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第3章 北へ

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「はーい、お久しぶりね二人とも」
 セシリアの少し気の抜けた声がする。これから任務だというのに、いつもと変わらぬような呑気な声だった。しかしいつもと変わらぬ平常心だということは、それだけ任務に慣れている熟練者のみができる所業なのかもしれない。
 王都ウェンティモイの周囲を囲う城壁には黄道十二宮になぞらえた十二個の出口がある。そのうちの一つ北北西に位置する水瓶座の出口と呼ばれる場所に私たちは集まっていた。
「三日前に会ったばかりでお久しぶりもないだろう」
「そうかしら? 三日会わずばなんちゃらってことわざもあるじゃない。ね、メディアちゃん?」
「は、はい、そうですね。お久しぶりです」
「それは男児に使うべき言葉であろうに……」
 確かにこの三日の間、今までで一番濃い三日間だったかも知れない。
 魔力を手に入れるために一人の魔女と使い魔を犠牲にした。それはもうこの先後戻りのできない、修羅の道を選んだことを示していた。
「よし、それじゃあ忘れ物はないかしら? ちゃんと魔導器セットは持った?」
 魔導器とは、魔女が用いる道具の総称のことだ。魔力の属性に関わらず、魔力を通すことで奇跡を起こすことができる。その種類は多岐に渡り、最もよく用いられている物は空を飛ぶことができる魔導器だろう。
 魔女と言ってもなんでも万能にこなせる存在ではない。魔女の不足を補うために生まれたのがこの魔導器という道具だった。
 軍では汎用性の高い、空を飛ぶ魔導器――滑翔器、簡易のバリアを発生させる魔導器――防勢器を標準装備している。その他の魔導器は部隊の特性に合わせて追加で装備するような形になっている。
「今回の任務はあくまでも調査だから標準装備で行うわ。それじゃあ出発していいかしら?」
 昨日のビスビリオとのライン形成での体調不良は不安ではあるが、やるしかない。
「あの、隊長。出発の前に今回の任務について確認しておきたいのですがよろしいでしょうか?」
「ええ、勿論よ」
 セシリアは自身の魔導器を確認する手を止め、私と向き合う。
「えっと、今回の任務はセント・ルーゼント地方への潜入調査ということでしたが、具体的にはどのように任務を進めていくのでしょうか?
 ……恥ずかしながら、その、私が最初に配属されたのは遊撃を主とする部隊だったので、諜報活動は何分初めてのことで……」
 セシリアは私の不安を払拭するかのように、肩に優しく手を置いてくる。
「フフフ、そう気負わなくても大丈夫よ、りらっくすりらっくす。
 そうね、とりあえず最初は契約の民――マハルバの民の村を目指しましょう」
「契約の民……」
 契約の民とは神代の時代、神との契約を果たしたと言われるマハルバを始祖とする民の総称だ。神に繁栄を約束され、その代わりに神への忠誠を誓う。そんな古い契約を今も信じ続けている……、信仰心に疎い私から言わせれば時代遅れの民だ。
 だが私たち「魔法の国」、そして今「魔法の国」と敵対している「鋼鉄の国」も同じ教義は違えど同じ神を信じている。そのため、「魔法の国」、「鋼鉄の国」、両国はどんなに力をつけようとも、このマハルバの民には一目置いていた。だから少数部族であるが、一定の中立性を保ち今日までその影響力を保っている。
 少数部族であるがために、放置されていると言い換えてもいいかもしれないけども……。彼らは領土拡大の野望は持っていない。時期が来れば神は契約を遂行してくれると信じ続け、細々とその血脈を保つことだけを考えている。
「鋼鉄の国」ほどの軍事力があれば、少数部族など根こそぎ滅ぼすことができるだろうが、それをしないのはそれだけ「鋼鉄の国」の上層部に敬虔な信者が多いとも言える。
「鋼鉄の国」、正式名称は「シュターリア皇国」と呼ばれる。皇帝に権力が集中した絶対君主制を取り、歴代の皇帝はその圧倒的なカリスマを示し、勢力をみるみるうちに拡大させていった。だが、そんな歴代の皇帝でさえも次代へ先送りにしなくてはならない問題を抱えていた。
 それが、宗教問題だ。国を支配するために宗教とはかくも便利な物だ。「魔法の国」よりも遥かに大きい「鋼鉄の国」は特に宗教の影響が色濃い。蛮行と呼ばれる行為であっても、神よりの使命と嘯いてしまえば、それは正しい行いということになる。
 だが、影響力が強いというのは同時に諸刃の剣でもある。神の声を後ろ盾に民心の支持を獲得した枢機卿たちは、今では皇帝さえも一目置く「鋼鉄の国」の一大勢力である。
「そんなところに我々が行っても大丈夫なのでしょうか?
 中立地帯とはいえ、彼らの意志とは無関係にどちらかに肩入れするような隙を見せれば……、それは「鋼鉄の国」が攻め込むための口実となりえますが」
「そうね、恐らくは村まで行ったところで門前払いを食らうでしょうね。よしんば、話を聞いて貰うのが関の山と言ったところかしら。
 でもね、実際に村の様子をこの目で見ることができればそれだけで情報を手に入れたことにもなるわ。たとえば、村人たちが慌ただしくしていたら何かあったことは推察できる。周辺を調査するなら実際にこの目で村の様子を見てからでも遅くはないわ」
「……わかりました」
 考えてみればそうだ……。セシリアは私なんかよりもよっぽど実戦を経験している。私が考え付くような心配なんて、最初から思いついているに違いない。だからそれ以上、私は質問を重ねることをやめ、彼女の命令にただ黙って従うことにした。
 今は一部下として、セシリアのいうことに従って入れば問題はない。何せ私の上司は若き天才、“奔流の魔女”なのだから……。
「うん、それじゃあ出発しようかしらね、おー!」
 セシリアは右手を上げて出発の激を飛ばす。
「もー、ほら私がおーって言ったらメディアちゃんも、いい?」
「は、はい……」
「それじゃあ改めまして、しゅっぱーつ! おー!」
「お、おー……」
 仕方なく、私も力なく右手を上げて声を上げる。
 とても恥ずかしかった……。それはにやにやと眺めるビスビリオのせいだった。
 後で一発小突いておこう、そうしよう……。

