第4章 叛逆
「メディア、起きて」
ビスビリオの声が耳元でする。いつもと違う寝床だが、相変わらず目覚まし役は自分の使い魔だった。
「なに、ビスビリオ……?」
「セシリアとダイダルの姿がないんだ」
「えっ!」
寝床から跳ね起き、周りの様子を確認する。確かに天幕の中には自分たちペアしかいない。
自分の身体にはセシリアが使っていた毛布がかぶされていた。きっと1枚でも少しだけ肌寒かったため、セシリアがかけていったのだろう。
「僕が起きた時にはもう二人の姿はなかったよ。熟睡したつもりはなかったんだけど、恐らく僕の心音とか脳波をあの小竜の力で感じ取り、一瞬本眠に入った瞬間を狙って出ていったんだろうね」
「置いてかれたのかしら?」
「意外と落ち着いているんだね。寝起きだからまだ頭が働いてないのかな?」
「置いてかれるのには慣れてるからよ。それに私なんかが心配しても、セシリアは無事でしょうから」
さて、眠いけど頭の中でこれからのことを考えよう。
セシリアが私を置いて早々に帰ったとは考えづらい。とすれば、ドズラフェルともしくは村の上層部と今後について秘密裏に話し合ってると考えるのが一番可能性が高いだろう。
セシリアが帰って来るまで余計なことはしない方がいいだろうな。万が一の場合を考えて、半刻待って何も起こらなかったら外に出てセシリアを探すか、ひとまず逃げるかの判断をしよう。
「こんな感じでどうかしら」
「うん、僕から言うことはないよ」
半刻は何も起きないだろうとは思っていたが、予想よりも早く動きがあった。
「失礼します」
天幕の外から声がする。その声は昨夜聞いた、マハルバの少女の物だった。
「ミオ…ちゃん……?」
「おはようございます、メディア・リターナー様」
●
「そろそろお目覚めになると思いまして、朝食とお水をお持ちしました」
警戒……、する必要はあるけど、どうしようかしら……?
「とりあえず、入ってもらって構わないわ」
「それでは、失礼いたします」
ミオが仲間を連れてきている可能性も考えて、一応ビスビリオとの連結をすぐにできるようにしておく。
だが、闇討ちをするのなら声をかける必要なく、天幕ごと火にでもかけてやればいいのだが。万が一だ。
「昨夜はぐっすり眠られたでしょうか?」
朝食の用意をしながら、ミオは声をかけてくる。相変わらず不愛想だが、昨夜よりは幾分柔らかい気がするのは私の気のせいだろうか。
「ええ、隊長…セシリアが天幕を出ていくことに気付かないくらいぐっすりだったわ」
自嘲気味に応える。
「セシリアはドズラフェルさんと会議かしら?」
「はい、御察しの通りです」
ミオはうなづく。
「早朝、義父が呼びに行きまして。今後のことで相談があるということでした。詳しい内容までは存じ上げてはおりませんが」
「そう……、ありがとうね、ミオさん」
「呼び捨てで構いませんよ」
「それじゃあ私もメディアでいいわ。歳もそんな変わらないように見えるから」
「メディア様はマハルバの御客人でありますから……、それでは譲歩いたしまして二人だけの時はメディア、と呼ばせていただきます」
固いなぁと心中で苦笑いする。
それでも一応は、呼び捨てにくれるあたり律儀なんだなぁと思う。
「ミオは朝食は食べた?」
「いえ、色々と準備がありましたのでまだですね」
「はい」
と、ミオが持ってきてくれたパンを一つ差し出す。
「私一人じゃ食べきれないから、ね」
「それでは一つだけ。この件は他の方には他言はしないようお願いします」
「どうして?」
「人前で食事を取ることを禁じられているので」
「……それは村の決まり?」
「はい、そのように仰せつかっております」
「それは、あなただけ? それとも村の子供はみなそのように言いつけられているの?」
「わかりません。他の村の子供との接触も禁じられているので」
ああ……、そういうことか。
彼女はマハルバの民に拾われたとはいえ、マハルバの民に受け入れられたわけではないということか。誰がミオに制限をかけているのかはわからない。
選民の民の矜持に凝り固まったマハルバの石頭どもか、それともミオを守るためにドズラフェルが打った苦肉の策なのか。私には判断がつかないが、何にせよここにも「滅ぼさなければいけない」奴らがいるってことか。
「ありがとうね、ミオ。ここなら他の村の人の目も少ないから……、少しは気楽にしてもいいのよ」
「気楽に、という意味がわかりませんが。メディア、あなたと話していると居心地がいいです」
「今はその言葉だけで十分よ、ありがとう」
「感謝されることはしていませんが、どういたしましてと言っておきましょう」
●
ミオは私があげたパンを食べたらすぐに出ていってしまった。もう少し話をしたいと思っていたが、仕事があるからと言ってここに居座ることを良しとしなかった。
彼女の仕事が遅れることで、村の者から叱咤されては申し訳ないと思い、それ以上は引き留めはしなかった。
「セシリアたち、遅いね」
「そうね、そろそろ起きてから一時間ってところかしら」
「うん、56分経ったところだよ」
「時間まで知らせてくれるなんて、本当に優秀な使い魔ね。しゃべる時計としてそれなりに売れるんじゃない?」
「僕に毒づいてどうするんだい。何に対して憤ってるんだい?」
契約を交わしていると、使い魔に感情が流れてしまうのがたまにキズだ。
「繋がっていなくても、君は態度に現れやすいしすぐにわかるよ」
「私の心を読まないでよね」
「君が最善の行動を取るよう誘導するには必要なことなんだよ」
誘導か、まるで私はビスビリオにとっての駒ね。私がそのように動くよう誘導することを生きがいにしている節もある。抗ってやりたくもなるけど、きっと抗うこともこいつは予測している。そしていつの間にかビスビリオの思うように動かされている。
どうせビスビリオの思った通りに動くのならば、素直に動いてやればビスビリオの言う「最善」とやらになる。
「じゃあ聞かせて貰おうかしら、これから取るべき最善の選択を」
「随分と素直じゃないか。何か心境の変化でも?」
「別に、朝だから考えるのが面倒なのよ」
「そういう事にしておくよ」
「助かるわ」
それじゃあ、というようにビスビリオはいつもより饒舌に今後の事を話し始めた。
「まあ何をするにしても、セシリアとドズラフェルの密会の内容次第だけど、十中八九「魔法の国」と「マハルバの民」は一時的な同盟を結ぶだろうね」
「根拠は?」
「ドズラフェル…だっけ、あの髭の人がなんとか折衷案を考えるだろうね。あの人、村で結構偉い人なんでしょ? そんな人の意見を無下にはできない。だけど体面もあるから大手を振って協力はできない。
そうだね、僕の予想ではマハルバの御姫様との婚礼を妨害するまでの期限付きの協力体制だろうね」
その時、天幕の外から凛とした声が響く。
「あらあら、メディアちゃんの使い魔は随分と賢いようね」
「隊長……!」
「朝から作戦会議? 殊勝なことね」
「隊長、会議はどうなりました!?」
「今後もマハルバの民は中立を貫く、だから魔女とは馴れ合うことはできないそうよ」
だけど、と一息間を置いてセシリアは言う。
「誠に遺憾ではあるが、中立地帯に魔女の連中が踏み入れてしまうのは仕方のないこと。そして、その連中がマハルバの民の支配地域で「鋼鉄の国」といざこざを起こしても我々は関与しない、だそうよ」
「やれやれ、保身に走った詭弁だね。それが通用する相手ならいいんだけどね」
「ええ、だけどこれは私たちにとっては重要なことよ。これでこの地域に部隊を派遣することができるようになった、後は大方その子の言った通りよ」
「結婚式を妨害するんだね。人の恋路を邪魔する奴はなんとやらだね」
「望まれない恋を邪魔するのは、乙女なら当然のことよ」
セシリアはまた何か企んでいるように、ウインクをする。
「続きは私の口からしよう」
またも天幕の外から声が聞こえる。ドズラフェルの声だ。
大きな体には狭い入口を何とかくぐり中へと入る。目にはくまが色濃く浮き上がり、一目見ただけで疲れているのだとわかる。恐らく、私たちと別れた昨夜、その足のまま村の連中の説得に当たったのだろう。無論、スムーズに行くわけもなく、様々な説得を施して先ほどの譲歩まで導いたのだろう……。最初に会った時よりも一回り歳を取ったように見える。
「さて、まずはセシリア、色々と村の者が酷いことを言ってしまったな……。非礼を詫びよう」
「気にしなくてもいいわ。彼らにとって私たちへの悪口は息を吐くような物。人の呼吸に一々苛立つわけないでしょう?」
「ふうむ……、本当にすまん……」
あ、隊長少し怒ってるな……。
「それで、ドズラフェルさんはどうしてここへ? 予定ではこのまま私たちは本国へ帰る手はずになっていたはずだけど」
「うむ、少し事態が変わってな……。先ほど早馬が届いた、アツゥアに第7皇子ナブッコスが入国した。そして、数日のうちに我々の村へと赴き婚礼の儀式をするとな……」
「もうアツゥアに……? あっちも手を打って来るのが早いわね……。これじゃあ本国へ帰ってる暇もないわ」
「すまんが、本国へ帰るのは取りやめては貰えないだろうか?」
「それは問題ないわ。本国へは伝書ゴーレムを使って即日伝えるけど、援軍はあまり期待できないわ」
「仕方あるまい……。婚礼の儀式の件は予定通り行うつもりだが、問題はないか?」
「ええ、それも問題はないわ。ね、メディアちゃん?」
「えっ」
急に話を振られて驚いてしまう。セシリアとドズラフェルの言う、「婚礼の儀式の件」については何も聞かされていない。
「おお、そうかそうか、それは頼もしい!! ではよろしく頼む、セシリアにメディア! 私は事後処理があるのでここで失礼する!」
先ほどまでの疲れなどどこ吹く風。急に元気になったドズラフェルは笑いながら天幕の外へと出ていく。
「朝っぱらから元気だね、あの人。まだまだ現役でいけるんじゃない?」
「きっと寝不足から気分が高揚しているのよ。でも、ドズラフェルさんにはまだまだ頑張ってもらわないとね。「魔法の国」にとっても、「マハルバの民」にとってもね」
セシリアはそっとほくそ笑んだ。
●
「それで、隊長……。「婚礼の儀式の件」って一体何のことですか?」
「……作戦名よ」
「絶対嘘ですよね! 今一瞬考えましたもん! 仮に作戦名だとしても、絶対私に何かさせる気ですよね!? ドズラフェルさん、凄い申し訳なさそうにこっち見てましたもん……!」
「あらあら、随分と今回は食らいついてくるわね。何かあったの?」
「いや、凄い嫌な予感がするので……」
「大丈夫大丈夫、上手くいったら何も問題ないから」
「上手くいかなかったら……?」
「…………」
「何か言ってくださいッ!」
「メディアちゃん、落ち着いて落ち着いて。よく聞いてね、この作戦が成功すれば「鋼鉄の国」にも痛手を与えられることになるし、マハルバの民からの信頼も得られるの」
「はぁ……」
「それじゃあ本当の作戦名を教えるわ……」
セシリアの雰囲気が変わる。
これが本来の彼女なのだろう、透き通るようなアクアマリンの瞳が私を貫く。静謐な清流の如く、淡々とした声で告げる。
「作戦名……、「花婿誘拐大作戦~どうしよう、僕の花嫁が魔法の国の少女だったなんて~」、よ」
「はい」
「あら、反応が薄いわね。ということで花嫁役、任せたわよメディアちゃん」
「隊長」
ビシッと手を真っ直ぐあげる。
「質問は許されますでしょうか?」
「ええ、問題ないわ」
「いろいろと言いたいことはありますが、まず一つ」
「作戦名が長い?」
「それは優先度三番目の質問です。一番言いたいことは一つ」
もう止まらない、言いたいこと全部吐き出してやる。
「なんで私が花嫁役なんですか!!」
「落ち着いて落ち着いて、落ち着いてメディアちゃん」
本日2回目の落ち着いてが入る。
「こうなるのは目に見えていただろう、セシリア……。今からでも遅くはない、作戦を変えたほうがいいのではないか?」
「あら、ダイダルちゃんも作戦名気に入らない?」
「いや、作戦名は素晴らしい、ユーモア溢れるいいセンスだ」
「あら、ありがとう」
どうにかして、このバカ主従……。
「使い魔と魔女は一心同体、この作戦についてもっと詳しく聞かせて欲しいねセシリア。あっ、作戦名は凄いいいと思うよ、使い魔には考え付かないような叡智の塊だね。流石は人類と言うべきかな」
使い魔ってみんなバカなのかしら……。もしかして、おかしいのは私だけ……?
「そうね、ビスビリオちゃんの言うことも最もね。それじゃあ最初から、事細かに説明するからよーく聞いてね」
●
「兄上、今朝早くに使者をマハルバへと送りました」
「そう、報告ご苦労様」
「兄上?」
ギネヴィアは自身の兄の態度に疑問を持った。
普段であるならば、「ちょっと早すぎない!?」とか「えっ、使者ってもう婚礼の儀の!? まだ心の準備がー!」とか慌てふためくであろうものなのに、やけに落ち着きを払っている。こちらには目配せもせず、優雅に資料を読みながら珈琲を嗜んでいる。
落ち着きのある兄の方が妹としては誇らしいが、これでは面白味に欠けるというものだ。
「どうせ、あっちも乗り気の結婚じゃないんだ。どうせいろいろ理由をつけて返事を遅らせているんだろう?
もうひと月ぐらいゆっくりできるってことだろう?」
「いえ、返事はすぐに返ってきました。準備が整い次第すぐに行いましょうと、やる気満々でしたよ」
「…………」
「兄上?」
「優秀な妹を持って僕は幸せだよ……」
「そんな、照れてしまいますわ」
頬を赤らめる妹をよそにナブッコスは、窓から冬が近づき常に鈍色の雲に包まれたアツォアの空を眺める。
「あぁ……、この街の空も僕の心と同じように暗く淀んでいるね……」
「それでしたら、外に参りましょう! こんな部屋に閉じこもっていては、健康な身体も不健康になってしまわれます。さぁ、山から吹き降ろす寒風がきっと兄上の心の暗雲も払ってくれますわ!」
ナブッコスの独り言を耳聡く捉えたギネヴィアは意気揚々と兄の腕を掴む。
「勘弁してくれえぇぇ……」
●
夕日が完全に稜線の陰に隠れ、辺り一帯が闇に包まれた。村の者たちが手分けして篝火に火を灯し始める。
今日は霧も濃い。その霧の中を、月明かりと篝火の光がマハルバの村を浮かび上がらせる。まるでこの村そのものが蜃気楼であるかのように、一夜限りの幻と錯覚させるほどに幻想的な景色だった。
「姫様、落ち着いてください」
傍に侍るミオが小さな声で呼びかける。
「落ち着けって方が無茶な話ですよ……」
「大丈夫だ。姫様には危害を及ばぬよう、このドズラフェルが身命を賭けてお守りいたしますぞ」
「本当によろしく頼みます……」
今いる場所は花嫁が待機するための天幕の中。男子禁制であるため、ドズラフェルは天幕の外で待機している。
普段の衣装とは違い、花嫁用の衣装に身を包みその時を待っている。現在、外ではマハルバの踊り手たちが列席した「鋼鉄の国」の関係者に披露しているところだ。予定では、この後花婿である「鋼鉄の国」の皇子――ナブッコス皇子が司祭による神への祈り・宣誓を行うため私を迎えに来る手はずになっている。
そしてこの婚礼の儀式の裏に隠されたもう一つの計画。ナブッコス皇子の誘拐だ。皇子の身柄を確保し、「鋼鉄の国」本国への交渉材料とする。幸か不幸か、この場にはもう一人、「鋼鉄の国」王位継承者のひとり――ギネヴィア皇女も列席している。この二人を人質とすれば、流石に「鋼鉄の国」も譲歩せねばならぬ状況に陥るだろう。
そして、これはあくまでも「魔法の国」の単独での犯行としなければならず、自分も人質として一時的に捕まる形を取るだろう。
この賭けの勝算はどれくらいあるのだろうか……。マハルバの関係者の助力は期待しないでおいた方がいい。とすれば、実働要因は二人。勿論、「鋼鉄の国」側も不測の事態に備えそれなりの準備をしているだろう。
身柄を確保する段階で手間取ってしまえば、数に劣る「魔法の国」側は一気に劣勢に陥るだろう……。迅速かつ正確性が求められる、難易度の高い任務になる……。
「本当にお願いよ……、セシリア……」
●
「さてさて、メディアちゃんは今頃どんな気分かしらね」
「お前も人が悪いな。あのような大役を新人にいきなり任せるとは」
マハルバの衣装に身を包み、マハルバの村の外の森の中に潜伏している。
「大丈夫よ、マハルバの民も協力してくれるし、状況としてはこちらが有利よ。
それに――」
「それに?」
「いざとなったら私たちがなんとかするわ、でしょ?」
「ふっ……」
相棒の自信に満ち溢れた笑顔に思わず笑みが零れる。
「そうだな、お前はそういう奴だな」
「頼りにしているわよ、相棒」
「ヘマだけはするなよ、相棒」
互いに顔を見合わせ笑い合う。きっと今回の作戦も成功するに違いない。相棒の力があれば必ず、そう確信できるほど二人は長い間ともに過ごしてきた。
一つだけ懸念があるとすれば、すべてが上手くいき過ぎているということ。
人と言うものは上手くいっている時に、自分の思考を疑うことはしない、いやできないと言っていい。「流れ」という理論では説明できないものを大事にする傾向がある。それは仕事であっても、ギャンブルであっても、スポーツであっても、人間の生活の様々なところに隠れ潜んでいる。
余計なことをして良い「流れ」を切りたくないというのは人間の持つ心理としては当然なことだ。悪い「流れ」になった時にどう対処するか、ということが一流と二流の間にある大きな壁だ。
悪い「流れ」の時を、いかに損失を少なくやり過ごすか。上に立つ者としてはそれを常に念頭に置いておかねばならない。
「さて、この「流れ」のまま終わりまで行ってくれればいいのだけれどね」
「またお前の“勘”が囁くのか?」
「えぇ、少しだけね。でも100%勝てるギャンブルなんてないんだから、ある程度はリスクを背負わないとね。いかに100%近づけるというのは努力でどうこうできるけれども、勝負が始まってからは、結局のところ神さまに委ねるしかないのよ」
「そうか、それならばマハルバの民を味方につけている我々に分があるということだな」
「そうなればいいんだけどね」
そろそろ時間だ。まず最初に動くのは私たちの予定だ。
私たちの上げる狼煙を合図に反抗が始まる。
「準備はいい?」
「応とも。今日はすこぶる調子がいい。特大の花火を打ち上げてやろうぞ」
「ふふ、頼もしい台詞ね」
精神集中をし、使い魔との魔力の線を意識する。
「さぁ、この火照った身体を冷ますプレゼントよ、皆々様♪」
●
「へぇ……」
ナブッコスは嬉しい誤算をその身に感じていた。
よもや、退屈で憂鬱極まりないこの儀式でこんな良い物を見れるとは思ってもみなかった。
マハルバの民が繰り広げる伝統的な踊り。文化人であるナブッコスだからこそ、その脈々と受け継いできた伝統的な踊りには感嘆の意を示さずにはいられなかった。
沈んだ気分も一時だけは忘れて、心の高ぶりを感じずにはいられない。
「見てごらん、ギネヴィア。数百年も他族と交わることを良しとしなかった者たちが到達した極みと言えるね。そう思わないかい?」
近くに侍る妹に声をかける。自分に比べてギネヴィアの反応は薄いとは思うが、これを機に少しはこういうものに興味を持ってもらえたらなと思い声をかける。
「はぁ……。確かに美しゅうとは思いますが……、私にはそれ以上の感想は……。
それよりも兄上、儀式が始まる前に述べたことはお忘れなきよう」
「はいはいわかっているよ」
やれやれ、こんな時でも諫言は欠かさず、か。本当に忠臣な妹だよ……。
まぁ、それも仕方ないと言えるか。祝いの席ということで武器などの持ち込みも最小限。多くの兵士たちはマハルバの村への進入は許可されていない。
護衛する側の視点で見れば、僕はまさに敵陣にいるキング。チェックメイトされていると言っても過言ではない。
この先、父上の操り人形として一生を過ごす僕に生きている価値はあるのだろうか?
