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池袋駅、来ました。

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「いや、いやあ、シェイク、うまいっすね」
「甘い」
「あ、そっすよね。俺も甘いと思いますわ」
 俺と佐山翔子は池袋にいた。久々の人混みというのは結構辛いが、少しはシティボーイ的な印象を彼女にアッピールしようと俺は息巻いていた。
 と言ってもスタバなんかでキザにきめることなどできず、マックでシェイクをテイクアウトし東口の広場で喧騒を眺めながら一服した。
 親に料金を払わせている、言わば甘えの象徴であるスマートフォンを開く。時間は十五時過ぎ。ここへ来ておよそ三十分が経っている。
「いやあ、どうしますこの後」
「お仕事」
「あ、はい。そっすよね」
 少しは外回りを楽しむ気は無いのかと、やりずらさに愛想笑いを浮かべつつ、ここに来た理由を思い出す。

「――はい、取りあえず契約書はこれでいいから。じゃあ今からバイトスタートね」
 残り三十分の間に契約その他諸々を済ませ、晴れて正式にバイトが始まった。
 まずは殺風景な面接室で、椅子に座り机に広がった会社の資料を眺める。決断は三日以内。しかし日が経つことに金額は下がっていく。何も考えなければ今すぐ「はい爆破」でお終いにできる。だが現実問題それをするには激しい葛藤が待っている。今日という短い時間だけでは到底答えは出せないだろう。
 ふと資料から目を外す。部屋の隅にはパイプ椅子に腰かけ折り畳み式の携帯電話をいじる佐山翔子の姿があった。彼女はショートパンツを履いていてる。良い太もも。いや、いかん。二人きりの密室で太ももを見て興奮するなど変態の所業。
「あ、あー。え、えっと。うーーーーん、腰いてえ」
 煩悩を消し去るために話しかけようするも話題なんてないことに気づき、俺は背伸びで誤魔化す。彼女は俺の声を聞いても携帯から目を離すことはなかった。
(あらら、不憫ね。ま、あんたに話しかけてくる殊勝な女の子なんて私くらいよね)
(優しいなあ。やっぱりアスカちゃんがナンバーワン!)
(当然よ。そこら辺の媚びた女子高生とは分けが違うっての)
「あ、言い忘れてた!」
「はいいいいいっ!?」
 ノックもせず突然北さんが部屋のドアを開けたので、俺は思わず立ち上がった。決してやましい事があったからではない。これは骨髄反射であり、人間の本能がなせる技であり、いわば自然の成り行きであるのだとここに強く主張しておく。
「あ、あー……。お楽しみ中?」
「ygふじこlp;@:」
「うんごめんね冗談だから。分かってるから落ち着いてくれる?」
「おちちゅいてましゅうう!!」
「そうね。深呼吸して、しりとりでもしましょう」
 俺は北さんの提案通りに深く深呼吸をした後、彼女のリンゴという言葉を機に数回のしりとりをした。四往復ほどで俺の呼吸は整い、声の高さや大きさも正常なものへと変化していた。ちなみに彼女の言葉の殆どが働くことに関連する言葉であったのも落ち着いた要因ではある。
「サラリーマン。はい、お終い」
 俺の様子を見て彼女は適当なところでしりとりを切り上げた。
「で、言い忘れたことなんだけどね。翔子ちゃん同伴なら基本外出は大丈夫だから。あ、でも池袋駅はおすすめしないわ。現場の下見って、アレ決意揺らいじゃうらしいしね。まあそれが悪いとも言わないけれど、もしもう心に決めてるなら止めておきなさい」
 ひとしきり言葉を並べた後、一区切り置いてまた彼女は口を開いた。
「それで、今なら三千万円プラスアルファだけど、爆破する?」

 ――そこで答えられず俺は外出を希望した。そして取りあえず池袋駅を目指した。ゼミの飲み会で数回は来たことがあるのだが、いつもいい思い出は無かった。
 最初はゼミの入室歓迎会だった。あの時は四年生でゼミ長であるアホの坂巻にしこたま日本酒と梅酒を一気飲みさせられ、街路樹で吐く俺を写真で取ってひとしきり笑い者にした後に置き去りにしやがった。何とか帰れたがあれは殺人未遂で訴えたら勝てると思う。
 二回目は前期終了時の飲み会。あの日は特に酷かった。俺が密かに思いを寄せていた千歳ちゃんが、酔った拍子に坂巻に先日襲われたと言い出した。坂巻は女癖が悪いことで有名だったし、酒の力もあって俺は彼女の言葉に疑問一つ持たず憤慨した。
 憤慨といっても手は出していない。そんな度胸があったら大学を止めていない。俺はただ絶叫した。悲しみと怒りを声に変換したのだ。そんな俺を見て千歳ちゃんは泣き出した。きっと彼女は俺の正義感に感動したに違いないと俺は意気揚々と周りを見渡した。すぐにでも俺に賛同するゼミ生がゼミ長へ反旗を翻すと考えた。
 だが俺は座敷に組み伏せられ、あろうことか味方であるゼミ生からキャメルクラッチを食らうはめになった。
 そしてちらりと見える座敷の奥では坂巻と千歳ちゃんが何やらいい雰囲気で話あっているではないか。
「千歳ちゃん、そういう嘘はやめてよ」
「ごめんね。最近構ってくれないから、浮気してるのかと思っちゃって。愛を確認したかったの……」
 一つの恋が終わった。そして、幻想の彼女が生まれた瞬間だった。
「バイト、おいバイト」
「ふぇっ?」
「シェイク、いつまで吸ってるの?」
 俺のシェイクはもう中身がなく、ずぞぞと癪に障る音だけが響いていた。
「あ、すんません。ちょっとぼっとしてたす」
「目立つからやめて」
「あ、すんません。気をつけます」
 現実に引き戻された俺はまた喧騒に目を向ける。楽しそうに歩く学生や、忙しく走り回るスーツの社会人。ここだけ見ても、やっぱりここは好きになれないと思った。
3

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