 ●

 セント・ルーゼント地方までは、王都ウェンティモイからおよそ250km。滑翔器の巡航速度なら約4時間程、途中の「エーテル」を補給する休憩時間などを考慮すれば夕方頃には着く計算だ。
 高度を上げ過ぎては、万が一に敵方に捕捉された時に先回りされる恐れがあるため地を這うように低空を飛行する。ここはまだ「魔法の国」の支配地域、敵方の斥候がいるとは思えないが警戒するに越したことはない。 
「んー、風が気持ちいいわねぇ。そう思わない、メディアちゃん?」
 滑翔器を用いて空を翔けるのは久しぶりな気がした。
 心配していたビスビリオとの魔力連結による副作用だったが、魔力をそのまま魔導器へ通過させているためか、昨日のような身体への負担は気にならないぐらい少なかった。
「そうですね……。久しぶりに空を飛ぶと気分が高揚しますね」
 身体全身で受ける風はお世辞抜きにしても気持ちがよかった。
「うんうん、いい笑顔。その調子よ、笑えば可愛いんだから」
「は、はい……」
 セシリアはこういう歯の浮きそうなセリフを軽々しく口にしてくる。正直言って苦手だ……。私に対して直球で言葉を投げてくるのは、どことなくビスビリオに似た雰囲気もある。
 道なりにまっすぐ北上していると、右手にニンネパ半島の中央部を縦断するルーゼント山脈の稜線が見えてきた。緑が山の表面を覆い尽くし、豊かな自然が形成されている。
 もう少し北上すれば、このニンネパ半島と大陸を分断するかのように、東西に横切るセープラ山脈が見えてくるはずだ。セープラ山脈はルーゼント山脈よりも平均標高は高く、万年雪に覆われた3000mから4000m級の山々が連なっている。冬になれば、このセープラ山脈は天然の要害となり兵站を満足に行えなくなてしまう。
 マハルバの民は基本的に定住はしていない。だが冬が近づいてくるとルーゼント山脈にある、とある一か所を定めて冬越えの準備をする。例年通りであるならば、そろそろ冬ごもりの準備を始めている時期であろう。
 稜線に沿いながら北上をしていると右手側に砦と呼ぶには小さい、言うなれば詰所とでもいうような簡易の人工物が見えてきた。
「一応国境外に行くからね。国境警備隊に挨拶していきましょう」
 先を行くセシリアが滑翔器による加速を止め、地面へと降り立つ。それを受け、私もビスビリオとの魔力連結を断ち地面へと降りる。
「魔法の国」の支配領域の境界線。境界線上には、数kmごとに軍の国境警備隊が詰めている拠点が点在している。
 境界線上には「魔法の国」独自の目には見えない不可視の魔力線が張り巡らされている。その魔力線に触れた場合、すぐさま国境警備隊の拠点に情報が届き、ものの数分で国境警備隊が対処に当たれるという仕組みになっている。
 数に劣る「魔法の国」が、強大な軍事力を持つ「鋼鉄の国」相手に長期間戦えている理由は、不意の奇襲を許さず早期対処するこのシステム、前述したよう天然の要害――セープラ山脈の存在、そして魔女特有の一兵卒の能力の差、行軍の速さだろうか。
 物見の魔女が私たちが接近することを事前に察知していたのか、警備隊の隊長章をつけた人物が既に外で待機していた。
「ようこそいらっしゃいました、“奔流の魔女”セシリア・トリスケイル。連絡はこちらにも届いております」
 セシリアと同じくらいの歳に見える魔女が私たちを出迎える。年齢とは違い、その身分には大きな違いがあるようで、最大級の敬意をもって迎えられた。
 そして、その周囲ではセシリアの姿を一目見ようと私くらい若い魔法少女たちがそわそわしながら並んでいた。
 それだけ私の上司は凄い人なのだ。そんな人の下に私なんかがいていいのだろうかと、改めて痛感する。
「あらあら、そうかしこまらなくていいわよ。何か変わったことはあるかしら?」
 セシリアも周囲の視線を感じているのか、苦笑いを浮かべながら淡々と任務に関する会話をこなす。
「今のところ「鋼鉄の国」に大きな動きはございません。ですが商会の方から少し小耳にはさんだ情報がありまして……」
 表だって話すことのできない内容なのか、隊長格の人物は周りに聞こえぬようにセシリアにだけ耳打ちをして伝える。
「そう、ありがとう。一応、記憶の片隅には置いておくわね」
 とだけ、セシリアは応える。
「それじゃあ早速移動しようかしらね、メディア」
 セシリアは外套を翻し警備隊たちに背を向ける。
 今の話の内容も気になるが、セシリアから話そうとしないということはその程度のことなのだろうと納得する。もしも部隊内で共有しておかなければならない内容なら真っ先に伝えてくれるはずだ。
「はい、わかりました」
 正直な話、一刻も早くここから出発したい気持ちがあった。
 警備隊の魔女たちがセシリアに送る眼差しは羨望や敬意の眼差しだが、私に送られてくるのは疑念や嫉妬といったたぐいの眼差しだった。
 勿論、私の受け取り方の問題であることはわかっている。彼女たちが本当にそう思ってるかは彼女たちにしかわからないのだから。
 だけど私はそう感じてしまった。逃げだしたかった――。

 ●

「凄い人気でしたね」
 皮肉でも称賛でもなく、何となく私はセシリアに言葉を発した。きっとただ単に移動している間の暇つぶしのつもりで声をかけたのだろう。
「アハハ……、なんだかこっぱずかしいわね……」
「隊長?」
 私は今、セシリアの後ろについている状態なため、セシリアの顔色を窺うことはできない。だから、セシリアの含みを持たせた言葉が妙に気になった。
 単なる照れ隠しなのか、それとも何か他意があるのか私にはわからなかった。
「何でもないわ。ただちょっと、誰かから注目を集めるのは得意じゃないだけよ……。彼女たちが見ているのはセシリアなのか、“奔流の魔女”なのか、時々わからなくなるの……」
 セシリアは呟くように言葉を漏らす。しっかりと耳をそばだてていなければ、風の音にかき消されてしまうような小さな声だった。
「“奔流の魔女”と噂されるようになってから、皆の視線が私の持っている能力以上のことを期待してる気がしてね……。……勿論、それは私の自意識過剰かも知れない。
 でも時々言いたくなる時があるの、私はそんなに凄い魔女じゃないの、あなたたちと同じ魔女なのにってね……。
 だけど私は逃げてはいられない立場にある。周りから求められているんだから仕方ないわよね」
「…………」
 私は何も言えなかった。私はセシリアと違って逃げることだけを考えていた。
 強い人だなと感心したわけではない、その逆だ。強い人だからこそこのようなセリフを吐ける。
 あそこにいた多くの魔女たちは私と同じ持たざる者だ。持たざる者の視線、それをその身で受けるのは力を持つ者の使命だ。
 どうしてセシリアを苦手に感じていたのかがわかった気がする。彼女は日陰を歩くことを良しとする私にとって眩しすぎるのだ。肌の弱い病人にとって太陽が毒であるように、私にとってセシリアは毒のように私の弱い心を蝕んでしまう。
 だけど私はもう違う。以前のように劣等感を持ちながら、それを仕方ないと諦めていた私はいない。ビスビリオ……、私は破格の能力を持つ使い魔を持っている。その気になればセシリアを遥かに超越する力を持つことができる。
 そう、私は持たざる者から持つ者へとなった――。
 いつか太陽さえも飲み込む大きな光になって、この世界の果てまで照らして見せる。
 安心してください隊長。あなたを苦しめているその眼差しも、そのくだらない悩みも、世界もろとも崩壊させてあげますから……。
 私はこの時まったく気付いていなかった。気付くはずもなかった、私の外套の中でビスビリオがほくそ笑んでいたことを。まるで私の考えていたことすべてを見透かしているかのように。
 そう自分にとって一番の毒はセシリアではなく、ビスビリオだということを。
 もう私の心は……、とっくのとうにビスビリオという名の毒に蝕まれていた……。