鬱屈した日々を送るのであれば……、ここで死んでも別に思い残すことは……。
「っと」
いけないいけない。折角の祝宴の場で僕は無粋なことを考えていたな。今は精一杯楽しもうではないか。なるようになる、そうやって僕は生きてきたんじゃないか。
だがそんな楽しい時間も終わりが近づいていた。前座であるマハルバの民による踊りが終わり、花嫁との宣誓の儀式へと移る時間になる。
宣誓の儀式では、花婿が花嫁の待機する天幕へと迎えに行き、花嫁の手を取りながら司祭の前へと赴く。
「それでは、お時間です。シュターリア皇国ナブッコス殿下、我々の姫君の下へいざ参られよ」
進行役から次の段取りへの移行が宣言される。
ゆっくりと立ち上がり、村のはずれに作られた花嫁の待つ天幕へと向かう。後ろにはギネヴィアがべったりとくっつき、ナブッコスの身辺を護衛する。
花嫁の待つ天幕へと近づくにつれ、皆の緊張が高まっているのがわかる。双方の合意有とはいえ、武力を盾にマハルバの時期後継者を迎え入れる。マハルバの民の中にも納得をしていない者も多いと聞く。
やれやれ……、こんなに衆目を集めるのは性に合わないんだけどね……。
「兄上、背筋を伸ばして堂々としてください。兄上は皇国の代表者なのですから」
「はいはい、わかってるよ」
いついかなる時も諫言を欠かさない。妹というよりも、もうただの口うるさい教育係のように思えてきた。
花嫁の待つ天幕の外に人影が見える。
「もしかして彼が」
「えぇ、マハルバの民が誇る、”絶対なる契約の守護者”ドズラフェル・マクマホンです」
長身で筋骨隆々、もやしである僕とは住む世界がまったく別の人間だ。厳しい武芸の訓練のせいか身体には幾多の傷が見受けられる。
噂には聞いていたが、いざ目の前に立たれるとその威圧感に思わずたじろんでしまう。
一礼をし、ドズラフェルに対して敬意を払う。
「花嫁を貰い受けに参りました」
口を真一文字に結び、仁王立ちをするドズラフェルに少なからず恐怖を抱いていた。この人が本気を出せば、僕なんて素手でも殺されてしまうだろうな、と。
だが、ドズラフェルは危害を加えるつもりはなく、ゆっくりと僕に道を譲った。
「異郷の地までご足労、感謝いたしまする。どうか姫様をよろしくお頼み申す」
「はは……」
渇いた笑いしか出てこなかった。任せてくださいとは言えなかった。
父上に用済みと判断されれば、きっと父上は僕ごとマハルバの姫を殺すことも辞さないだろう。結局のところ、僕たち弱者は強者である父上の手の上で児戯を繰り広げているに過ぎない。
「魔法の国」の奴らとの戦争がひと段落するまでの命は保障されるだろうが、そこから先は僕にも予想がつかない。
そんなことを考えていると、いつの間にか僕の足は棒のように動きを止めていた。
「兄上?」
後ろを行く妹に声をかけられ、現実へと連れ戻される。
「いや、なんでもないよ。それじゃあ……」
いざ、花嫁の待つ天幕へと踏み出そうとした時、鼻先を冷たい雫が撫でる。
雨だ。
撫でるような雫は最初だけ。数秒も経たないうちに、豪雨へと姿を変えた雨は容赦なく僕たちの身体を襲う。
「これはいかん! ひとまず花嫁の待つ天幕の中へとお逃げくだされ! 花婿殿であるならば、入っても構わんだろう。だが、その他の者は外でお待ちいただくか、別の天幕へと一時避難くだされ!」
「そ、そうさせてもらうよ」
「式は一時中断ぞ! 者ども、装飾品を手短な天幕の中へと運び入れよ!」
広場の方では急な豪雨に皆がてんてこ舞いしながら、濡れてはいけない物の収容にあたっている。ここはお言葉に甘えさせてもらおう……。ここで断っては、こちらが花嫁と婚姻する意思がないのではと疑われてしまう。
……いや、疑われてというか、こんなものはただの政略結婚だと相手もわかりきっている。ここで断れない自分の押しの弱さの言い訳にしか過ぎない。
「し、失礼します」
花嫁との初めての対面がこんな慌ただしい物になってしまうとは……。
狭い入口を抜けると、天幕の中は存外明るかった。天幕の四方に灯りが灯されているからだ。そして鼻をつく香料の香りが天幕の中を充満している。
天幕の中には二人の女性が控えていた。衣装から察するに、一人は我が花嫁、そしてもう一人は侍女と言ったところか。花嫁の方は、ヴェールを身に着けているため顔はわからないが、外見から察するにまだ年若そうに見える。
「あ、あの……、いい所ですねここは……」
とりあえず、天幕の中にいる我が花嫁に挨拶をしなくてはと思い、ひねり出した言葉がこれだった。我ながら、もっと気の利いた言葉はなかったのかと責めたくなる。
「失礼」
そういえばこいつのことを忘れていた。男子禁制であるここにもこいつなら入れるのか。
「突然の御無礼を詫びさせていただきます。突然の雷雨、致し方なしとはいえ事後承諾になってしまい本当に申し訳ありません」
ギネヴィアは騎士らしく、騎士流の礼を取って頭を深く下げる。
「い、言え、お気になさらずに……」
初めて言葉を発した花嫁は自身の隣に、僕のためのスペースを開ける。
「さ、どうぞこちらへ。ナブッコス皇子……、で間違いありませんか?」
「え、あぁ! そうだとも、僕がナブッコス、ナブッコス・ユーリ・シュターリアだ」
「そうですか……、我が花婿殿。ファラ・マハルバでございます」
折角開けてくれた場所に座らないというのも無礼なので、大人しく花嫁の隣に座る。
どうせこの雨なら通り雨だろう。雨が止み次第、予定通りの儀式に移る。それまでの我慢だ我慢。
はっきり言って僕にこの場で何か話題を作れるほどのコミュニケーション能力はないと言っていい。希望を言わせてもらえば、天幕の端っこに座ってそっとやり過ごしたいが、それはできない相談だろう。
「それじゃあ失礼するよ」
やった! 噛まずに花嫁の隣に座れたぞ!
「ナブッコス皇子」
花嫁の隣に座った瞬間だった。僕の手に花嫁の手が重なってきた。急なことで耳まで瞬時に赤くなっているのがわかる。
「あ、あ、ファラ殿……!?」
「突然の御無礼失礼いたします」
「い、いや、失礼じゃないけど、いや失礼なのかな!? よくわかんないけど、なんだい!?」
「私が良いと言うまで動かないでくださいね……」
●
突然の豪雨に人々が色々な方向へと入り乱れる中、真っ直ぐに花嫁の待機する天幕へと近づく姿があった。セシリア・トリスケイルだ。
「魔法の国」の衣装ではなく、「マハルバの民」の民族衣装に身を包んでいるため、誰もセシリアのことなどは気に留めなかった。
「こんばんは、ドズラフェルさん。いい天気ね」
豪雨の中にその身をさらし続けているドズラフェルに一礼をする。
「ふむ、「魔法の国」ではこれをいい天気というのか、覚えておこう」
セシリアはにやりと笑う。
「私にとって、いい天気というだけよ。古来、雨というものは人の判断を惑わす。寡兵が大軍を相手に戦うには「雨」という事象を味方につけるしかないのよ」
「それを人の身で起こせるということは、まさにお前は「魔法の国」にとって軍神と崇めたてられてもおかしくはないな」
「軍神、とまではいかないけど、それなりに重宝されているわ。おかげでいろいろな無茶も聞いてくれるしね」
「さて、ここから先は我々は協力できん。ただでさえ今宵の舞台は我々の場、勘ぐられこそすれ擁護されることはないだろう」
「大丈夫、と断言はできないけど、なるべくあなたたちは無関係だ弁護しておくわ。それでは、これより先は事前の打ち合わせ通りに」
ドズラフェルとの会話を打ち切り、天幕の中へと入る。ドズラフェルが外で待機しているということは、天幕の中は予定通りいったという証だ。
「お邪魔しまーす」
さてさて、中はどんな感じになっているかしらね。
真っ先に目が合ったのはこの天幕の中の唯一の男性。「鋼鉄の国」の第七皇子――ナブッコス皇子だった。まるでこれから屠殺される家畜のように、助けを求めるようにこちらを見ていた。だが、私が助け舟ではないと判断すると、すぐに瞳の光は失われた。
次に目についたのは天幕の端で今にも飛びかかりそうな体勢で構える姫騎士の姿だ。その双眸は、ナブッコスのものとは違いぎらぎらと輝き、己の中に潜む敵意…殺意を隠しきれていなかった。
「首尾は上々のようね、えーと、姫様?」
「メディアです!」
と、今までヴェールで顔を隠していた花嫁、メディアがヴェールを取り外す。今にも泣きそうな顔でこちらを見ている。
うーん、なんかこの子って初めて会った時からなんかこういじめたくなるのよね。
「うん、メディアちゃん。よくできました、はなまるあげちゃいます」
「貴様らッ、「魔法の国」の者たちか!?」
一番離れたところに座る姫騎士が牙を向く。
「まるで躾がなってない狂犬ね。……誰が口を開いていいと言ったかしら?」
「はっ、躾がなっていないのはどっちだ、この魔女共が! このようなだまし討ち、末代までの恥と知れ!」
「末代までの恥、ね。きっと後々に語り継がれるのは、皇族二名を生け捕りにしたという武功の方だと思うけど? まあ、この戦争に勝てたらの話だけど」
さて、手っ取り早く事を進めないと村の外で待機する「鋼鉄の国」の兵士たちが駆けつけて厄介なことになる。そうなれば、ドズラフェルさんたち村の者にも迷惑がかかる。
マハルバなんて古臭い一族、この場で滅んでしまえばいいとは思うが、まあ今回の作戦の恩もある。生かしておいても問題はないし、「鋼鉄の国」の一部に対する防波堤としての役割もある。
「さて、お初お目にかかります、ナブッコス皇子。私は「魔法の国」、ベルファニア王国の魔女そちらの狂犬はギネヴィア皇女で相違ありませんか?」
「あ…あぁ……、僕がナブッコスだ……。一体、君たちは僕をどうしようってんだい……?」
へぇ、こっちの皇子は自分の立場ってものがよく分かっているようね。そこの狂犬に比べて話やすそうであるし、誘導しやすそうね。
「ひとまず安心してください、ナブッコス皇子。あなた方が私たちに大人しく従うというのであれば、命は保障いたします。命だけでなく、危害を加えないということも保障します。わかったら、首を縦に3回振りなさい」
「わかった、わかった、僕にできることならなんでもする!」
首を一生懸命に振りながら応える。
うーん、この皇子も物凄くいじめたくなるわね……。メディアちゃんとは別の意味で。
「姫騎士様もわかったかしら? あなたの力ならお兄様を見捨てれば、この場をどうにかできると思うけど如何かしら?」
「私は兄上の騎士だ……。この場は大人しく従おう。だが――、もしも兄上に危害を加えることがあれば、その首、無事では済まぬと知れ」
「良きかな、良きかな、大人しくしていれば可愛いのに勿体ないわね」
「ふん、女狐め……ッ」
「さて、まず初めに言っておくことがあるわ。この件に関して、マハルバの民は何も絡んでいないわ。独自の情報網から、今晩に婚礼の儀式が行われるということを知り、妨害してやろうと思ったのよ」
信じないとは思うけど、一応ドズラフェルさんの顔は立てないとね。
「そんな話、信じられると思うか?」
「信じる信じないはあなたの自由よ。私たち「魔法の国」と対峙しながら、マハルバの民という蜂の巣をつついたとあれば、どうなるかはあなたにもわかっているでしょう?
あなたたちの本国でもそうであるように、マハルバの民の求心力は未だに根強い物がある。マハルバの民が危機とあらば、各地に散らばる十三支族たちが蜂起する可能性もあるわ」
「そうかもしれないな」
あれれ、とセシリアは少し予想と外れた。
予見可能性の高い未来を言えば、相手も大人しく引き下がると思ったが、ギネヴィアの顔を見る限りそうではない。
「裏を返せば反乱分子をすべて一掃できるということでもあろう? 確かに戦争は長引くかもしれないが、戦争後の繁栄も長引くということだ」
「そんなことができると思って?」
「怖れているのか、魔女?」
パチンという肉が肉を打つ音が天幕の中に響き渡る。姫騎士の不遜な態度につい手が出てしまった。
「……質問に質問で返さないように習わなかったかしら?」
気に食わない。この姫騎士は相容れない存在であると肌で感じる。
敵同士で出会って本当によかったと思う。きっと彼女と仲間であったら、後ろから襲い掛かることはしないまでも、戦闘中に見捨てることぐらいはしてしまうだろう。
「悪いが幼き頃より剣しか握ってなかったのでな、不作法があったのなら失礼する。だが、抵抗できない捕虜に対して拳を振るう貴様の方も育ちが知れるな」
「また殴られたいの? もしかしてあなたってマゾヒストか何かかしら?」
「無論、殴られたいわけではない。だが、それ以上に貴様の悔しがる顔が最高に面白くてな。どうした? 気の済むまで殴るがいい。それで本当に貴様の気が晴れるのならばならな」
「はぁ……、メディアちゃん、悪いけどこの五月蝿い狂犬の口を塞いどいてくれるかしら?」
「は、はいっ……」
一息をついて落ち着いた頭で考える。
先ほどのギネヴィアの発言、何か根幹には自信があるように見受けられた。ただの虚勢ならば問題はないが、「鋼鉄の国」に新たな新兵器でもあるとするならばこれは厄介だ。
戦線を拡大させても維持できるほどの軍事力を「鋼鉄の国」は隠しているのか……?
