。警察に来た招待状が、巡り巡って俺んとこ来たっつーわけですわ」
「……呼ぶ人間を指定してなかったんですか?」
 思わず、私の口から疑問が漏れてしまう。好奇心を抑えられないのは、貧乏ゆすりと同じくらい悪いクセだ。
「ああ。ミステリといえば、館モノだろう。その中で、いそうなキャスティングをしたまででねぇ」
 ……なるほど、警察に探偵、そして人気ミステリドラマシリーズの主演女優は、そういうキャスティングか。医者も居て困らない。部下は、まあ呼ぶのが筋なのだろうか。伊藤さんも、見た目だけなら、ドラマの中の有能な刑事っぽいし。
「んじゃぁ、次はそちらのお嬢さんか」
「はーい」ズイっと前に出る優。私もその隣に立つ。なんだか面接のようだ。「横浜の『甘露寺探偵事務所』で探偵やってる、風祭優です」
「私は、一新社から発行されている『週刊スポット』でルポライターをしている、藤田椛です」
「キミらが、今横浜で話題の探偵達で間違いないかなぁ? 『ミスター・K』の弟子、という話だが」
 結島さんの言葉に、周囲がざわついた。
「ああ……。本庁でも話題だぜ、ミスター・Kも当時眉唾だったが。まさかミス・Kも本物がいるとは」
 伊藤さんが、まるで珍しい骨董品でも見るみたいに私達二人を見てくる。あまり居心地のいい視線ではないが、しかしまさか、警視庁でも私のルポが読まれているとは、ライターとしては嬉しい。
「あたしらを呼んだのも、『ミステリのキャスティング』ってわけ? 結島社長」
「タメ口か。あたしと同等の存在であるという、自己主張かなぁ? 探偵さん。いや、いい。実にいい。キミは実績ある探偵だ。許そうじゃないか。キミにはあたしと同じくらいの価値があることを認めよう。……キミを呼んだのは、いろいろ話を聞きたいからでねぇ。実に興味が尽きない。『ミスター・K』のこと、関わってきた事件。ミステリ好きには垂涎モノさぁ」
「どれも話せないわよ。探偵には守秘義務があることくらい知ってるはず。……それに、『ミスター・K』の事も」
「ふぅん。つまらんなぁ。……まあいい。皆さん、長い道程で疲れたでしょうし、部屋に荷物を置いてきなさい。そうしたら、食堂に集まりなさい。食堂は、そこね」
 結島さんが、エントランスの右側にあるドアを指さした。そして、その中で、いつの間にか現れたメイドが、私達に鍵を配っていた。
「……あなたは?」
 私に鍵を手渡したメイドに尋ねてみた。どこか眠そうな目で私を捉え、淡々と口にする。
「筑波瞳、と申します。このお屋敷でメイドをしています。皆様のお世話を旦那様から仰せつかってますので、何か御用の際は、遠慮なくお声掛けください」
 おそらくはまだ大学生ほどだろうが、彼女の口調はとても堂に入ったメイドぶりだった。眠たそうな目以外はあまりに特徴がなく、陰に隠れて目立たない。メイドとしてはとてもいい人材なのだろう。
「あっ、ねえ筑波さん。悪いんだけど、あたしと椛の部屋、一緒にしてくれない?」と、優は筑波さんに鍵を差し出す。
「はぁ? 何言ってんの優」
「いや、せっかく友達同士なんだから、どうせなら修学旅行気分を味わいたかっただけ。別に問題無いでしょ?」
「……かしこまりました。では、こちらを」
 筑波さんは、私の鍵を受け取り、違う鍵を手渡してきた。
「他に、部屋割りなどに要望はないかね?」貞三さんの言葉に、誰も反応しない。異議がないという事なのだろう。「では、二階の、各々の部屋番号に行ってくれ。私と秘書は、先に食堂へ行っている」
 その言葉で、一同解散。それぞれまばらに、二階の部屋へ向かった。
 私達の部屋は、八号室。階段のすぐ近くという場所だ。


 そこはどうやらツインの部屋らしく、ベットが二つ、そして浴室にトイレが備えられた、一流ホテル並に整えられた部屋だった。筑波さんがメイキングしたんだろうか。