 ●

 夕刻、辺りは夜の帳を降ろす準備を始めている頃、ようやくマハルバの民の支配地域へと入ることができた。
 支配、とは言うものの軍事境界線などは一切なく、マハルバの民がここ辺り一帯を「聖なる地」と定め主張しているだけに過ぎない。だがそう主張しているからこそ、今までこの地は戦乱に巻き込まれることなく今日まで在り続けている。
「隊長、日が傾きかけてきましたが、今日中に接触を図りますか?」
「うーん、どうしようかしら。メディアちゃんはどうしたい? 今日中に彼らと会っておきたい?」
 私の意向を確認してくるとは意外だった。副官でもない部下から話を聞くなんて前いた部隊では考えられないことだった。それができるのも、部隊に2人しかいないここだけの話なのだろう。
「そうですね……、どうせ門前払いされるのであれば、明日の朝一から計画を立てられるように今日中に接触しておいた方がいいと考えますが」
「それじゃあ決まりね、行きましょうか」
「えっ」
「あら、どうしたの?」
「いえ、いいんですか……? 私の意見をそのまま採用してしまって……」
「別段、問題ないように思えるからいいんじゃないかしら? 闇雲に提案しているのではなく、根拠もしっかりと言ってくれたしね」
「そ、そうですか……。ありがとうございます……」
「ほら、意見が採用されたんだからもっと喜ばないと。自信をもっていいわ、あなたの思慮深さは数日しかあなたのことを見ていない私にだってわかるわ」
 セシリアはそう言って、出立の準備を始める。
「でも物事はそう考えの通りにはいかない。そのことだけは覚えておいてね」
「は、はい……、肝に命じておきます」
 …………。
 暗い森を歩き続け一時間ほど経ったころだろう。深い蔓植物の跋扈する森が、急に終わりを告げる。まるでどこか違う世界に来てしまったのかと錯覚するほどに、辺りの景色は一変する。
 開けた場所に、複数の篝火や天幕が立ち並ぶ小さな集落――野営地と呼んだ方が適切だろうか、そんな場所に出た。
「あそこが……」
「えぇ、古き契約をその血に刻み続ける孤高の民、マハルバの民の村よ」
 門前払いされるとは思いつつも、いざ目の前にすると恐怖が心を支配していく。
 同じ人間ではあるが、その考え方、生活様式は「魔法の国」の人たちとは相容れないものがある。
 未だに生贄だとか人身御供が行われているなんていう噂も王都では流れている。招かざる訪問者である我々を捕えて食べてしまうなんてことも……、まぁ、私たちに何かしようにもこちらには魔法があるのだからそんな心配しなくても大丈夫だろう。
 万が一、私とビスビリオの魔力連結が上手くいかなくても、普通の人間程度、束になってもセシリアには敵わないだろう。
「さて、いつまでもここにいても仕方ないし、さっさと用事を済ませちゃおうかしら」
「は、はいっ」
 先を行くセシリアの一歩後ろに付き添いながら、マハルバの村の入り口を目指す。
 マハルバの村は、森の中のガラリと空いたドーム状の空間に浮かぶように建つ村だ。だから森から近づくような人影があれば、すぐに見張りに見つかるのは当然だった。
「それ以上、我々の村へ近づかないでいただこうか」
 村の戦士だろうか、原始的な槍を手に私たちの行く手を遮るように立ちふさがる。
「あらあら、御機嫌よう。夜分遅くにお邪魔するわね」
 セシリアは物怖じすることなく、自分よりも一回りも大きい男に正面から対峙する。
 その余裕綽々な態度が相手の神経を逆撫でしてしまわないか心配してしまう程だった。
「南の魔女風情がこんな片田舎にある村に何の用だ?」
 魔女風情……、か。本当に自分たちの血族以外に対する扱いは酷い物だと辟易する。
 ……力も無い癖に、粋がるのだけは一丁前で…いっそ、鋼鉄の国の奴らに滅ぼされてしまえば……。
「メディアちゃん」
 セシリアに肩を掴まれハッとする。
「魔力が漏れてるわよ?」
「あ……、すいませ…ん……」
 自分の身体から微かな火の粉が舞っていることに気付く。
「君って意外と態度にでるタイプだよね」
ビスビリオのムカつく台詞がローブの中から聞こえてくる。少し腹が立ったのでローブの上から小突いておく。
だがセシリアとビスビリオのおかげで熱くなった頭を冷ますことができた。
「お騒がせしたわ。えーと、何の話しを……、そうそう私たちがここに来た理由だったわね」
セシリアは一息置いてから、
「マハルバの民の見解を聞きたくてね。それを聞けたらすぐに帰るつもりよ」
「それは賢明な判断だ。貴様らは我々の領域を今も侵していると知るべきだ。だが、我々が貴様らに真実を話さなければならぬ義理も理由もないがな」
「そう、でしたら話しが聞けるまでここに留まりますわ。――魔女はしつこいんですよ?」
セシリアと若き戦士は無言で睨み合う。どちらもそう簡単には引くことしないという意思のぶつかり合いだ。
私とビスビリオはそんな2人をただ眺めることしかできなかった。
「君も魔女だし、やっぱりしつこいの?」
「……わからないわよ、そんなの」
「でもしつこくないと、世界を滅ぼすことはできないだろうね。君が魔女らしくしつこい奴であることを祈ってるよ」
「ねぇビスビリオ」
そういえば、私は大切なことを聞いていなかった。
「ねぇ、なんであなたは私の願いを聞いてくれたの? 世界を滅ぼすなんて大罪になんで加担してくれるの?」
世界を滅ぼす、文字通りの意味ならば世界に属する私もビスビリオも例外なく滅んでしまうだろう。
世界を滅ぼすのは私の望み。ではビスビリオの望みは一体なんなのだろうか?
「どうしても何も君が願ったからだろう?」
「そうじゃなくて……」
「ほら、無駄話はやめて、セシリアたちの話に集中しよ」
「ちょ……、後で聞かせてよね……」
はぐらかされたのかな……。それとも私の考え過ぎ?
 …………。
「さて私も回りくどいのは好きじゃなくてね、単刀直入に聞くわ。最近、この辺りで「鋼鉄の国」の奴らがうろちょろしてる件について、神よりこの地を授かりしマハルバの民はどうお考えで? よもや、ただ指を咥えて見ているだけなんてことはあり得ませんわよね?」
「……どうも何も、そんな事実はない。だが仮に北の蛮族が侵攻して来ようものなら一族を挙げて排除するのみだ」
「あらあらあらまあまあまあ、色々と申し上げたくなる答えですわね。まぁ、下っ端の一戦士ならばこう応えるしかありませんか」
「……ッ」
 若き戦士は悔しさを堪えるように、強く握りこぶしを作る。
 セシリアに馬鹿にされたのが悔しいのか、それとも……?
 だがセシリアはそんな男には見向きもせず、男の横を抜けて村の方へと歩き出す。
「お、おい……、お前っ! 止まれッ!!」
 慌てて男はセシリアの身体を掴んで止めようとするも、男の手が掴んだのはただの水でありセシリアを捕えることはできなかった。
「何ッ!?」
「それじゃ、お邪魔するわね」
 若き戦士が掴んだと思ったのは水でできた分身だった。私自身、水が形を保てず零れ落ちるまで気付かなかった。
 なるほど……、“奔流の魔女”の名は伊達ではないということか。こんな繊細で器用なこともやってのけるということか。
「待てッ! これ以上は命の保証はできんぞ!!」
 若き戦士はすぐに体勢を立て直し、手に持っていた手槍を構える。
「面妖な術を使いおって。だが、我が槍の一撃、避けられるか!?」
 だがセシリアはなおも歩みを止めず、戦士には一瞥もくれず村の入口へと進む。
「おのれ……、馬鹿にしているのかッ!」
 戦士が放つは横なぎの一撃。水の分身であった時のことを想定して、槍のリーチを生かした範囲攻撃だった。
 次の瞬間、確かに戦士の攻撃はセシリアを捉えた。先ほどのように水が零れ落ちることはなかった。その代わりに――、
「避けるまでもありませんわね」
「なっ……」
 槍はセシリアへと届く手前の空中で止まる。戦士は槍を持つ手に力を込め、セシリアへと槍を届かせようとするがそれは叶わなかった。
「セシリア、少し無茶が過ぎるのではないか? 何をお前をここまでさせる?」
「ちょっと気になるところがあってね。守ってくれてありがと、ダイダルちゃん」
 戦士の手槍が空中でベクトルを失った理由、それはセシリアの周囲に現れた水に絡め取られたからだった。
 粘性のある水は、自由自在に形を変え槍を包み込んでいく。そして若い男の膂力さえも凌駕し、戦士から武器を奪う。
「これでお分かりになったでしょう? 先へ進ませていただきますわ」
「ま、待て……、待ってくれ、それ以上は……!」
 若き戦士は遠ざかるセシリアの背中に懇願する。村を守るという使命を果たせそうにない哀れな若者はそうせざるを得なかった。
「普段であれば村へと立ち入ることは禁忌であるけれど、今は状況がそうはさせてくれないの。ごめんなさいね」
 セシリアの言う、「状況がそうさせない」という意味は私にはわからなかったが、とりあえず部下としてセシリアの後を追う。きっと私が今日の内に村へ行こうと言わなくても、この様子を見るからに結局は様々な理由をつけて向かっていたのだろうな。
 部下に判断を迫ることを早いうちからさせておく、それがセシリアの教育方針なのかもしれない。
「すいません、失礼します」
 地面に膝をつき、懇願する戦士の脇を抜けてセシリアを追いかける。だが、先を行くセシリアの歩みは既に止まっていた。
「あーすまんが、あまりうちの若い者をいじめないで貰おうか、なあ?」
 新たな声の主はセシリアの前からした。低音ながら太く長くよく響く声だった。
「久しぶりだな、セシリア・トリスケイル。“奔流の魔女”よ」
「やっと少しは話がわかる人が来てくれましたわね。お久しぶり、“絶対なる契約の遵守者”、ドズラフェル・マクマホン」
「ド、ドズラフェル様……、申し訳ありませんッ! 私の力が至らぬばかりに……!」
 うなだれていた若者は、ドズラフェルと呼ばれた髭面強面の男の傍に駆け寄り、片膝をつき頭を垂れる。
「謝らなければならないのは私の方だ。遅かれ早かれこうなるのではと思っておったが、村の護衛を貴様ひとりに任せてしまって……、すまなかった」
 ドズラフェルはその丸太のような大きな腕で若者の脇を抱え立ち上がらせる。
「勿体なきお言葉……」
 若者は目頭に雫を湛え立ち上がる。
「師弟愛美しい感動のシーンの最中に申し訳ないけど、事態は切迫しているわ。お話しできる場所はあるかしら?」
「やれやれ、せっかちな女だ。若いうちから生き急いでどうする」
「老人の諫言、耳に痛いことですが、流れる水をせき止めるにはそれ相応の力が必要ですわ」
「ついて参れ。既に場所の準備は整っておる。お前は先に村へと戻り、皆に大事ないということを伝えてくれ。それでも納得せぬようなら、責任はすべて私が取ると伝えてくれ」
「はい!」
「それでは参ろうか」
 ドズラフェルは踵を返し、村の入口へと歩き出す。
「行きましょ」
 私とセシリアは一瞬だけ視線を交わし、ドズラフェルの後を追った。