はぁ……、どうあってもこの作戦を成功させなくてはならなくなったわね……。
「さて、ナブッコス皇子、御見苦しいところを見せてしまいましたが、ゆっくりしてはいられないので移動を開始させていただきますわ。少しばかり山道の中の移動を強いてしまいますが、御容赦ください」
「あ、あぁ……。好きにしてくれ……」
●
私たち一行は誰にも見つからないように天幕を抜け出し、そのまま村の周りの森に身を隠すように移動する。
恐らく、すぐに私たちがいないことに気付いて追っ手を差し向けて来るだろうから悠長にはしていられない。
姫様役の私の侍女役をやっていたミオが、マハルバの民に対する人質兼案内役を担っている。道に明るいミオがいるのは非常に心強いが、先ほどまでの雨でぬかるんだ山道を歩くのは至難の業だった。
後ろ手を縛られた「鋼鉄の国」の捕虜2人の歩みは遅く、ナブッコス皇子に関してだけ言えば木の根やぬかるんだ泥に足を取られ、何度も転んでいた。その点、ギネヴィアは実戦経験があるだけに、優れたバランス感覚を発揮し悪道であっても優雅に歩を進めていた。
「はぁ……はぁ……」
既にナブッコスの身体全身は泥まみれで、皇族としての威厳は皆無だった。それでも、命がかかっているからか、すぐに立ち上がり文句も言わずに歩き続けた。
だが体力というものにはどうしても限界があり、16回目の転倒の後、ついにナブッコスは立ち上がることすらできなかった。
「仕方ないわね、ひとまずここで休憩するわ。メディアちゃん、皇子を起こして休ませてあげて」
「はい……。大丈夫ですか、皇子」
「あぁ、すまない、苦労をかけるね……」
皇子の細い肩を抱え、何とか立たせてやり木の幹を背に休ませる。
既にナブッコスの呼吸は大きく乱れ、ちょっとの休憩では回復しないように見える。
一方、ギネヴィアはというと汗一つかかずにふてくされた態度を取っている。隙を見せれば、すぐにでも襲ってやろうという気概が溢れている。
「思ったより移動が遅いわね……。これじゃあ合流地点に到達するまでに日が昇ってしまうわ」
私たち魔女も一応は基礎的な訓練を受けているため、ナブッコスのような事態には陥らないが、普段の長距離の移動は滑翔器を用いているためかなり疲弊している。
「滑翔器は使えないんですか?」
「一人抱えた状態での飛行なんて無理よ。すぐにオーバーロードして焼き付いてしまうわ。緊急時の為に、滑翔器の使用は最後まで温存するべきね。
まあ、いい感じに霧も出てきたし、ぬかるんだ山道は追っ手の進行を同じように妨げてくれるわ。それに土地勘もない山道ではどうしても歩みは遅くなるものよ」
「ならいいんですが……」
セシリアは休むナブッコスの傍に行く。自分の荷物から杯を取り出し、ナブッコスに差し渡す。
「はい、水分補給」
と言って、空の杯を渡す。
空の杯を渡され、ナブッコスは怪訝そうな顔を浮かべる。だが次の瞬間、何も入っていなかった杯には並々と水が満たされていた。
「はは……、便利なものだね。何もないところから水を出すなんて、まるで手品師だよ」
「”何もない”のではありませんわ。それは私たちが認識できていないだけ。目に見えないだけで、私たちの周りにはいろいろなものが取り巻いていますわ」
「空気中の水分ってことかい?」
「聡明でいらっしゃられますわね」
「魔法というものは便利なものだね。君たちの力と、僕たちの力を合わせることができれば、きっとこの大陸で敵う者はいないだろうね」
「不幸にも私たちは敵同士、それは叶わぬ願いですわね」
「そうだったね……」
「ナブッコス皇子、不躾な質問をしてもよろしいでしょうか?」
「あぁ……、構わないさ。答えられる質問なら答えるよ」
「そうですか、感謝いたします」
セシリアは確認してから問う。
「あなたは王位を簒奪する意思はございませんか?」
セシリアの質問にその場にいた誰もが緊張した。
いきなり何を言いだすのか、一番驚いていたのは「鋼鉄の国」側であるギネヴィアだった。この戦争の当事者ではない、マハルバの民のミオでさえ、今の質問の真意を測りかねてる様子だった。
「な、何を言いだすかと思ったら……。僕にそんな意志はないよ。それに皇帝になるだなんて明言したら、僕は反逆罪で死罪さ」
「あら、折角皇帝を狙える立場にいるというのに、勿体ないことですね。別に明言しても、妹君なら聞かせても大丈夫なのではないですか? ね」
視線を向けられたギネヴィアはばつが悪そうに俯く。
「捕虜となっている緊張下で、虚言を放つのも致し方ないものと思われます……」
と、詭弁を並び立てる。彼女とて、肉親が処刑されるのは見たくもないのだろう。
「いやいや……、僕が父上に叛逆するなんて……」
「無理、だとおっしゃるのですか?」
「…………」
ナブッコスは押し黙ってしまう。図星を突かれた人間は、咄嗟に次の言葉を繋ぐのは難しい。
「あなたならこの無益な戦乱を終わらせることができるかもしれないと思ったのですが、本人にその意思がないのであれば仕方ないですわね」
「無益だと……? そもそもの発端は貴様らが王宮に隠す秘宝が戦乱の原因であろう!」
軍人であるギネヴィアにとって、無益と言われては今まで死んでいった者たちの行為が無駄であったと言われていることと同義だった。だからこそ黙ったままでいることはできずにセシリアに反駁する。
「そんなもの有りはしないと回答したではありませんか? そもそもこの世のすべてを終わらせることができる秘宝など存在すると思っているのですか? そんなものがあるのならば、既に私たちが使っていてもおかしくはないでしょう?」
そう、そもそもの発端はこの「鋼鉄の国」からの言いがかりだった。
彼らは王都ウェンティモイに「強大な力を持つ何か」――秘宝があると因縁をつけてきた。それを小国が管理するのは危険であるから、我々に引き渡せと要求してきた。
だが、こちらはそんなものがあるなんて初耳だった。だからこれはただ単に口実が欲しいだけで、狙いは私たちが持つニンネパ半島南部の肥沃な土地であるとすぐにわかった。
「ならば何故我々の捜索隊派遣を断った? 何か見られたくもない物が隠されていたからではないのか?」
「主権を侵害されると考えたのでしょうね。ここで譲歩してしまってはそれ以後も何かと理由をつけて私たちの統治を阻害される恐れがあると、普通の国家ならば真っ当な判断だと思いますが」
「ふん……、今までの言葉を覚えておけ。すべては私たちが王都を制圧した時にはっきりする。だが、その時に貴様はもうこの世にいないかもしれんがな!」
「はぁ……、あなたと話すのは疲れるわ。負け犬の遠吠えを聞くだけってのも楽じゃないわね」
「今は勝者を気取ってるがいいさ。最後に立っていた者、それが勝者だ」
「そうね、あなたが早々に御退場いただくのを願ってるわ」
ビスビリオの声が耳元でする。いつもと違う寝床だが、相変わらず目覚まし役は自分の使い魔だった。
「なに、ビスビリオ……?」
「セシリアとダイダルの姿がないんだ」
「えっ!」
寝床から跳ね起き、周りの様子を確認する。確かに天幕の中には自分たちペアしかいない。
自分の身体にはセシリアが使っていた毛布がかぶされていた。きっと1枚でも少しだけ肌寒かったため、セシリアがかけていったのだろう。
「僕が起きた時にはもう二人の姿はなかったよ。熟睡したつもりはなかったんだけど、恐らく僕の心音とか脳波をあの小竜の力で感じ取り、一瞬本眠に入った瞬間を狙って出ていったんだろうね」
「置いてかれたのかしら?」
「意外と落ち着いているんだね。寝起きだからまだ頭が働いてないのかな?」
「置いてかれるのには慣れてるからよ。それに私なんかが心配しても、セシリアは無事でしょうから」
さて、眠いけど頭の中でこれからのことを考えよう。
セシリアが私を置いて早々に帰ったとは考えづらい。とすれば、ドズラフェルともしくは村の上層部と今後について秘密裏に話し合ってると考えるのが一番可能性が高いだろう。
セシリアが帰って来るまで余計なことはしない方がいいだろうな。万が一の場合を考えて、半刻待って何も起こらなかったら外に出てセシリアを探すか、ひとまず逃げるかの判断をしよう。
「こんな感じでどうかしら」
「うん、僕から言うことはないよ」
半刻は何も起きないだろうとは思っていたが、予想よりも早く動きがあった。
「失礼します」
天幕の外から声がする。その声は昨夜聞いた、マハルバの少女の物だった。
「ミオ…ちゃん……?」
「おはようございます、メディア・リターナー様」
●
「そろそろお目覚めになると思いまして、朝食とお水をお持ちしました」
警戒……、する必要はあるけど、どうしようかしら……?
「とりあえず、入ってもらって構わないわ」
「それでは、失礼いたします」
ミオが仲間を連れてきている可能性も考えて、一応ビスビリオとの連結をすぐにできるようにしておく。
だが、闇討ちをするのなら声をかける必要なく、天幕ごと火にでもかけてやればいいのだが。万が一だ。
「昨夜はぐっすり眠られたでしょうか?」
朝食の用意をしながら、ミオは声をかけてくる。相変わらず不愛想だが、昨夜よりは幾分柔らかい気がするのは私の気のせいだろうか。
「ええ、隊長…セシリアが天幕を出ていくことに気付かないくらいぐっすりだったわ」
自嘲気味に応える。
「セシリアはドズラフェルさんと会議かしら?」
「はい、御察しの通りです」
ミオはうなづく。
「早朝、義父が呼びに行きまして。今後のことで相談があるということでした。詳しい内容までは存じ上げてはおりませんが」
「そう……、ありがとうね、ミオさん」
「呼び捨てで構いませんよ」
「それじゃあ私もメディアでいいわ。歳もそんな変わらないように見えるから」
「メディア様はマハルバの御客人でありますから……、それでは譲歩いたしまして二人だけの時はメディア、と呼ばせていただきます」
固いなぁと心中で苦笑いする。
それでも一応は、呼び捨てにくれるあたり律儀なんだなぁと思う。
「ミオは朝食は食べた?」
「いえ、色々と準備がありましたのでまだですね」
「はい」
と、ミオが持ってきてくれたパンを一つ差し出す。
「私一人じゃ食べきれないから、ね」
「それでは一つだけ。この件は他の方には他言はしないようお願いします」
「どうして?」
「人前で食事を取ることを禁じられているので」
「……それは村の決まり?」
「はい、そのように仰せつかっております」
「それは、あなただけ? それとも村の子供はみなそのように言いつけられているの?」
「わかりません。他の村の子供との接触も禁じられているので」
ああ……、そういうことか。
彼女はマハルバの民に拾われたとはいえ、マハルバの民に受け入れられたわけではないということか。誰がミオに制限をかけているのかはわからない。
選民の民の矜持に凝り固まったマハルバの石頭どもか、それともミオを守るためにドズラフェルが打った苦肉の策なのか。私には判断がつかないが、何にせよここにも「滅ぼさなければいけない」奴らがいるってことか。
「ありがとうね、ミオ。ここなら他の村の人の目も少ないから……、少しは気楽にしてもいいのよ」
「気楽に、という意味がわかりませんが。メディア、あなたと話していると居心地がいいです」
「今はその言葉だけで十分よ、ありがとう」
「感謝されることはしていませんが、どういたしましてと言っておきましょう」
●
ミオは私があげたパンを食べたらすぐに出ていってしまった。もう少し話をしたいと思っていたが、仕事があるからと言ってここに居座ることを良しとしなかった。
彼女の仕事が遅れることで、村の者から叱咤されては申し訳ないと思い、それ以上は引き留めはしなかった。
「セシリアたち、遅いね」
「そうね、そろそろ起きてから一時間ってところかしら」
「うん、56分経ったところだよ」
「時間まで知らせてくれるなんて、本当に優秀な使い魔ね。しゃべる時計としてそれなりに売れるんじゃない?」
「僕に毒づいてどうするんだい。何に対して憤ってるんだい?」
契約を交わしていると、使い魔に感情が流れてしまうのがたまにキズだ。
「繋がっていなくても、君は態度に現れやすいしすぐにわかるよ」
「私の心を読まないでよね」
「君が最善の行動を取るよう誘導するには必要なことなんだよ」
誘導か、まるで私はビスビリオにとっての駒ね。私がそのように動くよう誘導することを生きがいにしている節もある。抗ってやりたくもなるけど、きっと抗うこともこいつは予測している。そしていつの間にかビスビリオの思うように動かされている。
どうせビスビリオの思った通りに動くのならば、素直に動いてやればビスビリオの言う「最善」とやらになる。
「じゃあ聞かせて貰おうかしら、これから取るべき最善の選択を」
「随分と素直じゃないか。何か心境の変化でも?」
「別に、朝だから考えるのが面倒なのよ」
「そういう事にしておくよ」
「助かるわ」
それじゃあ、というようにビスビリオはいつもより饒舌に今後の事を話し始めた。
「まあ何をするにしても、セシリアとドズラフェルの密会の内容次第だけど、十中八九「魔法の国」と「マハルバの民」は一時的な同盟を結ぶだろうね」
「根拠は?」
「ドズラフェル…だっけ、あの髭の人がなんとか折衷案を考えるだろうね。あの人、村で結構偉い人なんでしょ? そんな人の意見を無下にはできない。だけど体面もあるから大手を振って協力はできない。
そうだね、僕の予想ではマハルバの御姫様との婚礼を妨害するまでの期限付きの協力体制だろうね」
その時、天幕の外から凛とした声が響く。
「あらあら、メディアちゃんの使い魔は随分と賢いようね」
「隊長……!」
「朝から作戦会議? 殊勝なことね」
「隊長、会議はどうなりました!?」
「今後もマハルバの民は中立を貫く、だから魔女とは馴れ合うことはできないそうよ」
だけど、と一息間を置いてセシリアは言う。
「誠に遺憾ではあるが、中立地帯に魔女の連中が踏み入れてしまうのは仕方のないこと。そして、その連中がマハルバの民の支配地域で「鋼鉄の国」といざこざを起こしても我々は関与しない、だそうよ」
「やれやれ、保身に走った詭弁だね。それが通用する相手ならいいんだけどね」
「ええ、だけどこれは私たちにとっては重要なことよ。これでこの地域に部隊を派遣することができるようになった、後は大方その子の言った通りよ」
「結婚式を妨害するんだね。人の恋路を邪魔する奴はなんとやらだね」
「望まれない恋を邪魔するのは、乙女なら当然のことよ」
セシリアはまた何か企んでいるように、ウインクをする。
「続きは私の口からしよう」
またも天幕の外から声が聞こえる。ドズラフェルの声だ。
大きな体には狭い入口を何とかくぐり中へと入る。目にはくまが色濃く浮き上がり、一目見ただけで疲れているのだとわかる。恐らく、私たちと別れた昨夜、その足のまま村の連中の説得に当たったのだろう。無論、スムーズに行くわけもなく、様々な説得を施して先ほどの譲歩まで導いたのだろう……。最初に会った時よりも一回り歳を取ったように見える。
「さて、まずはセシリア、色々と村の者が酷いことを言ってしまったな……。非礼を詫びよう」
「気にしなくてもいいわ。彼らにとって私たちへの悪口は息を吐くような物。人の呼吸に一々苛立つわけないでしょう?」
「ふうむ……、本当にすまん……」
あ、隊長少し怒ってるな……。
「それで、ドズラフェルさんはどうしてここへ? 予定ではこのまま私たちは本国へ帰る手はずになっていたはずだけど」
「うむ、少し事態が変わってな……。先ほど早馬が届いた、アツゥアに第7皇子ナブッコスが入国した。そして、数日のうちに我々の村へと赴き婚礼の儀式をするとな……」
「もうアツゥアに……? あっちも手を打って来るのが早いわね……。これじゃあ本国へ帰ってる暇もないわ」
「すまんが、本国へ帰るのは取りやめては貰えないだろうか?」
「それは問題ないわ。本国へは伝書ゴーレムを使って即日伝えるけど、援軍はあまり期待できないわ」
「仕方あるまい……。婚礼の儀式の件は予定通り行うつもりだが、問題はないか?」
「ええ、それも問題はないわ。ね、メディアちゃん?」
「えっ」
急に話を振られて驚いてしまう。セシリアとドズラフェルの言う、「婚礼の儀式の件」については何も聞かされていない。
「おお、そうかそうか、それは頼もしい!! ではよろしく頼む、セシリアにメディア! 私は事後処理があるのでここで失礼する!」
先ほどまでの疲れなどどこ吹く風。急に元気になったドズラフェルは笑いながら天幕の外へと出ていく。
「朝っぱらから元気だね、あの人。まだまだ現役でいけるんじゃない?」
「きっと寝不足から気分が高揚しているのよ。でも、ドズラフェルさんにはまだまだ頑張ってもらわないとね。「魔法の国」にとっても、「マハルバの民」にとってもね」
セシリアはそっとほくそ笑んだ。
●
「それで、隊長……。「婚礼の儀式の件」って一体何のことですか?」
「……作戦名よ」
「絶対嘘ですよね! 今一瞬考えましたもん! 仮に作戦名だとしても、絶対私に何かさせる気ですよね!? ドズラフェルさん、凄い申し訳なさそうにこっち見てましたもん……!」
「あらあら、随分と今回は食らいついてくるわね。何かあったの?」
「いや、凄い嫌な予感がするので……」
「大丈夫大丈夫、上手くいったら何も問題ないから」
「上手くいかなかったら……?」
「…………」
「何か言ってくださいッ!」
「メディアちゃん、落ち着いて落ち着いて。よく聞いてね、この作戦が成功すれば「鋼鉄の国」にも痛手を与えられることになるし、マハルバの民からの信頼も得られるの」
「はぁ……」
「それじゃあ本当の作戦名を教えるわ……」
セシリアの雰囲気が変わる。
これが本来の彼女なのだろう、透き通るようなアクアマリンの瞳が私を貫く。静謐な清流の如く、淡々とした声で告げる。
「作戦名……、「花婿誘拐大作戦~どうしよう、僕の花嫁が魔法の国の少女だったなんて~」、よ」
「はい」
「あら、反応が薄いわね。ということで花嫁役、任せたわよメディアちゃん」
「隊長」
ビシッと手を真っ直ぐあげる。
「質問は許されますでしょうか?」
「ええ、問題ないわ」
「いろいろと言いたいことはありますが、まず一つ」
「作戦名が長い?」
「それは優先度三番目の質問です。一番言いたいことは一つ」
もう止まらない、言いたいこと全部吐き出してやる。
「なんで私が花嫁役なんですか!!」
「落ち着いて落ち着いて、落ち着いてメディアちゃん」
本日2回目の落ち着いてが入る。
「こうなるのは目に見えていただろう、セシリア……。今からでも遅くはない、作戦を変えたほうがいいのではないか?」
「あら、ダイダルちゃんも作戦名気に入らない?」
「いや、作戦名は素晴らしい、ユーモア溢れるいいセンスだ」
「あら、ありがとう」
どうにかして、このバカ主従……。
「使い魔と魔女は一心同体、この作戦についてもっと詳しく聞かせて欲しいねセシリア。あっ、作戦名は凄いいいと思うよ、使い魔には考え付かないような叡智の塊だね。流石は人類と言うべきかな」
使い魔ってみんなバカなのかしら……。もしかして、おかしいのは私だけ……?