「いやぁーっ、つっかれたー!」
 ベットの上にスポーツバックと、ついでに自分の身体も放り出す優。ちゃっかり奥取ってるし。別にいいけど。
「なんで部屋一緒にしたいなんて言い出したわけ?」
 私も、ベットに鞄を置き、腰を降ろす。
「んー? さっき言った通りだけど?」
「嘘ね。……なんとなくだけど」
「……さっすが椛。頭がキレるねえ。って言っても、ほんと、念の為レベルで、何もなかったらかっこ悪いから言いたくなかったんだけど。さっき、結島社長は『ミステリのキャスティング』って言ったでしょ?」
「ああ、まさかミステリの配役で招待客選んでるとはね」
「で、それならこっちも乗ってやろうと思ってね。もしここで殺人が起きたとして、自衛の為に誰か信用できる人間と同じ部屋になろうとするのは、当然の心理。共犯関係にあったとしても、同じ部屋なら計画も立てやすい。……ま、そういうロールプレイってとこかしら」
「つまり?」
「単なる気まぐれ」
「あっそ……」
 意味はあったけれど、深くはなかった。
「……そろそろ行きましょうか」
「はいよー」
 私達がそろって部屋を出て、一応鍵をかけておく。
 一階に降り、食堂へ行くと、すでに私達以外の人間は揃っていた。短距離走が出来そうな長いテーブルには人数分のフルコースが並んでおり、上座の結島社長に最も近い二つの席しか空いていなかったので、私達はそこに腰をおろした。
「さて、全員揃ったねぇ。では、食べてくれ。筑波が作った料理だ、いけるぞ」
「いただきます」
「いただきまーす」
 私と優は、同時にフォークとナイフを手に持ち、おそらくはメインディッシュであろうステーキのようなモノを小さく切り、口に運ぶ。
「美味しい……なんですかこれ?」
「フォアグラの赤ワインソース。重厚な赤ワインの味わいが、ドスンと来るだろう。あたしゃこれが好きでね」
 そう言って、一口頬張り幸せそうな笑顔を見せる結島社長。さすが、セレブともなるといいものを食べてる。こんないいもの食べられる機会なんて滅多にない。味わっておかねば。そう思いながらも、焦る気持ちを抑え、品よくテーブルマナーに気をつけながら食べていく。しかし――目の前の優は、皿を持ち、一気にフォアグラを口に頬張り、「美味いっ!! なにこれ初めて食べた! 口の中でとろけるぅ!」と子供の様にはしゃいでいた。
「ちっ。テーブルマナーも知らん小娘め」
「はは。いいじゃないですか。ここは私的な場ですよ」
 東島さんの憤りを相馬さんが抑えているのが見えるし聞こえるしで、同伴してきた私は、恥ずかしさで一杯だった。
「すいませ~んメイドさん! これ、フォアグラおかわりねー」
 まるで大衆食堂みたいにおかわり要求してるし……。
「ちょっ、優恥ずかしいからやめなって」
「いやーかまわんよぉ、記者さん」身を乗り出した私の前に手を出し、制する結島社長。「マナーを気にするのは、相手が利益をもたらしてくれる時だけで充分。こういう私的な場でマナーなどとごちゃごちゃ言うのは、野暮というモンじゃあないかね」
「は、はぁ……まあ、結島社長がそうおっしゃるなら……」
「さすが社長! よっ、日本一!」
 よかったよホント。この人がそういうのを気にしない人で。東島さんだったら優は今頃こっぴどく怒鳴られてたんだろうな……。
 そう思って、東島さんの方をちらりと見れば、彼は顔を真っ赤にして、ぶるぶる震えていた。体から飛び出してきそうな怒りを抑えるかのようだ。
 確かに、先ほどの台詞は、まるで東島さんへの当てつけみたいだったし……。
 うぅん。険悪な感じだなぁ。
 しかし、その後の食事会は特に何事もなく終わり、ほっとした。