 ●

 先を行くドズラフェルは村の入口の手前で止まった。
「申し訳ないが、いくら客人と言えど村の中へ入れるのは私の権限でも無理なのでな。村の外に天幕を張っている、そこで我慢して頂きたい」
「ええ、無理を言っているのはこちらのほうですから」
 セシリアは笑顔で快諾する。
「……なんか、さっきの人とは対応が全然違うね」
 ビスビリオはセシリアには聞こえない声でそっと囁く。
「そうね、それなりに偉い人っぽいから敬意を払ってるんじゃない?」
「ただのオジサマ好きかと思ってたよ」
 流石に今の言動は聞かせられないなと苦笑いする。
 そんなはずはないと思うが、意外とセシリアもよくわからない人だ。あながち間違いではないのかもしれないかも……。
「先に入ってくつろいでいてくれ、私は少し準備があるのでな」
 ドズラフェルはそう言い残して村の方へと去っていく。
「ということで入りましょうか」
「は、はい。あの……」
「もしかして罠があるかもとか考えてる?」
「えっ、あの、少しは……」
「大丈夫よ、彼は“絶対なる契約の遵守者”。そんなことはしないわ、絶対にね。それじゃお先に」
 子供のようにセシリアは天幕の中へと入っていく。セシリアが太鼓判を押すのだ、大丈夫だと思いながら私も続く。
「へぇ……」
 天幕の中は思ったより広い印象だった。室内は洋燈に照らされ淡い朱色に包まれた空間だった。
 地面には麻で織られた絨毯、壁にはタペストリーが、それぞれ色鮮やか美しい模様で織られていた。それぞれが洋燈の光を浴び、幻想的な色合いを醸し出していた。
「んー、旅の疲れが一気に来るわねー」
 セシリアは足を伸ばし、座りながらできるストレッチを始める。
 敵地だというのに、まったくそんな気を感じさせない振る舞いに少しだけ戸惑いを覚えるも、私も足を伸ばしてくつろぎたい気持ちもあった。
 ひとまずビスビリオを外套の外に出して絨毯の上に座る。
「ふぅ、ようやく綺麗な空気を吸えるよ」
 多分本人に悪気はこれっぽちもないのがムカつく。
「それにしても隊長、こんなことをしてもし上の者の耳に入ったら大丈夫なのでしょうか?」
「んー、大丈夫じゃないかもしれないわねー。ま、上手くいったら大丈夫よ。これからの話次第で「魔法の国」、マハルバの民、両方に得があることになるからね」
「成功する算段はあるんですか?」
「大体30%ぐらいかしらね」
 ひ、低い……。そんなこと笑顔で言わないで欲しい……。
「ま、あなたは心配しなくて大丈夫よ。全責任は私が持つわ。こんなことは何でも屋のうちの部隊にしかできないことだからね」
「我々の得になる話、興味深いな」
「あら、天幕の外で聞き耳とは、あまりいい趣味とは言えないわね」
 天幕の入口、長躯のドズラフェルにとっては入るだけでも少し大変そうだ。
「おや、わざと聞こえるように話していたとばかり思っていたが?」
「あらあら、バレてたのね」
「まったく、食えん女だ。
 長旅で疲れたであろう。何か飲み物をとでも思ってな、渇いた喉には冷たい山の水が良く染み渡る」
 ドズラフェルは丁寧な手つきで、まるでメイドのように甲斐甲斐しく冷たい水の入った杯を運ぶ。しかもちゃんとビスビリオ達使い魔のために平皿に入った水も持ってきてくれていた。
 なんというか、マハルバの民の人とは思えない程、謙虚で気を使える人だなぁ……。
 全員に杯を渡し終えたドズラフェルが席に着いたところで、「魔法の国」、マハルバの民、両者にとっての極秘裏の会談が始まる。
「さて非公式の、そうだな…ただのジジイとお嬢ちゃんたちによる井戸端会議を始めようかね」
 なるほど、つまりここでの会談での決定は非公式。「マハルバの民」としては、後からいくらでも反故にはできると保険をかけているわけか……。