「そうね、ビスビリオちゃんの言うことも最もね。それじゃあ最初から、事細かに説明するからよーく聞いてね」
●
「兄上、今朝早くに使者をマハルバへと送りました」
「そう、報告ご苦労様」
「兄上?」
ギネヴィアは自身の兄の態度に疑問を持った。
普段であるならば、「ちょっと早すぎない!?」とか「えっ、使者ってもう婚礼の儀の!? まだ心の準備がー!」とか慌てふためくであろうものなのに、やけに落ち着きを払っている。こちらには目配せもせず、優雅に資料を読みながら珈琲を嗜んでいる。
落ち着きのある兄の方が妹としては誇らしいが、これでは面白味に欠けるというものだ。
「どうせ、あっちも乗り気の結婚じゃないんだ。どうせいろいろ理由をつけて返事を遅らせているんだろう?
もうひと月ぐらいゆっくりできるってことだろう?」
「いえ、返事はすぐに返ってきました。準備が整い次第すぐに行いましょうと、やる気満々でしたよ」
「…………」
「兄上?」
「優秀な妹を持って僕は幸せだよ……」
「そんな、照れてしまいますわ」
頬を赤らめる妹をよそにナブッコスは、窓から冬が近づき常に鈍色の雲に包まれたアツォアの空を眺める。
「あぁ……、この街の空も僕の心と同じように暗く淀んでいるね……」
「それでしたら、外に参りましょう! こんな部屋に閉じこもっていては、健康な身体も不健康になってしまわれます。さぁ、山から吹き降ろす寒風がきっと兄上の心の暗雲も払ってくれますわ!」
ナブッコスの独り言を耳聡く捉えたギネヴィアは意気揚々と兄の腕を掴む。
「勘弁してくれえぇぇ……」
●
夕日が完全に稜線の陰に隠れ、辺り一帯が闇に包まれた。村の者たちが手分けして篝火に火を灯し始める。
今日は霧も濃い。その霧の中を、月明かりと篝火の光がマハルバの村を浮かび上がらせる。まるでこの村そのものが蜃気楼であるかのように、一夜限りの幻と錯覚させるほどに幻想的な景色だった。
「姫様、落ち着いてください」
傍に侍るミオが小さな声で呼びかける。
「落ち着けって方が無茶な話ですよ……」
「大丈夫だ。姫様には危害を及ばぬよう、このドズラフェルが身命を賭けてお守りいたしますぞ」
「本当によろしく頼みます……」
今いる場所は花嫁が待機するための天幕の中。男子禁制であるため、ドズラフェルは天幕の外で待機している。
普段の衣装とは違い、花嫁用の衣装に身を包みその時を待っている。現在、外ではマハルバの踊り手たちが列席した「鋼鉄の国」の関係者に披露しているところだ。予定では、この後花婿である「鋼鉄の国」の皇子――ナブッコス皇子が司祭による神への祈り・宣誓を行うため私を迎えに来る手はずになっている。
そしてこの婚礼の儀式の裏に隠されたもう一つの計画。ナブッコス皇子の誘拐だ。皇子の身柄を確保し、「鋼鉄の国」本国への交渉材料とする。幸か不幸か、この場にはもう一人、「鋼鉄の国」王位継承者のひとり――ギネヴィア皇女も列席している。この二人を人質とすれば、流石に「鋼鉄の国」も譲歩せねばならぬ状況に陥るだろう。
そして、これはあくまでも「魔法の国」の単独での犯行としなければならず、自分も人質として一時的に捕まる形を取るだろう。
この賭けの勝算はどれくらいあるのだろうか……。マハルバの関係者の助力は期待しないでおいた方がいい。とすれば、実働要因は二人。勿論、「鋼鉄の国」側も不測の事態に備えそれなりの準備をしているだろう。
身柄を確保する段階で手間取ってしまえば、数に劣る「魔法の国」側は一気に劣勢に陥るだろう……。迅速かつ正確性が求められる、難易度の高い任務になる……。
「本当にお願いよ……、セシリア……」
●
「さてさて、メディアちゃんは今頃どんな気分かしらね」
「お前も人が悪いな。あのような大役を新人にいきなり任せるとは」
マハルバの衣装に身を包み、マハルバの村の外の森の中に潜伏している。
「大丈夫よ、マハルバの民も協力してくれるし、状況としてはこちらが有利よ。
それに――」
「それに?」
「いざとなったら私たちがなんとかするわ、でしょ?」
「ふっ……」
相棒の自信に満ち溢れた笑顔に思わず笑みが零れる。
「そうだな、お前はそういう奴だな」
「頼りにしているわよ、相棒」
「ヘマだけはするなよ、相棒」
互いに顔を見合わせ笑い合う。きっと今回の作戦も成功するに違いない。相棒の力があれば必ず、そう確信できるほど二人は長い間ともに過ごしてきた。
一つだけ懸念があるとすれば、すべてが上手くいき過ぎているということ。
人と言うものは上手くいっている時に、自分の思考を疑うことはしない、いやできないと言っていい。「流れ」という理論では説明できないものを大事にする傾向がある。それは仕事であっても、ギャンブルであっても、スポーツであっても、人間の生活の様々なところに隠れ潜んでいる。
余計なことをして良い「流れ」を切りたくないというのは人間の持つ心理としては当然なことだ。悪い「流れ」になった時にどう対処するか、ということが一流と二流の間にある大きな壁だ。
悪い「流れ」の時を、いかに損失を少なくやり過ごすか。上に立つ者としてはそれを常に念頭に置いておかねばならない。
「さて、この「流れ」のまま終わりまで行ってくれればいいのだけれどね」
「またお前の“勘”が囁くのか?」
「えぇ、少しだけね。でも100%勝てるギャンブルなんてないんだから、ある程度はリスクを背負わないとね。いかに100%近づけるというのは努力でどうこうできるけれども、勝負が始まってからは、結局のところ神さまに委ねるしかないのよ」
「そうか、それならばマハルバの民を味方につけている我々に分があるということだな」
「そうなればいいんだけどね」
そろそろ時間だ。まず最初に動くのは私たちの予定だ。
私たちの上げる狼煙を合図に反抗が始まる。
「準備はいい?」
「応とも。今日はすこぶる調子がいい。特大の花火を打ち上げてやろうぞ」
「ふふ、頼もしい台詞ね」
精神集中をし、使い魔との魔力の線を意識する。
「さぁ、この火照った身体を冷ますプレゼントよ、皆々様♪」
●
「へぇ……」
ナブッコスは嬉しい誤算をその身に感じていた。
よもや、退屈で憂鬱極まりないこの儀式でこんな良い物を見れるとは思ってもみなかった。
マハルバの民が繰り広げる伝統的な踊り。文化人であるナブッコスだからこそ、その脈々と受け継いできた伝統的な踊りには感嘆の意を示さずにはいられなかった。
沈んだ気分も一時だけは忘れて、心の高ぶりを感じずにはいられない。
「見てごらん、ギネヴィア。数百年も他族と交わることを良しとしなかった者たちが到達した極みと言えるね。そう思わないかい?」
近くに侍る妹に声をかける。自分に比べてギネヴィアの反応は薄いとは思うが、これを機に少しはこういうものに興味を持ってもらえたらなと思い声をかける。
「はぁ……。確かに美しゅうとは思いますが……、私にはそれ以上の感想は……。
それよりも兄上、儀式が始まる前に述べたことはお忘れなきよう」
「はいはいわかっているよ」
やれやれ、こんな時でも諫言は欠かさず、か。本当に忠臣な妹だよ……。
まぁ、それも仕方ないと言えるか。祝いの席ということで武器などの持ち込みも最小限。多くの兵士たちはマハルバの村への進入は許可されていない。
護衛する側の視点で見れば、僕はまさに敵陣にいるキング。チェックメイトされていると言っても過言ではない。
この先、父上の操り人形として一生を過ごす僕に生きている価値はあるのだろうか?
鬱屈した日々を送るのであれば……、ここで死んでも別に思い残すことは……。
「っと」
いけないいけない。折角の祝宴の場で僕は無粋なことを考えていたな。今は精一杯楽しもうではないか。なるようになる、そうやって僕は生きてきたんじゃないか。
だがそんな楽しい時間も終わりが近づいていた。前座であるマハルバの民による踊りが終わり、花嫁との宣誓の儀式へと移る時間になる。
宣誓の儀式では、花婿が花嫁の待機する天幕へと迎えに行き、花嫁の手を取りながら司祭の前へと赴く。
「それでは、お時間です。シュターリア皇国ナブッコス殿下、我々の姫君の下へいざ参られよ」
進行役から次の段取りへの移行が宣言される。
ゆっくりと立ち上がり、村のはずれに作られた花嫁の待つ天幕へと向かう。後ろにはギネヴィアがべったりとくっつき、ナブッコスの身辺を護衛する。
花嫁の待つ天幕へと近づくにつれ、皆の緊張が高まっているのがわかる。双方の合意有とはいえ、武力を盾にマハルバの時期後継者を迎え入れる。マハルバの民の中にも納得をしていない者も多いと聞く。
やれやれ……、こんなに衆目を集めるのは性に合わないんだけどね……。
「兄上、背筋を伸ばして堂々としてください。兄上は皇国の代表者なのですから」
「はいはい、わかってるよ」
いついかなる時も諫言を欠かさない。妹というよりも、もうただの口うるさい教育係のように思えてきた。
花嫁の待つ天幕の外に人影が見える。
「もしかして彼が」
「えぇ、マハルバの民が誇る、”絶対なる契約の守護者”ドズラフェル・マクマホンです」
長身で筋骨隆々、もやしである僕とは住む世界がまったく別の人間だ。厳しい武芸の訓練のせいか身体には幾多の傷が見受けられる。
噂には聞いていたが、いざ目の前に立たれるとその威圧感に思わずたじろんでしまう。
一礼をし、ドズラフェルに対して敬意を払う。
「花嫁を貰い受けに参りました」
口を真一文字に結び、仁王立ちをするドズラフェルに少なからず恐怖を抱いていた。この人が本気を出せば、僕なんて素手でも殺されてしまうだろうな、と。
だが、ドズラフェルは危害を加えるつもりはなく、ゆっくりと僕に道を譲った。
「異郷の地までご足労、感謝いたしまする。どうか姫様をよろしくお頼み申す」
「はは……」
渇いた笑いしか出てこなかった。任せてくださいとは言えなかった。
父上に用済みと判断されれば、きっと父上は僕ごとマハルバの姫を殺すことも辞さないだろう。結局のところ、僕たち弱者は強者である父上の手の上で児戯を繰り広げているに過ぎない。
「魔法の国」の奴らとの戦争がひと段落するまでの命は保障されるだろうが、そこから先は僕にも予想がつかない。
そんなことを考えていると、いつの間にか僕の足は棒のように動きを止めていた。
「兄上?」
後ろを行く妹に声をかけられ、現実へと連れ戻される。
「いや、なんでもないよ。それじゃあ……」
いざ、花嫁の待つ天幕へと踏み出そうとした時、鼻先を冷たい雫が撫でる。
雨だ。
撫でるような雫は最初だけ。数秒も経たないうちに、豪雨へと姿を変えた雨は容赦なく僕たちの身体を襲う。
「これはいかん! ひとまず花嫁の待つ天幕の中へとお逃げくだされ! 花婿殿であるならば、入っても構わんだろう。だが、その他の者は外でお待ちいただくか、別の天幕へと一時避難くだされ!」
「そ、そうさせてもらうよ」
「式は一時中断ぞ! 者ども、装飾品を手短な天幕の中へと運び入れよ!」
広場の方では急な豪雨に皆がてんてこ舞いしながら、濡れてはいけない物の収容にあたっている。ここはお言葉に甘えさせてもらおう……。ここで断っては、こちらが花嫁と婚姻する意思がないのではと疑われてしまう。
……いや、疑われてというか、こんなものはただの政略結婚だと相手もわかりきっている。ここで断れない自分の押しの弱さの言い訳にしか過ぎない。
「し、失礼します」
花嫁との初めての対面がこんな慌ただしい物になってしまうとは……。
狭い入口を抜けると、天幕の中は存外明るかった。天幕の四方に灯りが灯されているからだ。そして鼻をつく香料の香りが天幕の中を充満している。
天幕の中には二人の女性が控えていた。衣装から察するに、一人は我が花嫁、そしてもう一人は侍女と言ったところか。花嫁の方は、ヴェールを身に着けているため顔はわからないが、外見から察するにまだ年若そうに見える。
「あ、あの……、いい所ですねここは……」
とりあえず、天幕の中にいる我が花嫁に挨拶をしなくてはと思い、ひねり出した言葉がこれだった。我ながら、もっと気の利いた言葉はなかったのかと責めたくなる。
「失礼」
そういえばこいつのことを忘れていた。男子禁制であるここにもこいつなら入れるのか。
「突然の御無礼を詫びさせていただきます。突然の雷雨、致し方なしとはいえ事後承諾になってしまい本当に申し訳ありません」
ギネヴィアは騎士らしく、騎士流の礼を取って頭を深く下げる。
「い、言え、お気になさらずに……」
初めて言葉を発した花嫁は自身の隣に、僕のためのスペースを開ける。
「さ、どうぞこちらへ。ナブッコス皇子……、で間違いありませんか?」
「え、あぁ! そうだとも、僕がナブッコス、ナブッコス・ユーリ・シュターリアだ」
「そうですか……、我が花婿殿。ファラ・マハルバでございます」
折角開けてくれた場所に座らないというのも無礼なので、大人しく花嫁の隣に座る。
どうせこの雨なら通り雨だろう。雨が止み次第、予定通りの儀式に移る。それまでの我慢だ我慢。
はっきり言って僕にこの場で何か話題を作れるほどのコミュニケーション能力はないと言っていい。希望を言わせてもらえば、天幕の端っこに座ってそっとやり過ごしたいが、それはできない相談だろう。
「それじゃあ失礼するよ」
やった! 噛まずに花嫁の隣に座れたぞ!
「ナブッコス皇子」
花嫁の隣に座った瞬間だった。僕の手に花嫁の手が重なってきた。急なことで耳まで瞬時に赤くなっているのがわかる。
「あ、あ、ファラ殿……!?」
「突然の御無礼失礼いたします」
「い、いや、失礼じゃないけど、いや失礼なのかな!? よくわかんないけど、なんだい!?」
「私が良いと言うまで動かないでくださいね……」
●
突然の豪雨に人々が色々な方向へと入り乱れる中、真っ直ぐに花嫁の待機する天幕へと近づく姿があった。セシリア・トリスケイルだ。
「魔法の国」の衣装ではなく、「マハルバの民」の民族衣装に身を包んでいるため、誰もセシリアのことなどは気に留めなかった。
「こんばんは、ドズラフェルさん。いい天気ね」
豪雨の中にその身をさらし続けているドズラフェルに一礼をする。
「ふむ、「魔法の国」ではこれをいい天気というのか、覚えておこう」
セシリアはにやりと笑う。
「私にとって、いい天気というだけよ。古来、雨というものは人の判断を惑わす。寡兵が大軍を相手に戦うには「雨」という事象を味方につけるしかないのよ」
「それを人の身で起こせるということは、まさにお前は「魔法の国」にとって軍神と崇めたてられてもおかしくはないな」
「軍神、とまではいかないけど、それなりに重宝されているわ。おかげでいろいろな無茶も聞いてくれるしね」
「さて、ここから先は我々は協力できん。ただでさえ今宵の舞台は我々の場、勘ぐられこそすれ擁護されることはないだろう」
「大丈夫、と断言はできないけど、なるべくあなたたちは無関係だ弁護しておくわ。それでは、これより先は事前の打ち合わせ通りに」
ドズラフェルとの会話を打ち切り、天幕の中へと入る。ドズラフェルが外で待機しているということは、天幕の中は予定通りいったという証だ。
「お邪魔しまーす」
さてさて、中はどんな感じになっているかしらね。
真っ先に目が合ったのはこの天幕の中の唯一の男性。「鋼鉄の国」の第七皇子――ナブッコス皇子だった。まるでこれから屠殺される家畜のように、助けを求めるようにこちらを見ていた。だが、私が助け舟ではないと判断すると、すぐに瞳の光は失われた。
次に目についたのは天幕の端で今にも飛びかかりそうな体勢で構える姫騎士の姿だ。その双眸は、ナブッコスのものとは違いぎらぎらと輝き、己の中に潜む敵意…殺意を隠しきれていなかった。
「首尾は上々のようね、えーと、姫様?」
「メディアです!」
と、今までヴェールで顔を隠していた花嫁、メディアがヴェールを取り外す。今にも泣きそうな顔でこちらを見ている。
うーん、なんかこの子って初めて会った時からなんかこういじめたくなるのよね。
「うん、メディアちゃん。よくできました、はなまるあげちゃいます」
「貴様らッ、「魔法の国」の者たちか!?」
一番離れたところに座る姫騎士が牙を向く。
「まるで躾がなってない狂犬ね。……誰が口を開いていいと言ったかしら?」
「はっ、躾がなっていないのはどっちだ、この魔女共が! このようなだまし討ち、末代までの恥と知れ!」
「末代までの恥、ね。きっと後々に語り継がれるのは、皇族二名を生け捕りにしたという武功の方だと思うけど? まあ、この戦争に勝てたらの話だけど」
さて、手っ取り早く事を進めないと村の外で待機する「鋼鉄の国」の兵士たちが駆けつけて厄介なことになる。そうなれば、ドズラフェルさんたち村の者にも迷惑がかかる。
マハルバなんて古臭い一族、この場で滅んでしまえばいいとは思うが、まあ今回の作戦の恩もある。生かしておいても問題はないし、「鋼鉄の国」の一部に対する防波堤としての役割もある。
「さて、お初お目にかかります、ナブッコス皇子。私は「魔法の国」、ベルファニア王国の魔女そちらの狂犬はギネヴィア皇女で相違ありませんか?」
「あ…あぁ……、僕がナブッコスだ……。一体、君たちは僕をどうしようってんだい……?」
へぇ、こっちの皇子は自分の立場ってものがよく分かっているようね。そこの狂犬に比べて話やすそうであるし、誘導しやすそうね。
「ひとまず安心してください、ナブッコス皇子。あなた方が私たちに大人しく従うというのであれば、命は保障いたします。命だけでなく、危害を加えないということも保障します。わかったら、首を縦に3回振りなさい」
「わかった、わかった、僕にできることならなんでもする!」
首を一生懸命に振りながら応える。
うーん、この皇子も物凄くいじめたくなるわね……。メディアちゃんとは別の意味で。
「姫騎士様もわかったかしら? あなたの力ならお兄様を見捨てれば、この場をどうにかできると思うけど如何かしら?」
「私は兄上の騎士だ……。この場は大人しく従おう。だが――、もしも兄上に危害を加えることがあれば、その首、無事では済まぬと知れ」
「良きかな、良きかな、大人しくしていれば可愛いのに勿体ないわね」
「ふん、女狐め……ッ」
「さて、まず初めに言っておくことがあるわ。この件に関して、マハルバの民は何も絡んでいないわ。独自の情報網から、今晩に婚礼の儀式が行われるということを知り、妨害してやろうと思ったのよ」
信じないとは思うけど、一応ドズラフェルさんの顔は立てないとね。
「そんな話、信じられると思うか?」
「信じる信じないはあなたの自由よ。私たち「魔法の国」と対峙しながら、マハルバの民という蜂の巣をつついたとあれば、どうなるかはあなたにもわかっているでしょう?