 私と優、そして相馬さんは食堂に残り、食後のコーヒーを堪能していた。他の人達はみんな、部屋に戻ったのか他のところにいるのか、よくわからないが、この場にはいない。
「いや、先ほどはちょっとヒヤヒヤしましたね。いつ東島さんが爆発するか、心配でしたよ」
 そうは言うが、相馬さんは朗らかな顔で笑っている。喉元過ぎれば熱さ忘れるというが、忘れられる人間はいいよ。私なんかまだヒヤヒヤしてるというのに。
「あたし、どうもああいう、きちっとしたタイプに嫌われるんだよねー。なんでだろ?」
 首を傾げる優。私、というか、端から見ている人間にはまるわかりだと思う。そういえば鳴海さんからも嫌われてたなぁ。
「貞三さんはあまり細かい事を気にしない人ですからね。その分、結果を出さない方には厳しいのですが」
「ってことは、あの東島っておじさんは、優秀なんだ」
「えぇ。下請け会社からここまで這い上がってきた叩き上げだそうですよ。社長とは馬が合わないようですけど、それでも社長直属の部下――専務にまで這い上がるのは、社長も実力を認めているからなんですよ。……東島さんも、そこに気づいて、多少は態度を軟化させてくれるとよいのですが」
「……相馬さんは随分、結島社長の事を買ってらっしゃるんですね」
 私の言葉に、相馬さんは照れた様に笑う。
「いやぁ。なにせもう一〇年ほど主治医をしているものですから。『信用している医者はお前だけだ』なんて言われては、期待に応えたくなるものですよ」
 なるほど。結島社長の気持ちもわかる気がする。期待して、その期待に応えようと頑張る人というのは、人として好感も持てる。きっと腕もいいのだろう。
 そんな、和気あいあいとした空気の中。
 それを引き裂く様に、何かガラス――あるいは陶器が割れるような音が聞こえた。
「……なんだろう?」
 私は周囲を見回すが、この部屋ではない。
「遠いな。おそらく、ここの隣の部屋でもないか」
 相馬さんは、エントランスに通じるのとは違う、もう一つのドアへ視線をやる。そちらにはキッチンがあるらしい。ということは
「二階?」
 優は立ち上がると、すぐにエントランスへと出る。私と相馬さんも後を追う。食堂にいると聞こえなかったが、何やら二階が騒がしい。
 すぐに階段を登り、登ってすぐの位置にある部屋の前に、皆が集まっているのが見えた。
「……ど、どうしたんですか?」
 誰に、というわけではないが、その率直な疑問を口にする。返してくれたのは、意外にも東島さんだった。
「社長が……死んでる……」
 その言葉で、私と優は、同時に人を掻き分け、部屋の中へ突入した。
 壁一面に本が並べられた書斎。暖色の明りが照らす、その窓際。おそらくはデスクワークなんかをするのであろう机が置かれており、その椅子には、結島社長が座っていた。


 頭から血を垂れ流し、物言わぬ死体となって。
12, 11

  

「お前ら、動くなよ。これは明らかに殺人だ」
 この中で唯一の刑事である伊藤さんが、部屋の入口に集まる私達に対し、刑事の本領を発揮する。そして、部屋の中に入っていき、結島社長の死体へと歩み寄る。そして、それを様々な角度から眺め、「すいません、相馬さん。あなたは医者でしたね。検死をお願いできますか」と、相馬さんを手招きする。
「あ、その……申し訳ない。検死は専門外でね……」
 頭を下げる相馬さん。伊藤さんは舌打ちし、「なんだそうか」と言い、死体を見つめる。
「死後そんなに時間は経っていない感じだな……。殺されたばかりか?」
「あー、ちょっといい?」
 死体の検分をしている伊藤さんに、優が歩み寄る。素人が口を出すなとばかりに、彼の表情が険しくなった。
「なんだ、探偵」
「鍵は? かかってたの?」
「いや。かかっていなかった。ガラスの音がして、全員一緒に部屋へ来て、俺が扉を開けた」