 ●

 村のはずれの小さな天幕の中。聞こえるのは虫たちの鳴き声と風が奏でる木々のざわめきだけだった。
 そんな中で大人3人が顔を突き合わせ、ひっそりと…まるで悪巧みをする子供のように小さな声で話していた。
「ま、一応、村の決まりで他部族との交流は公式の場でない限り厳禁ってなっているんでな。ちょっと狭いだろうが我慢してくれ」
「あらあら、契約の遵守者たるものが率先して村の掟を破っていいのでしょうかね?」
 セシリアの皮肉にもドズラフェルは豪快な笑いをもって応える。
「はっはっは、これは手厳しいところを突かれる…っと声がでかかったな。
 だが、私が遵守するは神との契約。神は他部族と交流するなとは仰ってはいない。むしろ他部族を取りまとめ、率先して繁栄をすべきと仰られたものだ。それがいつしか、自分たちは神に選ばれた存在だと驕り高ぶるようになり……、指を咥えて見ているだけで繁栄がもたらされると勘違いしてる始末だ……」
「色々と苦労してそうな口ぶりですわね……」
「長生きしてる分、苦労するのは当然のことよ。そういうお前さんだって、若いうちから色々と苦労してんじゃないのか? こっちの村まで届いておるぞ、“奔流の魔女”の名前がな。
 おっと、挨拶が遅れまして申し訳ない。お久しゅうございます、ダイダル殿」
「うむ、貴様も息災のようだな」
「敬語だ……」
 思わず言葉が漏れてしまう。
 確かに考えてみれば、竜族の寿命は数百年と言われている。小竜であるダイダルは見た目が大きくないため、あまり考えたことがなかったが竜族の例に漏れず何百年と生きているのだろう……。
 セシリアが「ちゃん」付けで呼んでいたりするのを横で見ていたせいですっかり忘れていた……。
「さて、そっちの見ない顔のお嬢ちゃんと使い魔はお前さんの新しい部下かい?」
「そういえば紹介がまだだったわね、こちらつい先日私の部隊の配属になったメディア・リターナーと使い魔の…えっと「ネームレス」です」
 ドズラフェルも他の人の反応に漏れず、「ネームレス」という紹介に怪訝そうな顔をする。
「……「ネームレス」とはまた珍しい名前だな。何か理由でもあるのか?」
「別に何もないけど、この前メディアが僕に「ビスビリオ」って名前を付けてくれたから当面はそう名乗るようにするよ」
「あら、そうだったの、メディアちゃん?」
「えぇ……、いつまでも名無しじゃあ…可哀想だと思って」
 可哀想という気持ちは微塵も無いが、便宜上名付けておいた方が色々と楽だ。
「そうかそうか、それじゃあ改めてよろしく頼む、メディアにビスビリオ」
 ドズラフェルの大きな手がこちらに差し出される。
「よ、よろしくお願いします……」
「で、こちらがドズラフェル・マクマホン、マハルバの民の村守的な存在ね。魔法は勿論一切使えないけど、そこらの魔女よりは強いから気を付けてね」
「いやいや、そろそろ腰も限界が近くてな。もう魔女を相手にはできんよ」
「あらあら、そんなことを仰っては若い者への示しがつきませんわよ」
「ったく、お前さんは老人に鞭打つつもりでこんな所まで来たのか?」
「いえいえ、勿論有益なお話合いに来たわけですわよ。その前に一つ確認したいことが」
 セシリアもドズラフェルも一瞬にして顔つきが険しい物になる。セシリアがここへ来た本当の目的がやっとわかることになる。
「「鋼鉄の国」が極秘裏にマハルバの民に接触をしたことはこちらでも把握しています。その時の会談の内容を教えてはいただけないでしょうか?」
「うむ、やはりばれておったか、いやはや魔女というものは怖いのう。どこで聞き耳たてているかわかったもんじゃないわい」
「私たちを怖れていただけるのならば、真実を仰って貰えますでしょうか?」
 ううむ……、と一息。ドズラフェルは少し考え込むように自慢の髭をいじり始める。
「まあ、この場はただのおしゃべりの場だからな。話しても構わんだろう。いや構わないことにする。これから話すことは私の独り言だからな、気にするなよ」
 と、前置きを挟む。
「実はな、「鋼鉄の国」から婚姻の申し出があった」
「あらあら、そういえばドズラフェルさんは未だ独身でしたわね。とうとう家庭を持つ気になったのでしょうか?」
「そうなんだ、身を固めるには少し遅すぎるかもしれんが……、って茶化すな小娘。私の結婚についてはどうでもいい、もう大分昔に諦めておるわ。私ではない、族長の娘の話じゃ」
「族長の娘……、そういえばファラ様は12歳になられる年でしたわね」
「そう、そりゃあ早くあの子の花嫁姿を見たいと思っておったが、早すぎるわい。それに、もっと相応しい男でなくてはいかん! 何が第七皇子との婚約だ、ファラ様と結婚したいなら第一皇子を出すのが礼儀じゃろ!?」
「そういえば、現族長にはお子さんはファラ様のみ。つまり、このままならファラ様が時期族長ということに」
 なるほど、段々と話が見えてきた。
 族長の娘と「鋼鉄の国」の皇子との間に生まれた子供を、時期「鋼鉄の国」の正統後継者とすることで、名目上は「鋼鉄の国」はマハルバの民の下、勢力拡大の大義名分を得ることになる。
 結果だけを見れば、マハルバの民は「鋼鉄の国」の軍事力をもって子孫繁栄ということになる。それは神との契約の通りであり、「鋼鉄の国」国内の敬虔な信者たちも納得させる材料になるのであろう。
 だがマハルバの民から見れば、時期族長の娘は傀儡と化し元々のマハルバの民は虐げられるのは目に見えている。
 そして私たち「魔法の国」は後顧の憂いを失くした「鋼鉄の国」にあっさりと蹂躙されることになるだろう……。
「ありがとうございます、ドズラフェルさん。それでは一つこちらからも情報提供を致します」
 情報の等価交換。それは交渉事においては信頼関係を続けるためには必要なこと。
「先ほど、そう本日手に入れたばかりの情報ですが、その第七皇子――ナブッコス皇子がニンネパ半島に入ったとのこと。前線の戦意高揚を図っての入国かと思っておりましたが、そのような事情があったとは」