あなたたちの本国でもそうであるように、マハルバの民の求心力は未だに根強い物がある。マハルバの民が危機とあらば、各地に散らばる十三支族たちが蜂起する可能性もあるわ」
「そうかもしれないな」
あれれ、とセシリアは少し予想と外れた。
予見可能性の高い未来を言えば、相手も大人しく引き下がると思ったが、ギネヴィアの顔を見る限りそうではない。
「裏を返せば反乱分子をすべて一掃できるということでもあろう? 確かに戦争は長引くかもしれないが、戦争後の繁栄も長引くということだ」
「そんなことができると思って?」
「怖れているのか、魔女?」
パチンという肉が肉を打つ音が天幕の中に響き渡る。姫騎士の不遜な態度につい手が出てしまった。
「……質問に質問で返さないように習わなかったかしら?」
気に食わない。この姫騎士は相容れない存在であると肌で感じる。
敵同士で出会って本当によかったと思う。きっと彼女と仲間であったら、後ろから襲い掛かることはしないまでも、戦闘中に見捨てることぐらいはしてしまうだろう。
「悪いが幼き頃より剣しか握ってなかったのでな、不作法があったのなら失礼する。だが、抵抗できない捕虜に対して拳を振るう貴様の方も育ちが知れるな」
「また殴られたいの? もしかしてあなたってマゾヒストか何かかしら?」
「無論、殴られたいわけではない。だが、それ以上に貴様の悔しがる顔が最高に面白くてな。どうした? 気の済むまで殴るがいい。それで本当に貴様の気が晴れるのならばならな」
「はぁ……、メディアちゃん、悪いけどこの五月蝿い狂犬の口を塞いどいてくれるかしら?」
「は、はいっ……」
一息をついて落ち着いた頭で考える。
先ほどのギネヴィアの発言、何か根幹には自信があるように見受けられた。ただの虚勢ならば問題はないが、「鋼鉄の国」に新たな新兵器でもあるとするならばこれは厄介だ。
戦線を拡大させても維持できるほどの軍事力を「鋼鉄の国」は隠しているのか……?
はぁ……、どうあってもこの作戦を成功させなくてはならなくなったわね……。
「さて、ナブッコス皇子、御見苦しいところを見せてしまいましたが、ゆっくりしてはいられないので移動を開始させていただきますわ。少しばかり山道の中の移動を強いてしまいますが、御容赦ください」
「あ、あぁ……。好きにしてくれ……」
●
私たち一行は誰にも見つからないように天幕を抜け出し、そのまま村の周りの森に身を隠すように移動する。
恐らく、すぐに私たちがいないことに気付いて追っ手を差し向けて来るだろうから悠長にはしていられない。
姫様役の私の侍女役をやっていたミオが、マハルバの民に対する人質兼案内役を担っている。道に明るいミオがいるのは非常に心強いが、先ほどまでの雨でぬかるんだ山道を歩くのは至難の業だった。
後ろ手を縛られた「鋼鉄の国」の捕虜2人の歩みは遅く、ナブッコス皇子に関してだけ言えば木の根やぬかるんだ泥に足を取られ、何度も転んでいた。その点、ギネヴィアは実戦経験があるだけに、優れたバランス感覚を発揮し悪道であっても優雅に歩を進めていた。
「はぁ……はぁ……」
既にナブッコスの身体全身は泥まみれで、皇族としての威厳は皆無だった。それでも、命がかかっているからか、すぐに立ち上がり文句も言わずに歩き続けた。
だが体力というものにはどうしても限界があり、16回目の転倒の後、ついにナブッコスは立ち上がることすらできなかった。
「仕方ないわね、ひとまずここで休憩するわ。メディアちゃん、皇子を起こして休ませてあげて」
「はい……。大丈夫ですか、皇子」
「あぁ、すまない、苦労をかけるね……」
皇子の細い肩を抱え、何とか立たせてやり木の幹を背に休ませる。
既にナブッコスの呼吸は大きく乱れ、ちょっとの休憩では回復しないように見える。
一方、ギネヴィアはというと汗一つかかずにふてくされた態度を取っている。隙を見せれば、すぐにでも襲ってやろうという気概が溢れている。
「思ったより移動が遅いわね……。これじゃあ合流地点に到達するまでに日が昇ってしまうわ」
私たち魔女も一応は基礎的な訓練を受けているため、ナブッコスのような事態には陥らないが、普段の長距離の移動は滑翔器を用いているためかなり疲弊している。
「滑翔器は使えないんですか?」
「一人抱えた状態での飛行なんて無理よ。すぐにオーバーロードして焼き付いてしまうわ。緊急時の為に、滑翔器の使用は最後まで温存するべきね。
まあ、いい感じに霧も出てきたし、ぬかるんだ山道は追っ手の進行を同じように妨げてくれるわ。それに土地勘もない山道ではどうしても歩みは遅くなるものよ」
「ならいいんですが……」
セシリアは休むナブッコスの傍に行く。自分の荷物から杯を取り出し、ナブッコスに差し渡す。
「はい、水分補給」
と言って、空の杯を渡す。
空の杯を渡され、ナブッコスは怪訝そうな顔を浮かべる。だが次の瞬間、何も入っていなかった杯には並々と水が満たされていた。
「はは……、便利なものだね。何もないところから水を出すなんて、まるで手品師だよ」
「”何もない”のではありませんわ。それは私たちが認識できていないだけ。目に見えないだけで、私たちの周りにはいろいろなものが取り巻いていますわ」
「空気中の水分ってことかい?」
「聡明でいらっしゃられますわね」
「魔法というものは便利なものだね。君たちの力と、僕たちの力を合わせることができれば、きっとこの大陸で敵う者はいないだろうね」
「不幸にも私たちは敵同士、それは叶わぬ願いですわね」
「そうだったね……」
「ナブッコス皇子、不躾な質問をしてもよろしいでしょうか?」
「あぁ……、構わないさ。答えられる質問なら答えるよ」
「そうですか、感謝いたします」
セシリアは確認してから問う。
「あなたは王位を簒奪する意思はございませんか?」
セシリアの質問にその場にいた誰もが緊張した。
いきなり何を言いだすのか、一番驚いていたのは「鋼鉄の国」側であるギネヴィアだった。この戦争の当事者ではない、マハルバの民のミオでさえ、今の質問の真意を測りかねてる様子だった。
「な、何を言いだすかと思ったら……。僕にそんな意志はないよ。それに皇帝になるだなんて明言したら、僕は反逆罪で死罪さ」
「あら、折角皇帝を狙える立場にいるというのに、勿体ないことですね。別に明言しても、妹君なら聞かせても大丈夫なのではないですか? ね」
視線を向けられたギネヴィアはばつが悪そうに俯く。
「捕虜となっている緊張下で、虚言を放つのも致し方ないものと思われます……」
と、詭弁を並び立てる。彼女とて、肉親が処刑されるのは見たくもないのだろう。
「いやいや……、僕が父上に叛逆するなんて……」
「無理、だとおっしゃるのですか?」
「…………」
ナブッコスは押し黙ってしまう。図星を突かれた人間は、咄嗟に次の言葉を繋ぐのは難しい。
「あなたならこの無益な戦乱を終わらせることができるかもしれないと思ったのですが、本人にその意思がないのであれば仕方ないですわね」
「無益だと……? そもそもの発端は貴様らが王宮に隠す秘宝が戦乱の原因であろう!」
軍人であるギネヴィアにとって、無益と言われては今まで死んでいった者たちの行為が無駄であったと言われていることと同義だった。だからこそ黙ったままでいることはできずにセシリアに反駁する。
「そんなもの有りはしないと回答したではありませんか? そもそもこの世のすべてを終わらせることができる秘宝など存在すると思っているのですか? そんなものがあるのならば、既に私たちが使っていてもおかしくはないでしょう?」
そう、そもそもの発端はこの「鋼鉄の国」からの言いがかりだった。
彼らは王都ウェンティモイに「強大な力を持つ何か」――秘宝があると因縁をつけてきた。それを小国が管理するのは危険であるから、我々に引き渡せと要求してきた。
だが、こちらはそんなものがあるなんて初耳だった。だからこれはただ単に口実が欲しいだけで、狙いは私たちが持つニンネパ半島南部の肥沃な土地であるとすぐにわかった。
「ならば何故我々の捜索隊派遣を断った? 何か見られたくもない物が隠されていたからではないのか?」
「主権を侵害されると考えたのでしょうね。ここで譲歩してしまってはそれ以後も何かと理由をつけて私たちの統治を阻害される恐れがあると、普通の国家ならば真っ当な判断だと思いますが」
「ふん……、今までの言葉を覚えておけ。すべては私たちが王都を制圧した時にはっきりする。だが、その時に貴様はもうこの世にいないかもしれんがな!」
「はぁ……、あなたと話すのは疲れるわ。負け犬の遠吠えを聞くだけってのも楽じゃないわね」
「今は勝者を気取ってるがいいさ。最後に立っていた者、それが勝者だ」
「そうね、あなたが早々に御退場いただくのを願ってるわ」
●
半刻の休憩のあと、私たちはまた合流地点を目指し歩き出した。
疲労からか誰も口を開こうとはせずに黙々と歩き続けた。相変わらずナブッコスも転んでは立ち上がり、転んでは立ち上がりの繰り返しだったが着実に歩を先へと進めていた。
「道案内さん、森を抜けるまであとどれくらいかしら?」
一応、ミオはただ皇子誘拐の場にいただけという設定であるため、セシリアはあたかもミオのことは知らない素振りで問う。
「半分…いえ、3分の2程は来たかと……。夜明け前には抜けられると思います」
「そう、あと少しね……。間に合えばいいけど……」
間に合う……?
あっ、そっか。セシリアは地面を伝わる水分の振動で人の動きを探知できるんだっけ……。
「追手ですか?」
「ええ、かなり早いわ。山歩きに慣れている、単独で移動中……。そして……、真っ直ぐにこちらへと向かっているわ」
「待ち伏せますか?」
「んー、どうしようかしら……。こんな予定じゃないんだけどねぇ」
「予定?」
「待ち伏せはいいから先に進みましょう。追いつかれたらその時考えればいいわ」
「……わかりました」
まあ、セシリアがそう言うのならば大丈夫なのだろう。湿度の高いこの森の中はセシリアにとっては力を存分に発揮することができる絶好の場だ。その反面、今の私とビスビリオにとってはこの湿気は最大の敵だった。「火」を司る魔女にとって水分の多い場所は存分に力を発揮することができない。出力が大きい分、使う場所には制限がかかる…それが「火」属性の特性と教わったっけ。
……簡単に言えば、この森を出るまでは私はほぼ無力ということだ。まあ「火」を起こしづらいというだけで、一応はたいまつくらいの火なら起こせると思う。それに魔導器があれば普遍的な力に変換もできる……、からまあそれほど悲観的にならなくても大丈夫だ。
それよりも今の問題は……。
「うゎべしッ……!」
ナブッコスの本日の転倒回数が遂に50回に到達した。
「またですか……?」と呆れるのも馬鹿らしくなってきた……。
無言のままナブッコスの肩を取る作業をする。
「申し訳ないね……、はは…無様だな……僕は……」
もう皇子の心は折れかかっていた。次の言葉が「もう殺してくれ」と言い出さない勢いだ。
だが私たちの目的は皇子を無事に王都ウェンティモイに連れ帰ることだ。まだ皇女ギネヴィアがいるとはいえ、ナブッコスとの地位を比べればその戦略的価値は低い。
やっとのことでナブッコスを立ち上がらせる。私の予想に反して、ナブッコスはそのまま歩き始める。まだ生きることを諦めてはいないのだ。
「へぇ……」と口には出さず心の中で感嘆する。意外と根性あるじゃない。
「どうしたんだい……?」
「いえ、お気になさらず前へ進んで下さい。歩くことに集中しないと……」
「うゎらば……!」
「ほら……、もう……」
51回目の転倒をした。
●
ナブッコスが51回目の転倒をしてから数分も経っていない頃、セシリアが前を行くミオと私に止まるように命令をした。
「どうしたんですか、隊長?」
「んー、とうとう追手に追いつかれちゃったわ」
その声に緊迫感はまったく感じられなかった。さっき言っていたが、相手は一人。地の利のあるセシリアにとっては敵ではないのだろう。
追手が一体誰なのか、私には想像できないでいた。こちらの歩みが遅いとはいえ、山歩きに慣れた者でないとこの速さで追いつくことは無理だろう。
山歩きに慣れている、ということから考えるとマハルバの民の誰かだろうか。だが、私たちとはあくまでも協力関係にないマハルバの民が何の用でこちらに? という疑問が残る。
とすれば、ナブッコスが連れてきた兵士たちの誰かか?
皇子と皇女の護衛と考えれば山歩きに慣れた精鋭部隊がいてもおかしくはない。だが、何故単独で行動している?
そんなことを考えているうちに答えが私たちの目の前に姿を現した。
「追いついて……、しまったか……」
息を切らせながら茂みの中から現れた姿に私たちは見覚えがあった。
私よりも二回りほど大きな巨躯。髭面の壮年の男。ドズラフェルその人だった。
両手には私の身長の半分ほどもある大剣を握っている。その二振りの大剣で道を切り拓きながら追ってきたのだろう。
「あらあら、マハルバの村守さんでしたか。一体何の御用で?」
一体ドズラフェルはどういうつもりなんだ……?
事前の打ち合わせではドズラフェルは村で待機して、皇子たちが誘拐されて逆上する可能性のある兵士たちから村人を守る役目を担うはずだった。
「はぁ……、はぁ……」
流石に老いには勝てぬのか、ドズラフェルは大きく肩で息をしている。
「申し訳ないけれど、これは私たち「魔法の国」と「鋼鉄の国」の問題。大人しく引きさがってはくれませんか?」
「そうしたいのも山々ではあるが……くっ」
呻き声と共にドズラフェルは膝をつく。
「……?」
この場にいる誰もが、ドズラフェルの真意を測りかねていた。
打ち合わせ通りに行動しないのはどうしてか、と魔女たちは。
自分たちを単身救出しに来てくれたのか、それとも魔女共々亡き者にするつもりなのか、と皇族たちは。
だから、皆の注目は跪く老人に向けられていた。
「あらあら、御年齢を考えたほうが良いのではありませんか? 私たちに追いつくだけで精一杯のように見えますけれど」
「頼む……! 私に構わず早く逃げろッ!!」
「逃げる……?」
勿論、そうするつもりではあるが、それではどうしてドズラフェルは私たちを追ってきたのか?
そして、理由を告げずにただ「逃げろ」と言うのか、まったく意味が解らない。
これには流石のセシリアも理由がわからず、ドズラフェルをどう処理するか逡巡している様子だった。
「……そう仰るのならば手は御貸ししませんわ。しばらくこちらで休んでいてください。……休まる場所ではないとは思いますが。さぁ、メディアちゃん、先を急ぎましょう」
「は、はい……」
セシリアがドズラフェルに背を向けた瞬間だった。ドズラフェルは無防備なセシリアの背中に向かって、自身の持つ大剣をセシリアに向かって投じた。
疲れているとは思えない程の素早い動き、足場もぬかるんで万全に力を入れることができないというのに、その大剣は真っ直ぐにセシリアを捉えていた。
「隊長ッ!」
私の声かけが生きたのかわからないが、セシリアは咄嗟に身を翻しながら自身の周りに水のベールを張る。
だが、飛翔する武器が悪かった。これが短剣程度であれば問題なく防げたであろうが、大の大人が振り回すのも困難な程の質量を持った大剣が、ドズラフェルの膂力を付加した状態で飛んでくるのだ。
無情にも、ドズラフェルの投じた大剣は……、セシリアの脇腹をかすり、そのまま背後にある木に深々と刺さった。
「がっ……はっ」
多少勢いを殺したせいもあり、何とか急所からはずらすことができたが……、一目で重傷とわかる傷を負っている。みるみるうちにセシリアの外套が赤く染まっていく。
「ダイダル……ちゃん……」
「わかっている! 一時的に血流を操作するッ! だが、止血できたとはいえ、治療が必要なケガだぞ!?」
「そんなこと、私が一番わかっているわ……」
セシリアは傷を負いながらもドズラフェルに立ち向かう。
「どうして……」
村での友好的な態度はただの演技だったのか……? やはり「魔法の国」も「鋼鉄の国」も例外なくマハルバの民の敵なのか。
だが、私にはそれが演技だったとは思えなかった……。何故ならば――
「ドズラフェルさん……?」
無表情でただ立ち尽くすドズラフェルの顔に生気がない。目も虚ろで瞳の色は乾ききっている。
「チャーム……?」
ドズラフェルの症状はチャーム――誘惑の魔法にかけられた時と似ている……。
本人の意志とは関係なく、その身体から精神までを操る誘惑の魔法。その効果は絶大で、術者が解除しない限りは決してその術から逃れることはできない。その反面、術にかけるまでに多大な時間を有する必要がある。
長時間対象を拘束し、精神を蝕み続けてやっと術にかけられる魔法だ。その非人道的な内容から、「魔法の国」でも誘惑の魔法は禁忌とされている。
いつからだ……?