「じゃあ、犯行は誰にでも可能だったってこと?」
「そうなるな。アリバイが無い人間に限ってだが」
「なら、私と優と相馬さんは違うって事になるわね。三人で、食事が終わってからずっと食堂にいたし」
「でしたら、私も……。呼び出しがなかったので、お三方のコーヒーを入れた後、キッチンでずっと洗い物をしていましたし」
 私の弁明に、筑波さんも便乗してきた。というより、元々この四人はほとんどアリバイが一緒なのだ。
「私も、桂さんと一緒に図書室で本を読んでいた」
「ええ……。間違いないです。別々に読んではいましたが、同じ部屋にいたのは確認しています」
 東島さん、桂さんのアリバイも筋が通っている。どうやらこの二人でも無さそうだ
「私は、自室で一人、仕事をしていました……」
「俺も、娯楽室でダーツをしていた。……一人で」
 井上さん、伊藤さんは一人でいたらしい。
「なんだ。なら怪しいのはその二人か」
「東島さんだって、怪しいモンですよ。本に集中して、桂さんが見逃すってこともあるだろうし、そもそもずっと見てたわけじゃないでしょう」東島さんの言葉に反論するように、井上さんは言葉を重ねていく。「それに、この中で一番動機がありそうなのは東島さんでしょう? あれだけ険悪なムードを見せられたら、初対面の人間だってわかりますよ。ねえ?」
 突然、井上さんが私の顔を見てきたので、私は思わず「え、ええ……まあ」とお茶を濁すことしかできなかった。しかし、彼女にはそれで充分なのか、どうだと言わんばかりに胸を張っている。
「それなら、井上くんにだって動機はあるだろう。知ってるんだぞ。キミが社長と愛人関係にあることや、社長の子供を堕ろしていることを」
「そ、そうなんですか?」
 桂さんが、井上さんの肩を掴み、困惑した様子を見せている。まあ、確かに若い彼女にとって、そういう話はあまりにも聞きなれないものだろうから、仕方ない。
「それは私も納得しての話よ。その事で恨んでないですし、子供なんてまっぴらです。お金だけの関係よ。愛なんて無いわ」
 そんな風に、二人でどっちが犯人だかと揉めている最中。
 優は一人その輪から離れて、部屋を物色していた。このまま二人の話を聴いていても進展はなさそうだし、優を手伝おう。
「……何かわかった?」
「ん?」後ろから声をかけた私に振り返る優。どうやら、本棚を見ていたらしい。
「そうだなあ。ほんとにミステリ好きだったんだなって事と、桂さんのDVDが多いってことかな」
「ああ……ホントだ」
 桂さんが主演しているドラマのDVDがたしかにシリーズ揃えられている。が、他のドラマもあるので、別段桂さんだけのファンというわけでもなさそうだ。
 そして優は、結島社長が死んでいる机付近に向かった。
「……あれ、窓開いてる。冷房も切れてるんだ」
 机の前にある小さなまどが開いており、そよ風が机の上の紙を揺らしている。
「……デスクワークしてたのかしら。この机の状況から察するに。……でも、デスクワークしてて、紙が動くかもしれないのに窓開けとく? 冷房もあるし、そもそもここ山の中でしょ? 虫とか入ってきそうじゃない」
 私の意見に、優は指を鳴らし、「なるほど」と笑う。
 次に、社長の死体を見る。背後から後頭部へ一撃。振り返った様子もない。
「うーん……。凶器はこの花瓶かな。検死もできないんじゃ、さすがに詳しい死因とかはわからないし……」
 優は、社長の背後に落ちている割れた花瓶のかけらを一つ拾う。その中には血がついたかけらもあるので、まず間違いないはずだ。
「ここにあった花瓶よね? 多分。濡れてるもの」
 社長のほぼ真横にある腰ほどの高さがある棚は、おそらく花瓶があったのだろう位置が濡れている。端の、結構落ちそうな位置だ。
「……一応、写真撮っておこうかな」