「……それは真か、セシリア?」
「えぇ、金さえ払えば必ず対価を支払う、エマヌエル商会からの情報ですわ」
「むぅ……、あの金食い虫共か……、悔しいが確かなのだろうな」
 ドズラフェルは腕組みしながら考え込む。恐らく、彼の見立てではもう少し猶予があると考えていたのだろう。
 だが、「鋼鉄の国」は早々に第七皇子を送り込むことで選択を迫る。武力を盾に無理やりにでも婚姻を押し進めようという魂胆。
「さて、マハルバの民は……、いえ、ドズラフェルさんはいかがいたそうとお考えで?」
 ここは非公式の場、セシリアはあくまでもドズラフェル一個人の考えを問う。
「断固拒絶する――、と言いたいところではあるが、それも難しいかも知れんなぁ……」
「……あらあら、ドズラフェルさんらしくない弱気な発言ですわね」
「私も歳をとったということかもしれんな。やれやれ、引退してもおかしくない歳だというのに、神は私に試練をお与えになるか……」
「それだけ愛されているということですわ。ほら、「可愛い子には旅をさせよ」とよく言うでしょ?」
「こんな老いぼれが可愛い子とは、神も面白いことを仰る」
「それだけ神は偉大な存在ということですわ」
「そうかもしれんな、はっはっは……」
 ドズラフェルの渇いた笑いの後、しばらくの間天幕の中は静寂が包む。
 最初から話し合いに加われていない私はともかくとして、セシリアもドズラフェルも互いに口を開くことはしない。互いにこれからどうすればいいのか、どうこの困難を乗り切ろうかと思案している状態だ。
 そして互いの関係も、明日には反目し合う敵同士になっているかもしれないという非常に不安定な関係だ。ドズラフェルが今、この場所で敵同士になるということを決心すれば、私たちは無事では帰れないかもしれない……。
 話に加われない私は、いつでも魔力を使えるようにビスビリオに合図を送るぐらいしかすることがなかった。
「神は我々に繁栄を約束してくださった」
 静寂を打ち破ったのはドズラフェルの呟くような囁きだった。
「それが今ではこの様だ。半島の小さな部族でしかない」
「あら、ドズラフェルさんともあろう人が神の御言葉を疑うのかしら?」
「いやいや、神を疑うなど私にはあり得ぬこと。私が言いたいのは別のことだ。
 村の連中は、今は忍従の時と達観しているが、あれはただの堕落だ。神は堕落を好まず、だ」
 ドズラフェルの顔が一際厳しくなる。何かを決心したような、そんな男の顔をしていた。
「我らマハルバの民は長き時を経るにつれて堕落していった。神に愛されし民であるからこそ、神は無償の恩恵を下さると。だが契約には義務がある。神が我々に繁栄をもたらしてくれる以上、我々も神に対する義務が生じる。その義務を我々は怠っていた」
「マハルバの民から神への義務……? それは私も知らないことですわね」
「すまんな、セシリア。こればっかりは他部族へ漏らすことはできん。わかってくれ」
「いえ、話の腰を折ってしまって申し訳ありませんでしたわ」
「いやいや、こんなんただの私の独り言だ、気にしなくていい……。
 さて、夜も更けてきたな。お前さんたち、今日の寝場所は決まっているのか? ここなら朝まで人払いをしてあるから、よかったら使ってくれ」
「御心遣い感謝いたしますわ。それでは、御言葉に甘えさせていただきますわ」
「そうか、それじゃあ軽い食事も持って来るとしよう。自分の家だと思ってくつろいで…もうくつろいでいるか」
「えぇ、とても過ごしやすい場所ですわ、ここは」
「本当にお前さんは大したやつだよ、はっはっは」
 笑いながらドズラフェルは天幕を後にした。
 残された私たちは示し合わせたかのように話の整理を始める。
「最後のドズラフェルさんの態度、気になりますね」
「そうね、何かしら思うところがあったのでしょう。でも、ま、彼に何かしらの決心をつけさせたってだけでも、今日の話し合いには意味があったわ」
「……我々と完全に敵対する道を選んだとしても、ですか?」
「そうねえ、そうなったら私たちはもっと苦境に立たされるでしょうねぇ」
「そんな他人事みたいに……」
「そうなったら、メディアちゃんにもめいいっぱい働いてもらうわよー」
「覚悟しておきます……」
 この人は時々、冗談を本気で言ってるように思える……。
「とにかく、明日になってみないと色々と判断はつかないわねー。夕食を食べたら早々に寝ちゃいましょ」
「ははは……、食べてすぐ寝たら太っちゃいま…」
「シッ……」
 歓談の最中、セシリアは私の言を遮るように、口の前で人差し指を立てる。
「えっ」
 そのまま素早い動きで洋燈の火を落とし、天幕の入口に対して戦闘態勢を取る。
「隊長……、一体?」
 私も事情はわからないが、戦闘態勢に移行する。こういう時にすぐに行動に移せるのは魔女学校時代の訓練の賜物だろう。
 未だ目が暗闇に慣れていないが、天幕の外は月明かりで照らされているため「こちら」よりは明るい。となれば、天幕の入口から入ってくる人物に対して即座に反応できる。
「流石ね、流れるような動きね。これもサラの教育のおかげかしら」
「えぇ、かなり厳しく指導されましたから。それで、一体これは?」
「ドズラフェルさんではない誰かが、この天幕に近づいて来てるわ。数は一人、足音の振動から察するに子供……、いや女性かしら……?」
「そんなことまでわかってしまうんですね」
「ダイダルちゃんが凄いのよ、地面を流れるわずかな水分の振動を察知してくれるんだから。それを私は聞いているだけよ」
「凄い……」
 流石は神代の時代から生きる竜族といったところね……。
 欲しいな……、その力。
「どうする、先手を仕掛けるかセシリア? 動きだけ封じることもできるが」
「んー、足さばきがどう聞いても素人そのもの。まったく敵意を感じさせないわ……」
「でもドズラフェルさんは人払いをしていると言っていましたけど」
「それはもうすぐわかることよ、後10歩といったところね」
 こんな夜中に一体誰が……、何の目的で……?