いつからドズラフェルは誘惑の魔法にかかっていたのか……?
疑問はそれだけではない。ドズラフェルが私たちに追いついてきたとき、まだ彼は正気を保っていた。
「追いついてしまったか」、確かに彼はこの場所に着いたとき、そう漏らした。
誘惑の魔法は「100」か「0」のどちらかでしかない。精神と身体を支配できたとき、はじめて魔法にかかる。つまり先ほどのドズラフェルのように、精神はそのまま身体を支配するような状況はできない。
「魔法の国」の私でさえも知らない魔法があるということなのか……?
それでは一体誰がそんな魔法をドズラフェルにかけたというのだ……。
「どうするメディア?」
「どうするって、何よ……」
「いや、セシリアの魔力を奪うチャンスが来たかなと思ってさ。今彼女はあの神の使徒に集中せざるを得ない。共闘するふりをして魔力を奪うのは容易だと思うよ」
確かに……、魔力を奪うことだけを考えれば千載一遇のチャンスだ。これを逃してしまえば、次にいつこんな機会が訪れるともわからない。
「だけど……」
魔力を奪ったところで、セシリア抜きでこの局面を打破することはできるのだろうか……?
ふとルイーザから魔力を奪った時を思い出す。
波のように絶えず押し寄せる吐き気と不安。そんな状態で自我を失っている歴戦の勇士を相手にできるとは思えない。
「……ダメよ。ここはセシリアと協力してあの人をどうにかするわ」
「そう、それなら仕方ないね」
「ごめんなさい、まだまだ甘いわね、私は」
「それは言わない約束にしておこうか」
半刻の休憩のあと、私たちはまた合流地点を目指し歩き出した。
疲労からか誰も口を開こうとはせずに黙々と歩き続けた。相変わらずナブッコスも転んでは立ち上がり、転んでは立ち上がりの繰り返しだったが着実に歩を先へと進めていた。
「道案内さん、森を抜けるまであとどれくらいかしら?」
一応、ミオはただ皇子誘拐の場にいただけという設定であるため、セシリアはあたかもミオのことは知らない素振りで問う。
「半分…いえ、3分の2程は来たかと……。夜明け前には抜けられると思います」
「そう、あと少しね……。間に合えばいいけど……」
間に合う……?
あっ、そっか。セシリアは地面を伝わる水分の振動で人の動きを探知できるんだっけ……。
「追手ですか?」
「ええ、かなり早いわ。山歩きに慣れている、単独で移動中……。そして……、真っ直ぐにこちらへと向かっているわ」
「待ち伏せますか?」
「んー、どうしようかしら……。こんな予定じゃないんだけどねぇ」
「予定?」
「待ち伏せはいいから先に進みましょう。追いつかれたらその時考えればいいわ」
「……わかりました」
まあ、セシリアがそう言うのならば大丈夫なのだろう。湿度の高いこの森の中はセシリアにとっては力を存分に発揮することができる絶好の場だ。その反面、今の私とビスビリオにとってはこの湿気は最大の敵だった。「火」を司る魔女にとって水分の多い場所は存分に力を発揮することができない。出力が大きい分、使う場所には制限がかかる…それが「火」属性の特性と教わったっけ。
……簡単に言えば、この森を出るまでは私はほぼ無力ということだ。まあ「火」を起こしづらいというだけで、一応はたいまつくらいの火なら起こせると思う。それに魔導器があれば普遍的な力に変換もできる……、からまあそれほど悲観的にならなくても大丈夫だ。
それよりも今の問題は……。
「うゎべしッ……!」
ナブッコスの本日の転倒回数が遂に50回に到達した。
「またですか……?」と呆れるのも馬鹿らしくなってきた……。
無言のままナブッコスの肩を取る作業をする。
「申し訳ないね……、はは…無様だな……僕は……」
もう皇子の心は折れかかっていた。次の言葉が「もう殺してくれ」と言い出さない勢いだ。
だが私たちの目的は皇子を無事に王都ウェンティモイに連れ帰ることだ。まだ皇女ギネヴィアがいるとはいえ、ナブッコスとの地位を比べればその戦略的価値は低い。
やっとのことでナブッコスを立ち上がらせる。私の予想に反して、ナブッコスはそのまま歩き始める。まだ生きることを諦めてはいないのだ。
「へぇ……」と口には出さず心の中で感嘆する。意外と根性あるじゃない。
「どうしたんだい……?」
「いえ、お気になさらず前へ進んで下さい。歩くことに集中しないと……」
「うゎらば……!」
「ほら……、もう……」
51回目の転倒をした。
●
ナブッコスが51回目の転倒をしてから数分も経っていない頃、セシリアが前を行くミオと私に止まるように命令をした。
「どうしたんですか、隊長?」
「んー、とうとう追手に追いつかれちゃったわ」
その声に緊迫感はまったく感じられなかった。さっき言っていたが、相手は一人。地の利のあるセシリアにとっては敵ではないのだろう。
追手が一体誰なのか、私には想像できないでいた。こちらの歩みが遅いとはいえ、山歩きに慣れた者でないとこの速さで追いつくことは無理だろう。
山歩きに慣れている、ということから考えるとマハルバの民の誰かだろうか。だが、私たちとはあくまでも協力関係にないマハルバの民が何の用でこちらに? という疑問が残る。
とすれば、ナブッコスが連れてきた兵士たちの誰かか?
皇子と皇女の護衛と考えれば山歩きに慣れた精鋭部隊がいてもおかしくはない。だが、何故単独で行動している?
そんなことを考えているうちに答えが私たちの目の前に姿を現した。
「追いついて……、しまったか……」
息を切らせながら茂みの中から現れた姿に私たちは見覚えがあった。
私よりも二回りほど大きな巨躯。髭面の壮年の男。ドズラフェルその人だった。
両手には私の身長の半分ほどもある大剣を握っている。その二振りの大剣で道を切り拓きながら追ってきたのだろう。
「あらあら、マハルバの村守さんでしたか。一体何の御用で?」
一体ドズラフェルはどういうつもりなんだ……?
事前の打ち合わせではドズラフェルは村で待機して、皇子たちが誘拐されて逆上する可能性のある兵士たちから村人を守る役目を担うはずだった。
「はぁ……、はぁ……」
流石に老いには勝てぬのか、ドズラフェルは大きく肩で息をしている。
「申し訳ないけれど、これは私たち「魔法の国」と「鋼鉄の国」の問題。大人しく引きさがってはくれませんか?」
「そうしたいのも山々ではあるが……くっ」
呻き声と共にドズラフェルは膝をつく。
「……?」
この場にいる誰もが、ドズラフェルの真意を測りかねていた。
打ち合わせ通りに行動しないのはどうしてか、と魔女たちは。
自分たちを単身救出しに来てくれたのか、それとも魔女共々亡き者にするつもりなのか、と皇族たちは。
だから、皆の注目は跪く老人に向けられていた。
「あらあら、御年齢を考えたほうが良いのではありませんか? 私たちに追いつくだけで精一杯のように見えますけれど」
「頼む……! 私に構わず早く逃げろッ!!」
「逃げる……?」
勿論、そうするつもりではあるが、それではどうしてドズラフェルは私たちを追ってきたのか?
そして、理由を告げずにただ「逃げろ」と言うのか、まったく意味が解らない。
これには流石のセシリアも理由がわからず、ドズラフェルをどう処理するか逡巡している様子だった。
「……そう仰るのならば手は御貸ししませんわ。しばらくこちらで休んでいてください。……休まる場所ではないとは思いますが。さぁ、メディアちゃん、先を急ぎましょう」
「は、はい……」
セシリアがドズラフェルに背を向けた瞬間だった。ドズラフェルは無防備なセシリアの背中に向かって、自身の持つ大剣をセシリアに向かって投じた。
疲れているとは思えない程の素早い動き、足場もぬかるんで万全に力を入れることができないというのに、その大剣は真っ直ぐにセシリアを捉えていた。
「隊長ッ!」
私の声かけが生きたのかわからないが、セシリアは咄嗟に身を翻しながら自身の周りに水のベールを張る。
だが、飛翔する武器が悪かった。これが短剣程度であれば問題なく防げたであろうが、大の大人が振り回すのも困難な程の質量を持った大剣が、ドズラフェルの膂力を付加した状態で飛んでくるのだ。
無情にも、ドズラフェルの投じた大剣は……、セシリアの脇腹をかすり、そのまま背後にある木に深々と刺さった。
「がっ……はっ」
多少勢いを殺したせいもあり、何とか急所からはずらすことができたが……、一目で重傷とわかる傷を負っている。みるみるうちにセシリアの外套が赤く染まっていく。
「ダイダル……ちゃん……」
「わかっている! 一時的に血流を操作するッ! だが、止血できたとはいえ、治療が必要なケガだぞ!?」
「そんなこと、私が一番わかっているわ……」
セシリアは傷を負いながらもドズラフェルに立ち向かう。
「どうして……」
村での友好的な態度はただの演技だったのか……? やはり「魔法の国」も「鋼鉄の国」も例外なくマハルバの民の敵なのか。
だが、私にはそれが演技だったとは思えなかった……。何故ならば――
「ドズラフェルさん……?」
無表情でただ立ち尽くすドズラフェルの顔に生気がない。目も虚ろで瞳の色は乾ききっている。
「チャーム……?」
ドズラフェルの症状はチャーム――誘惑の魔法にかけられた時と似ている……。
本人の意志とは関係なく、その身体から精神までを操る誘惑の魔法。その効果は絶大で、術者が解除しない限りは決してその術から逃れることはできない。その反面、術にかけるまでに多大な時間を有する必要がある。
長時間対象を拘束し、精神を蝕み続けてやっと術にかけられる魔法だ。その非人道的な内容から、「魔法の国」でも誘惑の魔法は禁忌とされている。
いつからだ……?
いつからドズラフェルは誘惑の魔法にかかっていたのか……?
疑問はそれだけではない。ドズラフェルが私たちに追いついてきたとき、まだ彼は正気を保っていた。
「追いついてしまったか」、確かに彼はこの場所に着いたとき、そう漏らした。
誘惑の魔法は「100」か「0」のどちらかでしかない。精神と身体を支配できたとき、はじめて魔法にかかる。つまり先ほどのドズラフェルのように、精神はそのまま身体を支配するような状況はできない。
「魔法の国」の私でさえも知らない魔法があるということなのか……?
それでは一体誰がそんな魔法をドズラフェルにかけたというのだ……。
「どうするメディア?」
「どうするって、何よ……」
「いや、セシリアの魔力を奪うチャンスが来たかなと思ってさ。今彼女はあの神の使徒に集中せざるを得ない。共闘するふりをして魔力を奪うのは容易だと思うよ」
確かに……、魔力を奪うことだけを考えれば千載一遇のチャンスだ。これを逃してしまえば、次にいつこんな機会が訪れるともわからない。
「だけど……」
魔力を奪ったところで、セシリア抜きでこの局面を打破することはできるのだろうか……?
ふとルイーザから魔力を奪った時を思い出す。
波のように絶えず押し寄せる吐き気と不安。そんな状態で自我を失っている歴戦の勇士を相手にできるとは思えない。
「……ダメよ。ここはセシリアと協力してあの人をどうにかするわ」
「そう、それなら仕方ないね」
「ごめんなさい、まだまだ甘いわね、私は」
「それは言わない約束にしておこうか」
●
とは言ったものの、こう湿気が多くては私も満足に魔力を使うことはできない。そしてセシリアは手負い……、持久戦になればなるほどこちらが不利になる。
だが、今の私たちにドズラフェルを一撃で仕留めるような火力は期待できない。
「隊長……、口惜しいですがここは撤退を考えては……? 皇族の二人を見捨てれば逃げるだけなら可能かと」
「そうしたいのは山々なんだけどね……、この深い森の中では滑翔器は使えない。いずれ追いつかれて仕留められてしまうわ……」
「ならば、ここで仕留める他ないと……」
「何も倒すことだけを考えなくていいわ。足の腱でも切断してしまえば物理的に追いかけるのは不可能よ」
「では私が隙を……」
と言いかけたところで言葉に詰まる。
今の私にそんな力があるはずもない。ただでさえ魔女としての力量に難がある上、この置かれた環境も劣悪だ。
「本当にあなたは聡明ね……。できないことははっきりと頭の中でできないと決めつける。あ、決してあなたを非難しているわけじゃないから勘違いしないでね。それをできる人間は稀有な存在よ。誇りに思いなさい……」
「申し訳…ありません」
すべてを見透かされていた。ただただ力のない自分と、諦めがよすぎる自分を恥じるだけだった。
「謝る必要はないわ。驕りはいつか必ず決壊を生む。あなたは前線に立って武を揮うタイプじゃないってだけよ。だけど、いい指揮官になる素質はあるわ。
……さて、どうしようかしらね」
そう、悠長に話している暇などない。ドズラフェルは未だ残る一振りの大剣を構える。
「ガ…アア……」
既に言葉さえも失い、ただ目の前にいる敵を屠るだけの機械となっている。ただそんな状態でも、セシリア相手に真っ向から挑むことはせず、持久戦によってこちらの疲弊を待つという冷静な判断も持ち合わせている。
考えろ……。今の私にできることは脳みそをフル回転させることぐらいだ……。だがどう考えたところで良策など思い浮かびもしない……。
「おい、魔女共」
この緊迫した状況の中、凛とした声が響く。
「何か……御用で、皇女殿下?」
「この状況では遅かれ早かれ共倒れすることは必定だ」
「……そのようですわね、それで?」
「この場は共に戦ってやると言っているのだ。かの老雄に言葉が通じないのは見て取れる。貴様らが殺されるのは構わないが、貴様らの次は私たちが殺される番だろう。ならば、私を貴様らの剣として奮ってやる」
「そんなことできるはずがないだろう!」
「待って、メディアちゃん……」
私の言葉を遮り、セシリアはギネヴィアと視線を合わせる。
「助力感謝いたします。恥を承知の上でお頼みいたしますわ、殿下。
どうか私たちの剣となっていただけないでしょうか?」
「騎士の誇りにかけ、その願い聞き届けよう。そして今までの無礼はすべて水に流す。……その代わり、わかっているだろうな?」
「えぇ、この場を乗り切ることができたならば、皇子とあなたを解放すると約束しましょう……。魔女には騎士のような誇りは御座いませんが、セシリア・トリスケイル――“奔流の魔女”としての矜持に誓って、必ずや約束を果たすと……」
セシリアの誓いの言葉にギネヴィアはほくそ笑む。
「了解した。それでは早速この戒めを解いてくれ」
拘束具の鍵を持つ私はセシリアの判断を窺う。だがセシリアの決意は固いようで、無言のまま頷く。
「知りませんよ、もう……」
「裏切りが怖いか、魔女よ?」
「ええそりゃあもう。裏切りなんて魔女には日常茶飯事でしたからね」
「ああ、だが私は魔女ではない。それにな、一度はマハルバの守護者ドズラフェル殿とは一度は手合せしてみたかったのだ」
こんな状況下であるにも関わらずギネヴィアは不敵な笑みを漏らす。もし仮にギネヴィアが本心でこのように言っているのであれば、なるほど私とは全く思考回路が別物なんだろう。
自分より強い奴と相対などしたくもない。不測の事態でそうなってしまってもとにかく逃げることだけを考える。それが当たり前のことだと生きてきた。だからこそ、私は今も生き残っているのだと思う。
「殿下、武器はいかがいたしましょうか? まさか徒手で相対する等とはお考えではないでしょうね」
「流石に私もそこまで自惚れではないよ」
戒めを解かれたギネヴィアは先ほどドズラフェルがセシリアに対して投擲した大剣の側に向かう。
「私には少々扱うのが難しいが、これで何とかするとしよう」
大木に深々と刺さる大剣を取り、両の手でしっかりと構える。
「っと、これを片手で…しかも両手に持ち戦うとは……。流石だな、マハルバの守護者の名は伊達ではないということか」
「いけそうかしら、皇女殿下?」
「任せてもらおう。そちらこそしくじるなよ、“奔流の魔女”よ」
「えぇ、なんとか頑張らせていただきますわ」
奇しくも仇敵同士である「魔法の国」と「鋼鉄の国」の共闘が成立する。そこには過去の遺恨など関係なく、「共に生き残るため」という共通の目的がなしえた奇跡だった。
「正気がないのは不本意ではあるが……、“絶対なる契約の遵守者”――ドズラフェル殿、胸を御貸し頂こうッ!」
●
「メディアちゃんは、皇子とミオちゃんの護衛をよろしくお願い」
「は、はい」
私は後方に下がり、ナブッコスの戒めを解く。
ギネヴィアはドズラフェルの大剣を下段に構え、ドズラフェルと相対する。「鋼鉄の国」の剣術は全くわからないが、恐らくあれが防御に徹する際の型なのであろう。今はギネヴィアを信頼する他ない
「皇女殿下はしばしの間時間稼ぎをよろしくお願いいたしますわ」
「了解した」
ドズラフェルも相対する少女が只者ではないということを感じ取ったのか、不用心に踏み込むことはしない。
その間にセシリアは詠唱を口ずさみ、大魔術の行使に備える。
「皇子、それにミオちゃん……、あなたたちは先にこの場から離脱いたしますか? 特にミオちゃん、ドズラフェルさんはあなたの義父……、目の前でまた家族を失うことになるかもしれないけど……」