 私は、死体周りの写真をケータイに収める。何が証拠になるかわからないし。
「どう思う? 優」
「今のとこ怪しいのは、井上さんと東島さん。動機もあるし、アリバイが薄い。アリバイが薄いだけなら桂さんと伊藤さんもだけど、動機があるのは大きいかな……」
「私も同じ感じ。……ん?」
 優はなにかを見つけたのか、再びしゃがみ込み、花瓶が乗っていたと思わしき棚の根本から、何かをつまみ上げる。
「……これ、セロテープ?」
 優が持っているそれは、確かにセロテープだ。一〇センチくらいの長さで来られたそれは、花瓶の水か、ふにゃふにゃになっている。
「それじゃみなさん! 部屋に戻ってください! 応援を呼んで、本格的な捜査ができるようになるまで、この部屋は現状保存にします」
 そう宣言した伊藤さんがケータイを開くと、「け、圏外……。クソっ!」と言って、ケータイを勢い良く閉じ、ポケットに押し込む。
「バスが来るまではこのままにしとくしか無いってことか……ふん」
 不愉快そうに鼻を鳴らし、東島さんは部屋から出て行った。
 それを追うように、ぞろぞろと人がいなくなっていく。
「……どうしよっか?」なんとなく、私は優の指示を仰いでしまった。
「部屋に戻りましょうか。依頼もないし、警察の仕事でしょこれは」
「それもそうね……」
 少しだけ優の言い分が納得できなかったけれど、しかし理解はできた。
 彼女はプロだ。探偵は別に、謎があれば首を突っ込んでいい存在というわけではない。依頼があって初めて、事件に首を突っ込む権利が生まれる。大人として当然のルールだ。優はまだ若いが、そういうプロ意識はきちんとしている。
 優がそういうなら、私も捜査するわけにはいかない。
「……部屋戻りましょうか」
 優は、疲れたと言わんばかりにふらふらとした足取りで、部屋から出た。私も、あまり表面上には出てこないが、どうやら死体を見て疲れているらしい。一段落ついたら、突然胸に変なガスが溜まったような気だるさを自覚し、部屋に戻って熱いシャワーを浴び、寝ることにした。


  ■


 翌日。皆より早く起き、屋敷の仕事をしていた筑波さんに起こされ、私達全員、食堂に集まった。しかし全員よく眠れなかったのか、目に見えて元気がない。
 皆昨日と同じ位置に座り、出された朝食を、実にゆっくり口に運んでいると、筑波さんが突然口を開いた。
「皆さん……実は、先ほど。近隣の村に行って、警察を呼ぼうと屋敷の外に出たのですが。土砂崩れがあったらしく……その、明日までは道が通れないようです」
 意外とみんな驚かなかった。というより、ここまでくれば笑うしかないという調子だ。
「ふん……結島社長の悪ふざけが、ここまで現実になると、あの人はなにか持っていたと思わざるをえんな……」
 東島さんは、冗談めかして言うが、しかしそれが冗談に聞こえない。
 ミステリの館モノ定番。外部からの侵入、そして内部の逃走を防ぐ為の手段。『クローズド・サークル』なんだか結島社長の亡霊でもいるのではないかと思ってしまう。
「あ……ちょっとメイドさん。これ、ピーナッツバターでしょ」突然、トーストを口に運ぼうとしていた伊藤さんが、部屋の端に控えていた筑波さんを呼びつける。
「え、ええ……。そうですが」
「早めに言わなかった俺も俺なんだけど、俺、ピーナッツアレルギーなのよね。ごめんだけど、バターかジャムにしてくれないかな? できればイチゴジャム」
「かしこまりました」
 筑波さんは、すぐに伊藤さんの皿を下げて、キッチンへと戻っていく。
「……とりあえず、警察が来るまで、あるいは帰りのバスが迎えに来るまで、ここにいなきゃならないんですよね……」
 桂さんは、あまり食が進んでいないらしい。それも当然か。死体の演技は見たことがあっても、本物の死体なんて見たことがないはずだし。