 ●

 静かだった。視覚が効果をなさないこの天幕の中では、視覚の代わりに他の感覚が辺りを認識しようとフル回転する。その中でとりわけ聴覚が抜きん出て感覚を鋭敏に尖らせる。
 使い魔の力に頼らなくとも、天幕に接近する何者かの草を踏み分ける音が聞こえる。そして、その音は天幕の前で止まる。
 天幕の中が暗いことを訝しんでいるのか、何者かが中に入るのを逡巡しているのがわかる。
「失礼します……」
 意を決したのか、天幕の外にいた何者かは天幕の中にいる私たちに向かって言葉を発する。その声はセシリアの見立て通り、幼い少女のものだった。
 幼いながらも、その声色は一定でひどく落ち着きが取れた物だった。その機械的とも取れる声に、私たちの警戒心は一層強まった。
「隊長」
「とりあえず灯りをつけるわ。でも警戒するに越したことはないから使い魔との魔力連結は維持したままでよろしくね」
「はい。あっ、灯りは私がつけますね」
 頭の中で雫を一粒だけ落とすイメージをしてビスビリオの魔力の調整を図る。ビスビリオが魔力を奪ったフラニーという魔鳥、衰えていたとはいえ長年の熟成された魔力を備えていた。
 油断をして繋がっている魔力の水路の門を開きすぎればとめどない程の魔力が溢れ出て、私のエーテルの許容量はオーバーしてしまう。
 魔力を奪うだけでなく、使い手である私のエーテルの絶対量の確保、そして使い方を上手くしていかないといけないわね……。
 魔力行使とは、使い手である魔女側と魔獣側に二つのギアによく例えられる。どんなに片方のギアの回転率が速い――すなわち魔力が強くとも、もう片方のギアの回転率が追いついていなければ満足に魔力を行使することはできない。
 だからこそ、魔獣とはパートナーであり、共に成長していく友なのである。
 今現在、悔しいが私のギアの回転率はビスビリオのギアの回転率に遠く及ばない……。恐らく、ビスビリオの魔力の半分も引き出せないだろう……。
 歯がゆいなぁ……。まだビスビリオと出会って一週間程と考えれば仕方のないことだとは思うが、早くこの力を万全に使いたいと思うと自然と身体が熱くなる。
 ビスビリオの炎を洋燈に移し火を灯す。仄かな光が再び天幕の中を照らし、真夜中の訪問者の姿が浮かび上がる。
「あら……」
 入口に立っていたのは、マハルバの民の衣装に身を包んだ幼い少女だった。しかし、ドズラフェルは人払いをしてあるから、朝までは誰も来ないと言っていたが……。
「御客人様達へお食事をお持ちいたしました」
 こちらの姿を確認すると淡々とした様子で、こちらへと近寄ってくる。
 一瞬、その「当たり前」すぎる動作にこちらの対応が遅れる。
「ストップ」
 セシリアはそれでも素早く右手を掲げてマハルバ女を制止する。
「無礼だとは百も承知だけれども、幾つか質問をしてもよろしいかしら?」
「? 構いませんが、その物騒な右手は下げていただけると助かります。それとも、こちらが両手を挙げて敵対の意志がないことを証明せねばいけませんか?」
「そうね、そうして欲しいけれど、とりあえずその場からこれ以上こちらに近づかないでいただけるかしら?」
「かしこまりました。それではそのように致します」
 マハルバの少女は深々とお辞儀をし、その場に座り込む。
「ありがとう、あなたの身の潔白が証明されたら今の無礼は詫びるわ」
「いえ、お気になさらずに。質問を始めてくださって結構です」
「そう、それじゃあまずはあなたの名前は?」
「ミオと申します」
「あなたとドズラフェルさんの関係は?」
「義娘です。身寄りのない私を義父が引き取っていただきました」
「……そんな事実、ドズラフェルさんの口から聞いたことないけれど?」
「そう言われましても、真実ですので私の口からこれ以上の説明は」
「それじゃあドズラフェルさんはどうしてあなたに食事を届けさせたのかしら?」
「少し頭の固い連中を話してくるからこれを村外の天幕まで運べと、義父が仰ったので。私はそれに従ったまでです」
「そう……」
 セシリアはこれ以上質問しても無駄と判断したのか、しばらくミオと名乗った少女の様子を窺う。私もセシリアに頼るだけでなく、この少女が一体何者なのかと考える。
 マハルバの民は選民意識の高い人間だ。ドズラフェルのように忌憚なく接してくる人間の方が少ない。……そんな人間がいるとは思ってもみなかったほどだ。村の入口にいた若き戦士の対応の方がごく普通と言える。
 だが、この少女はどうだ?
 こちらに対して敵意は感じられない。いや、敵意だけではない。興味も畏怖も何も感じない。
 そして何より目を引くのが彼女の持つ二つの瞳だ。瞳には光がなく、何を視点に捉えてるのかまったくわからない……。
 まだ短い人生の中で、どんな経験をすればこのようになるのか……。
 そういえば、彼女は身寄りのない、と自分で言っていた。
「戦争か……」
 つい自分の考えが口に出てしまった。
 しまったと思った時には、既に視線が私に集まった後だった。
「メディアちゃん?」
「あっ……、いえ」
 こうなってしまっては、どう取り繕うが意味のないこと。素直に自分の考えていたことを打ち明ける。
「いえ、先ほどミオさんは身寄りがないと仰っていたので……。失礼とは思いますが、戦争で親を亡くしてしまったのかと……。本当にすいませんっ……」
 もし私の推測が本当だとしたら、幼い彼女のトラウマを…心を抉るようなことを言ってしまったことになる。
 だが、そんな考えも杞憂に過ぎなかった――
「はい、そうですよ。皇国の南進の最中、「ただそこにあった」というだけで私のいた村は滅ぼされました」
 ミオは眉ひとつ動かさずに言い放った。そこには恨み言もなく、悲哀もなく、ただただありのままに事実を言いのけた。
 流石にその様子には私もセシリアも共に言葉を失った。
 心が死んでいる、という言葉が相応しいかわからなかったが、とにかく彼女の心は井戸の水面のように静謐だった。
「そう……、そんなことがあったのね。色々と不躾に聞いてしまってごめんなさいね。私の方からも謝罪するわ」
「いえ、もう気にしてませんので。ご客人方もお気になさらずに。それで、お食事はいかがなさいましょうか?」
「そこに置いてって貰えるかしら。ドズラフェルさんのご厚意に甘えて、いただかせてもらうわ。あなたも一緒に食べてく?」
「いえ、明日も早いので、お先に失礼いたします。お誘いいただきありがとうございました」
「そう、それじゃあ…さようなら」
「はい、よい夢を、よい朝を、よい御導きを、我らの神の名のもとに」
 ミオはお決まりのマハルバの言葉を口に天幕の外へと出て行った。
 彼女の足音が闇夜に消えてなくなるまで、私たちはじっと無言で過ごした。
「さて、と。早く食べて、早く寝ましょうかしら。ダイダルちゃん、はい、パンあげる」
「最初から我に毒見させれば良かったものを、何故無用な質問をして話を長引かせたのだ?」
 使い魔は貰ったパンを食みながら相棒に問う。
「ただの好奇心と警戒心からよ。なんかちょっと雰囲気が違うなーって思ってね」
「それで、話しをした感想は?」
「保留、ってとこね。私の杞憂であればいいんだけど」
「彼女が怪しいってことですか?」
 私はあの少女の話を聞いて同情さえ覚えてしまったが、セシリアは何を心配しているのだろうか。
「彼女から感じなかった?」
「何をですか?」
「魔力の残滓を」

 ●

「魔力の、残滓って……、あの子が魔女だっていうんですか? というか、そんなものを感じ取れるなんて……、それも使い魔の能力ですか?」
「ううん、これは私固有の物よ。まあ能力なんて大げさに言う人もいるけど、ただちょっとだけ魔力に敏感なだけ。魔女か魔女でないかぐらいしか判断できないわ。それに相手が魔女かどうかなんて生きていく上であまり意味がないものよ」
「はぁ……、そんなもんなんですかね。でも、それじゃあやっぱりあの子は魔女ってことですか?」
「うーん、結論はまだわからないわ。魔女にしては感じる魔力が少なすぎる。けど微かにだけど、確かに魔力の残滓を感じた。
 考えられるとしたら、過去に魔女であったか、彼女の近くに長期間魔女がいたことによる魔力浸食、契約をした使い魔が魔力をほとんど持っていないか、というあたりかしらね。マハルバの民は魔法を忌み嫌う。そんな中に契約を結ぶ少女がいるとは思えなかった」
「だけど……」
「そう、彼女はマハルバの民ではない。だから魔女の可能性も否定できないわ」
「ですけど、仮に彼女が魔女だとしてもほとんど力を持っていないのなら気にする必要はないんじゃないですか?」
「そうね、だけどたまーに自分の魔力を隠すことができる使い魔もいるのよね。ね、ビスビリオちゃん?」
「へー、そうなんだ。珍しい能力なんだね」
 つーっと、冷や汗が頬を走る……。私もあのミオという少女と同じく、疑われているのだろうか。
 幸い、セシリアはビスビリオの「本当」の能力に気付いていないようだ。
 あくまでも使い魔から魔女へと流れる魔力の残滓を隠すことができる能力を持っていると考えている。
 そしてビスビリオの受け答えも褒めてやりたくなる。そんな能力が自分にはないと否定するわけでもなく、「そうなんだ」と「自分はその能力を持っているが、珍しいとは知らなかった」と受け取れる返しをした。
 流石、ビスビリオ――囁く者と名付けただけはある。言葉選びに関しては敵わないな……。
「最初に会った時はびっくりしたわよ、まったく魔力を感じなかったんだから。私の方がおかしくなったのかしらと疑ったくらいよ」
 本当に魔力がなかったんです。
「血統もわからない使い魔だったし、もし本当に魔力がなかったらどうしようかと思ったわ」
「もし僕に魔力がなかったら、メディアが契約を断ち切るはずだよ」
「そうね、何も言ってこなかったから大丈夫だとは思ってたけど、ふふふ」
「ははは……」
 渇いた笑いしか出てこない。
「さて、と。後はドズラフェルさんの手腕に期待しましょっか」
「私たちに協力してくれるかってことですか?」
「ええ、今まで傍観を貫き通してきたマハルバの民が立ち上がるとわかれば、各所に散在するマハルバを始祖とする十一の支族達も立ち上がるでしょうね」
「そうなれば、「鋼鉄の国」は多方面作戦を強いられ、戦線を押し戻す機会が来るというわけですね」
「そう、よくできました」
 ぱちぱちと軽く拍手を打つ。
「でもそんな上手くいきますかねぇ……」
 正直、そんな勝算は高いようには見えないけど……。そういえば、「大体30%ぐらいかしらね」というセシリアの言葉を思い出す。
 なるほど……、やっぱり望みは高くないというわけか。
「さぁ、それこそ「神」のみぞ知るってとこかしらね」
「皮肉ですか、それ」
「普段色々と酷いことを言われてるからね、意趣返しってとこかしら?」
「ははは……、聞かれてたらすべてが水の泡ですね」
「大丈夫よ、ちゃんと索敵はしてるから。ね、ダイダルちゃん」
「ん、もうしとらんぞ。それより、我はもう寝るぞ」
 あくびをしながらダイダルは身体を縮めて丸くなりはじめる。私の使い魔はというと、既に寝息を立てている始末だ……。
「………さ、寝ましょっか!」
「そうですねッ!」