「いえ、この場に残らせてください……。義父上がどうしてこうなってしまったかはわかりませんが……、その最期を見届けないといけない気がします……」
「強いんだね……。それじゃあ、頼りないとは思うけど私の後ろにいてね」
「はい……」
ミオと同じく皇子も逃げる意思はないようだ。
「はは……、この暗闇の中道案内もなしに森に進めば逆に危険だからね……。僕もこの場に残らせてもらうよ……」
「了解しました。今までの無礼を帳消しにできるとは思いませんが、可能な限りお守りいたします」
「あ、ありがとう……。敵に回すと厄介だけど……、味方となると心強いよ――特に君の上司は」
「それはこちらも同じです。皇女殿下が助力して頂いたおかげでこの場をなんとかできそうな気がしますよ」
「はは……、僕は戦力外だからね。だけどギネヴィアは強いよ、身内の色眼鏡なしにね。ただ……、この場は彼女の戦い方が十全には活かせないのが心配だけど……」
「戦い方……?」
「ギネヴィアは細剣――レイピアで戦うのを得意としているからね。打ち合いはせずに動きで翻弄するタイプだ。だからあの大剣はギネヴィアには合わない、それにこのぬかるんだ地面……、でも今は信じて見守るしかできない」
ナブッコスは唇を噛みしめながら自分の無力さをぐっとこらえている。その瞳は自分の妹からは絶対に目をそらさないという覚悟を感じる。
自分もセシリアの力には何もなれず、ナブッコスと同じ境遇であることに親近感が湧く。
ならば私もすることは同じだ。セシリアたちの戦いから目をそらすことはしない。自分の弱さを受け止め、それを受け入れる。それが何に繋がるかはわからないが、今はそうすることしかできない。
「神さま……」
今まで神に祈るなんてことしたこともないが、初めて神への言葉を口にする。
どうかこの戦い、私たちに勝利を……。
とは言ったものの、こう湿気が多くては私も満足に魔力を使うことはできない。そしてセシリアは手負い……、持久戦になればなるほどこちらが不利になる。
だが、今の私たちにドズラフェルを一撃で仕留めるような火力は期待できない。
「隊長……、口惜しいですがここは撤退を考えては……? 皇族の二人を見捨てれば逃げるだけなら可能かと」
「そうしたいのは山々なんだけどね……、この深い森の中では滑翔器は使えない。いずれ追いつかれて仕留められてしまうわ……」
「ならば、ここで仕留める他ないと……」
「何も倒すことだけを考えなくていいわ。足の腱でも切断してしまえば物理的に追いかけるのは不可能よ」
「では私が隙を……」
と言いかけたところで言葉に詰まる。
今の私にそんな力があるはずもない。ただでさえ魔女としての力量に難がある上、この置かれた環境も劣悪だ。
「本当にあなたは聡明ね……。できないことははっきりと頭の中でできないと決めつける。あ、決してあなたを非難しているわけじゃないから勘違いしないでね。それをできる人間は稀有な存在よ。誇りに思いなさい……」
「申し訳…ありません」
すべてを見透かされていた。ただただ力のない自分と、諦めがよすぎる自分を恥じるだけだった。
「謝る必要はないわ。驕りはいつか必ず決壊を生む。あなたは前線に立って武を揮うタイプじゃないってだけよ。だけど、いい指揮官になる素質はあるわ。
……さて、どうしようかしらね」
そう、悠長に話している暇などない。ドズラフェルは未だ残る一振りの大剣を構える。
「ガ…アア……」
既に言葉さえも失い、ただ目の前にいる敵を屠るだけの機械となっている。ただそんな状態でも、セシリア相手に真っ向から挑むことはせず、持久戦によってこちらの疲弊を待つという冷静な判断も持ち合わせている。
考えろ……。今の私にできることは脳みそをフル回転させることぐらいだ……。だがどう考えたところで良策など思い浮かびもしない……。
「おい、魔女共」
この緊迫した状況の中、凛とした声が響く。
「何か……御用で、皇女殿下?」
「この状況では遅かれ早かれ共倒れすることは必定だ」
「……そのようですわね、それで?」
「この場は共に戦ってやると言っているのだ。かの老雄に言葉が通じないのは見て取れる。貴様らが殺されるのは構わないが、貴様らの次は私たちが殺される番だろう。ならば、私を貴様らの剣として奮ってやる」
「そんなことできるはずがないだろう!」
「待って、メディアちゃん……」
私の言葉を遮り、セシリアはギネヴィアと視線を合わせる。
「助力感謝いたします。恥を承知の上でお頼みいたしますわ、殿下。
どうか私たちの剣となっていただけないでしょうか?」
「騎士の誇りにかけ、その願い聞き届けよう。そして今までの無礼はすべて水に流す。……その代わり、わかっているだろうな?」
「えぇ、この場を乗り切ることができたならば、皇子とあなたを解放すると約束しましょう……。魔女には騎士のような誇りは御座いませんが、セシリア・トリスケイル――“奔流の魔女”としての矜持に誓って、必ずや約束を果たすと……」
セシリアの誓いの言葉にギネヴィアはほくそ笑む。
「了解した。それでは早速この戒めを解いてくれ」
拘束具の鍵を持つ私はセシリアの判断を窺う。だがセシリアの決意は固いようで、無言のまま頷く。
「知りませんよ、もう……」
「裏切りが怖いか、魔女よ?」
「ええそりゃあもう。裏切りなんて魔女には日常茶飯事でしたからね」
「ああ、だが私は魔女ではない。それにな、一度はマハルバの守護者ドズラフェル殿とは一度は手合せしてみたかったのだ」
こんな状況下であるにも関わらずギネヴィアは不敵な笑みを漏らす。もし仮にギネヴィアが本心でこのように言っているのであれば、なるほど私とは全く思考回路が別物なんだろう。
自分より強い奴と相対などしたくもない。不測の事態でそうなってしまってもとにかく逃げることだけを考える。それが当たり前のことだと生きてきた。だからこそ、私は今も生き残っているのだと思う。
「殿下、武器はいかがいたしましょうか? まさか徒手で相対する等とはお考えではないでしょうね」
「流石に私もそこまで自惚れではないよ」
戒めを解かれたギネヴィアは先ほどドズラフェルがセシリアに対して投擲した大剣の側に向かう。
「私には少々扱うのが難しいが、これで何とかするとしよう」
大木に深々と刺さる大剣を取り、両の手でしっかりと構える。
「っと、これを片手で…しかも両手に持ち戦うとは……。流石だな、マハルバの守護者の名は伊達ではないということか」
「いけそうかしら、皇女殿下?」
「任せてもらおう。そちらこそしくじるなよ、“奔流の魔女”よ」
「えぇ、なんとか頑張らせていただきますわ」
奇しくも仇敵同士である「魔法の国」と「鋼鉄の国」の共闘が成立する。そこには過去の遺恨など関係なく、「共に生き残るため」という共通の目的がなしえた奇跡だった。
「正気がないのは不本意ではあるが……、“絶対なる契約の遵守者”――ドズラフェル殿、胸を御貸し頂こうッ!」
●
「メディアちゃんは、皇子とミオちゃんの護衛をよろしくお願い」
「は、はい」
私は後方に下がり、ナブッコスの戒めを解く。
ギネヴィアはドズラフェルの大剣を下段に構え、ドズラフェルと相対する。「鋼鉄の国」の剣術は全くわからないが、恐らくあれが防御に徹する際の型なのであろう。今はギネヴィアを信頼する他ない
「皇女殿下はしばしの間時間稼ぎをよろしくお願いいたしますわ」
「了解した」
ドズラフェルも相対する少女が只者ではないということを感じ取ったのか、不用心に踏み込むことはしない。
その間にセシリアは詠唱を口ずさみ、大魔術の行使に備える。
「皇子、それにミオちゃん……、あなたたちは先にこの場から離脱いたしますか? 特にミオちゃん、ドズラフェルさんはあなたの義父……、目の前でまた家族を失うことになるかもしれないけど……」
「いえ、この場に残らせてください……。義父上がどうしてこうなってしまったかはわかりませんが……、その最期を見届けないといけない気がします……」
「強いんだね……。それじゃあ、頼りないとは思うけど私の後ろにいてね」
「はい……」
ミオと同じく皇子も逃げる意思はないようだ。
「はは……、この暗闇の中道案内もなしに森に進めば逆に危険だからね……。僕もこの場に残らせてもらうよ……」
「了解しました。今までの無礼を帳消しにできるとは思いませんが、可能な限りお守りいたします」
「あ、ありがとう……。敵に回すと厄介だけど……、味方となると心強いよ――特に君の上司は」
「それはこちらも同じです。皇女殿下が助力して頂いたおかげでこの場をなんとかできそうな気がしますよ」
「はは……、僕は戦力外だからね。だけどギネヴィアは強いよ、身内の色眼鏡なしにね。ただ……、この場は彼女の戦い方が十全には活かせないのが心配だけど……」
「戦い方……?」
「ギネヴィアは細剣――レイピアで戦うのを得意としているからね。打ち合いはせずに動きで翻弄するタイプだ。だからあの大剣はギネヴィアには合わない、それにこのぬかるんだ地面……、でも今は信じて見守るしかできない」
ナブッコスは唇を噛みしめながら自分の無力さをぐっとこらえている。その瞳は自分の妹からは絶対に目をそらさないという覚悟を感じる。
自分もセシリアの力には何もなれず、ナブッコスと同じ境遇であることに親近感が湧く。
ならば私もすることは同じだ。セシリアたちの戦いから目をそらすことはしない。自分の弱さを受け止め、それを受け入れる。それが何に繋がるかはわからないが、今はそうすることしかできない。
「神さま……」
今まで神に祈るなんてことしたこともないが、初めて神への言葉を口にする。
どうかこの戦い、私たちに勝利を……。
●
前線の3人の動きは膠着状態に入っていた。
セシリアとギネヴィアは自ら動く必要はない。セシリアの大魔術行使までの時間だけ迎撃し続ければいいだけだ。
対するドズラフェルはまずは自分と向かい合うギネヴィアを倒してからでないとセシリアには届かない。そのギネヴィアも守りの態勢に入っているため、簡単には突破することができない。
ここまで前衛後衛が上手くはまるとは思いもしなかった。叶わぬ望みではあるが、「魔法の国」と「鋼鉄の国」の両国が手を取り合えば、この大陸に敵などいなくなるのではないか。
「ガ…アア……」
呻き声を漏らしながら、まず先にドズラフェルが動く。その巨躯には似合わない程俊敏な動きだった。
獣の如く山道を疾走するドズラフェルは真っ直ぐにギネヴィアへと接近する。
目的は恐らくインファイトに持ち込み、力で劣るギネヴィアを力ずくで組み伏せようとしているのだろう。
勿論、実戦経験豊富のギネヴィアも相手の魂胆は理解している。
相手の大剣の射程距離に入らぬよう、足を生かしながらの立ち回り。ようは時間稼ぎの動きだ。
この悪条件の中、ギネヴィアは蝶のように舞い、ドズラフェルを懐へと入れさせることはしない。
「どうした、マハルバ一の闘士の実力はその程度か?」
言葉が届いているかどうかは定かではないが、少しでも自分に引きつけようと挑発する。
そしてかわすだけでなく、少しでも隙が見えようものなら一撃を叩き込む用意もある。ドズラフェルが攻め、その攻めをかわしたならば次はギネヴィアの攻めと、まるで寄せて返すさざ波のような攻防が続く。
「凄い……」
「魔法の国」には勿論、剣で戦うという訓練は存在しない。そして、それを見る機会などないと言っても過言ではない。
刃同士がぶつかり合う音、飛び散る鉄粉、そのすべてがメディアにとっては初めて体験する物だった。
ナブッコスもメディアと同じ気持ちを抱いていた。
何度か御前試合などで剣同士の戦いを見たことはあるナブッコスであっても、今目の前で繰り広げられる光景には、感嘆の念を抱かずにはいられなかった。
これは試合ではなく、死合い。確固たるリアリティを土台に構築された命の取り合い。一瞬の油断が即、死に繋がる狂乱めいた光景。
こんなもの馬鹿げていると、頭では思いながらも、心の底から沸き上がる熱い血潮の鼓動を否定することはできなかった。
「グゥ……」
遅々として進まない戦局を受け、ドズラフェルの動きが変わる。このまま攻め続けても千十手になるだけだと察したのだろう。
小熊のように巨大な身体を少しだけかがませ、大剣を水平に構える。
(来るか……)
ギネヴィアの第六感が警報を鳴らす。次の一撃は……、必殺の一撃。回避することができなければ、感じる暇もなく命を落とすだろうと予感した。
だが、それだけの一撃を繰り出すということは、それだけ相手もリスクを背負うということ。
相手の先を封じ、こちらの後を繰り出すことができれば……、何もあの魔女の詠唱を待つまでもない。
しかし……、今の私の目的はあくまでも時間稼ぎ……。相手のリスクに対して、こちらもリスクを背負うことはしなくても……。
「ふっ……」
そんなことできるはずもない、とギネヴィアは笑みを漏らす。
「鋼鉄の国」にまでその名が轟く、マハルバ一の武人。正気は失ってはいるが、その剣のキレに衰えがないことは立ち会ってみてわかる。
そんな武士の全霊をかけた一撃を、やり過ごすことなど私の矜持が許しはしない。
負けた時のことなど考えてはならない。常勝将軍、部下に示すは常に勝利の福音のみ。
「さぁ来るがいい、怒り狂う黒獣よ。貴様の汚れた晩節を、我が手でピリオドを打ってやろう」
慌ただしかった戦局が、一瞬静寂に包まれる。
互いに大剣を構え、そしてタイミングを図るように睨みあう。
戦局を見守るメディアたちでさえも、この緊張感に息が詰まりそうだった。戦場に立つギネヴィアはそれ以上に、いつドズラフェルが動き出すのか、瞬きすら許されない状況にさらされていた。
時間にして僅か数十秒も経っていないだろう。だがメディアたちが感じた時間は永遠のように感じる一瞬だった。
静寂が終わりを告げ、凄まじい轟音と共にドズラフェルが矢のような勢いで前進する。
泥が跳ねあがり、飛沫をあげる。その中を真っ直ぐにドズラフェルは向かってくる。
「待ちくたびれたぞ……」
誰に言うでもなく、ギネヴィアは呟く。
そしてドズラフェルよりも早く、下段から斜め上段に向けて大剣を振り上げ迎撃する。狙うはドズラフェルの左わき腹。大剣が描く軌跡は弧の動き。初速の遅い円運動ではあるが、迎撃をする上ではその欠点も問題にはならない。そして、半円を描くように迫りくる斬撃を防御するには一旦後方へと引くか、自身の武器で受け止めるかだ。
ドズラフェルの選択は後者だった。左手に持つ大剣でギネヴィアの大剣を受け止めようとする。そしてドズラフェルは防御の姿勢を取りながらも疾走は止めない。
「その巨躯ならばただの体当たりでも相当な脅威ではある、が」
ギネヴィアは大剣を下段から振り上げる動作の最中、半歩分だけ後方へとステップする。
ギネヴィアとドズラフェルの大剣同士が重なる刹那、ギネヴィアの振り上げた大剣はドズラフェルの大剣に遮られることなく空を切った。
「!?」
後方の私たちは息を飲んだ。このままではドズラフェルの突進を遮るものは何もない。
やられる……。
ギネヴィア以外の誰もがそんな感想を抱いただろう。だが、ギネヴィアは未だ笑みを浮かべながら咆哮を上げる。
「……でぇりゃああああッ!」
振り上げた大剣はそのまま弧の軌跡を描きながら上空へと舞い上がる。その勢いを殺さぬように、ギネヴィアは自分の身体を軸に半円から真円を描くように一回転する。
大剣の自重に振り回されながらも何とか自分の軸だけはぶれないように力を込める。そして振り上げられた大剣が、下方向へとベクトルが変わる。
次の瞬間、ギネヴィアとドズラフェルの間に泥が舞い上がる。円を描いていたギネヴィアの大剣が地面を抉るようにして動きが止まる。
「目くらまし!? だけどその程度じゃあ……」
所詮、舞い上がったのは泥だ。偶然ドズラフェルの視界を奪うことになろうとも、既にドズラフェルはギネヴィアを捉えている。
「ガ…アアアアアア……!」
案の定、ドズラフェルの突進は止まらない。
「勿論、この程度で貴様を止められるとは思っていないさ」
ギネヴィアは自身に危機が迫っているにも関わらず笑みを絶やさない。
ギネヴィアのバックステップと大剣が止まる瞬間はほぼ同じだった。ギネヴィアは着地の勢いそのままに、地面へと深く沈み込む。
「見せてもらおう、この一撃を貴様はどうする?」
ギネヴィアは沈み込んだ体勢から、身体全身をバネにしてドズラフェルに突進する。突進の勢いを利用し、大剣を前へと構える。
切り払いから突きへ、線から点へと動きが変わる。僅かな時間でこの変化ができたのは、ギネヴィアの動きに一切の無駄がないこと、そしてすぐさま大剣の射程とドズラフェルの速度を見切った上での神業と言えるような芸当だった。
前へと突き出したギネヴィアの大剣が真っ直ぐにドズラフェルへ狙いを定めて疾走する。共に前へと向かう動き、単純に考えてぶつかり合うまでの時間は通常の半分になる。即ちそれは不可避の一撃、人間の反応速度では避けることのできない攻撃だった。
「勝てる……」と、誰もが一瞬希望の言葉を心に浮かべた。