「どうぞ」
 トーストを焼き終えた筑波さんが戻ってきて、伊藤さんの前にそれを置いた。
「どうもどうも」
「……誰が殺したか、皆さん気にならないんですか?」伊藤さんの、礼を言った時のへらへらとした態度が気になったのか、怒りをにじませる声が、桂さんの口から飛び出す。
「今この場に、結島社長を殺した人がいると思うと、怖くないんですか?」
「ま、怖いっちゃ怖いが。俺らが殺される理由ってあるか? 結島社長が一番に殺されたってことは、少なくとも狙いは関係者だろ。つまり、企業に関係ないやつは死ぬ理由がないしな。……だろ? 違うか、探偵」
 伊藤さんは、相変わらずヘラヘラとした態度を崩さない。話を振られた優は、コーヒー(ミルクと砂糖でドロドロ)を一口飲んで、「確実ではないけど、そうね」と頷く。
 見た目はともかく、そこそこ頭が切れる人のようだ。
「じゃあ、なにかね。キミは、私達結島社長の関係者が狙われるとでも言うのかね!」
 東島社長は机を思い切り叩きつけ、立ち上がった。
「まあ、狙われるとすればですよ。なんか知ってることでもあるんですかぁー?」
「別に、何もないッ」
 東島さんは、どかりと椅子に腰を降ろす。この人は怒ってばかりだ。
 それに、伊藤さんはすごく周囲の神経を逆撫でするな。きっとそういう性格なのだろう。
「とりあえずは近くの警察署から応援が来るまで待ちましょうって話ですよ。俺らには関係ないんですからね」
 そう言って、彼は運ばれてきたトーストにかじりつく。満足気にそれを咀嚼する。確かに、良いパンを使っているのか、このトーストはデタラメに美味しい。
「ですから、今日は皆さん、怪しまれない程度に自由時間としましょうや。もちろん、現場に入ることはやめたほうがいいですよ。疑わしくなっちゃいますからね」
 警察らしく現場を仕切ってるなあ伊藤さん。
 東島さん辺りは不服そうではあるが。


  ■


 食事が終われば、その後は自由時間。
 もちろん、私達は自室にいた。疑われても仕方ないし、警察がいる以上、私達が捜査する理由などない。
「にしても、ムカつくなぁ。あの伊藤って刑事」
「ええ? なによ、急に」
 ベットに寝転がる優は、唐突なことを呟き始めた。私はデスクに座り、抱えている仕事を片付けているところだったので、振り返る。
「あのヘラヘラした態度。現場は俺のモンだって感じ。ちょっとヤ」
「仕方ないんじゃない? だって、あの人現役警官でしょ?」
「そうなんだけどさぁ……。ちぇ。これだから警官はヤだよ。自分たちは特別みたいな顔してさぁ」
「実際特別でしょ。公務員なんだから。しかも、本庁の捜査一課。花形じゃない」
 ドラマなんかでもよく話題になるくらいの部署だ。いわば殺人事件のスペシャリスト。そんな彼が現場を仕切るのは、当然と言える。まあ、優はどうも、そういう『権力』的なモノにアレルギーがあるようだが……。これは師であるミスター・Kの影響なのかしら。それとも、元スリ師だったからなのか。


「きゃあぁぁぁぁあぁああぁあッ!!」


 その悲鳴は、唐突だった。
 私と優は、二人顔を見合わせ、一拍置いてから、同時に立ち上がり、部屋を出た。どうやら、吹き抜けを挟んだ廊下の反対側。二つの空き部屋が並ぶ方からの悲鳴らしい。走ってそこまでやってくると、手前の空き部屋が開いていた。
 中に入ると、井上さん、東島さん、相馬さん、桂さんが立ちすくみ、同じように部屋の奥を見ていた。
 そこには、ベットで苦しそうに倒れている、伊藤さんの姿。まるで海の底に沈み、酸素を求めているような寝姿。顔は腫れ上がり、それはまさに、アレルギーの症状だ。
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