 ●

 メディアたちがマハルバの民の勢力地に足を踏み入れるのと同日、「鋼鉄の国」もといシュターリア皇国でも動きがあった。
 場所はニンネパ半島の丁度付け根、マハルバの村より更に北西に位置するアツォア。
 万年凍土の山脈から吹き降ろす風が名物で、例え真夏であっても外套が必要なこの街は今、今までにないほどに忙しい空気を醸し出している。
 例年、この季節になるとただでさえ冬籠りの準備で忙しいというのに、第七皇子ナブッコス皇子が御行啓有らせらるとなればその二倍、三倍も忙しくなるのは仕方のないことだった。
「やれやれ、寒いとは聞いていたけどこれほどまでとは思わなかったよ。そんな寒空の下でも街の人々は玉のような汗をかいて動き回ってるよ」
 市庁舎の中の急ごしらえの応接室の中、ナブッコスは二重窓の内側から外行く下々の様子を珍しそうに観察していた。
「兄上の急な日程の為で御座いますよ。事前に知らせてくだされば、もう少しもてなしというものもできたのですが」
「何それ、嫌味? 仕方ないじゃないか、僕だってこんな場所に来たくなかったけど父上の決定だし。父上の命令には絶対に逆らえない、それは妹である君もよくわかっているだろう、ギネヴィア?」
「…………」
 ナブッコスの妹、ギネヴィアは無言のまま肯定する。
「しかし久しぶりだねぇ、ギネヴィア。ますます、お母様に似てきたんじゃないか?」
「はい、お久しぶりです兄上。700と34日ぶりですね」
「君、一日単位で記憶しているんだね……」
「何か問題でも?」
「いや、何でもないよ。お母様も君のことはいつも心配していたよ、君が筆不精だから手紙を送っても返ってこないと言って、いつも心配そうに祈りを捧げていたよ」
「連絡がないということは無事ということですよ、お母様にはそれがわからないのですね」
 どうも話が噛みあわない、とナブッコスはばつが悪そうに頭をかく。
 昔からだ。女性の身でありながら騎士として最前線を自分から志願したり、花でも愛でていれば安寧に暮らせたというのに剣と弓を好む。この極寒の地、アツォア周辺を任されたのも自分から志願したという話もある。
 妹ながら、まともに話をしていてはこっちがおかしくなってしまいそうだ。そういう意味でも、あまり得意ではない。
「婚礼の準備はすべて君に一任していていいんだっけ?」
「はい、後日本国の方から豪奢な引き出物などが送られてくる手はずになっております。マハルバ入りはそれが到着してからになります」
「はぁ……、それまで冷たい風しかないこの街で足止めってわけか……」
「今しばらくのご容赦を」
「ま、本国の堅苦しい空気から逃れられるのは良かったけどね。どうも僕には権力争いっていうものが性に合わないらしい」
「それでしたら、兄上も前線に立って父上の覇道のお役に立つというのはいかがでしょうか?」
 今日一番、嬉しそうな顔をする我が妹。否定するのも、気が引けるほどの笑顔だった。
「……考えておくよ」
 勿論、そんなことする気もない。というより、誰も僕を軍に所属することを喜びはしないだろう……。目の前にいる妹を除いては。
 僕自身に軍略の才能がないことは物心つくころから理解している。
「ならば、しばらくアツォアに滞在する間、鍛錬はいかがでしょうか? 北にそびえる山々は天然の訓練場。足腰は身体の資本でありますから、本国の生活で鈍った身体を鍛え直すというのは……」
「ストップ、ストップ!」
 これ以上、話を続けていては無理やりにでも訓練という名の無限地獄につき合わされそうだ……。
「来たばっかりだから、今日はもう休むとするよ。その話の続きはまた今度にしよう」
「そうですか……、それでは寝室の方へとご案内いたします」
 ギネヴィアは露骨にがっかりそうな顔をする。普段は感情をあまり表に出さないというのに、自分の好きなことの話になると感情の流出が止まらなくなる。
「それじゃあしばらくよろしく頼むよ。シュターリア皇国が誇る「鋼鉄の魔女」様」
「その呼び方は……」
「あまり好きじゃないかい?」
「はい、南の者たちとは違い、魔女と呼ばれるいわれは御座いません」
「勿論、みんな君が魔女ではないということは知っているよ。だけど君のその卓越した手腕がもたらした勝利の数々が、まるで魔法のようだと言っているだけさ。それに魔女と呼ばれる者が、本物の魔女を討ち果たす。なんとも面白い構図じゃないか。今度、宮廷戯曲家に頼んで一作品作ってもらおうとするか」
「御戯れを、兄上」
「いやいや、本国での君の人気は凄まじいからね。戦場のヒロイン、戦乙女ギネヴィア、うんうん、これは人気爆発間違いなしだね」
「あ、兄上ッ、確かもうお休みになられるのでしたね、その話の続きはまた今度にしましょう」
 さっきとはまったく正反対になっていることに笑みを漏らさずにはいられない。なんだかんだ言って僕たちは兄妹なんだということを実感する。
「それでは寝室の手配をしてまいります。準備ができましたら侍女を寄越しますので、それまではここでおくつろぎを。それでは失礼いたします」
 慌ただしく部屋を出ていく妹を見送り、ナブッコスは今日初めて一人になった。
 勿論、部屋の外には護衛の者が何人も待機しているが久々に視界には誰も入らないという状況になった。
「さて、と」
 応接室の少し硬めのイスに腰かけ一息をつく。
 皇帝である父の命とはいえ、政略結婚の道具にされるとは気分のいい物ではない。だが、父に刃向うことなどできるはずもない。きっと国中を探しても見つからないだろう。
「まだ見ぬ僕の花嫁さん。君はいまどんな気持ちでいるんだろうね……。
 願わくば、無事に終わってくれるといいのだが、ね」
 マハルバの民の中にも納得をしていない者も多いというし、今現在も交戦中の「魔法の国」の連中もこの結婚を阻止しようと動いてくるだろう。
「やれやれ、今年の冬は長くなりそうだね」
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今西 美春 先生に励ましのお便りを送ろう!!

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