だが、次の瞬間ギネヴィアの細身の身体は大きく後方に吹き飛ばされていた。
「がっ……ッ!」
吹き飛ばされたギネヴィアの身体は数メートル後方の地面へと叩きつけられる。幸いにも地面は雨によってぬかるんでいるため、着地による衝撃は少ない。
「がはッ……」
ギネヴィアの口からは胃液と混ざった血が吐き出される。
「一体何が……?」
確かにギネヴィアの大剣はドズラフェルを捉えていたはずだ。なのにどうしてギネヴィアが吹き飛ばされているのか……。
その答えはすぐにわかった……。
「グ…ガアアアアアッ!!」
「ドズラフェル……さん……」
高々に獣の咆哮を上げるドズラフェルの姿はまさに悪鬼と呼ぶに相応しい程、禍々しいものだった。
力なくだらんと垂れ下がった右腕には、手のひらから腕にかけてギネヴィアの大剣が深々と突き刺さっていた。持ち主の元へと戻った大剣からは、真っ赤な鮮血が滝のように零れ落ちる。
「くっ……、傷つくことを厭わぬとは、もはや獣と呼ぶにもおこがましい……。貴様はもはやただの敵を殺戮するためだけの人形だな……」
全身を泥まみれになったギネヴィアには、以前のような姫騎士としての純潔さや優雅さなどは皆無だった。今は笑みも消え、痛みに耐えるように顔をゆがませている。
「な、何が起こったんだ!? ギネヴィアの攻撃は通ったんじゃないのか!?」
狼狽するナブッコス。私だって狼狽えたい気持ちで一杯なのに……。
「……確かに、皇女殿下の攻撃は通っています」
それを証拠にドズラフェルの身体には深々と大剣が突き刺さっている。
「けれど、それだけではドズラフェルさんの突進の勢いを止めることはできず、正面からぶつかり合ったんだと思います……。あの体格差ですからね……、その衝撃はまるで破城槌を喰らうが如く強烈な物だったと思います……」
「なっ…それだけって、あんなにも傷ついているというのに……!? 傷つくことが怖くないのかい!?」
「わかりません……、わかりませんが、もうドズラフェルさんは痛覚すら感じていないのかもしれません……。だからいくら傷ついたって構わない、相打ち覚悟だろうと関係ない。
――一発でも入りさえすればドズラフェルさんの勝ちなのですから……」
「くっ……!」
「皇子!?」
何も力のない癖に、私よりも臆病だというのに……、ナブッコスはギネヴィアの元へと向かう。
「ギネヴィアッ、大丈夫か!?」
バカっ……。そんなことしてどうなるって……。
ナブッコスはそのままギネヴィアとドズラフェルの間に割って入る。
「兄上ッ、御下がりください! あなただけでもこの場から離れてください!!」
「そんなことできるはずがないだろう!」
「私のことなど捨て置いてください、あなたはシュターリア皇国の皇子なのですよッ!?」
「国など関係ないッ! 国なんかよりも妹の方が大切に決まっているだろうッ!」
ナブッコスはギネヴィアを庇うように仁王立ちでドズラフェルと向かい合う。
「ガ……?」
ドズラフェルはナブッコスへと視線を移す。視界にはいる者はすべて殺す。殺戮マシーンと化したドズラフェルの対象にナブッコスも加わる。
壊れかけの操り人形のように、ぎこちない動作でナブッコス達の元に近づく。
「まずい……」
咄嗟に身体が動こうとする。助けなくてはならない、と。
「助けに行くつもりかい?」
不意にビスビリオの声がする。
「その選択はいい選択とは言えないね。むしろ彼らを見捨てた方が「魔法の国」にとっては利益となるよ。それに何より危険すぎる」
「そんなことわかってるわ……。でもね、魔女だって人間なのよ」
「“守れ”と命令されたからかい?」
なるほど、確信した。やはりビスビリオに人間の心の奥底までは読めない。常に最適解だけを選択する人間ならば、きっとそれはビスビリオと同じ考えになるだろう。
だけど――、
「人間って、時々理解に及ばないことをするもんなのよ。そこの皇子みたいにね――」
「君は違うと思ってたんだけどね。無理なことは無理と、さっきのように諦めるかと思ってたよ」
「あのバカ皇子に影響されたのかしらね。私自身もびっくりしているくらいよ」
そう普段の私なら絶対にこんなことはしないと断言できる。この戦場を包み込む狂気が私を狂わせているのだろう。脳内物質がとめどなく溢れ、敵に対して立ち向かえと脳が命令を出しているのだろう。
「決意は固いみたいだね」
「死んだらごめんなさい。もし私が死んだら、代わりの子を見つけて世界を滅ぼしてね」
「なるべくそうならないよう頑張るよ。君はパートナーだからね」
ふっとビスビリオに微笑みかける。
「ありがと、私もなるべくそうならないよう頑張るわ」
「魔力連結の副作用はどうだい?」
「驚くほど感じないわ。あえて言葉に出すとするなら絶好調と言ったところかしら」
「それじゃあ、行こうか2人で立ち向かおう」
「えぇ、よろしくね、相棒」
前線の3人の動きは膠着状態に入っていた。
セシリアとギネヴィアは自ら動く必要はない。セシリアの大魔術行使までの時間だけ迎撃し続ければいいだけだ。
対するドズラフェルはまずは自分と向かい合うギネヴィアを倒してからでないとセシリアには届かない。そのギネヴィアも守りの態勢に入っているため、簡単には突破することができない。
ここまで前衛後衛が上手くはまるとは思いもしなかった。叶わぬ望みではあるが、「魔法の国」と「鋼鉄の国」の両国が手を取り合えば、この大陸に敵などいなくなるのではないか。
「ガ…アア……」
呻き声を漏らしながら、まず先にドズラフェルが動く。その巨躯には似合わない程俊敏な動きだった。
獣の如く山道を疾走するドズラフェルは真っ直ぐにギネヴィアへと接近する。
目的は恐らくインファイトに持ち込み、力で劣るギネヴィアを力ずくで組み伏せようとしているのだろう。
勿論、実戦経験豊富のギネヴィアも相手の魂胆は理解している。
相手の大剣の射程距離に入らぬよう、足を生かしながらの立ち回り。ようは時間稼ぎの動きだ。
この悪条件の中、ギネヴィアは蝶のように舞い、ドズラフェルを懐へと入れさせることはしない。
「どうした、マハルバ一の闘士の実力はその程度か?」
言葉が届いているかどうかは定かではないが、少しでも自分に引きつけようと挑発する。
そしてかわすだけでなく、少しでも隙が見えようものなら一撃を叩き込む用意もある。ドズラフェルが攻め、その攻めをかわしたならば次はギネヴィアの攻めと、まるで寄せて返すさざ波のような攻防が続く。
「凄い……」
「魔法の国」には勿論、剣で戦うという訓練は存在しない。そして、それを見る機会などないと言っても過言ではない。
刃同士がぶつかり合う音、飛び散る鉄粉、そのすべてがメディアにとっては初めて体験する物だった。
ナブッコスもメディアと同じ気持ちを抱いていた。
何度か御前試合などで剣同士の戦いを見たことはあるナブッコスであっても、今目の前で繰り広げられる光景には、感嘆の念を抱かずにはいられなかった。
これは試合ではなく、死合い。確固たるリアリティを土台に構築された命の取り合い。一瞬の油断が即、死に繋がる狂乱めいた光景。
こんなもの馬鹿げていると、頭では思いながらも、心の底から沸き上がる熱い血潮の鼓動を否定することはできなかった。
「グゥ……」
遅々として進まない戦局を受け、ドズラフェルの動きが変わる。このまま攻め続けても千十手になるだけだと察したのだろう。
小熊のように巨大な身体を少しだけかがませ、大剣を水平に構える。
(来るか……)
ギネヴィアの第六感が警報を鳴らす。次の一撃は……、必殺の一撃。回避することができなければ、感じる暇もなく命を落とすだろうと予感した。
だが、それだけの一撃を繰り出すということは、それだけ相手もリスクを背負うということ。
相手の先を封じ、こちらの後を繰り出すことができれば……、何もあの魔女の詠唱を待つまでもない。
しかし……、今の私の目的はあくまでも時間稼ぎ……。相手のリスクに対して、こちらもリスクを背負うことはしなくても……。
「ふっ……」
そんなことできるはずもない、とギネヴィアは笑みを漏らす。
「鋼鉄の国」にまでその名が轟く、マハルバ一の武人。正気は失ってはいるが、その剣のキレに衰えがないことは立ち会ってみてわかる。
そんな武士の全霊をかけた一撃を、やり過ごすことなど私の矜持が許しはしない。
負けた時のことなど考えてはならない。常勝将軍、部下に示すは常に勝利の福音のみ。
「さぁ来るがいい、怒り狂う黒獣よ。貴様の汚れた晩節を、我が手でピリオドを打ってやろう」
慌ただしかった戦局が、一瞬静寂に包まれる。
互いに大剣を構え、そしてタイミングを図るように睨みあう。
戦局を見守るメディアたちでさえも、この緊張感に息が詰まりそうだった。戦場に立つギネヴィアはそれ以上に、いつドズラフェルが動き出すのか、瞬きすら許されない状況にさらされていた。
時間にして僅か数十秒も経っていないだろう。だがメディアたちが感じた時間は永遠のように感じる一瞬だった。
静寂が終わりを告げ、凄まじい轟音と共にドズラフェルが矢のような勢いで前進する。
泥が跳ねあがり、飛沫をあげる。その中を真っ直ぐにドズラフェルは向かってくる。
「待ちくたびれたぞ……」
誰に言うでもなく、ギネヴィアは呟く。
そしてドズラフェルよりも早く、下段から斜め上段に向けて大剣を振り上げ迎撃する。狙うはドズラフェルの左わき腹。大剣が描く軌跡は弧の動き。初速の遅い円運動ではあるが、迎撃をする上ではその欠点も問題にはならない。そして、半円を描くように迫りくる斬撃を防御するには一旦後方へと引くか、自身の武器で受け止めるかだ。
ドズラフェルの選択は後者だった。左手に持つ大剣でギネヴィアの大剣を受け止めようとする。そしてドズラフェルは防御の姿勢を取りながらも疾走は止めない。
「その巨躯ならばただの体当たりでも相当な脅威ではある、が」
ギネヴィアは大剣を下段から振り上げる動作の最中、半歩分だけ後方へとステップする。
ギネヴィアとドズラフェルの大剣同士が重なる刹那、ギネヴィアの振り上げた大剣はドズラフェルの大剣に遮られることなく空を切った。
「!?」
後方の私たちは息を飲んだ。このままではドズラフェルの突進を遮るものは何もない。
やられる……。
ギネヴィア以外の誰もがそんな感想を抱いただろう。だが、ギネヴィアは未だ笑みを浮かべながら咆哮を上げる。
「……でぇりゃああああッ!」
振り上げた大剣はそのまま弧の軌跡を描きながら上空へと舞い上がる。その勢いを殺さぬように、ギネヴィアは自分の身体を軸に半円から真円を描くように一回転する。
大剣の自重に振り回されながらも何とか自分の軸だけはぶれないように力を込める。そして振り上げられた大剣が、下方向へとベクトルが変わる。
次の瞬間、ギネヴィアとドズラフェルの間に泥が舞い上がる。円を描いていたギネヴィアの大剣が地面を抉るようにして動きが止まる。
「目くらまし!? だけどその程度じゃあ……」
所詮、舞い上がったのは泥だ。偶然ドズラフェルの視界を奪うことになろうとも、既にドズラフェルはギネヴィアを捉えている。
「ガ…アアアアアア……!」
案の定、ドズラフェルの突進は止まらない。
「勿論、この程度で貴様を止められるとは思っていないさ」
ギネヴィアは自身に危機が迫っているにも関わらず笑みを絶やさない。
ギネヴィアのバックステップと大剣が止まる瞬間はほぼ同じだった。ギネヴィアは着地の勢いそのままに、地面へと深く沈み込む。
「見せてもらおう、この一撃を貴様はどうする?」
ギネヴィアは沈み込んだ体勢から、身体全身をバネにしてドズラフェルに突進する。突進の勢いを利用し、大剣を前へと構える。
切り払いから突きへ、線から点へと動きが変わる。僅かな時間でこの変化ができたのは、ギネヴィアの動きに一切の無駄がないこと、そしてすぐさま大剣の射程とドズラフェルの速度を見切った上での神業と言えるような芸当だった。
前へと突き出したギネヴィアの大剣が真っ直ぐにドズラフェルへ狙いを定めて疾走する。共に前へと向かう動き、単純に考えてぶつかり合うまでの時間は通常の半分になる。即ちそれは不可避の一撃、人間の反応速度では避けることのできない攻撃だった。
「勝てる……」と、誰もが一瞬希望の言葉を心に浮かべた。
だが、次の瞬間ギネヴィアの細身の身体は大きく後方に吹き飛ばされていた。
「がっ……ッ!」
吹き飛ばされたギネヴィアの身体は数メートル後方の地面へと叩きつけられる。幸いにも地面は雨によってぬかるんでいるため、着地による衝撃は少ない。
「がはッ……」
ギネヴィアの口からは胃液と混ざった血が吐き出される。
「一体何が……?」
確かにギネヴィアの大剣はドズラフェルを捉えていたはずだ。なのにどうしてギネヴィアが吹き飛ばされているのか……。
その答えはすぐにわかった……。
「グ…ガアアアアアッ!!」
「ドズラフェル……さん……」
高々に獣の咆哮を上げるドズラフェルの姿はまさに悪鬼と呼ぶに相応しい程、禍々しいものだった。
力なくだらんと垂れ下がった右腕には、手のひらから腕にかけてギネヴィアの大剣が深々と突き刺さっていた。持ち主の元へと戻った大剣からは、真っ赤な鮮血が滝のように零れ落ちる。
「くっ……、傷つくことを厭わぬとは、もはや獣と呼ぶにもおこがましい……。貴様はもはやただの敵を殺戮するためだけの人形だな……」
全身を泥まみれになったギネヴィアには、以前のような姫騎士としての純潔さや優雅さなどは皆無だった。今は笑みも消え、痛みに耐えるように顔をゆがませている。
「な、何が起こったんだ!? ギネヴィアの攻撃は通ったんじゃないのか!?」
狼狽するナブッコス。私だって狼狽えたい気持ちで一杯なのに……。
「……確かに、皇女殿下の攻撃は通っています」
それを証拠にドズラフェルの身体には深々と大剣が突き刺さっている。
「けれど、それだけではドズラフェルさんの突進の勢いを止めることはできず、正面からぶつかり合ったんだと思います……。あの体格差ですからね……、その衝撃はまるで破城槌を喰らうが如く強烈な物だったと思います……」
「なっ…それだけって、あんなにも傷ついているというのに……!? 傷つくことが怖くないのかい!?」
「わかりません……、わかりませんが、もうドズラフェルさんは痛覚すら感じていないのかもしれません……。だからいくら傷ついたって構わない、相打ち覚悟だろうと関係ない。
――一発でも入りさえすればドズラフェルさんの勝ちなのですから……」
「くっ……!」
「皇子!?」
何も力のない癖に、私よりも臆病だというのに……、ナブッコスはギネヴィアの元へと向かう。
「ギネヴィアッ、大丈夫か!?」
バカっ……。そんなことしてどうなるって……。
ナブッコスはそのままギネヴィアとドズラフェルの間に割って入る。
「兄上ッ、御下がりください! あなただけでもこの場から離れてください!!」
「そんなことできるはずがないだろう!」
「私のことなど捨て置いてください、あなたはシュターリア皇国の皇子なのですよッ!?」
「国など関係ないッ! 国なんかよりも妹の方が大切に決まっているだろうッ!」
ナブッコスはギネヴィアを庇うように仁王立ちでドズラフェルと向かい合う。
「ガ……?」
ドズラフェルはナブッコスへと視線を移す。視界にはいる者はすべて殺す。殺戮マシーンと化したドズラフェルの対象にナブッコスも加わる。
壊れかけの操り人形のように、ぎこちない動作でナブッコス達の元に近づく。
「まずい……」
咄嗟に身体が動こうとする。助けなくてはならない、と。
「助けに行くつもりかい?」
不意にビスビリオの声がする。
「その選択はいい選択とは言えないね。むしろ彼らを見捨てた方が「魔法の国」にとっては利益となるよ。それに何より危険すぎる」
「そんなことわかってるわ……。でもね、魔女だって人間なのよ」
「“守れ”と命令されたからかい?」
なるほど、確信した。やはりビスビリオに人間の心の奥底までは読めない。常に最適解だけを選択する人間ならば、きっとそれはビスビリオと同じ考えになるだろう。
だけど――、
「人間って、時々理解に及ばないことをするもんなのよ。そこの皇子みたいにね――」
「君は違うと思ってたんだけどね。無理なことは無理と、さっきのように諦めるかと思ってたよ」
「あのバカ皇子に影響されたのかしらね。私自身もびっくりしているくらいよ」
そう普段の私なら絶対にこんなことはしないと断言できる。この戦場を包み込む狂気が私を狂わせているのだろう。脳内物質がとめどなく溢れ、敵に対して立ち向かえと脳が命令を出しているのだろう。
「決意は固いみたいだね」
「死んだらごめんなさい。もし私が死んだら、代わりの子を見つけて世界を滅ぼしてね」
「なるべくそうならないよう頑張るよ。君はパートナーだからね」
ふっとビスビリオに微笑みかける。
「ありがと、私もなるべくそうならないよう頑張るわ」
「魔力連結の副作用はどうだい?」
「驚くほど感じないわ。あえて言葉に出すとするなら絶好調と言ったところかしら」
「それじゃあ、行こうか2人で立ち向かおう」
「えぇ、よろしくね、相棒」